南海ホークス25
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今回の石毛チャンネルのゲストは東尾だが昭和40年代のパ・リーグのバッターで一番厄介だったのは長池さん
長池さん対策でインスラを修得したと述べるが手強い相手としてノムの話題は一切なし
稲尾もそうだがパ・リーグのエースたちは野村なんかただの球種盗みイカサマ野郎で眼中になかったんちゃうか?
クサや山田の話もようつべに出てもらって話しを聴きたい >>353
平成初期には川崎市内に新球場を建設する計画があったよ。 >>355
今だったら永久追放だな、このコンビは。 >>356
アンタがネットソースしか見てないからやw
マジレスすると稲尾が野村について語る際に必ず出て来るのがオールスターでの神経戦の話。
当然野村が捕手でパ・リーグの投手陣の球を受けるんだけど、その機会を利用してパ・リーグのエース達の変化量や投げる時の癖とか
全部見抜いとこうと全ての持ち球を投げさせたがるんだと。
そんな野村に対して、稲尾とかはそんなの見抜かれたらたまらんと全部真っ直ぐしか投げなかったり、全く別の球を投げたりと対策に
苦慮したんだって。
稲尾とかにとってオールスターの場はセ・リーグの各打者と対戦する以前に捕手として構える野村との虚々実々の駆け引きにばかり
神経をすり減らした印象しか無いそうで。 そもそもトンビの頃の野村はそこまで神経すり減らして投げないといけない打者ではなかっただけだろ 野村が一流打者だったのは73年まで。
その頃の東尾は二桁勝ってもそれ以上に負けて防御率も悪い駆け出しの時期だった。
東尾が一流になったのは75年の最多勝からで野村は既に打棒が衰えてきていた トンビがよく語るのは門田かな。
わざと3ボールにしてからくさいボールで攻めたとか。
もちろん四球になることもあるけど走者に出しても全くの置き物だから別にいいって
(これは落合ブーマーにも同じ事言ってた) 野村を最強打者に挙げた投手って誰かいたっけ
東尾は長池 稲尾は榎本 池永は張本 土井大杉もいたが、野村は知らない 野村は二線級の投手を確実に打ち崩すタイプだったので、大投手からは敵視されなかったのでは?
ただし、野村自身は稲尾との対決を重視していたと語っている パ・リーグ歴代打撃成績の長打部門では間違いなくナンバーワンの打者でありセにおける王にも比類する男なのに余りにも寂しいな
クサなんかは野村からかなり本塁打のを浴びたんだが訃報のコメントも
ダイアモンドをわざとゆっくり回るのがムカついたくらいで打者としての野村の偉大さを語る内容はほとんどゼロ というか野村自身も印象的な一打を語ってなくね?
そもそも無いのでは。 野村の打撃力は言うほどたいしたことない
逆にキャッチングや肩は言うほど悪くない 日刊スポーツの南海担当だった井関真氏の思い出。
www.nikkansports.com/baseball/news/202002110000764.html ノムを餌にすると、すごい盛り上がるなこのスレは。
ひとりのアンチに引っかかっている気もするが…
実際、晩年もキャッチャーで4番で監督なんだから、評価はすべき。
「代打、俺」よりは監督としての成績も良かったわけで…。
谷繁見ても分かるように、すぐ監督に専念せざるを得ない。それでもBクラス。 確かにあの自慢話大好き人間にしては
「ここで打った」
みたいなエピソードが殆ど無かったのは奇妙 それだけパが多士済々だっただけだと思うけど。
若い時は中西山内、後半は長池大杉がライバルだし。
豊田土井や加藤英なんかもその中に入れないくらいで。
セのoとnしかいなかった打撃層の薄さの方が目立つ。
ライバルチームの4番が遠井吾郎とか藤本勝巳。 阪急米田から野村は通算49HR打っているが、これは日本記録らしい >>373
確かに村山、江夏、星野、平松あたりとのON対決は聞くけど打撃争いはほとんど
ない。江藤くらいかONの邪魔してたの。
1961年以降は打撃3冠のうちほとんどON。
これじゃあね。 今日は10・19だがもちろんあの日は近鉄を応援してたよな?
俺は西武の優勝だけはコリゴリだったから近鉄ファンになった気持ちで応援していた 当時は巨人が突出してただけでリーグのレベルはパの方が高いからな
打撃陣だけ見ても野村もそうだし中西、山内、榎本、張本、大杉、長池、土井、永淵…
セはONに全てが集中してた 巨人9連覇の1960年代後半〜1970年代前半のセリーグの主力というと、
ON以外は田淵、藤田平、松原、衣笠とかか? >>379
あとはジョイナスくらいか
そう考えてみると確かにONがスタッツ上では突出してたとはいえ
他の5チームの補強に対する姿勢にも問題ありまくりだよな >>375
>>379
ヤクルトはロバーツ
71年に三原が監督になると若松が入って来て翌72年に首位打者を獲るが デーブ・ロバーツというと70年代のヤクルトの助っ人と
ポストシーズンとなると途端にぬるぽになるドジャースの監督と
日本に縁の深い人物が二人いるから頭の中でごちゃごちゃになってしまう >>381哲は腹黒いぜ。
巨人ブランドをちらつかせ、他チームの主力をONに次ぐ5番と言うことで
抜いてたんだから、広島森永、大洋桑田、西鉄高倉、南海富田。
そして、数年で使い捨て。
巨人は昔からそういう球団。 >>384
富田はヤクルトがトレード申し込んだのを見て「三原さんに渡すとマズい」と判断して
「山内に松原も付けるからこっちにくれ」って言って獲得したからな(ヤクルトは西井との一対一)
まぁ川上の分析は非常に的確だった訳だが 巨人9連覇の時は確かにセリーグのほかのチームは打線は小粒やな
中日の木俣・マーシャル、大洋の近藤和・松原・長田
広島の興津・大和田・山本一義、産経は武上くらいか
阪神は遠井カークランドが主砲でしたかな
そういえば大和田はのちに南海に来たけどほぼ終わっていた気がする >>368,372
野村が割に語っていたのは、1963年最終戦で放った52号だろうな。
「外角のボール球をヤマカンで読み切って打った。あれだけは狙って打ったホームラン。」と。 >388
広瀬、岡本もそのホームランについて語ってたのを読んだ記憶がある。
監督ノムじゃなく打者ノムも凄かったんだと。 >>386
何で産経が武上なんだよw
主砲はジャクソンやロバーツだろうが >>375
カープの古葉も顎にデッドボール喰らってシーズン棒にふらなかったら長嶋を抑えて首位打者になってたかもしれなかったな >>385
川上巨人時代は川上の分析というより牧野と球団のカネとブランド力の方が大きかったと思える 89勝41敗4分(優勝・日本一) 監督 川上哲治
1 柴田(中) 率.251 本7 打点25
2 土井(二) 率.245 本5 打点39
3 王(一) 率.311 本48 打点116
4 長嶋(三) 率.344 本26 打点105
5 森(捕) 率.242 本5 打点62
6 国松(右) 率.272 本6 打点44
7 末次(左) 率.235 本3 打点18
8 黒江(遊) 率.244 本2 打点17
城之内 40試合 21勝8敗 防2.01
堀内 33試合 16勝2敗 防1.39
渡辺 42試合 13勝6敗 防2.34
中村 32試合 11勝7敗 防2.64
高橋 19試合 6勝5敗 防2.16
金田 19試合 4勝6敗 防3.43
宮田 15試合 5勝3敗 防2.12
種部 20試合 2勝0敗 防0.82
宮本 22試合 2勝1敗 防2.04
益田 30試合 4勝1敗 防2.79 >>386
田淵が本塁打量産し出したのが
72年からだね
逆にもし当初の予想通りに田淵が
巨人入りしてたら
更に他チームとの格差が拡がっていたな
森に潰されてなけりゃだけどw >>395
森は一切教えないどころか、嘘教えるからね
きっと、外野転向だろうね。ライト。
そして、ここで守備がだめなら
代打人生を送ってたかも。 >>394
王と長嶋だけしか打ってないというか突出度が半端ない
この二人は別格としてもこの打線で九連覇を為し遂げたというのは川上巨人はやはり偉大だったということかな
しかしこの時代の投高打低ぶりは凄まじいな >>393
アホかw 牧野は当時の巨人番紙記者に言わせればただの茶坊主。
川上の発案を忠実に遂行していただけ。
川上は牧野には黙って某裏方を特命係長のように使っていたことさえあったんだぞ 長嶋三塁走者広岡打席時のホームスチールも実は裏サインがあって指示したのは川上だったってね
いかに広岡が打力がないといっても本盗は博打過ぎるだろう
点を取る確率つまり勝敗を度外視した広岡に恥をかかせてやろうとする川上のイジメだね 1962年日米野球全日本のスタメン
1 遊 吉田義男
2 一 王貞治
3 三 長嶋茂雄
4 左 張本勲
5 中 山内和弘
6 右 衆樹資宏
7 捕 野村克也
8 二 鎌田実
9 投 稲尾和久(2番手)
当時WBCあったらこんなスタメンで戦ったんだろうなあ
アメリカには歯が立たないにしても、当時の日本代表がドミニカやメキシコやベネズエラとどれくらいやれたのか気になる 1番ムッシュはともかくまだこのころは2番に強打者を躊躇なく入れる時代だね
この頃に戻るのに60年かかった 今年ドラフトで近大の佐藤という長距離砲が人気だが日本の指導者って長距離の育成
が本当に下手だから競合するんだろうな >>395
田淵を川上がどう評価するかだが若いし
森にイビられんうちに外野へ回すかどうか >>399
またお前か
ここは南海スレだ
二度と来んな 富田というドラフトの目玉を育成できなかった野村は打者育成無能と言われてもしかたない
田淵は大学出たときは細くて足速くて肩もよかったと聞いたことがある、それなら
ライトで育成するのもよかったのでは。 広島で二軍中継やってたが神田康明アナウンサーの実況に驚いた。
〜神田「オリックスの監督は小林宏さんです。弱冠50歳という若い監督さんなんですねぇ。」と・・・。
「弱冠50歳」って初めて聞いたわ(笑)総理大臣にしては若いというレベルだろ。
「50歳・・若い監督さんですねぇ」〜これだと1982年、西武初優勝時の広岡監督に対し「若い監督さん」とやってるようなもの。
1985年秋に「西武に若い森監督(50歳)誕生」とやってるようなものだ。
日本の超高齢化を感じたヒトコマだった。 >>407
野球に限らずプロスポーツ見ない方がいいわ君
六大学でも見とき >>420
汚い、って別所が同時期の同レベルのエースと比較して
自身の年俸があまりに安い
と訴えたのに放置した方がよっぽど汚いだろう >>425
先発がこの年最多勝の久保征弘(近鉄、28勝21敗)で
→稲尾→梶本→足立→尾崎→米田と継投 >>408
このスレで神田康秋の名前が出てくるとは思わなかったwww
かつてはテレビ新広島で森永勝也とのコンビが長かったな。
神田が南海OBと放送席で同席したとしたら、
晩節に在籍した加藤秀司と、全国中継での江本孟紀が思いついた。
岡本伊三美がフジ系の全国中継に多く出た1975年は、
TSS開局直前でまだ広テレがクロスだったから、
広テレのアナと組んでいたかもしれないが
森永は南海から古葉を、近鉄から阿南を復帰させ、
ルーツをコーチに呼んだ当事者だった。 >>426
スタメンは久保なら久保と書けよ
なかったことにするとか失礼だろ >>426
俺に言われても困る
それ書いたの俺じゃねえぞ >>428
俺に言われても困る
それ書いたの俺じゃねえぞ >>420
三原が企てた策は南海のエース​​別所毅彦​​の引き抜きだった。あまりにも短絡的、単刀直入すぎる感があるけれども(笑)。以下は、三原が当時選手だった​​青田昇​​に語った
「別所が今シーズン、巨人で1勝もできなかったとしても、彼の(昨年の勝ち星の)26勝が南海から消えるだけで、ウチが優勝できるのだから」
『三原脩と西鉄ライオンズ 魔術師』(立石泰則著、小学館)より。 >>410
約一年後の杉浦監督最終戦も川崎だったよな >>432
80年代は川崎球場のロッテ戦が最終になるのがやけに多かった
(82・84・86・88・89) 川崎は元の地盤が悪いから水捌けが悪くて
その日は晴れてても前日まで降り続いてたりすると中止になる事が多かったからな
落合大好きの秋の消化試合連発が多かった >>432
なんでダイエーは杉浦を一年で首にしたんや?
ダイエー初年度4位やろ大したもんや。
平成元年は在阪球団頑張ったな。
去年の悔しさをバネに優勝した仰木近鉄
2位優勝争いを演じた上田オリックス(旧阪急)
3位常勝森西武
4位杉浦ダイエー(旧南海)
後は在京ハムロッテ。 要は南海色を一掃したかったんだろ
あまり野球事情に詳しくなかった中内オーナーが杉浦よりも田淵の方が客を呼べると思ったに過ぎない >>436
あと福岡人(西鉄ファン)にとってライバルの南海嫌いな人多いそう。 >>435
身売りした途端に再侵入を画策した沙知代が蠢動してたからな。90年からの野村の監督就任も取沙汰されてたし
沙知代のヤクルト工作が成功したんで野村はそっちへ行って田淵が監督になったが
ダンは92年オフに田淵に代わって来た根本につまみ出されるまで関与してて
ハイディ古賀にホークスの選手を付けてダンの持つ1Aのチームに野球留学させてた 近年はホークス黄金時代やな。
首脳陣がライオンズ化したホークスやけど(笑)
根本gmの功績やな。
南海勢排除の荒治療とライオンズ勢でホークスを改革した結果。
鶴岡親分の罪の部分は
巨人に弱すぎた(涙) そら大阪人は田淵江夏村山の阪神に客奪われるわ。
おまけに巨人と毎週戦えるし。 杉浦もだしカズ山本のクビも不可解だった
オールド南海ファンのみならず地元出身で九州のファンにも絶大な人気を誇った当時のホークスの数少ないスター選手だった >>439
それこそライオンズの黒い霧とホークスの沙知代禍は
多数の巻き添えを出してでもほぼ根こそぎの荒療治をしないと消し去れない程だったということ ホークスは黄金期が長かったから野村解任後も勝ちを全く知らない監督コーチスタッフってわけじゃなかったよな
広瀬穴吹杉浦は常勝軍団のバリバリの選手だったわけで勝つ術を身をもって知っていた
万年弱小お荷物球団だった近鉄や暗黒阪神辺りが血の総入れ替えが必要だというならわかる
一体どこで断絶があったのか >>442
選手をうまく補強できなかった。
長池を取れなかったドラフト制開始もあるが、
成績も低迷し始め、黒い霧でパリーグ全体が沈下し、
ドラフト指名しても入団拒否など。
ノムの時代は、他の球団の余った人を取ったり、富田、江本を放出したり。
ノム後も新井など優秀な選手を放出。
そのころ岡本、杉浦などは他チームのコーチ。
悪循環の連鎖。 >>410
この試合は見に行った
確かにショボい終わりかたやったわ
試合後、南海ナインから何らかの挨拶がある
ことを期待してしばらくスタンドで
ファンが待っていたけど
何もなしで応援団のオッサンが
怒声をあげてた 杉浦監督はいきなりクビにはされずフロントへ異動だった。3年後に根本と入れ替わりで退職したが ダン野村、プロ選手として野村の息子なのに扱い小さいな、と思ってた幼かったから。 息子とはいっても生物学上の繋がりは何にもないからな 近大の佐藤がドラフトの目玉だがもし野村克也が獲得してもアベレージの転向させて
潰しそう 長嶋は松井を育てたからなあ
ジャイアンツ入団時の松井は同じ超大型高卒スラッガーの清原と比較しても完成から程遠い荒々しい素材だった
それが2000年日本シリーズの松井はホークスにとっては忘れられない難敵として立ちはだかった
どこ投げても打たれるとはまさにあの時の松井だったな 前妻との離婚が成立する前にサッチーとの間に子供を作るとは、
野村も思い切ったことをするものだ。 ここでは話題になってないけれど
田淵監督就任時には、杉浦が取締役でフロント入り
同じフロントに穴吹が編成部長で入団
現場には広瀬が一軍コーチで入団
南海監督経験者が三人も揃い、南海復活と大喜びしたのだが…
一年後、広瀬は巡回コーチ(事実上左遷で翌年退団)
穴吹は球団と喧嘩別れして退団
杉浦こそ残ったものの、この時に南海閥ではダメだと思われたように感じる 野村さんは捕手語るときにリード論ばかり言うがキャッチングとかはどう指導してた
のかな??
巨人戦見てるんだけど大城のミットの構えが制球あまりよくないのにコーナーぎりぎりに
構えて余計の四球出してる。
南海に来て開花した福士とか山内新一はのびのび投げさせたのかな >>442
至極単純に予算がさらに減りそれに合わせて戦力も低下したというだけ。ブレイザーなんて広瀬未満の結果で辞めたんだし
広瀬・穴吹・杉浦の三人は球団のきちんとしたバックアップがあれば少なくともAクラスには入れたでしょ
80年代南海とは比較にならん潤沢な予算がありながら、戦力(打力)が80年代南海未満だった阪神で野村はどうなったって話よ
それこそ逆に杉浦がダイエー退任後に90年からヤクルトの監督になってりゃ優勝監督になれただろうしな
>>445
杉浦は93年まではフロントに居て、根本と一年だけはかぶってたはずだったが
>>452
90年に坂井保之が根本より先にダイエーに来てたんだよ
坂井は当初から福岡野球社(太平洋・クラウン)→西武の流れの再現を画策していたが
根本抜きでは実現出来るはずもなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています