原辰徳80年代最強打者だった [転載禁止]©2ch.net
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ONのあとの巨人のプレッシャーでの通算成績は見事
もし他の選手が巨人の4番だったらプレッシャーで潰れていたことだろう
間違いなく80年代最強打者は原辰徳だ バースより、原さんのほうが圧倒的に凄いよね
バース 通算安打743 通算本塁打202 通算打点486
原さん 通算安打1675 通算本塁打382 通算打点1093 スレタイに「巨人」が入っていれば、概ね異論はなかろう 原なんてそもそもチームメイトのクロマティ以下の打者だろ。 落合が巨人にきたら30割21本がやっとだった
原さんの勝ちだな
落合は4番の重圧に負けたんだよ 落合43歳.301 21本 86打点 OPS924
原 30歳.300 31本 81打点 OPS936
原はここからOPSは下落の一途 原の過小評価の風潮は多分にマスコミのネガティブキャンペーンによるものだからな
最強打者かどうかは微妙だが例年安定した成績は残してきたからな 安定した数字という表現は理解できるが、
年度別の数字を見るとHRでは最高36本が1回、次いで34本が2回、
通算で30本以上シーズンは上記を含めて6回。
回数でいえば山本>掛布=原。
但し、山本は5回(連続)の40本超え、掛布は2回、原はゼロ。
通算382本は歴代20位(引退時は15位くらいだったかな)、
近い世代だと上には山本落合秋山(ココまではやはり原より格上)
、大島がタイ、下だと掛布、宇野、田代、岡田、石嶺 辺りか。
この中でも大島、掛布、宇野は1回のみだがHRタイトル取ってる。
岡田は85年の狂い咲きを除けば勝ってると言えそう。
日本人だけで見てもこれだから、原のポジションは偏差値48くらいかなぁ。
三冠王バースブーマーをはじめ、各チームにタイトル争い常連の助っ人もいたし、
外人まで含めて各チームのクリーンアップ打者偏差値の中だと44くらい。
ONの後釜を一人で背負う大変さは同情するけど、物足りないのは間違いなかった。
1回でもHRタイトル取ってれば、もう少し印象も違うんだけど・・・
勝負弱いとかいう話しは基準が曖昧だから、何とも言えんな。
87年と92年は勝負強かった印象はある。
HRランク通算20位ってのが、一番誇れる記録かも知れんw
大リーグだと500本レベルだしw
もしも86年の怪我がなければ、85岡田みたいな狂い咲き補正があったかも。
それでも怪我直前は一ヶ月くらい、打てなかったと記憶しているが。 最強打者なのは間違いないだろ
巨人の4番のプレッシャーを受ければ
誰もが撃てなくなる
現に巨人にやってきたはプレッシャーに負けて
落合は原さんの成績に1度も勝つことが出来なかった その巨人に非ずは人間にあらず、みたいな発想が、今日の野球人気の衰退につながったことを自覚しろ。 原はONや松井と比べると
巨人の4番としてしょぼすぎるね >>15
間に原が居たから、松井はONの呪縛から比較的自由で伸び伸びと好成績を残せた
と言えない事も無いかと……….いや関係ないか(´・ω・`)
只、王が現役時代、常に長嶋と比較されて勝負弱いとか言われたのと同様のプレッシャーにはさらされていたかと。
例え毎年3割50本100打点稼ごうと「ONはこんなもんじゃ無かったお(´・ω・`)」とか
何とか。
それが原が間に居た事で 王で「勝負弱い」と表現されるとかどんだけだよw
原はともかく、王が言われるのは流石にいわれのない話しだね。
長嶋の得意タイトルがHR王よりも勝負強さの指標と言われる打点王だから、
それを基準に表現しているのではないかと思うけれど、
通算はいうまでもなく、タイトル獲得数も王が凌駕している。
ただ、長嶋派の強みはキャリアベストが王に1打点勝っていることかな。
どちらもレジェンドだが、「王の前には流石の長嶋でさえかすむ」という
表現の方がはるかに史実にかなっているとは思うが、
流石にそれはタブーだったのかね。
松井橋が揃ったときは、いずれ
「怪物松井の前では流石の天才高橋も、幾分かかすむ」
という時代が10年近くは続くと思ったもんだが。 巨人戦の平均視聴率が最も高かったのは
ONの時代でも、高橋松井の時代でもなく、原の時代なんだよな。
80年代でくくる必要はない。巨人歴代最強の4番は原辰徳。
人気がそれを証明している。 >>18
川上は
「王はここぞというとこでよう打たんかった。ただ王がダメ押しのホームランを打つと勝負は決まって次の試合の準備ができた」
と言っている。
それはそれで立派なことだ うちの親父も長嶋はここぞというところで打ったが王は打たない。
と言ってたな。こういうのはリアルタイムで見ていないとわからない。
それが王信者が少ない理由だろう。 >>19 原人気がそれを証明している。
それって、もし裁判なら証明にならず却下されるぞ。
因果関係はどうなってるんだ?時代背景・ライバル抗争
・抜きんでた投手陣…色々あるぞ!それを差し置いて
まずは「原ありき」か!?お前はアンポンタンの大馬鹿だ >>12
掛布のホームラン王が1回とかいい加減にしとけ
知らないなら書き込みな >>22
いや、原は間違いなく当時の巨人の「顔」だった 当時の巨人の顔つうか「象徴」は江川でそ。
色んな意味で。 V9時代はON対他チームエース(村山、江夏、星野、安仁屋、外木場、松岡、安田、平松etc.)の対決が話題になったが、これが80年代では江川対他チーム主砲(山本浩、衣笠、掛布、バースetc.)に代わった。
巨人の顔は江川だったって何よりの証明。 原さんはカッコ良かったな
巨人の4番のプラッシャーの前では
三冠王取った落合でさえ原さには
勝てなかった。これは厳然たる事実なのだ 山本浩二も巨人の4番のプッレシャーをうけたら
平凡な選手になっていたろうな 原さんは人気もあったし、100m11秒で足もあったし
4番じゃなければ30盗塁も出来たな 逆に原が他の球団にいたらどうだったのか?
山本や掛布以上の成績を残せたかは証明のできる話じゃないし
むしろ巨人のエース級ピッチャーを向こうに回すことになるわけだから
巨人で四番はるより結果は残せなかったかもしれない 原さんがロッテで気楽に打っていたら巨人のプレッシャーから解放されてたらもっと凄い成績を残せてたのは間違いない >>18
3番・王、4番・長嶋の並びなのは王が長嶋に比べて勝負弱いから…..とか普通に
言われていた。
実際は王の出塁率と長嶋のクラッチヒッターの特質を最大限生かす為のその並び
なのは明らかで、長嶋が絶不調だった1970年も、3番王の首位打者&本塁打王の
二冠に助けられた格好で、.269 22本塁打ながら105打点で打点王と今年のどこぞや
の4番と似た成績を残していたり。 >>31
田尾が「ドラフトで大洋に入ってたらホームランにこだわることもないし、
中距離打者として大活躍してただろう」と引退時に言っていたな。
盗塁だってやろうと思えばできた打者。 原さんはカッコよかったな
全盛期のイチローよりも全然人気があった 野球ではなく、映画の東映からスカウトされたくらいだからな 原さんは誰もが憧れてた。守備人気走塁も含めたら80年代最強選手だったのは間違いないな 原が王の時代に生まれていたら1000本塁打を記録していたと思う 原さんがメジャーにいっていたら三冠王を二回くらい取ったと思う
それくらいオーラが違った レギュラー外されたら急に特大な当たりのホームランを連発するようになった。
プレッシャー無かったらかなりの所までやったかも。
6番くらいが丁度良かったかもね。 >>15
ONや松井やイチローでも人間だから10割は打てない。そりゃチャンスに凡打くらいする。
若大将は一打席でもチャンスで凡打すると偉い叩かれようだったのでちょっと
気の毒だった。 原の80年代の時代って異種独特のプレッシャーの掛かる時代だった。
V9時代は巨人も人気低迷に喘いでいたし松井の時代はもう野球人気に陰りが
出てきていた。もう毎年優勝出来なくなっても文句も出なくなってきた頃だった。
あんな極限のプレッシャーの中でよく頑張った方だと思う若大将は。 ヤーさんに1億ものチップを気前よくポンと払った程だからな。
流石は栄光の読売巨人軍の4番だね。 >>26
毎試合出られない投手はチームの顔ではあり得ない。
毎試合全打席4番出場の原こそがチームの看板であり顔である。
4番打者とは勝敗のすべてを背負う打者のことである。
落合博満 80年代最強打者は山本浩二
次点で原
掛布は実働年数が少なすぎる
消化試合王の落合なんか論外 >>47
矛盾だらけやな。山本浩二は86年引退だから、実働7年、掛布は88年引退で実働9年、原は81年入団で実働9年。いずれにしても、原は山本浩二、落合、門田、掛布より格下。 まず当時レベルが低かったパ・リーグの成績は説得力皆無
掛布がレギュラーで働いたのは81〜85のたった5年
原さんは81年の入団から90年まで連続20本塁打
「巨人の4番」という球界最高のアドバンテージもある >>47
アンチ乙
いってることがデタラメすぎる
原さんがカープだったら10年連続で三冠王を獲得していた
それくらいに実力が違う
80年代どころか野球史最強の打者が原さん 全試合全打席に全国民の注目を浴び続けるという空前絶後の
プレッシャーに耐え続けた巨人の4番、原さんを
他球団の4番打者と比べるのは失礼すぎる。ステージが違いすぎる。 >>20-21
ここぞというとき王はフォアボールだよ。
圧倒的に王フォアボール長嶋勝負が多かったんだよ。
王の通算得点圏打率調べてみな 話にならない。徳光ばりの巨人狂信者だな。これ以降はスルーしよう。 イチローの何が凄いか全くわからん
圧倒的に選手としては原さんのほうが上だったろ 話にならないのは>>53の方
スコットランドの草野球リーグの三冠王と
巨人の4番として30本塁打とではどちらに価値があるかなんて子供でもわかること
ロッテやカープの4番なんて価値的にはスコットランドの草野球リーグと一緒 原さんはプロ野球選手としては致命的な優しさがあった
本気で打てば本塁打になる球も優しさのあまりポップフライにしていた
原さんのポップフライを全て本塁打に換算すれば
誰が真に偉大な打者だったかは知能の足らない>>53でもわかるはず >>58は原さんにフルスイングしてもらえば目が覚めると思う 何気に知られていないが、1973年の王の得点圏打率は.473だったんだよな
ただ、得点圏打数が極端に少なかった記憶がある >>39
>守備人気走塁も含めたら
石のグラブ…. 1980年代セリーグとなればそうかも?まっとうに通算成績で。
ライバルとなりそうな山本は1986年で引退、掛布は1985年で終わり、岡田は1985年だけ、 吉村の大怪我の穴を埋めるべく左翼にコンバート
内外野守れるユーティリティー四番打者 吉村は致命的に才能がなかった
原さんスレに名前を出すレベルにない >>55
同感です。
平均視聴率が25%を超える時代に4番を張り続けたのが原さん。
巨人軍の4番というプレッシャーのすごさは、三冠王落合が数年で逃げ出し
パリーグを代表する4番だった清原は数年で精神が崩壊した。
松井もメジャーへ逃亡した。これをみれば明らか。
吉村やパンダならプレッシャーに耐えきれず自らの命を絶ってしまうおそれがあった。
そういう巨人軍の4番打者としてのヒット1本、ホームラン1本は他球団の打者の
それとはダイヤモンドとガラスほどにも価値が違う。同じにしてほしくない。 アンチ乙
原さんの業績と比較するなら曹操とかナポレオンとかアインシュタインやろ
80年代とかそんな狭い枠で捉えるとかありえん >>65
ほんとこれ
ホームラン王とか三冠王とかジャイアンツの四番に換算したら5本塁打くらいの価値しかない 最強打者ってのは置いとくとして、チャンスに弱かったってのは、
マスコミが作り上げたイメージなのは間違いない。 そりゃそうよ。首位打者6回取っている長嶋茂雄よりチャンスに弱かっただけだからな
4番のプッレシャーに負けずにあれだけ打てれば大打者だわ。落合なんて酷いもんだった 原さんはオーラが違った
ポップフライも認定ホームランにカウントすべき 歴代で、超一流10人>一流40人>一流下50人⇔原⇔二流上>二流>二流下>三流・・・以下省略。
本当に微妙なライン上にいたのが原だったね。 原は新人の年から、巨人の主砲となった。それが1981年。
そして、80年代にセリーグで最も多く優勝したチームは巨人。
つまり原は、セリーグで最も多くチームを勝利に導いた主砲だったということになる。
最強打者の定義を個人成績に置くような頭の悪いクソ馬鹿野郎が多いが、本来4番とは、チームを勝たせてナンボなのではないか。
原と清原だけが、4番打者の本質と宿命を知っていたのである。
それがわからない低能は、野球を語る資格がない。このスレに書き込む資格すらないだろう。 >>75
江川、西本、定岡、加藤初
投手陣が良かったんだよ。 >>75
すさまじいな。まさにリビングレジェンド。チームを勝たせるのが4番という落合哲学にもとづけば
客観的にも最高の4番打者が原さんであることが完全に証明されたことになるな。 たまたまピッチャーや助っ人が揃っていた時に4番目に打っていただけ。
4番目打者ね。原君の代わりに広島山本が居たら不動の4番打者で原君
は5番目になってたよ。運がよかったんだよ。 三番クロマティ 大歓声
三番篠塚 歓声
4番 原 微妙な声援
五番吉村 大声援
原辰則の現役時代 >>78
広島山本なんて巨人の4番のプッレシャー受けていたら
.250 15本ぐらいの中途半端な打者になっていただろうな >>75
4番じゃ無かったけどな。>1981年
6番で、7番の大型扇風機トマソンと共に「とどめの一発」の役割を担った。
この年のクリーンアップは3番・篠塚、4番・中畑、5番・ホワイトで、篠塚は
最後まで首位打者を争った.358(リーグ2位)、中畑も.322(リーグ7位)と
3割をマークするものの、共に長打力に物足りなさが残った為に、この年
チーム1のホームラン(22本)を放った原が、翌1982年の5番(そこで本塁打
・打点の二冠王の掛布にホームランは2本差の33本、打点は3打点差の92
打点(共にリーグ2位)を残す)を経て、1983年から新たに獲得した「現役
メジャーリーガー」レジー・スミスを後ろに従え、4番に定着する事となる。
ちなみにレジー・スミスは巨人との契約の際、「ウチには原という4番打者
が居るから、彼以上の成績を残そうとは考えないように。」と言われて、
「此奴ら何言っているんだ?」とカチンと来たらしい(爆
只さすがは元祖スモールボールのドジャースで野球頭脳を評価された程の
頭の良い選手、即座に「若き4番の原を支える」のが自分の役割と理解した
様だけど。
序でながらその契約交渉時に言われた言葉を守って、「原以上のシーズン
成績を残さなかった」とロバート・ホワイティング氏は記述しているらしいが。 だからレジー・スミスってケガをしたと称して、あんなに休みまくっていたのか >>81
深い話だね。>>80のお兄ちゃんに聞かせてあげたいね。 >>83
広島山本が巨人のプレッシャーなら.250 15本の根拠が知りたい
確かに20代まではそれくらいの成績のことが多かったが… 山本浩二が巨人の4番だったらもっとすさまじい成績だったろうな
後楽園は広島市民より狭かったし飛ぶボールを使っていた
ジャンパイアの後押しもある
浩二はプレッシャーを糧にしていたから巨人の4番の重圧はプラスになるし >>87
ピーコが巨人に来たら人工芝の影響を受けて持病の腰痛を悪化させて江豚化するのがオチ。 落合を見てれば分かるよ。巨人にきたらまるで普通の選手になったんだから
4番のプッレッシャーに負けたんだよね いやだから>>12は書いてあることがそもそもデタラメなんで
食いつかなくても ミスター赤ヘルはローカル、巨人の4番=野球界トップの象徴。
そりゃー山本浩二が巨人の4番だったらボコスコ打ちまくった
んじゃないかな。有名になって金がガッポガッポだもん。 どうしても原君は縦じま東海大のイメージが払しょく出来なかった。残念! これまで他球団で4番を打ったそうそうたる面子が鳴り物入りで巨人にきたが
どいつもこいつもゴミみたいなショボい成績しか残せなかったな。
改めて巨人軍のプレッシャーのすごさと原さんの偉大さが浮き彫りになった。
巨人軍で4番を1000試合以上務め上げたのは歴代4人しかいない。
川上、ミスター、王、そして原さんだけだ。原さんを批判できる資格があるのは
ミスターと王だけなんだよ。ミスター赤ヘルなんていなかっぺ大将みたいなもんだよ。 >>94
巨人って4人も1000試合4番を務めているのか。ロッテなんて山内が1000試合務めているかどうかってレベルなのに。ヤクルトに到っては0人だろ。 しかい4番中畑って時期あったんだな それで強かった 優男の原よりも見た目が遥かに骨太な清原、松井もまた、巨人の4番という重責に耐えられなかった。
清原はプレッシャーで精神が狂ったのだろうか?日サロとピアスでイロモノキャラになり果てた。
松井は海の向こうへ逃亡した挙句、地味な中距離打者に格下げして現役を終えた。
この二人は、顔に似合わずデリケートすぎたのだろう。
今の長野、坂本は案外図太いので、プレッシャーに負けておかしくなったりはしないだろうが、実力がなさすぎる。
そもそも、プレッシャーを受けるほどに期待もされていない。
結局、巨人の4番とは『心技体』の充実があってはじめて務まるものなのだ。
ONや原が、いかにタフだったかがわかる。 ONを100点としたら原君はせいぜい80点。
皆さんもそう思ってるよ。原君が1000試合
も4番を打てた=それ以下の打者が多すぎた!
投手陣が豪華だし如何に頑張ったかだよね。
原君て、2割8分・28本・98打点のイメージしか
湧かないんだよね。困ったね。 >>97
そのとおり。ON、原さんの3人がプロ野球史における神といえるでしょう
残念ながら落合も清原も松井も人間レベルであり選ばれた男たちではなかった。 原のキャリアハイ
打率.307 1987年
本塁打36 1986年
打点103 1983年
しょぼすぎww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています