プロ入りして欲しかった選手 part3
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中京商業で甲子園三連覇の吉田正男
まだ職業野球には偏見の多い時代だった すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
ST0R7 昔の正月番組でポップコーン正一は絶対プロで
通用した、何故スカウトしなかったんだと張本が言ってたね
浪商の後輩という関係もあるとは思うが 藤田卓史(東芝)
親父(藤田学)の存在を考えると、社会人やアマチュアの日本代表の主な大会で活躍し始めたのが、
当時27歳だった2010年の都市対抗野球からだったのはあまりにも遅すぎた… 拓大紅陵の大前かな
柔らかいバッティングをする天才打者だった 鹿児島工業の鮫島
高卒でその気があれば普通に行けたはず 今も現役で、そして今年の都市対抗にも補強選手として出てたが、
フェリペ・ナテル(ヤマハ)
この人の場合、ブラジルの高校(カントリーキッズ高校)から日本の学校を経ずに入社したことが、
結果として日本のプロ野球への道を閉ざすことになってしまった…。 慶応だと谷田と中林
特に中林は確実に指名あると思ったが
慶応ということで順位縛りのせいか? 島清一
海草中→明大→阪神→毎日で宿命のライバル西本幸雄とチームメイトになり日本シリーズ優勝
その後も東映監督として西本と覇を競う 早大の石井藤吉郎
戦後6大学でもレジェンド級のスラッガーだったとか >>20
中林は候補には入っていたが
実際は横浜が指名するかどうかで
あとの球団はそもそもって程度だったから
当時の横浜から求められないようじゃな 今の横浜は左腕大好きだけどw
彼よりもエネオス大城が呼ばれないほうが意外だった
谷田は完全に東大専門打者で最多安打更新の高山や年々力付けていった茂木と違って
行けなかったのもやむなしな気はする 噂によれば性格も難ありらしいし >>34
慶応の先輩加藤幹典がからっきしだったのもあった気が
当時の六大学では二神、戸村と並ぶ候補だったけどな >>28
千葉は今年から九州三菱自動車に入ったよ。
九州三菱自動車は、今年の春に出た小学館の「グランド・スラム」になぜか選手名鑑が載ってなかったからね。 平安ー日大の服部大輔
ダルビッシュと投げ合っていたな 昭和61年に夏の甲子園に出た広島工業の上田。ヤクルトに行った高津よりもエースだった。
広島商業だと佃と金光 >>41
金光は指導者候補としてアマ側に囲い込まれていたのかな?
当時はプロに入ると少年・軟式以外のアマ復帰が困難だったから。
カープだったら入団する気だったとも言われているが。 連投スマソ。
上田は2016年時点ではRCCの企画推進部部長か。
当時RCCで未放送だったごぶごぶ(今はやってるが)に出た時は編成局長だった。
入社当時は報道記者で夕方のニュースでリポートする時があった。
ラジプリズムのブログより。
http://radio.rcc.jp/radiprism/corner/?id=20160317 久慈次郎
函館大火が無かったら巨人入りしていた
試合中の事故死も無かった さいてょ入学当時の早稲田の主将田中幸長かな
鳥谷や引退発表した後藤武敏と同じく六大学三冠王の実績があったのに >>35
加藤>中林だったからな
加藤が活躍していたとしても中林は何か微妙だったしプロから避けられたな >>40
日大へ行った投手だったら、
近藤(ヤクルト)と2011年に夏の甲子園の準決勝(日大三―横浜)で投げ合った畠山太も追加で。 >>34
大城は何がダメだったのか確かに謎
同じエネオスでも後輩の屋宜(日ハム→ヤクルト)や三上(DeNA)に嘉弥真(ソフトバンク)と
後から入ったのがどんどんプロ入りしたのに
年齢はいってたが都市対抗連覇に貢献したんだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています