南海ホークス18
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
【前スレ】
南海ホークス17
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1537058808/ >>911
その2人は今でいうメジャーリーガーみたいな最短距離でバットを鋭く振り抜いて
ホームランにするタイプだから長池には理解できんかったのは当然かもな こういう説もある
「ホームランはヒットの延長や そうやろワンちゃん」
「ええ そうですねノムさん」
門田「 門田の身体では無理だったな
だからああいうスイングになったのも仕方ない 門田は実寸170も無かったと思う
現役引退後、解説の仕事で甲子園に入っていくのを見かけたが、167位にしか見えなかった 王は物凄い筋肉マンだし野村は今でいう体幹が太かった
それに比べると門田は鍛えて食べて鍛えて食べての作り上げたボディー
高校時代HRゼロだった事も
「HRは狙わないと打てない」
と確信させるものがあったんやろ ただやっぱりパワーだけじゃ打球は飛ばない
背筋力300kgの長嶋一茂の成績を見れば分かる だから吉田なんかも心配なんだよな
流石に今は栄養士とかついてるから門田程の暴食はしないだろうけど
元々ケガがちで小さな身体をねじるようにフルスイングするのは同じやからな >>919
当時の高校野球は木製バットだったし今とは比較できないよ もし、
阪神と一緒に南海もセリーグ行ってたらどうなってたんかな? 南海がセリーグに行っていれば、巨人・南海戦がセリーグ最大の人気カードになっていた。
昭和30年代までは、観客動員数一位が巨人、二位が南海だったから、東西の人気球団の
対戦は観客数が最高になる。
また、当時の南海は実力もあったので、よい試合内容になるはずだ。
水原監督と鶴岡監督の采配がファンの注目を集めたと思う。 南海ホークスのままで巨人南海が実質巨人阪神戦になる
難波球場は改装して難波ドームになって、一帯は後楽園と秋葉原と全盛期の浅草を足した日本一の繁華街になる
そして野村がボヤかれる立場になる 引退直前の最晩年になって「ホームランに一番重要なのはタイミング」だと悟ったと
本に書いてあったな >門田 門田は2年目に3番に抜擢されたが、試合前のフリー打撃は3球打てれば良い部類やった。 門田は無理矢理体をデカくしてオフには恒例の意味不明なダイエットの繰り返しで
実年齢以上に体がボロボロだったけど動体視力は落ちていなかったんだろうな
ダイエー時代にもナベQのストレートを放り込んでたし
恐らく最後の最後くらいまでは見えてたんだと思う >>929
ダイエーでも1年目の7月くらいまでは例年通りのホームランのペースだったんだけど、8月に入ってからは全く打てなくなった。これでは福岡ドームではプレー出来ないなと思ったね。ノムさん同様、43歳で急に衰えが来た感じだった 43歳で3割21本打った落合も日本ハムで限界が来たし
息が長い打者でも流石にその辺が限界なんだろうね 筋力は50過ぎてもある程度維持出来るが動体視力と反射神経がな
投手なら大リーグのナックルボーラーが46で16勝、47で2桁勝勝なんて例もあるが >>91
投手の山本昌や工藤公康もその辺りまで普通に活躍できていたけど
そのあと急に衰えが目立ってきたからな >>924
>昭和30年代までは、観客動員数一位が巨人、二位が南海だった
嘘つき・・・ 身体は鍛えられるが反射神経や動体視力は鍛えられないからなぁ
広島の新井なんか最後の1年以外はあの年齢で速球にバッチリ合わせて打ててたのは凄かった
門田もだが一流になるには幸運さも必要だ 打者はたとえ身体は壮健でも、動体視力が衰えると打てなくなる。
一方、投手はある程度見えれば、投げられるのではないか。
だから、山本昌や工藤は、50歳くらいまで現役を続けられた。 相撲の板井が「才能があったのに親方と合わずに潰れた力士を何人も見てきた」と
書いていたが野球もそういうのはあるだろう
長池は意中じゃなかった阪急でも青田に出会えて幸運だった
最近だと巨人時代は伸び悩んでいた大田泰示がファイターズでレギュラーになっている 野村再生工場だと、幾らでもその話はでてくるな。エモやんなんか、いまでもノムさんに頭が上がらないようだし。本人がお元気なうちに、再生した選手の詳細をまとめた本、出してもらいたいね 王から藤田に変わった途端
斎藤が覚醒したようなもんか 監督系統で王→秋山はわかるわ。
秋山→工藤 驚いたわ。
普通は秋山→小久保か思ったけど。
王会長が工藤を呼んだのかな? 蔭山さん生きてたらなぁ、チームもマシに。
酒と睡眠薬飲むって、
よっぽどメンタルやられてたんやろな。
親分の同郷かつ同じ大学の柚木とか監督なれへんかったのも不思議。 >>938
壊し屋杉本正と出会っていなければもっと活躍していた投手はたくさんいるでしょう 巨人は飼い殺し多いからね
大田もそうだが吉岡とかね 名を取るか実を取るかって所で、昭和は巨人所属のメリットがデカい
何せベンチに入ってさえいれば全国区タレント並の知名度
世間一般はパの5番打者なんて知らない
香川は知ってるが「暫く見ん間にまた一段と美味そうになったのう」と揶揄される始末 >>946
近鉄移籍後の淡口が「巨人に戻りたいですか?」と聞かれて
「戻りたいです」とあっさり答えていたのは吃驚したな
近鉄の方が試合で使ってもらえてた印象だったのに 香川が死ぬ前、一年くらい前のインタビューで南海の頃は大阪ではもちろん
遠征先でも殆ど自腹で飯食った事は無かった、
色んな人が毎日美味しいもの食わせてくれたって言ってたなぁ… 山本巧児はロッテ移籍で試合に出られて嬉しいと言ってたのにな エカは長打力のない一塁手という一番扱いづらいタイプだよな。 >>947
そりゃそうだろ、トレードされるのは本来定岡で完全な犠牲者なんだから。 それに近鉄や南海は一軍ですら巨人の二軍よりも待遇が悪かったしwww クロマティの暴露本で加藤英司はボロクソに書かれてたな
最後の南海で2000本達成出来たから良かったが、巨人の1年が余計だったか通算3割切ってしまったし 淡口や山本巧児は守備が上手いわけでもなかったからな
高田繁が即座にレギュラーを掴めたのは
田淵が「高田さんが守っている時は他球団なら二塁打コースでも
二塁に行けなかった」と言った守備力があったからだった 巨人の控え選手より、パリーグのレギュラーのほうが現役時代は充実するし、引退後も
それなりの人生を歩めると思うけどな
山本功児は引退後、監督にもなれた タニマチの差もある 辞めてからの就職とかね
あとは女にもてるかとか飯をごちそうになるとか 山本巧児は指導者としては若手を育てる手腕があったと言われてるな
福浦の才能を見抜いて打者転向させたりとか
一流半位の選手の方が元巨人の恩恵を受ける気がする
水野や宮本とか 野村クラスになれば、巨人ではなく南海にいたほうが、若くして親分でいられたし、
選手の年俸と監督料でかなりの高給ももらえた
でも、並クラスの選手なら巨人の看板があったほうが恩恵が大きいのかもね 今はむしろ給料ならソフトバンクの方がいいくらい
ただ施設とかの給料以外の部分はまだまだ読売が先を行ってる >>948
野球など全く興味ない俺の姉だけど
太田幸司は知ってたな。リアルタイムで彼の甲子園の活躍を見てた
世代だが彼が巨人にでもはいってたらすごい
スター扱いされてたんだろうな。
香川はまだプロ野球ニュースとか珍プレー好プレーが放送され始めた
時代でだいぶ恵まれてると思う 90年代序盤くらいまでは甲子園が若い女性たちのアイドル的な対象だったんだよな
それがそこらへんで終わってその時の連中がそのまま以降してて今にいたる
だからハンケツ王子みたいのを30過ぎたババアが応援 太田幸司、定岡、荒木、ハンカチ
甲子園のアイドルってプロではイマイチだな 打者アイドルは原は活躍したがな
バンビは高1で終わった、ロッカー愛甲は打者で、球道くんは牛島共々抑えでソコソコ
リアル里中くんの箕島石井と怪童水野は脇でいい味
リアル山田太郎の嶋田と浪商香川は年を追う毎にいい出汁になった
箕島のリアル殿馬はちっちゃ過ぎてドラフトには掛からなかったな 投手は甲子園で活躍する、って事は酷使されるってことだからね
野手の方がプロで伸びるのは仕方ないわな >>966
金村と愛甲が同じように早々に打者転向して
6番を打つ位の似たような成績の選手になったのも面白いな >>967
愛甲って1番かクリーンナップじゃなかった?
金村は6番か5番くらいだった気がする >>969
議員と速攻離婚してたな
相当自己顕示欲が強そう 畠山も投手でかなり期待したが
横浜行ってからの打での活躍がうれしかったな 昔、羽衣のマンション買って住んでたような記憶がある。 畠山がブレイクした頃の「畠山選手物語」みたいな漫画で
ダイエーで野手転向した頃、田淵もその素質を評価して
キャンプに来た東尾に
「こいつは伸びるぞ。ちょっとバッピやってくれ」
って言って東尾もウキウキで投げてくれたんだけど
そこでド緊張して全く打てず評価が下がってしまったという描写があった >>974
まんパロだな
俺もその作品立ち読みして見たわ >>952
待遇面に関しては
この時期では12球団でもかなり低い方だったのは事実だからな 給料だけでなくキャンプの場所やごはん
移動とか宿舎とかいろいろあるよね 西鉄ライオンズの宿舎か合宿地が南海本線石津川って聞いたことあるんけど?
例えば、阪神の合宿地が多摩川っていってるようなもんやろ? 二軍の移動が負担だったので二軍合宿と一軍の在阪地宿舎を置いただけ
いまのハム鎌ケ谷みたいなものかな
そもそもいまでも二軍は保護地域をさておいて球団の事情で好き勝手に拠点をおいてるしな >>947
淡口は巨人時代も5シーズンで300打席以上立ったし規定打席到達と打率3割も移籍前の83年だけ。
放出されてからレギュラー機会回ってきたのが功児と鈴木康友
康友のレギュラーは単年で終わってしまったが再び西武に移ってから日本シリーズで代打に出られて川口が痛い一発を打たれてしまった鯉ファンの俺。 >>979
https://news.goo.ne.jp/article/postseven/sports/postseven-678758.html
門田:しかし今思えば、我々はよくあんな環境で辛抱していましたよね。
どこの球場も汚くて酷い。特に南海の二軍球場はプロが使える代物じゃなかったですよ。
二軍に落とされた時は一刻も早く脱出したいと思った。
鈴木:近鉄の場合は一軍が使う藤井寺、日生球場がともに恵まれなかった。
特に日生。我々はロッカーを使ったけど、ロッカーが遠くにあるビジターの選手は
汚い廊下に新聞紙を敷いて着替えていた。あれはさすがに申し訳なく思いましたね。 そりゃドラフトの有望株が在京セ・リーグや西武日ハムを希望するわけだわな。 >>983
この二人に給料のかなりの部分が廻されていたから他の選手がより貧乏に
なっている矛盾 >>983
昔はどこもファームは環境悪かったやろ。河川敷や高校のグランドで練習してたチームもあったのだから 鶴岡親分が水原、川上にもう少しでも勝ってたら
3回くらいは日本一なってたと思う。
親分、なんで短期決戦弱いんやろな?
逆に工藤秋山があの当時の南海を率いて、
親分がダイエーソフバン率いたらどうなるんやろな。 >>987
親分が川上巨人に全く勝てなかったのは選手の力任せの根性野球だったからでしょ
親分は蔭山ら腹心コーチの意見には
聞く耳もってたんかな?
川上巨人は牧野茂らの意見にも耳傾ける柔軟性があったみたいだが
あと生前の牧野が週刊誌のコラムで当時の対南海戦は相手の手の内が丸解りだったらしい 相手によって戦い方を変えるか
「どんな相手でも自分たちの野球をやる」か
の違いだろう 陰山存命時の川上巨人との対戦って61年の一度っきりでしょ >>990
正確に言えば
「別所に高い給料を払わなかった奴が悪い」 このスレッドは1000を超えました。
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life time: 203日 8時間 21分 41秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。