実在しない選手の想い出をでっちあげるスレ
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まずは阪急・ヤクルト・阪神で活躍した尾沢慎太郎について語ろうか >>58 ドリランドは今フロリダ州知事だよ、なにげに次期大統領選の共和党のダークホース
不人気オバマに替わって大統領なっちゃうかも >>102
三冠王といってもファームの三冠王では? フォーカス、フライデー、フラッシュの写真週刊誌三冠王だろ ドリランドは今は亡き横浜ドリームランドのCM(但しテレビ神奈川版)に出てたな セルゲイ・ウンコマンって何処のチームだっけ。
かなり活躍したし、名前も印象的なのだが、当時のパリーグは群雄割拠だったから…。
当時、俺は小学生で、野球を知らない他の子供達もその名前だけは知ってて大人気だったが、
所属チームの知名度までは全然上がらなかったのは当時のパリーグの悲哀を物語っている。 >>108
ウンコマンは日本ハム退団後メジャーでもそこそこやってたな
いまは脱税して刑務所にいるみたいだけど >>109
日ハムだったか、サンクス。
食品会社なのにそんな名前の選手雇ってて良かったのかな…
まだ衰えてもいないのに急に切られたのは、そこら辺の事情が絡んでそうだね。
当時ガキだった俺には知る由も無かった。 登録名はセルゲイだったけど西武との首位攻防でチャンスで4三振した試合後に
大沢親分が「ありゃあウンコマンだな」って口走ってたよね 登録名はウィンキーとかだっけ
背中の綴りは本名のUHNCOMANNだったけど
オールスターで巨人の羽田から横浜スタジアムの場外に打ったホームランが印象深い
確か当時、浜田山のマンションに住んでて善福寺川公園でよく目撃されてた 日本じゃ名前を名乗る度に失笑されたそうだし、
球場での心ない野次も酷かった(最も野次を飛ばす客層に英語が堪能な奴なんていなかった時代だが)。
選手名がコールされる度に、やはり失笑など、球場内が異様な雰囲気になっていたから、球団側も慌てて登録名をコロコロ変えた。
退団はそこら辺の事情から来るのでは?
でも、強靱な身体能力の大男で、
あの荒い気性の持ち主じゃあ、誰も彼を面と向かってからかえなかっただろうし(若菜もチームメイトだったから野次る必要無し)、
いつも子供達が群がって来ていた時には、ご満悦そうにしててサインにウンコの絵を書いていたそうだから、
日本は彼にとって、そんなに居心地の悪い場所ではなかったと思うのだが… >>96
Kの井上いじめはひどかったもんな。
ベンチに戻ろうとした井上の足をひっかけて転ばそうとする、
ベンチの中では口に含んだ水を井上の顔に吹き付ける、
試合前のキャッチボールでは井上と組んでわざとに暴投し井上に取りに行かせる、
試合中なんかでも4番K、5番井上という打順を組めばKが塁上にいて、
井上がヒットを放ち生還できそうなタイミングでも生還しない、
あるいはKが3塁にいて井上が外野に飛球を放ち、十分犠牲フライになりそうでも生還しない、
これは明らかに井上の打点を増やそうとさせなかったためだろう。
見かねた首脳陣が今度は3番井上、4番Kという打順にすれば、
「おれがなんでこいつの後なんだ」とばかりの態度で、
ネクストサークルで待っている間には先ほどまで井上が使っていたマスコットバットやスプレー缶を、
まるで汚物を触るかのように扱う、あるいはスプレー缶を踏んづけて、ボールガールに大きな声で
「おい、これ腐ってて気持ち悪いんだよ、新しいの持ってきてよ」と叫ぶ、 Kって西武のコーチになってもデーブとつるんで雄星苛めしていたな 見かねた周囲のマスコミやコーチ・選手たちがKを問いただすと、
「おれは冗談でやってるだけだよ。おれと井上は高校の先輩後輩なんだから、
こうやって井上とコミュニケーション取ってるだけだよ。なあ、井上、そうだよな」
井上は小さく「はい、そうなんです・・・」と答えるだけ。
Kも井上も主力選手である以上、メンバーから外すわけにもいかず、
チームは悩みを抱え込んでしまった。 中村みらい、トライアウト受けたけどダメだったみたい、もう引退かな 田舎の高校から中日入りしてトルコの帝王と呼ばれた見廣ってのがいたが…
トルコ狂いが祟って野球の方は23歳でクビ。その精力を生かしてAV男優に転向した。
芸名って何だっけ?この前BUBUKAに登場してたけど、そこは伏せられてた。
出演作とかももう手に入んないだろうなあ…。
未だに素人の女性とはやってないそうだ。 俺らの小学生時代プロ野球チップスのカードでハインツと高見沢ばかり
出たんだが何だったんだ?
五人で買って全員ハインツとか比率がおかしいだろうと
坂巻とか森河内なんて見たことなかったわ >>121
おれは森河内率高かったよ?
でもおれが森河内引きまくった年は、森河内絶不調のシーズンだったがw
なんでも、おれは気づかなかったが、カード裏面の文章中に、
とんでもない誤植があって、それの呪いらしいwww 森河内のカードは年俸が一桁多い誤植があって親父に見せた時は驚いていたな。
今や億単位の年俸なんて当たり前になったが チームを引っ張る存在、とすべきところを、
チームの足を引っ張る存在、になってたんだっけ? 日米野球っていうと茶倉だよな、マダックスから満塁弾をドームの広告にブチ当ててパンチョさん涙目だったって話だぜ
茶倉もフシギとプロでは大成しなかったなあ、毎年阪神ファンは今年こそ茶倉が確変するとか息巻いていたものだが
監督が菊絵で小麦谷を重用してたしなあ、今ごろどこで何してるやら 茶倉は外野守備がクソすぎただろ、茶倉のクソ守備で負けた試合もなんぼかあったよ、ファーストでも守らせれば使えたのに
でも、ファーストは高見沢いたからなー 高見沢なんて赤ヘルの小早川と変わらんクラス。
当たりの助っ人を引けてれば厚みも増していたのだが…
茶倉は二軍時代、ファーストを守って牽制球を後逸してたから、駄目でしょう。 茶倉は高2の春センバツにエースで四番として出場した時には、
ランナーのいない二塁に牽制投げて場内騒然とさせてた。
セカンド守ってた剃眉のキャプテンがイカツイ形相で必死になだめてたな。
野球偏差値の低いタイプだったんかな・・・
投手としてはMAX135kmだったから強肩ではないし、それ以前に捕球出来ないし、
返球する方向を判断する能力も著しく欠けていた。
無理なタイミングでも一生懸命バックホームする姿勢は、それだけで当時の阪神ファンからは喝采モノだったが。 >>126
あの年の日米野球で活躍した選手はホークスの佐々木といい翌年絶不調に陥っている。
佐々木は復活したが茶倉はなぁ。ま、後に衰えて阪神に移籍した佐々木よりはマシだが 小麦谷は打撃がクソだった
あのグリップの握り方は小学生みたいでヘンだよ、あんなんで打てるわけねーっての
練習態度とかがイイというだけで菊絵は重用していた 小麦谷の打撃指導に一役買ったのが、ヤンクスから来た鬼軍曹捕手ロビン・ジャンバラヤだったよな。
ジャンバラヤの鬼飯、鬼グソ、鬼寝は、今もヤクルト寮の語り種だよ。 小麦谷光世(こむぎだに・こうせい)は1991年から97年まで阪神タイガース、98年から2006年までヤクルトスワローズに在籍した元プロ野球選手である。
ポジションはレフト。愛称は「むぎっち」「ムギー」
<wikiのコピペです> 小麦谷が集団インフルエンザで欠場した試合でスタメン務めたのが羽生? 羽生? >>133
でも解説もファンも同僚も普通にコムギヤって呼んでるな 中日の木下伸郎(85〜)
ウドの大木といわれるのそっとしたうごき悪い怠け者で山内暗黒の原因
星野に変わったらしょっちゅう叩かれていたがまったくこたえてなかった
その後ダイエーに移籍するも不振で引退したあとはTNCラジオの解説をしているが居眠りが批判されることがある さすがに木下1人に暗黒の原因を押し付けるのは酷というもんだろう
確かに叩かれやすいキャラクターではあったが
1週間で5回遅刻とかあったような >>136 スカウトの田丸さんが強く推したらしいよ
田丸さんは、ソフトボールやってた小貝とかベトナムでミンとか発掘した経歴あったからなあ
茶倉だってドラフト下位にしてはよくやった方だろ
>>138 木下はナムコプレシーとかなんとか阿佐田哲也もかかってたビョーキってことが最近分かったんだよ
「自分の居眠りや怠けグセは病気だと分かってもらえてホッとした」とのことだよ 木下って99年シリーズの解説で寝ていて松本ヤギに怒られてたな それでいて木下は新庄遅刻正座事件の時に当然だとかいって新庄を批判してたような あれだけ星野に殴られても馬耳東風なのはいないだろw
タイムリー打った瞬間に寝るからな
tssやラジオ広島から達川消えた時にかわりにTNCから借りたがあまりにも仕事しないから木下は呼ばれず池田やKTVの小麦谷しか呼ばなくなった >>136
そりゃもう、類稀な打撃力があったからだろう。
そのバッティングセンスは田丸スカウトに限らず、12球団のスカウト垂涎の的だった。
投手としては2年からエースだったが、打者としては1年から四番だった。
野手としては守る所がなく打つだけの選手だったから下位指名だったけど、
DH制のあるパリーグの球団がもっと上位でさらってくれたら、彼の運命も変わったのではないか?
日米野球での活躍を観るにつけ、どうやら彼は強い相手に滅法強いとみる。
助っ人をも押しのけて指名打者に君臨していただろう。 >>140 田丸自体が、ボールボーイしていたのを当時の藤本監督にええ図体しとるなみたいなカンジで誘われてプロ入った、という傑物だからなあwww >>140
ミンはほんとによかったよなあ
結果的に3球団に在籍して日本一も経験した
あいつをスカウトしたことに関しては田丸神としかいいようがないわ 横浜に羽衣という選手いたよな。
確か93年の新入団だったな。 >>147
ホエールズからベイスターズになった年の最初のドラフトだったよな。
下位指名の割には数年はいい働きしてたんだけどねえ。 「はごろも」という名前から大洋のままだったら指名されていなかったろうと言われていたな。
早速やくみつるに「羽衣 woo is?」とかネタにされてたが 同じケースなら、割と最近ドラフト候補に挙がった銚子商の森永悠季だな。
左打ちで内野手。両方とも補強ポイントで尚且つ地元なのにロッテがスルーした。
結局、同姓の大物OBがいる広島が交渉権を引き当てたけど、まだ台頭せんか・・・ 羽衣…肩だけなら田螺毛より上だった…。
座ったまま送球して元チームメートの屋鋪を刺したシーンは、
今でも好プレー特集の映像で流れる。
一発当てただけでも幸せな野球人生では無かろうか?
まだブルペンキャッチャーとしてチームを「羽衣」の様に護る名裏方やってるし。 >>146 ミンて、ボールにツバとかグリースつけてたってウワサはガセなの?
ホークスにいたとき、ボビー・バレンタインと揉めてつかみ合いになってたよねwww >>152
本国のリーグ戦ではつけてたらしいが、
1年目のキャンプで監督に激怒されて以来やってないと思われ
ボビーとの掴み合いはボールの判定からの暴言(ベトナム語と英語の聞き間違い)によるもの 羽衣ってロッテで清水将海と争ってレギュラー掴みかけたよな
里崎橋本体制になって1年目の楽天に無償トレードされたけど >>154
肩だけで打撃ダメって点では似たもの同士だったが、リードは清水より良かったと思うぞ。
羽衣はどっちかっつうと定詰と被るな。 華やかな松坂世代の高校生達がドラフトされている傍ら、
「マグロ漁船の船員だった」経歴のあるテスト生の内野手が下位で指名されて話題になったよな。
肥尻だっけ?
一軍出場無しで二年でクビ、航海期間とさほど変わらない現役生活になってしまった。
二年でクビになるって事は入団時既にそこそこ歳食ってたんだっけか?若かった印象だが。
高校は非強豪校の沼津工。この時はまだ有名選手ではなかったと思う。
卒業後、船員資格取って、遠洋漁業行って・・・
帰ってきて猛練習。指名された時の所属先は何だったっけ?
この当時はまだ独立リーグも無かったし、静岡の聞いた事の無いクラブチームだった気が… お前らよく覚えてるな
>>156
スポーツ新聞ではそんな風に呼ばれてたけど、そのスタメンが実現したのはほんの数試合だぞw
>>157
肥尻信彦懐かしすぎワロタ
最近「あの元プロは今」みたいな週刊誌インタビュー出てた
また遠洋漁船に戻ったらしい >>152 スピットボーラーといえばモリソンだろwwwww
あの変化球は、ファミスタの北別府か東尾かいってツッコミ入れたくなった モリソンて言えば奥さんがモリマンだったいね。スパッツばかりはいてたからよく話題になったよな。
モリソンの変化球はおみあいが
よく広角に打ち分けてたよな 1985年のWBCのトルコ対イタリアの3位決定戦は球史に残る名試合だったな。
トルコチームの二番サードに四十手前のガタラサライがいたのは正直びびった。
でもって先制のソロアーチ打っちゃうしw ガタラサライはカープ時代はいかにも野球後進国の若者って感じだったからなあ。
ホームランは一本も打てず、守備も到底任せられたもんじゃなかった。
時代は違うが、90年代に巨人に居たマントやルイス以下だった。
15年越しに放ったソロアーチに、当時を知るカープファンは暖かい拍手を送っていたのでは?
打たれたカペリーニは、日本に来て鍛えたらイタリア版郭泰源になれる素材だったな。
でも、シチリアの北別府ことディ・シリオを重用していた方が3位を勝ち獲れていたかも知れない。 根本関根両御大が匙を投げたガタラサライもメジャーリーグのロイヤルズでオールスター出場やゴールドグラブ賞(二塁手部門)を2回獲得するほど大化けするんだからな。
まあ打撃は相変わらず非力だったけどな。 1985年のWBCってつまんなかったじゃん
監督が稲尾で阪急と中日中心に選んだらピリっとしない
多分落合が中日にボイコットさせるのはこれがあるからだよ
本人もイマイチだし
古葉が担当した81年、89年のほうが見応えあった
そういえば85年大会中継って提供の電電公社が民営化間近で「まもなく民営化されます」と公共広告機構が交互に流れていたのを思い出す
(13までスポンサーがなかったから) 1982〜87年に南海に在籍していた畔柳って憶えてる人いる?
3年目に打率.285の12本塁打で1軍に定着しかけたんだけど
翌年の5月にどっか痛めてファーム落ちして、そのまま鳴かず飛ばずで
87年オフにクビになったんだよな
けっこう守備も良かったと記憶してるんだが、素行か何か問題もあったの?
全然関係ないけど、選手名鑑の好きな女性のタイプに「小出広美」って書いてあったな〜 >>163
ディ・シリオは牛乳瓶眼鏡がトレードマークだったな。
後打撃が苦手でシチリアの槙原と揶揄されてたな。 >>166
1985、86はよく左投手相手に山本和の代打で送られていたのを覚えている。
怪我した後は主に高柳がその役をやってたが、週べの記事で彼と一悶着あったように書かれてたが何なんだろうな? >>166
自慢の俊足が怪我で戻らなくなってしまってからは、いつ切られてもおかしくない感じではあった。
三拍子が身上の選手だったから。
100m走で香川に負けたという逸話もある位だし。
>>167
それでディ・シリオに代打を送ってしまったのがイタリアの運の尽きだったんだ。
代打レオナルディーニは鮮やかな3ランを放ったが、残ってた投手がポンコツで万事休す。 自慢の俊足といえば、77〜80年の4年間に盗塁数計135個を記録した
持丸篤志もその後怪我に泣いた
あのまま怪我なく活躍していれば、コンパクトな打撃と相まって
南海のリードオフマンとして長く牽引していただろうな
持丸って今は何してるんだろう?まったく消息を聞かないのだが・・・ 藤原にしろ畔柳にしろ持丸にしろ、南海はまだやれる、これからだという俊足巧打好守タイプの選手が潰れてしまうことが多かったな。
久保寺の場合は仕方が無いとしても。 引退後に出した暴露本がまずかったな、持丸は。
「タイトルの裏側、全部見せます」だっけ、盗塁王を巡っての裏取引……
ウソかマコトか知らないが、あれでノムさんも見放したって噂 持丸は江本のベストセラーに触発されて書いたっぽいな
だがいかんせん内容が生々し過ぎた・・・
その後、郷里の那智勝浦でスナックだか居酒屋だかを
経営していたと聞いたが、今はもう店も畳んだっぽいね
どこで何をしているんだか・・・ 江本や愛甲や金村みたいな性格じゃないと暴露で飯は食えないよ 持丸篤志
76年 率.227 本1 盗3
77年 率.258 本2 盗22
78年 率.292 本3 盗34
79年 率.281 本6 盗41
80年 率.289 本1 盗38
81年 率.243 本0 盗6
81年のあの怪我さえなければなぁ・・・
本当に楽しみな選手だったのに 飛田、こんどの衆院選長崎から民主で出るらしいなwwwww
ローカルタレントで細く長くやってたのに何考えてんだか、アタマの悪さは年を取っても治らないなあ
せめて堀内みたいに参院だろ 飛田はたけし軍団入りしてスポーツ大将や風雲たけし城にでてたな。 持丸は非力であったため、通算本塁打はたったの13本だが
鈴木啓、村田兆治、高橋直樹からそれぞれ1本
山田久志からはなんと2本も打ってるんだよな
そういう意味じゃあ、意外性のあるバッターでもあったね ガキの頃、持丸にサイン貰ったわ
79年の暮れだったかな
天王寺のマンションに住んでたらしくオフの時は
阿倍野界隈でよく見かけたんだよね
気さくな感じでサインしてくれたよ
81年頃にポルノ女優の渚アケミと付き合ってたよな確か
ほどなくして自由契約になったから、別れたのかもだが・・・ >>179
山田から打った2本目が最後の打席だったっけ。
ハイタッチで脱臼とかみんな呆れたけど、8年後に相手の門田もブーマーにやられて……
「持丸の呪い」って面白がってたけど、当人の行方が知れないだけに不気味だったよ >>165
1989年WBCはイニング合間に竹下総理の「4月から消費税3%」というCMがウザすぎたな
この大会でアメリカのクーラー兄弟がすごかったな
マンズ・クーラーとピンズ・クーラー
古葉が動向した牛込に調査に行かせたけど獲得に失敗した 89年はカープのキューバ遠征もあって、その足でWBCに合流したカープの選手の活躍も期待されたんだが
目立ったのはアメリカ戦での正田と漆畑のダブルスチール位で
その後のペナントでの得点力不足を暗示しているかのようだった。 >>177 キャッチフレーズが「日本政治をリードする!」らしいよ、、、オマイの現役時のへっぽこリードで何抜かしてんじゃと、、、
サイン出したはいいけど、よく三神にマウンド呼ばれてコツン食らってたくせになあ、、、 畑山公治って最後中日にいたんだな
つい最近知ったわ >>185
強肩強打だったがリードがねえ…地頭の悪さから来る物で一向に改善しなかったよね。
それなのに捕手に固執したもんだから、それが選手生命を縮める結果に。
その癖引退後の売り文句は、
「アマチュアから数えた野球人生の中で全てのポジションを守った」
だから意味わかんねえ。
プロでも色んなポジションに挑戦しておけよ。と。
ピッチャーは高校時代に捕手のポジションからリリーフ登板したのを何度か観たよ。
字が難しい学校だった様な…なんとか浦。だったよね?確か。私立の強豪校。
下級生時代から有名だったけど甲子園に行けなかったのは偏にこいつのクソリードとキャプテンシーの無さ。
プロのスカウトもそういう所は見てなかったんだろうか? 飛田はレコードを出すほど歌が上手かった。
解説は脱線しまくりの居酒屋談義そのものだが面白い。 飛田って智辯学園じゃなかった?野球留学だった気が。もしかしたら別の飛田かも。 >>189
それは徳島商から太平洋に入団した飛田友樹のほうだな WBCは77〜01までのルールが良かったよ
当たり直しもなく完投OKだったし
中日数長くて分業化した今でも前ルールのほうが侍は活躍できるような
新生WBCはどうにもなあ
77監督 別当薫
81監督 古葉竹識
85監督 稲尾和久
89監督 古葉竹識
93監督 土井正三
97監督 仰木彬
01監督 若松勤 清原入団前の西武といえば
多部井太郎、小野田正一が秋山と共に活躍したな
特に多部はアメリカ教育リーグにも参加し
秋山に並ぶ主砲候補として期待され
85年は40HRの秋山と共に30本69打点を挙げリーグ優勝に貢献した
清原入団により多部はレフト専念になり
どれ程のチームになるのかとファンは期待した
だが多部はなぜか伸び悩み阪神から移籍した村上春樹にまでポジションを奪われ
AKの活躍の陰でひっそり引退してしまった
同様に秋山とクリンナップを組んだベテランの小野田はデストラーデ加入まで
それなりに活躍してたんだけどな シャイアンズに日系三世のロビンソン・狩野が入団した時は話題になったな。
ヤンクスのカノと勘違いしたファンが空港に出待ちして、勘違いだと知ってがっかり感を空港中に溢れさせたのをよく覚えてるよ。
でも、狩野はよく孫六ボールを打ち返してたんだよなぁ。孫六との対決はとても面白かったわ。 WBCも80年代はパキスタンやインド勢が強かったな。
最近はスペインやギリシャの南ヨーロッパ勢がいな
。 >>186
星野中日との乱闘の中心にいつもいて岩本を鯖折りしたり小松崎のヘルメットを叩き割ったりしてたな。
マメ長嶋といい星野は乱闘の好敵手を後で引き入れる。
尤も畑山が来たのはナゴド時代で乱闘の舞台としては相応しくなくなっていてチームカラーも変わってたので
目立たなかったのも無理はない 畑山公治ねえ、広島時代は山本衣笠時代と江藤前田らの時代との狭間の時期のカープのある意味象徴的な選手だったよね
この時代、山本浩二2世と期待された選手は多かったけど畑山の場合は特にその呼び声が大きかった
名前の読みが同じで誕生日まで一緒だったんだもんな
そのせいでホームランを求められすぎて、本来アベレージ型の打撃を狂わされた部分も大きかったように思える
中日はナゴド野球に対応するために守備走塁のいい畑山を獲得したわけだがまあ峠は過ぎてたな
前年の小早川復活の二匹目のドジョウを狙いたい気持ちもあったかもね
99年のシリーズでは山崎武司の怪我の関係で何気にベンチ入りもしてた >>191
93年ってデーブがロースター入りしてたぐらいだし
藤田が固持しての土井だからか第1期WBCではものすごい読売色が強かった
あまり他球団の若手を使わなかったのも土井がイチローなどで育成を見誤ったと言われる理由か
前年の阪神をあまり使わないで巨人ヤクルト西武にこだわり過ぎてた
>>193
毎年今年はタイトルタイトルと言われて取れたタイトルあった?
フジの珍プレーすら取れてねーだろ
>>198
2chでおすぎって呼ばれてたのは別の選手だっけ? 詳しい方にお聞きしたいのですが、かつてロッテにいた檜高孝一朗は
なぜに1976年だけ14勝5敗という突出した成績を残せたのですか?
前年の75年は3勝8敗、77年は5勝11敗、78年に至っては1勝9敗と
大きく負け越すのがデフォの投手だったのに・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています