1985年のプロ野球
阪神優勝だけじゃない!
セパ両リーグ三冠王誕生、中日阪急凋落、広島の老成野球、広岡西武ラスト、南海ヤクルト暗黒、大洋近鉄に希望
巨人が一番空気だったよーにも
そしてKKドラフト事件もありました 阪神は四タテで甲子園で決めたかったんだろうね。1998横浜と同じ星取表。
10.8を勝った長嶋巨人やら、異様な勢いを持ったチームに負けてしまいやすいのか...。 >>106
広岡の「シリーズは3敗まで出来る」との持論に対して、吉田監督は「私は早く4つ勝ちたい
ですわ。」と返した位だしな。 そのあたりは森西武のときの「第二戦重視」と併せて
短期決戦の戦い方としてよく取り上げられてたな
最近はそういう感じの戦略を表に出して戦おうとする監督って
あまりいないような気がする >>107
そのイズムあれば33-4や昨年は避けられたかもな
スパイスもCSは早く畳まないとならないと言ってたがシリーズだと >>107
広岡はそういうポリシーだったよね
森も同じ事言ってる
なんだかんだ森は広岡から
学ぶ所が大きかったのかな? >>110
森野球のルーツは広岡野球
権藤野球のルーツは仰木野球
袖を分かちあってもラーメン屋ののれんわけみたいに形は
違えど受け継がれていく物
それにしても阪神はなぜこの年の日シリで勝てたのか? 阪神は秋に弱い
西武は秋に弱い
このほこたてが阪神に作用した 1988中日、1990巨人「そうか…、西武って、秋は弱いんか…」 >>113
10.19や10.12や2010年のやらかしがあるから 初戦に弘田がエンドランを決めた。
この時吉田監督は、日本一を確信したと言ってる。
つまり、広岡野球は限界だったと見抜いてた。 当時は小学生だったから夜遅くのスポーツニュースは観れなかったな
朝6時40分くらいからのスポーツニュースを観てた
だからパリーグはあまり目にすることがなかった 関西には4球団もあったなんて、現在から見れば夢のような時代だ。 阪神が優勝できたのは巨人と広島の投手陣がこの年に限って当時の両チームにしてはいまいちだったのも大きい
この年は極度な打高だったこともあり阪神が打線で押し切りやすい状況だった
しかし翌年以降巨人と広島の投手陣が元に戻ると阪神は戦えなくなった
阪神自身に問題があったのが一番だけど 違う。
巨人と広島の打線がいまいちで、阪神の投手陣が意外に良かったのが全て。
阪神は、エース級はいなかったが、先発を中継ぎに送り込めるぐらいのスタミナの多いピッチャーが沢山いた。だから巨人や広島や中日の打線を寸断できた。 この年の巨人は3球団に
負け越しながらの
偶然的Aクラス 江川が100球肩とか6回戦ボーイとかひどい言われようだった
翌年からはある程度復調したがなんでこの年ボロボロだったんだろう 肉を食うなの広岡が、痛風の治療のために、優勝決定試合を欠場。日本シリーズは、しらけた雰囲気が充満していた。 学校(西武沿線)で日本シリーズ第5戦 西武先発小野
西武ファン「誰?」 阪神ファン「そんな奴いたか?なめているか?広岡」
第6戦西武ファン「もう東尾しか阪神打線止められる奴いない!高橋なんか
ダメ!」
先発高橋直 西武ファン「勝てないな」初回長崎満塁本塁打で
もう諦めてた。 同じくドラフト会議当日の社会科の授業
担当教師(阪神ファン)
皆「清原、どこ?」教師「西武!」
西武ファン「ヤッター!」阪神ファン「阪神は?」
教師「遠山」阪神ファン「誰?」
教師「巨人は清原指名しないで桑田を単独指名した」
巨人ファン「はあ?」 巨人に指名されたら、それまでの早稲田一色、絶対指名するな!から、見事に手のひら返ししていたのが印象に残る。 パ・リーグのベストナイン外野手部門が、金森(西武)、横田(ロッテ)、熊野(阪急)たが、史上最も地味な顔触れでは無かろうか? 蓑田とかクルーズとか他にいたのになぜその三人なのか クルーズはこの年ほぼ指名打者専任(指名打者95試合、外野9試合)
簑田は.278 24本 80打点も、打率、出場試合数105が受賞3人よりも下回る。
この辺を投票者がどう見たか、じゃないかな。 他の候補は.281 18本塁打58打点19盗塁の島田誠か
さすがに外野で22試合しか出てない秋山じゃ強引過ぎるか >>128
ブーマー、古屋、松永、秋山よりこの三人が活躍した訳じゃないのにな。
セの外野手だってクロマティ、吉村、屋鋪がベストナイン落選している。 新人王の熊野が、ベストナインの得票数では横田を下回っている。ただ、平成10年の高橋や坪井のことを思えば、この二人は幸運だと言える。 当時の読売新聞のスポーツ欄には王監督の>>20のような似顔絵
とコメントがあったな。
勝った時は笑顔で、負けた時は渋い顔。めったに見れなかった引き分けの時は
真一文字の顔。実によく似ていたな。(第一次長嶋政権、第2次藤田政権も
そういう似顔絵はあったけど、長嶋は80年だけ、藤田も89年だけだったのがなあ。) GWの阪神−中日戦が満員で2万人が球場に入れなかったのを聞いたクサが
「藤井寺に来てくれたら良かったのに…」 「危機を越えて」
85年は史上初めて両リーグで三冠王が誕生したが、それぞれが結果的には“独走”といわれる数字を挙げた。しかしその過程は、決して
それぞれ平坦ではなかった。セントラルで初めての外国人三冠王になったランディ・バースは来日3年目、だが過去2年間はともに解雇の
危機にさらされていた。
83年は投手難で6月に最下位に沈むというチーム事情から、球団が同じ左打者のスティーブ・ストローターとバースのどちらかを二軍に降格
しなければならない決断に迫られた。オープン戦の死球で出遅れたバースは、初安打も出場10戦目の5月5日。右打者キム・アレン復帰の
6月下旬の入替時点でも、打席数でさほど変わらないストローターより打率で劣り、本塁打と打点でも1本3打点と僅かに上回っていただけ。
それでも2歳若い事と、6月に入って打率4割を超えていたのが効いて降格を免れた。ストローターは間もなくリチャード・オルセンの入団に
伴い解雇されたが、安定した打撃は今後に期待しても良かった事もあって、もしバースが6月も調子が上がらなかったら阪神、そしてセリーグ
の勢力図も変わっていた。
84年も前年同様に打撃三部門で好成績を挙げたが、「走れない守れない」と言われたり、一発長打を求められたりする事が多かった。
そのため27本塁打のバースはオフに契約解除となるところだったが、新監督に就任した吉田義男の希望で残留となった。そして85年は
“伝説の3連発”を起点に打ちまくり、本塁打と打点では夏場既に独走。7月末に自打球で負った全治2週間の右足剥離骨折にも4戦欠場で
留めた上、復帰後5試合で3本塁打を含む11安打と欠場分を取り戻した。
唯一接戦となったのが、チームメイト岡田彰布との首位打者争いだった。球宴明けにヤクルト・杉浦亨、大洋・高木豊を振り切っての一人旅
から一転、岡田が猛追して94試合目には4厘差でバースを抜いた。9月初旬にはトップ岡田が7厘差をつけたこともあり、以降何度も首位が
入れ替わるハイレベルな争いはチームの優勝が決まっても決着が付かない展開となった。だがV決定後の5試合に、バースが14打数7安打
と続けて打棒を見せ付けて勝負はあった。
最高出塁率、長打率と合わせて五冠王となり勝利打点でも前年に日本記録を作ったブーマーの21を更新する22を記録したバース、前年
から言ってきた「日本の投手の攻め方が解ってきた」のコメントは嘘ではなかった。だがシーズン後に「成績はラインナップが良かったから」
と述べたように、核弾頭・真弓明信がよく塁に出て、後続の掛布雅之らが活躍して自身と勝負してもらえたからこそというチームメイトへの
感謝も忘れていなかった。 (了) 「良き好敵手」
パシフィックでは初めて二度目の三冠王に輝いた落合博満もバース同様、過去2年間はそれなりに苦しんだ。83年は首位打者のみで、
84年は阪急・ブーマーに全て奪われた。一部から「やはり82年の三冠はフロック」と叩かれた落合、85年は元旦から違っていた。それも
そのはず、前年暮れに信子夫人と入籍、「女房をもらう年は成績が悪いというジンクスを無くしたかった」と燃えていた。さらにその夫人と購入
した家の借金1億7千万の返済という“目的意識”もあった。
他にも多い時で一日80本吸っていたというタバコを一切やめるなどの意気込みもあって、シーズン開幕から絶好調。“前年王者”ブーマーの
出遅れもあって前半戦を打率、打点で1位、本塁打も西武・秋山幸二と3本差の2位で折り返した。
後半戦は各部門でヤマ場があった。本塁打では8月に10本を打って秋山を逆転、2日の阪急戦での一試合3発と27日からの日生球場での
近鉄3連戦の5発が効いた。9・10月で計19発を放ちタイトル争い初心者の秋山をグングン引き離した。打点ではチーム95試合目時点で
一時ブーマーに8点差をつけられたが、9月3日に再逆転してトップに立つと二度とその差を譲らなかった。打率は後半戦に入ってから常に
3割5分以上をマーク、9月以降はライバル打者よりは寧ろ自身の腰痛との闘いだった。落合は自身初の月間MVPを受賞した、9月の
10本塁打27打点でスパートをかけて、10月の打率.333、9本塁打、23打点で三冠を確定させた。
落合が嬉しい項目として挙げたのは、「野村さんのパリーグ記録135打点を塗り替えた事」と月間MVP初受賞、それに当時の最高出塁率
日本記録、そして土壇場で10連勝したチームの2位フィニッシュだった。だが三冠王に関しては奪回できた安堵の方が強かったのか淡々と
したものだった。最も手強い最高評価の助っ人と評する、近鉄のリチャード・デービスがタイトルに興味が無く、三部門安定した成績を目指して
くれた事が好運だったと落合は言った。打率と本塁打で次点、打点も3位だったが「どれか一つをがむしゃらに獲りに来られたら分からな
かった」と言うのだ。実際に打率では常にマークし続けたとも言った。落合と同じ歳であるデービスの日本球界唯一のタイトルは、この年に
落合ら3人と分け合った最多勝利打点だけだった。
デービス、ブーマー、レロン・リーら多くの猛者と戦った85、86年を「最も緊張感と充実感を味わえたシーズン」と落合。だからこそ20年の
プロ生活で最高の数字を出せた2年間だった。 (了) なぜここまで河埜落球が挙がらないのか?
あれで試合と共に河埜がぶっ壊れて
大洋にAクラス奪われそうになるほどに
巨人がボロボロだったからな… 1985年のプロ野球を特集した雑誌がBBMから出たね >>143
記憶が定かではないのだがあれはゲーム終盤に起きたプレーではないので。
ゲーム序盤に試合を壊した切欠になったので致命的エラーとしての印象が
薄いんですね。 広岡さんは秋山をべた褒めしていた。
打順は6番でプレッシャー無く気楽に打ってもらう為と話していたが。
まだまだ荒削りで穴があるからだろうけどそれを辛口の広岡さんが口にしないから
どれだけ秋山にほれ込んでいたかという事だね。 今年阪神が優勝しても30年ぶり日本一なんて無理だわ >>143
あれをきっかけに巨人がV争いから脱落したの? ゴールデンウイークに3タテのお返ししたり、盛り返したイメージはあった。
でも負けた。
河埜の落球は、河埜自身が引退を決意するぐらいの落球だった。 あの落球は、落球そのもので、阪神打線が猛虎打線に生まれ変わるきっかけを作ったのが全て。
平田がタイムリーで逆転→木戸プロ入り初ホームラン→伊藤ヒット→真弓ホームランで一挙7点
落球だけで打てなかったら、伝説とは言われなかった。 >>151
たかがエラーによる大量点一つでそこまで話を膨らませることができるあなたは
永谷脩あたりの後継者でも目指して見れば この年の巨人は8月の半ばまで三つ巴の優勝争いをしていて、確か王監督の
父親が亡くなってから失速したように記憶している。 広島が肝心な試合で阪神にボコられたイメージ。
古葉勇退→浩二禅譲がうまく進まず、チームが一体とならなかったことも一因。
山崎以外本当に貧打(特に夏場)と
いう印象。ベテランも中堅もポップフライの連続。 西武の終盤の駄目っぷりがね
前半の独走の貯金で優勝できた感じだが若手が特に息切れしてた
首脳陣と選手ももめてたし
パの選手も「こんなチームに負けたとは…」
シリーズの結果も当然だった >>152
それこそ妄想捏造オジさんの真骨頂なのさ
〜が全て
〜な印象
殿堂版名物妄想捏造(多少知恵遅れ)オジさん
内容といい文といい以前と比べると少しはマシになった
以前は話にならない位大嘘支離滅裂かつ悪質な自己陶酔だった この年のベストナインの投票に、南海の選手は誰一人票が入らなかった。 >>154
今のオーナーと古葉さんが喧嘩をして辞表を叩きつけたらしいので浩二もやりにくかったのではないかな
ましてや名将後の兼任監督を打診されたようだし
そんな監督の去就が問題になる状況で動揺せず2位になるのだから大人のチームなんだろうね ついに
今年は阪神戦1試合も見なかった
こんなの91年以来だ 阪神に優勝させてやれよって雰囲気というか世論があって、それが優勝出来た一番の要因だよね この年から、一般紙のスコアテーブルの打者の表記が変わった。
それまでは「打数、安打、打点、三振、四球」だったけど、この年から
「打数、安打、打点、その時点での打率」になった。
それまで、ベストテンの上位の人しかリアルタイムでの打率が分からなかった
が、これでそれ以外の人についても分かるようになった。 あの試合は最高だった
バース掛布岡田がバックスクリーン三連発でタイガース逆転、
しかしその後、粘るジャイアンツは9回表福間からクロマティ&原がバックスクリーン右へ二連発(クロマティは先制弾に続いてこの日二本目だった)、
原は一塁を回り右手を突き上げてベースを回る。
掛布に「ナイスバッティング」と声を掛けられたのだろう、掛布に向けて爽やかに小さくガッツポーズ、
ホームインし次の打席に入る五番中畑の尻を「中畑さんも続いて下さい!」ってな感じでポーンと左手で叩いた
三連発には三連発返しか?
ここで投手は中西に交代
1ボール1ストライクからの三球目、中畑引っ張る!切れなければホームラン!
…と、ここまでがクライマックスだった
大ファール後中畑はライナー気味のレフト正面へのフライに倒れ、続く吉村&代打駒田は連続三振で試合終了
ファールに切れた時の中畑の心底ガッカリした呆然としたアップ表情が今でも忘れられない
三連発vs三連発が観られなかったのは残念だったが、この試合は興奮する素晴らしい展開だったなぁ
極端なプルヒッター原の右へのホームランも貴重だったしね この手の話は
妄想捏造オジさんが読んだら
喜んで口挟んでウソ講釈展開しそうなネタ この年の門田の状態だと、2年くらいしか持たず、なんとか2000本安打に届けば良いのにというくらいだった。まさか、3年後に二冠になるとは‥‥ この年は秋山がブレイクしたが、日本シリーズ前に右手を骨折するという不運に見舞われた。
骨折を隠してシリーズに出場したが、シリーズでは2つの悪送球と打撃不振。
阪神日本一の追い風はここでも吹いていたのだろうか。 30年前の広島との天王山 9月7、8日連勝して3ゲーム差にして初めて優勝を現実的に見えたよな その時、関西テレビからの中継で西本幸雄&上岡竜太郎が夕方のニュースに出て
「ここからコケるのが阪神」と心配してたが、
カープの士気低下はそれ以上だった 9−6、5−3の連勝で3ゲーム差
さらに大洋にも連勝して三浦和義逮捕の日にマジック22点灯
その後4.5ゲーム差に詰め寄られて迎えた10/12、14の広島戦も敵地で連勝したけど、
仮に連敗なら残り6試合でマジック5だから危なかった 初回ノーゲームになった試合でバースの打球を受けて股関節骨折した槙原の元へ
ビートたけしと中井康之が見舞いに行き
中井が「マキ、オナニーする時は左手を使えよ」とのアドバイス。
中井は投手として入団しながらオナニーのやり過ぎで腱鞘炎になり、
野手転向を余儀なくされたとか >>158
いくら内部がゴタゴタしていようが、チームが成熟していれば
しっかり勝ちを拾える。
今年の広島・楽天とはえらい違いだw この年は、阪神が、おいしいところを全部持っていった感じ >>178
結果論かも知れないがら、日本シリーズも広岡の痛風休養で、しらけていた西武だったからな。 広岡解任のニュースを聞いて西武の選手全員ガッツポーズしたとか。 巨人はこの年に限って江川が防御率5点台というらしからぬ投球をしていたのも響いた
4点台以上はこの年以外はなかっただけにこの年はどうしたのか この年はX5年日シリはつまらないの法則の例外だな… 1、2、4戦は好勝負だが、5戦以降は阪神がひたすらボコってるだけだろう >>181
選手全員からここまで嫌われる監督というのも、そうはいないな。
あとはクサとデーブぐらいかw この年にルーキーだった阪神・和田
コーチ→監督を歴任し、今年限りでユニフォームを脱ぐ。 この年までとんでもなくストライクゾーンがせまかった膝頭の上じゃないとコールしてもらえなかった
現代野球でこのゾーンでやってたら4時間試合続出だったろう 翌年から低目を広く取るようになったのは覚えてるけど
むしろ2002年みたいに高めを広くすればよかったような気もする >>185
嫌われても成績は良かったというのが2人との違い
結局何が良かったのか >>25
なお鷹×燕の日シリが現実化した模様…
基本的に中日や広島が日本シリーズに出る年のパはレベルが高く
逆に横浜やヤクルトが日本シリーズに出る年のパはレベルが低い
傾向が多いのはもうね… 阪神も前者
日本一一回とばかにするけどやらかしたのは05だけで64、03、14の鷹に他が出たら勝てたか?
反対に97、98の西武あたりと阪神や中日がやったら勝てたと思う >>191
いやそもそも巨人に次ぐ老舗で人気球団なのに
シリーズ出場があまりに少ないことの方が問題
球団が本気で勝つ気がないから 長い歴史で見ると阪神は決して弱くない。
優勝9回しているし。
それだけ巨人が今まで強すぎたという事です。
80年のプロ野球の歴史の中で実に45回も優勝してるのですから
プロ野球はまさに巨人の為にあるようなものなのです。 巨人とほぼ同じ歴史なのに二桁に届いてないのか…
しかも2リーグになってからは長らく低迷していた広島ヤクルトに優勝回数負けてるし…
これじゃ対戦相手に恵まれたなんてケチつけても恥ずかしいだけだ… しかしヤクルトファンは今年で日本一に関しては阪神煽らなくなったな
鷹の怖さを知ったんだな 前年夏場に山本浩二を強制休養させ優勝させたのに、この年は休養させなかった当たりに大人の事情が垣間見える気がする 江川は開幕前に王に止めるっていったらしい。
肩が限界とかいってw
だから活躍したらまずいじゃんw
2軍落とすっていったらリリーフでスゴい球投げてたけどwさすが江川w