1976年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>252
いつも楽しみにしています。
また書いて下さい。 >>252
>>258
改行のおかしな独りよがりのクソ駄文
気持ち悪い自演 前年3位に浮上した太平洋が弱体化して最下位に転落してしまった
主軸の江藤監督、白仁天を放出して山賊打線が解体したのが痛かった >>260
ドローチャーを招聘できなかったのはお笑いだった。 >>260
白はこの年にいましたが
ちなみにチーム打率はリーグトップですが >>260
放出したのはビュフォード(南海)、加藤初&伊原(巨人)、藤井栄治(阪急)、梅田(中日)
といった面々な。 >>261
ドローチャーは一応招聘できてたんだよ
その後になってドクターストップがかかった 結局来日すらしてないんだからそれ招聘できたとは言わない >>266
正式に契約は交わしてるから書類上は一応ライオンズ監督に就任してる
その後3月になっても肝炎を理由に来日を1か月待ってくれって
ドローチャー側が言ってきたから解任してヘッドコーチ予定だった鬼頭を監督に据えた チームの主力打者でスターだった江藤監督を解任してまでドローチャーを招聘しようと
したのに、不発に終わったのは不手際だった
やむなく起用した亀頭監督は、このふたりに比べるといかにも地味だった 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
A宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
B色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
C清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
D高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪試d者井口・千末セの子分/いつb煖tらえずに言b「なりになってb「る金魚のフン=^親子孫一族そb�チて低能
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
E高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20) ※日曜日になると風俗店に行っている 1976年週刊ベースボール、写真名鑑、太平洋のページ見ると、監督ドローチャーになって
顔写真もきっちり載っけてるんだよ しかもその年、週べでドローチャーの自伝を何か月も
連載し続けた。 >>269
亀頭じゃないよ、鬼頭だよ。
アソコじゃないよ(笑) 何にせよドローチャーが正式に太平洋の監督に就任したのは確か
来日してないから招聘失敗っていうのは個人的な意見でしかない 清原が高校生だったころの
甲子園は、ヤバイくらい狭かったな 夕陽に消えた あのヒーローが 朝日を浴びて帰って来たぞ
男だったら 帰って来るさ 巨人の星の 輝く限り
夢にかけた血 真っ赤な限り 甦れ 甦れ 飛雄馬
甦れ 甦れ >>269
江藤監督は選手の間で支持者もいたが、采配を問題視する選手もいて、チームが
まとまらなくなっていた
だから、江藤監督を解任したことはやむを得なかった
ドローチャーの話が流れたので、亀頭さんがコーチから急きょ昇格した 江藤監督を支持していたのは基、白仁天
土井、東尾は江藤を嫌っていたな 江藤兼任監督で太平洋は3位に浮上
タイトルホルダーが3人も出た(土井、白、東尾)
貧乏球団だったので、活躍されて年俸が上がると困っただろうね >>251
この年は首位攻防戦の裏での消化試合だね。
10月9−11の土日休に後楽園、13−14に甲子園で巨人−阪神、阪神−巨人の首位攻防戦5連戦。
9日中止で12日の平日火曜に順延。デーゲームだったけど満員の盛況で巨人が8−7勝利でマジック1で13日甲子園へ。
その裏の後楽園13日、何と「前期消化試合」のロッテ−近鉄戦。観衆1000人発表だったが果たして。 >>256
1970年代はライオンズ激動&暗黒時代
年間順位を調べてみると1970年からは
6(西鉄)→6→6→4(太平洋ク)→4→3→6→6(クラウン)→5→6(西武、保護地域を埼玉県に変更)
まさに苦難の時代
福岡末期は地元福岡財界からも無視されていたらしい
やっぱり当時の福岡は巨人ファンの方が多かったのか? 中村長芳がオーナーになった直後、奮発して台湾で春季キャンプを張ったら
中村のことをよく思っていなかった七社会が地元メディアに取材に行かないよう
ボイコットさせたという逸話がある それらが積もり重なって、結果として福岡から出て行かれるという「仕打ち」を受けた それでも当時のライオンズファンは所沢への移転を承認した中村の判断を
槍玉に挙げたんだよね 補足
出て行かれたくなければ、もっと積極的に観戦に出向くなり
何なりすれば良かったのにね 後悔したからこそ福岡に再び球団を!って誘致の動きが起こったんだろう
稲尾まで抱き込んだんだから 太平洋は加藤初をトレードに出したのが失敗だったね
加藤は巨人でタイトルを獲得する大活躍なのに、玉井と関本はまるで活躍しなかった 加藤初によると、ライオンズ時代のキャンプは午前中練習して午後からは麻雀やってたそう。
ところが巨人に来たら練習量が全然違い、最初のランニングからしていきなり40分も走らされたと。もうそれだけできつかったが、王がその後にガンガン打つのを見て凄いところだここはと思ったと。 開幕試合は東尾、開幕2試合目は関本、開幕3試合目は玉井が先発して、東尾と並んで
ローテーションに入っているから、太平洋は関本・玉井を主力投手として期待したんだろうな
だが、まったく活躍せず、選手としても終わってしまった >>295
>加藤は巨人でタイトルを獲得する
勝率1位投手は当時のセ・リーグではタイトルではない 今年、大連勝と大連敗がトレンディだけど、この年7月下旬からの巨人は4連勝→7連敗→13連勝→5連敗→5連勝で9月
下旬まで続いてた。
球団の連勝記録は1953?の15連勝だが、この年5月に14連勝で8−9月に13連勝も届かなかった。大逆転優勝した2008年
9月には12連勝だった。
>>298
加藤は移籍早々の4/18広島でノーヒットノーラン。で4月の月間MVPに。 で、加藤はオフの健康診断で肋膜炎が発覚し、翌77年前半を棒に振る。やっぱキツかったのだろう。
12月に何故か巨人の正力オーナー・長嶋監督とヤクルトの松園オーナー・広岡監督がゴルフしながらトレード交渉。
巨人は加藤の穴埋めにこのカード最終戦で完封して復活の兆しが見えた浅野を獲得、翌年4月に4勝してスタート
ダッシュの原動力になり、カムバック賞受賞した。代わりにヤクルトに移籍した倉田はヤクルト初優勝78年の最初
だけの活躍に留まった。 倉田は1年だけでもまともに働いた分関本よりはましかと 王は7/3ナゴヤ球場で連発して699号まで来たが、7/4ナゴヤ、7/6-8札幌円山広島戦、更には7/10-12後楽園阪神戦が
そっくり3連戦中止で、7/14-15鹿児島−熊本のヤクルト戦と不発で吐血までしたらしい。
ここでオールスター休戦となり、7/23再開初戦の川崎大洋戦でやっと700号達成した。
北海道から九州まで跨いだ700号騒動を経験して、翌年の756号が比較的スンナリ出たのかも知れない。 700号目前の時にすごいマスコミとかファンに騒がれたんだよね
王は715号や756号ならともかく700号で騒がれるとは思わず
プレッシャーで打てなくなってしまったらしい 今年の巨人はマジックが出ても6連敗したりマジックが消えたりとヨロヨロしているが、76年も7/30から首位キープ、9月初めで
阪神に9.5差開けたのに連勝連敗の繰り返しでモタモタ、10月のGT5連戦でやっとマジックが出て後楽園最終戦で1にしたが
甲子園で連敗、ついには最終戦の広島で2点リードを許したが、6回に王、ジョンソンのホームランで逆転してやっと逃げ切った。
(この後、阪神は4試合くらい残していた)
決して弱いとは感じなかったが、まあこういう優勝も有ると学習した。 前年躍進の近鉄はこの年は四月に大きく負け越すなどして低迷。
後の連覇時の主力となる選手達はまだ安定して成績を残せるレベルでは無かった。
阪急では70年の一年だけで山田・福本らへの主力の切り替えを果たした西本監督も
近鉄では切り替えに翌年までの二年を要する事になる。 前年の大下・大杉・白をまとめて放出しただけでなく
この年は張本も放出した日ハムだったけど、寄せ集めチームでそこそこ戦えてたな 日本ハムは外人2人のクリーンナップがそこそこ打った
近鉄から大酒豪の永淵を補強して、味わい深い打線になった 中日が後楽園の人工芝恐怖症に陥った理由がなぜなのか
開幕前の人工芝への習熟目的のセリーグトーナメント戦で優勝したのに 岡田奈々とか伊藤咲子とかベイシティ・ローラーズやキッスが人気だった頃だね
阪急の戸田投手がノーヒットノーランをやったのを覚えてる
同じ年のセンバツで同姓の戸田投手(鉾田一)がノーヒットノーランをやってたので
余計に印象深い ノーヒットノーランに自己最多の12勝、二年連続の日本一と
最高のシーズンを過ごした戸田がオフにトレードされるとは思わなかった 戸田より交換相手の稲葉のほうが若かったので、長く使えると思ったんだろうね
そして、阪急は打撃面で優秀な島谷がほしかった
島谷と稲葉をとれたのは、翌年の阪急のV3につながった >>319
というよりは、島谷が欲しかったから戸田を交換要員にしたと捉える方が自然でしょ。
お互いの交換相手の目当てはこうなんだと思う。
戸田⇔島谷
森本⇔稲葉 その大型トレードは明らかに阪急が得をしたんで
中日の与那嶺は責任を問われたとか このトレードは殿堂板でしょっちゅう話題に上るが
それだけ中日ファンにはトラウマになっているのかな 中日どうこうではなく、他球団贔屓のド素人でもおかしいと思った
人間関係が絡んでいるとしか思えない印象 >>324
287: 神様仏様名無し様 [sage] 2019/11/26(火) 06:53:26.52 ID:M568XXbA
ハウスのたまご麺と叶和貴子の乳首
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1567397750/287 >>323
藤波と太平洋クラブの基とのトレード話が藤波がゴネてボツになったのと合わせ技もあるしな 稲葉は少年ジャンプの「トイレット博士」(作者が中日ファン)という漫画で
稲葉のドロップ、とかいって登場してたけど
俺が野球を観始めた頃にはほとんど見たことなくて
中日の先発は星野、三沢、堂上、松本という感じだった
島谷も普通の6番打者というイメージで、まさかここまで明暗別れるトレードになるとは
思わなかったよ デービスって創価信者で、、ところかまわずお題目を唱えるので
選手が辟易して、とうとうウォーリーがやめてくれと申し渡したw 昭和52年だったかな
東京のテレビ局で、夜6時頃に「奥さまは魔女」の再放送をやっていて
タバサ誕生の話の回だったかもしれないが(記憶があいまい)
サマンサが「今、ウィリー・デービスが満塁ホームランを打った」と
驚いているシーンがあった
それを見て、「そのウィリー・デービスはいま日本にいるよ」と思った記憶がある 昭和52年の中日は、開幕当初は森本をスタメンで使っているし、戸田はローテーション
に入っている。森本と戸田は「即戦力のベテラン」として期待が高かったということだろう。
だが、森本は不振ですぐに使われなくなって、代わりに大島が主力打者として定着した。
中日にとって、大島がレギュラーの主軸になったことが、このトレードの最大の成果だと思う。 トレードの失敗をいろいろ言われるけど、この76年より77年の方が
ドラゴンズの成績自体はずっとよくなってるんだよね。確かに優勝争いから
まるで縁遠かったけど。 >>332
一見失敗でも代わりの選手が台頭すれば良いんだよね
そういう点で落合のトレードはロッテ側が失敗だった
落合がいなくなって四番不在で苦しんだからね
中日側は牛島上川の穴は楽に埋まった >>333
マーチンの奇行で選手が参っていたからオールスター明けまで最下位争い
8月にマーチンが怪我で戦線離脱してからチームが上向きになった >>335
マーチンじゃなくてウィリー・デービスな。マーチンはデービスにパシり扱いされてて
8月まで成績が低迷してた あとで思えばこの年のトピックスはシーズン途中に廣岡がヤクルトの監督に昇格したことか
当初ヤクルトは監督荒川、コーチ廣岡、小森、沼澤の早大OBカルテットで首脳陣を組んだが
いずれも一か権ある連中なので不協和音で崩壊をきたし、この年は廣岡しか残らなかった。 >>339
最初、広岡に監督要請したが、コーチなら引き受けるが監督なら受けないと
言うことで荒川監督、広岡コーチになった デービスは天才でしか言えない名言残した
「相手が150キロで投げてきたら、160キロで打ち返せばよろしい」
「寒ければ1枚余計に着ればよい。何事も自然に逆らってはいけない」 >>334
あのトレードは「落合放出ありき」だったからね 太平洋の監督の座をおわれた江藤を一選手として引き受けたカネやん。
この時のことがあったからノムさんの時も同じことをしたのかな。
監督経験者が選手として自分の指揮下にいるなんてすごくやりにくいと思うけど
唯我独尊のカネやんだから出来た事か。 江藤監督率いるライオンズ山賊打線をもう一年見たかったな
土井、江藤、白が加入して、強力打線になったし、チームも3位に浮上した
後任の亀頭監督は地味だったし、チームも弱くなった その前にMLBの名将ドローチャー監督の招聘を発表したが70代で風邪を理由に来日する事無く鬼頭ヘッドコーチが
監督就任。
地味で勝てなかった鬼頭さんだったが、亡くなるまで福岡に定住して地元の大学で指導していた。 ビュフォード、加藤初といった投打の核を失い、他にも伊原、梅田、加藤博一らも移籍して
代わりに来たのが故障持ちだった関本とかでは手のつけようが無かったのでは このシーズンから、何故か甲子園の
ラッキーゾーンが拡張され、より外野が
狭くなった
何故? 誰の指示?(-_-;) 田淵だけでなく掛布も成長してきたし
ホムーラン増やしたかったんだろ
佐野が八番打つような重量打線だったが
違う意味でも重量打線で阪神部屋化していった >>345
話題作りの面があると思う
その前にも引退していた城之内を復帰させたりしたし
名のある選手集めて注目集めようと 金田監督は、日本ハムを自由契約になった高橋博士を獲得して再生させたし、南海を
追われた野村も受け入れた。
ワンマンで短気な金田監督だが、度量の広いところもあると思う。
もちろん、話題作りというねらいもあるが、なかなか他の監督には真似できないだろう。 >>353
小林至も「自分がプロになれたのは金田さんのおかげです」と言ってたね
もちろん「東大出身プロ野球選手」ってのも話題になるからだろうけど 野村再生工場に負けず金田再生球場もなかなかで。翌年中日を自由契約になってた末永内野手も。 ロッテはこの年はメジャーのブリュワーズで主砲だったブリッグス(メジャー通算139発)を獲得したものの
シーズン中の調整法を巡って金やんと対立し(例によってひたすら走れ指導)、
前期限りで退団。翌年にレロン・リーが来るまでラフィーバーをまた選手登録して
何とか場を繋いでた この年人工芝になった後楽園で中日は巨人に0勝12敗1分と翌年7月まで全く勝てなかった。シーズン前の日本ハムとのオープン戦や、セ・リーグトーナメント大会では優勝までしていたのに。
その最初の試合、まだ平日だった5月4日のデーゲーム、セカンドレギュラーの高木守道は過去に堀内から2度頭部死球を受けていたせいか、時折むち打ちを発症して、この時も前カードのヤクルト戦から欠場していた。
で、本職サードの島谷がセカンドに付いたが、雨上がりの人工芝は不慣れだったのか3エラーでチームも大敗。
ここからケチが付いて後楽園で19連敗もしてしまった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています