1993年のプロ野球
達川があと2年ぐらい現役でいたなら、少なくとも佐々岡の5勝17敗という成績は無かったと思う この年の日シリで西武が負けてからパリーグは日シリで2002年までの間に2回しか勝てず苦しむことになる
今では考えられないことだが何があった そらFAと逆指名よ
当時はまだセパの人気格差が大きかったし >>716
記憶違いかもしれないけど、この年のジャイアンツって開幕前ぐらいには
「史上最高打線」とか銘打っていなかったっけ? >>731
世間で期待されてたかは知らんけど、
俺が個人的に期待してた
記録的大外れだったがw やっぱり野球はネットの整備途中だった90年代が最高だな
今はユニフォームが洗練され過ぎて、選手も似たり寄ったりの優等生ばっかでスターオーラ0だから刺激が無い 未だに10代の頃の顔を維持しているのだから、ある意味若い 当時から老け顔だった松井や古田なんて、今でも見た目や体型が当時と大きく変わらないから今は若く見える 古田は若く見えるけど松井は年齢不詳って感じだな
顔がでかすぎて判断に困る 岩隈は2001年の時はイケメンだったけど今は随分老けた 上原や松中も20年ほぼ変わらないから若いよな
宣銅烈なんて中日入団時の34で凄い貫禄があった 松中昨日のスポーツ番組出てたけど浮腫みすぎでヤバかった 大橋穣のウィキでこんなのを見付けた。
1993年からヤクルトでコーチを務めた際には、上田阪急の御家芸であった走塁戦術「ギャンブルスタート」を伝授した。上田は1970年代後半に、無死または一死の場面で三塁走者に対し、打球がゴロと判ってから走る一般的な「ゴロ・ゴー」だけではなく、バットがボールに当たると同時に走り出す「当たり・ゴー」、さらにはバットに当たる前から走らせる「ヒット・エンド・ラン」の三種のサインを状況に応じて使い分ける戦術を考案して実行し一点をもぎ取っていた。上記のような局面での「当たり・ゴー」と「ヒット・エンド・ラン」は、打者がライナーを打ってしまった場合等には逆に併殺打になるため、非常にリスクの高い作戦であった[6][7][8]。
ヤクルトは、大橋がコーチに就任する直前の西武ライオンズとの1992年の日本シリーズ第7戦、7回裏一死満塁、1-1の同点の場面で、代打杉浦享のセカンドゴロの間に三塁走者の広沢克己が本塁で封殺されてこの回を無得点に終わると、延長10回表にエースの岡林洋一が力尽きて犠飛により1点を失い、1-2で敗れて日本一を逃した。ヤクルトの敗因としてこの広沢の走塁死がクローズアップされたため、監督の野村克也は大橋から「ウエ(上田)がやっていたあれは、どういうケースで(打者、走者が)どういう条件でやるんだ?」と聞き出し[2]、キャンプでは大橋の指導の下、その走塁戦術を練習させた。同じ顔合わせとなった1993年の日本シリーズ第7戦、8回表一死三塁、3-2とヤクルト1点リードの場面で、三塁走者の古田敦也が三塁ベースコーチの大橋に「行きますから」と小声で伝えて「当たり・ゴー」で本塁に突入し、広沢のショートゴロの間に生還して追加点を挙げ、ヤクルトは4-2でこの試合に勝利して15年ぶりの日本一を達成した。 今の選手は真面目過ぎてキャラが立ってない
90年代まではレコード出したり、オフのかくし芸に出たりと漫画や珍プレーで茶化されるぐらい個性的だった
その反面、監督はチー牛主体からフレッシュに若々しく様変わりしてるが その頃とは時代が違うんだよ
いつまで昔を思い出してウットリしてんだジジイ 松永も今じゃ鹿児島で幼稚園児相手に体育を教えたり、水泳大会のゲスト解説に呼ばれたりする 今は真面目じゃないと
マスゴミに叩かれるからな
キモい時代だよガキ 松永は幼稚園児に砂遊びを教えてるんじゃなかったのかW 小宮山が開幕6連勝くらいしてたけど結局負け越してた ハドラーの方が優良外人だったのか(´・ω・`)
17-16以外、あまり記憶にないが しかも8番打者ながら打率.300を達成
シーズン2回のサヨナラ打
得点圏打率はリーグトップという勝負強さを見せた >>757
当時のヤクルトのれっきとした主力だったんだけど 終盤の練習中に山本昌広が松井達とかいう雑魚の打球鎖骨に受けて骨折、20勝と防御率1点台とドラゴンズの優勝が消し飛ぶ
延長15回、無死満塁からクリーンナップが内藤に3者連続三振…
今思い出しても悔しすぎる、絶対ドラゴンズ優勝してたよなあ
ついてなさすぎだろ >>763
7イニング、スコア7-1で山本昌投手を降板させたものの9回に8失点してチームは逆転負け、
山本投手の16勝目が消えてから3日後の出来事でしたね。
この試合が余程堪えたのか、翌年の10月6日は山本昌投手先発で
7回終了時点でスコア9-0であるにも関わらず完投させ、
その結果、いわゆる10.8では山本投手はブルペンに入りはしたものの、
事実上登板不可という状況に。 >>757
後年、その内藤が中日に移籍したんだけど、その際はどう思ったんだろうか 阪神佐藤53打席連続無安打のおかげで
トーベの存在を思い出した まさか、こんなところでトーベの名を聞くことになるとは 前年のトーベは打率2位だった。この年同様100試合弱の出場だったけど ワールドカップが怪しい
ヤクルト優勝しそう
宏池会の総理逆風なまま選挙へ
株が下落
来年冬五輪
大河ドラマが途中からになる >>773
そのうち、ヤクルトはリーグ優勝を達成
また、自民党は議席こそ多少減らしたものの、公明と組んで
絶対安定多数をゲット >>763
そして、翌年は讀賣との「10.8」に敗れてしまう
高木監督が持ってない人だったのか、それとも… ヤクルト戦、15回裏無死満塁からパウエル、落合、彦野の三者三振
阪神戦、9回裏種田の代走酒井が自動スタートできるフルカウントから立浪の右中間二塁打で生還できず幻の同点
阪神戦、9回表種田の守備固めの酒井がフライ落球、さらに併殺コースの打球をはじき大逆転負け
中日は9月12勝6敗だったとは言え
この3試合で一気に意気消沈したかな >>781
5年以上前に>>424で同じ事書いてたわ、俺… 酒井って選手は全く知らんが、2chがあったらネタキングだなぁ その試合
https://2689web.com/1993/DT/DT21.html
ここには詳細は書かれてないが9回表先頭打者の遊飛を落球、
さらに7-3となって無死一、二塁から遊ゴロをはじいて傷口を広げた
酒井の守備成績
https://2689web.com/ind/1990034.html
3000足らずの守備機会で62失策はどうなんだろう… 中日もこの後7連勝するが同時期にヤクルト8連勝で追い付けず
さらに9月末からのヤクルト11連勝で一気にマジック1に 谷口が三本柱に次ぐエースとして大成していたら上原は獲って無かったな この年のオフからFA制度が導入
これにより、球界のマネーバランスが崩壊することに… >>117
中村は、まあ阪神のお家騒動に巻き込まれていたから、半々くらいだったけど、高木はね。復帰とはいえ、ここが初めて監督になったのと殆ど変わらんかった(前回は山内一弘の途中退任による監督代行だったから)。ただ、ツテが徳武・井手・井上弘昭くらいしか無いし、一枝・島野と言った頭脳派が抜けて作戦面でも前年よりも落ちた感じ。
それに、最近の長嶋清幸のコラムに書いてあった内容も解り、余計印象が悪くなった感じ。それに、仙一派の福田が一軍にいた、93.94が順位良くて、二軍の92.95はほぼ最下位争い。
まあ、95は星野禅譲予定が、前年の10.8で予定が変わり、凄い拗れた人事になった。星野が使う予定の無い人は解任、ある人は2軍といったものが色濃く、木俣とか谷木などのその後呼ばれること無い人や、投手コーチが現役当時の勝数2人合わせて10勝くらいという悲惨さだったのは、同情的意見はあったけど。 特に第5戦で桑田から打った1本目はかなり飛んでたな >>798
そりゃバカスカ打ってたもんな
優勝してたらMVPやったろう
桑田とオールスターみたいに遊んでた様な気がしないでもないが 1993年
MVP票数 セ・リーグ
(1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられる)
146 17. 6 計787 古田敦也
. 10 57 24 計245 広沢克己
8 32 39 計175 ハウエル
3 28 34 計133 伊東昭光
3 14 30 計 .87 今中慎二
5 11 .7 計 .65 山本昌広
-. 2. 6 計 .12 高津臣吾
- .1 .3 計 6 ローズ
-. 1. 1 計 4 池山隆寛
-. 1. - 計 3 ハドラー
- .- .3 計 3 江藤智
-. -. 1 計 1 伊藤智仁
- .- .1 計 1 前田智徳
MVP票数 パ・リーグ
53 34 32 計399 工藤公康
43 49 20 計382 辻発彦
31 32 36 計287 石毛宏典
. 1 . 3 . 9 計 .23 野田浩司
. - . 5 . 1 計 .16 ブライアント
. 1 . - . 4 計 9 野茂英雄
. -. 2. 1 計 7 鹿取義隆
. -. -. 4 計 4 潮崎哲也
. - . - . 4 計 4 広瀬哲朗
. - . 1 . - 計 3 シュー
. - . - . 3 計 3 ウインタース
. -. -. 1 計 1 石井丈裕
. -. -. 1 計 1 杉山賢人
. -. -. 1 計 1 伊東勤
. -. -. 1 計 1 清原和博
. -. -. 1 計 1 秋山幸二
. -. 3 10 計 .19 白票 サヨナラホームラン5本のハウエル
1993.5.15
1993.5.28
1993.6.22
1993.7.4
1993.7.14 93年はウインタースもシューもそこそこ打ったじゃないか
この時代はむしろ外国人打者への依存度が高すぎたのが問題だ この年はメディーナ、トレンティーノ、シューと名前からしてネタ助っ人が多過ぎ
当たりだったのはローズ、ブラッグス、ホールぐらいか >>820
ハドラー、タイゲイニーは当たりに入れてもいいかも。
シューはヤクルト入団を希望していたと、雑誌か何かで見た記憶がある。 >>820
この年のブラッグスは7月14日を最後にケガで出場していないが
ケガがなく全試合出ていればホームラン王だったかもしれない なにわ男子の藤原って阪急どころかイチロー渡米前の90sオリも知らないだろうな