【達朗といえば、やっぱ】広岡達朗/廣岡達朗 その10
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>688
なるほどですね。
あの衣笠を手懐けひたすらバットを振らせた関根
根本も一目置くその怖さはピカイチだと思います。
今日発売のベースボールマガジン楽しみです。
84-85年の事をもっと聞けるか? 昨日発売のベースボールマガジン買って読んだ。
インタビューで森をディスる発言(隠れてタバコ吸ってきてたとか)あったが
次監督やったらまた森と一緒にやりたいというのが有り年と共に緩やかになって
きているというのが強い感想。
83年の巨人シリーズを中心としていてそこから黎明期、黄金期スタートという
構成。切り口に新しいものもあったが大部分は既存の焼き直しのような印象が
強かった。84-85年をスルーしていたのがモヤモヤ感満載。
その辺(森や江夏との確執や途中休養、退団経緯、痛風)は広岡に忖度していた
と強く感じた。
期待以上の内容ではなかったが西武の初期を知らない人には面白い内容だと思った >なるほど
>情報ありがとうございます
自演www
空しくならんのかなこいつ? >>692
森さんに対しては、ホントツンデレというか、好きだからこそ裏切られた、許せない(廣岡主観)ということなんかね。 >>692
84−5は最も知りたい部分なんだが…
84は上田阪急に独走を許し、逆に捨てシーズンとして育成に特化。
広岡・森コンビの捨てゲームは有名だが、丸ごと捨てる決断を聞きたかった。
そして、森を何故切ったのか?
一時は、育成の年として自慢していたけど…
問題の85は逆に独走、痛風ネタ、阪神を見下してた?など
お決まりの上にたてつき辞任一直線(ヤクルトと同じ)
「辞めてあげますよ」発言だが、しっかり貰うものは貰ってるとか。 連載しているから聞く内容に遠慮もあったかと。
ズバッと直球で言っちゃうからあとの言質の確認とかめんどくさいのもあったろう。そういう意味では本当の広岡が出始めた84-85年が一番興味深い。
広岡曰く5月20日から従来のベテラン重視から若手に切り替えたというのが通説。
でも本当のところはどうか?
森との確執も。江夏も絡んでいるような気もするし。
85年の阪神のシリーズは一番盛り上がるだろう(阪神ファンだけでなく)可能性があった5戦以降に冷めた様な采配とか。捨てゲームとかチームで共有されてもなかったしやる気あったなら選手を集めることもしたはず。
どうもその辺が思慮が入ったものとかでなく単に下世話な単純なものから来ているような気もする。
その辺は石毛Youtubeで聞けるかもしれません。 ですね。
世間でいう程、あまり深い展開でないと思います。
私は基本、広岡ファンですが、万能ではないのも分かるし、むしろ、短気で、
誰であろうとズケズケ言っちゃうのが彼の特徴だと思うし。やらかし系なんですよね。
編成権が無いのもへそ曲げちゃってるけど、江夏や郭の獲得も巨人に取られたくなかった
球団の方針ですからね。もっとも広岡さんの希望はテリーの穴はレジ―ジャクソンだったけどw
なので、ロッテの時は編成にこだわったが、ボビーを読み違えたw
阪神との日シリは、途中で投げたとか、吉田に辞める発言とか言ってるけど、勝とうとしてたと思いますよ
事実、甲子園対策はやってて2勝してるわけだし。
しいていうなら、バース対策ですね。前年の広島のブーマー封じみたいなことをやらなかった。
阪神なので気が抜けてたのか、森がいないので詰めも甘かったです。 阪神との日本シリーズ
例え本人に当時のこと聞いてもぼやかされたりピッチャーがいなかったとか
バース一人にやられたとかで終わるのは容易に想像できます。
ただ完全に投げやりでなかった点も多くあったので。ケガしている選手(東尾、松沼弟、森、秋山、石毛)でも無茶までのモノでないと判断(あくまで広岡本人)したら出場させてたし。バース以外5戦の途中まで打線を一割台まで抑えていた。
要は勝負所での一球、一打そこへの意識のかけ方が83年より劣っていた
それはヘッドの森の不在。もしくはNOとは言えない首脳陣になっていたので広岡の【真意】を直に選手に伝えれなかったからぎくしゃくしていたのではないかと。微調整できる点が短期決戦で致命傷になった。
逆に阪神はあの時の選手(皆ピークを迎えていた)だったから任せて何とか出来た。その違いだと。
あとはYoutubeを見る限り案外戦犯は田尾ではなかったかと思う。
4戦に3安打も打って5戦であの成績はあり得ない。
一番気が抜けていたように感じた。 広岡森の対立の原因は多分墓場まで持っていかれるだろう
野球観や仕事面に関してだったら広岡の性格ならたぶん表に出すはず
クラブママの取り合いの噂もあったけど、たぶんプライベートで何かあったんだろう 広岡は大監督タイプで、直接、選手とかとはあまり話さない。コーチにすべて任せるタイプ。
スター選手、外国人に対しては、口では腐すが、かなり優遇する。
そして、何故か活躍。大杉、マニエル、田淵、東尾、太田。
皆、誤解してるけど、管理とか機動力野球ではなく、大砲&エースで勝ち抜く。
だから、短期決戦に強い。場当たり的なんで、結構、劇的な勝利が多い。
逆に森は、選手に迎合するようになって、清原を甘やかし、結果は見ての通り。
常勝なのに、段々人気が無くなり、解任。横浜で、谷繁を冷遇し、チームが崩壊。 今となっては森よりも野村を嫌ってそう。
野村克也生前葬的なイベントのヤクルトOB戦に呼ばれなかっただけに。
本人が受けるかは別として、広岡のビデオメッセージだけでもあればよかったな。 嫌いというか嫉妬してたよな
野村に対しては廣岡に限らず近い世代の大物野球人はみんな嫉妬していたと思う >>705
あれは球団が悪い。
野村とは仲悪いとかまでの付き合いはない。
選手の育成方針が違うだけ。
広岡=基本の反復、身体で覚える
野村=座学、人間学
落合は広岡の路線、野村と対談で直接野村のやり方を揶揄していた。 広岡がインタビューとかで選手に対して
仕込む。という言葉をよく使っていた。
教育という事に当たるのだが。それがベースにあって勝てる野球が出来る。
技術も上手くなる。と。
その点で森がいない85年シリーズ。短期決戦でレギュラーになったばかりの若手らが
その成果を求められた。
その仕込むという事を監督からコーチ、選手という指示系統で行われていたと推測
その部分が森と85年のコーチでは齟齬が出来ていた。
日本一に足りないものが。
例として石毛がひざを負傷して出場が危ういのを近藤コーチに伝えたら広岡がやってきて意思確認したとか。
バースや長崎への攻略とか
5戦の掛布一打席目や自軍のチャンスでのバッターとベンチのやり取り視線での微妙なずれみたいものとか。
森がいたらどう判断してどういう選択していただろう?
とおもってしまう。たらればの推測を出ないが 漫画みたいだが、スピーカー大音響で鳴らしながらの甲子園対策や、失敗したが
バース守備への揺さぶりなど策は弄してたし、2勝3敗で所沢も想定内だった。
所沢まで来たんで、あとは何とかなると思っていた節はある。
森がいれば投手のやりくりも工夫があったろうが・・・
世の中的には阪神贔屓だし、思ったより阪神の投手が良い、比べて、西武には大砲がいないなど、
後から見ればわかりやすい展開。
また、西武として、広岡としては、2年前巨人に勝ったのだから、阪神に勝つことに執念もないし。 85年と86年のシリーズを見ると森が如何に重要なキーマンかが分かる。
86年も3連敗したが捨てゲームという事はしなかった。
5戦以降ミーティングを止めて選手に任せた。それが良い作用に。
でも勝負どころではきっちり采配していた。
85年は王手をかけられただ選手を放置みたいに。ミーティングも無し。
やる気の無さを思わせるような広岡らの動き。
捨てゲームとか広岡の頭の中だけ。
というか伝わっていなかったというべきか。
タイガースが勝っても良いがもう一山面白いシーン西武の意地みたいなものが
みたかった。 2勝2敗の時点で終了か。
阪神ファンだけだね、今もこれだけが救い。というかこれしかないw
広岡さんは、飽きるのが早いというか、すぐフロントとぶつかり拗ねるね。
言ってることはおもしろいけど
「(バースに対して)あの外国人には早く帰ってもらいたい」 でも面白いんですよね。
