〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.26〓
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>>266
羽佐間正雄氏は1959〜1962がFK(広島)、1964〜1966までAK(東京)、
1967〜1970までBK(大阪)で、1971〜1973がLK(福岡)、1974からAKに復帰
FK、LKは出世コースだけど、CK(名古屋)はなぜかエース格は勤務しない >>263
見てたけどダンカン別にいらなかった
でもいたから野球興味ない奴がお笑い目当てに見て視聴率上がったんだろうな >>270
90年の日本シリーズ予想で西武4-0を的中させ、翌週に表彰されていた。 >>229
豊田泰光がコーチを務めた1972年の近鉄の監督は西本幸雄ではなくて岩本尭 佐々木恭介に無理矢理酒を飲ませて二日酔いにしたとか
選手の試合後のビールを禁止して玄米食を食わせた広岡の逆を行ってるのが素敵>豊田 >>274
後年、佐々木が肝炎になってしまったのは
まさかそれが発端だったんじゃなかろうな 1972年の近鉄って前年3位からの2位だったんだな
それなのに首を斬られる豊田ってよっぽどだったんだろうな 中西は監督には向いていなかったが打撃コーチとしては一流なので
色々な球団から「指導してくれ」ってオファーが来るのにな >>276
岩本が監督なのに打撃指導もやりたがるたちだったので板挟みになって豊田の出る場が減っていたらしい。
あと「無闇な打撃改造はやらずに各自の長所を伸ばす」方針なのが裏目に出て「何もやらないコーチ」に見られた 鶴岡一人、賭け屋との対決
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180509-14
当時、特に関西では野球賭博が盛んで、賭け屋が選手を買収し、八百長をさせることもよくあった。
鶴岡は八百長をするのが投手、センター、セカンドが多いと聞き、自らのポジションをサードから一塁にし、
選手を観察することにしたという。
さらに警察とも連携し、怪しい選手は婦人警官らに尾行してもらい、徹底的に調べ上げた。
そのうえでやった前科がある選手だけでなく、賭け屋との接触があり、陰でやっているか、
今後やりそうな選手もすべて解雇したという。
三原監督には無理だな・・ 三原は鶴岡ほど八百長対策に熱心ではなかったということ。
鶴岡の後を受けた野村は八百長に目を光らせていたが、三原の後を受けた二人は・・ 佐藤公博をさっさとトレードしたのを見るに
西本幸雄もチーム内に目を光らせて浄化してたんだろうね >>281
その後近鉄やヤクルトの監督、日ハムのフロントを歴任したあたりは
浄化のプロと評価されてたんちゃうかなぁ
どこも怪しいチームだし 黒い霧について詰問された時の三原の回答が「君たちも白い馬と戯れぬのか?」
この回答を見るにつけ、「思い当たる節あり」と思ってしまう。
西鉄時代も最初は目を光らせていただろうが、優勝に手が届くようになってから
目をつぶるようになってしまったのでは・・。 >>278
実際何もやらなかったんじゃないの?
横浜の進藤みたいに「下手糞には教えたくない」と公言して顰蹙買った奴もいるし(真意は別にあったのかも知れないが)、そんな類だったのかもな >>284
そりゃ三原は「勝って和す」だしね
逆に言えば負けてるチームでなら白だろうと黒だろうと追放する 生え抜き監督の鶴岡はチームの浄化を優先するだろうけど
雇われ監督の三原は浄化よりも勝利を優先するだろうね >>282
放任主義の西本が知るわけ無いわそんな雑魚の行状 >>287
三原は西鉄、大洋ではそうだったが
その後は逆になってた 三原の話題
アポロ時代に近鉄が首位を快走中/週ベ回顧
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191119-00000003-baseballo-base
好調だけに、球宴には鈴木啓示をはじめ近鉄から6人が選ばれたが、
ほかのチームの選手が驚いたのは、いつも6人で固まり、ほかに近づかないこと。
実は、三原監督に「他チームの選手とは必要なこと以外話すな」と指示されていたのだ、
情報をもらさず、しかも、「あいつらは何を考えているか分からない」と思わせたほうが
有利と思ったのかもしれない。三原監督は相手を刺激しても仕方がないと、
ベンチからのヤジも嫌っていた。 わざとハッタリかましたんだろうね
西鉄ではこんなことしてないはず
いい話だw 死に馬に蹴られた発言でカネヤン刺激した三原が相手を刺激するなってか ちょっと違うかな?
恐らく三原は近鉄の戦力では優勝は難しい事は分かってたはず
とにかく周りから不気味に見える様にすると同時に
優勝争いすらした事が無いチームに自信と暗示をかけてたのだろうな 「横浜大洋銀行」と呼ばれた頃の大洋の選手は
試合中に相手チームの選手と談笑している姿が映って
苦言を呈されていたからね
万年Bクラスのチームの病根みたいなもの 星野仙一が前に
打たれて腹立ってるのに味方のファーストが
「ナイスバッティングだったねw」
とか言ってるのを見るとその場で殴りたくなった
と言ってたがそのファーストってY(略 >>298
谷●健●は大差での負け試合でも自分にヒットさえ出れば一塁ベース上でニヤニヤ笑い、
逆に自分がノーヒットなら勝ち試合でも不機嫌。
ロッカーで八つ当たりしてバットで器物破壊する奴。
あまりに酷いので後輩のO島Y徳がブチ切れたくらい。 太平洋時代の助っ人ビュフォードやアルーは当時の日本球界が獲得できる
外人選手としては最高に近いレベルの選手だったと思うがよくぞ獲得できたと思う。
やはりフロントは獲得のための資金調達に奔走したのだろうか。 ペプシライオンズなったら選手が糖尿なってそう、イメージだけど。
普通コクドが買収したんだったらコクドライオンズじゃないのか。
よくわからんけど。 >>303
買収記者会見の時に記者が堤義明に球団名の質問をして
「私が決めていいの?じゃあ西武ライオンズにします」と即答したと思う 東京オリオンズもペプシにスポンサーになってもらおうと持ち掛けたが頓挫した
それで岸信介を通じてロッテに声をかけてロッテがスポンサーになった
岸信介の秘書の中村がロッテのオーナーだったのはその縁
黒い霧以前にライオンズはアサヒビールに身売り成立寸前だったが楠根が潰した >>302
バナザード獲ってきた末期の南海みたいなものか
>>303-304
ヤフーがソフトバンク、モバゲーがDeNAと名乗ったように
世間に浸透してない名前の方が良いと思ったのかな 細かいことですまんが、その頃の社名はコクドじゃなくて国土計画だった
ただ普通の日本人にしたら国土計画より西武鉄道の方が圧倒的に馴染みがあるし
ましてや所沢で新規開拓する以上世間に浸透してる「西武」を使った方が良いとみたんだろな 当時は国土計画が西武グループの持株会社だった
小さくて知名度の低い会社が持株会社で、有名大企業を支配しているケースはよくあるね
でも、関西在住の自分は、西武を知らなくて、西武ライオンズの誕生によって西武を知った 滋賀が近江鉄道として創業なので滋賀では知られているけどなあ >>309
滋賀県は堤康次郎の出身地だからさすがに知られているかと。
西武百貨店の高槻店出店時でも滋賀県と鉄ヲタ以外には、
関西での知名度が著しく低かったという話があるな。 日本では球団に企業名を入れられるので
てっとり早く日本全国に企業名を宣伝できる大きなメリットがある
日本ハムがフライヤーズを買収した時は社内では反対の声もあったそうだが
球団を持って以降は日本ハムという企業名の知名度はグンと上がったって話 もともと徳島ハムで伊藤ハムやプリマや丸大とも
しのぎを削っていたからな >>311
似た話が、日本ハム以前の日拓ホームな。1980年代の頃或る新人社員が、昔プロ野球チームのスポンサーだったから入社を希望したとの事で、関係者が驚いたとの話だった。
今の時代なら、神田うのの、旦那の企業で有名だろうが
→エスパス日拓 球団経営を機に首都圏で売上が上がった話はこの記事に書いてある
大社が買収する時にパイプになったのが中西太だったという
球団運営機に一躍業界トップに 日本ハムの“成長モデル”
https://www.sankei.com/west/news/150916/wst1509160002-n1.html もしプロ野球の球団でなかったら、太平洋クラブとか、クラウンライターなんて、
永遠に知らなかったと思う。
昔、太陽ロビンスがあったから、太陽レーヨンという会社がかつて存在したことも
一般に知られているんだ。 西鉄の応援団長と池永の対談を読んだことがある。
「裁判で無罪を証明せよ!」と主張する団長に対し池永は「それはちょっと・・」 そりゃオートレース八百長組と違って池永らは
法的には「事件」になってないのに
裁判したらガチで黒を証明してしまうことになるしなw クラウンライターは当時はやりの100円ライターなので
知られていた気がするよ
ライターのコマーシャルに多岐川由美がでてた 使い捨てライターは東海の「チルチルミチル」が圧倒的だったな。猪木アリ戦のスポンサーだった。
クラウンの名称は1981年には消えてしまった。 >>306
モバゲーの件はナベツネの横槍じゃなかったっけ?
運営母体の社名として登録している会社名じゃなければ認められんと言うやつで
ナベツネが必死で「モガベーモガベー」言ってんのが印象に残ってるんだが あれはよう言ってくれたわ
それを認めたらなんでもありになってしまう 永久追放は知っていることを漏らせば、かなり緩和してもらえると思う。
でも誰もそうしないということは・・ 東映とかもそうだけど黒にオレンジの縁取りだから
巨人そっくりなんだよなw
復刻しても売れなさそう
黄金期のは結構うれたけど オーナー会議で西鉄が球団売却を表明しても、関西3電鉄のオーナーは悠然として動かず1リーグ化を目論んでいるのかという姿勢だったと坂井氏の著書に出ていたな。
黒い霧の件は70年代当時の児童文学にまでオマージュで反映されたわ…
――
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%AD%BB%E6%BA%80%E5%A1%81
二死満塁(Wikipedia)
■あらすじ
主人公の小学五年生、佐藤六助(通称「チビ六」)は前年に創設された少年野球チーム「エッグス」の遊撃手。あだ名の通り小さな体ながら溌剌としたプレーを見せる彼は町の人気者でもあった。
前年は6チーム中5位だったエッグスだが今年は好調で、大会に優勝すれば北海道への旅行がプレゼントされるとあって選手一同大張り切りであった。
ある日、母から預かった給食費を落としてしまい、途方に暮れたチビ六は仕方なく知り合いの不良中学生、「(東京)タワー」こと斉藤勉に借りることにした。
だが、借金の条件は「大会でわざとエラーをしてエッグスを負けさせろ」という八百長を行なうことであった。
お金を手に入れるためにやむなく八百長に手を染めたチビ六だったが、八百長の依頼は一度だけに留まらず、タワー達のボスである「ダンプ(の健)」も絡んできて何度もやらされる事になってしまった。
八百長により思い切りプレーできなくなった事やチームのみんなに対する後ろめたさにチビ六は悩む。ダンプから八百長の指示を受けながら、その「不振」が原因で先発メンバーから外され、
結果的に八百長に手を染めずに済んだ事もあったが、罪悪感に耐えられなくなったチビ六は八百長を指示された試合で本能的にファインプレーをしてしまい、結果チームのみんなの信頼は取り戻すが、
激怒したダンプ一味に捕まり、そこで初めて八百長の指示が少年野球を対象とした賭け事のためであった事を知る。
その試合のダンプ達の負け分一万円を一ヶ月以内に弁償する様約束させられてようやく開放されるが、払うあてなどないためチビ六は途方に暮れる。
ダンプは報復として、チビ六の八百長を糾弾する紙を町中に貼り付けた。
町の住民にとっては、少年野球の八百長事件など大したニュースではなく、そもそも噂を流したのが札付きの不良であるダンプ達のため頭から問題にしない者がほとんどであったが、エッグスのメンバーは、
かつてチビ六が彼らしからぬプレーをした事を覚えているため、既に監督の「熊さん」の通告で試合に呼ばれなくなっているチビ六とすれ違ったりする度に露骨に拒絶する態度を取った。
一方で、ボスのダンプは決裂したものの、タワー自身は会う度に以前と変わりない態度で接してくれるのがチビ六にとっては救いだった。
チビ六という大きな戦力の抜けたエッグスだが、それでもエース森田の力投などで首位フラッグスに食い下がり、最後の最後でフラッグスが前年優勝のイーグルスに敗れた事でついに最終戦で優勝を賭けて激突する事になった。
その試合直前、監督の熊さんはエッグスナインにチビ六を試合に出す事を打診する。当初は反対したナインだったが、熊さんの説得と、最後の「野球は九人でやるものだ。」の言葉で、森田や立夫が賛成、最終的に全員が賛成する。
会場に着いたチビ六のもとに熊さんがやって来て、いきなり彼の頬に平手打ちを食わせ「悪い事をした罰だ。痛かったか? この痛さを忘れるなよ。」と言ってチビ六をベンチに連れて行った。そして審判に選手交代を告げ、チビ六には
「野次が飛んでも気にするな。もう罰は受けたんだからな。」と言い聞かせて送り出す。最後、チビ六はみんなの期待に応え、自らのファインプレーでリードを守り切ってエッグスの優勝を決めるのだった。
>>329
今のライオンズの選手が着れば
あのユニフォームもきっと強く見える まあ身売り先を探すのを中村に丸投げした挙句
その後は七社会の一員としてライオンズに嫌がらせを繰り返した西鉄が
被害者面しても説得力がないというか >>333
ほんそれ
あと西武堤が悪者になってるが
西鉄&九州政財界のクズさを見れば
福岡時代を抹殺しても仕方無いと思うわ >>330
俺のいた野球チームもフラッグスだったわ
なつかしい 西鉄ライオンズ研究会、今何してるのかな
稲尾の娘にトラック一杯分の遺品を譲り受けたらしいけど処分に困っているだろう 堤のおかげでライオンズは救われたと思う。
・ライオンズは埼玉で人気球団になって、観客も増えた。
・選手たちの年俸が飛躍的に上がった。
・福岡野球(株)の中村オーナーも、借金を返せた。
誰にとっても幸福でよい結果だった。 西武への球団売却が発表された時に喚いてた連中は
太平洋クラブやクラウンライターの時(特に最下位あたりに低迷してた76〜78年)に
平和台や小倉へどれくらい通ってたのかと >>343
その頃はもうチームのピークはとっくに過ぎていた頃だったからな。清原が300本塁打を達成した頃みたいなもん。 >>343
その記事で池永が阪急戦の後に3連敗したってあるけど
その連敗が「ヤオで故意に負けたんじゃないか」と怪しまれて
永久追放の根拠の一つになったらしい >>343
この試合は5位6位の攻防だったんだな。
試合時間1時間46分って短いなあ。 負けるはずだった試合で勝った為にヤクザが乗り込んできた時に
(それがシーズン最後の登板だった)
「次はちゃんとするから」
って言ってお引き取り願ったが翌年の開幕戦でしっかり?負けてるらしい 最近は「池永は冤罪だった」みたいになっているが
あくまでグレーだからね
田中勉から預かった大金を家に隠し持っていたのは本当だったわけで コミッショナーだった金子鋭が池永の永久追放に積極的だったってのが
同情的に映った 和田博美はよく西武でコーチ、2軍監督など出来たよな。堤が何も言わなかったのが不思議。
堤全盛西武と西鉄obが険悪やのに。
東尾も監督出来たし。 和田さんは西鉄黄金期の主力で始まり、西鉄太平洋クラウンの暗黒を見て西武黄金期を見たんだから、
人生分からないよな。 もっと早くに西武が稲尾か中西などをコーチとして呼んでたら、福岡のファンも西武に不信感を抱いてなかったのにな。
今更言ったてしょうがないけど。
最近福岡ドームの西武ファンが減ってるし、
ダイエーSBに移行したのか、野球ファンやめたのか。 平和台ガラガラで移転身売り、分かってるはずなのに、 西鉄OBは西武を敵視するんだろうな、子供っぽいよな。
南海OBは大阪球場がガラガラでやる気ないのを現実をみて、ダイエー身売りは仕方ないと思ってるのになぁ。 世代交代なんじゃないかと
むしろ現西武のファンが九州時代に関心向かうことに 黄金期(〜58年)のメンバーで一番最後まで現役をやったのは和田(72年引退)だっけ?
63年も含めると誰になるんだろ? >>355
大阪人特有の巨人アレルギーやから王監督に....
南海ファンは馬鹿だったけど、逆に言えば無能な田淵の時にやってなかったから。
でも往年の南海OBは福岡ダイエーに恨みないと思う、ただの身売り先としか考えてないんと違うかな。 関西に阪神、南海、阪急、近鉄の4球団は誰がどう考えても無理があったからね
福岡移転は納得できるし福岡のファンをいただくことが出来たんで球団にとって
良かったのは明白だからな >>353
天然で面白いよな福岡の人って
自分らが被害者だと思い込んでる >>357
黄金期から所属している城戸則文が1974年まで。ただしヤクルトで引退。 「振り逃げ満塁ホームラン」 とかいうプロ野球回顧のツイッター
古〜いスポーツ新聞が投稿されているが、よくも捨てずに保存していたものだ >>358
それに南海は12球団で唯一巨人在籍経験者が監督になった事がなかったからな。
阪急は三宅大輔が、阪神は藤本定義が、近鉄は千葉茂・三原脩・岩本尭が監督をしているが。 >>365
三宅大輔って人は波乱万丈の球歴だね。
阪急最後の日本一の後亡くなったのか。 藤本は阪急の監督もやってた。
南海は身売りまで生え抜き・外国人などを問わずOBばかりだったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています