76年には古賀正明が入団して最下位チームでも11勝を上げたんだから、東尾、加藤初、古賀の
三本柱が確立し、77年の永射、若菜の台頭があれば、優勝は無理無理無理でも、毎年、勝率5割前後はいけたはず。
2シーズン制だったし、江藤も監督専任で2年目、勢いで優勝に近づくだけでも、もっと客は呼べただろう。

76年は西沢が肝臓病、楠城が2年目のジンクスで大不振、片岡新之助が残っていれば
片岡-基-梅田-白で、白を除けばセンター・ラインの破綻はなかった。
勝ってる試合の終盤なら、加藤博か真弓を守備固めに起用できたはずだし。

江藤のお気に入りで、75年に出場試合が多かった真弓は、76年はほとんど二軍暮らしだったが
これは鬼頭に干されてたんかな。若菜は77年に永射と同じタイミングで一軍に昇格したから、
若菜の台頭で、片岡、楠城、西沢から一人、二人出して投手補強もできたのでは。