【巨人軍】金田正一総合スレッド【永久欠番34】 [無断転載禁止]©2ch.net
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1933年8月1日愛知県生まれ。
2年生ながら享栄商業のエースとして夏の甲子園に進出するが、
惜しくも準決勝で敗退。その後すぐに高校を中退し、
1950年、17歳で国鉄スワローズに入団する。
推定155kmと言われる速球と大きく縦に曲がるカーブを武器に
驚異的なペースで勝ち星を積み重ね、
14年連続20勝(1951〜1964年)、ノーヒットノーラン(1951年)、
完全試合(1957年)など輝かしい記録を残す。
1965年、10年選手制度の権利を使用し、読売ジャイアンツに移籍。
1969年に通算400勝という金字塔を樹立し、その年限りで引退。
通算400勝はもちろん、298敗・4490奪三振・365完投など
現在になっても破られないプロ野球記録を数多く残した。
背番号34番は読売ジャイアンツの永久欠番。
<前スレ>
【巨人軍】金田正一総合スレッド【永久欠番34】
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1351089862/ 57年はパーフェクトもやってるんだが、ひじ痛に
悩まされていたらしい。それが、この年の秋は
異常気象でいつまでも暑い日が続いて痛みが
嘘みたいに消えてしまった。そのため58年は
久し振りにベストコンデションでシーズンを迎える
ことができた。開幕戦の長島の4三振もだが、この
年の金田の記録は突出している。 1957年までに182勝してる。
翌年に長嶋茂雄デビュー4三振。
その映像で金田の速球を評価しているよね。 長嶋デビュー年ごろの金田が平均で150km前後だろうと長嶋が証言している。
たしか80年代の解説だからいまのようなスピードガンバブルの前だし
誇張のない証言として信頼できる。
ただ金田が本当に速かったのは入団数年といわれるから
この頃の金田は160kmを超えていた可能性が高い >>649
金田本人は試合では160km/hは無意味だから投げなかったと言ってたけど
今のトラックマンシステムでリリース地点を計測したら160km/hを越えていたのだろう。 当たり前だけど休養たっぷりの時と連投で酷使されている時では球速が違うからな。
金田の時代は年間300〜400イニングがざらだったから
連投時や故障を騙し騙しの時は球速を抑えた省エネ投法だったのだろう。
酷使されてるのに常に全力投球の尾崎などは早々にぶっ壊れた 川上哲治が苦手なピッチャーは誰でしたか?
と聞かれたとき、「私は左バッターでしたから
左ピッチャーが苦手でした。特に金田投手が
苦手でしたね」と言っていた。 カネヤンの才能は置いといて、野球始めて3年後にはプロで20勝なんて‥
今では100%不可能な芸当だな >>648
20代半ばでその勝利数だからね
今では30歳前後でマー君の160勝あたりが精一杯やろう しかし昭和20年代、30年代のプロ野球と
現代の大リーグでは1勝の難易度に違いはある。 今朝のサンモニに張本と一緒に出てたけど
さすがに年相応に老け込んできた感じだった >>657
マー君は日本で100勝近くあげてるんだが・・・ 金田の投げてる姿は184cmとは思えないほどでかくみえる
周囲が小さかったからということではなくほとんど体を沈み込ませず
真上から投げ下ろすから角度が凄い 金田は自分より杉下茂の方が球が速かったと語っている
「杉下さんは、フォークボールのことばかり言われるけど、
あの人の一番すごいのは、ストレートのスピード。ものすごく速かった。
杉下さんは、上半身の力が恐ろしく強い人で、オレなんかとても及ばない。
でも、下半身が、やや弱かった。それで、あまり長くやれなかった。
オレは杉下さんと反対で下半身に粘りがあって強かった。
投手はこっちの方が長持ちする。でもまあ、杉下さんの剛球は本当にすごかった」
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=018-20150511-01 >>661
唯我独尊の金やんにしては珍しい発言だね 杉下は球団から指導者転向を命じられてあっさり受け入れ引退したらしいな。
怪我や力の衰えで辞めた(辞めさせられた)訳ではない 金田も杉下も引退したのは35歳。
ただし杉下は32歳(1958年)で
11勝防御率5位にも関わらず一度引退。
35歳(1961年)で1年だけ復帰し大毎で
4勝を挙げている。金田の引退年は5勝、
23-32歳までの勝利数は金田214勝 杉下211勝である。 関口宏の人生の詩II「徹底した自己管理が生んだ大記録・金田正一」
11月3日(土) 12:00〜12:54
BS−TBS
今回のゲストはプロ野球界の大投手、金田正一。
高校を中退して選んだプロの道。
そして400勝、奪三振4490個、14年連続20勝以上など・・・
今なお輝く大記録の裏側を語る。 金田って引退早いのに400勝だから化け物すぎるよな
50歳までやってたとかならともかく >>668
高校中退で17歳でプロ入り
20年プレーして37歳で引退だから別に早くもないどころか
当時としてはかなり遅くまでプレーしてた部類
近年の40歳過ぎて当然のように一軍の試合に出てる選手を見慣れてると違和感あるかもね
と言っても近年のベテランは引退ラッシュだしそろそろこの流れも打ち切られそうだな >>666
金田も杉下はそれぞれ、
8/1, 9/17が誕生日なので、
引退年の4/2時点の年齢で計算している。
>>668
金田と大リーグ勝利トップ10の年齢比較
※年齢はメジャーに合わせ6/30時点で計算
金田正一 400勝 16-35
サイ・ヤング 511勝 23-44
ウォルター・ジョンソン 417勝 19-39
ピート・アレクサンダー 373勝 24-43 ※最後の勝利は42
クリスティ・マーシュソン 373勝 19-35
パッド・ガルヴィン 365勝 18-35 ※19-21はマイナー
ウォーレン・スパン 363勝 21-44 ※初勝利は25 22-24は兵役
キッド・ニコルズ 361勝 20-36
グレッグ・マダッグス 355勝 20-42
ロジャー・クレメンス 354勝 21-44
ティム・キーフ 342勝 23-36 関口の番組の収録は、留広の死の前か。
末弟の死でひどく弱ってるらしい。 プロ野球勝利トップ12の年齢比較
※年齢は4/2時点で計算
金田正一 400勝 16-35
米田哲也 350勝 18-39
小山正明 320勝 18-38
鈴木啓示 317勝 18-37
別所毅彦 310勝 19-37 ※初勝利は20
スタルヒン 303勝 19-38
山田久志 284勝 20-39
稲尾和久 276勝 18-31
梶本隆夫 254勝 18-37
東尾修 251勝 18-37
野口二郎 237勝 19-32
若林忠志 237勝 28-45 ※最後の勝利は43 別所は謹慎があったからそれがなければもっと勝っていた 投げるとき丈夫な下半身でフォームが安定してるのはわかるが
下半身の丈夫さと剛速球は関係なくね。
金田の剛速球は、左肩が円弧状に動く範囲が広くて
かつ類いまれな腕のしなりを効かせられるからだと思う 69年に読売を契約解除になった時も当初は現役続行を考えていたそうだが
そうなると地元名古屋の中日が有力だったのかな。
当時の中日は過渡期で投手不足だったから衰えたカネやんでも戦力になりそうだな。
余力を残して引退したから
数年後にロッテ監督になった時はキャンプで選手より元気に動き回っていたらしい。
自身が紅白戦に登板して有藤らクリーンアップを抑えてしまった事もあった 引退当時36歳だから、現役続行しても、あと5年くらいはできる。
ただし、年間5〜8勝くらいか。
ロッテで選手兼任監督になって、審判に投手交代を告げる場面で、
「ピッチャー、わし!」の場面を見たかった 金田のフォームってどっこらしょって投げてる感じだけど
よく見ると加速度的にタイミングをずらしてるんだな 最近ホラ吹かなくなって詰まらない
年々自身の最速がアップするのに…
大谷が165キロならワシは170キロだしてたわい… >>684
それはスピードガンがではじめたころからだ。
スピードガンは10km/h以上数字表示が違うから、
野球実況で金田さんの球速はどれくらいですかと聞かれると
このボールが153km/hなら155km/hは投げていたと答えていた。
今だと金田が160km/h以上と答えるのは当然だ。
もっとも金田は試合での球速にはまったくこだわっていなくて
速い球を投げても壊れるだけで意味が無いと言ってる。
大事なのはノビだそうだ。 64・・・27勝( 2位) 2.79( 6位) 310.0回( 2位) 231奪三振(1位)
65・・・11勝(14位) 1.84( 1位) 141.2回 (24位) 100奪三振(12位)
66・・・ 4勝(32位) 3.42( 位) 84.1回 ( 位) 58奪三振(28位)
67・・・16勝( 5位) 2.28( 4位) 170.0回 (12位) 132奪三振( 5位)
68・・・11勝(10位) 3.45(21位) 138.1回 (19位) 87奪三振(19位)
69・・・ 5勝(27位) 4.23(21位) 72.1回 (42位) 48奪三振(37位)
国鉄から巨人だから20勝は当たり前30勝くらい期待されてただろうな 移籍後初のキャンプで飛ばしすぎて調整が狂った65年は仕方ないとして
ひじ痛が治らなかった66年の大不振には川上も頭が痛かっただろな >>685
長嶋が全盛期の江川のピッチングを解説しながら
「江川が速い速いといわれておりますが、ん〜どうでしょう
当時スピードガンがありましたら、金田さんは平均で150は
出ていたんじゃないでしょうかね」と言ってたよ。 留広が先に死んだし、金石も入団当時妹の形見と言ってたから妹も早くに死んだか >>688
>>685
長島さんは金田さんのこと144q/h位と言ってなかったか? >>690
それは捏造だ。
試合で投げたかどうかは別にして、投げるだけなら金田も160km/h以上は投げられる。
意味は無いけど。 金田は巨人移籍後のキャンプで左手にボールをあててしまい、ケガをしたはず。 >>690
平均150と言ってるのはユーチューブの映像で探せばあるよ
144は元ネタがわからん
別の場所でそういったことはあるのかもしれないが 戦前の巨人の選手たちは、「沢村さんはもっと速かった」と証言することがある
昔の名投手を神格化してしまうのは仕方ない
金田も全盛期の自分を神格化してしまうのだろう 普通にネタでやってるんだろ。
謙虚なカネやんなんてどこにも需要がないし 金やんって故・豊田と不仲だったらしいが、何が原因なんだ? 自分が一番と思っているから、チームの他の主力選手とはうまくいかないのでは?
豊田以外にも、箱田とも仲が悪かったらしい 金田、張本、江夏、長嶋、落合らをみてると
基本的に自分が一番で傲慢だし他人への思いやりみたいなのはないな
そうじゃないと一流にはなれんのだろう いや監督時代のカネやんの著書を読むと
選手への接し方などがめちゃくちゃ繊細なのが分かる 監督時代の金田は、山崎と弘田を高く評価していて、職人肌の渋い選手が好きだった。
山崎を高く評価するのは、広岡監督と同じ。
金田は豪快に見えて、選手の評価、野球観は繊細だったと自分も思う。 昔の動画をみてるとカネやんとかハリーとかが解説してるけど
滑舌が良くて非常に解説が上手いのに驚く 金やんって放送禁止用語連発して干された、と聞いたが >>701
繊細なら新浦や湯口みたいになるのかな? >>699
豊田が風邪を引いて弱っていたとき、金田は自宅に豊田を招いて、「金田鍋」を
ご馳走したことがあるらしい。それは高級な朝鮮人参を豊富に使った参鶏湯で、
とてもおいしく、豊田は一発で風邪が治って元気になったという。
金田にはこういう親切で優しい一面もある。 まあ、カネヤンはあの実績だから分かるんだが、豊田は過剰に自己評価していたフシがあるね
コーチや監督もろくに声がかからなかったのも分かるよ 確か落合が初めて三冠王を獲得した時に豊田が「あんな数字が低い三冠王は価値がない」と言ったとか? >>710
「三冠獲ったことない人に言われたくない」
と落合も返してたな カネやんはロッテの第一次監督時代、まだ球団専属のトレーナーが一人か二人しかいなかった時に
自費でトレーナーを雇って選手の体のケアをさせたり、球団に掛け合って夕食を豪華にしたり、
妻帯者はキャンプ中に何日かに一度は必ず自宅に帰宅させたり、いろいろ配慮してるんだよな。 じゃあ仲悪くないよ
>>708
> >>699
> 豊田が風邪を引いて弱っていたとき、金田は自宅に豊田を招いて、「金田鍋」を
> ご馳走したことがあるらしい。それは高級な朝鮮人参を豊富に使った参鶏湯で、
> とてもおいしく、豊田は一発で風邪が治って元気になったという。
> 金田にはこういう親切で優しい一面もある。 少し前に行列に出てた。
短い出演時間だったけど椅子に座ってたから足腰がかなり弱ってきてるみたいだな。 さすがのカネヤンも近いのかね?
野村や王、長嶋より長く生きるかと思ってるが 来月村田兆治、藤田平、桑田らプロ野球OBと明石の野球イベントに登場するらしい
それをドタキャンするようだと健康状態よくないのかもな。
プロ野球で活躍した名選手らが明石に 5月にフェア
https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/201904/0012247638.shtml 東京ドームの始球式で金田が出ていたのを見たが、捕手まで球が届かないので、
マウンドから降りて、打者の近くで投げていた。
監督時代、紅白戦に自ら登板して、現役選手を次々に討ち取って、「ワシはまだ
現役でもいける」と胸を張っていただけに、金やんも年老いたなあと悲しくなった 金田の全盛期の国鉄在籍時には、日米野球で対戦とかなかったの? 86歳到達したんだね。まあ現役時代から心臓病は持ってたが健康には特にうるさい人だったんで 高校野球の投手酷使や張本ダルの話が取り沙汰されてる今、選手を壊さず育成しながらチームを優勝させたこの人にスポットが当たるかと思ったんだが かねやんは180キロ!
本人が言うんだから間違いない! 江夏が今みてもかなり速い
金田は江夏以上の評価だからね イチローの通算安打記録は破られる可能性はあるが、金田の400勝は今後絶対に破られない。 金田がいなかったら、星飛雄馬も大リーグボール1号を開発できなかった
ご冥福をお祈りいたします 名球会としてはなんかやるの?
事実上の追放だろ
会員個人としては葬式とかコメントはだするだろうけど 昭和30年代にも155キロ投げるピッチャーいたんだね。
それでも298敗するんだから、当時の野球のレベルもけっこう高かったんだ。 客が入らない巨人戦以外は手抜きをしてよく負けたと言っていたよ >>739
それだけケガなく頑丈
自己管理ハンパねえ 今の時代だと200勝より200敗の方が無理だろうな
そんな負ける投手が一軍登板続けられるはずないし >>739
救援での勝利も132あるから、先発した試合は勝ち負けドッコイドッコイかもな。
ところで昔猛威を振るってた回顧ジジイって奴が金田大好きだったなと思い出して10年振りくらいに野球伝道版に来たんだが、あいつはまだ生きてるの? >>736
張本氏とのツーショットは初めて見た
お疲れ様でした 国鉄だから353勝しかできなかったではなく
国鉄だから353勝できたと思ってる
優勝争いするチームならどうしたって無理させられるだろ
わがままも言えないだろうし 639神様仏様名無し様2018/02/15(木) 10:05:47.22ID:JUU3O1cQ
全盛期だけを比べれば金田より別所とか江夏とか稲尾とか杉下とかが上かも
でも投球回5526で通算防御率2.34って同時代の他の投手たちと比べても抜群
金田の次に投球回が多い米田哲也が投球回5130で防御率2.91
金田より通算防御率が良い投手の中で投球回が最も多い別所毅彦が投球回4350、防御率2.18 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています