思い出に残るドラフト
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PLのKKコンビ
江川事件
元木ハワイ留学
菅野日ハムから指名
長野ロッテからの指名に対する第一印象を聞かれて「ロッ・・テ・・」
などなど
語ろう
動画
https://www.youtube.com/watch?v=bgr0XndsA8Q チバリョーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
チバリョーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
チバリョーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1984年西武
1位大久保博元 捕手 水戸商業
2位田辺徳雄 内野手 吉田高
3位高山郁夫 投手 元プリンスホテル
3人のみの指名なのに、30年後にはパリーグの監督2人、投手コーチ1人
根本陸夫は今でもパリーグをあの世から支配してる? >>3
ロッテはこのとき本当なら岡林の予定だったんだよ
ただ金やんの意向で小池強行指名となった
もし岡林がロッテに入ってたなら球界の歴史は間違いなく変わってた ドラフト1位
都城農業
北別府
ノーマークの球団が多かっただろうね 辻内を外したドラフト時のオリックス…
やっぱり負広と思ったら… 小池って思い出したけど初め熊谷組で内定してたのに松下電器
に変わったよね、ロッテ拒否よりこっちのほうが変 >>53何かで読んだけど、
日本ハムの大沢監督がスカウト会議で九州に北別府っていい投手がいるって
聞いたけどどうなんだ?ってスカウトに言ったら
「肩を痛めているそうです」ってスカウトが言ったらしい。
そして日本ハムの一位指名は無名も無名(他球団スカウトが誰?って言ったらしい)
の福島。
そのあとの福島と北別府の活躍度を思えば・・。
大沢さんも悔しがったらしい。
75年と今の情報力の違いもあるけどな。 小池の態度は引いたわ
野球にあまり興味の無いおいらの母親でさえ話題にしたほど 小池指名以来、現在でも、ロッテは亜大とは不仲なの? 【ドラフト特集】史上最高の“大豊作”の年は? 三大豊作ドラフトをピックアップ!
http://news.goo.ne.jp/article/yakyutaro/sports/yakyutaro-20141014143934244.html
プロアマ問わず日本中の野球チーム、そして野球ファンからも大いに注目を集める「一大イベント」として定着したプロ野球新人選択会議、
通称「ドラフト会議」。今年は10月23日に都内で行われる予定となっており、数年前から一般のファンを会場に募って開催するなど、
お祭り的な要素も加わり、益々盛り上がりをみせている。
盛り上がりをみせるのはやはり、指名対象選手に甲子園や神宮球場を沸かせたスター選手が多い年だろう。
今年で50回目を数えるドラフトでは、かつて「大豊作」とよばれる年があったのだ。
◎1968年・第4回ドラフト
今年で50回目を迎えるドラフト会議のなかで、最高の当たり年といえばこの年だろう。
まずは「法大三羽ガラス」と呼ばれた山本浩司(入団後は浩二に改名)、富田勝、田淵幸一。
山本はミスター赤ヘルの異名を持ち、広島の監督も経験。富田も南海に入団後、2年目からはレギュラーに定着。
巨人へ移籍後はV9に貢献した。長嶋茂雄の持つ東京六大学リーグ記録の通算8本塁打を大幅に更新する22本塁打を放った田淵は、
プロ1年目も同じ22本塁打を放つなど、阪神や西武を渡り歩いて通算474本塁打を記録した。
ほかにも、それぞれ名球会入りを果たしている山田久志、福本豊、加藤秀司(のちに英司)らは阪急に入団。
名球会といえば有藤道世はロッテへ、東尾修は西鉄、大島康徳も中日に入団と、蒼々たるメンバーが名を連ねている。
また今季限りで楽天の監督を辞任した星野仙一も、この年のドラフトで中日に入団。名球会入りこそならなかったが、印象に残る活躍をみせてくれた。
◎1989年・第25回ドラフト
前述した1968年に並ぶ「大豊作」ドラフトといえば、1989年だ。
入団した近鉄を筆頭に、ドラフト史上最多の8球団が競合した野茂英雄(新日鐵堺)をはじめとする、社会人選手たちがその後のプロ野球界を席巻した。
中日に1位指名を受けて入団したのが与田剛(NTT東京)は翌1990年のセ・リーグ新人王に輝き、
その与田の良きライバルとなったのが、広島1位の佐々岡真司(NTT中国)で、2年目の1991年にはリーグ最多勝と最優秀防御率のほか、
MVPと沢村賞も獲得するなど、当時の投手タイトルを総ナメ。他にも西村龍次(ヤマハ)がヤクルトへ、
パ・リーグでは潮崎哲也(松下電器)が西武に入団した。
野手でも古田敦也(トヨタ自動車)がヤクルトへ、石井浩郎(プリンスホテル)が近鉄へ入団。
大学生では大洋から1位指名を受けた佐々木主浩(東北福祉大)、日本ハム1位の酒井光次郎(近畿大)、
ロッテ1位の小宮山悟(早稲田大)らが入団。高校生では広島4位で前田智徳(熊本工高)、
阪神5位で新庄剛志(西日本短大付高)がプロ入りするなど、豪華なメンバーが揃っていた。
◎1991年・第27回ドラフト
最後に紹介したいのがこの年のドラフトだ。前年までの1球団6人から10人に増え、
同時にプロ入りを拒否した選手を指名しないことがルール化され、進学を希望する選手らを強引に指名することがなくなった。
この年は、前評判はそれほど高くはないものの、プロ入団後に立派な成績を残した選手が多く指名された。
その筆頭がオリックスから4位で指名され、のちに「イチロー」となる鈴木一朗(愛工大名電高)だろう。
その活躍ぶりは誰もが認めるところなので、割愛させていただく。
ほかにもヤクルト1位指名の石井一久(東京学館浦安高)や大洋6位の三浦大輔(高田高)など。
大学生では大洋と中日が1位競合の結果、大洋に入団した斎藤隆(東北福祉大)や、
ダイエー1位の若田部健一(駒澤大)、オリックス1位の田口壮(関西学院大)、広島4位の金本知憲(東北福祉大)などが目立つ。
また来季も現役続行を発表した中村紀洋(渋谷高)がイチローと同じドラフト4位で近鉄に入団したのもこの年。
「ドラフト4位は活躍する」と言われるようになったのも、イチローや中村紀洋の活躍があってこそだろう。 >>62
>◎1991年・第27回ドラフト
>最後に紹介したいのがこの年のドラフトだ。前年までの1球団6人から10人に増え、
>同時にプロ入りを拒否した選手を指名しないことがルール化され、進学を希望する
>選手らを強引に指名することがなくなった。
ドラフト外がなくなったのがこの年で、94年の城島とか強行指名だったような 西武が渡辺智と石井を両獲りしたときは驚いた。
二人とも活躍したけど、選手生命は短かったね。 指名された後のインタビューで白々しく指名は意外だった 行きませんとかいってたね 小池は中学時代 教師から「お前 出て行け」とか言われる不良でありドラフト時 実家に
集まった報道陣を見て事情を知らない近所の人は「やっぱり事件でも起こしたのか?!」と思われてたそうだが
今ではすっかり更正。別人みたいな穏やかな顔になってる。 >>62
1991年のドラフトは、どのチームもせいぜい二人くらいしか一軍に定着しておらず、
どこも決め手に欠ける感じだけど、やはり田口・イチローと後のメジャーリーガーを
二人も獲得したオリックスが一番の勝ち組かな。95、96年優勝の原動力だし、
2位の萩原も野手から投手転向して戦力になったし。
阪神も久慈・弓長・桧山と3人レギュラークラスを獲得してるので
成功と言えるけど、さすがに田口・イチローには及ばないかな、と。
大洋も斎藤隆・有働・三浦(←しかも三浦は6位)と主力投手を3人も
獲ったけど、斎藤隆と有働は活躍時期が短かったのが難かな。
ちなみに一番の負け組は巨人だね。
谷口は期待外れ、小原沢は名前が話題になっただけ
(当時流行っていた『歌手の小金沢くん』をもじって『投手の小原沢くん』と言われた)、
3位の松岡に至っては、引退後に別の事で新聞に載ってしまった・・・・。
この年の巨人のドラフトは歴史的大失敗だったと思う。 確かに91年の時の社会人有力選手はオリンピック凍結選手で
指名できなかったから大学、高校生の指名が多かった。 ドラフト会議中継はテレ東と並行して千葉テレビでも中継していた。しかも多局ネットで。
おそらくはテレ東(当時は東京12チャンネル)との共同制作による同内容だったと思われるが中継時間も昼過ぎまでと長めだった。
79年11月27日の千葉日報におけるテレビ欄下の千葉テレビ番組広告によると
解説・佐藤安弘(日刊スポーツ記者)レポート・井上ゆかり
ゲスト・沼沢康一郎 司会・小倉智明
ネット局 AKT TVI GTV TVS TVK ITC GBS MTV KBS SUN TSS
と記載されていた。 >>72
88年までやってたね 88年はドラフト3位まで見られたと記憶している
ちなみにその年はドラフト全指名選手を夕方のニッポン放送で読み上げてくれていた 阿波野と小池が意中じゃない球団に指名された時に
会見場が「えええええええ」ってどよめいて、
あれは亜細亜大学の伝統なのかと思った 甲子園の大物で、五輪目指すから社会人野球に行った野手、誰だっけ? 松井秀喜を引き当てたミスターのあのドヤ顔は生涯忘れない >>74
あわの
「在京のセがいいな」
確率2/3(巨人・大洋・近鉄)なのにハズレ
こんどうしんいち
「中日いきたい」
確率1/5だったが1001に当ててもらえる 金村(報徳学園)が当時としては異例の阪急を逆指名。
甲子園優勝投手からのラブコールとあって当然1位入札、だが競合した近鉄が交渉権を獲得、外れ1位で山沖を指名する。
しかし阪急側の金村の評価はそれほど高くなく、現場は即戦力の投手を欲しがっていたので内心はニンマリ。
ドラフト後のインタビューでも上田監督は「同じパリーグで頑張ろう」と明るい表情で語っていた。 >>3
そのロッテに指名され
涙を流して喜んだ選手もいる
時代は変わったもんだ 藤高俊彦の西武拒否事件だな
西武が唯一ドラフトでの入団を拒否された選手
スカウトの「高卒で会社にいても出世しないよ」の余計な一言で会社に残留… >>77
尤も阿波野の場合外れた2球団に後に共にトレードで在籍ししかもそのどっちのチームでも
優勝更に近鉄では味あえなかった日本一迄経験出来たからな。
阿波野にとっちゃまさに禍い転じて福と為すだったな。
一方近藤の場合1年目だけは華々しかったがそれ以降は・・・ >>78
当時の阪急の現場にしてみりゃ「幾ら甲子園のスターがうちを逆指名してくれてるって言うても・・・現状を考えたらなぁ
今欲しいのは即戦力の投手なんやけどな・・・」てのが上田監督以下ほぼ一致した本音だっただろうからな。
だからドラフトで近鉄がかっさらってくれた時には近鉄への感謝の気持ちが上田監督にも露骨に出たって訳だな。
まあ結果的にはどっちにとっても大成功だったけどな。 金村もプロでは野手としてやってく決意を早々と固めてたみたいだし、フロント営業部は兎も角、
そん当時の阪急の現場としちゃ金村からのラブコールなんて正直ありがた迷惑でしかなかったんだろうな。 指名された4球団の中じゃ現状を考えりゃどう考えてもハムだからこそ生き存えてるなハンカチは。
その点でも本当に「持ってる」としか言い様がないねw 補足
渡辺富男と石井が両方取れた。
ドラフトでは勝利でしょ。 ドラフト会議が今週開催…ということで、浮上させておきます。 1986年西武1位森山なんて予想したスポーツ紙なかっただろうな 86年組全体が予想裏切ったんだよな
実は豊作とまではいかずとも不作ではなかった >>94
上の方のスレでも書いているけど、
阿波野指名で森山は下位って余裕かましていたら、
広島がハズレ1位でとるって話が流れたんだよね。
あの年はプリンスホテルの藤井も囲い込みできていて、
下位でもどこも指名しないと考えていたらプロ志向が強いって判断した阪急が4位で指名した。
西武的には失敗した年に当たるのだと思う。
結果論でなく、当時のドラフト戦術として。 今年
平沢は取られたけど、オコエが取れたので
結果オーライ >>95
当時の野球関係者・野球ファンに木田・山ア・中嶋の実働年数を教えたらビックリするぞwww 1995年のドラフト。
駒澤大学の河原純一はダイエーと相思相愛で逆指名が確実だった。
しかし、巨人が横槍を入れ、周辺から崩して獲得した。
怒ったダイエーは駒澤大学に入学が決まっていた城島を強行指名。
駒澤大学としても、河原のことで負い目があるので、強い抗議はできず。
結局、プロ入りを熱望していた本間(駒大)を3位で指名することで和解。
巨人、ダイエー、駒大で三方一両得? という裏話。 >>99
ドラフト同期に実働年数25年超えが3人
これ、なかなかないことですよ。 >>102
野茂や与田などが指名された年か。
同感ですな。 ベタだが
1985年 桑田 清原
1989年 野茂
1990年 小池
1992年 松井 裏金裏金てよく言われてたけど、
球団はペイできるんですか?
高橋由伸は何十億レベルの話でしょ?
大昔ではロッテに入った山崎さんとか。 まあ、90年代前半最強の球団といえたヤクルトから4番候補を強奪して、
自分ところに入れたからペイできたんじゃね。
90年代中半以降ヤクルトは普通の強豪チームになったしね。
さらに、イチロー・松井と日本人外野手の評価がMAXで
自身も3割35発打ってFAした07年もメジャーに行かず(行けず?)巨人に残留だったし。 阪神の
1位 舩木
2位 中ノ瀬
3位 林
4位 曽我部
即戦力四人!優勝や!
って思ったこともありました。 2004年のドラフトではダルビッシュがハムに指名された時
ハムに凄い投手が来たのかもと敵ながら思った…
その3年後に沢村賞を取ってしまったが…
なおダル程ではないがある程度評価してた一場は… 巨人は豊作の年に限って1人負けしてる気がする。
昭和43年、平成元年、3年
例外は昭和55年くらいか?
石毛、愛甲、弓岡、山内和、井上、石本、大石、川口、中尾、高木豊らが
いて巨人は原、駒田だからね。 正直、こんなことは考えたくはないけど、原、松井秀の巨人と清原、松坂の西武のクジは怪しい。
特に松井秀の時なんか、長嶋は指を立てて喜んでたけど、当たりくじはカメラに見せていないから。
当時、巨人と西武で各有望選手の激しい争奪戦があったから、何か両チームの間で取引があったのではと
勘繰りたくはなる。確証がないからどうにもならないけど。 >>118
正直こんなこといいたくないけど、第三者が納得できる根拠がない以上アンチの妄想による誹謗中傷以外の何物でもない。
ネットなら何いってもいいと思っていたらそのうち痛い目にあうよ。 松井なんて残りくじだったのに前の人も八百長に加担してたことになるのか >>108
優勝や!とは思わなかったが中ノ瀬はもう少しやると思ったなぁ・・・ 松井は阪神ファンだったが、欲しい選手なら
獲りに来たのが巨人。ま長嶋だから体制 松井が1学年上だったら、あるいはセゲヲの復帰が1年遅かったら
松井の讀賣入団は無かったんだろうな。 1968年 サンケイ、東京
1972年 東映
2004年 ダイエー
ドラフト参加時と翌年開幕時では球団名が変わっている。
72年東映1位の新美敏は日拓で73年パ新人王。その73年オフには日本ハムで契約更改。 >>117
原を外していたら高木豊獲得だったかな
もしくは高田の後釜で日本楽器の岡村か >>127
あの年阪神が優勝してたら巨人入団はなく確実に阪神入団。
阪神優勝、巨人3位となり、当然最後の当たりクジを引く順番は長嶋ではなく中村に変わっていた。 >>113
よりによって、一場が一番目立った試合が
西口の”完全試合未遂試合”で、対戦相手の
先発投手としてヒール役に回ってしまった
あの試合だったからな…。 ダルビッシュなんか細すぎて1位なんて…と思っていたが ダルビッシュなんか細すぎて1位なんて…と思っていたが 1968年ドラフトはかなりの豊作
特に阪急は1位山田、2位加藤、7位福本、(入団しなかったけど)12位門田と名球会選手が4人もいるとは…結構凄いよ 大久保博元なんか太すぎて1位なんて…と思っていたが
やっぱりだった… >>129
原のはずれ1位は
法政の武藤だったかと・・・ 今日行われたドラフト
外れ1位の指名に5球団が競合 外れ一位は下位球団からのウェーバー制じゃなかったの? 小池
何球団複合かは忘れたが、当たりクジを引いて、
ガッツポーズしているロッテ金田監督とは対照的に
この世の終わりみたいな顔をして落胆していた小池が印象的だった >>108うろ覚えだけど、船木はドラフト前に肘がおかしかった。
地元広島のスカウトが逆指名獲得を考えてたけどその情報があったから
見送ったって話を何かの本で読んだ。 >>142
今だから思う
もし、あの時に小池が素直にロッテに入っていたら、
@もっと活躍できた
Aカネやんと衝突して早々にクビになる
どっちに転んだんだろうと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています