要は、タニマチ球団なのだ。大阪だけでなく全国どこへ遠征に出かけてもタニマチがおり、選手は連日、彼らに誘われ、夜の街へと出かけてしまう。遠征先のホテルに残っているのは、いつもマネジャーと私だけだった。
なぜ誰も不思議に思わないのだろう。
 もちろん、プロ野球は人気商売だ。熱心に応援、後援してくれるファンあってのものである。しかし阪神は、その一面に甘え切っていた。
もし田舎の高校生だった私が阪神に入団していたら、おそらく今はなかっただろう。
 私が監督をしていた当時の選手でいえば、新庄剛志はまさに典型的な阪神の選手だった。プロ意識はまったくなし。自分のためだけに、
野球をやっているように感じられた。私も長いこと監督を務め、大勢の選手を見てきたが、
あれはまさに“変人”選手の代表格だ。
 彼と話をしていて、これは子ども扱いどころか、赤ちゃん扱いしたほうがいい。好きにやらせたほうがいいと思った。そこで、彼に聞いた。
お前、9つのポジションで一番やりたいのはどこだ?」 すると新庄は、「そりゃあ、ピッチャーです」と答えた。
「じゃあ、やってみろ」
 彼には、理詰めで言っても分からない。言葉では到底、納得させられなかった。それなら経験させてみるしかない。ピッチャーの難しさ。
ただキャッチャーのサインを見て投げていればいいのではない、配球の妙。案の定、「やっぱり、ピッチャーは無理です」と言って、おとなしく外野に収まった。