【王756号】1977年のプロ野球【阪急V3】 [転載禁止]©2ch.net
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当時は、「神経質な稲葉より、図太い戸田のほうがよい」「森本も勝負強い」と、
中日が戦力上昇になったトレードだと言われていたのを覚えている。
完全に外れた分析だった。 神経質とか図太いとか以前に投手の比較では誰が見ても中日お得でしょ。
トレード前の2シーズン
戸田11勝5敗0S 稲葉7勝5敗0S
12勝5敗1S 3勝7敗0S それがトレード後の2年間は
戸田6勝7敗0S 稲葉17勝6敗1S
5勝6敗0S 10勝5敗0S
こんな事になると想像した人はいなかっただろう。 稲葉のトレード成績変化は後年オリックスになってトレードで来た野田が似てる。
トレード前後4年間の野田。
阪神8勝14敗1S
阪神8勝9敗1S
オリ17勝5敗0S
12勝11敗0S 恐らく基がトレードで加入するのを前提で動いて島谷放出になったのでは
結局基は藤波がごねてトレードが没になり、戸田と共に来た森本を使わざるを得なくなった。
森本は打率もやや低く(.280が精一杯)、長打力も島谷より下(だいたい15本塁打くらい)、
何よりも力が落ちる一方で当時の年齢が77年で35歳になるベテランだった。
基が加入してたら三塁で併用(基は高木守とも併用)という計画だったが 森本は日本シリーズ決戦第7戦で決勝逆転ツーランを打ったから与那嶺監督が目を付けたなどと言うのを何回か
聞いたことがあるけど、後年監督業も引退した上田氏があのトレードは日本シリーズ前にはほとんど決まっていたと言っていた。
だからまだトレードを知らない森本があのホームランを打ってダイヤモンドを一周している姿を見て涙を堪えいていた(上田自身が)とも言っていた。 中日が田尾を電撃トレードした時
坂東が「中日はトレードで失敗してばかりだがこれも失敗するでしょうね」と書いていたが
このトレードはむしろ中日が得したと思う 阪急は社会人野球出身、特に高卒社会人の選手が多くて
稲葉や島谷も馴染みやすかったのかもとか想像してみる このトレードでは大隅も忘れてはいけない存在。
阪急にとっては一塁の守備固めとして貴重な戦力になった。
日本シリーズでも公式戦同様に第1戦と2戦の勝ち試合では試合の最後に一塁の守備固めに入った。 >>462
79年だったか、加藤が腰痛で春先出遅れ、大隅がオープン戦で打撃好調で
遂に日の目を見るかって報じられた事があったが、結局加藤は開幕に間に合って
大隅もシーズンが始まれば元の守備の人に戻っていた。
まあ阪急の場合は加藤が休んでも一塁に高井が入ってDHは河村なんて布陣に
なってたろうから、結局大隅のレギュラーへの壁はものすごく高かったわけだけど。 大隅は巨人時代もレギュラーの壁は厚かった。
なにせ王だからね >>464
谷沢は第一希望は巨人で第一希望じゃなかった中日に指名されて
周囲から「セだから入団した方が良い」と勧められて入団したそうだけど
中日に行って正解だったと思う
王の一塁は谷沢でも奪えそうにないし外野手で淡口みたいな経歴で終わったかもしれん 阪急は加藤が途中交代したときは、藤井栄治が一塁に入ることもあったね
藤井は現役最晩年で、阪急が最終球団になった 大隅は阪急に来てから3年続けて80試合くらい出場したんだから阪急に来て良かったでしょ。
例え守備固めオンリーでも。 >>466 >>467
藤井にしても大隅にしても、強いチームにはこう言う渋い脇役がいるよな。
弱いチームだと只の地味な控え以上の評価にしかならないで終わってしまうけど。 前年と同じ5位だったファイターズだけど成績は向上。
投手の頭数は揃ったけど打つ方は依然として外人頼み。
大沢監督は日本人の中軸打者が欲しいと思ってただろうけど
野村解任という他チームの事情のおかげで予期せぬ形で叶うことになった。 それにしても、柏原はよほど日ハムの空気が合っていたのかな。
南海時代は、クリーンアップ任せるにはやや不足気味な成績だったのが、移籍していきなり4番として十分な活躍しだしたからな。 この時代の日ハムは東映・日拓時代の主力選手を放出し続けたからな
そのせいで寄せ集めチームになってたが
この年も新美と皆川(二人とも新人王を獲得してる)を放出して広島から佐伯と宮本を獲得してるし
柏原とトレードされた小田は大杉とトレードされてハムに来た選手だったし
ほんととっかえひっかえトレードしてた 日本ハムは、東映時代からの生き残りは、捕手の加藤、エースの高橋直樹くらいか?
その高橋も広島にトレードになり、後に西武に移籍した。
おかげで、56年の優勝、57年の後期優勝のときは、まったく新しいメンバーに
なっていた。
張本との交換できた高橋一三は、優勝に貢献したし、引退後はコーチとしても
活躍した。 >>472
外野の準レギュラーだった岡持が東映から日ハムで移籍しなかった最後の生き残り
後楽園最終年の87年までプレー 柴田保光、富田勝もそうだが日本ハムは外様が活躍しやすい球団である
その反面、生え抜きでも積極的にトレードで放出する
エースの高橋直樹や西崎でも放出した位だし >>473
訂正。岡持は東京ドーム元年の88年まで現役だった >>474
日ハムが今でもバンバン生え抜きをトレードしたり、外様が活躍できる土壌はこの日ハム創成期に出来上がったんだと思う >>474
日ハムが今でも生え抜きをトレードしたり、外様が活躍できる土壌になったのは
日ハム創成期の容赦ない東映・日拓時代の主力を放出→交換で来た選手の活躍
からではなかろうか? >>475
しかも、万年準レギュラーなのに、最終年は開幕スタメン。
たしか引退してすぐ結婚した。 東映生え抜きを一掃したのは三原球団社長の方針だね
ライバル水原の息のかかった選手だからと言うのはうがちすぎだろうが、
事前に何の連絡もなかった大杉が三原に抗議をしたら
「そういう性格だからトレードに出されるんだ!」と言われたとか。 >>479
まあ放出された金田、大下、大杉、張本らは移籍先で優勝もしたし
これでよかったんじゃないのか、とも思う。 77年オフの日ハムのトレード
小田・杉田⇔柏原(南海)
野村収⇔間柴・杉山(大洋)
このトレードで獲得した三人が優勝時の主力になってるのが地味にすごい
この年のドラフトで獲得した古屋も優勝時の主力メンバーになった
ちなみに野村は大洋の後に阪神にトレードされて阪神日本一のメンバーになった 古屋、高代、島田誠、田村
ファイターズの選手は生え抜きのレギュラーでも
現役の最後は他球団で終わるパターンが多い >>483
彼らがいつどこで引退したのか言えるかどうかで
ファイターズファン度が分かるように思える。 「生え抜き一掃」は三原監督の時代にできた方針なんだね。
でも、今は一掃しなくても、FAや大リーグ挑戦で、一流選手が自分からどんどん
流出するチームになってしまった。 元々は東映色を消すってことが目的だったんだろうけど
思い切った入れ替えをするのがチームに定着してしまったってところか。 関本⇔山下・高垣のトレード
まだ関本の昔の名前が効いてたんだろうけど、77年は山下12勝、関本0勝。
阪急⇔中日間のトレードと違って弱いチーム同士だったので
あまり話題にはならんかったけどクラウンの一方的なお得となった。 >>489
クラウンは前の年、関本・玉井⇔加藤・伊原という、損なトレードしたから…
永射がオールスターの三連投で名前を売ったこともあって、救世主的に脚光浴びたけど、山下も勝ち頭としてよく頑張った。
如何せん、東尾が絶不調で、負け過ぎた。 >>483
現コーチの白井さんも現役最後はオリックスだったな >>483
島田誠以外ハムでコーチなっているのか
高代は1年だけだったが リトル巨人くんという当時の野球漫画の中で、この年の日本シリーズが実際の流れに
即して描かれていて、第4戦の阪急の9回表の大逆転劇は主人公の巨人くん
が打たれたことになっていた(史実は浅野)巨人を持ち上げてるだけの漫画
と思っていたらシビアな展開で驚いた。 >>493
リトル巨人くんでは82年もあと一勝で優勝逃した事に触れているし
リーグ優勝すらしてない78年に史実をねじ曲げて
日本一になったナントカの星とはエラい違いだ 巨人くんは王監督時代も子供のまま在籍しているのが凄い
実は小人症の大人なのでは 『ミラクルジャイアンツ童夢くん』の、野球の基本的なルールすら無視する設定と比べたら、リアリティがあったかな。 >>496
主人公の巨人くんは別に魔球とかを投げるわけじゃなかったしね。
日本シリーズで阪急に打たれたのも、確か連投で肩が痛くて調子が落ちていたから
という児童漫画なのにリアル寄りな展開だった。
当時の阪急と巨人の力関係をちゃんとしっかり描いてたように思う。 巨人くんでは堀内に習ってカーブを習得するというだけで
一話作ってたからね
巨人の星よりよっぽどリアルだった 侍ジャイアンツという漫画はもっと現実離れしていて、海老投げハイジャンプ・
大回転魔球という物理法則上も野球ルール上もあり得ない投球をしていた。
しかし、昭和48年にV9達成という史実は守っていた。 内山まもるで魔球系は「燃えろ!クロパン」という漫画
この漫画に出てきたサンダーボルトという電撃でバッターをKOする魔球が良かった
甲子園が始まる前に「危険だ」という理由で高野連から使用禁止にされた >>499
海老投げは漫画にはない。アニメだけ。
そもそもハイジャンプ自体プレートから足が離れてるので違反投球。 S49年にV10を逃しその責任を取るかのように
番場蛮はハラキリ魔球を投げすぎて死亡だったが
アニメでは48年で終わりで架空の日米決戦を描いてたな 「新・巨人の星」は巨人の星じゃなくて侍ジャイアンツ系列だという
指摘があって納得した
スクリュースピンスライディングなんて侍ジャイアンツに出てきそうだもの 新巨人の星でもこの年の日本シリーズは確か
飛雄馬が阪急に打ち込まれて敗れるという展開だったような。
漫画の中でも当時の阪急は強かった アニメのほうは77年開幕直後の花形球界復帰と合わせて飛雄馬vsロメオ南條の
新旧GTライバル対決が描かれ第1シリーズが終了。半年後の第2シーズンはその途中の77年から描かれたが、
説明なしに物語は78年に突入して2クール持たず23話で終了(低視聴率によるもの)。
77年なのに大洋のユニフォームが横浜大洋色、78年ヤクルトも74〜77年タイプだったりと、
第2シリーズは最終回だけでなく全ての面でおかしかった。 巨人の連覇が終わったら漫画の連載も終了予定だったとか 童夢くん
…お前ら1イニングに何回監督がマウンドに行っとんねん。ルール違反やろ、さっさとピッチャー代えろや >>507
新・巨人の星U第4話「左門の握った秘密」(1979年5月5日放映)は
紺色のビジターユニを着た髭面のシピンが見られる貴重な回だなw
他にも衣笠が左打ちだったり、その広島のビジターユニもアンダーシャツが黒w
イースタンリーグなのに巨人と阪神が対戦したりと、スタッフはプロ野球見てなかっただろw >>511
テレビで全国放送する番組でそんな無茶苦茶な事をやっていたとは・・・ >>511
いやだいたい原作者も漫画家も全く野球見てないから。
巨人の星の原作酷いぞ?
巨人阪神の試合で後楽園でも甲子園でも
ユニフォームの胸文字がGIANTSとTigersで固定されてるから。
後楽園はHANSHIN、甲子園はTOKYOだろ。
川崎のぼるは全く野球に興味なかったんだろうな >>511
いやだいたい原作者も漫画家も全く野球見てないから。
巨人の星の原作酷いぞ?
巨人阪神の試合で後楽園でも甲子園でも
ユニフォームの胸文字がGIANTSとTigersで固定されてるから。
後楽園はHANSHIN、甲子園はTOKYOだろ。
川崎のぼるは全く野球に興味なかったんだろうな 西武の森監督を見て、今は狸親父みたいになっているけど、現役時代は星飛雄馬の
消える魔球や番場蛮の大回転魔球を受けていたすごい人なんだなあと尊敬の目で
見ていた この年の野村監督解任で「あぶさん」を終了することを水島新司も考えたそうだけど
まだまだ終了するには惜しい作品だった。その後の広瀬監督時代が漫画としては
一番面白かったと思うので終わらなくてよかった。この時点では。 あぶさんは門田より1歳上だからダイエーへの身売りで完結させるのが
一番綺麗だった気がする >>513
アニメ版も花形ら阪神勢が後楽園でも縦縞だった。
侍ジャイアンツ以降では訂正され後楽園での阪神は縦縞ではなくなり、
新巨人の星では巨人も敵地ではブルーのビジター用で描かれるようになった。 「たたりじゃー」
「天は我々を見放した」
「あずさ2号」
「勝手にしやがれ」
「津軽海峡冬景色」 >>514
アニメ版のような手抜き感満載の「左胸にアルファベット1文字」じゃないだけマシに感じてしまうのは、俺だけだろうか… 大島やすいちの「三冠王王貞治物語」では丁寧にGIANTSとTOKYOに描き分けられてた。ユニフォーム自体もその時代のモデル丁寧に描いてた。水原時代、川上時代、長嶋時代と。 >>520
1文字に略したのはあの頃のアニメの技術じゃ
躍動した時のユニフォームの長い文字の歪みを
綺麗に表すのが難しかったからなんじゃね? TBSエキサイトナイター、文化放送ジャイアンツナイター(土日のみ)、
ニッポン放送ショウアップナイター、ラジオ関東バッチリナイター。 朝にもプロ野球ニュース。日刊アルバイトニュースと吉野屋の牛丼知ったのはこの再放送で。 プロ野球ニュースが深夜の番組だと知ったのは、もう少し経ってからだった子供のころ。 >>520
お前だけだろ
アニメは当時は技術的にあれが限界 >>526
昔の技術のことなんか知らんのや、お前みたいに何でも知ってなくてすまんな 亡くなった高井はこの年長池から指名打者の定位置を奪いベストナイン。
日本シリーズ第4戦の同点タイムリーに日本一。最高はこの年か。
翌年、翌々年の方が数字はいいけどヤクルトや近鉄に負けてるからな。 長池は指名打者になったことで、早く衰えたようだ
指名打者制度のないセリーグに移籍しておけば、もっと長く活躍できた
巨人に行けば、最強の五番打者になった >日本シリーズ第4戦の同点タイムリー
ホームインしたのは代走簑田だね。
有名な簑田の好走塁ですね。 当時の長池は満身創痍だったはず。
確か肘痛とアキレス腱痛を抱えていたので
指名打者制は救済となってもよかったけど
当人がそれをよしとしなかったんだろうね。 長池はパリーグ9人制最後の年の74年は2割9分27本と、下降線の兆候が出ていた。
そんな打者がDHのないセリーグに移籍しても復活はしなかっただろう。 DHで苦しんでDHの無いセに移籍して成功したのが張本だね。
74年は3割4分で首位打者だったがDH元年の75年は.276と不調に終わった。
このタイミングでDHのないセリーグの巨人へ移籍して大成功だった。 データ的に76年からセは飛ぶボールになったっぽいからね
それで王も復活。タイミングが良かった むしろ米田のように西本翁を慕って近鉄へ行った方が良かったのでは 阪急⇔近鉄間の移籍ってあまり記憶に無いな
ライバル意識が強くてチーム事情がばれるのを警戒してた? >>535
米田は阪急から直接近鉄へ移籍したわけじゃないだろ。
間に阪神の2年間がある。正確には1.5年みたいなもんだけど。 翌年には2位に躍進したけど、この年の近鉄は一年を通して今一つさえない成績で
西本監督でもこのチームを勝たせるのは無理なんじゃないかって空気は無かったのかな。
75年の後期優勝の実績もあるから、任せておけば大丈夫って感じだったのだろうか。 >>535
別に慕ってたわけじゃないし。
信任投票では×付けた一人。 >>534
王に756号打たせようと飛ぶボールにしたのかな?
前年の不調だったし 75年王不調は故障で出遅れたからだろ
王だけ飛ぶボールの恩恵受けるわけじゃあるまいし 当時の近鉄は阪急に比べれば選手層が手薄だったので、長池が移籍すれば、もっと
長くレギュラーを続けられたと思う。
代打で使うにはもったいない選手だった。 近鉄は低打率スラッガー(とはいえ前年は36本塁打でパリーグのホームラン王)のジョーンズが
年齢的な衰えもあってか不振で退団し、マニエルがヤクルトから移籍加入するまで
打線のパンチ力が落ちてたしな。土井移籍から栗橋や羽田、佐々木恭介らが全盛期になるのは
もう少し後になってから。 >>542
その年のタイトル争いは王だけが恩恵受けるわけじゃないが、数年以内に
756号を狙えるという恩恵を受けられるのは王だけ 両リーグ本塁打数
セ パ
1970 *642 *821
1971 *616 *911
1972 *773 *830 ←大阪球場の両翼拡張(84→91.5m)
1973 *679 *765
1974 *826 *680
1975 *747 *703 ←パDH制導入、王不調の年
1976 *967 *659
1977 1050 *699 ←王が756号を打つ、この年の1050本(130試合制)は2004年の1074年に抜かれるまでセのリーグ本塁打記録。現在も歴代2位
1978 *910 *724 ←阪急が飛ぶボール導入、ハマスタ開場で大洋が川崎から移転
1979 *945 *934 ←阪急・近鉄が飛ぶボール、ライオンズ所沢移転
1980 *849 1196 ←パ全球団飛ぶボール?問題になり翌年からこの飛ぶボールは禁止になる
1981 *806 *812 ←この年から圧縮バットも禁止
パはDH制を導入したのに、76-78と3年連続でセの方が200-350本もHRが多い
パで飛ぶボールを導入するチームが複数現れた79年にようやく五分と書けば、この異常さが伝わるだろうか 追記すると、試合あたりのHR数では
NPBの歴史上パは1980年、セは1977年が最も多い 王756号、スーパーカー、ピンクレディー、「天は我々を見放した」、ジュリーの「勝手にしやがれ」の年でした。 >>237
安田以外にそんなこと思う奴いたわけがないわ。
がんばれ田淵くんに出る前には全国的に知名度なかったし、
あれに出たのもたまたまいしいひさいちがヤクルトファンだったから。 >>545
阪急はユニフォームから使用球、球場のメイン広告と美津濃に徹していた >>539
米田はあれを単なるパフォーマンスだと思っていて
本当に辞意を表明するとは思ってなかったとも言ってるけどね
近鉄移籍の経緯は正確には西本側から声がかかっての移籍
本人は阪神2年目に窓際に追いやられやる気を失い引退しようとしていたが
阪急で初優勝した時に主力だった米田に、西本が最後の錦を飾らせてやりたくて声をかけた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています