ドラフト1位だったけど一軍で活躍できるようになるまで時間がかかった選手
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ドラ1といえど即戦力というより将来性込みで獲得されるケースも多いと思いますが…
それでもモノになるまで時間がかかったなという選手は パッと思いついたのはダイエーの斉藤和巳だな
初2桁上げるのに7年くらいかかったはず 巨人吉田修司
即戦力の見込みがモノにならず
結局モノになったのはプロ9年目、ダイエー移籍後の97年
(一応90年に一年ずっと一軍にいたのはどう評価するかだけど) 特に高卒の選手はドラ1でもブレイクするまで何年かかかってしまう選手が多いかもしれませんね >>4
他球団に行って花開くパターンも確かにありますね
巨人から日ハムの大田泰示もそうかな >>4
巨人でいえば大田もモノになったのは日本ハムに移籍してからだな 糸井、雄平の野手転向組
糸井は28歳の時にレギュラー定着で以後は安定した成績で2000本も狙える位置にいる
雄平は投手としてそこそこ活躍してたので転向まで時間がかかった >>6-7
大田の先例みたいな吉岡雄二も
結局巨大戦力の持てあましだな
巨人出てモノになったというのは >>9
ポジションを変えてブレイクってこともありますね ああ失礼
吉岡は一位でもなんでもないじゃんか
勝手に一位を外してしまってたわ プロ入り11年目に西武に移籍してようやく使い物になったデニー友利 藤川球児
if の話だが藤川が先発投手として大成していたらどういう投手になっていたか妄想することがある
名球界級の成績を残すことはさすがにないと思うが >>14
藤川球児は最初なんでこんな糞を獲ったのか?と
西武は松坂で読売は上原でよ
2003年くらいの時は安達智次郎みてーにちょっと外野手やらして
終わりかな?と思ったら2004年のビハインド登板で古田が最初に
阪神に凄いのがおると気づいた翌年に急にガーンとキタ 藤川が剛球化したのはまったくの幸運やからな。
阪神編成部の功績でもなんでもない。
直球普通、曲球アマレベル、コマンド力普通、
70球で球に力無くなる、の3位レベルだったからな。
元々は上原二岡競り負けて安易に繰り上げた選手。
担当は1位獲得ボーナス入るしな。その安易な編成部で
警鐘を鳴らし続けてたスカウトはその夏怪死した。
揉み消し工作や後の人事も大変キナ臭く、他殺の信憑性は十分。
同じ高校のOBが3人スカウトでいてたり、特殊な組織だよ。 糸井は投手としても自由枠で獲得されるぐらい評価高かったのか >>12
なんで吉岡ってドラフトで騒がれなかったんだろうな
甲子園の優勝投手で、十分な働きなのに
元木みたいな華がないとか? あの年は即戦力豊富だからな
吉岡はドラフト前は外れ1位という感じだったけどな 吉岡って現代なら投手で1位は無いだろうな
野手でならあるかもしれんが 阪神だと和田や桧山も遅かったな。
ただ遅い方がヘタりが少ないとか
技術の定着がしっかりしてるような気もする。 >>13
デニー友利は30歳になるまで1軍で戦力になれなかった。
いくらドラフト1位とは言え、よくそれまでクビにされなかったよね。 全然活躍しなくても秘めた可能性やロマンがあるからみたいな感じで中々クビにされないドライチもいるわな 左のワンポイントやってたロッテの服部泰卓
代走守備固めやってたヤクルトの野口祥順
別にそういう適性があるようにも見えなかったけど
「ドラ1だから」という理由で一軍で居場所を与えられてるような印象だった 野口祥順と三木肇は似たようなキャラ(高卒ドラ1右打ちの内野手で打撃今ひとつ)という印象があるな
三木は指導者として成功したけど 小山伸一郎も大田泰示みたいに移籍先で活躍した例になるかな >>27
上田和明なんてベンチでの仕事は盛り上げ役だって言われていた >>26
今話題の正義なんて、クビにしたとたんに他球団で活躍されたらかなわんしな >>27
ドラフト1位というのはあくまでも入団時点での価値であって、
入団後何年か経ってもダメな選手には関係ないと思うけど
そういった肩書が好きな指導者やメディアがいるんだね。 伊良部も時間かかったな。開化は25歳くらいだった。
高木晃次もそうだった。 >>32
高卒で4年目に2ケタ勝てばまあまあ早いでしょ。
同い年の大卒が入ってくる前だから。 >>24
葛西って葛西稔だよね
大卒2年目で先発に定着して3年目に開幕投手だから順調に即戦力になってるのでは
その後リリーフに転向するまで伸び悩んだけど >>33
大森が「ドラフトの順位はあとからプロでいくら活躍しても、変えることが
できない。だから絶対に1位は譲れない」意味の発言をドラフト前にしていたが、
彼が大成しなかったから名言として残らなかった。 小久保と山田秋親は逆指名ドラフトでなければ間違いなく1巡目で消えてた選手 >>37
大森のくせに生意気なんだよ
誰だよ、ここまで増長させたやつ
噴飯ものだろw >>36
同じセの与田・佐々岡・西村・佐々木に比べたら明らかに物足りなかったぞ。 当時のスカウト部長が法政大監督出身だった田丸だったから法政ばっか指名してたんだよな
木戸葛西猪俣池田などいずれもそこそこだが上位にしては物足りないのばっかだった 大森は坂本である程度挽回した
あそこで大森指名していなかったら、巨人坂本はなかった公算が大 >>39
当時のインタビュー記事を読むと
この程度はかなり優しい内容で
今なら炎上必至の内容の受け答えしてた。
スコラかGOROか覚えてないけど
大森に定期的にインタビューしてたな。 当時の他球団のスカウトが「大森は1位レベルじゃない
巨人は1位元木 2位大森なら2人とることも可能だったはず」と言っていた 上にもあるけど定岡もそうじゃないか?
一軍でまともな戦力になったのは6年目(1980年)じゃなかろうか 橋本清も6年目
高卒投手は同じ世代の大卒がプロ入りするまでに一軍戦力になっておきたいところだね >>46
大森が巨人に2位でもいいですと言っていれば、
元木がハワイで浪人生活をすごしてふくよかな身体で入団することも
大森に必要以上のプレッシャーが掛かることもなかったかもしれない。 東浜巨は当初の期待感からすれば時間がかかったと見るべきか 大森にプロで活躍できる能力があったとは思えないし大森にとっては慶大出身のドラフト1位って肩書き得られたんだからそれで十分だろう
ドラフト2位じゃ弱い あの程度の野球能力で巨人軍のドラフト1位という称号+契約金、巨人軍球団職員
という安定した企業に就職できたんだから、勝ち組だろう。
娘は大物アイドルグループの一員に就職できたし 大森は移籍先の近鉄では同じ元巨人の吉岡に負けたのも地味に笑う 大森って頭の悪そうな大ぶりしてた印象しかない 通算打率も.149だし すべてのシーズンで打率2割未満ってのも地味に凄いな
96年の後半にプチ開花したが、あれが精いっぱい
日本シリーズでの同点ホームランも、そのすぐあとにイチローに価値を
掻き消されるホームラン打たれておしまい >>54-55
桑田を野手として出場させた方が大森より打ったと思う >>51
大森だけが得をして、他は巨人も元木も損しただけだったな。 >>57
ダイエーも損したな。
寝業師・根本がいたら、入団に漕ぎつけたろうか?それとも指名自体しないとか。 >>58
野手中心の根本だったら拝啓辺りを1位指名していたのかも。 大森は2位でも入団しただろ
巨人以外なら社会人に行っただろうが2位でも巨人に指名されて行かないというのは考えにくい
ここで元木を取れなかったことで次の年の1位の指名権を元木に使わないといけなくなったのも大きい
90年ドラフトも即戦力のいい投手はそこそこいたからな >>60
当時の奢り昂った大森なら拒否してもなんらおかしくない
慶大閥の巨人は大森を粗末に扱えない事情もあったし ほんと大盛り以外の全員がいい迷惑だったな
読売にもダイエーにも元木にも 選手名鑑で入団年次の次にドラフトの指名順位があるけど
それが@じゃなくAなのが絶対に嫌だと言ってたな。
契約金は元木が上でも構わない、そんなの打てば取り返せるから。
ドラフトの順位だけは後から絶対に取り返せないと当時発言してた。
バブル絶頂、ブランド信仰の時代ならではというか。
大森は2年〜3年は六大学で敵なしという感じだったから
その頃に巨人は青田買いで1位を確約してたんだろう。 大森は「高校生より順位が下は嫌」と言ってたような記憶が 慶應の1学年上の先輩の志村は堅実路線で大企業に就職
志村もプロ志望なら巨人が1位指名しただろうしプロで活躍できなくても読売グループがその後も面倒見てくれただろう 藤田太陽
チームの顔だった新庄が抜けて、ニュースターを作ろうと次の年のキャンプは藤田太陽の話題一色だった
阪神では鳴かず飛ばずだったが西武に移籍してから何年かは中継ぎとしてそこそこ活躍 プロ入り8年目に大沢親分に見出されてようやく規定打席到達した広瀬哲朗 >>63
ちょっと違うけど阪神1位の石床と近鉄2位の鈴木啓示の話を思い出すな 大森って近鉄にトレードされて、そこで溌溂とプレーすれば結果度外視して格好いいと思えたろうが
何か不貞腐れたような態度してて、見てて恥ずかしくなった。 ドラフトの時、巨人以外行きたくないと言ってた選手
江川、元木、大森、内海、長田、長野、澤村、菅野 >>72
マイナーだが岡本光
高3のとき江川問題で巨人がボイコット
その後南海が2度指名するも拒否
82年のドラフトでやっと入団 ファーストに駒田いたしいらんかったよな 大森
正力に気でも使ったんか 元木のほうが一応甲子園のスターで営業面でもでかかったような 一応主力には育ったけど期待してたのと違うってパターンもあるな
もっと大物になるかと思いきや地味に小さくまとまったり >>72
内海はアレだが長野があっさり広島に馴染んじゃってるのが何とも言えんね 崎裕之はドラフト1年前だけど、長嶋二世と言われて
高額な契約金で入団したが、1年目、2年目1割台 3年目.224でレギュラー定着
まあ大学行ったと思えば早い方か
しかし1年目は開幕から延々とスタメン起用されて、
4月から東映尾崎やら西鉄田中にドシドシ対戦させられ
味方の先発は小山や坂井とか癖がある選手でエラーしているね
ボックススコア見てるだけで、さぞかし病んで自信喪失してそうだ。 >>75
巨人には慶大閥があるからね
上田、大森、高橋が一位指名されている
この中で文句なしの一位レベルは高橋だけ
別スレで読んだが藤田は大森なんて欲しくなかったらしい
元木の方がまだマシだが本心は投手が欲しかったそうだ 大森は一軍ではダメだったけど二軍では無双してた
球速が140ぐらいなら打てるけど145になるとまるでダメになるタイプなのかな
ヤクルトのスカウトは大学4年の時に小宮山がまるで打てなかったことで大きく評価が下がったと言ってたけど 大学3年で出たソウルでは
アボット・スイッチで有名なマイナー経験なしでデビューのジム・アボットからも打ってたし
その時点ではやると思ったが、4年でえらく成績下げてるんだよな。
発言だけは4年になっても強気で、先輩の志村を「たまたま記録作っただけでプロではきつかったと思う。」と評してたが。 キヨハラくんでフジタ監督が
オーモリでなくヨダを指名すれば良かったと言うネタがあった 大森でなく潮崎か佐々岡あたりを指名した方がよかったな。
その場合、2球団で抽選だろうが、巨人が引き当てたら入っていたろう。
悪くても酒井、西村くらい >>81
広澤が「二軍止まりの選手は変化球に対応できていない」と言っていた 結果的に藤田時代のドラフトは悲惨な結果になった
モノになったのは元木ぐらい
吉岡は他球団で開花、石毛はドラフト外
特に89年の黄金ドラフトでいい選手がとれなかったのがな
他球団はあそこでいい選手とって戦力アップしてるからな
特にヤクルト 長嶋叩きのだしに藤田が持ち上げられるが二期の補強や育成は最悪だよな 第二期(89〜92)で斎藤を大エースにし
川相、緒方、村田がレギュラーになり、
石毛を抑えに定着させてるんだから
最悪ということはないだろう。
ドラフトが吉田(川崎のはずれ)→大森→元木→谷口(若田部のはずれ)
というのは別に藤田の責任じゃないし。
谷口は素材はよかったと思うんでケガが惜しいけど。 たしかに90年代前半の巨人は打線は貧打だし投手も三本柱はいいもののリリーフは不安定だった
近年の中日を見るとドラフトで失敗すると世代にぽっかり穴が開き弱くなる
当時の巨人は補強に頼らざるを得なかったと言った方が正しいか
ドラフトでも小久保とか本当に欲しかった選手は西武とダイエーに取られたとナベツネは言ってたな 結局巨人のドラフトの当たり年は松井まで待つことになったね
あれだけで、前後の不毛はだいぶカヴァーされるけど >>80
野茂はともかく
潮崎 佐々岡 佐々木 西村 葛西 酒井 与田 小宮山
誰指名してもあたりだもんな 20世紀末に井口、高橋由、福留と大物野手が立て続けに入団したけど井口、福留は期待通りの成績を残すまで時間がかかった 井口も低打率だけど2年目に規定到達して20本
福留も1年目から規定到達だからちょっと違うんじゃないの
そこまでいったらじゃあ松井は何年目に期待通りの成績になったのということになってしまう >>91
この年の巨人のドラフト失敗は痛かった。
セ他球団が、広島(後のエースと主軸打者)、中日(新人王)、ヤクルト(球史に
残る大捕手)、大洋(球史に残る大魔人)、阪神(渋い中継ぎ男と強打強肩の
人気者)と確実に戦力アップしたのに、巨人は件の大森に、毎年キャンプオープン戦
止まりの川邊(人的補償第1号だけが話題)、トレード後に開花された吉岡、
西の清原に対し東の…と並び称されたが、肘の故障で他球団が敬遠した佐久間、
コネ採用の鈴木…だもの >>84
佐々岡は家庭事情でカープ入りを熱望していたから、巨人が来ても拒否だろうな 歴史上巨人の1位指名を拒否した選手は小林秀一1人だけだった >>74
そうだったんだ、知らなかった
それがなかったら、複数球団入札とかあったのかな ヤ 高野○
ロ 川端×→比嘉
中 藤王
南 小野×→加藤伸
神 中西
近 小野○
洋 高野×→銚子
日 小野×→白井一
広 川端○
急 高野×→野中
巨 水野
西 高野×→渡辺久 一番人気は超大学級投手高野光
事実入団したヤクルトでは(弱投手陣とはいえ)新人にして開幕投手に抜擢される
高卒で即戦力でない右投手を取っても余裕があったのは現実通り巨人くらいかなあ
人気込みで南海、近鉄、ハムはあり得たかもしれないが、小野が左投手なのは大きい
南海なんかまともな左投手が一軍に一人もいなかったんじゃなかったっけ >>98
この年はまれにみる当たり年だったな。
結果論ではなくドラフト時点でも六大学の三冠王の小早川が2位指名に驚いたし
野中や藤王が期待通りにならなかったけど
下位の星野、山本昌で埋め合わせはできてる。 当時を知らないが一位銚子で2位小早川の意味がわからない
ショートとファーストだからか 小早川 .297 16本塁打 98試合
銚子 .305 4本塁打 49試合
大学時代の数字見てもやっぱり意味不明
大洋がアホだっただけか 1983年
2位指名 池山 ヤクルト 巨人 近鉄で競合 >>72
ドラ1じゃないが巨人以外なら寺を継ぐと言ってた藤岡も
後に日ハムに行ったが
仲田幸司も11球団に巨人以外お断りの手紙を出したが阪神に強行指名され
父に「これが人生だよ」と説得された >>100
このスレのお題とは逆だが1983年ドラフトの高卒は出てくるのが異様に早かった
ドラ1の小野、水野、加藤伸、渡辺久は3年目までに戦力になってた
2位以下だが佐々木、村上、池山、星野伸、仲田は同世代の大卒が入団してくる5年目までに規定クリア
というか1965世代自体が豊作世代
後にも大卒と社会人で武田、古田、与田、小宮山らが入団 小早川2位は上にもある様に一塁手がネックだったんだと思う
一塁は埋まっている球団が多いからね
当時の大洋の一塁はレオン・リーだからな >>37
公務員かよ笑
正反対の世界なんだからこんなの入れるなよ まあしかし、大森は坂本でだいぶもとが取れたんじゃないか
「大森+坂本」で考えれば野茂や佐々木、佐々岡とはいかずとも与田あたりとは
いい勝負じゃないか 80年代中期のプロ野球は投手が過渡期だった
特にパ・リーグ >>105
初の規定到達が6年目
初勝利が5年目のドラフト5位の山本昌が唯一200勝を達成してしまうんだから
全くわからんものだ >>84
そもそも守備も走塁も平均以下のファースト兼外野手(センターはできない)を
ドラフト1位指名するのはおかしい。
1位指名権をどぶに捨てるようなものだし、そんなことをする余裕があるほど
当時の戦力が充実していたとも思えない。 ダイエーの中内さんは貧困時代から野球少年で「いつかプロ野球を・・」という思いが
強かったのは良いのだが小久保の獲得に30億、井口には50億、YYには計40億も使ったらしく、それで肝心の
本業が倒産しては本末転倒もいいとこだった。 >>114
本体の負債額に比べたらほんのわずかな額でしかないし
本末転倒と言うほどでもないでしょ 2番サードで本塁打0で規定打席に到達した銚子をみてなんでこんなのレギュラーで使ってるんだと子供時代思ってた
貧相な体型でバット短く持っててたし >>108
慶大閥の巨人だからなあ
正反対の世界とは言えないのが現実 >>117
谷沢は本人の第一希望は巨人だったが中日の1位指名で笑顔だったって話だね
(セ・リーグだったからだろうけど)
巨人には王がいたから中日に行って正解だった
巨人に行っていたら淡口や山本巧児みたいになっていたかもしれん デニー友利が印象深い
子供の時に見た横浜時代の選手名鑑で
・ユイという女みたいな名前
・外国人みたいな髭面
・沖縄出身
・ドラフト1位なのに一軍未勝利
ととにかく印象に残った
西武に移籍してからやっと戦力になったけどドラ1とはいえよくあそこまで待ったものだ 銚子を固定した古葉
清水を固定した須藤
石井を固定した近藤
近藤が一番マトモだったな >>120
しかし同ポジションに王という勝負すらさせてもらえないような相手がいるの
に、どうして巨人を第1希望にしたかね?
王があと2,3年で衰えてそのあとは自分が…とか思っていたのかな? そりゃ単純だろ
当時なんて特に巨人とその他なんだから >>123
当時の巨人のライトならワンチャンあったからでは? >>72
原辰徳も早くから「巨人以外には行くつもりはない」と言っていた。
親父の原貢も「辰徳を巨人以外には入団させない」と宣言していた。 >>127
江川問題がまだ生々しかった時代だからそんな事明言してなかったよ。
内心そうだというのは誰でもわかってたけど、
そんなこと言えば批判にさらされるのは必至だから。
巨人か大洋がいいくらいのことは言ってた気がするが。 逆指名して酷い事になった選手
1位:荒川尭
2位:江川
3位:小池秀郎 大森ってたいしたことない商品を高く買わせるの上手そう。
通販の番組出たらどうかな? 巨人も大森が慶應じゃなかったらそんなに気を使ってないし1位でも指名してない >>25
ベイ時代に一度、支配下選手から練習生に落とされてるはず あの頃の慶応は志村 鈴木哲など1位評価なのにプロ入り蹴るのがいたからその影響もありそうだな
まあ上田程度が1位なんだから 慶応は1位じゃないと入れないとかありそうだけど 大森はドラフト直前、報知新聞記者から「今は西武とかヤクルトも人気あるのになんで、そんなに巨人にこだわるんだ?」と言われたらしい。 当時はヤクルトがアマ選手に人気だった
首都圏のチームで若い選手が多くノビノビやれそうな雰囲気が当時のアマ選手に人気だった >>110
あの年のドラフトは若い内野手が必要ということで、田中マースルーして堂上指名したから
大森がスカウトじゃなくても、堂上外した時点でその次に評価高かった坂本指名は変わらない
んじゃないの? 高橋由伸も本人はヤクルトに入りたかったようだが
最終的に巨人が逆転獲得した
ヤクルトの人は「うちは成田離婚されたようなもんだな」と言っていた >>37
これに関してはどこの球団でも正しいからな。扱いが後々まで響いてくる。 大森に1位指名を確約した当時のバカなフロントって誰だろうね? 定岡かな
あの球威でよく活躍できたよな
まぁ活躍期間は3年1/3だったけど なぜか広島キラーだったから貴重だったんよな 定岡
あの頃の広島は常に優勝争ってたから デーブ大久保は西武の時は森に干されてたけど8年目に巨人にトレードされてブレイク
一躍、時の人になった 定岡は1983年5月末から出る度に滅多打ちされる様になったけど何が原因なんだろうね 大森は「元巨人軍」で突っ込みどころ満載の言い訳ばかりで、
あの本に出てた中で唯一移籍先で活躍できなかったのも納得だわ。 近鉄に移籍しても巨人魂を忘れないようにします、とか言ったとか >>143
1984年の日本シリーズで佐藤義則がメタメタだったときに解説者が
「広島はこういう真っ向勝負の投手は得意なんですよ。
以前、定岡が広島キラーと言われてたでしょ。ああいう手元でタマが変化する投手が苦手なんです。」
と言ってたな。
定岡は方向性を間違えた向上心で球速を上げたところ手元の微妙な変化が失われたらしい。 >>112
プロ入り5年目で一軍初勝利から名球会入りしたのは山本昌のみか
200勝はおろかNPBの現役最年長記録複数保持者になるとは正にレジェンドだわ
余談だが中日では大島康徳が2000安打達成時に最年長&到達試合数
一軍デビュー3年目 八重樫が「今だから言える」みたいに言っていたが
ヤクルトはハンカチが大学一年の時に「一位指名します」と約束していたそうだ
四年の時は全然球が走ってなくてハンカチの評価はガタ落ちだったが
約束だったので指名せざるおえなかったと ヤクルトがハンカチ?
って思ったら、4球団競合だったのか
強豪だったことすら忘れてたw
まぁ外れて良かったってパターンよね そうなのか
荒木を外して斎藤取られた(?)
のを取り返した(?)みたいなパターンかw
ハムはハンカチ以外はドラフトで当てたものが、よく当たって主力になってるな でも日ハムはハンカチで注目を浴びれて、いまだにハンカチと言えば通じる。こんな知名度のある選手はいないかも知れない。 それだけでマスコミに取り上げられるのはハンカチだけ 東の愛甲猛
西の金義明
どっちも1位の期待にしては微妙な成績 >>153
大学進学直後に希望入団枠制度が廃止されてしまったが廃止されてなかったら
あの4球団の中からは在京志向やメジャー志向が強いからまずヤクルトを選んで逆指名してたろうな
在京セでポスティングでのメジャー挑戦も容認してくれるしおまけに六大学で投げ慣れた神宮がホーム 菅野はハムに入っていれば今頃のメジャーでバリバリ投げていて年俸も20億円だったのにね >>152
クジが外れたときは内心嬉しかっただろうね。 >>161
でも大洋が交渉権を得たとしたら、断固入団拒否したと思う 。 定岡
1980 9
1981 11
1982 15
1983 7(6月まで。20勝ペース)
ここで腰を痛め事実上終わり。 >>166
いや行ったでしょ
で大洋なら王の後釜の4番みたいにされないから、
自由にのびのびやれてトリプル3とか達成して2000本打てたかもしれん
本来中距離打者なのに巨人ではホームランを求められたから 巨人からダイエーにトレードされた本原も癖球で短期間通用したよね
トレードの翌年は前半戦8-2でオールスターにも選ばれたのに
癖球が慣れられたせいか後半戦は打ち込まれ7連敗で結局8-9でその後浮上する事は無かった
定岡の83年6月以降の凋落とよく似てるなと思ったものだ 藤田巨人は1,2軍の入れ替えのない奇妙なチームだったからな
二軍で左腕が2桁かっても盗塁王とっても一軍登録すらされない >>127
原はドラフト前から巨人か大洋志望と言ってたやろ
江川みたいな巨人一択思考じゃない 原は松井が登場するまでの間、東京D本拠地チームで唯一30HR打った日本人選手
東京Dが出来た当初はもう巨人やハムの選手がHR王取るのは無理とまで言われてたからね 戎って入団当時は豪腕という触れ込みだったのに
一軍定着した時には担ぎ投げでシュートシンカーを多投する今井雄太郎みたいな技巧派になっていたね 原貢は広島でもよいと考えてたらしいが
教え子が広島のスカウトやってたから
結局希望した巨人 広島 大洋 +日本ハムの4球団が 原自身は「(もし他球団に引き当てられたら)いろいろ考えたろうが、
結局は入団していたかも知れない」と1年目のオフにインタビューで言ってた。
もっとも親父の意向がどうなっていたか分からないが 巨人じゃなくてもヤクルト、大洋あたりなら入るってアマの選手は多かったね
東京近郊のセの球団ってのは大きかった
岡田は第一希望は阪神だけど関西の球団ならどこでも入ったし
東京でも巨人、西武なら入団したと言っていた ヤクルト黄金時代は在京セ・リーグならいいやのそのなんとなく入ってくれた大物選手によってもたらされたものだからな
大洋はその恩恵さえ活かせず間抜けなドラフトを繰り返したが >>182
ヤクルトには名スカウトの片岡さんがいたのは大きかったね ロッテもスカウト陣自体は優秀だったが如何せんハード面でハンディキャップを抱えすぎていた >>172
福岡ダイエーで活躍してた本原を「これが本原か」と思われるのは本人に気の毒。
本来の本原の高校時代の速球を全国の人々に見せたかったわ。
福岡ダイエー時の本原なんて高校時代より20キロは球速落ちてた。 本原と金本が広陵で1個違いってのも信じられないほど活躍時期がずれている >>185
笠原って12年間もいたのに0勝で終わったはず。
よほどブルペンで投げる球がすごかったのか… 二軍でルーキーだった松井と対戦したの見たことある 笠原
剛速球で三振 >>182>>183
片岡氏は著書で
荒木大輔を獲得してメディアが大きく取り上げ
それまで在京ローカル弱小チームと
相手にされなかった有力高校や球児たちから荒木が居る球団だと知名度が上がってその後のスカウティングに繋がり球団にとって余りあるほどの財産を残してくれたと述べているな >>192
流石に荒木効果を最初から狙っていた訳ではないだろうけど、
結果的にはそれで良かったとも言えるのか 巨人桜井は入団初年度東大にすら打たれていたのに
よく先発ローテに入って活躍できるまでになったよな >>193
内心どう思っているかはわからないけど、仮に荒木指名を後悔していたとしても
それを表に出すのは荒木にも失礼だし球団自体の失敗も認めることになる。
知名度が上がってよかったというきれいなまとめ方をするのが一番無難。 >>192
実際荒木を引き当てて以降のヤクルトは高野・広沢・伊東・川崎などの有力選手を次々と引き当てているしな。 >>186
わかる
高校時代の本原は豪球投手だった
あの年代の広商は宮本を中心とした強力打線だったけど、準決くらいで本原に抑えられたと記憶している
20km/hは言い過ぎだけど140は出ていたよ 本原は福山手城中学時代に驚くべきことに日本鋼管福山の練習に参加してた。
福山スワローズでは岡田(近大福山高〜西武)とチームメイト。青学に行った島谷(近大福山)もいた。
島谷の父が国鉄スワローズの選手だったから広島なのに「スワローズ」なんだよ。 小山伸一郎
いつまで経っても一軍で活躍できず失敗だと思った
楽天移籍してからリリーフで戦力になってたが特に惜しかったとも思えない絶妙な成績 >>153
ヤクルトは
斎藤→山田
清宮→村上
早実物件を外して優良物件を獲得 >>198
ドラフトの目玉当てただけで
片岡が選手の真贋見極められた事例がほぼ思いつかない。
何が名スカウトなのかよくわから無いが持ち上げられている、
こいつもアンチ側として野村の恩恵を受けまくっているな。 >>210
片岡の責任かどうか知らんが、
そのころでいえば
荒木の年には新谷と広瀬を取り逃した挙句
駒大と絶縁という失態もあったしな。 でも斎藤ってヤクルトが4年後の1位指名確約を守ったということは意中の球団だたんだろうな。
別に行きたくない球団から「4年後1位指名します」と言われても「別に約束を守らなくていいですよ。(選手側)」となるだろうし。
ヤクルトは逆指名を「イメージが悪くなるから」という理由で嫌うらしい。小池のときも「ヤクルトだけだと
イメージ悪くなるから2.3球団足してくれ」とやってスキを与えるから8球団競合になったとゆー。 >>72
菅野はハムに入っていれば今頃MLBのマウンドに立って年俸も15億円は堅かったのにな
まぁ自業自得だね >>212
逆指名を嫌がるってのは荒川事件のトラウマじゃね
荒川も大洋なら入団してそのままいれば良かったのに >>212
片岡の縁故指名で入団拒否された意味不明な事もあったし。
失態だらけの割に偉そうだな片岡。 >>215
黒須陽一郎だな
立大のコネ指名なのに入団拒否した
3位を無駄にすることになって片岡は怒って
立大OB会から退会した >>210
片岡の著書にも記されてるが
自身はドラフトの目玉より他球団がノーマークだった若松石井一久高津飯田土橋岩村を獲ったのを誇りにしてるぞ >>210
メガネだからと野村に指名を否定された古田さん >>212
在京セでポスティングでのメジャー挑戦も容認してくれる球団
その上六大学で慣れた神宮が本拠地
在京志向やメジャー志向の強い斎藤にとっては文句なしだったろう >>217
少なくても
石井一久と岩村は当時の高校球界きっての有名選手だっただろう。 >>210
片岡によると古田
メガネの捕手はちょっとなと渋る野村を説き伏せた
のが一番の自慢 野村も片岡も、1の話を10に盛ったり、承認欲求が強かったりと、似たもの同士な気がする 張本勲が浪商時代、当時、立大在学中の片岡氏が帰省してきて張本に「がんばれよ」と声を掛けられ
感激したほどの「男伊達」。スカウト時代は歌舞伎町で雀荘を副業でやってたような人。根本氏とか
ヤクザっぽい人が昔はスカウトに多かった。 >>88
大森以外は、獲ろうとした人はプロで実績を残しているね>藤田2期ドラフト
くじ運が無かっただけで、目の付けどころは正しい。
余談だが88年秋、ニュースステーションで日刊スポーツ野崎氏が巨人の川崎指名をdisっていた。 藤田は渡辺久信と川崎のひじの使い方 惚れ込んでいた >>184
そのロッテがFA戦線で巨人に勝てる時代が来るとは お金たくさんもらえて活躍の場がある方が優先だからな >>215
スカウトでも指導者でも、自分が関わって成功した選手は大げさにアピールするけど、
プロ入りして全然だった選手や素質はあったが潰した選手については黙殺するでしょ。
有名なファッションデザイナーだって、ヒットした商品の裏で様々なクズ商品を
出していることも少なくない。
それと同じだね。 ■2年目以降
村田兆治
東尾
北別府
定岡正二
槙原
伊東勤
中山裕章
今中真二
谷繁
■非高卒組
川口和久
野村謙二郎(微妙か、1年目一軍だが半レギュラー
森山良二(活躍も単年で終わったが)
斎藤隆 前年に吉村が再起不能レベルの大怪我しなかったら無理に大森を一位指名せず元木やったかなぁ
89年に優勝はしてるけど、期待の井上も完全に失速したうえピークアウトした原の後がおらん状態だし、即戦力の中軸候補が欲しかったのは判る >>81
こういうのは大事で球威のないハンカチや制球力の甘い福井は打てても
野村に完璧に押さえ込まれた伊藤隼太のプロ人生もまた同様 >>233
大森指名は巨人の慶大閥が理由だから関係なく大森1位だったと思う
それ以前にだって慶大の上田を1位指名した位だったからね >>18
本人はヤクルト希望でヤクもハズレ1位予定が
ノム氏の即戦力の一声でハズレは残っていたヤマハ西村に2位は古田で固まっており3位まで残った結果クジで巨人へ
急遽3位が空いたので興銀からプロ入りに翻意した黒須を指名も
ハズレ3位が気に入らないと断られる始末 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています