珍しい記録 Part51
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>458 みんな20本台で終わったらセ・リーグでは1961年の長嶋以来の30本未満の本塁打王誕生となる >>454 横浜大洋生え抜きの打者にはいないな、松原誠の巨人移籍 ⇒ 1981日本シリーズ出場で 名球会員の該当者は平松政次1人だけ 近鉄選手として日本シリーズに出場した現役はいなくなるか… >>464 近鉄と日本シリーズで戦った選手も引退する 近鉄と対戦した現役選手は 和田毅、松坂大輔、内竜也ぐらいか 明石は初打席三塁打が近鉄戦 中村おかわりは初本塁打が近鉄戦のようね >>466 ひょっとして「現役投手」を意図していたのかな? 野手では他にもまだいそうだが 近鉄に在籍した選手 S 近藤一樹 S 坂口智隆 近鉄と一軍公式戦で試合した選手 L 松坂大輔 G 中島宏之 (裕之) M 細川 亨 L 中村剛也 L 栗山 巧 H 和田 毅 M 内 竜也 【東京ヤクルト】スアレス、マクガフ、清水、石山、梅野 ‐ 中村 【阪神】ガンケル、岩貞、藤浪、岩崎、スアレス、桑原 ‐ 梅野 NPB初の兄弟同一試合登板 【阪神】打線が1点止まりで今季6度目の引き分け…スアレスは外国人兄弟ではプロ野球史上初の同一試合登板 - スポーツ報知 https://hochi.news/articles/20201019-OHT1T50203.html 昭和時代のナイトゲームで最も遅い試合終了時刻は何時だったかね、確か1992年9月の阪神×ヤクルトと同じく判定で揉めて0時過ぎの決着だった筈なんだけど >>454 広島1981年〜1983年星原一彦(1980年日本一1984年日本一) この前ふと気になって規定未到達者の最高成績を当たってみたんだけど 規定打席未到達者の通算安打は中根仁(最高打席381)の717が最高でなかなか見つからなかったのに対して 投手の規定投球回未到達者の通算勝利は鹿取義隆(最高投球回101)の91でこんなに勝ちが付いてたのかと改めて驚いた。 やっぱり規定打席未到達で1000安打・・・なんてのはハードルが高いのかねえ? ちなみに通算1000安打/100勝以上で規定到達が少ないのは打者が淡口憲治(1076安打)、投手はは若生忠男(105勝)でいずれも1回のみ >>82 >>85 あと東和政(横浜・西武)を追加 巨人は今年日本一逃したら球団史上ワースト確定か、セ・リーグはコロナ特例かCSなしだからシリーズまでは一息入れられるが >>471 そう考えるとブルーウェーブ末期の在籍者が 2016年ですべてNPBから引退したのは早すぎるよな 普通ならほかの球団に移籍したとは言え 現役の選手がまだいてもいいはずなのに >>486 巨人1936年のメンバーには、日本シリーズ優勝経験者はいないんじゃないかね 平成以降は13球団すべて最低一人は日本シリーズ出場経験者が在籍しているはず >>486 それだと毎日の1958年〜1959年は途絶えてるんじゃないの? 途絶してる? 1950年の日本シリーズの試合出場者からオリオンズのみに一番長く在籍したを優先して三宅を選択したが移籍者込みなら他に別当(在1950〜57)や荒巻淳(在1950〜61)も居た… オリオンズは1950年と1960年に日本シリーズ出場してて、1950年に出場した三宅宅三が1957年を最後にチームからいなくなったなら、 1958年と1959年はオリオンズにシリーズ出場経験者が誰もいないのでは? >>481 東の成績で面白いのは、勝ち星を挙げたシーズンの防御率が7.56と6.00というところ 他の4人は最低でも該当シーズンで4点台の成績は記録しているのに(最低はスクルメタの6.14) それどころか東は実働6シーズンの最高が6.00(二度)という壊滅的な内容 通算防御率も7.90という酷さ(通算投球回は76回1/3) >>483 逆にフライ無し完投もその頃に誰かがやってたはず 西本聖だったかな? >>492 後年も含めてとあるからリアルタイムでは確定してなかったという意味だろうね 「一時期の巨人や近鉄には当時又は後の300勝投手が複数在籍していた」みたいな そんな記録になんの意味が? 後の出来事を含めるなら巨人には1959年から1980年まで868本塁打経験者が22年連続在籍していたと言うのと同じだと思うけど 一般的なプロ野球記録の範疇ではないが 球団結成から日本シリーズ制覇まで20年以上掛かったり、前回日本一から40年前後もブランク生じると継承されないから >>494 巨人に「当時又は後の300勝投手が複数在籍していた」ことがあったかね >>488 内堀は1951年巨人に在籍し公式戦出場もあるが 日本シリーズに出場はしていない >>501 スタルヒン 1936-1944在籍 別所 毅彦 1949-1961在籍 セ・パ同時優勝なら1958年の西鉄以来、62年ぶり 両リーグ同日Vは過去3度ある。51年9月23日にセは巨人、パは南海が優勝したが、これは日米野球のため残り試合打ち切りで自動的に優勝が決まった。 2度目は54年10月19日。セは中日でパは西鉄。中日は試合がなく、他球団の状況で優勝。西鉄は阪急を下して優勝を決めた。 3度目は58年10月2日のセの巨人とパの西鉄。巨人は試合がなく、他球団の状況で優勝決定。西鉄は近鉄を下して優勝を決めた。 今年同日Vなら62年ぶり4度目となるがどうか。なお、パが前後期制を採用していた81年には9月23日に日本ハムの後期優勝と巨人のリーグ優勝が決まった例もある。 >>497 巨人はいないな とすると近鉄の記録はまあまあ珍しいことになる できれば両者共に既に300勝投手であってほしかった 300勝は過去6人だけだが、これを野手の記録に当てはめると、6×8=48で歴代48位ぐらいまでが同じ稀少性を持つと考えていいのかな? プロ野球選手の投手と野手の人数の比率はほぼ1:1なので等価と見ていい 阪神、試合開始一人目で早くもリクエスト行使。 しかも覆らず。 >>507 日米ともに300勝と500HRが同じくらいな印象 米に限ると3000本も >>512 あと、今シーズンの大野は10勝してるけど その全てが完投勝利(完封含)のはず 2ケタ勝利でシーズン全て完投勝利だと、いついらいの記録だろ >>515 完投負けが1個あって完投せず勝った試合が1個ある 大野雄大、今季6完封目。 完投自体が絶滅危機なのに……いつの誰以来だ? 稲尾ですらシーズン7完封が最多。 「ニッポン野球は昔っから先発完投」という俗説は間違い。 稲尾が7完封って意外だなぁ 菅野が8完封してるのに >>515 89年の斎藤がどうだったかなぁ かつて、そんなレスを読んだ様な気がする >>516 あ〜、そうなのか。失礼しました >>517 藤本英雄が1943年に19完封 まあ、当時は今と野球環境も全く違うし、比較するのはアレだけど 戦後だと、金田が1958年に11完封してる 平成以降では、斎藤雅樹は89年に7完封、90年と95年に6完封 >>519 1989年の斎藤は20勝目に6回で降板し水野に交代している また、16勝目は同点の9回裏に斎藤の代打で出た津末がサヨナラ打 従って「完投勝利」だが試合終了時の出場メンバーには名がない 1987年の工藤が23完投15勝4敗4引分 >>520 2リーグ制下では1962年小山13完封が最多 21世紀では2018菅野8完封、2014則本7完封 菅野がここ数試合打たれて防御率悪化してるし これは大野の逆転沢村賞もあるかもな >>524 同じ中日繋がりか 今中も全盛期はすごかったよな その期間はたった3〜4年しかなかったけど 今中は1994年にも13勝すべて完投勝利 1993年から1995年にかけて30勝連続完投勝利を記録していたもよう 改めて今中すげ〜 こんな短時間でデータをすぐにupする貴方はもっとすげ〜 ときどき粗忽な間違いや調べ漏れ(>>481 ご指摘の東和政とか)を しでかすことがあるので、お暇な人は検証を試みてくだされ 阪神の福留と能見が来シーズン他球団への移籍もあり得ると報じられてるけど過去に四十代で移籍した選手っていたっけ? パッと思い付くのは工藤だけど他にはどうかな? そういえば今中はダブルヘッダーの2試合とも先発という記録もあったよな。 他にそういう例はあるのだろうか? もっとも今中は防御率1位がかかった消化試合という事情だったけど。 >>533 有名なのは1984年の関根(大洋)の例でしょう 規定投球回数に乗せるために、 第1試合完投(8回)、第2試合も先発して2回投げて交代 >>531 パッと思いついたのは 落合 工藤 藪 佐伯 >>509 そうなんですね ポジションの数でザックリと換算してしまいました >>513 そうすると>>509 はんの説が間違いないですね 出てない選手だと岩本義、若林忠、アルトマン、吉井、木田、斎藤隆 満40歳のシーズン含めると川相、松坂、五十嵐 「復帰」パターンだとスペンサー、レイ、黒田 >>531 共に南海の主砲であった野村と門田は40代で二度移籍を経験していますね あとは工藤も(投手では唯一) 落合は年度別に考えると二度経験ですが、移籍日で取った場合に1993〜1994年の中日→巨人の移籍決定が11月とかだったりすると当時30代だったわけで微妙です 稲尾はロングリリーフが主体のイメージ。 先発は年間35試合くらいしかないから登板の半分程度 >>546 稲尾は通算300先発300交代完了を記録してますからね 金田と2人だけかな 江夏は299先発、473交代完了で惜しい。 小野正一は意外に交代完了が少なかった。 長嶋一茂がファームでやらかしてネタににされてたのは覚えてる。 >>533 半世紀も遡ればありそうだな。 第一試合に投げたから風呂に入ってたところ、監督のミスで第二試合の先発メンバーに。慌てて風呂から出てマウンドに── てな話は見聞きしたことある。 一塁手の1イニング3失策はセ・リーグ初。パ・リーグでも62年ブルーム、74年ジョーンズの過去2度しかない・・・ 全員助っ人かよ。 >>547-548 昭和末期〜平成以降だと、目立つ所では 斎藤明218先発、322交代完了 大野224先発、285交代完了 佐々岡303先発、203交代完了 上原217先発、265交代完了(日米合算) 共に200を超えてるのは、この4人くらいかな 今は先発ローテでずっと投げてた投手が 抑えに転向なんてのはほとんどないからなあ(逆も然り) 強いて言えば、松井裕樹がこの後どんな起用方になっていくか見守る程度 1人見落としてた 郭 源治が230先発、219交代完了 先発数の方が多いってのが意外だった >>554 ちなみに金田は365完投332交代完了 こちらの300-300は無論金田1人 200-200は他に 米田(262完投261交代完了) 小山(290完投210交代完了) 梶本(202完投249交代完了) 長谷川(213完投248交代完了) 金田は試合終了まで投げた試合が697あったわけで、 完投+交代完了の合計試合数10傑は 金田697 江夏627 岩瀬569 米田523 稲尾504 小山500 別所481 スタルヒン472 長谷川461 山田452 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる