【毎日大毎ロッテ】オリオンズ☆2【南千住仙台川崎】
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珍プレーで袴田がブライアントに激突して意識を失い川崎の老医者が出てくるをやっていたが、今ならコリジョンルールになるか 仁科時成さん去年亡くなったんですね・・・
100勝した投手なんだから
球団から公式コメントあってもよかったのに 有藤って現役終盤から船橋に住んでたんだが、この頃から既に千葉移転のインサイダー情報でも手に入れてたんだろうか?当時の本拠地の川崎と船橋は真逆の方向。 当時のロッテは結構、首都圏で住居が散らばってたよ。
ジプシーだった名残もあったんだろうが、都内がかなり多くて後楽園、所沢の中間を選んだ結果かも。 変なBGM入れるなよ
変な音は要らない
映像だけの方が良かったな>>509
> 東京オリオンズ最終年の試合
> 負け試合だけどアルトマンの激走、成田の投打に渡る奮闘ぶりが見られる
> 【劇的サヨナラホームランで2年連続リーグ優勝】プレイバックORIX〜1968.10.11 阪急vs.東京〜
> https://youtu.be/nCvfr6oqtMw ロッテが千葉に移転する時に
川崎球場がロッテに対して「移転するなら補填しろ」と言ってきたそうですが
このあたりの経緯ってどんな感じだったのでしょうか? 斉藤明夫がデーブのつべチャンネルで話していたが、森繁和がロッテ拒否したとき、
事前に斉藤・佐藤義則あわせてビッグ3揃ってロッテなら拒否だよな、って示し合わせていたとのこと
>>564
ららぽーとに有賀藤を出したからじゃないかな
意外なのは浅草橋に住んでたこと ゼットの東京本社のすぐ裏手 川崎球場は酷かった
http://p3.fileseek.jp/p/u=https!3A!2F!2Fwww.news-postseven.com!2Farchives!2F20120905_141016.html!3FDETAIL!26_from!3Dwidget_related_pc&f=M&r=Tki8&n=1629787569/?guid=ON
は>>566
> 変なBGM入れるなよ?
> 変な音は??要らない
> 映像だけの方が良かったな>>509
> > 東京オリオンズ最終年の試合
> > 負け試合だけどアルトマンの激走、成田の投打に渡る奮闘ぶりが見られる
> > 【劇的サヨナラホームランで2年連続リーグ優勝】プレイバックORIX〜1968.10.11 阪急vs.東京〜
> > https://youtu.be/nCvfr6oqtMw >>568
当時のロッテはクラウンより入団したくないチームだったのか? どっちもどっちだね
当時は社会人の待遇がプロと変わらないくらいだったから
どこも拒否して社会人に進む(あるいは社会人に残留)ケースが多かったけど
太平洋クラウン時代は九州出身を指名してなんとか入団させていたイメージ
江川の時も一番くじさえ引かなければ西南学院大の門田で決まってたらしい クラウンは巨人から西本を譲るからと言われて三浦広之(結果的に阪急2位)に入札しようという話も出たって本で読んだな
76年は1位8番のロッテ森に続く9番ハム黒田(のちヤクルト)も10番南海・武藤(のちロッテ)も拒否
特に黒田はスカウトとの交渉で食事後、「すき焼きはうまかったけどハムは嫌いだ」という名言を残した 黒田は高校時代は精悍な体型だったが、ヤクルト入りした時は中年オッサンの体型になってた。
これも肉体改造なのね。 これ以上はスレ違いなので… 1970年以来51年ぶりの9月以降単独首位キター! 毎日オリオンズ時代は阪神から若林監督・別当・土井垣・本堂・呉が移籍してきたし、
後に田宮も10年選手の権利を行使して移籍してきた。
東京オリオンズ時代も山崎が高額の契約金で鳴り物入りで入団した。
それなのに、なぜこんなに嫌われるようになったのだろうか? 東京スタジアムに行って見たかったし、榎本喜八も見たかった 日が改まって今日9月7日夕方、NHKBSで、村田兆治氏のNHK特集が放送される >>577
何故もなにも、そりゃロッテなんて得体の知れない企業がオーナーになってフランチャイズも東京でなくなったからに決まってるだろ。 既にガムで有名企業となっていたロッテを得体の知れないって・・・・・・。
只、在日コリアンが設立した企業であるが故の胡散臭さ(多分に民族差別的な意味合いも含んで)を感じる人は多かったろうけど。
球団&携帯事業を手に入れる前のソフバンが似たようなイメージが付き纏った(今も多分に残っているが)のと同じ。
カネヤンが監督していた時は、カネヤンの圧倒的な実績と顔でカバー出来ていたんだろうけど。 >>579
トミージョン後の1985年放送だからか裸になる場面が多かったけど、
脱ぐとさほどマッチョでもなくむしろちょい痩せぐらいだった
ただマッサージを受ける筋肉は柔らかそうだった 東京スタジアムを失ったのは痛かった
もし東京スタジアムを維持できていたら、「東京下町の地元密着球団」としてヤクルト
くらいの人気は保っていた 福岡野球時代のライオンズが貧乏だったのは親会社を考えればしかたないが
親会社のロッテグループの規模を考えれば川崎球場時代のオリオンズが
あんな劣悪な環境だったのはおかしい
「ロッテは球団経営についてやる気がない」と思われるよ
小池の一位指名で大恥をかいてようやく球団改革に動いた感じ 横浜スタジアムの本拠地が実現していたら、印象は違っていただろうね。 ロッテの球場施設は確かにひどかったが村田や落合は世田谷の一等地に戸建を構えられるほどの
給料は貰ってた 小池秀郎「村田さんですら7000万しかもらってないんでしょ?ありえませんよ」
有藤の船橋市宮本の家をグーグルマップで見てみなよ ほんまショボいから 本拠地が無いってのは致命的だったね。これじゃ不安になるわな。
それでいて給料は安い。成田、木樽辺りは今の時代なら5億円プレイヤーだよ。 東京スタジアムはフィールドは狭かったが設備は当時の最新だった
川崎球場は老朽化が凄まじくトイレは男女共用の汲み取り式だった 木樽成田で5億はありえんだろ
村田やロッテ時代の落合位の成績残したならともかく 川崎市が新川崎駅周辺を再開発して新球場を建設するプランもあった。
日本ハムが移転を検討していたとか。 1シーズン制で勝率1位での優勝なら1970年以来51年ぶり
1シーズン制で勝率1位での優勝→日本一なら1950年以来71年ぶり ファン以外には殆ど知名度ない選手ばっかり(一番知名度あるのは新人の佐々木)
でほんとよくやってるわ。これぞロッテ 51年ぶりのマジック・・・デネ━━━━(T_T)━━━━!! 51年ぶりのマジックナンバー9デタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 【データ】ロッテ136試合目の首位、M6 球団史上最も試合数を消化
https://news.yahoo.co.jp/articles/761e452f15ddc62a60abd8585ef9dce3583295d7
ロッテが9月30日以来の首位。開幕136試合目の首位は60年の133試合目を上回り、
球団では最も試合数を消化した時点での首位になる。 >>599
長打力がすごい打線だな
オリオンズはミサイル打線解体で貧打になっていたが、このころには重量打線になっていた TV版「キャプテン」の城東市民球場は東京スタジアムがモデル? (2階席はちょっと小っこいかも…) 西本幸雄さんにもう一度オリオンズを率いてほしかった
そして、今度こそ日本一になって永田ラッパを見返してほしかった >>584
ロッテが、指定管理者になってなかったてのが
大きんじゃないかな?
おまけに川崎市自体が、人口急増で
インフラ整備に追われて野球場どころでは
なかったてのもあるかも 10.19あたりにはすでに交通の便も変わってたし仙台に戻れば良かったんじゃね?
でも金田がどんなに環境良くなろうが仙台に帰るは無いというスタンスだったらしいからな
東北シリーズも有藤あたりまであったのが無くなったしよほど金田にとっては嫌だったのかも >>605
指定管理者制度が出来たのは2002年だからロッテが川崎本拠地の時代に民間企業の管理委託自体が無かった 終戦
またしてもシーズン勝率1位はならず47年連続 ムリだろう
オリには3勝のアドバンテージがある
(優勝1+山本2) >>607
川崎球場は市と地場大手が出資のの株式会社が運営していたな。 >>586
横浜スタジアムW本拠地構想の時期は、ロッテは優勝争いの常連、大洋は5位6位が定位置。
ロッテはそんな大洋よりイメージ悪いのか。 愛甲がデーブのyoutubeに出てるけど、やっぱり有藤ってとんでもないな >>612
ロッテがどうのこうのというよりも、
パリーグそのもののイメージが悪かった 元ロッテ首位打者が保育士に挑戦 63歳高沢秀昭さん、来春デビュー予定 「人生が豊かになった」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/151024 >>615
実は俺もずっと保育士とか保父とかになりたいなーと思っているんだわ(´∀`*)
すっかり粗っぽい性格となった今だと正直難しいだろうなーと諦めているけど、ちょっと希望が湧いた。 高沢って首位打者の2年後には広島にトレードされてるんだよな。
相手は高橋慶彦だったけど、これ今思えばかなりの大型トレードだよな。
結果はどっちも活躍できず、高沢はわずか1年でロッテに戻ってきたけど。 >>620
高橋慶彦の付属品のような移籍の白武佳久がそこそこ使いモンになってたな >>623
1986/9/17
西武と南海の応援歌パクりしてるのに時代を感じる この時って川崎応援青年団って自前のオリジナル応援歌が全くなかった頃だっけ? ロッテの夢は観客動員1万人のやつは応援団結成前からあったと思う
あの頃のパリーグはどこのチームもダッシュ慶応演奏してたし、オリジナル応援歌があるチームの方が珍しい時代だよ
闘魂マーチを演奏してたのは記憶にあるが >>623
大相撲みたいに出身地をアナウンスしてたのか
ソフトバンクもやってるっけ? >>628
リー兄弟、サクラメント出身
マドロック、シカゴ出身
ディアズ、サンフランシスコ出身
ヘンゲル、きょうも元気です 当時の応援は知らんけど古川の打席だけでデストラーデ、秋山、清原、辻とか流石に欲張りセットすぎるな
こんなんが当たり前だったのか? 川崎応援青年団になってからもダイエーカズ山本の応援歌を普通に演奏してたからそんなもん
当時はユルかったとしか言えない >>632
86年はデストラーデじゃなくブコビッチ >>628
少なくとも谷保さんになってからはやってないはず その30人のひとりとなる選ばれし者の恍惚と不安
ほとんど徳川二十八神将と同じレベルである 川崎時代、当時ショート守ってた水上曰く
「村田さんはエラーしたら凄い顔で睨んでくるし、セカンドの落合は動かないし、サードは有藤さんだし、ファーストではレオンが口笛吹いてるし」だったとかwww >>638
ベーマガの川崎郷愁でのインタビューね。その本なら庄司のインタビューが貴重だった。 >>621
そう考えると2回首位打者になった角中は偉大だったんだなw 弘田 池辺 ロペス アルトマン 有藤 山崎 千田 醍醐 代打得津 井石
最強のオーダー ロッテの黄金期はバレンタイン時代ではない!金田正一率いるジプシー軍団が破竹の勢いで日本一になった1974年
●1974年のロッテオリオンズ
長いプロ野球の歴史の中で、どの球団にもある“黄金時代”。今回は現・千葉ロッテマリーンズの前身である、ロッテオリオンズが最も輝いた、1974年をフラッシュバックする。
1974年成績:130試合
69勝50敗11分(前期2位/後期1位/PO優勝)
打率.265 本塁打114 防御率3.18
監督:金田正一
日本シリーズ結果(対中日):4勝2敗(日本一)
金田正一率いるジプシー軍団が破竹の勢いで日本一に
千葉に本拠地を置き、昨季は2位という好成績でシーズンを終えた千葉ロッテマリーンズ。このロッテの黄金時代といえば、30代前後のファンは名将・ボビー・バレンタイン監督による
「ボビーマジック」と称される采配でリーグ2位からプレーオフを制し、日本一に輝いた2005年シーズン、
あるいは、西村徳文監督がリーグ3位からクライマックスシリーズを制し日本一となった2010年シーズンを思い浮かべる人も多いだろう。
しかし、このロッテの真の黄金時代というのは、本拠地を千葉とする前の、川崎球場時代よりももっと前になる、宮城県仙台市にある宮城球場(現・楽天生命パーク宮城)を中心に、
首都圏では後楽園球場、明治神宮球場、川崎球場を転々として主催試合を行った“ジプシー・ロッテ”時代に日本一となった、金田正一監督率いる1974年のロッテオリオンズに他ならない。
金田監督は、その後長く解説者・評論家として活動したこともあり、プロ野球界のご意見番としての印象が強いかもしれないが、監督時代はまさに“激しい”監督で、
相手チームや選手たちに感情をむき出しにすることも多く、そんな監督に鍛え上げられたチームは、最強軍団という名に相応しいチームだった。
リーグ最強の投手陣と破壊力のある打線がウリ
1974年のロッテオリオンズは、とにかく投打に多くのタレントを揃えていた。まず、特出すべきは投手陣。
現役時代、国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)や読売ジャイアンツで活躍した大投手であった金田監督が指揮することもあり、
先発投手のその殆どがタイトルホルダーという盤石の投手陣を誇っていたのが特徴でもある。
この年、16勝をあげ最多勝を獲得することとなる金田監督の実の弟・金田留広は前々季1972年最多勝投手。チーム内ではその次に多い13勝をあげた木樽正明も、その前年の最多勝投手だった。
その他にも、成田文男は前年の最多勝、最多奪三振を獲得しており、八木沢荘六は前年最高勝率を記録している。さらに、そこにあの「マサカリ投法」で有名な豪腕の村田兆治も加わっているとなれば、
それは近年のプロ野球でも類を見ない最強の投手陣と言えるのが分かるだろう。また、投手陣の中には、技巧派の水谷則博、その年の新人王を獲得する三井雅晴らが控えており、
名だたる先発陣を含め、任されれば誰でも先発、中継ぎ、抑えをきっちりと仕こなすだけの実力があった。
そして、その最強の投手陣を支えていたのが破壊力のある打線だ。チームの4番を任されていたのは、197センチという高身長で、1968年の来日元年には、打点王とベストナインに輝くなど、
日本球界で安定した成績を残していた元メジャーリーガーのジョージ・リー・アルトマン。カブス、メッツ、カージナルスなど、名だたる名門で活躍し、
この年で来日年目の歳というベテラン選手であったアルトマンだが、来日から7年連続20本塁打を放った大砲であり、この年には6試合連続本塁打というパ・リーグタイ記録も樹立。
シーズン途中に大腸癌による離脱を余儀なくされるも、まさに獅子奮迅の活躍でリーグ優勝に大きく貢献した。
アルトマンの他にも、3番打者に「ミスターロッテ」と呼ばれた名三塁手の有藤通世、5番打者に1970年ロッテ“ミサイル打線”の一角を担った山崎裕之、
6番に元メジャー、ドジャースから加入したジェームス・ケネス・ラフィーバーというメンツを揃え、3番打者から6番打者までが2桁本塁打を放つという強力な打線を誇り、
阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)、太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)という宿敵チームの投手たちから得点を量産したのだ。
出典:『がっつり! プロ野球(28)』 過酷な移動やトラブルなど苦難の連続を乗り越えて
特定の本拠地を持たず、首都圏と宮城県仙台市で主催公式戦を行っていた“ジプシー・ロッテ”である当時のロッテオリオンズは、シーズン中常に移動を繰り返さなければならなかった。
リーグ制覇を目指すチームにとって、この過酷な移動は大きな足かせと言ってもいいだろう。球団の事務所、合宿所は前身の東京オリオンズ時代から継続して東京都内に置き、
首都圏での試合は東京近郊の自宅から、仙台でのホームゲームはホテルに宿泊するという生活は、チーム全体を疲弊させたに違いない。
当時のパ・リーグでは、東京を本拠地とする日拓(現・北海道日本ハムファイターズ)以外、関西で3球団、九州で1球団と西日本に本拠地を置くチームが多く、
移動日を計算してもシーズン中は移動ばかりで体を休ませる時間はほとんどない。この状況でもリーグを制覇し、日本シリーズでも勝利した当時のロッテは、それだけでも非常に屈強な軍団であったことがわかるだろう。
さらに、もう1つ彼らを苦しめたのが、前年から続いていた太平洋との遺恨問題だ。ロッテの優勝を支えた強力打線の一角、ラフィーバーの入団をめぐり、
争奪戦を繰り広げた太平洋との間に大きなしこりが残ったことで、球団側だけでなく監督、選手、ファンを巻き込んだ不毛な小競り合いを続けていたのだ。
この遺恨問題は、金田監督が退場する乱闘劇や、試合に警察の機動隊が出動する大事にまで発展することとなるのだが、結果的には選手、ファンの心に火をつける要因にもなったのは間違いないだろう。
そんな、数ある苦境の中でもロッテは勝ち星を重ねていき、シーズン前期(当時のパ・リーグは前後期制)を阪急に次ぐ2位で終えると、後期は猛追する南海から逃げ切っての優勝を決め、勝率1位でシーズンを終えたのである。
その後ロッテは、前期を制した阪急とのプレーオフでも3連勝し、この年のパ・リーグ優勝を暫定本拠地の宮城球場で飾ることとなる。
過酷なシーズンを戦った選手たちも、金田留広の投手冠とベストナインをはじめ、三井雅晴の新人王、正捕手・村上公康、有藤通世のベストナインとダイヤモンドクラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)受賞など、数々のタイトルを獲得した。
リーグ最高勝率での日本一はこの年から達成していない
まさに破竹の勢いとも言える闘いでパ・リーグを制したロッテだったが、その勢いのまま迎えたセ・リーグ覇者・中日ドラゴンズとの日本シリーズ。
3戦目まではエース・星野仙一、高木守道らを擁する中日に2勝1敗と先行を許すも、その後は投打に選手たちが奮起し3連勝。最終的には4勝2敗でロッテが24年ぶり2回目の日本一に輝き、
弘田澄男がMVPを、村田兆治が最優秀投手賞をそれぞれ獲得。就任2年目にして日本一となった金田監督は、技術だけでなく、体力面や精神面で強いロッテを作り上げたのである。
実は、ロッテはこの年を最後に現在まで、リーグ勝率1位になっていない(2005年は勝率2位、2010年は勝率3位での日本一)。これはプロ野球史上最長の珍記録である。
それ故に、この年のロッテオリオンズが、間違いなくロッテの“黄金時代”と言えるのだ。
ちなみに、金田監督はその後も続投。川崎球場に本拠地を移した2年目の1978年までと1990、1991年も監督を務めたが、いい成績を残せていない。
また、この年の日本シリーズでのホームゲームは観客動員数などの設備上の問題から、宮城球場ではなく後楽園球場で行われており、日本一決定の優勝パレードも仙台ではなく東京・銀座で、行われた。
つまり、仙台の野球ファンにとっては、後に誕生する東北楽天イーグルスが達成した2013年日本一が、長年待ち望んだ地元球団による最初の優勝パレードとなったのである。
出典:『がっつり! プロ野球(28)』 4回の日本一の内、1950年、1974年、2010年と何と3度も寅年というロッテ。
さて今年はその寅年だが、果たして。。。。。。 1984年は前年最下位かつエース村田が故障不在で誰もが最下位予想であったが深沢石川仁科の三本柱が安定し一時は阪急と優勝争いを演じ最終2位にこぎつけた
翌年は落合がキャリアハイとなる三冠王、前後を打つリーと山本も好調、西村横田の1、2番コンビも3割を打ち打撃陣は絶好調
ただ投手陣が村田が復帰し好調、荘勝雄も安定した投球を見せたが深沢石川が絶不調、村田と荘勝雄以外の投手陣が軒並み不調で首位西武と大差の2位
この年に深沢石川が前年並みであれば優勝の可能性もあっただけに惜しまれた 来週の仰天ニュースで小川博の事件を取り上げるみたいだぞ >>650
ロッテの背番号26は「ファンが26番目の登録選手」と言うことで、ファンの背番号ということにして現在欠番となっているが、
それは建前で、球団が現役時代小川博がつけていた背番号26を封印するためとの説がある。
ちなみにロッテの背番号26は小川博引退後1993-2002年に和田孝志、2003-2004年に酒井泰志が着用→2004年オフに小川逮捕、
2005年以降欠番化&ファンの背番号となっている。
この経緯を見ると、一部のロッテファンが欠番化を小川の件と結びつけたくない気持ちは分かるが、
小川の逮捕が欠番化と無関係っていうのは無理があると思う。 元ロッテ首位打者・高沢秀昭さん、63歳で保育士に転身…還暦過ぎてから学校通い保育士資格も取得
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/5805c73fe60de164a93ee57e3e83d5ce174eab5d 佐々木朗希、94年槙原以来28年ぶり、パリーグでは78年今井以来44年ぶり
球団では73年八木沢以来49年ぶりの完全試合達成
1試合19奪三振も95年野田に並ぶ日本記録
13連続奪三振は57年梶本の9連続を65年ぶりに更新する大記録 訂正
9連続奪三振は58年に土橋も記録しているので64年ぶり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています