西武黄金時代ってどれだけすごかったの?3
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>850
誰が薬使ってなかったかなんて証明のしようがない
昔より遥かに薬物規制厳しくなったメジャーで日本人野手が全然通用しないという絶対的事実
薬物抜きにしたとしても日本のレベルが低いのは変わらない 厳しくなった、のハードルが違うからなぁ…
野茂がいた頃に比べたら、の話で今もお薬天国なのは同じやで 黄金期のユニフォームの5文字以内の選手名のアルファベットが当時として斬新で好きだった。
KUDOH
TSUJI
KAKU
ITOH
など。わかる人いる? 右袖の SEIBU 西武 もライオンズの強さを感じるものがあった。 >>853 ガバガバなところを日本の社会的圧力と日本人の倫理的行動の高さで補っている
コロナみたらわかるでしょ。外出を法律で規制するよりかは自粛で制限できている
ドーピングも同じなの
日本人の倫理的行動が高いからガバガバなの >>856
実際に野球界は賭博も裏金も山ほどあったけどなw
どんだけ希望的観測なんだよ
入来だって向こうでドーピング引っかかったのは事実だぞ そう考えると日本のアマチュア競技におけるドーピング違反率の低さは
罰則に対する恐怖が大きいのかな?
あるいは給料制の実業団形式が一役買ってるとか?
(いくら頑張っても稼ぎが同じならわざわざ危ない橋を渡る奴はいないという意味で) 漢方薬が引っかかる場合が多かったので昔は。
今は自己管理には厳しくなった。 メジャーはドーピングしても大金は没収されないんだからそりゃ注射しまくるわな
むしろ出場停止処分受けて試合出ないでお金貰えるんだから選手にとっては楽ちん 仮に西武黄金期はメジャーとは実力的に
程遠いと認めても
アメリカのドーピング天国は日本より
遥かに上
スポーツは違うけど
ランスアームストロングって王やイチロー
より遥かに凌ぐ選手
アメリカが市場中心主義で国家ぐるみで
守ってきたから
今までドーピングが公にならなかった話もある
今でも100億ぐらい財産あるんじゃないかな
(賠償で払ったのはおよそ20億ぐらいと聞いてる)
身なり中心主義で悪いことしたら
社会的制裁が半端ない日本と
常に市場中心に考えるアメリカと
同じレベルっていうのは流石に言い過ぎ
ドーピングをビジネスと考えるアメリカ
ドーピングを不手際と考える日本
根底が違う 交流戦がもう少し早く始まっていれば東尾西武伊原西武が森横浜をボコボコにする所が見られたな >>855
石毛だけは6文字なのにIが多いから5文字以下の選手と同じフォントだったな
ISHIGE 今日、山川致命的な凡ミスしたな
バックハンドの捕球ミス
こんな凡ミスするようではあかんわ
今の西武は、1996年の黄金期後負け越し西武にも勝てないわ あのー清原って執行猶予期間過ぎたようですが、
西武時はどこまで甘やかされていたのですか?
えこひいきされたなかで、森監督やコーチ陣や選手はどんな感じでいたのですか?
それでよくチーム崩壊しなかったですね・・ 政財界のドンのオキニなんだから逆らえるわけねえだろ バブル期の西武コクドグループは「西武財閥」とまで称されていたしな
グループ総帥の堤義明も世界一の富豪だったし >>69
ドラゴンズの有望だったはずの若手投手が、階段からの転落でダメになった。
松坂大輔も階段絡みでおかしくなった。
平屋はそういうのがない。 なかなか緻密だな
東尾にビールを飲ませるために急須を与えていたことも計算のうちと思わせるぐらいに >>867
堤が限度なしのカードを与えてたことや
宿舎で暴れてもその都度もみ消してたことぐらいは知ってるが それでよく92年の日本シリーズ第7戦で森監督から交代告げられたよな?
もみ消されてそのまま出場になるはずじゃなかったか? >>867
平沼へのヒップアタックに対しては謹慎数試合と罰金だったけどな。球団は毅然と対応した。
この謹慎のおかげで清原個人の連続試合出場は途切れた。 ttps://news.yahoo.co.jp/articles/055c0374ab8059726b644d6ddaea5646f4f5b105 プロ野球ニュースで元プロ解説者の さすが西武ですね を何百回も聞いた 今日、平野がヤフートップで記事になってたな
野手転向の時のネタだから西武時代じゃないけど 今は今日みたいな試合の時に「さすが西武ですね」と言われる >>878
平野を出した星野がボロカス言われてる
2番平野が定着して隙がなくなったからね 平野の放出もだが巨人の鹿取放出
あれもパの他球団からすればいい迷惑だった
抑え不在を見事に補強して隙がなくなった ちんこがでかいから出された中尾、
明るい盛り上げ役だったから出された平野、
当該球団以外のファンからしたらいい迷惑のトレードだった 平野も鹿取も引退後は西武ではコーチになってないんだよな
平野は田中賢介、鹿取は岡島を育てたけど とは言え平野も中日時代は不確実な左打席のイメージしか無いバイプレイヤーという印象だったし
鹿取も衰えたという印象が強かったから
あのトレードがあそこまで西武にプラスの結果になるとは思わなかったけどね 平野は82年の日本シリーズの石ころ事件の時の打者
鹿取は87年の辻の好走塁の時のピッチャー
鹿取は89年あんまり投げなかったのがプラスになったな
87〜88年の酷使の疲れが取れた感じ
トレードされた時は年齢的な事で厳しいとは思ってたが… 今の西武にはそんなおいしいトレード話は来るんだろうか 美味しいと言うか、バランス的におかしいトレードは田淵、片平、高橋直樹、江夏のトレードだよな 平野なんて羽生田と大差ない
後ろにAKD砲がいるのに、得点もたいしたことないし
バントしか能の無い奴 平野のトレードは中日だって小野が最多勝とったんだし、中日が批判されるようなトレードじゃないだろ >>888
それでも打てない走れない守れない田尾より数倍マシ >>890
それでもって、あんた>>888を概ね同意してるのかよw 平野の守備力はクソ狭いナゴヤ球場では生きなかったよね
西武球場はまぁまぁ広くて且つ打ち下ろし形状なので飛球が伸びるから平野の守備力が生きた様に思うよ そもそも羽生田は守備に難がある選手だから。
好プレー集だけの羽生田しか見てないない人は超強肩攻守のスーパー外野手だと勘違いしているんだろうけど。
一方の平野の外野守備は出来不出来の波が無く確実性がある。 >>888
中日時代盗塁王にもなった足のある選手であることを忘れてもらっては困る 平野は巨人の松本と広島の慶彦を退けての盗塁王だからな >>894
なら難があるやつを守備固めで使う監督は頭パーか? >>889
その後1年だけならね。
小野はその後捜索願だしトータルで見たら大損 85年の日本シリーズで小野先発で阪神の首脳陣から西武は捨てゲームかとボロカス言われた ヤクザ・オソ松・泰源は故障で工藤は被弾済みだし一体誰を先発にしろと >>900
第四戦阪神・伊藤が先発で
広岡監督は
「阪神は捨てゲームのつもりか」って言ってたがなw 当時はナベ久の声が多かったけど
速球は速いけど制球難タイプはヤクルトの高野や西武の工藤見ても
阪神打線は選球眼が良い打者が多いから
結局餌食になってただろうな 小野は中日で最多勝取ったけどイニングは食えなかったんだよね
勝ってる試合でも5回、6回くらいで降板してたし
あれを見て星野から余り信頼されていないだな、と思っていたけど案の定だった >>887
その4人だと、片平と高橋直樹は当たりだったね >>904
まぁそれでもルパン伊東に比べたら最多勝に相応しいわ >>906
1番の当たりは田淵
田淵が何だかんだで結局広岡の方針に従ったことで西武は優勝できた
チームの顔が表立って反旗を翻してたら優勝どころかチームは完全崩壊していた
広岡が今も田淵の資質を高く評価しているのはそういうこと >>906
あの当時の西武のトレードってこの交換要員でよくあんな大物が取れたな、ってのが多すぎ
まぁクリーンアップ打ってた片平を放出した貧乏南海の事情は解るけどさ 田渕が入団せずに代わりに竹之内、基、若菜だったら西武はどうなっていただろうか? >>908
田淵の立場からすれば、内心広岡に反感を持っていたかもしれないが
反旗を翻したら控え⇒クビしかないから仕方なく従ったというところでしょ。
田淵が元々反抗的でなかったとかどうしても優勝したかったというのも、
広岡に従っていた要因かもしれないが。
ちなみに、個人成績だけを見ると、とても主軸を期待されて入った選手とは思えない。
https://npb.jp/bis/players/71773828.html エンタイトルツーベース出まくってた西武球場なのに2塁打少なすぎだろ 西武球場のフェンスの低さは今思うとMLBのボールパーク的だったよな >>911
打撃3部門どれをとっても竹之内より上なんだけど 田淵のトレードはライオンズにとって出血覚悟
ライオンズとしては全国区の人気がある田淵を球団の顔にしたかったからね
阪神は放出する気満々で
田淵⇔加藤秀司
田淵⇔梨田、有田
なんて話もあったが真弓と若菜がとれたライオンズとのトレードが一番おいしかった 「田淵」って看板で相手は身構えるからな。
それだけでまず優位に立てる。
真弓程度を残してたらそうは行かないよ。
結果がそれを物語る 1979年以降
田淵 引退までの6年間で2度の優勝に貢献
真弓 引退までの17年間で1度の優勝に貢献
やっぱり田淵なんだよなあ
個人タイトルをなんぼ獲っても優勝しなきゃ意味ないんだよ >>919
そういう基準でいくなら、>>887の4人の中では
在籍5年間で4度の優勝に貢献した片平が一番、になるんじゃないかね >>2
こいつ、引退してからは週プレやプロ野球ニュースで、散々
アンチ西武電波を飛ばしまくってたくせに、今頃になって何をヌかしてやがるw
>>3
こういう恨日朝鮮人みたいな偽善ババァ然した奴が、キチガイ・アンチ西武の真の姿なんだよなw
最近も軍艦島に機材持ち込んで、撮影禁止エリアで勝手にカメラ回して
厳重注意されたバカチョン局のババァ・アナウンサーが
「強制徴用された被害者の朝鮮人の心に寄り添ってくださらないのでしょうか?」と
わざわざド下手クソな日本語でワザとらしくしおしおしながら泣き落とし詰問して
軍艦島の館長や案内スタッフがマジ切れしてたが、そん時のバカチョン・ババァに
全面的にそっくりだわ、こいつw
「軍艦島は朝鮮人強制収容所だったと大ウソこいてる奴を、今すぐここに連れてこい!」
と閉山するまで軍艦島に住んでた爺ちゃんが大激怒してた。
まぁキチガイ・アンチ西武=恨日朝鮮人てのは、同賊みたいなもんだがw 別にいいじゃん
どうせ在日や外国人に依存しまくっていたのがプロ野球だったんだから
黄金期も同じ あの3連敗から4連勝した広島とのシリーズ、
広島は山本が歩くのもきついくらいの腰痛だったけど
西武はピーコがいるっていう存在感にずっと苛まれていたと
色んな当時の人が語ってる。
だからこそあれだけ接戦になったんだろうし、もし山本じゃなく
同じ数字の他人がやってたら西武も最初っからなめてかかってたはず。
「看板」がいるってのはそれだけでデカいんよ。
なんせあの年のオフに「DHでどうだ」と西武は山本にオファー出したし
(これは山本も認めてる) 片平氏はペナントレースでは4度の優勝に貢献した。
84年広岡氏は整理の対象候補としていたが二軍の猛練習などを課して高橋直と共に
生き返ったと後に語っていた。
後半の2度のシリーズでは全く活躍できなかった。
でも後に二軍監督にもなってるし人材としては有益だった。
黒田氏も然り。リード面で当時の大石氏よりは格段に良かった。伊東氏の育成にも
一面勝っている。首脳陣にもなっているし。
そういう意味ではこのトレードが西武では一番当たりの一つかも。 山本氏には来てもらいたかったな。
でもカープの宝だから生涯一球団一筋がベストだったんだろう。
来てもらったら一選手の成績より
ベンチにいるだけでの存在感や(相手チームのプレッシャー)
何より清原の教育係として大きく力を発揮できたと思う。
(二年目だし。プロを甘く見るな。と強く教育できたと思う)
秋山や石毛には本当のチームリーダーとしての心構えとか。
もう一ランク上の人材が育った可能性もあった
山本氏も違う環境での視点も身について後の監督でもよい面で作用したかと思う。
そこを根本氏は一番狙っていたと思う。
実現して見てみたかった。(ビジター青一色の山本氏は想像しにくいが)
でもカープファンの反発がデカいとも感じる。 若菜がトレードで阪神に行ったとき
一年目の活躍が目覚ましく何故出したんだ!!と悔しくも思ったが
(当時のライオンズは捕手もひどかった)
二年目以降の態度や問題が出てくるようになってそういうものも(素行)
も根本氏は見抜いてトレード候補には痛いがすぐ応じたと感じるようになった。
でも数少ない九州ライオンズん選手としては応援していたが。
(加藤博氏や加藤初氏や基氏や倉持氏や竹之内氏)
一芸に長けた渋くも存在感あふれた魅力的な個性ある選手がセリーグで
真弓氏を入れるか入れないか?の攻防であのトレードの田淵氏への通告が深夜に
なったのではないか?
それくらい能力を買われていたのかと今では思う
田淵氏も根本氏からすぐフォローされて立ち直ったと言っているし
その辺の配慮の深さは根本氏が格段に阪神よりあったと感じた。 まあしかし現実問題として山本が他球団でプレーする姿というのは、
広島やチームのファンとしては受け入れられないだろ。
なにせ巨人で言えばONに相当する存在なんだし >>919
なぜそこに真弓を出してきたのかはしらんが
西武ライオンズには根本がいて堤もバックアップしていた
タイガースは85年の優勝以降球団フロントが自分たちの手柄と勘違いし好き勝手した結果があの暗黒時代
その差だろ 当時アンチ西武が多かったのは他球団の顔を強引に引き抜いたり、やりたい放題の囲い込みドラフトが一因だよね
山本浩二まで獲得してたら大変な事になっていたと思うよ >>930
そうかなぁ?
むしろ読売に対抗するヒーローって感じで子供やギャルに人気だったから
オッサンが勝手にそう思ってただけでしょ
当時のオッサンなら今は後期高齢者だな 当時のパリーグ応援団も「西武vs.5球団」の様相で、それはもう徹底的に憎まれていた
堤のブルジョア臭、広岡のインテリ臭、根本のダーティ臭、西武のすべてが彼らの神経を逆撫でていた
結局は負け犬のジェラシーなんだけどなw 最近はソフトバンクにやられ放題楽天に引き抜かれ放題で連覇しても全く嫉妬されなくなった そうかなぁ?
むしろ当時西武に広岡氏が監督になったり清原が入団したり
西武線から他球団も入場者数が増えていったから毛嫌いというものは
一部の人以外なかったと思う。
パリーグに少なかった華が西武にはあった。
パリーグを応援する人も同リーグでの食い合い見たいなことはしなかったはず。
阪急―西武戦、近鉄―西武戦何か結構盛り上がっていた。
そういう対極のファンはいたが盛り上がっているので西武自体を、というのは
あまり存在したかどうか当時は感じなかった。 >>933
今は主軸にそれなりの金額を出してるけど
せっかくの関東ホームなのに移動が負担になるとかそういう環境面を苦にして
出ていく選手が多いんだろうなと思う 移動負担を避けたいなら関東or関西に留まるだろ
間違っても福岡仙台札幌なんか自分から行かないよ 球団のドライな体質を選手がわかってるからじゃないの。
あの森監督時代の黄金期のメンバーにしても
西武で現役まっとうした選手は少ないよね。 >>933
バブル期の西武コクドグループは「財閥」と称されるくらい破竹の勢いだったからね
バブル崩壊、堤失脚後は見る影も無いけどな >>936
西武は東京駅−所沢、羽田−所沢の移動がなにげにきついんだと 「くたばれ読売」はプロ野球ファンの間に広まっているが
当時は「地獄に落ちろライオンズ」もパリーグ他球団ファンの間では広まってたなあ アンチが生まれるという事はその球団の
ある意味逆説的にファンでもあるという事。
パリーグでもその構造が出来ていたのはファンの裾野が広がることでもあり
良いことでは? >>939
同じ埼玉県内の移動に比べたら数段楽だな。 >>941
パ・リーグ暗黒期にはライオンズのフロントが金田ロッテ監督と示し合わせて遺恨試合演出した位だしなあ。
後に大沢親分が菜食・自然食主義の広岡監督率いる西武をヤギさんチーム呼ばわりしたのも、そういう側面もあったろうね。
大沢からすれば「つまりは前年リーグ優勝した我が日ハムを目の敵にするって事か!」とね。
広岡本人には全くその積もりも無かったけど、大沢自身がそうやってリーグ全体を盛り上げようと考えたんだろう。
実際、あの年のプレーオフは西武(前期優勝)vs日ハム(後期優勝&通年1位)だったしな。 >>942
それは大宮で試合やる時くらいしか無いし 首都圏以外の人は所沢が東京や新宿のすぐ近くと思ってるんだろうな >>930
アンチ西武はあまりいなかったと思う
当時、クイズ100人に聞きましたの開幕恒例企画に
今年絶対優勝できないと思うチームはどこですかというのがあった
巨人はアンチが多いのでどれだけ前評判が高くても上位に来るが
西武は一番下が定位置でゼロの年も多かった >>936
野球関係者が移動負担軽減を優先してチームを選ぶとなると、実質在京セリーグしか選択肢がない。
在京セリーグなら、シーズン中は年間の2/3くらいの試合は自宅からの通いで済む。
パリーグだと、千葉と所沢の移動は電車だけでも1時間半くらいと若干厳しい。 >>946
通勤の話じゃないでしょw
新幹線や飛行機に長時間乗った後さらに所沢行くのはけっこうだるいんじゃない。 毎年優勝特番やってたよね。
優勝決定当日の夜のスポーツニュースの枠内とかじゃなく。
今そんなのやらないでしょ。
野球が熱かった古き良き時代だなあ・・・遠い目 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。