85年シリーズ。勝った阪神はその後暗黒期に。負けた西武は黄金期に。
他チームから引き合いある人材が多い西武
自チーム以外はお呼びがかからない人材しかいない阪神
そういう分岐点
一見勝ったように見えながら実は長い目で見るとそうでない。
その辺に広岡の教育がじわりと大きな成果を上げている。
個人的には問題とかありながら結果と人を残した。
そういう観点から85シリーズを見るとやはり広岡の意識がこの時だけ希薄だった
それに乗っかる事が出来て勝ってしまった阪神という構図
1〜2戦のバースのインパクトが強すぎて意気消沈したのかも。
乱暴な言い方だと阪神に勝たせてあげた。という風にみえてしまう。 広岡の敵は阪神でなくその向こうの根本だった。
阪神に6戦ボコボコに打たせて、ね?うちには外人の大砲が足りないんだ。
だからこうなるんだ。
ね?こうなるから郭を投げるようにしてほしかったんだ。
という風にしていたのかも。
でも大局的にチーム編成を考えていた根本からは広岡はガキっぽく見えたのかも
ちゃんと考えてその年清原を取る様にしてたし他の投手も新人、弱点の外野もトレードなどを画策していた。
考えてやっているから編成に関わるな。という事だろう。
結果論かもしれないが。
でも単にやる気が無い様にはしてなかったところも凄い。
どこぞのチームの様に2年連続4タテとか33-4ではなかった。
6戦も一発は3つ食らったがタイムリーは1本のみ。
工藤渡辺にも経験を積ませたし。しっかりゲームをつくってた。
お祭り騒ぎの阪神に隠れているが意外と抑えていもいる。
そういうところが後々生きたのだろう。 前年の江夏あたりから、編成とのずれが顕著になった。
坂井も幅を利かせ、まあ潮時ムードに。
ヤクルトの時もそうだが、この人の腐るときは早いw
曲がったことは大嫌いだが、時にはやせ我慢も多々ある。
荒川を差し置いてのヤクルト監督とか、王の後任とか。
自分で参謀に徹したいと公言する割には、監督を張り切ってやるタイプだよね。 BBM
安田と会田。合掌。
ジャンボ(鈴木)の表現40年ぶりに聞いた。
ヤクルトの選手、みんな熱かったんだな、おとなしそうに見えてたけど。
管理野球とか言ってたけど、結局、熱血野球か。 遺恨を残すと色々な事が障害になるのですね。
だから巨人もヤクルトも西武もロッテも。。。
野村のようなイベントを中々してもらえない。
中興の祖でもっと称えられても良いのに。
結局は西武での痛風発覚のイメージダウンが大きかったのかな。
管理野球と言いながら言行一致自己管理してなかったという事に。
そこからボロが出てモノ言う性格がクレーマー気質に。
せっかくの教育や指導が一回埋もれてしまった。
森の西武黄金期もあって。
チーム競技だからまとまりを危うくする85年優勝決定時やシリーズ時は
最悪だったんだな。
だからあまりミーティングもやらなかった。
やったところで余計白けると。
痛風じゃなかったらガンガン行っていたのかも。 痛風も体質だからね。当時はぜいたく病のレッテルだったが、今は違う。
ヤクルトの5回まで先発投手&継投、筋トレ、玄米のすすめなど早すぎたのと
自己アピールがうまくなかった。
口は悪いが、実は面倒見は非常に良い、黒江、森など巨人、江尻、八木沢、中村勝などの早稲田、高木守、落合など職人、山本一、張本など広島
など意外と人脈も幅広い。
監督歴わずか7.5年で優勝4回、日本一3回なんだから実績もすごいのを意外と世間は見逃しがちだ。 >>700
しかしバース相手に厳しいインコース攻めもやったし
どの投手も慎重に攻めてるのが見ててわかったよ
初戦の兄やんなんか内外ちらして最後はアウトローにストライクからボールになる
完璧なシンカーをバースは捉えてバックスクリーン手前とか
アウトにはなったとは言え
あのコースを捉えるところ見たら怪物としか言いようがない
東尾にしてもアウトコースのボールのシュートをレフトにポンと当てただけで
ポール手前だろ
あれじゃ投げる球がない
だから4戦以降バースから逃げまくってた 週ベでようやく安田へのコメント出したな
スポーツ紙には出さなかったから体調崩しているのかと心配した ヤクルトの監督に就任したとき、私はまず投手陣の強化という1点に絞って手をつけた。
野球の試合では投手力が勝敗の70〜80パーセントを左右する。そこで導入したのが、
当時の球界ではまだ一般的ではなかった先発ローテーション。エースの松岡弘をはじめ、
浅野啓司、ジャンボ(鈴木康二朗)とともにローテを担ったのが安田と会田だった。
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=101-20210305-11 >「お父さんに頑張ってもらって優勝できた」と話したこともあった。
って一応会田の息子にこういうこと言ってくれる人ではあるんだな >>723
日頃辛辣すぎて、温かい言葉と批判の区別がつかないw
ついに石毛Youtubeに広岡さん登場フラグが。
コメント募集中 6戦以降は対策もミーティングもしてないようだったから
余計阪神打線に凹られた。
どうもなぁゲーム中での微妙なジャッジや勝負所での指示とかの動きが
広岡全くなかったな。
意識がないというより痛風で案外動けなかったのか。。。
ちょこちょこ動いた吉田と対照的だった。
動きはそうだったが指示を出したり従わせたりというのは全く逆というのも
面白い。
あの時のシリーズを思い返すとネアカのタイガースネクラのライオンズ
という書き方をされていた。
世の潮流もタイガースを後押ししたという事でしょう。
ライオンズが勝つよりネタが多かったから。
景気にも寄与したしこの時はタイガースが勝つという結果で良かった。 最後はバースや掛布や長崎に対しても
ここに投げれば仕留められる。というコースを西武は読まれていた。
そこに狙いを定めれば彼らもプロ。狙って打てる。
そのコースに狡猾に術中に嵌めるように生かすように投げさせる
という事が出来なかった。そこができるのは森。
また伊東が若くベテラン投手を完全にコントロール出来てなかった。
逆に投手のサイン通りにさせられていた点も傷口を広げた。
広岡のシリーズ後言う投手の本能を抑えれなかったという処か。
そういうなら徹底しろよと言いたくもなるがそこが森の役目だったんだろう。 阪神池田に試合後
「今日に限って言えば(この年セ・リーグ最下位の)ヤクルトの方が恐かったですね」
勝てば官軍。負ければ大失言。広島津田や近鉄加藤のようなことにはならなかった。 星野が田淵に「巨人に入ったら王さん、長嶋さんにいて、森さんに潰されていたよ。」
NHKBSのレジェンドの目撃者より 森の潰した捕手
野口元三、佐々木勲、大橋勲、宮寺勝利、吉田孝司、槌田誠
一方、廣岡は意外にも黒江の面倒をみてしまう。
(後、レギュラーをとられトレード候補へ)
「オマエ、何だ、そのお茶のいれ方は! だからダメなんだ!!」
https://www.sanspo.com/baseball/news/20151013/gia15101311000001-n1.html >>729
黒江はコーチ時代でのコーチング術も含め、何から何まで広岡さんに教えてもらったと感謝しとるね。
西武で監督代行を務めた時は、試合中も頻繁に広岡さんから電話が掛かってきて、「今すぐ投手を交代しろとか一々うるさいよ」と愚痴った事もあったらしいがw 森はライバルについては手段を選ばず潰したって事を大橋が回想してた
田淵も言うって事は他球団にも知れ渡ってたんだろうね
入った球団と言えば谷沢の第一希望は巨人だったけど中日一位指名で良かった
巨人には王がいたし外野の層も厚いから巨人入団だと淡口や山本巧児みたいになっていたかもしれん >>730
黒江は結局は、森、王にも使えて、ヘッドとしてはかなり優秀と評価になった。
広島苑田は、伝説のスカウト部長。
若松は運もあるが日本一監督。
結構、渋いところで弟子が活躍している。
秋山、伊東、辻、工藤、渡辺は教え通り長く選手生活の後、指導者になった。
一方、森は清原を甘やかせ、デーブは放出、育成は苦手。
横浜で谷繁を冷遇し、チームが暗黒時代へ。 広岡は退団後堤オーナーとゴルフしたとかのエピソードを聞いたことある。
またオーナーに根本坂井らが会わせてくれなかった。とも
ま、当時の球団組織体制ならそういう飛び越えはご法度だったろうなぁ。
慰労金が出たというのも上記も配慮があってのものだろうか?
反対に森は堤オーナーに嫌われて早々に退団になったと聞いている。
その差は何か?
人間性?あまりそういう面では後から良かったというエピソードすら出てこない。
その辺がまた広岡の面白いところ 人間性ならそれこそ堤も凄まじいからな
広岡さんが可愛く思えるほど強烈なエピソードばかり >>733
堤は早稲田だからね。
廣岡は、巨人OBだけでなく、早稲田、広島県人会など意外と人脈が広かった。
森は川上の後ろ盾がないと、人脈もそうだし、人望もなかった。
現役時代も>>729みたく、意地悪だったし、
長嶋も1次政権の時、川上のコーチ推薦を断ったくらいだから。
人のいい王とのエピもない。野村くらいか友人は。 そのエピ持ちの堤から嫌われた森。
隠れた闇は深そう。
あんだけ見事に皆負の部分しか言わない結果残している人も珍しい。
何なんだろう?
文化放送中川アナのエピソードは氷山の一角かな?
ゴマすりや出世に手段選らばず明け暮れて定年になった人の末期みたい 金村が西武時代、堤オーナーから直接話しかけられたみたいなことを言ってたが
オーナーと直接話ができるのは清原ら一部のスター選手だけだと思ってたので
意外だったな >>736
https://live-the-way.com/great-man/athlete/baseball/mori-masaaki/
森は良いこともたくさん言っているが、何故か心に響かない。
清原のことは依怙贔屓してたし、新しいことやったのかな、記憶にない。
伊東の言っていた発言がすべて表しているのかも。
広岡監督時代に鍛えられた選手達が主力になりチームが完成しつつあった時期に森さんが来られたので森さんは特にやることはなかったと思います」 塾に例えると
広岡は基礎からしっかり教えるスパルタ塾
(行ってる間は反発も多いが基礎から身についているから後で実感)
森は受験対策のみの進学塾
(ただその対策のみ。テストの傾向のみ。学問を教えるという事ではない)
それにしても皆森エピソードあっさりというのは何か森の人間性の本質を感じて
しまう。
堤から嫌われていた以上に本社から来た人間からも嫌われていたみたいだし。
嫌われていたけどあとからジワジワ効いて来た。役に立ったというのが広岡。
嫌われていたけどあとの記憶や教えが希薄。皆から疎まれいるのが森。
根本からも請われてないし。その辺ですね一番の本質は。 >>737
金村の場合は、パーティー等で、向こうから話かけれたらという例だろ?
清原や松坂は、こちらから本社に電話等してもオーナーに繋いでもらえるレベルでは?
他なら繋いでもらえない >>740
廣岡は、不良の工業高校に赴任した、熱血じゃない先生w
根本はあまり権限のない副校長かな。坂井が謎の事務局長みたいな。
根本はどこまで、人事権、編成権を持ってたんだろう。
廣岡は第3候補だったし、江夏獲得なんてらしくない。
結局、新人獲得の裏技は認めるけど、肝心な外国人大砲は
廣岡後期にはとれなかった。後に、秋山が育ったからいいもの、84,5年は
辛いシーズンだよね。 広岡は不良高校に赴任したいわく付きのやり手教師。
根本は校長 坂井は事務局長
堤は法人の社長
問題児をなだめすかし地道に教育
一気に実績を上げるが生徒や周りからの評判もあまり良くなかった。
で方針で校長と対立。
言行不一致と同僚の森のチクりなどで足元をすくわれ退職
ただマニュアルや教育が生徒らに残り伝統に。
後任の森はそのマニュアルをこざかしく活用。すっかり上り調子の学校と生徒たちをうまく運用できるよう活用し上手く流れをつくり実績を伸ばした。
ただ性格の悪さもあり段々立場が狭くなり進学率を堕とした時に理事から
おやりになるんだったらどうぞと冷たくあしらわれ挽回するも段々外堀を埋められ退職に追い込まれる。
校長はヘッドハントという名の逃げでグレーな会計監査が逃避違う学校へ
環境も一変
という感じかな。
江夏は広岡は一枚も噛んでない。田尾も郭もそう。
編成はフロントの仕事。そこは現場の監督は直接タッチできないように
なってた。
その辺の広岡の理想と根本の理想の乖離が立ち回りがヘタな面もあって遺恨
を残し退団となった。 >>742
ナベQ
https://news.yahoo.co.jp/articles/bf3235d8784ac482f50de1aca0cc70c3dd81e1d8?page=4
新人は根本と結構2人3脚なんだよね。工藤もうまくとったし。
育成は広岡さん好きだし得意。
意外なトリビアを3点
実はマニュアルは広島カープコーチ時代、松田オーナーが大リーグから入手したものらしい。
猛練習を導入したのは広島監督時代の根本。巨人育ちの広岡はむしろ練習時間自体は短い。
守備の基本、反復練習はブレイザーの影響
https://89bible.com/baseball-progress-2815-2/ なんか同じ人がID変えて何度も書き込んでない?
文体が同じ。 >>746
少なくとも自問自答スレではないw
2〜3人はいるよ。
ところで、お前は誰だ? >>746
ほとんどの人がわかってるからスルーしてる
バレてないと思ってるのがある意味凄い 広岡や根本が凄いのは
その後に良い面がしっかり継承。球団の文化になっている。
有形無形のものがたくさん。
根本のそれは会社にも、球団にも、選手にも、人にも、関わる地域にも
広岡は選手や球団の根っこに。知識を理解して伝えていく教養としていった人材を
良いものだけを続けて行けるようにして欲しい。 廣岡の晩節の汚し方は凄まじい
昔は著書でもいいこと書いてたのに 晩説も何も、ある意味ブレはない。
最初からずっと嫌われてるし。
野村や原みたいな自己演出型ではないし、藤田のような人徳があるわけでもない。
ただの頑固一徹、変わり者、でも実績は監督歴8年でリーグ優勝4回、日本一3回。
全盛期の阪急、巨人、中日を破ってのことなんで文句の言いようもない。
落合も似たタイプだが、短期決戦は苦手。
晩節とやらは、ロッテのことだろうが、その後も、日本代表監督や楽天の立て直しの依頼はあった。
ギャラが折り合わなかったらしいが…。 今の工藤の野球の手本は広岡野球だから遺産は残っているね
選手の食事管理とか「プロ野球選手である前に社会人だから
社会人としてきちんとするべきだ」とかね 根本は、しぶとく王監督を支えた。
最初の4年間は特に。
露骨だったけど、秋山、工藤の獲得など、今につながっている。
石毛は残念だけど・・・。社交的過ぎるのかな、オリックスの監督なんて受けなきゃよ
かったのに。工藤はちゃんと横浜のオファーは断った、センスの問題か。
結局、根本・広岡ラインでの監督経験者はV9巨人出身より成績は良いね。
野村信者は古田筆頭にまだ成功者はいない。若松、小川も広岡時代の人だからね。 根本は堤の意向を聞いて巨人に対抗しうる新興勢力の西武として
一番強くできる方策を探した。
人気の面での長嶋は断念したため。そこで広岡(3番目)。
たしかにその面(強化)ではうまくいった。
が組織面での広岡の認識が実績を上げるにつれズレて来ていた。
そこは人間性も大いにあっただろう。
だから限界が来た。
森は根本がいた時(正確には去って二年後)まで黄金期。
その後の組織に弾かれる格好に
王は根本がかばった。その中で命を落とした。そこまで徹底していた。
だから地元に根付くようにもなった。
世界の王からラーメン屋のせがれと良い意味で距離感を縮めてくれた
そこにまたしっかりとした歴史が作られることに >>762
根本は最初から、広岡を推していたのに、
球団は上田の方を優先していたよね?
この時の球団は誰が主導していたんだろう? 根本が西武のままなら1992年は松井を指名してた気がする
のちに大砲不足となるが
逆指名制度で小久保 松中 井口 かっさらってたかw 駒沢進学決めてた城島なんか寝業師の面目躍如だったな 野手編の必勝法・必敗法を語り尽くす!【石毛宏典】【広橋公寿】【蓬莱昭彦】
足使え! 夜はゴロ転がし
https://www.youtube.com/watch?v=RJmQqshqtZY こういう野球人が複数人集まって話題にできる広岡は凄いと思う。
森はサラっと流して終わりという印象が強い。
落合は結構語られたりしてる。王や藤田や古葉も
あれだけ優勝などの実績残して森は何故語られないのだろう?
皆歯にモノが挟まったような印象。
堤の印象や球団からの最後扱いとか。
本当に人間性でゲスな面があったのか?そういう闇を感じてしまう。 森は川上の性格の悪い部分を継承している。
ただし、勝負運は圧倒的に強いし、副官としては今でも広岡は「これしかおらん」と言っているくらいだ。
センスが無いのか、東尾を怒らせ引退に追い込んだり、谷繁を干してFAなど。
伊東とも関係が良くなく、突き放されてるし。
広岡や野村と違うのは、この人にお世話になったという後輩がいないこと。
あと、育成した実績が皆無。巨人時代に数々のライバルを蹴落としすぎたせいか。
広岡、野村は性格に難はあるが、育成、再生はしている。
長島にしても、ピントは外れてるけど、地獄の伊東キャンプや松井のマンツーマン指導をしたし。 広岡や長嶋や落合に共通するのは手取り足取りして自ら教えた事
広岡は投手でも野手でも真似が凄く旨く見た当人が納得せざるを得ないレベル。
この才能をもっと取り上げないといけないと思う。
そこには共有と共感できるものが存在。
そこが響いていたのだろう。
森はそういう過程を経てきた人材を配置・運用する能力にたけていた。
と思う。
仕事はこなすけど闇が深そうな上司というタイプ。 工藤 秋山 伊東 辻も広岡は参考にするけど 森はあんま口に出したくない感じだわね 広岡さんは首尾一貫してるし、自分で教えられる実技も内野守備に特化してる。
専門外のことは、自分よりうまい人に預ける、長池とか八木沢、尾花とか。
口は悪いが、意外と正義感は強くて、荒川をたてたり、王監督を支えるHCになろうとした。
楽天も2年目田尾のコーチ組閣も助言してたしね(結局1年で田尾が首)
森は付き合いも悪いからね、ハワイに引っ込んでるし。 広岡はモノマネの名人と言われていたから、自分で手本を見せるのが抜群に上手
声質も良く、耳に残る声 予備校の先生になっていても稼いでいただろう
まさに教育者になるために生まれてきたような男 アンダースロー好きだよね。
物まねもうまかったらしい。
確か、阪神のマイク仲田再生をしたという自慢を聞いたことがある。 >>774
高橋直をなぜか重用。広島で全然だったが。 阪神にいた川尻をなんかやたら評価していた。
ある年の開幕戦で敗戦処理で使われていて
「使う人が馬鹿じゃなければ本来はすごいピッチャー」と野村を批判しながら
持ち上げていたわ 1984.4.15 西武対阪急3回戦
https://www.youtube.com/watch?v=NmKhlr313js
東尾対蓑田に死球当て上田激怒、広岡と協議、江夏登場 >>778
こういうのがあったからデービスが東尾をぶん殴った時に
他球団からデービスを擁護して東尾を糾弾する発言が続出したんだよね さすがに滑って抜けたってボールには無理あるしな
しかし登場人物豪華やね監督経験者ばかり
上田止めてるのも近藤昭で、後ろに森もいて
江夏の貫禄は笑っちゃうレベル >>783
松岡は1971年からずっと開幕投手だったけど、1977年は不振で
同年勝ち頭だった安田が開幕投手。
75〜77年の開幕は神宮で現地観戦したけど、松岡はボコボコに打たれてた。
特に77年は阪神掛布に初回いきなり満塁アーチで笑うしかなかったわ。 >>783
タブチくんのイメージだと、ヤスダはオーヤ君と
いつもコンビだったw
ヒロオカ監督は漫画でも現実でもブレは無いw >75〜77年の開幕は神宮で現地観戦したけど
>75〜77年の開幕は神宮で現地観戦したけど
>75〜77年の開幕は神宮で現地観戦したけど がんばれ!!タブチくん!!は秀逸な漫画だね。
田淵の記憶が鮮明なのもこの漫画の影響。
ヤクルト時代のヤスダとヒロオカ、
そこから、ヒロオカが西武監督へ。
史実とマッチしていて面白い。 掃除していたら1973年の東スポが出てきたわ
「広岡達朗、長島茂雄の守備を語る!」まだ長島が現役の頃だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています