1986年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
75勝もしながら優勝出来なかった王巨人。
巨人軍史上最低の4番のレッテルを貼られマスコミ始め日本中からこれ以上はないってぐらい
叩かれ捲った原辰徳。
史上今んとこ唯一の第8戦までもつれ込んだ日本シリーズ。
そして何と言ってもルーキー清原の高卒1年目とは思えない大活躍。
今でも語り草になってる思い出の多いこの年のプロ野球を語りましょう。
※前スレ
1986年のプロ野球
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1286965249/ 掛布がもしケガしなかったら
優勝はともかく最後まで優勝争いしたかな・・・といつも思う バースの7試合連続時に掛布が骨折してなかったら、85年以上の強力打線も見込めたかも
それぐらい斉藤学は怨んでしまう 掛布は、怪我から戻ってから、なんか闘争心を失っていたように見えた。日本一になり、満腹感が出てしまったのかな?
いずれにしても、不完全燃焼の感がある。 掛布に原、田代と骨折渦にみまわれた
杉浦も故障、宇野も謎の不調で二軍落ちとセントラルの和製大砲には受難の年だった 改めて考えたが
この年は前年先発で活躍したゲイル、中継ぎで活躍した福間が
そろって不振だったんだよな。
打線ばっかり強調される85年阪神だけど、やっぱり先発で軸になってくれる人
そのあとを請け負う中継ぎがダメだったから掛布がもし3割40本打っても
優勝は厳しかったかもね 掛布の離脱で6月まで好調だった岡田も自打球と4番の重圧で後半戦、全く打てなくなったし
あと池田が割りとよかったのにスパイクされてシーズン終了
それでも8月前半まで首位と4ゲーム差くらいだったから、もし万全なら広島も巨人も星を食われて
どっちが優勝したらかわかんないかもね。 掛布は復帰が早すぎた4月20日に骨折 5月16日復帰 5月終わりの巨人戦で
肩関節挫傷 6月21日復帰 8月26日ヤクルト戦 親指骨折 守備も年々もっさりしてたからね
近年だと今岡みたいな衰え方だったなね。 本当に翌年からの掛布って、お爺ちゃんがバット持ってる雰囲気で哀れだった
明らかにスイングスピードは違った
ゲイルは元から神経質で、吉田監督も細やかな対応をした
しかしそれ以上にゲイルは神経質だったために、ついに吉田監督は匙を投げてしまった
球団は解雇したかったらしいが、吉田監督は使い続けで制裁させてしまったことを
「まあ契約社会ですからね。アメリカは」
って意も介さずだった
この球団って後年のメイもだが
外国人ピッチャーと喧嘩別れは意外に多い
それをみてるからメッセンジャーには細やかなんだろう 掛布がもしケガしなかったらこの年優勝うんぬんより
87年以降のいわゆる暗黒時代は来なかったのかどうなのかって
話につながるような。 吉田義男いわく復帰した85年の時点で掛布はすでに練習熱心でなく
ランニングも一番後ろをノルマをこなすためだけにのろのろ走ったとある
有り余る才能で85年は乗りきれたが怪我して離脱すると
二度と取り戻せなかったんだな 監督がみた天国と地獄―一丸野球が崩れるとき 吉田義男
この本読んでたけど、監督1期と2期目で掛布が天狗になってしまったこと
真弓とどんでんが頼りになってたこと バースが85年次に掛布のリーダーシップに非常に不満を
もっていた 86年怪我以降 勝っても掛布が監督と握手せず素通りになってたこと
バース日記で阪神の2軍はいままで見たことないくらいひどいと書いてたな 横谷、渡真利、山口 宮内
これが次期大砲候補だからね
吉田が掛布に固執したのもわかる ゲイルは85年は神経質気味だったが翌年は傲慢になってて
待遇にも細かく口を出すようになっててそれでも成績が伴えばいいが
前年以下だったので吉田の著書には扱いに手を焼いたとあるな 傲慢言うよりさらに神経質だったらしい
吉田義男
「アメリカは契約社会ですからね。うちらにはわからない所もあります」
ただこの年は、前年終盤に骨折した山本和行の復活と新人遠山の活躍が、何とか前半戦優勝争いできた要因だった
もしこれさえ無ければ、Bクラス行きもない話ではなかった >>111
物足りない顔触れだよな。84年弘田、85年長崎、86年柏原、87年田尾、88年金森と、場当たり的な補強をしたのが頷ける。 >>110
バースが掛布に不満を持っていたっていうのは
意外というかなんというか・・・
まあ、年長者で実績もある人がだらだらやってたら
若手もそれでええんかあ〜〜になってしまったらチーム全体が
ぬるくなってしまうわな。 >>116
だいぶ前だけど安藤元監督がこのころ
なんで、この当時兵庫出身の池山とか取らなかったんですかあ!
ってラジオかなんかで質問されたとき
「いやあ、だって当時はまだまだ掛布や佐野がバリバリで投手陣が
いまいちだったから、そりゃ打者より投手を取らないとってなりますよ」
って答えてたけど、やっぱり阪神って5年先、10年先より目先の利益しか
考えない組織だったのかもしれんね。少なくとも当時は
そう考えると、今年の金本阪神なんて、若手をしっかり使って
会社というか組織というか、そういう意味ではすごくまともなチームに
なったのかもしれん。こういう組織でもし吉田さんや村山さん、中村さんが
監督やってたら面白いことになってたのかもな ごめんなさい間違えました>>116じゃなくて
>>110ね >>114
91年には高橋慶彦まで加入して真弓・田尾とちょっと前の
セ・リーグを代表するイケメントップバッター揃い踏みと
なったのにはちょっと驚いた >>116
ネットが変えたことは確か。あとやっぱり星野仙一以降は変わった。
2002年から14年間最下位がないのが物語る 吉田の著書の続きやけど、あん時結局 掛布自身が20歳でレギュラーとったように
猛練習でプライドでくすぐるような若手がいなかったことが暗黒の引き金かな ちょうどドラフトで
清原獲得してればなあ あと元々 土台作りで就任したのに1年目で優勝日本一になってしまったので
難しくなったことかな 阪神が3位に踏み留まった理由として、柏原の存在も忘れてはいけないな。
規定打席には達しなかったが、久々に3割打った。流し打ちが上手くて、引張った時の打球は速かった。
あと、日ハムでチームリーダー担ってきただけあって、野球に対する姿勢が良かった。
翌年一気に衰えたけど… >>122
『高橋ょ』も追加してやってくれ。
あとダイエーからの大量移籍。 柏原はなんと言っても新庄の師匠
敬遠サヨナラも柏原との共同作業 >>121
確か柏原と長崎って同年に引退したっけ。
2人とも物凄い劣化の仕方だったんで子供から見てもドン引きした。 >>125
87年長崎、弘田(翌年コーチ兼任登録だが事実上引退)、88年柏原、89年佐野、91年田尾、92年古屋、高橋慶。 古屋は地味に活躍した。92年の初勝利のタイムリーで亀山がヘッドスライディングしてホームインしたのはラジオで聴いた。
全く活躍しなかったのは高橋ぐらいで
あとは活躍した記憶は多い
それだけ若手が今同様伸び悩みだった
強いて八木ぐらい
大体、掛布が骨折し代わりがいなかったために
真弓、柏原、山脇etc
サードたらい回しだったからな
後年の誰かさんも同じで
フルイニングってこういう時に影響してしまう
で八木を入団させた >>127
おさーるがベスプレで阪神とダイエーの場当たり補強を
ネタにしたチームを作ってたの思い出した
確かにどちらもみんな全盛期だったら結構強そうだったわ この年の阪神なら他は川藤(現役最終年)のキャリアハイもあるな。
ネタ選手扱いなのに代打の切り札に 当時、俺は高2の巨人ファンだった。
バースの連続試合ホームランの最中に、ある「事件」が起きて以後の高校生活は
暗黒に入った。
「ブロハード一発」が修学旅行の前夜。
修学旅行初日が西武優勝決定、最終宿泊日が広島優勝決定、と良くも悪くも
記憶に残るシーズン。 前年から、川藤はようやく打撃の奥義を掴んだと周りには吹聴していた
周りは冗談だろとせせら笑っていたみたいだが
中日のクローザーだった牛島からホームランを打ち出してから
周りの意識は変わったらしい 8月27日時点
巨人 59勝37敗5分
広島 49勝38敗10分 5.5差
優勝確信しただろうが1週間で1.5差 1戦2戦と連勝し、良いムードで来ていたのに3戦目を落としたのが
痛かった。それも大差負けなら開き直れるが、1点差の逆転負けという
悔しい展開。
広島は単打だけの5安打、巨人は二塁打3を含む8安打。これで負ける
んだから。
今年のSBもそうだが、死にかけた相手には確実に息の根を止めておかない
とこういうことになる。確かに首位攻防3タテは容易でないにしても。 >>110
不貞腐れて太った亀山みたいだな
二人とも野球がしたかったんだと思う >>136
この頃の中日は広島が天敵。しかし、10月の4連戦は、4試合で1得点だから、どうしようもない。 強固な守備力と強力投手陣と勝負強い打線
今年の日ハムみたいだったな
この年の広島は >>137
そりゃ巨人に優勝させたくないんだから、手を抜いて勝たせるわw 衣笠という足枷がありながら優勝したこの年の広島
金本という足枷のせいで優勝を逃した2010阪神
何が違うのか
金本のフルイニング縛りは4月に解除されて規定にも達してないが
衣笠はほぼフルイニングだったよな 成績としたら、84年と比べてもほとんどの選手が成績を落としたにも関わらず優勝した広島
しかも9月前までは2位でゲーム差もあったにも関わらず
ただ言えるのは、山本浩や衣笠の成績が夏場と秋は全く違うってこと
涼しい秋にきて体調が楽になったことと、翌年の契約絡みから数字を上げようとしてることが、前半から飛ばした中日や巨人のバテとあいまって上がって来るんだとは思う
トータルとしたら迷惑だっただろうが
秋口は貢献したと思う
衣笠は
少なくとも年間通して迷惑かけた金本とは違う >>134
逆に巨人が追う立場だったが今年も8月の直接対決で澤村が2度セーブ失敗したのが巨人終戦の決め手になった
広島のマジックが点灯した試合で菅野が炎上したのも痛かったがそれは82年のナゴヤ球場江川炎上に近い この年も世論は広島優勝を願っていた。
というより前年ドラフトのツケで巨人に優勝させるな的な風潮が確かにあったな。
周囲は「江川事件の記憶が消えないうちに、また巨人がやらかした」と言ってた輩もいたな。 ただカープも9月25日の試合で
ジャイアンツを仕留め損なって
これでジャイアンツ息吹き返してるんだよな
よく捲くられなかったもんだよ素直に凄いわ
http://2689web.com/1986/1986G.html 終盤のデッドヒートは凄みはあった
代打クロマティの満塁ホームランは鳥肌ものだった
翌日のブロハードも
ブロハードって及第点上げられる数字残したにも関わらず
評価は低かった 3割30本100打点クラスの外国人打者がゴロゴロいたのに
.258 21本 64打点で及第点ですか >>147
同じ神宮でも、クロマティーの満塁弾は10月3日(金)で、
ブロハードの逆転弾は翌週の10月7日(火)。
仮にブロハードが打たなくても広島は残り試合を全勝し、
1日遅れで10月13日(月)に優勝したと思う。 直接対決を終えて広島が残り10試合でマジック10。
巨人が負けた分だけ広島も負けられるが、
巨人は残り4試合だからあまり負けを期待できないし普通に4連勝もあり得る。
1つ負けていいのと、そうでないのとでは大違いだったと思う。 山本浩二が地元最終戦に家族を呼んだのは
優勝が厳しいと思っていたからと当時言われたいたのを思い出した >>150
直接対決を終えた後の巨人の残りは9試合。
中日3、ヤクルト4、阪神と大洋が1ずつ。
本拠地・後楽園が中日3連戦のみで残りは全てビジター。
直接対決終了時点では巨人が全勝しても広島が4敗しないと優勝はないと言われていた。 ことしの最後と同じで4球団が共闘で広島を勝たせに来ていたのも大きい >>148
広澤(当時プロ2年目)とそんなに変わらん成績だな。 最後の甲子園での阪神vs広島戦、阪神ファンはどんな心境で観てたんだろう?
阪神が勝つと巨人をアシストしてしまう。
その前に遠山が広島を完封して広島は苦境に立たされたのだが。 >>154
そんなに変わらんはちょいとオーバーだった。
しかし、この年のセの外国人打者はなかなか
好成績揃いだな。
打率が低かったゲーリーにしても本塁打多いし。 セは打率1〜4位をバース、クロマティ、ポンセ、レオン
パも2〜4位をブーマー、デービス、リー
ここまでは主砲として申し分ないレベル
ローマン
ブリューワ、パットナム、デビッド
打率本塁打打点いずれかが物足りないが十分合格点なレベル
ブコビッチ ブロハード
期待外れ
ゲーリー
低打率三振王もリーグ3位タイの36本塁打 打線低調の中日だから合格点? 谷沢はシーズン最終戦(10月17日)にホームランを打っている。この時点で辞める気は無かっただろう。しかし、星野が監督に就任して、11月2日に引退表明。あれから30年になるが、中日のユニフォームを着ていないんだな。 各所で86年の成績を見ても出番は減ってたとはいえ
1001に人格否定に近いレベルで罵倒されるほどとは思えないんだがなあ
少なくとも代打としてならまだまだ戦力になりそうではあった 谷沢は首位打者2回の名球会、早稲田卒で優勝にも貢献した生え抜き
これで古巣の中日からまったく監督コーチの
誘いがないんだから
よっぽど嫌われてるんだろう 日本シリーズ開幕週にあたる10/16か17に神宮でヤクルト×中日戦があって、
この日が確か山本昌のプロ初登板だったかと記憶。 >>160
星野が監督として失敗していたら、谷沢が中日のユニフォームを着る機会もあったかもしれない。 高木代行が成績良かったら翌年高木が監督の可能性もあったのかな
大した成績を残せなかったので星野が監督になったが 加藤初が5回くらいまで完全かノーノーが2回くらいあった >>167
それで名を売ったからなのか(?)、この年のオフに発売された
「プロ野球ファミリースタジアム」でも、レールウェイズの一員
として名前が載っていたなw 1980年代後半、巨人の周辺で慶山という整体師が大きな話題になった。86年に骨折
した原に独自のストレッチ体操をほどこして回復させたり、中学時代の水野は
姉と腕相撲をしても負けるほど体力ない選手だったが「お前をプロに連れていって
やる」と宣言し、後年その予言は現実となる。巨人での慶山氏の信頼は大沸騰し
まさに「慶山教」だ。と古記録にある 今、慶山氏は全く話題に出てこないが 中畑がデス杉本からサヨナラ本塁打
打たれたデスはグローブ投げつける
マナーが悪すぎる スライダーなら85年の時点でも投げてたと思うけど
岡田に打たれたのはどう見てもスライダーだし そうだな。日時は失念したが、先発が降板して緊急登板した試合で、いい感じ
でスライダー投げてた。ここで槙原は一皮むけた 83年の日本シリーズでも槙原VS杉本2試合だったからな。
0ー0で杉本がスローカーブを投じて中畑にやられた。その日本シリーズでは9回2死で逆転打だったが。 西暦の末尾6の年の広島は色々あるね
86年 劇的優勝
96年 大逆転負け
16年 かつてない盛り上がりで優勝 この年、85年から急に打球飛ばなくなったけど何かあったっけ でもバースと落合は変わらず打ちまくってたのがスゴい >>175
86年はシリーズも歴史的大逆転負けだったな >>179
全然浸透せずに終わった。翌年からは、話題にすらならなかった。 その新ストライクゾーンで日本一の阪神が大洋に開幕3連敗 ストライクゾーンは浸透したぞ 86年以降の低めはようやく今の時代と変わらないレベルになった
85年までは膝頭より上しか取ってもらえなかった むしろ2002年の高めのほうがひどい 86から落ちる球と奪三振が大幅に増え始めたから影響ないわけない
落ちる球はスコットのSFFブームも大きいけど >>83
87年後半、前年外野守備と機動力を見込んで補強した吉竹が故障していなければ、
平野獲得していたかどうか・・・ >>186
「スプリット・フィンガード・ファストボール」だっけ?
今では殆ど聞かれなくなったな。 むしろ今の方が頻出するようになってないか?
当時は予想より流行らなかった。阪急の山内とかそれが売りだったらしいが。 巨人が近鉄から加藤英司を獲得したけど
この年僅か13安打とふるわなかったな
95の阿波野や97の石井の時もやらかしたし 86年のシーズンか東西対抗か忘れたけど山本浩二が桑田がアメリカ仕込みにスプリットなんか投げてるけど
あの球では通用せんだろと酷評してたな
桑田は表情を変えすぎるとも言ってた
後の桑田を見ると本人にアドバイスしたかもしれないな 83年〜86年オフにKBS京都で放送してた
「タイガースフィーバー」で王貞治が出るヴィクトリアのCMが流れ、
上岡龍太郎がCM明けに
「只今、タイガースフィーバーにふさわしくない
CMが流れました事をおわびいたします」と謝罪したが、
よくスポンサー怒らなかったなと思う。 2002年の高めが広い新ストライクゾーンは全く定着しなかったのに
こちらの方がすんなり定着したのはなんでだろうね 阪神の岡田が巨人の新人の桑田をやたら嫌ってた記憶がある
当時、岡田自身が「桑田は北陽高・早稲田大と俺の母校を二度も蹴った」と言ってたとか この時代はファンも熱かったな。岡田有希子の後追い自殺もこの年だな