天武天皇 隠された正体」(著・関 裕二)
―壬申の乱。天智の弟とされる天武天皇は、天智の子である大友皇子を敗り、この戦いに勝利する
天武は天智の弟でないばかりか、大化改新で暗殺された蘇我入鹿(聖徳太子)の子であったという驚愕の新事実

天智天皇の弟でありながら、大化の改新などにも出て来ず、壬申の乱間近まで出てきません。
出生年が日本書紀に記載がないこと、そのほかいろいろですが、
日本書紀は天武天皇が編纂を命じたということですが、天武天皇についてははっきりしていない
天武天皇を出雲系、蘇我系の天皇としています。

隠された帝――天智天皇暗殺事件 / 井沢元彦
大化の改新の立役者・天智天皇は弟・天武天皇によって暗殺された!>
天智大王が行方不明になって、遺体が見つからなかったとする扶桑略記
扶桑略記』には、遠乗りに出かけた天智天皇が行方不明になり、その靴が落ちていた場所を陵墓とした
山科に靴塚

現代の権威ある歴史学者達は「四百年も後に書かれた本の記述は信頼するに当たらない」と

大海人皇子が天智天皇を暗殺する現場が京都の山科としていて、
天智天皇の陵の所在地が矛盾していないことを記述している。ただ、通常、陵は存命中に本人が作り始めることが多い。もちろん、自分が暗殺されることを予想して山科に陵を造営することはないので、死後、すぐに当地に造営したのだろうか。
でも、暗殺されたとしても、陵は飛鳥に造営しそうなものではないか

日本書紀成立考 天武・天智異父兄弟考/大和岩雄