【1997】巨人・清原和博はなぜ失敗に終わったのか【2005】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
9年間で優勝僅か2回。それも清原有っての優勝であったかは疑問。
30本塁打は僅か1回(実質消化試合で帳尻合わせただけ)。
3割は皆無。
松井と併せ、ON並みの働きを期待されたが、年俸分の働きとは言えず、
元木、後藤、福井らチャランポランな軍団を形成する悪影響ぶり 巨人時代の清原
・数字的に活躍しても実は消化試合番長で、結果的にチームは優勝しない
・サッパリダメだと、その影響もあってチームは優勝しな
(つまり、いてもいなくても大した影響もなかった)
・頃合い良く適当な数字で活躍すると、価値観があった
何となくこの程度のイメージ 清原の西武、巨人時代の1年あたり成績
OPS+は球場補正なし
西武 11年
.277 30本 83打点 OPS.931 OPS+126
巨人 9年
.266 21本 64打点 OPS.883 OPS+120
西武時代は128試合、540打席/年に対して
巨人時代は94試合、358打席/年
巨人時代は怪我多すぎ 97年は猛烈に叩かれてたな
チームも優勝が消えてから清原の調子と比例して勝ち始めた記憶
30本塁打もこの年だけだったか
西武晩年から成績下がってたしな ・FA移籍後9年も同一チームに在籍。これはかなり長い。
・スタメン時にはクリーンアップ。
・タイトル(打点王)獲得の可能性を最終盤まで残す活躍。
本人は
・移籍後大幅年俸アップ。
・古傷のヒザ痛でフル出場できなくて退団してもオリックスと契約。
そもそも「失敗」なのか? 2001年
打点王はほぼ決まりかって所から
ペタジーニに大逆転されたのは笑った 2000年から2003年は
出場さえすれば打っていたイメージ
打率もそこそこあったし、打撃が熟練してた
まぁ飛ぶボールだからと言われればそれまでかもしれんが 巨人在籍中、もっともまともだったのが13年か?
29本 .298 打点も120超え
このレベルの数字をせめてあと3シーズンほど残していれば叩かれなかったろう。
それでも松井、高橋を護る役目は果たした。
巨人ファンからすれば、生え抜きの松井や高橋は叩けなくても、外様の清原なら
容赦なく罵詈雑言できた。 3人揃って規定届いた2シーズン
98年
3(中)松井 .292 34本 100打点 OPS.984
4(一)清原 .268 23本 80打点 OPS.863
5(右)由伸 .300 19本 75打点 OPS.852
01年
4(中)松井 .333 36本 104打点 OPS1.081
5(一)清原 .298 29本 121打点 OPS.942
6(右)由伸 .302 27本 85打点 OPS.863
99年に清原が万全なら史上最強クリーンナップの可能性あった
99年
3(中)松井 .304 42本 95打点 OPS1.047
4(一)マル .324 16本 56打点 OPS.946
5(右)由伸 .315 34本 98打点 OPS.966
※(一)清原 .236 13本 46打点 OPS.795
マルティネスは規定未達 実際原が評価され出したのはキヨが巨人に入団してから この薬中の禿げ頭
引退試合でぴいぴいぴーのおっさんの後ろで
大泣きしてて大笑いさせてもらったわ。 移籍一年目の前半戦がグダグダすぎで
チームもBクラス
もうこの時点で糞って評価が決まった感があったよねw 同じFA移籍組の江藤や村田あたりもグダって叩かれたりしてたけど
一年目にチームが優勝して日本一にもなったから
とりあえず獲得してよかったかって印象になったのは真逆 改めて成績見たら清原の全盛期は1990年で
西武時代の最後の方はもう衰えてる感じだったから
そもそも期待するのが間違いだったか プロ入り一年目であれだから超早熟タイプに決まってるじゃん。マーくんは斎藤佑樹に劣ったし、王も出遅れた。
高卒一年目からバケモノでベテランまで一線で活躍し続けた選手なんておらんやろ。立浪を除けば 西武の時の晩年って 打率250 本塁打25本〜31本ぐらいだから 読売とかマスコミ的には清原と桑田が同じチームでプレイしてる絵が欲しいだけ
ホントに戦力として期待して獲得したつもりでいたバカは長嶋だけ 何年か前に
清原獲得に関しては実はナベツネも長嶋も最初は乗り気じゃなくて
堤に頼まれたから仕方なくとったって感じの記事を読んだんだけど
あれって事実なんだろうか?
結果的には落合残留より清原獲得の方がマシだった気はするけど >>22
巨人の動きが遅かったのは事実
清原が宣言してもしばらく動かなかった 阪神のほうが本気で金銭面もよかった >>22>>23
事実です。日テレの氏家さんが視聴率でほしがったみたいだけど。
落合が長嶋さんに清原獲得はどうするんですかと聞いたらうーんという
言葉しか返ってこなかったて。 清原が巨人に来て落合が四六時中チェックすれば
復活できると落合は言ってた。
落合獲得にはかなり積極的だったけどね
長嶋さんは96年くらいの秋山はダイエーで衰え来てたけど本当は3年4年前
くらいの秋山が欲しかったと親しい関係者に漏らしてた >>18
甲子園の時の田中マーは体調不良で本来投げれるような状態じゃなかったらしいぞ。 >>18
高卒1年目であれだけ打つんだから、数年後ピークの頃にはどれだけ打つんだろうと
思った。
.375 58 165
MAXこれくらい行っててもおかしくなかった、あの時点で考えたら。 >>23
巨人は熱烈に清原を欲してたわけではない
一方的に熱烈に巨人へ入りたがっていたのは清原のほう
それを長嶋や球団のせいにするのはまったく筋違い
そんなに来たいなら来てもいいよってレベルの話 清原の1995〜1996年の成績を知っていれば、仮に清原がFAになったところで
大金叩いて獲得するような選手じゃないことくらい誰でもわかる。
長嶋は獲得に熱心ではなかったと伝えられていたが、現場で見ている人間としても
無理して獲得するほどの人材ではないとわかっていたのだろう。
>>9
2001年のシーズンでしょ。
あの水準の仕事をあと5年くらい続ければ獲得失敗だったと大きくたたかれることもなかっただろうが、
2004年から成績は急降下して態度も悪くなったのが汚点。 99年オフから肉体改造始めて結婚もして、飲み歩き控えてコンディション良かったんだろうな2000〜2002は
でも成績上がったら増長して、口うるさいケビン切って気ままに筋トレするようになって体重激増でダメになった 実際2001年の清原は何が良くてあそこまで結果残せたんだろう 複数年契約がきまると安心してたいていの選手はだめになる 2000年の復帰後から2003年まではコンディションがよく、プロ入り直後のように
コースに逆らわずセンター返しや流し打ちをしていたことが成績につながった要因かと。 清原は当時も今も嫌いだけど
2001年に打点王を逃した展開にはさすがに同情したw
ペタジーニが終盤の中日戦で打点稼ぎすぎ 4年はブーマーに1打点差、8年はニールに1本差でそれぞれ競り負け、打点王、
本塁打王を逃す。
MVPもついてない。
2年は優勝チームの4番として文句なしの働きの清原こそ相応しいが、こんな年に
限って野茂が…。
蛇足だが、61年は三冠王の落合以外からMVPが選ばれるとしたら、清原しかいない
だろう。 92年の好成績も
1億から2000万アップでしぶしぶサイン
93の大不振も4500万増と
FA制度の煽りで大幅アップ
思えばこのあたりでどんどんだめになる兆しがでてきた 87年くらいの構えが一番好き。 あの頃の構えだけでも戻せなかなかったの
かなと思う体型はともかく >>35
なんだかんだでツキがない
1995年、HR王28本、打点王80という歴史的低レベルでタイトルの絶好機には肩の脱臼しちまうし 96年とかチームの低迷も相まってひたすらホームランだけ狙って振り回してたからなあ
それまでは我慢して四球を多く選んでて打率の割に出塁率は高く、
森監督のいうところの「優勝チームの四番打者の打撃」はできていたが
この年で以後のバッティングスタイルがほぼ確立されてしまったというか 95年なんてねえ…まるで清原に獲ってねとばかりの忖度状況だったのに イチローが出てきてからパリーグでの存在感も薄くなっていった >>1
やっぱり現役時代から覚醒剤しながら打席に立ってる奴が成功したら真面目にやってる選手達がかわいそうだろ。 >>40
95年とか96年は並の打者以下だったな。
清原は大きいのを狙って振り回したらダメな打者だということがよくわかった2年間、
優勝チームの雰囲気の中でエゴを抑えておかないとダメなんだね。
巨人に入った97年も同じように振り回してダメだった。 1985年〜1994年パ・リーグ主力打者
秋山幸二 10年 348本 917点 優勝8回 0.5ゲーム差3位1回
清原和博 09年 273本 767点 優勝8回 0.5ゲーム差3位1回
石嶺和彦 10年 240本 787点 0ゲーム差2位1回(パ9年セ1年)
ブーマー 08年 223本 709点 0ゲーム差2位1回
門田博光 08年 213本 606点 0ゲーム差2位1回 迷言みたいのも多かったし
とりあえずネタには事欠かない人間だったから
マスコミ的にはありがたい存在だったんだろうな >>50
試合に出たら本塁打、三振、死球
口を開けば泣き言、恫喝、挑発
たしかに記事は書きやすかっただろうな
逆に松井やヨシノブは優等生コメントしかしないから書きづらそう 97年 帳尻合わせで30本打ったのに誰も誉めてくれないだけでなく叩かれる。なんで?去年までは毎年こうだったのに。
98年 不良債権本格化。
99年 怪我もあり完全な不良債権に。
00年 心を入れ換えつもりでシーズンに挑むもまた怪我。マルチネスにレギュラー奪われる。野球人生で初めてベンチ。なべつねに「清原がいないのが良い要素」とまで言われる。マルの怪我で、後半レギュラー復帰。そこそこ打つ。チームは独走体制に入っていたがこれで印象良くなる。 01年 前年後半の活躍となべつねのおかげで印象が良くなる。キャリアハイと呼べる成績。でもタイトル逃す。持ってない。
02年 また怪我。そこそこ打ったしチームは日本一になっとのであまり叩かれなかったか。
03年 また怪我。そこそこは打つが球団は見限りペタジーニ獲得。
04年 完全な不良債権。切ろうとしたら先に事務所に乗り込み予防線。切れなくする。完全に不満分子。ファン感で信者と共に造反行為。
05年 不満分子としてチームの雰囲気を悪くする。オフにクビ。堀内唯一の成果。 >>49
これを真に受けてるの?
星野は清原に休んでほしいからこう言ってる 97年は叩かれまくってたけど
もし阪神に移籍してあの成績だったら叩かれなかったのかな? 当時の阪神なら、かなり評価されたのでは?
ただ、史実同様に金本も移籍してきたとしたら、
比較されて、金本との違いに叩かれるだろうなぁと 西武/年(11年)
128試合 .277 30本 83打点 OPS.931
巨人/年(9年)
*94試合 .266 21本 64打点 OPS.883
西武時代は一流
巨人時代は怪我多すぎるしFAの特別待遇と考えると物足りない 阪神でもタニマチやくざにちやほやされて 落ちていく姿は想像できる 落合はあの野口からの死球がなければ2年くらいは94年くらいの成績は
のこせてたかな??
その前提で巨人がスルーして清原が阪神行ってたら双方良い思いした。 >>59
低めに見積もっても残せたんじゃないかなぁ
デッドボール食らうまでのペースを最後まで維持したら、
あの年は25HR100打点くらい行けた気がする。 西武時代からの不摂生に加齢した体が耐えられなくなった
巨人時代は怪我の繰り返し >>60
96年の成績をあの死球がなくても97年に残せというのは酷だが94年の成績なら
97年98年は残せて99年から衰えでマルチネスと江藤に変わられる
清原は阪神に行ってれば巨人のような成績でも神扱いだったような気がするけど違うかな
落合が巨人で野球人生を終えてたら巨人の監督になってた可能性あるかな?? >>62
川藤や廣澤の当時の人気を考えると、阪神なら神扱いだったと思う。
阪神ファンからすれば、地元大阪のスターが
宿敵巨人の誘いを蹴ってまで阪神を選んでくれたってだけで
もう狂喜乱舞の心境になったんじゃないの。
で、1年間不動の4番で30HR打ってくれれば大満足まちがいなし。 当時の阪神ならファンも優勝できるとは思ってないから清原が入って巨人と同程度の成績でもぬるい目で見てくれるだろうな、その代わり優勝は経験出来ずに2002でオリックスにトレードされてそう
落合が巨人で引退なら巨人監督はまあ可能性あった
星野に監督要請したくらいだし >>63>>64
まさにそれ。 当時の暗黒時代なら清原が巨人を蹴り阪神に行ったら神扱いで
野村監督はうまく使いそうだけど。 星野とか岡田ならどうだったかはわからん
02年でなく優勝後に出してたりして
落合が巨人で終えてたら中日の監督してなかったら中日はどうなってたかな >>56
どちらにせよ全盛期過ぎた清原が
全盛期松井と金本と比較されるのはきついな
比較される→叩かれる→グレるのパターンからは逃れられない 巨人は純潔主義だから落合の監督就任はありえないな
たしか星野も売り込んだけどやんわり断られたんだろ 巨人は純血主義でもないしありえないわけがない
巨人がオファーして星野が断ったんだよ >>1
元木はベンチで相手投手の配球を清原に教えてたんだぞ。
それとシャブパワーがなかったら本当に失敗してたわ ん?普通に純潔主義だろ
2006年に星野にオファー出すまでそうだったし
結局星野は巨人監督のしがらみに恐れをなしておりたけど
そして純潔主義は継続されることになった
だれもやり手がいなければ外部から引っ張ってくるしかないけど
巨人と広島は当分純潔主義は守られるだろう >>64
そのまま巨人で引退しても落合に監督要請しないだろう >>71
長嶋茂雄は落合に監督してほしかったみたいな話もあるんだよね。 清原が阪神行ってたら
@97年オフ大豊とのトレードは成立してないということかな
それとも大豊をレフト起用してたかな
A02年アリアスか片岡はどちらかは漏れてたかな
B05年シーツ獲得してセカンド起用してたのかな 清原がもし阪神入りしてたら
巨人はペタジーニを一塁固定で使えて2003.2004は優勝できてたかも 巨人
99年落合の衰えが目立ちファーストマルチネス緊急獲得かな
00年FAで江藤獲得
03年ペタジーニ獲得で05年まで巨人のファースト >>38
藪「避けない人にぶつけても何とも思いません」 田沢ルールや、
プロと学生の関係亀裂について語れや 落合の後釜としての期待→失望もある
10.8含め3年で2回の優勝に貢献した4番だし 成績みれば落合程度の働きはしてるけどな
清原は若く衰える年齢でもないと思われていたので期待値が違っただけ 落合は長嶋監督自身も打率280HR15でよいと獲得したくらいなんだよね
落合という名前を4番に書いてから打線をきめたいとか奥さんに言って
奥さんが巨人入りを薦めた。
古田は落合の巨人移籍時に40歳過ぎた落合なんて眼中にない阪神にFA
した石嶺のほうが気になるとか言ってたくらいだし
清原に関しては長嶋自身が本当に望んでたかは疑問 原が衰え 駒田がいなくなり 外国人も不発で 名前のある4番バッターが欲しかったんだよな 松井の成長にも一役 移籍後3年間は巨人落合の2、3年目にOPS負けてるな
3年目は94年にも負けてる 落合に関しては獲得に色々世間から不評買ったが長嶋監督なりの意図があった
しかし清原に関してはその意図が感じられない 1993年、チーム打率最下位だったからな巨人は
1994年、原に代打一茂、中畑打撃コーチ退団
1995年、広沢・ハウエル獲得→原同年オフ引退 当時はまだOPSの概念がなかったし
最初の方は打率、後半は怪我の欠場と素行が問題かな
出場すると結構打点多い
97年(30歳) .249 32本 *95打点 .865
98年(31歳) .268 23本 *80打点 .863
99年(32歳) .236 13本 *46打点 .795
00年(33歳) .296 16本 *54打点 .950
01年(34歳) .298 29本 121打点 .942
02年(35歳) .318 12本 *33打点 .981
03年(36歳) .290 20本 *68打点 .935
04年(37歳) .228 12本 *27打点 .954
05年(38歳) .212 22本 *52打点 .753
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
巨人時代計 .266 185本 576打点 .883
1年あたり .266 21本 64打点 .883 >>88
ほんとそんな感じだわ
でも清原も西武時代に伊東、秋山、工藤とか寿命が長くて手本になる先輩がいっぱいいたのにね
3人とも監督までやってるし
やっぱ本人次第なところはある >>62
>>87にあるような体たらくでも阪神ファンは許してくれるかね?
5年19億円で入ってきた大物が早速チャンスに三振を繰り返し、
帳尻合わせしても打率.250にも届かないということになったら
「金返せボケー」「埼玉に帰れ」とか相当叩かれそうな気がするけど。 なぜ取ったかと言うと世間が巨人清原を見たかったからだろう
高校からずっとドラマを提供してきた清原、その願いをかなえてやれ巨人は戦力関係なく取ってやれという世間の空気だ >>88
落合は松井の成長に役立ったが
清原はなんの役にも立たなかった
もともと松井は素行にも問題なく
清原を反面教師にする必要もない それは思っている人は多いんちゃうの
数字や証拠を出して、証明せぇと言われても、不可能だがw >>90
あの時の暗黒時代の阪神なら許してくれそうましてや巨人を蹴ってきてくれたとかで
。 02年の星野以降はわからないけど
>>93
10・8の試合の落合を見てこれが4番というものなのかと松井は言ってる 清原が阪神に入団していたら2002年星野阪神1年目のオフにトレードされたと思う 巨人時代の清原が成功って評価を受けるためには
どれくらいの成績を残す必要があったのか?
毎年松井クラスの打撃成績を残さないと駄目って事なら
衰えた清原には最初から無理筋すぎるし 見た目の数字よりもチームの優勝に貢献しなきゃいけない
移籍1年目にBクラスだったのが不味かったし、数字的に悪くない年にチームが優勝してないのもダメ
優勝した2000.2002も出場試合数が少なく20本に到達してないので貢献したとは言えない
年齢も考慮すると130試合以上出て打率3割近く、本塁打20本でもチームが優勝すれば「いぶし銀の活躍」とか言ってもらえたと思う >>98
数字的には>>87西武晩年と巨人1,2年目はあんま変わらない
>>99が書いてるようにチームが優勝しなかったのと欠場の多さでしょうね
あと自分は素行の問題もあると思う
86年(19歳) .304 31本 78打点 .976
87年(20歳) .259 29本 83打点 .907
88年(21歳) .286 31本 77打点 .949
89年(22歳) .283 35本 92打点 1.001
90年(23歳) .307 37本 94打点 1.068
91年(24歳) .270 23本 79打点 .858
92年(25歳) .289 36本 96打点 .959
93年(26歳) .268 25本 75打点 .862
94年(27歳) .279 26本 93打点 .925
95年(28歳) .245 25本 64打点 .870
96年(29歳) .257 31本 84打点 .866
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
西武時代計 .277 329本 915打点 .931
1年あたり .277 30本 83打点 .931 ピーク速すぎるな
25歳過ぎてから30本以上打ったシーズンほとんどない
普通30歳前後が1番いいんだが >>98
・代打のみも含め年間90%以上の試合に出場
・規定打席到達
・打率 .280以上、出塁率.380以上、長打率.500以上
これくらいは求められるのでは? 清原ってホームラン500本以上打っても中距離砲だな
高卒で長くやっただけ 途中まではマジで王超えありえたよ
6年目あたりから大失速したけど 清原が失速したのは奇しくも根本陸夫がホークス行ったからなんだよね 91年のていたらくといったらないな
まだ24歳なのに >>100
多くの選手がキャリアのピークを迎える26歳〜30代前半で全然だったからね。
そう考えると2000年(33歳)の後半と2001年の復活は予想外。 >>93
元木が言うには、対戦相手が石井一久とかコントロールの悪い速球派の時とか、「若いカウント
から振らなくても、勝手に崩れてくれるから」とか技術的ではなく、気持ちの持ちような精神的
なめんでのアドバイスをしていたらしい。あと松井が長嶋の指導に関して、落合にこんなんで
打てるんですかね?とか聴くこととかあったらしい。 >>90
暗黒時代はもっとひどい選手だらけなので全然OK 清原のステロイド系のドーピング使用って、アンチが書いてるわけじゃなくて
ネット上ではほぼ間違いなく使用していた扱いだけど、明確な証拠ってあったっけ?トレーニングを指導していたのがケビンだから?それとも筋肉の付き方や体つきがステロイダーっぱいとか? >>113
やっぱ短期間で体が変わったのと不摂生の賜物の清原がシーズン中すら体型維持できてたとかの状況証拠だと思う
筋トレはクッソ地味に鍛錬し続けないと筋肉維持できないし 山崎武司はもう終わった選手と誰もが思っていた所で打撃の師匠と巡り合って再覚醒したが清原にもそういう巡り合わせがあったらもう少し頑張れたかな? >>111
長嶋より落合の方が信頼できそうw
ありそうな話でワロタ 清原も白鵬も早熟型だな。
35歳という若さで早くも衰えた >>118
テレ朝の特別番組「プロ野球選手総選挙」で、松井と落合がそれぞれ5位6位にランクインして、元木がそのときスタジオで出ていて話していた。ちなみに石井一久の嫁もいたので、コントロールにバラつきがある速球派の代表格の例として話していた。清原の舎弟なのに清原の話はなぜか全然してなかったけど(笑) いまの清原と元木の関係はどうなんだろうな
意外と、立ち回りとか世渡りとかが上手い奴なんだろうか 学生時代いじめていた者が落ちこぼれニート、いじめられていた者が出世しエリートサラリーマン
清原と元木の関係はこれじゃないか
清原ももう元木を呼び捨てには出来ないだろう ジャイアンツのヘッドコーチ様だから 清原が反面教師になって元木がまともになったのかもしれない
清原と違って一線超えないだけ全然いい 1997年 平塚克洋
.293 17本 68点
平塚がいるので清原いりません 1996オフの巨人のベストの選択って。
清原、ダンカン、ヒルマン獲得せず、落合残留して、西武に行くマルちゃん獲得?
1二仁志
2遊川相
3中松井
4一落合
5左マルティネス
6右清水(左投手の時は広沢)
7三元木
8捕村田真一
先発投手・斉藤(この年から衰え)
ガルベス
桑田
槙原
岡島 >>119
力士で35歳まで持てば大往生だろ。それにキヨも球団の先輩方である中西・豊田・立花に比べたらあれでも長持ちした方。 マイナーですら外野を2試合しか守ってない巨漢鈍足選手を
外野手として獲得する眼力のスカウトさえいればな >>126
レフトマルちゃんw
実際に守った時酷かったw けどやっぱ、清原獲得しなくても97年の巨人はダメだろうな
斉藤の急激な衰え、落合残留でも衰え、ヒルマンは肩に小錦が乗ってる状態
だし、ルイスも大外れ 実はバレンタインが3Aの監督してて長嶋にペタジーニを推薦したが
清原獲得したから拒否した。
>>134
落合はあの死球なければ94年くらいは行けたと思うけど優勝はダメだったと思うのは
同意。
ヒルマンは肩以前にロッテの時は中4日で回って100球で降板して河本成本に託してた。 仮にヒルマンの肩完調でロッテと同じ起用しても巨人のリリーフ陣では
相当数勝ち試合落としたと思うよ
ガルベスは中6日だったけど延長も平気で行けて完投してた
マリオの代わりの球の速い外人クローザーを補強すべきだと思ってた 97年はヤクルトが異様に強かったからどのみち無理だな
打線も松井以外は過渡期で 由伸や二岡がまだ入るまで 吉岡も放出しちゃった >>126
レフトがマルティネスだとショートがショフト鳥谷状態になるな。
結果論になるけど、清原に5年19億円もつぎ込むくらいなら、
その金の一部で先発1人とリリーフ1人補強したほうがよかったのでは? 巨人時代と言えば広沢はもうちょっとやれるかと思ったけど全然だったな
20ホーマーした年が2回ぐらいはあったけれども 広沢落合清原って日本3大右打ち打者だな
巨人は広角が好きなのか 松井は清原を反面にしてたが逆方向のホームランだけは真似してほしかった >>135
ルーキーの入来が60試合ぐらいリリーフで登板してたっけか。
97年は大森がオープン戦と序盤がんばっていた記憶があるんだが大森が覚醒でも
すれば打線は・・・。
1二仁志
2遊川相
3中松井
4右広澤
5一大森
6左清水
7三元木
8捕吉原 >>142
98年に由伸、99年に上原二岡が入ってくる前って結構谷間だったよね
ベテランは結構とってたけど >>143
同意です。 だからこそ巨人は由伸に執念燃やした
97年に由伸逆指名獲得したが実は由伸は本音は巨人入りだったしかし
3本柱がいた巨人は投手よりも野手を優先してたが斎藤雅が3連発
やられた開幕戦見て投手をと思い
由伸2位にして巨人ファンの川上を1位にして獲得しようとして由伸側が機嫌損ねて
そこにつけいったのがフジサンケイが巨人批判してヤクルトに傾かせようとした 97年9月6日? 第1週目の土曜日 日刊スポーツが巨人入り逆指名を1面で報じてる
その紙面に獲得候補欄に川上のことが中日と巨人になってた。
俺は不思議だった川上は中日だろうなぜ巨人の名前があるのかと思ってた
その次の火曜日にサンケイスポーツがヤクルト濃厚と載せてやたらと巨人の悪口を
書いてた。
由伸逆指名の裏側でサンスポは金のことばかり書くが・日刊は上記の3本柱絶対で
野手を考えてきたが衰えで獲得が急務になりウルトラCをやろうとして一時期由伸側
が怒ったと
日刊の意見が正しいと思うけど サンスポは逆指名ドラフト誤報が多い・井口が巨人と載せてたけどファンの俺でも
本当かよと思ってた。 日刊はいち早くホークスと載せた そういやナベツネがテレビでどうどうと、ダイエーの小久保と井口には裏切られた
とか言ってたけど、本当は巨人入りが濃厚だったのか?しかし由伸やら井口やら、最近は大卒&社会人野球の野手の目玉って当分出てない気がする(話がそれるが) >>143
由伸の2年前に仁志と清水獲ってるじゃん
仁志は2位指名を五輪断念を飲ませる必要があったから結構説得するの苦労したはず >>147
井口が違うが小久保は当初巨人が優勢だった 井口は中日もかなり金を注ぎ込んだらしく当時星野が愚痴ってた 小久保は巨人とホークスの一騎打ち
井口はは中日とホークスの一騎打ち ナベツネは本当に欲しかった選手はみんな西武とダイエーに取られてばかりだったと言っていた 小久保巨人入りだったら清原はおろか江藤も獲得してないかも?
97年巨人
1二仁志
2遊川相
3中松井
4一小久保
5右広澤
6左清水
7三元木
8捕手
00年巨人
1右由伸
2遊二岡
3三小久保
4中松井
5一マルティネス
6左清水
7二仁志
8捕手 >>153
小久保が巨人なら井口も付いてきたかもしれない >>153
本当にいなくていい広沢がちゃっかりいて草 >>146
いまと変わらんな
ドラフトは比較的中立的立場で アマの取材に詳しい日刊が正確 ミスターが本当に欲しかったのは広島の緒方や松井カズオのような
自分と同じような走攻守のバランス型の選手だった
打つだけの選手というのは本来長嶋の好みではない
フロントに強制的に採らされたのだろう 事実清原やマルチネスを取った時のミスターの顔は
輝いていなかった。むしろ虚ろな表情に見えた
これでわたしは全てを察した 99年オフも江藤じゃなく本当は緒方欲しかったみたいだな
清水が干される未来が見えるけど >>160
そして松井をサードコンバート。
>>159
清原スルーしたかったのが本音。 むしろ落合に薦められた俺が四六時中
チェックしたら清原は再生できますとかで。 そうしたら出された落合
落合と松井の間の世代の大砲に関しては3年4年若い秋山が欲しかったと
親しい関係者に語ってる
アテネ五輪予選の編成はそういう編成だったね >>160
江藤→緒方だったらこんな感じかな
>>161松井三塁コンバートは長嶋が何度も拒否してたからなかったと思うわ
1(中)緒方
2(二)仁志
3(右)高橋
4(左)松井
5(一)マルティネス(清原)
6(遊)二岡
7(三)元木
8(捕)村田真
9(投) >>161
長嶋は清原の巨人入団を望んでおらず、双方のオーナー間で決まったと言われている。
さすがに現場を任されている身として清原の成績低下と衰えはわかっていただろうし。
現場が望んでいない人間を上層部が勝手にヘッドハンティングというのは
実社会でもあるけど、まあ歓迎されないよね。 長嶋、原の時代も本人のせいとはいえ併用だったりしたのに清原の文句はあんま出なかったね
堀内とは最悪だったが 長嶋批判だと居場所がなくなる
原はうまく操縦して清原も原は理想の監督とまで言う あの頃の巨人はほんとにサードがショボいな
ハウエルぐらいだろ
監督が長嶋なのにサードがクソってどういうこっちゃ >>166
原の時は吉村先輩がいたのが大きい。 清原は原よりも全盛期吉村の打撃には
かなわないと思ってた。 吉村引退したときに吉村さんの故障前は
松井や由伸以上だったと言ってるくらい
>>162
夕刊フジネタだけど緒方取れたら松井をサードにしたみたいだよ。記憶違い
だったら申し訳ないけど松井は秋のキャンプでもサード練習してて江藤
加入が決まってサードあきらめますとコメント >>167
そもそも当時はプロ野球全体が三塁手不足だったし別に驚くに値しない93年当時でもロートル石毛と松永が第一人者扱いで琢朗と江豚が覚醒前だし片岡は長打力不足だし。 サードに関しては江藤小久保の後も不足してやっと今年埋まりかけてる 最近和製大砲が出てきたのは外人枠に投手を使うことが多くなったのも原因
中継ぎが消耗戦になってきて外人2人を中継ぎに先発に1人 野手1人という割合が
トレンド >>170
江豚小久保の後は海苔・ガッツ・岩村・森野・小谷野・ケデブ・ゴリ・マッチ・おかわり等々割と豊富なんだけどね。 あの時代の良かったサードと言えば江藤ミューレンコールズ 長嶋はディマジオのようなセンターになれって高校時代三塁手の松井を外野にコンバートしたんじゃないの?
それを再コンバートとか考えられんな 長嶋は松井には内野のセンスがないと最初から思ってた 最初は吉岡を三塁のレギュラー候補にしていたな
就任当時セゲオは育成に力を注いでいたが、藤田時代に獲ったドラフト選手が壊滅的なレベルでFAに頼らざるをえなかった
フロントもセゲオをダメ監督にさせないよう補強にカネを惜しまなかった 藤田時代の最終年にコンバートしたが三遊間は動かなかった。 岡崎の刺激を
与えるため大森をサード練習させてた。
外野はそれなりにいたとはいえ井上の故障は響いた 松井のフットワークで内野ができるわけない
これは練習してどうなるものでもない
それを最初から見抜いていた長嶋の目は正しかったな
もしサードにこだわってたら守備に時間を取られ打撃も開花しなかっただろうな >>108
91年序盤は絶好調で開幕10試合で7本くらい打ってたと記憶
しかしその後人生最悪の絶不調になり2ヶ月くらいHRが出なかった 記憶違いじゃなければ2年連続開幕試合2本塁打だからな
しかも秋山を抜いて1億円になった翌年 酒と女と、暴力団と麻薬と刺青、ドタキャン、連絡不能 >>1
覚醒剤のやり過ぎ。
逆に言えばこれだけ覚醒剤乱用しながら活躍しなくて良かった。
もし活躍していれば球界に覚醒剤が拡がって第2第3の清原みたいな覚醒剤中毒者が産まれてたと思う。 西武最終年 96年
.257 31本 84打点 出.357 OPS.866(.721)
巨人1年目 97年
.249 32本 95打点 出.356 OPS.865(.728)
(リーグ平均)
巨人1年目は数字的にはそんな悪くないんだよなあ
打率が低いのと(規定30位、下から6番目)三振が152でリーグワーストだから印象は悪いけど
当時は消化試合多かったから後半稼いだのも多かったのかな 巨人ファンは清原のPL時代と日本シリーズオールスターしか知らない
大舞台でばかすか打っている清原しか知らない
巨人ファンは長嶋のような活躍を期待した
しかしファンが目にしたのはチャンスで三振しまくる姿だった 清原は89年あたりからバットを高く構えてからだめになった 91年急激に落ち込んだのがな 出だしはすさまじかったが >>185
赤点レベルとは言わないが、5年19億で入団した人の成績としては全然ダメでしょ。
元々20代前半は打率.280、出塁率も.380以上あった選手がこのザマでは
劣化していると言われても仕方ない。
長嶋としても内心困っただろうな。
大して欲しくもない選手を上層部の都合で押し当てられ、しかもチャンスに打てないわ
Bクラス濃厚になって消化試合モードになったら急に打ち出すではね。
急に打ち出したけど打率.249とか7番打者レベルなのは失笑ものだが。 >>188
しかし何かスキを感じるんだよね。 新人時代のほうが数字以上の怖さがある 96年落合
.301 21本 86打点 出.408 OPS.924
(106試合 448打席)
この選手放出してその代わりで>>185だからね
もし落合が残留してても怪我の影響もあってそこまでいい成績出せなかったと思うが >>185
当時の巨人の試合は全てゴールデンタイムに全国放送された
つまり152三振が全てファンの目に晒されたことになる
これでは三振ばっかりしているという印象になるのも無理はない
西武の時代であれば打ったときだけプロ野球ニュースで放送される
普通に活躍したイメージで終わっただろうが 打者は10回に3回打てばいい打者なのに
失敗のイメージばかりついて辛いもんだな
原なんてボロカス言われてたし 原の勝負弱いイメージも当時の巨人の特殊事情によるものだからな >>190
>>192
落合の代わりに入ったのがチャンスを潰しまくった清原では
ファンは納得しないよな。 185でも触れられてるけど97年の清原が打ち出したのは
後半戦の消化試合に入ってからだから
シーズン全体の数字以上に中身が薄いのは確か
似たような例としては2009年の辛いさんなんかもそう 1995年から1996年の清原を見ている人間にとっては、
巨人1年目にファンの期待を裏切ったことも全然驚くことではない。
「やっぱりダメだったか」くらいのものだよ。 >>199
球宴前の段階で.218 15では話にならんわな。
優勝が絶望になってから打ちまくってホームラン、打点及第点残しても後の祭り。
同じ成績でも前半好調→チームは快進撃、後半失速→前半の貯金が効いてチームは
優勝、なら全然評価も違ってくるけど。 清原は不調な時に新人時代のバットを低く構えるフォームを試してくれと
思ってたが試さなかったね。 清原は練習よりコンディション調整に尽きる
当時は全体として意識が希薄だし、新人時代に狂ったバブル時代と堤のコンボを知ってしまったのが影響大きい 清原は高校時代からの全国的知名度、爽やかなルックス、堤の庇護と甘えが
過剰になりチヤホヤされ過ぎた。
村上は不細工なので騒がれることもなく、練習に専念できる。 ドラフト事件で悲劇のヒーローになりみなに同情された
この経験から甘えが生じた 清原は巨人に入って王監督に厳しくやられてたほうが良かった 巨人の星でいえば、
清原→花形満
村上→伴宙
くらいのルックスの差がある 王と PLの先輩の吉村がいた巨人のほうがよかったな
後水野がいってたけど巨人は 入る前は甘い言葉で誘うけどいざ入ると 何もしてくれないと
オーナーも厳しいからな >>207
比較対象が近鉄の村上なら清原は伴宙太側なんだけどね 巨人って一流どころはマスコミの目があるから手抜きできない。 むしろ2軍なれしてる
やつのほうが巨人というだけで甘えてる
清原とカのパリーグのスターのほうが甘やかされそう。 しかもドラフトの目玉だっただけに まだ松井を4番で使いたくない
にしても清原はだらしない
という観点から言うと意外と巨人広沢の存在は割と大きかった
期待通りの活躍とはまったく言えないけど味のある立場だった 清原の時代はスター選手はパリーグに指名されたら拒否みたいなのも
当たり前だったから思いがけず来てくれた清原にみんなありがたいと思った
それが特別扱いにつながってゆく 失敗も何も最初から覚醒剤の力で打ったホームランに価値なんか無いだろ。
球界から全ての記録を抹消すべき。 移籍1年目にいきなりトマソンの球団三振記録更新したけど、パリーグ末期の時点で既に悪い予感はしてたよな
翌年、開幕から松井4番にして清原3番にしたらすげーいいバッティングになったのに、4番に戻った途端に元の清原に戻ってたのは何だったんだ >>215
清原は逆境のときはハングリー精神が出て強いけど、優遇されたら直ぐに調子乗って駄目になるタイプかな。気分の波が激しいのだろう。 >>200
同意。この時期の清原はパリーグの4番打者の中でもダメな方に入る選手だったから、
巨人と阪神が大金をオファーしていたのは信じられなかった。
成績ショボいのに給料が高い奴が入ると、チーム内の給料バランスが崩れるし。 >>217
清原にハングリー精神なんてないよ
中流家庭に生まれ育ち子供の頃からスターでちやほやされ続けてきた
現役時代はいちども挫折らしい挫折はしたことなどない 巨人時代の清原って
マスコミやアンチを盛り上げるためのネタ枠みたいな選手
打点王争いして活躍した2001年にチームが優勝できないのもいかにも持ってない感じ >>215
98年の清原はコンパクトな打撃をしてよい打撃してた。 ただ4月中旬に肉離れ
してからおかしくなった。 走力抜きにすれば3番清原4番松井5番由伸がベスト
だった
4番だと大きいのを打ちたがる傾向にあるのでは
清原は新人から3年くらいのバットを低く構えるフォームに直してほしかった
変な肉体改造する前に >>220
原因は不摂生もだがデッドボールを避けなかったから(避けても下手)
そのせいでしなくてもいい怪我をした
現役時代の落合が「デッドボールでの怪我ほど馬鹿馬鹿しいこともない」って考えで
いかに避けるかってことも考えていた
清原ももっと上手く避けるべきだった >>221
巨人時代から実力よりも客寄せパンダ扱いになってきたかな。肉体改造以降は特に。 マックの退団が悲しかった
代わりに来たのが台湾のイチローw 2000年も2002年も日本シリーズではがんばってたかな 基本はアンチ清原だけど、
日本シリーズで強かったのは流石だとは思った 3番松井 4番清原 5番マックなら
清原の負担も若干減ったのかな 興行的には成功だろ。特に松井渡米後のスポーツ紙の1面を飾れる選手がキヨしかいなかったし。 >>222
清原が2000年〜2003年まで比較的安定した成績を残せたのは、
大きいのを打とうと振り回すのをやめて来た球に逆らわず右中間に打つ
ようになったからだね。
それでケガで欠場している以外のときは上手くいっていたのに
2004年から粗いバッティングに戻って最後は巨人から契約延長してもらえずさようなら。 オリックス時代も最初は右打ちでタイムリー打ちまくってたのになぜか大振りが増えて率も下がって最終的に怪我というオチだったわ
ホームランとクスリは辞められないのかね >>234
いまでもユーチューブの発言が
いちいちニュースになるプロ野球選手は清原だけ
清原のニュースバリューは突出している
間違えなくミスター長嶋の後継者は清原しかいないだろう 素質的に長距離砲でないのに、巨人に移籍してから無理に本塁打を求めすぎてパンクした、ってところだろう。
素質がすごかったから、才能的に向かない方向に進んでも、ソコソコやれたのもかえって仇になった。
清原の良いところは、きわどいアウトコースに沈むスライダーを、踏み込んで右中間に無理せず飛ばせるという、あの芸術的なバットの軌道。
柔か剛かでいえば、大きな身体をしなやかに上手に使う柔のタイプ。それが方向を間違った結果、もったいないことになったんだよなあ。 >>144
すげえいきあたりばったり
脳みそねえんだな 初めから巨人に入っていたらとか、FA時に阪神に、って言われるけど、史実通りの野球人生が一番幸せだったと思う
黄金期の西武で毎年優勝して、憧れの巨人に入団 巨人では挫折の方が多かったかもしれないそれもまた野球
最後は地元で現役引退 十分すぎるだろ >>236
キャラと違うからかあまり言われないけどその時期のバッティングは本当に芸術的だったわ
飛ぶボールの影響はあるにせよ 本塁打量産するにはプルヒッターだよ
広角打者はせいぜい500どまりだ ナベツネが政治力発揮で97年からセ・リーグにDH製導入
1二仁志
2遊川相
3中松井
4一清原
5指落合
6右広澤
7左清水
8捕村田
弱いか? >>243
違うのよ
バブル真っ只中に世界一の大富豪堤の寵愛受けてしまったのが問題なのよ
帝王堤の庇護の元でやりたい放題に拍車かかった >>176
違う
巨人の4番サード=長嶋のイメージを守りたかったから
松井は掛布ファンでサードやることにこだわり持ってたのに 長嶋は原が入団したときプロ野球選手で一番だいじなのは顔だといった
松井はホットコーナーの顔じゃなかったということだ >>246
04年に指名打者導入してほしいと思ったw 球場が広くなったことなどで
サードが野球の花形の時代はとっくに終わっているが
ミスターはそれを読んでたんじゃないか
だから松井を外野に回した >>244
清原の長所と短所を考えると、広角に打ててかつ長打も打てる打者であって
長打狙いを最初に考えてはいけない選手だったな。 ノムさんが1年目キャンプから
広角に打てる器用さは持ってるが それが故の危うさも感じるといってたな
ホームラン打者は不器用人間が多い 清原は器用で簡単に右に打てるので 楽を覚えてしまうのではないかと 相手投手をこれほど熱くさせた打者って清原だけだよな
あらゆる世代を代表する投手との名勝負数え唄がある
イチローや松井にはない部分 >>254
伊良部、野茂、与田、松坂、五十嵐とか多いよね
ほぼストレートばっかだがw >>253
野村はデータ野球とか分析を売りにしている割には、自分の思い込みで
人や物事を判断する癖があるから、話半分に聞かないとね。
山田あたりも清原に「外角の球を引っ張ってホームランにするのが4番」
とか訳の分からんことを言っていたが、清原はこういった意見を聞き流す能力に
欠けていたのかもしれない。 そもそもこのひとがいつからプロ入りしたのかわからなくなってるひといるだろ。 最近の本田圭佑や押尾学とハッタリスト振りが被ってるね 清原と落合ってザ4番という感じ
松井とか00年までは開幕4番にして不調で3番行って好成績。
落合とか清原は4番のとき不調で5番とか3番にしてもあまり変わらない 松井は00年にはもう全試合スタメン4番だったから99年までじゃない? 2000年に復活してから数年間の清原はほんと良かったけどな
安定してたし勝負強かったわ 巨人時代の途中からは
規定打席に到達してない年が多すぎてね >>215
清原は自分の強みがわかっていなかった。 ピアスとかタボタボのユニホームとかメジャーの
醜いところばっかり真似した幼稚な腐ったミカン ホームラン王になろうなんて欲をかかず、出塁率と打点に注力すればよかったのに。 元々バカみたいに飛ばす能力あったんだから故障しにくいにしなやかな筋肉造るべきだった イチローのように関節の可動域広げるトレーニングを >>267
本人はそういうつもりなかったのかも知れないけど、
ツツミオーナーはじめ、西武フロントや首脳陣、そしてファンが暗黙のうちにそれを要求してた側面もあると思う。
背番号にフィットさせて、1番の秋山には王のようなホームランバッターを、
そして、3番の清原には長嶋のような4番サードの3拍子揃った選手を目指させるべきだった。 >>263
まともに1年出たのが2001年だけじゃあね >>1 >>26
無理無理ww
落合やイチロー、ボンズなんかの打撃理論を聞いて理解すれば
誰でも分かるけど、本物のスラッガーの打撃フォームには共通点がある。
ところがシャブ原にはそれがないwww
その高卒1年目の時も、西部の時も巨人の時も。
こいつはガタイが大きかったから、その馬鹿力で打ってただけ、主に上体の。
だから、一度も40本打てないカスなんだよwww
落合とか、イチローとかボンズとかの本物は打撃理論を突き詰めて
それを自分の身体に落とし込むから、成績にブレがほとんどないし、打撃フォームを見てもいつも安定してる。
シャブ原なんかは、ドシロウトに毛が生えた程度のもんwww >>245
落合が18からプロ入りしてたら、1000本は打ってるよww プレッシャーに負けたんやろ
西武も常勝でプレッシャーはあったにしろ
次元が違うし >>273,274
糞アナシンキモっ
早く死ねばいいのに >>274
落合「オレが高卒でプロ入りしてたらフォームいじられて潰されている」 >>1
一度も40本を打ったことが無いシャブ原は、中距離バッターwww
不世出の天才落合が18からプロ入りしてたら、1000本は打ってるわwww
天才落合の神主打法こそ、最高の打撃。 ただ、アレは誰でも出来る打撃フォームではない。 >>273
でも清原はボンズの半袖ユニフォームから除く上腕二頭筋が憧れと公言してボンズのような体を作ろうとウェイトトレーニングに頑張ってはいたな
打撃フォームとは関係ない話だがw アスリートとして始めた筋トレが早い段階で
オラオラ目的に変わった。野球しながらあれだけ
増量するのはステロイド&走ってないって事やから。
ベンチでは115s程度、自分より小柄な選手に数値で劣ってた。
ふざけて舐めプして反撃されるとすぐ狼狽えるし。
「先輩、ガチで実戦した事ないでしょう?いつか大恥かきますよ」て
野村に言われたらしいな。筋トレせず92sくらいで節制してたらな… 巨人時代の清原が一番成績が良かったのは下半身を重点的に鍛えた2001年だった 打点トップで全日程を終了したけど残り試合の多かったペタジーニに
きっちり抜かれた年やね それでも原時代までは気合で一流半レベルを維持してたけど
堀内になって何かが壊れた印象 >>51
由伸が監督の時は
ほとんどコメントが見出しにさえ
ならなかったから
清原ほどスポーツ紙を飾った人は
いない逮捕でも大きく扱われたし >>53
それでペタジーニをくさしてたんだ
友だちのおかんと結婚するような
やつはダメだみたいな事を言っていた >>1
現役時代から覚醒剤を打ちながらプレーしてた癖に、引退して覚醒剤疑惑の渦中にダウンタウンと坂上忍の番組にギャラを貰って出演して
「自分は絶対に覚醒剤はやってない」
と全国の野球少年とプロ野球ファンに向かって平気な顔して嘘を付いた、元読売ジャイアンツの刺青ピアスは誰だったっけ?
お前みたいな球界の面汚しが必死に頑張ってる新庄監督を中傷するな。
本当に清原和博は気持ち悪い。 365神様仏様名無し様2022/01/27(木) 18:36:02.74ID:jcUdYcDE
>>360
打撃練習と実戦では当然、全然違うよw
1997年春キャンプで移籍1年目の清原がキャンプ中に毎日のように「柵越え、清原は〇本、
松井は〇本」とか景気の良いニュースがスポーツ紙の見出しにあって本数も松井(既に
前年にMVP、38本塁打、OPS10割越えと覚醒済み)と互角だったと記憶してる。
その年1997年のシーズン開幕したら清原は凄まじいペースで三振するは打率低いわで叩かれ
まくってた。シーズン成績は.249、32本、152三振。 366神様仏様名無し様2022/01/27(木) 18:40:07.48ID:BNJ5jFtU
そりゃ初対戦ばかりだから三振は増えるよ
ホームランと打点は増えてる
96年130試合 .257 31HR 84打点 122三振
出塁率.357 長打率.509 OPS.866
巨人移籍
97年130試合 .249 32HR 95打点 152三振
出塁率.356 長打率.509 OPS.865 367神様仏様名無し様2022/01/27(木) 18:56:02.39ID:jcUdYcDE
>>366
いやでも、1997だけやなくて次の年以降もさんざんやったで
1998は打率と三振は改善されたけど本塁打はガタ落ちで中距離打者並みになってた
2000年前半まで低迷が続いて、2000年後半から息を吹き返して2001年はペタジーニが
いなければ打点王取れるくらいだった(本人は首位打者の松井が出塁してくれたからだと
謙遜してたはず)
368神様仏様名無し様2022/01/27(木) 18:59:16.72ID:jcUdYcDE
1997年は西武ファンの友達が「キヨは前の年も似たような成績だったし打撃は全盛期も
荒くて三振も多かったのに巨人ファンは叩きまくりやがって!」って憤慨してた
369神様仏様名無し様2022/01/27(木) 19:01:20.85ID:jcUdYcDE
何より、1997年の清原は帳尻過ぎってリアルタイムで叩かれてたのを覚えてる 斎藤がぼこぼこにやられて 暗雲立ち込めた感じだね
ヒルマンも肩に小錦で登板できず 数字だけ見るとそこまで悪い成績じゃないんだよな
やっぱり長嶋の采配がな 期待値が高すぎた
当時はまだテレビ中継も盛んに行われてたし何より巨人だからな
成績だけ見れば同じく西武から楽天に移籍した浅村と同じようなかんじだし シーズン全体の成績を見るとそうかもしれないけど
清原の場合は打ち出したのがシーズンの大勢が決した後半戦からだったのも
ファンやマスコミの心証を悪くした一因だったんだろう 巨人って歴代バッテリーコーチが弱いね。
コーチ陣って第2次藤田政権までは外様でも良い人材が配置されてたけど
第2次長嶋政権から無能の生え抜きばかりになってる 正直言うと今の巨人のコーチやスカウトなら素人でもできそうなくらい
ひどいと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています