━━━ 清原和博 18 ━━━
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>850
この後、ちょっとマトモ?になったのはどういう理屈なんだろうなw 野村は現役時代からエキセントリックなキャラだった上に
髭面で取材を受けていた時は酔ってただろ ◆1989年9月23日
平沼から左ひじに死球を受け激高。
平沼にバットを投げつけ、フライングヒップアタックをかます
しかし、逆にディアズにアームロックを決められた上に首投げされ、以後外人恐怖症に
◆1997年8月20日
藪の物怖じしない内角攻めにシーズン三度目の死球。
「今度来たら、(藪の)顔ゆがめたる」と、物騒な発言も。
藪からは『よけない人に当てても、なんとも思わない』と発言される
◆2001年9月18日
阪神ハンセルにぶつけられメンチ切るも、ハンセルに半笑いで手招きされると逃げた
仲間に囲まれてやっと元気に吠え出す
◆2003年5月25日
プロ初先発、20歳の横浜、東から前打席死球を受けていた清原はセンター前にタイムリーをはじくと
東を鬼の形相でにらみつけ、一塁に走りながら「ボケ〜ッ!」と絶叫。
◆2003年7月23日
広島デイビーに喧嘩を売るも、デイビーが応じると蒼ざめチームメートの到着を待つヘタレぶり
さらに後日、自分から和解を求めて謝罪するとデイビーには『彼まだやってるの?』と挑発され続けるが沈黙
◆2005年4月21日
500号HRのかかった試合、2アウト満塁で阪神藤川に変化球で三振させられると藤川を「チ○ポコついとんのか」
等と中傷その後の中日戦にて連夜の直球勝負に全く打てず
◆2005年5月6日
ホッジス(楽天)に死球を受けるも外国人恐怖症のため、すごすごと一塁へ
その後報復手段としてセカンド高須(楽天の希望の星)を度を越したダブルプレー崩しで怪我をさせる
◆2005年5月12日
対オリックス戦で頭部に死球を受け、鬼の形相で「謝れ」「こっちに来て、謝れ」とマウンドの山口に向かって雄たけびをあげる
◆2005年7月13日
痛め止めの座薬が効かずトレーナーに八つ当たり、トレーナー困惑
*「泥水を飲む覚悟で─」と臨んだ2005年であったが、規定打席到達者中最低打率に低迷し続け
7番に降格されるとHRの後のハイタッチを拒否。ぶんむくれてベンチでふんぞりかえる。その結果2軍落ちとなった。 清原がいたときの巨人は雰囲気悪そう
俺の野球離れはこれが原因だった 清原がいなくなった後も原がああいうスキャンダルに見舞われたり、野球賭博が発覚したり等あったのに
巨人の歴史の暗部、イメージの悪さを清原に押し付ける風潮は嫌いだわ
清原在籍中のビビる大木の例のファン感の話にしたって、大半の巨人選手は選民意識が強烈なイヤな連中の集まりって感じじゃん
大木と一応口をきいてはいた清原が相対的にはマシに見えるくらいだし >>848
もっとランニングしておいた方がよかったと言ってるように
自分の好きなバッティング練習はよくするけど
地味に疲れるトレは足りなかったんだろう 歯車が狂ったのは
松井がメジャーに行ってから。。。
ペタが来て
堀内が来て。。。 >>861
清原にとって松井は目の上のタンコブ的存在だったはず
若いが実力も野球に取り組む姿勢も上であり清原も高圧的な態度に出られない
それに若い松井に負けたくないというライバル意識が自制心を持たせていた
そういう緊張の糸が松井がいなくなったところで一気に切れて
崩壊に向かったということだろう 清原は松井を好きではあるだろ
最近イベントで野球少年から仲良い野球選手を聞かれて佐々木以外には松井の名を出してたり、松井がいた頃の巨人での生活は楽しかったとも言ってたみたいだし
マスコミは昔二人の不仲説を煽っていたけど、松井は仮に嫌いな相手でもそれをあからさまに表に出すキャラじゃないし、
たしか村田真一は「不仲の噂は嘘。ロッカールームでは二人仲良く話してる」と証言していた スポーツマンシップを感じた出来事。
リアタイで私の攻撃時に、ランナー暴走して本塁でアウトになってしまったんだけど、
その次の相手の投球が失投だったの。
もしかしたら偶然かもしれないけれど
その時はとてもそうは思えなかった。
素敵だなあと思いました。 清原和博 “引退後の黒番長”全貌を公開(2)「関係者も首をかしげる振る舞い」
ttp://www.asagei.com/excerpt/21234
「彼は08年の引退後、文化放送『ライオンズナイター』の解説者の一員となったものの、試合の日にすっぽかして
来ないということがあった。眠っていて起きられない、ということもあったようだ」
当然のごとく、清原氏は解説者から外されてしまう。
清原氏はスポーツ紙の評論家としても活動中だが、
「評論をするはずの球場に現れなかったり、試合途中に来たり、あるいは途中で帰ったりもした。
一時期は清原氏の担当者ですら何日も連絡が取れなくなったことがあったようで、これは危ないと判断し、
年間契約から本数契約に切り替えたと聞いている」(デスク)
オリックス時代の06年、清原氏はパチンコ、パチスロ機の開発企業「フィールズ」のCMキャラクターに起用された縁で、
引退後はフィールズの関連会社JMSに所属した。
ところが11年、清原氏は仕事として出演するはずだったパチンコ店のイベントを当日になってドタキャン。理由は「体調不良」だった。
さらには青年会議所のイベント、講演会、JRAのイベント‥‥と、次々キャンセルを繰り返し、補償問題に発展。
所属事務所は頭を抱えたものだ。
「元西武の後輩が清原氏の運転手として雇われていましたが、あまりにひどい行状に逃げ出してしまった。
当時、清原氏にはきわめて親密な関係にあったクラブホステスがいましたが、その後輩運転手は2人が宿泊するホテルの
ロビーでずっと待っているよう命じられていた。
夜チェックインして翌日の夕方まで出てこないのですが、その間ずっとです。
あまりにつらくて、『もう清原さんにはつきあいきれません』と言って、辞めてしまいました」 >>804
依存症は海外で研究が進んで
脳が快楽を覚えてより精神的に孤立してる人が罹る病みたいだな
清原は人に相談できないつまり援助希求能力がないんだよ
うつ病も自分で抱え込む人がなる病気
疲れない程度に野球関係の仕事をどんどんやらせた方がいいよ >>870
せっかく色々な人たちから紹介された野球関係の仕事の一部をドタキャンしたことで
信用を無くし自らのクビを締めたのは清原本人じゃないの? そろそろキメセクに心が、いや脳がうずく頃ですね
気持ち変えて息抜きしましょ
大丈夫、バレやしません キヨさんのメンタルはもう崩壊寸前
10月はジャイアンツから戦力外通告をされた時期で、
嫌でも思い出してしまいます。
11月はドラフトがあり、18歳の時の苦い記憶がよみがえります。
12月や1月はクリスマスやお正月など家族で過ごすイベントが多いので
家族と過ごせない僕にとってはつらい季節です。
カメラのフラッシュを浴びると薬物事件で送検される時の車の中で浴びた
ものすごい量のフラッシュを思い出して怖いです。 先日またまた逮捕された地下格闘技の拳月はなにか「北斗の拳」の初期に出てくる小悪党のような
感じだな。清原が慕う弘道会の連中も、拳月同様、いかにも悪人の顔してるよな。清原も悪党顔になった。
清原の失敗は「反社会の連中と付き合った」一点に尽きる。 安倍晋三も反社連中と付き合ってるからか第一次政権のころよりもかなり悪人顔になってるな
やっぱり人相に出るよな 数十年後、清原葬儀の時は棺をジャイアンツオレンジに染め上げ、「闘魂こめて」で送り出してほしい 清原は自分が死んだら桑田と佐々木のどちらに弔辞を読んでほしいんだろう? どうやら、海外には、記憶を消去したり、書き換えたりできる技術があって
それをうつなどの精神疾患に応用しようとしているらしいね
それがうまくゆくなら、根治する方法はあるわけだ
個人的には、治療法として確立するような気がするね 文章書くのもいいが、清原和博は、心理状態を絵にしたらいいのに
もちろん前衛で
カンディンスキーでもパウルクレーでもモンドリアンでもなんでもいい
薬への欲望と戦うときの心理状態、落ち着いているとき、うつうつとしているとき
などなどを、キャンバスに描いたらいいとおもうよ、正直に >>886
まじで?
消したい記憶を選んでとかできるのかな? >>888
まじだよ、まじ!
消したい記憶が選択できるかまでは、書いてなかったが
それも可能になるだろう。
記憶の書き換えのほうがかんたんかもしれんが
日本よりもアメリカなんかのほうが先進的な研究してるよ ・衣笠
1979年8月1日の読売ジャイアンツ戦、西本聖から死球を受け、
左の肩甲骨を骨折する重傷を負ってしまう。
しかし翌日の試合にも代打で出場し、江川卓のボールにフルスイングで
挑んで三球三振という記録を残した。
試合後には「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにスイングしました」
「それにしても江川君の球は速かった」とコメントしている。
衣笠が代打で打席に登場した瞬間、広島ファンのみならず、
巨人ファン・ベンチからも大きな拍手が起こった。
・キモ原カス博
横浜東の二打席連続死球に恫喝(ただしまったくよけていない)、その後タイムリーに
『ボケーッ!ボケッ、見たかァ!!』と大興奮して塁上でガッツポーズ
当時の客は語る。「俺達はプロレスを見にきたんじゃない。」
ロッテ平沼のきわどいボールに投手にバットを投げつけヒップドロップ、
しかし、逆にディアスに首投げされ、以後外人恐怖症に
阪神ハンセルにぶつけられメンチ切るもハンセルに半笑いで手招きされるとへたれる
仲間に囲まれてやっと元気に吠え出す
藪の物怖じしない内角攻めに三度の死球。指三本を立てながらすごむも
『俺これでも三億もうてんねんぞ』と自慢されてるのかと思いましたと藪にかまされる
また『よけない人に当てても、なんとも思わない』といたいところを突かれる 清原の全本塁打のDVDたまに見てる。
やはり90年は状態がいいね。
インサイドのボールにスムーズにバットが出てる。
西崎からの開幕ホームランなんか特にそう。 >>891
逆に93年のフォームはダメだな
構えが大きすぎて外しか打てなくなってる
92年後半は好調だったのに何であんなフォームに変えたんだろう
フォームいろいろ変えすぎて元々の良さが消えていった感がある
同じ年でもワンステップの時もあればツーステップの時もあるし、迷いが常にあったんだろうな 清原和博が西武時代に起こしたパーティ疑惑全貌(2)マウイキャンプで大暴れし…
ttp://www.asagei.com/excerpt/53452
当時の状況を知る、球団関係者が重い口を開く。
「パーティで高揚感を得た清原が部屋を破壊しだしたんですよ。
騒動後の部屋を見た関係者によると、壁一面が無残にもボコボコで、
手当たりしだいに物でも投げつけたような跡だったといいます。
制御が利かなくなった清原は、しまいにホテル敷地内の池に飛び込んで、
コイを手づかみしようと暴れ回ったんです。
プリンスは身内のホテルですが、さすがに収拾がつかずポリスを呼ぶ
事態にまで発展してしまいました」
シラフでないのはもちろんだが、酒で泥酔したものとも思えないほどに
危険な大立ち回りだったというのである。
「疑われたのはマリファナ(大麻)パーティですよ。現地の警察が入って現場検証もした。
それで、軽犯罪とはいえ、逮捕するしないという話にまでなったんです。球団は慌てました。
当時はトラブル処理の担当者がいたので、もう亡くなった担当者と
当時の渉外担当などが穏便にコトを収めるために奔走し、罰金刑にはなったものの
表には出なかったそうです。
とはいえ、壊された壁の修理など、現地のホテルスタッフは事後処理も大変だったと聞きます」
(前出・球団関係者)
よもや親会社のホテルを破壊するとは前代未聞だが、一方で、
現場がプリンスだったからこそ醜聞が露呈しなかったのだろう。
清原容疑者といえば女性スキャンダルが絶えなかったが、
西武時代には全国各地のプリンスに連絡を入れれば、
女性とチェックインする際に裏口から誘導するシステムで
守られていたという話もあるほどだ。 1990年は調子が底のときにシーズン終了したから数字の見栄えが悪くなった。
優勝決定時、タイトルはとれなくても.315、40本、100打点行くペースで打ってたのに。
落合も言ってたけど途中までの経過よりも最終的に残った数字が大事。
何年も経ったら途中の数字なんて後世に残らない。 まぁ当時の清原の勢いからいったら1990年の数字なんて軽く更新すると思ってたけどまさかあの年がキャリアハイになるとは・・・ チンピラ丸出しの格好で
原監督に会いにいった時はワロたな >>895
そうかね
長嶋とかなんか途中結果の人間じゃん
成績よりインパクトで神格化してる >>902
本塁打王2回首位打者6回打点王5回
これで守備も上手いのに成績にインパクトないは無理があるだろ
どこかの無冠の帝王と違って 清原逮捕後の最初に取材されたときどう見てもおかしかったけどよく捕まらなかったな >>912
田代も9年でようやくだし 完全に裏がとれんと逮捕までいかんだろ ああゆう大物は特に >>915
ライバル、チームメイトが王貞治だということを忘れてはいけない 清原は西武末期にすでに挙動不審だった
長嶋がほしがったのかもしれないが、もっとよく調査すべきだった 長嶋は清原を積極的には欲しがっていない
ただし清原獲得後、清原に対する球場の声援が松井をも凌ぎ且つ異質なのを目の当たりにして
「(清原が登場すると)地鳴りがするんですよ」と言って清原を目に掛けるようになったという話は聞いたことある
長嶋は勝つこと以上にファンを重視する人だったから 広沢が使い物にならず、落合がもう歳だったから
清原のような右の大砲がひとり欲しいという当時のチーム状況は理解できる
巨人がファンに呆れられたのはマルチネスや江藤を獲ったあたりからだろう 96年秋に清原を欲しがっていたのは阪神。
清原がもし阪神入りした場合に巨人戦で打ちまくられるのを警戒したんじゃね? >>925
規律のゆるい阪神なら清原はもっと増長して堕落も早かった
タニマチに甘やかされ勘違いに拍車がかかり不摂生も祟って、選手寿命は現実よりも短いものとなっていた
新庄・清原・桧山の100三振トリオは野球ファンから嘲笑の的となり、在阪マスコミからはボロクソに叩かれた 当時から阪神は打撃弱かったしイチローの居るオリックスに人気取られた感じだったから清原欲しかったんだろう。
清原が巨人入りした97年に確か桧山と新庄が2人がかりで300三振してたな。
2人とも清原には三振の数で勝てなかったが 「清原は阪神なら.222、22本ぐらいで十分4番や」
って月亭八方が言ってたな 清原ってFAの権利を取得して即宣言じゃなくて何故一年後にしたのですか?
憧れの巨人に一年でも早く入りたいだろうに 清原和博 “薬物底なし沼”と“あふれ出る女性遍歴”(3)購入ルートのある女性の家を直撃すると…
ttp://www.asagei.com/excerpt/53514
「医局では医師や看護師に向かって明るくワイ談をしてきます。そればかりか、
院内で局部の剃毛まで処置していたんです。
何でも相手の女性に隆起した自慢のシンボルを毛が邪魔にならないように見せつけて喜んでいたと。
夜も4番の強打者だと証明したかったようです。
さらには『本当は真珠も入れてみたい』とバットの強化まで熱望していましたが、
さすがにアソコにメスを入れるのは怖かったようで、手術には至らなかった」
野球人たるもの、いついかなる時でも“バット”の手入れは欠かさないとでも言いたいのか‥‥。
「メディアには番長などと呼ばれていたけど、自分が交際するホステスが他の客に接客しているのを見ると
『何やアイツ!』とイライラするような意外に懐の狭い男だった。
それでも、ヤクザ親分風にビシッと決めたスーツ姿のたたずまいと白い歯を見せた笑顔のギャップに独特のオーラがあって、
ホステスにはモテモテだった。引退後も変わらず美女を次々とものにしていた。
実は、テレビの共演者も何人かキメセクで堕としていたようなんですが、まだ若いモデル上がりの美女タレントも
毒牙にかかったというんです」 >>931
>>406あたりが真相
95年が不本意だから優勝してスッキリFAしたかったが叶わず
清原退団翌年に優勝という皮肉 チームの足を引っ張る疫病神・キモ原カス博
がいなくなった途端に連覇した西武
西武
1995 3位
1996 3位
キモ原巨人へ移籍
1997 1位
1998 1位
チームを腐らせるクズ野郎・キモ原カス博が
来た途端に前年優勝からBクラスに転落した巨人
巨人
1994 1位
1995 3位
1996 1位
キモ原巨人へ移籍
1997 4位
1998 3位 >>2
少なくともジャイアンツ移籍以降は覚醒剤やりながらだからもう全ての記録やエピソードを抹消すべき。
こんな口だけのシャブ頼みの番長なんか球界には不要。
早く消えればいいのに。
本当に清原は気持ち悪い。 FAができたときは最年少で資格取得する清原は超目玉選手なんて言われてたけど95、96年で価値が暴落した。 清原と絶縁して巨人ヘッドコーチまで登り詰めた元木
ヘタに清原をかばっていたらいまの地位はなかったな 清原和博は、書道が得意だったような・・・すきだったよな、書道?
彫刻的など書、デザイン的な書、抽象画てきなもの、伝統的なもの
多彩だな。。
自分の気持ちを黒と白の世界で表現しつづてみればいい、とくに、薬がほしくてたまらないとき
は正直にそれをぶつけてほしい。このひとは内省的になることも大事だが、意義のある方法で
発散と収束をすることはもっと必要だ。 もう、じぶんのしたことは事実、だから悔しがりなさんな。
今の自分ー制限された世界ーで、どうやって精神をよい意味で飛翔させるか、考えろよ?
今の世の中、みんな苦しみながら生きている、例外はない。
黒と白で、をどうぞ お見舞い
https://www.youtube.com/watch?v=1wMjzy5szC8&list=RD1wMjzy5szC8&start_radio=1#t=4
https://www.youtube.com/watch?v=Ab6H-ul3Q5w
https://www.youtube.com/watch?v=1wMjzy5szC8&list=RD1wMjzy5szC8&index=1 3人の天才だってものすごく苦しんだ(でいる)のだ。
アルゲリッチだって、大病(黒色腫)で死にかけた
ポゴレリッチだって、妻の死後、ひとがかわってしまった。
人生は、かならずしも、自分の思ったようにはいかないですから(ポリーニ) 「清原和博」というネームにたかるイナゴのような卑しいやつからは離れろ、
人間としてのキミを心配し、見捨てない人はもういるだろう?その人たちのためにいきるんだよ!
当分来ないから最後にこれもはっとくね。これだけ、これだけなんだよ、まともな人があなたに求めるのは。わかるか?わかるなら、まだ希望あるね。
If I can stop one Heart from breaking
誰かの心が壊れるのをとめられるなら
詩: ディキンソン (Emily Elizabeth Dickinson,1830-1886) アメリカ
If I can stop one Heart from breaking
If I can stop one Heart from breaking
I shall not live in vain
If I can ease one Life the Aching
Or cool one Pain
Or help one fainting Robin
Unto his Nest again
I shall not live in Vain
#919
誰かの心が壊れるのをとめられるなら
私は無駄には生きていないのだろう
誰かの人生の苦痛を癒し
痛みをやわらげられるのなら
気を失った駒鳥を
その巣に戻してあげられるのなら
私は無駄には生きていないのだろう
薬物報道後も逮捕有罪判決後も清原と付き合いを続けた小田は本当に清原を慕ってるのね 清原和博 “薬物底なし沼”と“あふれ出る女性遍歴”(2)亜希元夫人と結婚した後も…
ttp://www.asagei.com/excerpt/53510
「14年に週刊文春でシャブ疑惑が報じられ、その後、まもなく夫婦は離婚しましたが、
それ以前から清原には親密な関係にある銀座ママ・Aさんの存在がありました。
現役引退し、評論家としてデビューした09年にはキャスターとして訪れた
モナコグランプリにAさんを同伴し、不倫旅行が報じられた。
年上のAさんは暴力団関係者との交流が深く、ヤクザに強い憧れを抱いていた清原とは
相性が抜群だったようです」(ベテラン芸能記者)
美人妻と2児をもうけながらも家庭人には収まりきらない。
シャブを家庭に持ち込みたくなかったからなのかは定かでないが、自業自得と言えばそれまでで、
清原容疑者と亜希夫人の夫婦関係は早々から冷えきったものだったという。
清原容疑者は糖尿病、左膝の故障など複数の持病を抱えていたため、
都内にかかりつけの病院があったのだが、事情を知る病院関係者が驚愕の証言をする。
「信頼しているから口が軽くなるのか、結婚生活が継続していた当時、
清原はその病院で家庭の不平不満を爆発させていたことで有名なんですよ。
現金を持たされていないため支払いはカードばかりだったことに納得がいかず、
奥さんの愚痴をよくこぼしていた。
そればかりか、デリケートな奥さんの体形の話題まで持ち出して、
『アイツはケツが小さいんや。ちっともよくないわ』と吐き捨てるように言い放っていたんです。
それでも愛の結晶である、子供ができたことを諭されたんですが、
『どうしても子供が欲しいと言うから2発ヤッただけや。そしたら全部大当たりしよった。
アイツの的中率はホンマにスゴイわ』と医局でゲスな暴言を堂々と吐き捨てていた」 デストラーデやおかわりみたいに状況考えずにホームランばかり狙ってる選手が嫌い 清原はおかわりをあまり評価していなかった記憶はある 1990年オフのプロ野球ニュースの企画でフジ系以外の解説者も沢山呼んでやった座談会で
清原は三冠王になれるかという話題になった時、青田昇が清原は好機に素直にセンター前に弾き返すPL時代からのクセがあるので3つは取れないじゃないのかと話していた レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。