【達朗といえば、やっぱ】広岡達朗/廣岡達朗 その10
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>>226
>>227
80年代はやってたということか
らしい解説というか喋りみたいだね
聞いてみたかった 日本シリーズ行われた日の夜NHKで解説者とゲストつけて
長めのハイライト番組やってた。広岡出ている
昭和63年中日 vs 西武【日本シリーズ・第1戦 ハイライト】
https://www.youtube.com/watch?v=bpTVITBLxVo >>221
キモっ
この板で一番気持ち悪い自演スレ ググるとよく出てくる解説エピソードは
アナ「今のはファインプレーでしたね!」に対して
広岡「ファインプレーじゃありません。一歩目が遅いからギリギリのプレーになるんです」
というのがあるね ギリギリ伸ばして
やっとミット当てて弾いた打球でも
届くんならアウトにして当然と言うのが広岡流解説です うえでクモ男の話も出てるけど、
けっこうコーチ経験を考慮して広島戦の解説が多かったのかな。
1991年の大洋−広島戦の解説を思い出したんだけど、
広島の3番野村について、「監督の好みなんですかねえ」と。
遠回しに俺ならやらない起用と言ってるように感じる。
このあたりは毒舌も影をひそめて丸くなってたのかもw 広島県の出身だから。
同時期に同郷の鶴岡さんや広瀬もNHK解説だった。 クモ男のときも「広島には変わった人が多いんですよ」みたいなこと
苦笑いしながら言ってたな そうなのかな?
ロッテGM時代に広島とオープン戦やった時に
「うちはまだまだ。広島には勝てませんよ、広島の野手陣が理想」と敬意を表してた
もっとも当時の広島は、緒方、野村謙二郎、前田、金本、江藤、浅井と
長打もあり足も速い選手がゴロゴロいた >>230
NHK時代で印象に残っているのは、三塁転向して間も無い広島の江藤が平凡な三塁ゴロをド素人のようなおっかなびっくりでどうにか打球処理した際に、
冷たく含み笑いで「ま、こうやって経験する事で少しずつ上手くなっていくでしょうよ(冷笑)」と解説した事ですな。
アレ腹の中は煮えくり返っていたんだろうなw 王監督辞任の後に藤田ではなく、広岡が監督になっていたら、斎藤雅樹は内野手に転向になっていたかも。 江藤が顔面にゴロ当てて眼窩底骨折したときにも辛辣なコメントしてたな
ありえないみたいな 広岡だったらショート誰やってただろうな
岡崎と鴻野はやらせなかったと思うw やはり川相か勝呂、上田辺りだったんじゃね?
三人とも守備は一定以上の評価ながら打撃が弱い共通点がある。
広岡と藤田の野球観は割と近くて、内野守備は極めて重要視する一方、外野は打撃重視というか打てる選手を揃えとけば良いやみたいなとこがあって。
藤田の1990年シリーズでの原・クロマティ・吉村の外野布陣はよく知られているけど、広岡も1983年シリーズでDH制が使えない事情もあったけど、
大田・立花・テリーのザル外野で中畑に勝ち越し三塁打を許し、あわや日本一を逃すところだったし。
又、1985年は全試合DH制だったにも関わらず、センターにレギュラーシーズンで務める事が多かった守りの良い岡村では無く、田尾を起用していたし。
一方、阪神の吉田監督はレギュラーシーズンでは打撃の弘田、守備の北村の併用だった2番センターを、弘田を2番DH、北村を9番センターとする事で
双方を最大限生かした格好となったのがシリーズを制した重要なポイントともなったといえようかと。 金田は弘田を高く評価していて1974年当時にトレードに出せない選手として挙げたのは
村田・三井・弘田・有藤だった G+で昔解説してるの見ると守備でグラブに手袋してるのに辛辣やな。
曰く神経通ってない。素手で守れ!。 >>250
翌1986年(全試合DH無し)と記憶がゴッチャになっていたんじゃね?
攻撃的オーダーとして田尾がスタメンセンターの試合が1,5,7,8戦と4試合ある。
田尾の話だと1986年のシーズン前、新任の森監督から「秋山をセンターに回して三塁に清原を起用したいから、一塁に回ってくれ」と言われたのを、
「嫌です」と拒絶したそうで、左翼は前年からの金森、右翼は新外国人のブコビッチで固定されていた上に指名打者も右の大田、左の片平(一塁兼任)
と居た為、レギュラーシーズンから岡村、西岡と併用でセンターにつく事が多かった。
結局、翌シーズン石毛を三塁に回す事でようやく秋山のセンターコンバートが実現し、用済みとなった田尾は阪神V奪回の使者として移籍し、2番センター
に付いたものの。。。。。。。 モノ申す男、田尾。
尊敬します。
そういう人なんです。
中日、藤波がごねてトレードを拒否する中、この人はドラゴンスで一番
人気があるにも関わらず、選手会長として球団で物申したら、トレード。
西武森に、若手使うのわかるが私にもチャンス呉れと言ったらトレード。
阪神でも村山に意見したら、干される。
楽天監督も1年で首。明らかに三木谷の約束違反。
三木谷から相談受けた広岡さんは、田尾を残し、山本一義、八木沢、黒江などコーチを充実させたらと提案したら
ケチな三木谷は裏切って買いたたいた野村を招聘。 先月出てたnumberの野村が表紙の名将の言語学に99年川上広岡のインタビュー復刻が載ってたの初見だったんだけど、この二人って仲悪かったんじゃないの?この頃はもうわだかまり溶けたのか?広岡というより川上が邪険にしてたと聞いたが >>253
両者とも語った話だけど、広岡が広島コーチを辞した後川上宅を訪ね、他球団のコーチをやって自分の誤った所が分かったと御詫びすると同時に、広島では
次世代を担う若手が続々伸びてきてて、近い内に巨人を圧倒するまでになるだろうという事と、自身の今までの経験を活かして巨人のファームで燻っている
若手を鍛えるべく、私にファームのコーチをやらせてもらえないですかと問うたんよね。
川上は広岡の意見に納得しながらも、コーチ就任については反対者が居るとして断ったけど、以来会うと会話は交わす程度には修復していたみたい。 でも、その後に、83年巨人を倒して森コーチと優勝報告を川上にしに行ったら、
何で藤田に勝たしてやらなかったんだと言われ、憤慨したらしいけど。 >>254
253です。早速回答ありがとう。
両者の雪解けについては理解したが、広島退団後に監督退いてる川上にファームコーチ直訴のところがよく分からない。
当時は川上が巨人の総監督みたいな立場だったの? 広岡が広島を退団したのが71年オフで
川上が退任したのが74年だからまだ在任中だよ
川上も川上で含みを持たせて断ってるけど
単純にいつ不穏分子になるかわからん人物を入閣させるわけはないから
大人の断り方をしただけだね 巨人のOB界に長嶋が不参加で川上が苦言呈したときにも
「私が次は連れて来ますから」みたいな形で広岡が間に入ったっていう話もあった で翌年実際に長嶋が来たら「長嶋、長嶋」って大歓迎。
どんだけ来て欲しかったんだ。 ドン川上。毎年秋になる地、読売幹部、OBとゴルフをしながら、次期監督を決めてたらしい。
結局出てくる名前は、藤田だけだけど。主に長島解任、王解任を決めてたのか。 ドン川上。毎年秋になる地、読売幹部、OBとゴルフをしながら、次期監督を決めてたらしい。
結局出てくる名前は、藤田だけだけど。主に長島解任、王解任を決めてたのか。 >>253
あの時、すごく柔和な顔した二人が並んでる写真が載ってたなあ
復刻でも載ってた? >>261
読売幹部=務台だろ。
まだナベツネに力は無し、正力は務台に頭上がらない。 なんでそんなに力を持つかね。たかがブン屋が。分をわきまえなきゃいかんよ。 >>264
親会社の当時の名誉会長でそ(´・ω・`)
つうか終身名誉監督とか読売はこの手の肩書きが好き(=院政が生じがちな企業体質)ですな。 広岡は母校・早大の臨時コーチとかやったことあるの?
母校愛が強そうだしやっててもおかしくなさそうだが >>264
務台は販売の神様の異名だから読売に貢献大なんやろ。
ナベツネは政治畑で中曽根だったかな、でブレーンだのでのし上がったかと。
小正力は大正力の息子。 >>257
あぁ、ちゃんと両者の在任期間ちゃんと調べてませんでした。ありがとうございます
>>262
二人並んで笑顔の写真載ってましたよ 1988年オフに巨人の監督就任を要請されたが断ったと言っているな 王監督を支えるヘッドの話もあったな。
タブチ君の漫画に出そうだが、
建前で広岡「王の下でヘッドやりますよ」
読売「監督お願いします」
広岡「私が王を支えれば何とかなります。王はまだやれます」
読売「じゃあ、いいです」
広岡「えっ、いいの!!、コーチでもやるけど…」
ドン川上「藤田でよろしく!」 広岡推薦で打撃コーチに決まりかけてた長池もそれでポシャったんだよな
あの時あなたを監督にしておけば良かった、みたいなことが書かれた手紙を
ナベツネ直々にもらったとか後に広岡本人が語ってたが、
結講なところまで話進んでたようだね 川上に嫌われたはじめの出来事
練習中に
「川上の兄さ〜ん、それぐらいのボール取ってくれなきゃ〜駄目だな〜」 あんちゃんだな。広岡自身多人数の末っ子だったので、慕ったが、嫌われた
と鶴瓶のTVで言ってた。YouTubeに転がってるよ。
慕ったのに嫌われた。トホホだよね。この場合、年長の川上の狭量というか底意地の悪さがうかがえる。
広岡自身は意地悪なとこもあるけど、黒江をはじめ意外と面倒見がいいね。
あまり有能でない早稲田つながりの近藤あたりも抜擢してるし。 テレビ等では見掛けなくなったけど精力的にコラムや著書は出しているので、えらく元気なのでは無いかと。 >>275
選手時代の負広も買ってるしな。
S50年代の阪神は内野手の無駄遣いって解説しとる。 >>279
そのコラムは自身の自慢と他人への難癖に終始
まさしく、典型的な老害だよなw >原監督が巨人の監督通算勝利数で長嶋茂雄を抜いて歴代2位になった。
>1位の川上哲治さんの1066勝も視野に入ってきた。
>私が巨人の監督をやっていたらとっくに抜いている。
そこまで長期間はできない御方だよな、この人はw >>283
行く先々で敵を作りまくる広岡にはムリな芸当だな
どこかの段階で監督をクビになるだろうw そうだね
御輿は軽くてバカがいい
原なんかはその典型 腹がなんで勝てるかってね
余計なことしないからなんだよな
ある戦力で調子のよい選手だけ使っていれば
バカでも勝てるのが今の巨人だからな いくら有能でも すぐ空気悪くなるから長続きしないw そんなんだから、周囲には誰も寄り付かなくなってしまう
自業自得だよなw >>283
別に巨人の監督じゃなくたって川上以上に勝ってる人何人もいるじゃないの
何で広岡はそれぐらい長い期間監督出来なかったのか自分で考えてみたらいいのに この人ってリアル半沢直樹みたいなもんで、なまじ正論を吐くもんだから、上からも下からも結局は疎んじられちゃうって感じだよねw
只、良くも悪くも確固たる信念を持ってて、暴論も含めズバズバ言っちゃうタイプだから、マスコミ受けはする(評論家やジャーナリストとしては適任)わね。 >>293
打者転向後の雄平がヤクルト初優勝当時の著書を携え広岡を訪問、助言・指導を受けた、と言う記事があった
自分が生まれる遥か前のマイナー本を何故雄平が所持していたのか?
記事を読んで疑問に思った記憶がある 上にも下にもズバズバ言っちゃうと言う点では大沢親分なんかは明らかに広岡以上なんだけど、妙に愛嬌があるつうか、自身の間抜けさを一切隠そうともしない大らかさも
持ち合わせているから何か許せちゃうって感じで。
江夏が指摘したとされる件についても、例えば大沢親分の様な性格なら「バカヤロー、そんな俺みたいになって欲しくないから肉ばっかり食ってんじゃねえと言ってんだよw」
で済ませちゃう事柄では無いかと。 連投スマソ
https://www.youtube.com/watch?v=9cIfVJmqthY
広岡さん、持論通りヘッドスライディングはやってないな。駆け込んでる。
しかし、巨人は強い。これを映画フィルムでばらまかれると皆巨人ファンになっちゃうだよ。
ここで、水原巨人の3連勝4連敗のリベンジしっかりしたんだな。残念ながら哲だけど。 良くも悪くも人を区別せずにズバズバ言うから
尾花や工藤みたいな歳下世代からは敬意を持たれるが
年長者からは嫌われる
初の日本一の功労者なのにヤクルトのイベントに招待もしてもらえない
川上との確執も「あんな下手くそなファーストで野球ができるか!」と罵倒したのが根本にあるわけで 日本では、この作戦をやっていいチームと悪いチームがある
老害出てきたな 意味が解らんが 伝統どうこうで巨人はやっちゃいかんってやつか
堀内、伊原はこういう方向で否定 >>272
ドン川上は無関係もっと上から
オーナーの務台が藤田に直接出向き要請した第二期 もはや、伝統という悪しき風習に雁字搦めになっているのね 張本はネタにできる老害だけど広岡は笑えない老害というか
ただ嫌味なだけ >>308
先日も「菅野の年俸6.5憶は高すぎる。6,500万でいい」とか
週ベのコラムで老害発言のオンパレードだったからなw 第五戦の後
>ひとりカラオケ
当時の西武ナイン捨てゲーム誰も共有されず。。。。 >>313
あ、すいません。
85年のことかと思い込んでました。。。
この時83年と違ってチーム空中分解寸前だったんで。
85年は3戦前にカラオケ歌ってましたね広岡氏新地で >>254
当時、その次世代を担う若手だった、衣笠、三村が鬼籍に入り、ピーコも体調不良。そして、広岡はピンピンして、老害を撒き散らす。 >>304
老害は時として、意味の分からないことで平気で発狂するからね
広岡といい、チョンハリといい… ワンパターンな老害批判(おまえも老人だろw)がまた来たよ
キモ >>319
相手の年齢も分からないのにクソガキ扱いするのは認知症だね。
周囲にメイワクかける前に病院行ってどうぞ 川上に並んだ原に嫉妬心丸出しのコメントすると同時に嫌いな川上まで間接的にディスるとかほんとこの爺は老害だなw 週ベのコラムニスト一覧
広岡 張本 (野村) 岡田 デーブ 大島 川口 立浪 どこ行っても衝突するから老後はだれからも相手にされなくなったかわいそうな人 やったらやったで、実況アナや中継スタッフとまで衝突しそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています