通算350勝ーーー米田哲也ーーーーーーーーー
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ガソリンタンク、歴代2位の通算350勝投手、元阪急、阪神、近鉄の米田哲也投手について語りましょう。 75年は146イニングを投げたのに規定投球回を達成できず テレビ新広島でも森永勝也とのダブル解説で出ていたな。
まだ神田康秋がメイン実況だった頃だが。 新人の年も204イニング投げたのに規定投球回を達成できず 稲尾は巨人に通用したが、米田は滅多打ち。
巨人に通用しない投手がパ・リーグで大活躍したことで、パ・リーグが
二軍並み扱いされるようになった張本人!
67年の初優勝日本シリーズの第一戦で、米田でなく足立を先発させていたら
球史は大きく変わっていたと思われる。 投手版・野村克也
もっとも野村は後に有名になったが >>8
>>10
日本シリーズで妙に打ちこまれてたのは
今思うと、クセを見抜かれてたんじゃないか。(梶本もだが)
本人の性格で、打たれるとムキになって投げるから
ますます打たれる。
そのうち苦手意識(相手の巨人にとってはお得意さま意識)
が生じ、何度対戦してもカモにされる。
結局、日本シリーズの成績は
2勝3敗の防御率5点台。350勝投手としては
信じられないほど悪い(しかも先発での勝利はなし)
初対戦の67年第一戦での6回KOが
後々まで響いたんだろな。
ヨネカジが通用しない西本阪急がシリーズ苦戦したのは必然。 阪神で遅くて微妙に落ちる球で打たせてとる投球してた最晩年しか
見た記憶がない。昭和30年代のパ・リーグでは一番速い球投げてたらしいが これだけの成績残してる人を日本シリーズで勝てなかったというだけで叩くとか酷えな
阪急ファンが日本シリーズしか見てなかったというのがよく分かる 稲尾もON時代の巨人には滅多打ちを食らっている。
30過ぎてから、ONと対峙した米田は運が悪かった。
稲尾や杉浦が勝った時期の巨人と
ON時代では実力が違う。 昭和三十年代前半と
四十年代のV9時代は違うんだよね。 63年の西鉄最後の日本シリーズで、稲尾は第1戦完投、第6戦完封している。
打ち込まれたのは、連投になった第7戦。
先発7試合オール途中降板0勝3敗の米田と一緒にしては、かわいそう。
逆にON全盛時代の巨人から5勝をあげた足立は価値がある。 足立もON巨人には打たれまくっていた(防御率5.58)
それでも4完投5勝4敗の成績を残せたのはは流石だな 56年・・・米田 9勝15敗2.38 稲尾21勝6敗1.06
57年・・・米田21勝16敗1.86 稲尾35勝6敗1.37
58年・・・米田23勝13敗2.12 稲尾33勝10敗1.42
59年・・・米田18勝24敗2.12 稲尾30勝15敗1.66
60年・・・米田22勝16敗2.73 稲尾20勝 7敗2.59
61年・・・米田16勝22敗3.56 稲尾42勝14敗1.69
62年・・・米田20勝17敗3.23 稲尾25勝18敗2.30
63年・・・米田14勝23敗4.01 稲尾28勝16敗2.54
シリーズ以前にシーズンの成績で米田は稲尾に遠く及ばない
現役時代は誰もライバル視しなかった稲尾より1ランクは下の
投手って評価だったと思うわ 金やんいるかもしれんが影が薄すぎる
再評価されるべき V9巨人が優勝を決めた試合の阪急先発
67年 第6戦 先発米田 3番手足立0回自責5
68年 第6戦 先発米田
69年 第6戦 先発宮本 4番手足立1/3回自責6
71年 第5戦 先発米田 2番手足立1/3回自責4
72年 第5戦 先発米田
教訓1 大事な試合に米田を先発させてはいけない。
教訓2 先発が打たれた後にあわてて足立を出すと別人のように打たれる。 米田がMVPを獲った昭和43年は、
南海との優勝争いが熾烈で最終戦までもつれ込んだ。
リーグ優勝決定が日本シリーズの前日では、
米田も疲れて力を発揮できなかったのでは。
足立はレギュラーシーズンで貢献していない年もあるから。 >>17
稲尾をKOしたのがON砲でなく、柳田と柴田というのがおもしろい。
この試合長嶋は無安打。王は追い打ちという感じ。
昭和43年は>>23の言うとおりで、後は成績が下り坂になっているから
全盛期だったら違った展開だったと思う。
惜しかったのは昭和48年で防御率1位になっている。このときシリーズ
に出ていれば活躍できたかもしれない。つくづく運がないね。 西本阪急が勝つには足立・石井・宮本を軸にして回す以外無かったのだが
非情になりきれない西本がヨネカジを要所で使い続けたからそりゃ負けるわ 結局米田は日本シリーズ2勝3敗だが、先発は0勝3敗といいところなし。
2勝はいずれも救援だがやはり打ち込まれており、1つは71年第2戦の
山田初登板初勝利を奪ったもの。
この試合で運がなくなった山田は、連続先発となった第3戦の9回裏・・・ >2勝はいずれも救援だがやはり打ち込まれており、1つは71年第2戦の
>山田初登板初勝利を奪ったもの。
あの試合見ていたが山田が本塁打2本で4点取られリードされたまま降板。
打線が奮起して点を取り1点阪急がリード。その直後、救援の米田が長嶋
に本塁打を打たれ同点。これで山田の勝利が消えた。
しかし、その裏打線が爆発し、3点を取り逆転。米田が後は黒江の本塁打の
1点に抑え、このシリーズ唯一の勝利。という流れだったと思った。
いかんせん、40年以上前のことでこれ以上思い出せないが勝利を奪った
というのは状況からちょっとかわいそうな気がする。
>この試合で運がなくなった山田は、連続先発となった第3戦の9回裏・・・
運がなくなったというより、王に対して警戒が足りなかったように見えるね。
ほとんどの記事で書かれていないがこのシーズン後半王は大スランプで年間40本塁打
を割った。一方、長嶋はリーグ唯一の三割打者で首位打者。おまけに日本シリーズで
驚異的な集中力を発揮するとあればマークは長嶋に傾くだろう。
実際、王はそれまで一安打、この試合も押さえていた。
9回長嶋の打席も長打でなくて良かったくらいに思っていたのではないかな。
談話でも末次がいやだったと言っているし。
今日の自分なら王は押さえられる。そう思ったのが打たれた原因だろう。
当時の記憶ではどう見ても絶好球で、あれなら不調の王でも打てると思った。
西本もさすがにあの場面で米田を出すとは思わなかったろうね。 あの試合、山田は8回まで確かに王を完全に抑えてたのも背景にあるんだろう。
ただランナーを出して初めてセットで投げた打席で物の見事に打たれたという。
西本御大がそれを振り返っていたテレビ番組を以前見たが、まあ昔は呑気だったのね、と
今だとまあ結構な確率で交代考えるでしょうな。
当時でも例えばその辺に目配りの利くノムとかなら交代しそうに思う。 >>28
そんな呑気さは上田監督も受け継いでしまったようで、1978年第4戦9回表、リリーフに山Qを用意
しながら今井続投→ヒルトン逆転2ランに繋がってしまった様な。
本来、ここで出て来るべき投手だった山口高志を故障で欠いて、山Qを代役に立てざるを得なくなっ
たチーム事情(阪急側は山口が登板出来ない状態なのををひた隠しにしていたが、既にヤクルトの広
岡・森CIA(俗称)側に情報が伝わっていたとの話も)や初出場のヤクルト相手という事で油断して
しまったのだろうかと。 阪神移籍した時も読売戦は回避気味だったな。
この年だんとつ最下位の相手だけど
相性の悪さやトラウマを吉田監督に考慮されたんだろな >>28
あの場面で山田から誰に交代させるんだ?
降ろして、王に打たれれば山田が不貞腐れて、より大きなものを失う。
山田続投で何の問題もない。 エースなんだから最後まで投げるのが当然だろ、当時は皆そういう考え
勝ち試合でマウンド下ろされる時は怒り、悔しさ、それらが全て
今みたいに6回か7回くらいまで投げて仕事やり終えたなんて思っている投手は1人もいない 上田監督が米田を放出したのは
大舞台で負け癖が染み付いてるロートルを切らないと日本一になれない
と判断していて監督就任時から切るタイミングを伺ってた節がある。
シリーズどころかパリーグプレーオフでも弱かったからな >>31 確かに山田に代えられる投手はまずいないとも言える。
ただ、そもそもそういう投手を用意していない、作ってないのが御大らしいというか問題と言えば問題とも思う。
例えばノムなら左でサイド気味の村上雅則をワンポイントで出したんじゃないだろうか。
実際、翌年のプレーオフで御大はそれをやられて敗退してるわけで。
まあ、結果論ではあるんだが、とはいえ最悪の結果が出たのも事実ではあるからして。 王に打たれるまで完封してるのに何で変える必要があるんだ。 当時、米田と足立は犬猿の仲、と言うよりは米田が足立を嫌っていたと
いう噂があった。パ・リーグ公式戦で晩年の足立が打ち込まれた時、
「あんな球が通用するはずありませんよ」と米田がうれしそうに
解説しているのを聞いて、噂は本当だったんだと確信した。
日本シリーズで一転して足立が好投した時、解説の杉浦さんが
ただ一言「立派ですね」と言ってくれて、うれしくなったものだ。 米田や梶本はキャンプでも打撃練習がないとブーブー言ってたから
セリーグ移籍志願はそのあたりもあったのかな? 元阪急米田哲也氏 オリックス快進撃で森脇監督にエール送る
プロ野球は各チームとも残り試合が少なくなり、パ・リーグでは2008年以来Aクラス入りから遠ざかっていたオリックスがCS出場圏内で頑張っている。
この“快進撃”をOBはどう見ているのか? オリックスの前身となる阪急で活躍した米田哲也氏は、今シーズンのオリックスをこう分析する。
* * *
ハッキリいって寄せ集め集団。今年ここまで来られたのも、結局は戦力の補強があったからでしょう。
こういうチームは土壇場になると非常に壊れやすい。だから今こそ森脇監督の力量が問われているのです。
遠慮があるのか、まだまだ森脇カラーが出ていないことが最大の不安要素です。
参考にしてほしいのは阪急、近鉄の監督を歴任した西本幸雄さんです。
オリックスはこれまで弱くて、負けて当たり前、選手も負けてもなんとも思わない環境だった。この辺りは昔の阪急によく似ています。
それを常勝チームへと変えたのが西本監督だった。
西本監督はまず、それまでの監督のイメージを変えた。監督とはベンチにドーンと座って動かないものでしたが、
西本さんは自分から汗をかいて動き、監督の考えを選手に直接伝えようとした。そうやって西本カラーが次第に浸透していったのです。
森脇監督もオリックスを常勝チームにするために、カラーを強く押し出してほしい。
伝統のないチームが勝つためには、楽天の星野仙一監督がそうだったように、監督が勝つための執念を露わにし、チームを掌握していかなければならない。
首脳陣が選手におもねると、土壇場で勝ちきれなくなります。優勝争いの経験があれば分かるが、残り30試合を切ると、
投手陣の場合はそれまでの成績が関係なくなる。何勝していようが、自分の登板中は絶対に点をやらないという強い気持ちを持てるかどうか、ただその一点にかかってくる。
今年の快進撃の原動力となった西勇輝が、ここ1か月は低迷しているのが象徴的です。
西はスピードはないがコントロールがいいピッチャー。ところがその制球力が悪くなっている。過去の投球を自分の中で引きずっているのが不調の原因でしょう。
こういうピッチャーがいると、大詰めでの優勝争いは勝ち抜けません。その原因を取り除いてやるのが監督・コーチの役目です。
選手に嫌われてでも、きちんと進言ができるかどうか。ここでも森脇監督の見極めや対処の仕方が問われることになる。
ひとえに森脇監督の覚悟にかかっていると私は思います。
※週刊ポスト2014年9月19・26日号 首脳陣が選手におもねると、土壇場で勝ちきれなくなります。
優勝争いの経験があれば分かるが、日本シリーズに入ると、
投手陣の場合はそれまでの成績が関係なくなる。ペナントレースで
何勝していようが、自分の登板中は絶対に点をやらないという
強い気持ちを持てるかどうか、ただその一点にかかってくる。
ペナントレースの快進撃の原動力となった米田哲也が、
日本シリーズではいつも低迷しているのが象徴的です。
過去の投球を自分の中で引きずっているのが不調の原因でしょう。
こういうピッチャーがいると、日本シリーズでの優勝争いは
勝ち抜けません。その存在を取り除いてやるのが監督・コーチの
役目です。選手に嫌われてでも、きちんとトレードできるかどうか。
ここでも西本監督の見極めや対処の仕方が問われることになる。
ひとえに西本監督の覚悟にかかっていると私は思います。 西本御大は名監督だけど土壇場でカッとなって冷静な判断ができなくなる人だったかもと思う。
俺の知る例
・広島との日シリで後の投手起用が苦しくなると仰木が止めたのに「ええい黙れ」と選手交代。敗戦。
後に仰木はこのことを反面教師にしてた。
・例の21球で石渡の初球見逃しを見て「打つ気なし」と判断してスクイズ決行。
後に石渡は打つ気満々だったが単に狙いが外れたから見逃した、と述懐。
上の山田もそうだと思うわけ。
今のセオリーなら9回投げりゃ疲労で球威落ちるし打者も何回も対戦すりゃタイミングも合ってくる。
それにフォームで抑える投手がセットで投げりゃそれだけで威力半減ですわな。
そこを見極められなかったのがやっぱり日本一取れなかった原因だと思う。
もちろん凡将じゃないと思うが、違いは細かいところなんだよ。 【速報】最強おっぱい決定戦「P―1グランプリ」開幕! 全部見せます お色気全開の水着バトル!
あの人気アイドルグループからも続々参戦決定!?
https://www.youtube.com/watch?v=NjUezC_T-vs >>28 >>35 >>41
この試合で山田が打たれたことと西本が冷静さ非情に徹する、あるいは細かいところに
気が回らないというのはほとんど関係ないと思う。
あの試合9回の巨人の攻撃で、山田は萩原、柴田、柳田の左打者を完全に押さえている
(柴田は四球だったが粘った末にかろうじて選んだ、柳田は進塁打さえ打てなかった。)。
だから疲労で球威が落ちた、打者のタイミングが合ってきたというわけではない。
それで打者長嶋で山田を続投させた。山田は長嶋にも変化球でタイミングを
外し、討ち取っている。安打になったのは打球のコースが良かっただけで打ち込まれた
わけではない。
そして、王はペナントトレース後半の不振をひきずって本調子とはほど遠かった。前の試合で本塁打を
山田から打ったが振り遅れて左翼にあがった打球が風に乗ってラッキーゾーンに落ちただけ。他の打席は
押さえられている。
こういう状況だから西本は山田に勝負させた。例え野村でも同じだろう。
現代のように専門のリリーフがいれば交代させた可能性はあるが。
打たれた理由は上に書いた通り、山田の自信過剰によるコントロールミス
だろうと思う。あえていうなら西本がやるべきだったのは山田に「王は不調だが、
1発がある。長打にはきおつけろ。」と落ち着かせることだったのでは。
しかし、投手は自分の力が信じられなければ勤まらないのも事実。上のセリフは
1959年の天覧試合でに王の打席で阪神の投手小山に捕手の山本が言ったもの。
それにもかかわらず、小山は王に本塁打を打たれ結果的に阪神は敗れた。
自信と過信は紙一重。山田の闘争心まで落としては意味がないだろうね。
このシリーズに限って言えば福本の足を封じられたことが一番大きいと思う。
このときの本塁打の映像を見るたびに野村克也の顔を思い浮かべるね。 米田も皆川も日本シリーズではパッとしなかったな
印象だけでいえば足立・杉浦が図抜けている 西本さんのは悲運じゃなくて つめが甘いんだよ
悲運じゃなくて実力
短期は向いてないタイプ
長いスパンで底上げするのに向いてるタイプ >>47
たしかにそうかも。
星野に似てるな。
一昨年、やっと日本一になれたけど。 ペナントで果てているという感じやね
星野よりはいい感じ 米田哲也
出場試合数 979
登板数 949
小山正明
出場試合数 869
登板数 856
梶本
出場試合 934
登板数 867
鈴木啓示
出場試合数 7数十
登板数 703
皆さん
出場試合〉登板試合数
です
※野球体育博物館に行ったら、米田さん鈴木啓示は若い頃は年に数回内野手、外野手出場記録有りました
、ポジション不明
★★
もしかして当て馬や偵察も一試合出たことになるの?
例えば
六番ライト米田→右投手→ライト直ぐにA選手
左投手→ライトB選手に交代
米田選手ライトとして出場
代打米田の後ファースト守ったり、有ったのですか? >>50
本人が投げてる途中で内野ならファースト、外野ならライトに回ってワンポイント投手が投げてまた本人が投げたんじゃないかな それは無いよ
ワンポイントで出てくる中に米田や鈴木より上の投手などいない >>52
ちょっと調べたらこんなことが
偵察選手にも、1976年までは守備成績に、試合に出場したという記録がついていた。1960年代から70年代前半の選手の成績に、投手以外の守備位置が記録されている場合は、このケースが多い。打撃成績としての「試合」数には、偵察メンバーとしての出場もカウントされる。 >>53
> >>52
成る程納得しました。どうもありがとうございました。
>>31
> >>28
米田さんがブルペンで投球練習終わってベンチでどっかり座ってる所を少しだけうつってましたよ
G+で巨人のV9の映像で 71年シリーズで米田が投げてる動画を見たけど
投球自体は変化球のキレもあるし苦手の読売相手でもきちんと内角攻めしてるんだな。
バックの守備と審判の盗塁判定はかなりひどいな。
ああいうのが積み重なってシリーズで打たれ続けたのかな この人は球が速かったの? それともやや技巧派?
体力凄いのは聞くけど歴代2位のわりにマイナーな存在で情報や動画がほとんどない なんで350も勝てたんだ 全盛期は1950年代だろうな成績見る限り
60年代以降は惰性
惰性であれだけ勝てたのは凄いと思うが全盛期は短いね >>56
杉浦より皆川の方が勝利数多いようなモンじゃ >>56
真っ直ぐとフォークが持ち球の剛球投手で、ガソリンタンクと言われた強靭な体力に
加えて、新人の頃の監督・藤本定義さんの方針より梶本とのWエース体制という形で、
当時の球界では当たり前だったエース酷使を避ける事が出来たのが、同期でもある稲尾
が20代半ばでボロボロになったのを尻目に(寧ろ稲尾という存在が居なくなったのを
勝ち星を稼ぐ好機としたかの様に)順調に勝ち星を伸ばして行った要因かと。
>>57
そりゃ梶本の方だろ(´・ω・`)
梶本の最高のシーズンと言えるのは若手時代の1956年かと思うけど、米田の最高のシーズンと
言えるのはベテランの域に指し掛かった頃の1968年だと思うが。 >>60
稲尾、杉浦、尾崎が早期リタイアしたお陰で阪急が繰り上げ優勝し続けてきた様なものだものなぁ。 米梶時代は阪急は優勝に絡まなかったから、稲尾杉浦見たいに酷使されなかったの?
優勝が絡むと精神的疲労蓄積も違うでしょう 日本シリーズの放送、見た
この人が投げているところ、ちゃんと見たことなかったんだけど
やっぱり理にかなった、きれいな投球フォームをしているし
バックネットカメラからでもわかるくらい、変化球のキレもよい
当たり前だが、伊達に350勝もしていないわ テンポいいというか淡々と投げてたなw
少し稲尾に似た投げ方だったな >>64
カネやん並みに食事や体調管理に厳しかった 当時のパ審判は米田が一番速かったと答えるとか
15年位前のナンバー別冊に載ってた 張本は自分が対戦した右投手では米田が一番速いと言っている。
ちなみに左はカネヤンと江夏。一般の評価と異なり、クサより
江夏の方が速かったそうだ。
堀内はカーブの印象が強いとのこと。尾崎と森安の名がないことが
不思議だったが最後に尾崎と森安は横から見て速かったと思うが
試合で対戦していないから正確に評価できないから外したと結んであった。
ソースは30年くらい前のスポニチの連載コラム。この評価を信じていたので
自分の見た左腕で当時一番速かったのは江夏だったと思っていたが
そうでもないみたいだ。 >>64
「30勝投手を出すのは監督の恥」という言葉を残し、阪神でもローテーション制(つうか今の観点
から観ると2人エース制と言うべきか)に拘った起用で2度のリーグ優勝を果たした藤本監督だから
どうだろうねえ。
その阪神で2枚エースの一翼を担った小山も語っているけど、稲尾や杉浦、権藤博等に比べればって
話で、今の尺度からみれば彼らも時にリリーフ起用されたりと充分酷使の部類(米田、小山に言わせ
ると「今の投手は甘やかされとる」との物言いとなるが)だけど。 >>61
昭和30年代は稲尾と杉浦の酷使合戦でスタートし、それに尾崎と安藤を獲得した
東映が加わったが、既に二人ともアマチュアで酷使済で長くは持たなかった。
なので、稲尾、杉浦、尾崎が早期リタイアしたお陰で40年代に阪急が繰り上げ
優勝し続けてきたという指摘は的を得ていると思う。 南海は一度辞めた鶴岡が仕方なく続けてただけだし西鉄は三原以降やる気ないし
あの時代の阪急が繰り上げ優勝ってのは状況的にはその通りなんだろうね プロ野球ニュースで米田が出てると
当時のラッシャー木村にソックリだった
>>69
ハリーは、「1番速かったのは森安」と答えていた記事もあったし
あえて特定人物を挙げず
「調子のいいときのピッチャーは、誰というわけでなく中々打てませんよ」
とも発言している 実は、野村克也が、最もカモにしていたピッチャーが米田
対戦した投手の中で一番、ホームランを打っている 榎本が現役時代に印象深かった投手として、稲尾、杉浦、足立の名を挙げて
いる。肩を壊す前の足立は1試合17奪三振の記録を持つ速球派で、米田よりも
速かったと言う人もいる。復活後の足立がシンカーを投げるようになって
榎本が失望したというのは、有名な話。 https://www.youtube.com/watch?v=00qQlAkoCyE
守備力が違い過ぎる
巨人が強過ぎる時期だしなw
あの頃の巨人を抑えられる投手は、いなかっただろうな
全盛期の稲尾、杉浦、尾崎、が投げても結果は同じだろう >>76
投球テンポは早いが速球のスピードそのものは145km/h程度だろ。
160出てたとかありえんわw 現役16年目なので全盛期よりは落ちてる
その動画では投球間がカットされているので聞き取れないが、解説者が
「今は球威も落ちてフォークボールの米田というイメージです」との発言をしている >>76
当時はどこも似たようなもんだろうがビジターとはいえ阪急ユニは地味すぎだな。
軍国主義的な暗ささえ感じるようなデザイン。こりゃ「灰色」と言われたのも納得だわ
ましてデカい体した米田が仏頂面で淡々と投げたらますます軍隊のイメージだなw
たぶん翌年から赤が入る直前なんだろうがね。 >>80の人生を投手に例えるなら最速100キロでノ-コン、変化球無し(真実)。米田は160投げなかったかもしれないがその前にお前が話になってない(動かせない現実) バカボンと呼ばれた奴は末代までの恥なので消えるが、
呼ばれて絡んでくるのが本物のバカボンwww >>76
公式戦では守備の名手の阪本や大熊が
シリーズでは委縮したのかやらかしてるな。
こういうバックだから阪急投手陣もたまったもんじゃなかっただろう。
ただでさえONや末次を大の苦手にしてるのに 当時は、格が違いすぎた。
一人ひとりの風格が違う。
12球団通してVナインに勝てるチームなど無かったわけ。
誰一人トレードされなかった超絶レギュラー陣。
やがて形勢逆転したが。 長嶋が現役引退して川上が辞めたら他はあまり変わらんのに割とあっけなく崩壊したがね
とはいえあの日シリも足立の踏ん張りがなければ巨人伝説はまだ続いたかもな >>85
阪本は守備に問題があったから放出されたんだろ あの時代は大橋のショートはピカイチ 歴代でもベストに入るだろう このシリーズの第3戦の長嶋のヒットになった当たりを取れなかったのを見て阪本をトレードして
大橋を獲ったと聞いた 阪本 282 15本 36盗塁(守備はそこそこ)
大橋 213 7本 9盗塁(守備の名手)
とのトレード 阪神引退直後の江本の暴露本で
「阪神で1年だけ一緒にプレーしたが、過去のプライドが高いだけの老害」と
こきおろしていた(とある名投手と表現し実名はださなかったが) 実績があるのにプライドは謙虚だった山内新一に対しては
どう思っていたのかな? 江本とか豊田泰光って落合あたりのことをボロクソに叩くけど、
成績的には江本は、100勝ちょいの一流半、豊田は1960年代の昔の基準だと一流だけど、2000本安打に届かず
タイトル1個で超一流に届かない感じ。
江本や豊田が、米田や落合や野村みたいな超一流の生涯成績を残していたら、
彼ら以上に成績を鼻にかけて今以上に嫌味な人になっていたと思うよ。 >>94
江本がってこと?
同い年でどちらも南海に来てから二桁勝利してるから当時はチーム内のライバルってとこだろ 豊田は生前の稲尾の講演会の中で
「私の時代も後輩をいじめて喜んでいる人がいました。豊田泰光という人」
と言われていた TVで西本監督が「なぜ巨人が王手をかけた試合に米田を出したのか」
と聞かれた時に、「助平根性を出してしまった。第六戦を何とか米田で
勝ってしまえば、あとは第七戦は足立で勝てるから」と言っていた。
結局米田が先発した試合は一つも勝てなかったのが誤算。 悪いが御大がシリーズで勝てなかったのは当然に思えてきた
一言で言えば冷静さと非情さがなかった。
加えて、多少悪どいことしてでも相手を出し抜くような考えが一切なかった人だしな
戦争に行ったのは川上と共通なんだが大卒で多分士官扱いだったからだろうか、
勝つためには何でもする、という執念が足りなかったように思う。 >>99
1938年に旧制立教大学に進学。当時の立教大学野球部には監督がおらず、のちには実質的な監督役を務めている。
文部省の命令でリーグ戦が中止となった1943年5月には、自ら申し入れて明治大学との対外試合をおこなった。
学徒出陣により同年秋に応召。陸軍中尉にまで昇進し、温情に満ちた隊長として部下に尊敬されていた。
中国で終戦を迎え、復員後は八幡製鉄、全京都、別府星野組と社会人チームを渡り歩く。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています