【永易将之】黒い霧事件【田中勉】
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八百長に関する記述はそこに引用されてる部分ぐらいだけだよ
それ以外読みたいなら別だけど >>107
ミリオン出版の昭和の不思議シリーズじゃね?
陳腐な昭和の事件検証雑誌w 板東英二の本に書いてあった中日の濃人時代のお家騒動→主力選手大量放出も怪しいな。 >>152
だから具体的にその記事内容を出せって何回も言われてるだろタコ
記事内容がお前の2ちゃんの書き込みと同じとかあり得んからな
「作り話を押し通す予定!」ってベッキーかよw 黒だったのかもしれないが
野球殿堂入りした平松は野球人としては勝ち組。
選手時代から色々あったとしても
評論家を続けている江夏も野球人としては勝ち組。
そういえば古館伊知郎がNHKの
クイズ番組の司会をしていた頃だから古い話だが、
問題の中に刑務所がどうのというのがあって
回答者として出ていた江夏が
気分の悪そうな顔をしていたということがあったな。
出演前に問題の趣旨をある程度知らせるということが
行われているようだが、その時は伝わっていなかったらしい。 >>153
そりゃノーニンなんて後々事件の八百長で勝つ方の監督やってたんだから…
怪しいのと付き合いが無いわけがない 濃人は永田が退場したら早々とオリオンズから追い出された 平松はあれほどの選手なのに監督どころかコーチとしても
現場に戻らないのが不思議
小野正一も黒い霧で疑われたが無罪扱いで自分から引退した
60年代後半の中日は佐藤公博、田中勉、葛城とやたらと八百長選手を引き取っている 司忍は水産高校を卒業した後に大洋漁業の船に乗っていたって位で
海の仕事は893と関係が深い まあ水産高校から大洋漁業は普通じゃないんでしょうか 元プロ野球選手で引退後に暴力団になった人が時々いるが
ああいう人たちは現役の頃から黒い関係者とコネが出来ちゃってたんだろうな 現役選手で、引退したらヤクザになりそうな選手は誰だろう
やっぱり賭博の高木かな? >>165
あんなのただの客だろよ
笠原みたいになる訳がない
笠原は血筋からしてモノホンだな ガタイのええ奴は何かと使えるんや
元野球選手しかり元相撲取りしかり 愛甲も「ヤクザはタニマチ経由で近づいてくる」と言っているね
根本はそういうのを知ってるので「タニマチとは付き合うな」と通達してたんだろうな >>170
「ゴジラ松井」「ウルフ高橋」「ゴルフ清原」とか言われてたなw 清原クラスになると暴力団とコネはあっても
暴力団そのものにはならないんだな
引退後に暴力団になるのは、顔が知られてない無名の選手が多い >>170
そのころの週刊誌で清原は野球賭博やってるとかあったなあ
本当で大っぴらになってたら大惨事どころじゃねーな >>159
そんなんいくらでもおるやろ
ハリー筆頭に 永易にヤオの手引きをしたのは嵯峨
これを消して回ってるのは某関係者 >>175
はい名誉毀損!!
ソースはお前の妄想だけ
今調べたらこの人死んでるな、
でも訃報が報道されたってことは遺族が新聞社、通信社と接触したってことなんだよな。
つまり遺族がこの書き込み見てたら何らかのリアクション起こすはず!
上げとくわ!
このスレはage推奨 ボレスが報知の西鉄番記者にヤオについて漏らした事が切っ掛けのスクープだったけど
スクープした当初は西鉄だけのスキャンダルだと思ってたんじゃないかと思う
それが実はほとんどの球団でヤオが蔓延していた事が分かってきて
それをバカ正直に暴いたらプロ野球が崩壊しかねない
プロ野球が崩壊したら財界が困るから適当なところで打ち切って有耶無耶にしたんだろう 八百長をやっていたかどうかなんて自己申告だからな
書面で契約してる訳じゃないから、本人が知らんやってないと言えば
それ以上の追求は出来ない
バカ正直に真相を告白したところで誰も助けてくれない ボレスはヤオ告発は誉められるもののそれ以外の面で人間性が最悪だった ボレスは黒い霧真っただ中の1970年4月に試合中に大杉にぶん殴られてKOされた 黒い霧で永久追放された西鉄の投手を
永易が西鉄に移籍した1968年と
翌1969年の打者数で見てみると、
年度 1968 1969
池永 1231 1065
永易 *448 *356
益田 *700 *787
与田 *630 *614
西鉄 4897 4801
比率 61.4 58.8
2年間でチーム全体のおよそ6割を投げていた戦力がいなくなったんだから、弱くなるのも無理はない 池永は普段の評判も影響したはず
19歳の時点で記者から嫌われてたって話があった位だからな
https://news.goo.ne.jp/article/baseballonline/sports/baseballonline-097-20190127-01.html
ペナントレースはまだ終わっていないが、南海が独走優勝を飾ったパ・リーグでは、
15勝のラインを超えた西鉄・池永正明の新人王が、ほぼ確実と言われている。
入団以来、池永はマウンドで発揮する強心臓に加え、ビッグマウスもあって
一部の記者からは「ナマイキ」と嫌われた。
中西太監督は言う。
「若いくせに横着だ、ナマイキだと、池永は入団前から事あるごとに叩かれてきた。
あれだけマスコミからなんやかんやと袋叩きされるようなことを言われたら、
普通の人間だったら精神的にがっくりくるもんだが、池永は違っていた。一言も弁解せず、
マウンドでしっかり結果を出す。大したもんや」
一方、池永自身は「ナマイキだとか、思い上がっているとか、人の口はなんとでも言うものです。
そんなこといちいち気にしていたら、ピッチャーなんていう、ヤジの真ん中に立つ仕事はやれません」
大した19歳である。 >>179
こそこそ下げんなやw
そのうちお前は笑えなくなる日が来るからよ 便所の落書きで名誉毀損、ね・・・(苦笑)
まぁ実際に裁判起こしてみりゃどうなるか分かるんじゃねーの?
弁護士に激怒されて終わりだぞ、経費に見合う慰謝料が取れる訳ねーって
こいつの場合は自分で裁判起こす気もないのが輪をかけて最悪
クズすぎる >>186>187
昨日のマジキチまだいたんかw
キチガイもクズもお前のことだろうがwww
脳内妄想で一般人を誹謗中傷
しかも相手1人じゃないから倍満なw 佐賀と書かれるたびに発狂する奴が一番のキチガイという事でFA >>189
逆ギレすんな偏執狂
お前脳味噌膿んでんだろ? 妄想と捏造が生き甲斐の変質者 なんだろうな・・哀れ グイン・嵯峨
嵯峨ン鳥栖
嵯峨ら直美
小田急嵯峨み原
嵯峨空港
ホラホラかかってこいよ佐賀w ・不自然なトレードで放出される
または自由契約になる
・引退後にコーチにもなれずやんわりと球界を追放される
ここら辺がヤオ選手を見抜くポイントなんだろうな 球団が把握してる選手はそうなるね
球団にバレてない選手は生き残ってるんだろうな 小玉明利が亡くなった
この人は処分はされなかったがヤオを疑われた人だったね
近鉄は職員の山崎晃が追放された
元近鉄兼任監督・小玉明利さん死去 83歳 通算1963安打の巧打の三塁手
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00000000-spnannex-base これから先は当事者が口を開くこと無く亡くなる一方だから
本当に詳しい事情はもう分からないね 知らないほうがええのかもしれん… ノムも墓場まで持っていくといってるし >>195
>>192
どんどん墓穴を掘ってるキチガイ
某掲示板の奴のように告訴されろ そういえば衣笠祥雄も現場には
1度も戻らないまま亡くなったな。
黒い霧とは全く無縁の選手といって良かったが。
生前ルース監督が来るまでは
カープの選手は全員横着だったと話していたことがあったが、
これは八百長の問題とは違うからなあ。 過去スレにあった
72 名前: にっかんななし 投稿日:2015年10月06日 01:38 ID:TGdQje1AO
1967年当時の小玉明利監督兼三塁手、高木喬一塁手、吉沢岳男捕手、木原義隆投手らが実名で挙げられてた。
しかし八百長をした証拠(金銭の授受等)が出なかったため、具体的な事件とはならなかった。
しかし前記の選手は全員、この1967年から間も無く他球団に追放されている。 >>199
キチガイ同士なんだから仲良くしろよキチガイ >>202
お前が死ね!!!!人間のクズが!!!! >>203
それは三原による近鉄の浄化じゃないかって説があるな 黒い霧事件は、暴力団にそそのかされた西鉄ライオンズ投手ら6人の野球選手が、八百長行為に関与し
永久追放(現在の野球協約では永久失格)になった事件。
「黒い霧」とは松本清張の「日本の黒い霧」(1960年)に由来する語で、
背後に不正や犯罪などが隠されていることのたとえ。
誰が関与したか見えにくいことから、この名がついた。 この時代の監督って言うのは、不正行為に手を染めるような選手とも
やり合わなくちゃいけないから大変だったろうな。鶴岡監督の南海
西本監督の阪急からは罰せられた選手がいなかったのも、監督が
しっかりチームを掌握してたからなんだろうけど。 佐藤公博が元阪急
多分ヤオ選手だと気づいてトレードしたんだろな
中日や南海にしてみりゃ
「ヤオ選手を押し付けやがってふざけんな」だろう 佐藤公博でググったら、同姓同名の人ばかりが出てくるな。
大手保険会社の営業の人とか、大学のリハビリ研究者とか。 三原就任前の近鉄でヤオをきっばり断ったと断言できそうなのは関根とクサと伊勢(孝夫)と外国人ぐらいかな。
土井も引退後に各球団コーチを歴任してるから無罪かも クサで思い出したが吉沢にキャッチャーマスクからのぞく顔が光って投げにくいとか言ったら黒塗りにしてきたとか近藤唯之が書いてたが実話なんだろうか >>219
自分だけが頼りっていう鈴木のキャラクターには
この経験も大きく影響したのかもしれんねえ >>219
これはもう本当に今の選手も鈴木啓示を見習って欲しい
こういう黒い関係者の誘いを断れないと、ズルズル付け込まれて引き返せなくなる
誘いを断ってへそを曲げるような先輩なんて、縁を切った方がいいんだから >>217
根本とヤンチャしてた関根がやってないとは以外だな。 金村義明が近鉄の選手は引退したらスナックをやるって言ってたけど
その歴史が思いのほか長いことをこんな形で知るとはw >>222
根本はクラウン時代からまずこう通達してたって話
タニマチを通じて近づくのが893の手段だからね
http://news.livedoor.com/article/detail/10421797/
一方で根本は、これも自己管理の一環というべきか、酒豪ぞろいの選手たちに向けて短い言葉で厳重に申し渡した。
「タダ酒は飲むな」
地方球団の選手はファームの若手でも周りにちやほやされ、いわゆるタニマチを作りやすい環境にある。
このタニマチとの関係が、"黒い霧事件"の再発につながらないとは限らない。
根本はあらかじめ発生源を断つように努めた。 >>212
ていうか児玉さん自身が疑われていたし… >>219
希望じゃない近鉄に指名されてガッカリしながらも、
「同じプロだから」と自分を納得させ入ってみたところ、
本当に学ぶべき点がなくて失望した、と語ってたのを聞いた記憶があるが、
腐りきった日常だったんだろうな。 当時の近鉄は最下位の常連球団だったからね
三原が監督になって選手を粛清したら成績が向上して
Aクラス常連球団になったのは偶然とは思えん 三原就任の数年前には別当が監督就任して若手切り替えを精力的に進めて一時Aクラス入りと躍進したけどすぐ最下位に逆戻り 稲尾とか杉浦みたいな一線級が先発の時は打率を下げたくない主力打者がにわかな腹痛で欠場したとか そもそもの話、プロ野球は創設2年目からヤオが始まり、大戦末期には巨人からも出たらしい
一番酷かったのは戦後の1リーグ時代で、関西地方は野球賭博の温床だったとか
濡れ衣を着せられて移籍や退団させられた選手もいる >>229
千葉茂が監督をしていた頃の近鉄はそれが日常茶飯事だったようだ >>231
千葉がいた当時の近鉄の選手は、技術以前に勝負への執着心がなく、競争心もない。先制点を許せば今日も負けという雰囲気がベンチに漂い、調子が良ければたまに勝てるといった感じで
鈴木が入るまでの近鉄は本当に地味な感じ >>230
戦後の1リーグ時代で関西本拠地だと
阪神、阪急、南海、ロビンスあたりか 阪神にはそういった類いの話は残されていないが、ヤバかったのは残りの3球団
阪急は主力選手の復員が早かったため、戦後最初のシーズンは優勝候補の筆頭にあげられていたが、ヤオ選手による派閥が複数できるほど泥沼化した
南海は戦前から度々粛正工作がおこなわれており、監督兼任選手の鶴岡は関西地方、特に西宮球場での試合は一塁を守って選手やスタンドを監視していた
ロビンスはエースがヤオ、それを咎めた監督の藤本に胴元の893が自宅に深夜凸、拳銃を突きつけられる、また親会社と折り合いの悪かった選手が移籍する際にヤオ選手の名前(証拠なし)をあげ、移籍または退団させられる >>232
関根氏のインタビューで
育ちのいい六大学野球エリートばかり集めてて
野球で飯を食おう!
というガツガツしたものが無い選手ばかりだった
って恐らく自分も含めて言ってたな 関根の話は創設当時の近鉄だな
藤田監督を始め法大出身の選手を中心に結成され、その他の六大学出身者も互いに年齢の近い選手が多かったから、プロとしては大人しすぎるチームになった
千葉の時代は安い高卒選手や他球団を解雇された選手を集めたチームだからカラーが違う >>235
近鉄1期生のその後
2宍戸(日石)、3坂本(コロムビア)、5加藤政(日軽金)、
6島方(コロムビア)、7永田(三重交通)、8芳村(篠崎倉庫)、
9山本(コーチ)、10高塚(高崎理研)、11室川(コロムビア)
、12宝山(東急)、14服部(三重交通)、15五井(コロムビア)
、16田中(コーチ)、17沢藤(コーチ)、18黒尾(東鉄)、
19関根(巨人)、20香川(四国鉄道)、21石田(?)、22森下(?)、
23伊藤(阪急)、25山下(?)、26田川(大映)、27加藤春(監督)
、29青池(コーチ) 池永の復帰を強引につぶしたのは南海川勝と阪急小林の両オーナー
巨人正力亨が復帰に賛成していたにもかかわらず。
投手が一気にいなくなった西鉄にパの5球団は投手だけは出せないといってトレードを拒否してた。
投手を出したのは、巨人と阪神。稲尾がこのときのことを一生忘れないと自伝神様、仏様、 稲尾様で書いている。 南海と阪急はその戦後すぐの記憶が生々しく残ってたから許さなかったんやろね
わずか20年ちょい前だもん Wヤングって漫才コンビが大好きだったんだが借金で追い詰められた中田が自殺した時に野球賭博ってのを初めて知った。あと1年待てば漫才ブーム来たから返せたかもと思うと残念 当時の阪急のオーナーって森でしょ
1972年に福岡野球の中村とヤクルトの松園が池永の処分解除を提案して
巨人の正力と近鉄の佐伯は賛成したが阪急の森と南海の川勝が反対して流れた >>240
平川も佐藤と組み直して前座からやり直して、よく再起できたなと思った。
>>241
小林米三が急逝してからは、森薫・柴谷貞雄と電鉄社員からの叩き上げオーナーが続いて、
身売り直前に創業家に婿入りした小林公平がオーナーに。 非合法の野球賭博はずっと続いてるみたいだからね
元力士の貴闘力はそれで大借金を作った >>241
池永は処分後5年くらいは復帰に向けてトレーニングを続けてたらしいけど
なるほど処分直後からそういう動きはあるにはあったんだね >>241
ヤオ参加者を赦すと自分たちのリーグ優勝の正統性も疑われるから当然の対応 純パの会系のライターは黒い霧は三原西鉄にやられた
読売の陰謀説を唱えるが、永易だか藤縄がセは注目度が
高くてリスクが高いから八百長を仕掛けなかったと証言したこともあって
他人事で処分解除には前向きなんだよな。後年ナベツネが池永の処分解除を
言い出して当時のコミッショナー川島が拒否していたな。 1966年の時点でパ・リーグはジリ貧で巨人の一人勝ち状態だった
巨人にとって1969年当時の西鉄なんてBクラスに落ちていて
潰す価値もない存在だったので巨人の陰謀説はありえないと思う
ちなみに黒い霧以前に西鉄にはアサヒビールへの身売り話があって
実現寸前まで行ったが楠根オーナーがその話を潰した
1リーグ制移行はなるか/週ベ回顧
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190419-00000012-baseballo-base
事前の情報によればパは全球団が賛成、逆にセは全球団が反対を表明すると言われたが、
ふたを開けると、パでは東京、阪急が反対に、逆にセの広島、大洋が賛成に回ったといわれる(公式発表はない)。
大川オーナーは球団経営の苦しさを訴え、10球団での1リーグ制を現在の日本経済の中での等身大のプランとして提案。
一方、東京・永田雅一は「もうからないからと言って、せっかくつくった2リーグ制をやめてどうする。
もう一度みんなが知恵を絞り、努力してこの危機を乗り越えるべきではないか」と猛反対した。
この年、黒字を出したのは巨人、中日、サンケイの3球団のみ。
1リーグ制への動きは、観客動員やテレビ放映権料で巨人の「一人勝ち」状態が顕著になる中、
すでに上向きにはなっていたが、65年の証券不況各社も影響し、
親会社が球団経営の見直しに乗り出したことが背景にある。 >>158
濃人は監督更迭後も
78年迄スカウト部長で在籍してた
>>159
中日のトレードは親会社&球団首脳部の派閥抗争絡みの遺恨懲罰がデフォだったから交換相手の実力素性を見極める目もアレだった
葛城や小野は元タイトルホルダーで
中日でも一応戦力にはなっていたが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています