巨人監督 長嶋派・藤田派・王派 [転載禁止]©2ch.net
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>>101
篠塚ならカーチェイスやるようなドライビングテクニックなら教えてもらえるかもよ。 ジャイアンツ球場になってから若手が全然育たなくなって派閥どころじゃなくなったな。 三原−長嶋
藤本(定)−川上−藤田−原
−王(川上派から分立)
水原−広岡
後任予定
長嶋派:松井
王派:小久保
原派:由伸
広岡派:工藤 現場復帰しなかった広岡は賢い。
あの考え方に合うチームが平成の世にはないことを感じていたのだろう。 >>105
南海残党はちゃっかり王派に加入してるな。 第二次藤田の後継争いで、第二次長嶋を阻止せんと川上派が國松擁立を画策したと聞いていたけど、國松の扱いはここではナボナつながりで王派なんだな。 王派=中間派との解釈かと。
川上に極近いとされた藤田監督が長嶋寄りとされたナベツネさんとの軋轢に依る
退任に際して、中間派を担ぎ出す事で敵対関係の長嶋監督就任阻止を図ろうとした
なんて筋書きは一般社会でもありがちな話だしな。 ベン図でいえば真ん中にくるのが王派だな
ただどっちかといえば藤田寄りな気が Jリーグ人気でプロ野球の危機が(真剣に)叫ばれていた時代に
巨人が国松監督だなんて世間が許さないだろうw 1970年の黒い霧事件当時の新聞読んだことあるけど、藤田は慶應閥の正力オーナーがポスト川上の監督候補として擁立しようとしていたため、
川上に疎まれ、その川上は藤田よりも中尾を重用していたと書いてあった。 長嶋追放で森巨人って案も実現寸前だったけど、あれはどこの差し金なんだろうね。 川上さんと長嶋さんの二大英雄の
理想とする野球、チーム作りが
相容れなかったところに巨人の深い悲劇があるんですね。
川上さんの管理野球の継承者として広岡、藤田、森監督が現れたのに対して
長嶋さんの閃きと冒険と感動の野球は誰にも真似ができない。 長島の場合、野武士野球とは違うな。
野武士野球の系譜は三原→仰木だろう。
長島が目指したのはメジャーリーグのスタイル。
ダイナミックでファンが喜ぶ野球だよ。 >>120
藤田って管理野球か?川上や広岡に比べて選手を甘やかしてた印象が強いが。 >121
長嶋は野武士野球(自由放任野球)じゃないよ。
選手に砂押直伝のスパルタ猛練習を強制したし、鉄拳制裁もしょっちゅうしてたし、三原や仰木みたいな
放任スタイルじゃなかったよ。むしろ西本幸雄に近い。 山際淳司が第一次長島政権のデータ調べて書いてたけど、
スキあればバント、スキあれば継投。
第二次政権はリアルタイムで見てたけど、要は堪え性のない人なんじゃないか?
コイツは!と思って使った選手がダメならすぐ見捨て次の選手を探す。
それがダメならまた次を……。
選手に不満は残るが、ミスターだけに文句は言えない。 監督就任時謳ってたのはクリーンベースボールだっけ。今となっては皮肉なフレーズだが。
第二期監督時も清原バントとかやらせてたよな。 クリーンベースボールってあんま話題になんないけど、凄いフレーズですよね。
要はV9巨人はせこいことやってたってことでしょう?
基本的にクリーンな野球なんざない。相手の裏をかいて、そのまた裏をかく。
そこで「クリーンベースボール」
どう考えったって負けるよね。 6年前さんまのまんまに清原が出た時バントのサイン出たって言ってたな
三塁コーチの篠塚に確認したらキヨ、バントのサイン出ちゃったよと 2001年にあったのは覚えてる。
たしか阪神戦で、次打者は由伸だった。結局由伸は凡退し無得点だった。 >>121
違うよ。川上と長嶋の野球観の対立は、サッカーと同じで守備的な野球か攻撃的な野球の違いだよ。
川上、広岡、藤田、森、星野、落合は一点を守りきる守備的な野球、西本、長嶋、王、権藤は一点でも多く取る攻撃的な野球 星野って宮田を投手コーチって呼んだことあるけど
川上の推薦❓ 黒江って何に派❔
長嶋広岡森王の下でコーチ
80年オフ藤田にコーチ要請しているが先に要請があったが中日のコーチへ 黒江って78年ぐらいになんかの問題があって
解雇されたような事を、選手引退の時の本で
土井の所で載ってた覚えが。
黒江がいなくなるのでコーチ兼任だった土井が引退して
コーチになった事で。 土井って檻の失敗ばかりだが巨人ではどうだったんだ
あと高田。
こいつは土井以上に失敗ばっかなのになんで叩かれず仕事が来まくるんだ 高田ってハム監督、巨人コーチ、二軍監督、ヤクルト監督と
いいイメージないな
三本柱頼みだった堀内のコーチ時代も酷かったが
土井はオリ監督辞任後巨人コーチでオリに日本シリーズ負けて
その後二年連続優勝逃して辞めた >>135
どちらかといえば王かな
黒江の弟子の伊原が巨人でヘッドコーチやってたし、藤田派とも繋がりは深いね いや森派では?
西武、横浜でヘッドコーチしてた。
王派でもあるか?
ダイエーで助監督してたし。 南海でいうなら
川上派 鶴岡派
長嶋派 野村派
森広岡派 大沢親分か? >>136
三塁コーチャーだったが、強引すぎるほどに本塁突入を敢行し憤死が続出。
マスコミからは「壊れた信号機」と揶揄された挙げ句に78年閉幕後にクビ。 柴田は王のスケープゴート。
監督1年目までは王は叩いてはいけない聖域だったから
あまりよく思われていなかった柴田が生贄になった。
王も3年目あたりからはぼろ糞、最後の年あたりは叩かれ過ぎくらいだったけど。 >>141
大沢は鶴岡寄りだろ。生前から野村に批判的だったよ。 >>146
ロッテに放出されて一時は鶴岡嫌いになった。
当時SFジャイアンツとの帰属問題の渦中にあった同じ神奈川県出身の村上投手に
対して「南海みたいな面倒観ない球団なんかに居るくらいなら大リーグに行っちまえ
よ!」と吐き捨てたなんて逸話も。
後に10年選手ボーナスの便宜や引退後のコーチ就任込みのロッテ放出と
理解して再び鶴岡に恩義を感じる様にはなったけど。 柴田は当時球団ワーストのチーム防御率だった堀内と一緒に切られた
堀内は長嶋の時投手コーチ時代だったが3本鋳圏鰍ンだった >>111-113
王は監督時代は川上野球を手本にしていたと語っているし、川上派の打撃理論であるダウンスイング論者の荒川を信奉してることから、限りなく川上派に近い存在かと。
>132
川上派と長嶋派の最大の違いは打撃理論。アッパースイングを否定してダウンスイングに拘るのが川上派で、ダウンスイングに拘るなというのが長嶋派。このことで
荒川と青田がよく対立していた。 >>147
当時はロッテじゃないよ東京オリオンズ。 西本聖って指導者として巨人に戻ってくるのだろうか
歳だけど >>151
多分無い、前投手コーチやってた香田も今は阪神で駒田に至っては巨人が一度もないからな
フロントと行き来してるコーチとか一部の例外は別として一度コーチやった人がまた復帰したり他球団でコーチやった人が長いブランクがあって巨人のコーチでやる例は少ない気がする ノムさんの本に大沢を「殴ろう会」ってのがあったらしいが……ホントかね? 大沢が監督のとき南海の同僚で呼んだコーチは新山ぐらいか
東京オリオンズの同僚だと植村と大学の後輩でもあった矢頭 >>141
ノムは広岡とかなりカブる要素が多いだろ 打者はそれなりに育てたんじゃないか
吉村がああなっちゃったけど 長嶋が育てて藤田が仕上げた巨大戦力だったが
王監督はその使い方がわからずそのまま藤田に返してしまった
こんな小噺がある程度に王は駄目監督扱いだった 王はベンチでいつもイライラしているように見えたから、イメージが悪いというのもあると思う。
それを反省したのか、ソフトバンク時代はそういう表情を見せなくなったが。 王はよく九州に行ったよね。
いくら根本がいると言ったって失敗するかもしれない。
古葉や森は横浜に行って評価を著しく落としたし、まして王貞治って名前がデカすぎる。 FAや逆指名ドラフトが出来たのも大きいんじゃないかな?
少なくともこの制度がホークスに不利に働くことはない。 藤田から円満禅譲されたんだからそのままやったりうかがいたてたりしたら良かったのに
あと当時の王は選手を見抜くのがうまかったというGM的な要素に長けていた 斎藤雅樹を見抜けなかった王
イチローを見抜けなかった土井 >>153
長嶋は第二次監督時代の末期、
グラウンドに西本と広岡がいるときは監督室にこもってたらしい。
何かいきさつがあったのか苦手なタイプだったんだろう。
>>168
斉藤は投手なんだからコーチの堀内の責任だろ。
堀内の実態は>>148 >>164
王は尾花以外投手コーチに恵まれなかった
堀内皆川村田兆治藤田学杉本正 >>164
巨人の監督就任当初のコーチ人事は王主導だったんだからそんなこと言えんだろ。
一軍のコーチを全員年下で固めたことに対する危惧の声はあった。
実際誰も王に諫言できてない感じだったし。 藤田がSDとして君臨していたら良かったかもしれないと思う
だけど立場は逆なほうが生きるんだよなこの二人 王がコーチの話に耳を貸すようになったのも、ダイエーで尾花就任以降くらいの話とか言われてたな
あれだけの存在になっちゃうと、周囲も色々気を使わざるを得ないのかもしれないが 黒江の話は聞いていたみたい
ダイエー監督就任時誰も連れていかなかった >>123
星野仙一が長嶋藤田王時代で1番厳しかったのは誰?
っと3人と仕事した選手に聞いたら全員が藤田監督だってさ >>169
堀内の在任時(84〜85)、斎藤は割と順調だった。堀内退任後、微妙な扱いになっていった。 1988年当時の巨人ファンならわかるだろうが
OBも評論家も口をそろえて「斎藤雅樹は先発でつかうべき」だった
しかし王は結局退任までリリーフ起用をやめず
おそらく日本でただ一人王だけが斎藤の価値に気付いてなかったのだろう 昨日の発売の週刊現代で斎藤雅樹が辻内育てられなかったのが
後悔していると言ってたが斎藤ってコーチ時代育てた選手っているのか 王が最初の時、牧野がヘッドとして残ってれば
少しマシだったかもしれないけど、
もう辞めた時点で癌が進行したらしいからな。
無理だったか。 85年は斎藤がチームの勝ち頭だった。
長く続いた江川、西本の牙城を崩して、片鱗を見せていた。 斎藤1年目は藤田だったが高卒1年目で一軍登板なし
2年目から王になって一軍登板するも、リリーフが多い。
この王時代の84年〜88年の成績はというと、ずばぬけて素晴らしいんだよな。
5年間 137登板 27先発
29勝14敗11S 360.2回
防御率2.84 WHIP1.09
この成績なのに5年間で27先発・360イニングしか投げていないのはまさに宝の持ち腐れで王の見抜く目がなかったんだろう 板違いだけど
>>大沢を殴ろう会
ノムさんの本以外出典を知らないのだが...
かつてノムさんは「殴った選手は二人だけ」と記していたけど
高橋里志を含めたら三人だな。
高橋里志が他チームで活躍したのが面白くないのだろう。 >>176
順調じゃねえよ。明らかに伸び悩んでただろうが。
最初に活躍したのは前監督藤田がサイドスローに転向させたことが大きい。
藤田が復帰したとたん平成の大エースに大化け。
堀内は何もしてない、無能コーチの極み。 堀内は指導者の適正が皆無
一回目も二回目も藤田遺産を食い潰しただけ >>184
現実に入団3年目の85年はチーム最多の12勝、防御率はリーグ3位なんだから、順調に育ってたと言えるんじゃないのか?
翌年(コーチは堀内→皆川)途中から何故か先発から外されたのが不思議だった。 堀内が監督の時堀内の要望でコーチになった人って誰かいる❔
山本功児、関本ぐらいか
ヘッド須藤、投手の池谷は就任前に決まっていて淡口は前年二軍監督で
阿波野上田井上高田誠は前年二軍コーチ
高橋一三は二軍コーチから二軍監督に >>173
ダイエー時代は黒江とか金森とか、巨人時代よりは良かったな。 ダイエー時代は根本さんの存在が大きかったんだよ。
それまで畏れ多い存在としてコーチや選手が腫れ物に触るような意識だったのを
根本さんが「世界の王ったってラーメン屋の倅だぞ」と言って垣根を取り払った。
元々が気さくな性格の王だったから、本人もそれで楽になったそうだ。
選手もそれ以降は気軽に話せるようになった。城島みたいにベンチで王に反論する様な
選手も現れた。そんな城島を王は歓迎して可愛がったよね。 巨人時代に藤田や長嶋あたりがそれを言ってやれなかったのかな 須藤豊って長嶋の時に二回切られているんだな
最下位だった75年、30億円補強して三位に終わった95年 そもそも奴は横浜Aクラスだけで過大評価じゃないの?
勘違いして本まで出したりしたし 須藤が野球はともかく人間的にゲスなのはもう知れ渡っているからなw 江川は伊東キャンプ以降長嶋さんに対して良い感情無いでしょう。 >>196
典型的な長嶋派だよ。
王と藤田の采配を貶しても長嶋トンデモ采配には批判どころか絶賛してたほど。 >>186
だからそれは藤田がサイドに転向させたからだ。
堀内は何にもしてない。藤田と二軍首脳陣が育てたんだから活躍は彼らの功績。
それが85年だけの一発屋になりそうになったのは堀内の責任。
実際85以降は転落したんだから藤田が復帰しなかったら終わってたわ。 王長期政権なら斉藤は中継ぎのまま終わったんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています