>>373
物凄く真っ当な意見ですね。その通りだと思います。
あなたの書き込みには2つの大きな論題が含まれています。

1・貧困家庭児童が反面教師(機能が全く親として機能していない親)を本当に
自身の今後の生き方の為に、有効利用出来るのか?それは各子供が1人で、それへの気づきを持って
社会人になる為の戦略と戦術を確立出来るのだろうか?

2・第3者は「自分の努力だけでなんとかしろ」という何も考えてない人達の雑音。
難しい言葉で言えば
第三者の認識は「流動する当体の恣意的分断に過ぎない。」

流動する(状況は絶対、当事者しか知らない前後関係がある)
当体を(貧困家庭は貧困家庭という1つの商品名では無く、皆、それぞれに貧困である)
恣意的な(意図的ではなく、ただ思いつきの)
分断である。(チョロっと話を聴いたり見たりしただけで、それが全てだと思い込む事)

このような無責任な第三者の介入により、ただでさえ辛い貧困家庭児童は
本来、そこに無いはずの重たい荷物を持たされる事により、余計、将来の人生設計というか
その前段階の戦略と戦術を考えられなくなり
そんな状態で何年も暮らしていたら、貧困家庭出身者は自由意志と自主独立をもはや
持てなくなってしまう。
このスレでは全体主義(ここでは無関係な人の言葉)に屈服する
順応主義者(ここでは人の目や言葉にビクビクして生きるという意味)に皆がならないように

「周りはどうでもいい!俺たち貧困家庭出自の実存だけは手放さないぞ!」
という気概と勇気と、嫌われる勇気と、人の言葉を完全スルーする
実存(自分という現実存在で、それは多数が言う常識とか、国の体制を完全に疑ってかかる)
を育てられる場にしたい。