〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.27〓
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>517
マジ?堤が中村の顔立てたから
太平洋クラウンに似た筆記体を引き続いたの?
道理で似てるわけだ せっかく福岡ライオンズを西武が買ってくれて、延命してくれたのに、
なぜ一部西鉄OBで西武毛嫌いする人多いのか?晩年の三原御大でさえ身売り仕方ないし肯定的なのに...
他の西鉄OBはどう思ってるのか? 一部西鉄OBで西武毛嫌いする人多いのか?
例えば誰が毛嫌いしてるの? 若菜は西武のおかげで阪神に入団できたのに恩知らずな奴だな >>532
毛嫌いはしてないにしても、
福岡系OBと西武黄金期選手との距離感あるよな。仮にも堤がライオンズ買ったのに...。
仰木、稲尾は近鉄、ロッテ監督してたから、
広岡、森西武のライバルは仕方ないけど。
何故か知らないけど和田さんは黄金期西武で2軍監督、コーチしてたな。
埼玉移転した時点で辞めても不思議じゃないけど、移転後もコーチでライオンズも支えてって凄いよな。 西鉄太平洋OBが福岡で解説の仕事してると、
どうしてもホークス贔屓なっちゃうよな。
ただ、西鉄OBは球団はあるだけマジだろ。
名門阪急OBなんかもっと悲惨だぞ球団存続してるけど弱小ライバル球団との合併だぞ。名称も
弱小ライバル名やし。
阪急OBは仕事上阪神解説して阪神OB面しないといけないし。 滝内は根本監督時代まで西武に残って、監督が広岡に代わるタイミングで近鉄に行ったが、
当時の近鉄の関口・仰木といった西鉄OBのコーチとの関係かな? 近鉄はその世代の有力OBが他所に流出してたしね
関根は根無し草になっていたし児玉は三原の邪魔になるからと放逐された 関根潤三が近鉄を出されたのは高年俸ベテランを整理したかったからだろうけど後の指導者・解説者歴を考えるとトレードは本人の為になったな。
近鉄一筋で引退したら忘れられた存在になったかもしれない。
話を西鉄に無理やり戻すと、68年にかつての近鉄エース徳久を獲得しているが全く戦力にならずに解雇してるな。
近鉄監督に就任したばかりの三原は知名度あるけど問題がある選手をどんどん放出したそうだが
高木喬(こちらも不振のまま)らと合わせて西鉄が「掴まされた」のかもしれない。
ただでも戦力層が薄かったんだから黒い霧関係なく弱くなる一途だったな 近鉄は後に土井と永淵を放出したし、チームの主力をどんどん出してしまう傾向がある
土井はライオンズに来て、主砲として活躍し、指導者としても大成功したから、これでよかったのだろう
あのまま近鉄にいたら、西本監督とも合わなかったかも知れない 最新式の球場に超一流の選手達、日本シリーズ不敗の強さ
ソフトバンクホークスが福岡のファンを魅了し続けるのには理由がある
それが福岡から石持て追われたライオンズとの大きな違いだ それもあるけど
ダイエー時代に地元の商店街や競合のスーパーとかに
球団のロゴや名称を使用許可出したのも大きい。
皆のチームと地元経済界も一体になった。
ダイエーらしからぬ大英断
でも物凄いものも球団にもたらした。
おらがチームの現代版。
ライオンズの反省も生きたのだろう 関根や根本や別当らによる監視があったから小玉は選手としてはヤオっていない(と思う)が
彼らが退団した後の兼任監督時代に致命的な不祥事をやらかした >>542
今のソフバンは黄金時代西武と重なるな。
共に日本有数の大手企業。
そら、設備投資、待遇面、何もかも恵まれてし、
そら必然的に優勝するわ。
逆にオリックスは親会社恵まれてるのなぁ。 2軍の食事面も一時期ホークスはコンビニ弁当だったらしいから
その辺も工藤監督になってから変わっていったかと。
基本の身体づくり。
広岡監督の遺産だな。
そういう中遠征のたびに食事料を手渡され当時そんなに店も開いてない中
やりくりしていたライオンズ選手。
大変だったろう。
しかもシーズンオフは2軍給料無しとか。(9か月くらいの分割でもらってたとか)
それでも遅配だけは避けたらしいから金策は想像を絶するものだったかと。
球場の食堂に代金未払でお米が仕入れられなかったというエピソード
(カレーだけだったらしいがその米さえ仕入れられなかったらしい)
それほど財政は末期的だったと思う。 >>547
西鉄時代の加藤博一氏は、シーズンオフの時期は、魚河岸か、生鮮市場でバイトしていたそうだ。セリーグの阪神タイガースにトレードで、良かった筈。 加藤博一氏は福岡時代色々なバイトをやったと語っていた。
靴問屋の整理とかキャバレーの司会とかも。
あの話芸はそこでも培われていたかと。
バイトしながら先輩選手の家に泊めてもらったり一緒に練習したり
貧しいながらも楽しかった面もあったと語っていたような。
ウェスタンの盗塁王になってスイッチヒッターの練習を始めて
必死にプロで生き残る術を磨きながらチャンスを伺いブレイザー監督の目に
止まり(挟殺プレーの練習でランナー役でセーフに何度もなったのを)
出場の機会を。79年江川からホームランで注目。80年3割で一回燃え尽き症候群
トレードされ大洋で再度ブレイク。
TVとは違い裏ではストイックだったと。 加藤博一氏は福岡時代色々なバイトをやったと語っていた。
靴問屋の整理とかキャバレーの司会とかも。
あの話芸はそこでも培われていたかと。
バイトしながら先輩選手の家に泊めてもらったり一緒に練習したり
貧しいながらも楽しかった面もあったと語っていたような。
ウェスタンの盗塁王になってスイッチヒッターの練習を始めて
必死にプロで生き残る術を磨きながらチャンスを伺いブレイザー監督の目に
止まり(挟殺プレーの練習でランナー役でセーフに何度もなったのを)
出場の機会を。79年江川からホームランで注目。80年3割で一回燃え尽き症候群
トレードされ大洋で再度ブレイク。
TVとは違い裏ではストイックだったと。 博一さんはプロ野球ニュースではおちゃらけキャラでしたけど、解説者としては怠慢プレーや全力疾走を怠った選手には手厳しくて、試合前の練習中に当該選手に苦言を呈することもあったとのことですね。告別式で、博一さんに叱られたことのある選手、OBが参列していて、感謝の言葉を述べてたのを覚えてます。亡くなられるのが本当に早すぎました 亡き加藤初はケーキ屋、若菜は郵便局で郵便物の仕分け作業と、
オフは野球選手の身分も捨てて獅子奮迅した シーズンオフのバイト
竹之内は焼き鳥屋、永射が自衛隊
リアル「すすめ!パイレーツ」だな
そりゃ藤波行雄もトレードを拒否りたくなる 竹之内はNumberのインタビューで、
「福岡野球は選手に切符を売らせていた」と貧乏劇団みたいなエピソードを暴露していた それ本当なら竹之内も竹之内だな
市民に見放されてどうしようもない状態なんだから
自分らが飯食うためにも必要な事だろうに チケット買ってくださいよとお願いすれば、
またタニマチとの変な関係に結び付くと思うけど。 それはある程度年間予約席を【確保できている】球団だったら
その危険性も含んで言えるけど
最末期の福岡野球で年間予約席は坂井氏の談話だと
あの九州電力すら10席しか購入してもらえなかったらしい。
年間入場料のある意味確保する【予約席】がそんな状態。
なりふり構っていられない状況だったという事です。 >>551
フジテレビの『プロ野球ニュース』の、シーズンオフ企画で、DJ風のトークパフォーマンスを決めていた加藤博一さん・・・
あの時代は、まだ大洋フォエールズの選手だった筈。
話が上手いのは、この理由か・・・・ 「球団とは言えないような所でやってましたからね。選手に切符を売らせたり、練習に使うボールに事欠いたり。
まあ僕はフロントに対して割と言いたいことを言っていたので、嫌われていたでしょうね。
(中略)西武に身売りされた時も阪神にトレードされた時も特に感慨はなかったですよ。
結局は与えられた環境で必死でやるしかない、というのがプロでずっと生きてきた結果たどり着いた哲学のようなものだったから」
(『Number』1987年10月5日号「プレーにも、人生そのものにも体当たりしてきた男 竹之内雅史」) 雑誌が手元に無いんで、「西武に〜」以降の部分は記憶に頼った内容。原文とはちょっと違うかもしれない 竹之内選手を始めそういう当時の貧乏エピソードを見るに
本当に野球が好きでなければここで野球やってないな。お金だけではないものの
ある意味純真さも感じる。
あるスカウトは
ピカ一の好捕はどうせウチなんか来てもらえないから中堅どころの
伸びそうな埋もれているやつを狙っていたという。
それはそれでやりがいがあったという風にも言っていた。
野手ではある程度良い選手がそろいつつあった。
投手がそれには当てはまらなかったのだろう。(大黒柱となる投手が)
あの悲惨な財政の中後年名を遺す選手が何人も輩出してる点でそこは注目すべき クラウン時代のユニフォームって皆どう感じてたんだろう?
当時の自分だと
他のプロ野球チームに比べてかっこ悪いと地元でありながら
思っていた。
何か当時やっていたレッドビッキーズみたいなデザインに
ピンポンパン体操のお兄さんがしてそうな帽子デザインに見えた。
帽子ロゴもロッテに似てたし
(まぁ中村氏の影響も今となっては考えてしまうが)
赤というか何というか自分らが体操着で着ていた色に似ていてプロ野球の
球団が使うような色でもなかったように子供心見えた。
ビジターもアルファベットがテンコ盛りで????という感じ
でも、でも、地元の球団という事で好きになろうとして好きになって
身売り後にデパートでクラウンの帽子販売でもう一つ買ったりして
そういう思いがある。好きでないけど好きになろうとしたデザイン
阪急や阪神・巨人がダントツでカッコ良かった。
その前の太平洋の帽子も親が買ってくれたが帽子のロゴのLTが
漢字の女に見えて野球チームなのに女って書いてある。と言って絶句させた
あの帽子の色なんていうのだろう? >>564
俺も地元中の地元で児童だったが
クラウンの帽子ってクラスに一人いるかいないかくらいだったな。
朝礼に選手(練習生?)が来て素振りを見せてくれたり
多分節分の時だと思うが、神社でサイン入りのゴムボールを選手が投げてたのは覚えてる。 西鉄太平洋ファンって巨人ファン兼任なんか、
アンチ巨人どっち? あくまで私見だが(当時の子供時代の感じからすると)
地元として応援していたのがライオンズ
TVの向こうのヒーローとして応援していたのが巨人
という人が多かったのではと思う。
阪神ファンはその時はそんなにいなくて
例の江川ドラフト・空白の一日事件が起きて、田淵ー真弓・若菜トレードと
重なって一気に阪神ファンが増えたような気がした。
アンチ巨人 アンチ中央みたいな意識
小林投手に対する半官びいき
旧ライオンズ主力が移籍 が重なり。
巨人のやり方もどうかと子供心に思ったがそれで流れるように阪神に鞍替え
というのも何かなぁという気もあった。
ライオンズはファンではあったが遠くに行ってしまったなぁという感じだった。 新日本紀行「ライオンズが来た町 所沢の四月」
7月16日(木) NHK・BS4K 午後8時00分〜午後8時41分
昭和54年、埼玉県所沢市を訪ねた新日本紀行が鮮やかな4K映像に!
福岡から所沢に本拠地を移したライオンズ球団を町のシンボルにしようという
市民の期待が描かれている。
https://www4.nhk.or.jp/P5123/ 福岡野球(太平洋・クラウン)時代は、福岡ローカル局による公式戦のテレビ中継は
どれくらいあったか覚えてる人はいますか?
特にライオンズ主催試合の中継がどれくらいあったか興味がある クラウン時代
ハンセンって外国人いたな。
デービスはやらかし助っ人のイメージだったけど。
イマイチ印象が薄い。
どんな選手が覚えている方は >>751
なんとなくだが 8試合位 裏の後楽園巨人と比べて
平和台のナイターの光量が低く暗い感じがしたのを覚えている。
平日ナイターだと寂しいスタンドと応援団の太鼓の音が印象に残っている。
>>752
陽気な中南米の選手
練習中、守備練習をしているハンセン(一塁)に、友達が「へ〜イ ハンセン!」
と叫ぶと「へ〜イ」と返して 手をふってくれてた。 当時の平和台の良い思い出。
バックスクリーン裏にあったうどん屋
まる天うどんが美味しかった!!
親子で行って唯一買ってもらったフード。
球場の弁当も学生になって食べたけどイマイチ
すぐうどん買いに行った。
カープうどんが有名だが平和台のうどんも負けてないと思う。
例えて言うなら手作りのウエストのうどん麺にしっかり取った昆布出汁。
よく分からないか。。。 堤は西鉄色を消すけど、
福岡野球と中村オーナーの顔を立てた?
だからLionsの筆記体は引き継いだのか多分? 西日本パイレーツ強そうな名前なのに逆やね。
青森で藤本英雄にノーノーされるパイレーツ。
読売に圧力に耐えきれず西鉄と合併解散。
南村、平井を強奪。
西鉄クリッパーズ結成。
実業団の寄せ集めで弱い。西日本パイレーツと合併。パイレーツから関口、日比野獲得。
市民の公募てライオンズに。
前読売監督三原が西鉄ライオンズ監督に就任。 >>576
79〜81、87〜88年の平和台開催も 資金面で厳しいと言われていた福岡野球時代は、保護地域の福岡県
以外での主催試合(遠征)はやはり少なかったのだろうか
クラウン時代に鹿児島でやる予定だったのが桜島の噴火で
中止になったことはあったようだが >>579
熊本藤崎台73年から3,5,4,2,1試合
鹿児島鴨池78年3試合
松山市営78年1試合
(中止試合・他球団専用球場は含まず)
西鉄後半は61年那覇奥武山で2試合やったあと72年藤崎台1試合まで10年間無し >>581
Yahooニュースは消えるのが早いから、
週刊ベースボールONLINEの元記事を貼ろうとしたら、NGワードに引っかかったww ライオンズを九州に残すには、九州の有力企業が球団を買収するのがよいが、九州電力のような
公共企業はお金のかかる球団経営への了承を取るのが難しかったんだろうな。
西武のように、ワンマンな経営者がいて、その経営者が「球団を買う」と言ったらその通りに
できることが大切だ。
そのような企業を九州で探すのは難しかったと思う。 表向きはともかく本音では「不良債権を回収してくれて嬉しい」だっただろうね 前から思ってたけど、ホークス移転30年経つのに
西日本スポーツの西武担当って未だにあるの?
旧本拠地の名残かな? >>585
別に人気のライオンズ出て行ってから
地元ホークス来て
人気の巨人取り上げても不思議じゃ無さそうなのに
現在も申し訳程度に西武の記事あるから。 >>585
今も西日本の西武記事あるの不思議やな。 パイレーツ+クリッパーズ=ライオンズだからじゃないの?縁が切れたけど我が息子みたいな 西鉄夜行高速バス路線に西鉄ライオンズのロゴが描かれた車両があったな。 西鉄といえば宮地岳線の廃止の時もいろいろ酷かったな。
冷酷と言えるほどドライなのは企業体質なんだろな 西鉄は稲尾でさえトレードしようとした
さらに稲尾監督の願いを踏みにじって身売りに舵を切った 西鉄身売りの時
木本オーナー「九州財界が何をしてくれたってんだ」と激怒
進藤市長「何も相談なしに身売りした」と憤慨
いったいどうなってたんだという印象 そりゃ相談したからって何かしてくれるわけないのを十分知ってるからだろ >>594-595
西武への身売りの時もこんなだしな
https://news.livedoor.com/article/detail/7538976/
だが、当時当時球団社長兼代表だった坂井保之氏は反論している。
ライオンズは1972年、西日本鉄道が球団運営から撤退。球団は福岡野球株式会社、
チーム名は太平洋クラブライオンズに生まれ変わったが、平和台球場を所有していた市は、
ここぞとばかりに使用料を、これまでの6倍に値上げした。
1軍が遠征している際、2軍に球場を使わせることも認めなかった。
「球場は市民のもの。プロに独占させるわけにはいかない」と球団の要求を突っぱね、
「プロの野球会社なら、練習場のひとつぐらい自分で持つべきだ」と、けんもほろろに追い返した。
坂井氏は「球団を愛する気持ちがあるのなら、どうして早くから応援してくれなかったんだ」と
悲痛な声をあげた。 >>596
地元資本ではない福岡野球が地元から虐げられてたのは周知の事実だけど
地元資本の西鉄でさえ末期は無視されてたというんだから
もはや当時の福岡って球団置いたらダメな都市だったとしか言えん 初期の西鉄OB会は太平洋、クラウンはおろか、西鉄昭和40年代のOBすら入会を拒んでいた S30年代後半、当時の中島国彦部長が
「アサヒビール、東芝、ブリヂストン」と身売りの話をして
アサヒビールが一番条件が良く 5億を提示。(その後のインタビュー映像)
S52 西スポでは 同じ中島国彦氏の記事で
「東芝」で決定していた。
いずれにしてもアサヒビールか東芝に決まっていたのが
最後になって上層部が「西鉄」継続にこだわった。
タイミングを逃がしたとしか言いようがないな。 仮に東芝やアサヒビールが親会社になってくれても偏狭な福岡市民に余所者扱いされただろう
そう思えば買われなくてよかったと思う 高橋ユニオンズが創設されたときも、当初はアサヒビールが経営する予定だったから、
もともと球団経営への意欲は強かったんだな
博多に工場があるから九州とは縁が深かったのかも知れない >>408
あれ、第二次(白ユニベースに赤文字)だったから良くなかったと個人的に思う。第一次ユニ(西武黄金期にちょっと似てる)だったら違ったんじゃないかな。
https://i.imgur.com/bl1BNRC.jpg >>602
あれは短期間しか使わなかったホーム用のセカンドユニフォーム(カルビーコレクターの間では激レア品)をモデルにした全く別物の復刻ユニフォームだからな
素直に本来のビジター用を復刻すればよかったのに…… 太平洋クラブのクラシック
なんで馴染みのないあのユニフォームしたんだろうね???
違和感けっこうあったな >>603
あれセカンドユニフォームだったんですね!?
日々勉強、有難う御座います! >>549
中共がやってるウイグル人絶滅のお手伝いをやってるのがハゲ孫だからな。
私は中華系なんて大ウソこいて、実態は佐賀の朝鮮部落。
生身のウイグル人を殺して生き胆を取り出して臓器移植売買、
ウイグル人の位置情報を掴むために中共が使ってるのが、チョンバンク製のスマホや携帯w
えげつない商売やってやがるわ、あのチョン・ハゲとチョン・ハゲ支援のキチガイ・オタク。
米でウイグル人権法が成立 弾圧の中国当局者の資産凍結
2020年6月18日
https://www.asahi.com/articles/ASN6L3G38N6LUHBI005.html
>米の中国輸出規制、33社追加 ソフトバンク支援企業も…
今度は故郷のバカチョン恨島を経由して闇商売か?答えてみろチョン・バンクw しかしあの時代に2ndユニフォームを使うって思考、40年先を行ってたな
(同時期に南海もあったが公式戦じゃなくASとかオープン戦用だったらしい) そもそも八百長やる前から客足は離れてたんだからどこがやっても結果は同じだったはず
どのifでも行き着くところは変わらん ライオンズは福岡を離れて幸せになった
福岡はホークスのおかげで幸せになれた
福岡とライオンズは初めから合わない相手同士だったんだと思うしかないか むしろ一度ライオンズが離れていって失ってはじめて気づいたって感じなんじゃないの >>596
そら堤とコクドが黒歴史にするのも無理ないわ。
あとライオンズを何とか存続させた
中村オーナーと坂井氏に敬礼。 住民が積極的に球団を追放した他に例の無い都市だから比較になるものがない 福岡の住民がライオンズを追いだしたという事はない。
むしろ三位一体
行政、財界、市民がひとつになって球団を支える。
これがライオンズ末期には成り立っていなかった。
という事。
その辺を坂井氏は著書で訴えていた。 まぁ当時を少し知る者としては
ちょっと距離がライオンズとあったかも。
元々縁もゆかりもない中村氏や坂井氏がライオンズを必死に存続させようと
四苦八苦しているのとは対極的。
地元企業経営=おらがチーム
という現実を顧みない贅沢な悩みで斜にライオンズを見ていたような気がする。
嫁入りしてその家とギクシャクしてひっ迫して耐えられず飛び出して資産家の
家に嫁いだ。みたいな。 東芝は久留米出身の田中久重が創業したので
縁がないこともない。
球団と福岡市の不仲のとばっちりを身売りという形で受けてしまった。
一部のファンは低迷しても熱心だったが・・・
不思議なのは「福岡財界に力がなかった」という当時よく聞いたフレーズ
力がないのは、公共の大企業しかない福岡市であって
北九の「TOTO 安川 出光」筑後の「ブリヂストン」等があったではないか。 やっぱり新幹線開通が大きかったな博多は。
それまでは北九州がピカイチの都市だったし。
徐々に逆転していまは福岡市は大都市に。
その過渡期と福岡ライオンズが重なったのも不運だったな。
移動時間もしんどかっただろうし。。
博多から見れば北九州はよそ者が集まって大きくなった市というイメージ
ライオンズというより巨人ファンが多かったような印象。
福岡もまとまりなく一筋縄ではいかない事情もあったような気もします 「ライオンズの衰退は筑豊炭鉱の斜陽化が原因」と記されている事も多いけど
福岡市や福岡市民は炭鉱の影響はあまり受けずに、むしろ発展していたんだよな。
やはり市民が飽きたのがライオンズの経営低迷の最大の原因だろな 西鉄末期のユニをカラー写真で見たが、巨人を彷彿させる配色
(黒の文字にオレンジの縁取り)だったな
まさか意識したわけではないだろうが >>618
寧ろ職を失った炭鉱労働者が職を求めて福岡市内に集まる格好で、福岡市とその周辺の人口急増の要因ともなっている(同時期の札幌市も同様)。
大きめの地方都市に過ぎなかった福岡、札幌両市が急速に大都市化していった過程を調べてて分かった事だけど。
熱しやすく冷めやすい博多っ子気性に翻弄された末にライオンズが去っていったとの認識は、球団空白期の福岡市民も持っていた様で、
「ワシ等は弱い時期から必死に応援する広島市民の様な辛抱強さが無かった。ライオンズが弱くなったら皆チームを見放してしまった。」と
語っていたり。 >>619
当時の三原ヤクルトも巨人を意識した配色だったし、そこまで気にすることは無いと思う 黒い霧で最も得をしたのは木元オーナー
・眼の上のたんこぶが辞任したおかげで社長に就任
・不良債権(ライオンズ)損切りの口実ができた
・90過ぎまで長寿を全うする幸せな生涯 木本オーナーは、S20年代後半、平和台に照明設備を福岡市と交渉した担当者。
オーナー就任時
「本当に市民がライオンズを必要としているのか、様子を見る。だが1年で判断するのは無理だ」
ライオンズを再建する先頭に立つのでなく、市民に下駄を預けるやり方。
黒い霧後 1年は同情から応援してくれたみたいだが 負け続け泥沼に。
オーナーの案かどうか知らないが、ペットマークを変更したり、s46からファンブックを発売したりしたが
結局身売りを選択。
なぜか、相談役までずっと西鉄にかかわっていた。 球場へ応援に行かないから市民はライオンズを見放した。
と結論付けるのはどうかと思います。
実際身売りされた後も市民は大きく反応してたし
(前から身売りの報道は絶えずあったから寝耳に水ではなかったが)
やはり無くなってしまって。本当にそうなって存在の大きさや大切さを
実感したのだと思う。
その後何度か球団誘致の話がありながら破談になったのもライオンズの教訓が
生かされなかったのもあった。
それではいけないという事で若い世代の人が再度中心になって活動して
過去の反省もしっかりして行政・市民・所有企業が一体となって支えていく。
そういう位置づけで10年後のホークス誘致に結び付ける一因にもなった。
市民が追い出したのがもっともな原因ではないが大きな要因でもあった。
調子の良い時だけ球場に行くというのは本当の地元ファンの行動ではない
と一度身売りという痛い経験をして身に染みたのではないか?
と福岡の人の思いとして信じたい。 強くないと見ない、っての気質なんだから他の地域の輩にとやかく言われたくはないわ >>614
1977年のクラウン開幕前に、福岡市議会が「ライオンズに平和台球場を使わせるな!」なんて
公言したくらいだしな。「平和台球場は福岡市民のもの、プロ野球の独占場所ではない」
「プロ野球に貸し出すのなら、巨人のように満員が期待できる球団にだけ貸し出すべきだ」
みたいなことをのたまって、西スポの一面で扱われた。
その時の記事をコピーした奴を失念してしまったが、また図書館に行って
電子版をコピーし直してうpるわ。さすがに翌日、球団や一部市民から抗議が来て
「言葉足らずだった」とは言ったが、その福岡市議会議員は謝罪も撤回もしなかった。 >624
平和台に観戦に行くファンより、テレビの巨人戦を見るファンが多数派だったのは
福岡に限らず、日本全国の中都市以上全てで当たり前だった光景だしな。
セ・リーグの本拠地でさえ同じ状態。
・阪神-巨人@甲子園(55,000)
・阪神-広島@甲子園(2,000)
・中日-巨人@中日(後ナゴヤ/33,000)
・中日-大洋@中日(3,000)
・広島-巨人@広島(30,000)
・広島-ヤクルト@広島(1,000)
昭和40年代まではセもこんなもん。中日、広島がリーグ優勝して
巨人戦以外でも満員になる機会が増えた。阪神は昭和60年、
大洋/横浜は平成まで待たないといけなかった。 今の福岡球団は王を頂点にしたミニ巨人然として、かつて巨人を日本シリーズで倒しまくった
西武の人気主力OBを家来にしてる構図だから、無自覚にミニ東京、ミニ大阪してる
福岡人の多数派にとっちゃ最高の図式だろう。もう40代でも80年代の球団空白期は知らないし
だいたいパ・リーグが9人制野球だった時代を知ってる、実際に見てる世代は60代だからなw
「福岡で人気絶頂の西鉄を西武が横から強奪したニダ!」みたいな、バカチョン恨島人メンタルで
大嘘をこきまくる、大嘘デタラメを放電しまくってるアンチ西武の正体だよ。
こういう大嘘製造機は、マスゴミ会社にも多いからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています