━━━ 清原和博 18 ━━━
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清原が抜けて優勝した西武
97年、清原が巨人に移ると、西武はそれを待っていたかのように優勝し、前年優勝の巨人は4位まで落ちた。
東尾西部が若返りに成功し優勝したのは、「チームワークを乱す清原がいなくなったからだ」と言われた。それを
聞いて、清原はどう思ったろうか。
西武はすでに清原後を視野に入れ、5カ年計画をつくってチームづくりをしていた。計画のスタートは彼の力が
極端に落ちた93年からだ(この年のドラフトで、1位石井貴、3位松井稼頭央、94年に2位小関竜也、3位西
口文也、4位高木浩之を指名している)。
97年の成功はそのモデルチェンジ策が実ったもので、日本シリーズで対戦したヤクルト野村監督が「短いあい
だによくもこれだけチームを変えられたもんや」と関心するほどだった。
清原の代わりに四番に入った鈴木健は打率・315をマークした。96年、清原が得点圏打率・248とチャン
スに弱い四番だったのに対し、鈴木のそれは・375だ。
四番清原が改革をはばんでいたことが証明されてしまった。
清原が入った巨人の関係者はチームワークへの影響を心配した。巨人にも西武とのさまざまなルートがある。そ
こから伝わってくる情報は「清原はチーム(西武)ですでに浮いていた。練習も勝手気ままなので、首脳陣も手を
焼いていた」というものだ。
フロントは「さぼり病が若手選手に伝染するのではないかと心配した」のだが、「ウチには猛練習の伝統があるか
ら、それはないと思う」と気を休めた。
このとき、巨人には監督の長嶋のほか、コーチ陣にヘッド格の堀内恒夫、守備総合の土井正三、外野守備走塁の
高田繁と巨人のV9戦士がいた。彼らは清原を「一から鍛えなおす」つもりだったが、実際に清原を見ると、29歳
の身体は「ボロボロで、鍛えようにもそのための体力がなかった。ノック一つするにしても、肉離れを心配しなけ
ればならなかった」から、満足な練習もさせられなかった。清原もそれをいいことに、巨人式トレーニングを拒否
して、身体づくりに打ち込むふうでもなかった。
清原は西武で、なにをしていたのだろう。 清原は逮捕されるまで何年くらい覚せい剤を使用していたのかね?
実は巨人在籍時から10年以上使用していたのかもしれない。
10年使用していたのなら、脳へのダメージは相当あるだろうから
10年は覚せい剤をやりたいという欲求と戦い続けることになる。 >>813
落合は講演しまくって1億くらい稼いでるわ普通にw
落合クラスだったら1回数百万やろ >>817
GMとして大失敗してローカルぐらいしかテレビに出られない落合に
そんな金払うとでも思っているのか、1億は貰ってないだろう >>818
三冠王3回の実績とGMでの仕事内容しゃべるだけで十分、講演成り立つわw ノムさんの講演料は1回300万円。
これを最盛期には年間160回もやっていたからね。
単純計算年収5億。監督やるより儲かるわな。
落合なら野村と同格以上だしね。
清原もやる気になればこのくらいは稼げるな。
ネタには事欠かないし。 清原が理路整然と話ができるようにトレーニングをして、
講演会をすっぽかさずやり続けることができればな。
今までコンスタントに仕事をやり続けることができなかった、
それをバカにしていた節がある清原にできるとは考えづらい。 引退後の解説や講演会のドタキャン連発は今思えば覚醒剤の影響もあるのかな?って気はする
覚醒剤は元気の前借りで、効いてるうちはハイで眠気も来ないけど、効果が切れるとかなりの長時間眠り込んでしまうみたいだし >>821
自分も稼いでたにせよサッチーがその3倍のペースで消費してたけどなw 清原スレで野村って見ると克也か貴仁か一瞬で判別できなくなったわ いずれ又捕まるんなら
今のうちに捕まっといた方がいいんじゃないの? 執行猶予中につかまると、前の罪が加算されるんじゃないのか 清原って「高校1年時の上級生のしごきは強烈だった」と言うが具体例は言わないな。
黙りとおすようだ。
ただ清原はよく「清水(捕手)さん」とか「朝山さん」とは発音するが「加藤さん」と発音したとこ一度も
見たことないな。PL〜早大〜近鉄のエリートなのに。加藤にいまだ恐怖を抱いてるのであろうか? 日本シリーズで西武と対戦した時の清原は大はしゃぎ
西武を打ち負かして心の底から嬉しそうにだった お前んとこの電気屋から電球買ったらつかへんかったで
↑こんな感じのヤジが一番ヘコんだって言ってたなw 清原和博
「ワイがおかしくなったのは西武に入ったから!すべて西武が悪い!」 西武時代の清原は別に練習の手を抜いてたわけではないらしい
遊びは派手だったにしろ当時の野球選手は朝まで飲むのが普通であり、
結果が出ていたわけだから先輩と同じことをしても慢心にはならんだろう
それなりに頑張っていたのにやたら慢心とか言われてるなら逆に不憫だよな 清原には覚せい剤という需要があるからな 戻った清原がバカ どうせまた捕まる >>839
清原が手を抜いていたかどうかは知らないけど、ライオンズ時代の最後の2年は
20代後半にしてコンディショニングできていないのが明らかだったけどね。
成績も次第に悪化していたし。
朝まで飲むのが普通といっても限度というものはあるはず。 94年前半好調の理由を聞かれ「今年は体調がエエんや」
93年は後半に体調崩して成績が急降下
落合にも言われてたけど野球で飯食ってる自覚がないんだろうなあ 多分、不滅の記録
高卒デビューから13年連続23本塁打以上 >>843
その辺は結局わからない
清原が特にサボってたエピソードはないし本人もそんな話はしていない
体型デブデブだったとかならわかるけどね 高橋由伸も清原はよく練習するって言ってたっけ
清原と野村貴仁の発言で共通してるのは「巨人の練習って(自分が前に所属していたチームより)ぬるくない?」って話 >>850
この後、ちょっとマトモ?になったのはどういう理屈なんだろうなw 野村は現役時代からエキセントリックなキャラだった上に
髭面で取材を受けていた時は酔ってただろ ◆1989年9月23日
平沼から左ひじに死球を受け激高。
平沼にバットを投げつけ、フライングヒップアタックをかます
しかし、逆にディアズにアームロックを決められた上に首投げされ、以後外人恐怖症に
◆1997年8月20日
藪の物怖じしない内角攻めにシーズン三度目の死球。
「今度来たら、(藪の)顔ゆがめたる」と、物騒な発言も。
藪からは『よけない人に当てても、なんとも思わない』と発言される
◆2001年9月18日
阪神ハンセルにぶつけられメンチ切るも、ハンセルに半笑いで手招きされると逃げた
仲間に囲まれてやっと元気に吠え出す
◆2003年5月25日
プロ初先発、20歳の横浜、東から前打席死球を受けていた清原はセンター前にタイムリーをはじくと
東を鬼の形相でにらみつけ、一塁に走りながら「ボケ〜ッ!」と絶叫。
◆2003年7月23日
広島デイビーに喧嘩を売るも、デイビーが応じると蒼ざめチームメートの到着を待つヘタレぶり
さらに後日、自分から和解を求めて謝罪するとデイビーには『彼まだやってるの?』と挑発され続けるが沈黙
◆2005年4月21日
500号HRのかかった試合、2アウト満塁で阪神藤川に変化球で三振させられると藤川を「チ○ポコついとんのか」
等と中傷その後の中日戦にて連夜の直球勝負に全く打てず
◆2005年5月6日
ホッジス(楽天)に死球を受けるも外国人恐怖症のため、すごすごと一塁へ
その後報復手段としてセカンド高須(楽天の希望の星)を度を越したダブルプレー崩しで怪我をさせる
◆2005年5月12日
対オリックス戦で頭部に死球を受け、鬼の形相で「謝れ」「こっちに来て、謝れ」とマウンドの山口に向かって雄たけびをあげる
◆2005年7月13日
痛め止めの座薬が効かずトレーナーに八つ当たり、トレーナー困惑
*「泥水を飲む覚悟で─」と臨んだ2005年であったが、規定打席到達者中最低打率に低迷し続け
7番に降格されるとHRの後のハイタッチを拒否。ぶんむくれてベンチでふんぞりかえる。その結果2軍落ちとなった。 清原がいたときの巨人は雰囲気悪そう
俺の野球離れはこれが原因だった 清原がいなくなった後も原がああいうスキャンダルに見舞われたり、野球賭博が発覚したり等あったのに
巨人の歴史の暗部、イメージの悪さを清原に押し付ける風潮は嫌いだわ
清原在籍中のビビる大木の例のファン感の話にしたって、大半の巨人選手は選民意識が強烈なイヤな連中の集まりって感じじゃん
大木と一応口をきいてはいた清原が相対的にはマシに見えるくらいだし >>848
もっとランニングしておいた方がよかったと言ってるように
自分の好きなバッティング練習はよくするけど
地味に疲れるトレは足りなかったんだろう 歯車が狂ったのは
松井がメジャーに行ってから。。。
ペタが来て
堀内が来て。。。 >>861
清原にとって松井は目の上のタンコブ的存在だったはず
若いが実力も野球に取り組む姿勢も上であり清原も高圧的な態度に出られない
それに若い松井に負けたくないというライバル意識が自制心を持たせていた
そういう緊張の糸が松井がいなくなったところで一気に切れて
崩壊に向かったということだろう 清原は松井を好きではあるだろ
最近イベントで野球少年から仲良い野球選手を聞かれて佐々木以外には松井の名を出してたり、松井がいた頃の巨人での生活は楽しかったとも言ってたみたいだし
マスコミは昔二人の不仲説を煽っていたけど、松井は仮に嫌いな相手でもそれをあからさまに表に出すキャラじゃないし、
たしか村田真一は「不仲の噂は嘘。ロッカールームでは二人仲良く話してる」と証言していた スポーツマンシップを感じた出来事。
リアタイで私の攻撃時に、ランナー暴走して本塁でアウトになってしまったんだけど、
その次の相手の投球が失投だったの。
もしかしたら偶然かもしれないけれど
その時はとてもそうは思えなかった。
素敵だなあと思いました。 清原和博 “引退後の黒番長”全貌を公開(2)「関係者も首をかしげる振る舞い」
ttp://www.asagei.com/excerpt/21234
「彼は08年の引退後、文化放送『ライオンズナイター』の解説者の一員となったものの、試合の日にすっぽかして
来ないということがあった。眠っていて起きられない、ということもあったようだ」
当然のごとく、清原氏は解説者から外されてしまう。
清原氏はスポーツ紙の評論家としても活動中だが、
「評論をするはずの球場に現れなかったり、試合途中に来たり、あるいは途中で帰ったりもした。
一時期は清原氏の担当者ですら何日も連絡が取れなくなったことがあったようで、これは危ないと判断し、
年間契約から本数契約に切り替えたと聞いている」(デスク)
オリックス時代の06年、清原氏はパチンコ、パチスロ機の開発企業「フィールズ」のCMキャラクターに起用された縁で、
引退後はフィールズの関連会社JMSに所属した。
ところが11年、清原氏は仕事として出演するはずだったパチンコ店のイベントを当日になってドタキャン。理由は「体調不良」だった。
さらには青年会議所のイベント、講演会、JRAのイベント‥‥と、次々キャンセルを繰り返し、補償問題に発展。
所属事務所は頭を抱えたものだ。
「元西武の後輩が清原氏の運転手として雇われていましたが、あまりにひどい行状に逃げ出してしまった。
当時、清原氏にはきわめて親密な関係にあったクラブホステスがいましたが、その後輩運転手は2人が宿泊するホテルの
ロビーでずっと待っているよう命じられていた。
夜チェックインして翌日の夕方まで出てこないのですが、その間ずっとです。
あまりにつらくて、『もう清原さんにはつきあいきれません』と言って、辞めてしまいました」 >>804
依存症は海外で研究が進んで
脳が快楽を覚えてより精神的に孤立してる人が罹る病みたいだな
清原は人に相談できないつまり援助希求能力がないんだよ
うつ病も自分で抱え込む人がなる病気
疲れない程度に野球関係の仕事をどんどんやらせた方がいいよ >>870
せっかく色々な人たちから紹介された野球関係の仕事の一部をドタキャンしたことで
信用を無くし自らのクビを締めたのは清原本人じゃないの? そろそろキメセクに心が、いや脳がうずく頃ですね
気持ち変えて息抜きしましょ
大丈夫、バレやしません キヨさんのメンタルはもう崩壊寸前
10月はジャイアンツから戦力外通告をされた時期で、
嫌でも思い出してしまいます。
11月はドラフトがあり、18歳の時の苦い記憶がよみがえります。
12月や1月はクリスマスやお正月など家族で過ごすイベントが多いので
家族と過ごせない僕にとってはつらい季節です。
カメラのフラッシュを浴びると薬物事件で送検される時の車の中で浴びた
ものすごい量のフラッシュを思い出して怖いです。 先日またまた逮捕された地下格闘技の拳月はなにか「北斗の拳」の初期に出てくる小悪党のような
感じだな。清原が慕う弘道会の連中も、拳月同様、いかにも悪人の顔してるよな。清原も悪党顔になった。
清原の失敗は「反社会の連中と付き合った」一点に尽きる。 安倍晋三も反社連中と付き合ってるからか第一次政権のころよりもかなり悪人顔になってるな
やっぱり人相に出るよな 数十年後、清原葬儀の時は棺をジャイアンツオレンジに染め上げ、「闘魂こめて」で送り出してほしい 清原は自分が死んだら桑田と佐々木のどちらに弔辞を読んでほしいんだろう? どうやら、海外には、記憶を消去したり、書き換えたりできる技術があって
それをうつなどの精神疾患に応用しようとしているらしいね
それがうまくゆくなら、根治する方法はあるわけだ
個人的には、治療法として確立するような気がするね 文章書くのもいいが、清原和博は、心理状態を絵にしたらいいのに
もちろん前衛で
カンディンスキーでもパウルクレーでもモンドリアンでもなんでもいい
薬への欲望と戦うときの心理状態、落ち着いているとき、うつうつとしているとき
などなどを、キャンバスに描いたらいいとおもうよ、正直に >>886
まじで?
消したい記憶を選んでとかできるのかな? >>888
まじだよ、まじ!
消したい記憶が選択できるかまでは、書いてなかったが
それも可能になるだろう。
記憶の書き換えのほうがかんたんかもしれんが
日本よりもアメリカなんかのほうが先進的な研究してるよ ・衣笠
1979年8月1日の読売ジャイアンツ戦、西本聖から死球を受け、
左の肩甲骨を骨折する重傷を負ってしまう。
しかし翌日の試合にも代打で出場し、江川卓のボールにフルスイングで
挑んで三球三振という記録を残した。
試合後には「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにスイングしました」
「それにしても江川君の球は速かった」とコメントしている。
衣笠が代打で打席に登場した瞬間、広島ファンのみならず、
巨人ファン・ベンチからも大きな拍手が起こった。
・キモ原カス博
横浜東の二打席連続死球に恫喝(ただしまったくよけていない)、その後タイムリーに
『ボケーッ!ボケッ、見たかァ!!』と大興奮して塁上でガッツポーズ
当時の客は語る。「俺達はプロレスを見にきたんじゃない。」
ロッテ平沼のきわどいボールに投手にバットを投げつけヒップドロップ、
しかし、逆にディアスに首投げされ、以後外人恐怖症に
阪神ハンセルにぶつけられメンチ切るもハンセルに半笑いで手招きされるとへたれる
仲間に囲まれてやっと元気に吠え出す
藪の物怖じしない内角攻めに三度の死球。指三本を立てながらすごむも
『俺これでも三億もうてんねんぞ』と自慢されてるのかと思いましたと藪にかまされる
また『よけない人に当てても、なんとも思わない』といたいところを突かれる 清原の全本塁打のDVDたまに見てる。
やはり90年は状態がいいね。
インサイドのボールにスムーズにバットが出てる。
西崎からの開幕ホームランなんか特にそう。 >>891
逆に93年のフォームはダメだな
構えが大きすぎて外しか打てなくなってる
92年後半は好調だったのに何であんなフォームに変えたんだろう
フォームいろいろ変えすぎて元々の良さが消えていった感がある
同じ年でもワンステップの時もあればツーステップの時もあるし、迷いが常にあったんだろうな 清原和博が西武時代に起こしたパーティ疑惑全貌(2)マウイキャンプで大暴れし…
ttp://www.asagei.com/excerpt/53452
当時の状況を知る、球団関係者が重い口を開く。
「パーティで高揚感を得た清原が部屋を破壊しだしたんですよ。
騒動後の部屋を見た関係者によると、壁一面が無残にもボコボコで、
手当たりしだいに物でも投げつけたような跡だったといいます。
制御が利かなくなった清原は、しまいにホテル敷地内の池に飛び込んで、
コイを手づかみしようと暴れ回ったんです。
プリンスは身内のホテルですが、さすがに収拾がつかずポリスを呼ぶ
事態にまで発展してしまいました」
シラフでないのはもちろんだが、酒で泥酔したものとも思えないほどに
危険な大立ち回りだったというのである。
「疑われたのはマリファナ(大麻)パーティですよ。現地の警察が入って現場検証もした。
それで、軽犯罪とはいえ、逮捕するしないという話にまでなったんです。球団は慌てました。
当時はトラブル処理の担当者がいたので、もう亡くなった担当者と
当時の渉外担当などが穏便にコトを収めるために奔走し、罰金刑にはなったものの
表には出なかったそうです。
とはいえ、壊された壁の修理など、現地のホテルスタッフは事後処理も大変だったと聞きます」
(前出・球団関係者)
よもや親会社のホテルを破壊するとは前代未聞だが、一方で、
現場がプリンスだったからこそ醜聞が露呈しなかったのだろう。
清原容疑者といえば女性スキャンダルが絶えなかったが、
西武時代には全国各地のプリンスに連絡を入れれば、
女性とチェックインする際に裏口から誘導するシステムで
守られていたという話もあるほどだ。 1990年は調子が底のときにシーズン終了したから数字の見栄えが悪くなった。
優勝決定時、タイトルはとれなくても.315、40本、100打点行くペースで打ってたのに。
落合も言ってたけど途中までの経過よりも最終的に残った数字が大事。
何年も経ったら途中の数字なんて後世に残らない。 まぁ当時の清原の勢いからいったら1990年の数字なんて軽く更新すると思ってたけどまさかあの年がキャリアハイになるとは・・・ チンピラ丸出しの格好で
原監督に会いにいった時はワロたな >>895
そうかね
長嶋とかなんか途中結果の人間じゃん
成績よりインパクトで神格化してる >>902
本塁打王2回首位打者6回打点王5回
これで守備も上手いのに成績にインパクトないは無理があるだろ
どこかの無冠の帝王と違って 清原逮捕後の最初に取材されたときどう見てもおかしかったけどよく捕まらなかったな >>912
田代も9年でようやくだし 完全に裏がとれんと逮捕までいかんだろ ああゆう大物は特に レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。