∞三島作品の名キャラ&名文句∞
しかし一切の価値判断を超越して、人間性の峻烈な発作を促す動力因は正統に存在せねばならない。誤解しては
ならない。国家の最高目的に対する客観的批判ではなく、その最高目的と人間性の発動に矛盾を生ずる時、既に
道義はなく、道徳は失はれることを云はんとするのである。人間性の発動は、戦争努力と同じ強さを以て執拗に
維持され、その外見上の「弱さ」を脱却せねばならない。この良き意思を欠く国民の前には報いが落ちるであらう。
即ち耐ふべきものを敢て耐ふることを止め、それと妥協し狎(な)れその深き義務より卑怯に遁(のが)れんと
する者には報いが到来するであらう。
我々が中世の究極に幾重にも折り畳まれた末世の幻影を見たのは、昭和廿年の初春であつた。人々は特攻隊に対して
早くもその生と死の(いみじくも夙に若林中隊長が警告した如き)現在の最も痛切喫緊な問題から目を覆ひ、
国家の勝利(否もはや個人的利己的に考へられたる勝利、最も悪質の仮面をかぶれる勝利願望)を声高に叫び、
彼等の敬虔なる祈願を捨てゝ、冒涜の語を放ち出した。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より 彼等は戦術と称して神の座と称号を奪つた。彼等は特攻隊の精神をジャアナリズムによつて様式化して安堵し、
その効能を疑ひ、恰かも将棋の駒を動かすやうに特攻隊数千を動かす処の新戦術を、いとも明朗に謳歌したのである。
沖縄死守を失敗に終らしめたのはこの種の道義的弛緩、人間性の義務の不履行であつた。我々は自らに憤り、
又世人に憤つたのである。しかしこの唯一無二の機会をすら真の根本的反省にまで持ち来らすに至らなかつた。
軈(やが)て本土決戦が云々され、はじめて特攻隊は日常化されんとした。凡ての失望をありあまるほどもちながら、
自己への失望のみをもたない人々が、かゝる哀切な問題に直面したことには一片の皮肉がある。我々は現在現存の
刹那々々に我々をして態度決定せしめる生と死の問題に対して尚目覚むるところがなかつた。もし我々に死が
訪れたならそれは無生物の死であつたであらう。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より (中略)
沖縄の失陥によつて、その後の末世の極限を思はしむる大空襲のさなかで、我々がはじめて身近く考へ目賭したのは
「神国」の二字であつた。我々には神国といふ空前絶後の一理念が明確に把握されつゝあるが如く直感されたのである。
危機の意識がたゞその意識のみを意味するものなら、それは何者をも招来せぬであらう。たゞ幸ひにも、人間の
意識とは、その輪廓以外にあるものを朧ろげに知ることをも包含するのである。意識内容はむしろネガティヴであり、
意識なる作用そのものがポジティヴであると説明してよからうと思はれる。それは又、人間性の本質的な霊的な
叡智――神である。(中略)
我々が切なる祈願の裏に「神国」を意識しつゝあつた頃、戦争終結の交渉は進められてあり、人類史上その
惨禍たとふるものなき原子爆弾は広島市に投弾されソヴィエト政府は戦を宣するに至つた。かくて八月十五日正午、
異例なるかな、聖上御親(おんみづか)ら玉音をラヂオに響かし給うたのである。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より 「五内(ごだい)為に裂く」と仰せられ、「爾(なんぢ)臣民と共に在り」と仰せらるゝ。我々は再び我々の
帰るべき唯一無二の道が拓(ひら)くるを見、我々が懐郷の歌を心の底より歌ひ上ぐるべき礎が成るのを見た。
我々はこの敗戦に対して、人間的な悲喜哀歓喜怒哀楽を超えたる感情を以てしか形容しえざるものを感ずる。
この至尊の玉音にこたへるべく、人間の絞り出す哭泣の声のいかに貧しくも小さいことか。人間の悲しみがいかに
同じ範疇を戸惑ひしてうろつくにすぎぬことか。我々はすでにヒューマニズムの不可欠の力を見たが、これによつて
超越せられたる一切の価値判断は、至尊の玉音に於て綜合せられ、その帰趨(きすう)を得るであらうと信ずる。
人間性の練磨に努めざりし者が、超人間性の愛の前に、その罪を謝することさへ忘れ果てて泣くのである。この
刹那我等はかへりみて自己が神であるのを知つたであらう。人間性はその限界の極小に於て最高最大たりうることを。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より (中略)
けふ八月十九日の報道によれば、参内されたる東久邇宮に陛下は左の如く御下命あつた由承る。「国民生活を
明るくせよ。灯火管制は止めて街を明るくせよ。娯楽機関も復活させよ。親書の検閲の如きも即刻撤廃せよ」
かくの如きは未だ嘗て大御心より出でさせたまひし御命令としてその例を見ざる処である。この刹那、わが国体は
本然の相にかへり、懐かしき賀歌の時代、延喜帝醍醐帝の御代の如き君臣相和す天皇御親政の世に還つたと
拝察せられる。黎明はこゝにその最初の一閃を放つたのである。(中略)
困難なる事態より国家を救ふの力は、既に一応の教養と智識によつて冷静正鵠なる判断を得たる廿歳以上の
智識青年の内に深く畳める情熱に俟つところ最も大である。真に宇宙の秩序を秩序とする太宗の文化を建設し、
平和世界の憧憬の的たらむ祖国に尽くすべき力は、我々に俟つ。
青年の奮起、沈着、その高貴並びなき精神の保持への要請が今より急なる時はない。ますらをぶりは一旦内心に
沈潜浄化せしめられ、文化建設復興の原力として、たわやめぶりを練磨し、なよ竹のみさを持せんと力めることこそ、
わが悠久の文学史が、不断に教へるところではあるまいか。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「昭和廿年八月の記念に」より 僕はキラキラした安つぽい挑発的な儚い華奢なものすべて愛した。サーカスの人々をみて僕は独言した。
「ああいふ人たちは」と僕は思つた。「音楽のやうに果敢で自分の命を塵芥かなぞのやうに思ひ、浪費と放蕩の影に
やゝ面窶(おもやつ)れし、粗暴な美しさに満ちた短い会話を交はし、口論に頬を紅潮させながらすぐさま手は
兇器に触れ、平気で命のやりとりするであらう。彼らは浪漫的な放埒な恋愛をし、多くの女を失意に泣かせ、竟には
必らずや、路上に横はつて死ぬであらう」と。僕は又、天勝の奇術舞踏に出てくる大ぜいの薔薇の騎士たちを愛した。
彼女達は、楽屋でも、日々の生活の上でも、あの危険な、胡麻化しにみちた、侘びしく絢爛な、表情と身振りとを、
決して忘れまいと思はれた。そこには僕の幼時にとつて禁断の書物であつた講談倶楽部やキングや新青年に出てくる
血みどろの挿絵のやうな、美しい生き方がされてゐるのだと僕は疑はなかつた。長い剣が触れ合ふたびごとに本当に
紫や赤の火花がとびちり、銀紙や色ブリキで作られた衣装が肉惑的にゆすぶれ乍らキラキラきらめきわたるのをみて、
僕は自分の胸がどうしてこんなに高鳴るのかわからなかつた。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「扮装狂」より 僕が何かになつてみたいなあと思ふとき、それは大抵派手な制服であつた。僕の幼な友達もそれに心から同感した。
即ちエレヴェータア・ボーイであり花電車の運転手であり地下鉄の改札掛である。地下鉄の構内には一種麻薬の
やうな匂ひがある。日もすがらさういふ匂ひを吸ひ眩ゆい電灯の白光にその多くの金釦をかゞやかせてくらして
ゐるといふことが、彼等を尚更のこと神秘の人種めかしてみせる。僕には到底ああはなれまいと幼な心にも思はれた。
それで一そう憧れは険しくなる。――ホテルのエレヴェータア・ボーイや花電車の運転手といふ職業ほど、此世に
危険な悲劇的なやけつぱちな職業はないといふ風に感ぜられる。僕はホテルなどで彼等に話しかけられると、
不良少年によびとめられたやうに我しらずドギマギした。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「扮装狂」より 僕は少年期に入る。ブラと仇名された四つ五つも年上の少年。彼は落第してきて僕らのクラスで暴君のやうに振舞ふ。
僕はすぐさま彼に英雄を発見した。言ひかへればサーカスの人を。彼を不良だと呼ぶことは実にすばらしい信仰である。
僕は彼と対等な口をきゝながら息がつまりさうな気がした。それほどまでに僕は無理を犯した。彼の白い絹の
マフラーは、派手な沓下はまことに好かつた。(中略)
ブラの魂は人には言へぬ暗い汚濁のために哭きつゞけてゐる。――僕はさう思つて同情に惑溺した。そしてその同情が
扮装欲のわづかな変形であることには気附かないでゐた。……ブラはしばしば学校を欠席しはじめた。それでも
偶には来る。あるとき用事で遅くなつて僕は夕日のほの明るいロッカア室へカバンをとりにゆくために入らうとした。
すると学生監室のドアが陰気に開いてブラが出てくる。ブラは無理に笑ふ。おおでも目の赤いこと。君でも泣くのかと
僕は責めたいやうな気持だつた。僕はだまつてゐた。ブラは学生監の悪口を二言三言云つた。僕は悪口をいふブラが
好きである。一緒にかへらうと誘つたところが、珍らしくもブラは承引した。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「扮装狂」より (中略)桜のトンネルを出たときにブラは僕の顔をみないで軽蔑したやうな口調で言つた。――「平岡!
貴様接吻したことある?」僕は後から来ていきなり目をふさがれたやうな気持であつた。僕はもうドキドキが
止まらなくなつてしまつた。上ずつた声で僕は返事をせずにはゐられなかつた。「いや、ないんだ、一度も」
「フン」とブラは感興がなささうに云つた。「面白くもなんともないぜ。やつてみりやあね」――二人は赤い
煉瓦造のボイラア室のそばをとほつた。蝶々がうるさく足にからんだ。
「もう、俺、いゝところへいつちやふんだ」
「ぢやもう逢へないかもしれないね」
「逢いたかないや」
僕にはこんな露骨な愛情の表現ははじめてだつた。なんといふ粗暴な美しい話術。僕は一瞬、僕も亦サーカスの人々の
絵の中にゐると感じた。僕は返事ができなかつた。僕は耳傾けた。その言葉がもう一度くりかへされるやうにと。……
だがブラはだまつたまゝ歩きつゞけ、いつのまにか僕らは裏門から、灯のつき初めた町の一劃へ出てゐた。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「扮装狂」より 花が咲くとは何といふ知恵のかゞやきでせう。咲くとは何といふ寂しく放胆な投身の意味。外へ擲(なげう)つことが
却つて中へ失はしめる勇気のあらはれです。内外の間に存するものをそれは捨てもせず生かしもせずきはめて
爽やかに殺さうと試みるのでした。この生命への不遜がいつか或るより大きな意味に叶つてゐることを信じ
させずには舎(お)きませんでした。(中略)
花が咲くとは運命でありませうか。花が咲くとは決心でせうか。僕にはそれがよくわかりません。まことに
荒々しい力が優に美しいものを押しゆるがしそこに震盪と困惑にみちたあまりに、憧れに近いやうな心地を
生み出すのを、人は創造とのどかによびます。運命も決心をもさういふ創造の一党だと私は信じ難かつた。
花が咲くとは風が吹き鳥がうたふやうに、あるおほきな無為から生れたもう動かしがたい痺れたやうな創造だと
僕は思ひました。決心も運命もそこでは投身そのものではなく、投身直前の、あのゆらゆらしたなつかしい虹の
時間でありました。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
もう一度僕らは同じ質問をくりかへしませう。「花が咲くとは?」「なぜ花は咲く」「いかにして花は咲く」
「なんのために」質問はこのやうに微妙な変様をかさねます。ともあれ花が咲くといふこの言葉、なんといふ
なつかしい慰めにあふれた言葉でありませう。それは訪れです。それは一つの便りです。それはある確乎たる海の
訪(おとな)ひのやうなものでした。燕とぶ巷をこえ潮風にきらめく松林の梢はるかに輪廻のやうに音立てゝゐる
あの海の訪れでした。(中略)
季節をまちがへずに咲くことはよいことにちがひありません。しかし花が咲くのはそのためばかりではありません。
多くの愛恋から見離され、かずかずの哀しみを拒みながら、抱きつゞけられたひとつの約束を、みごとにいさぎよく
破ることでもありました。さうした清らかな違約は、単なる放恣ではなしに、ある与へられた回帰の命令であつた。
出発への不信からではなく、もはや浄福にまで高められた信頼からもえ出でてくる素直な拒否のしるしであつた。
花を聡明なる宇宙とよぶなら、それはかうした聡明さであらねばならなかつた。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より 詩人は今日こそ花が咲く季節々々を呆けてうたつてゐてはならないのです。今こそよみがへる花々の歌が、
その死の意味よりして、切なく奏でられねばなりません。よみがへる日はおほきな回帰の日であつても出発の日とは
なり得ません。人々は死ぬやうにしてよみがへる。花々は枯れるごとに咲く。それはたゞ徒爾でせうか。救ひが
来る時、来るのは救ひではなくて、いつも慰め手であるやうに思はれるのです。花々の咲くのがつねに慰め手の
来訪にすぎぬのなら、なぜもつてそれは僕らのよすがになり得ませう。茲(ここ)に待つことのはかりしれない深さが、
菖蒲の園を侵す夕闇のやうに、濃まやかにあたりを籠めて下りてくるのであります。
しかし待つことについて僕らはまだいふべき力をもちません。もつと耐へ、もつと書いてからでなければ。
もつと生き、もつと苦しまねば。さうして莞爾としつゝ心はいつもあらたな悲しみに濯がれてゐることをもつと
学ばなくては。かくして詩人はいつの日も失はれたる預言の遵奉者です。この上なく直截に、「花が咲く」と
うたひうる人です。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より 昔、燦爛たる天空へ手をさしのべて星占ひした人々が僕には羨ましさの限りでした。万物と一つにならう、
万物の嘆きと一つにならうとする豪毅な意志をもつ人よりも、彼らはむしろつゝましやかに万物を彼ら又ひいては
僕らすべてに対する示者とみる人でありました。僕らの目が万物から何ものかを示されることを信じたのです。
しかし僕らと万物の関係は、自と他の対局ではなかつた。そこにあるものはもつと秘めやかな不可思議な聨関で
ありました。万物は僕らにむかふときいつも高貴な示者であつたのです。それは同時に、僕らが「映すもの」で
あつたといふことです。のりかゝること、憑くこと、存在の本質を蝶のやうに闊達に舞ひのぼらせ、分ちながら
投身すること、それを僕らは示すと呼びました。映すことには之に反してある熱い無為のこもつた正確さが
在つたのです。憑かれながら確固として映すのが、僕らの所業でした。そのとき示者と映すものとは共に他であり
同時にまた共に自でありえたのです。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
示者によつて身を見ることこそ、創造の理に外なりませんでした。星占者はかくて身を見るもの、すなはち彼らは
天への彫塑者でした。宇宙への正確な造形術を、自分の克明な手の皺のなかに、しかと弁へてゐたのでした。
彫刻の不朽なかなしみを誰よりも直截に云ひえたのは彼らであつた。示者の憤りを誰よりもよく知つてゐたのは
彼らでした。
かういふ星占者のかなしみも僕にはよくわかるやうな気持がします。宇宙に対して彫塑者の手をもつこと、
それはどんなに人間であるゆゑの悲しみにみちた事柄でせう。僕らの手がそつくり天のどこかの一隅にのこされて
しまふとき、僕らは弁証にあふれた星空を、支へきれぬほどに重たく感じるでせう。僕らには星座のやうな孤独が
降りてくるでせう。この種の孤独のなかでは、神と親しいものたらんがために、永遠に神を拒否しつゞけねば
ならぬでせう。そして一言否といふたびに僕らは千度の投身を敢てせねばならぬのです。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
僕らは薔薇の花に背をむけるとき、その背の向け方から学ばねばなりません。季節がめぐるのは、――夏の最後の
光輝をつんざいて黒々とした葉につゝまれた樫が、はや初菊の薫りをはこんでくる雲のゆきかひに、荘厳に身を
ふるはす刹那のやうに――、花々の饗宴のあとに豊かな収穫の秋が訪れ、やがて連峯の頂きをめぐつて白雪の
かゞやきが日ましにひろくなつてゆくのは、一つの礼節なのであります。知恵にみちた、ふしぎなやさしさに
みちた礼節でありました。かうした礼節のひそかな正しい愛を僕らには測らう術もありませんでした。ある確かな
領域を占めてゐるのに測られぬ物事があるものです。そこでは測られると云ふさへ、可能の意味ではないのでした。
信ずるといふ尺度によつてのみ正確な度数を示して測られる物事があるものです。そのとき信ずるといふこのことは
物差でさへないのでした。触れて来るものをみなその内へとりこんでしまふやうな明澄さ。快晴の内部。僕らは
内部へ陥ちてくるものゝみを信じようとして、その内部自らのおほきな陥没について知りませんでした。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より 礼節のまことのやさしさに僕らは盲ひであつたのです。礼節が詩人のみぶりとなるや、厳かな愛が彼らを貫いて
ながれました。運命の突端を担ひながら、彼らはめぐりゆくものに自分たちが親近にするのを感じました。
超克といふことの深いかなしみも、彼らには大らかな礼節をのぞいては考へられなかつたのです。洵に岸を
歩む人である僕らは、たえず彼岸の意識に浸つてゐます。しかし彼岸への川の超克が僕らの考へ得るすべてであるなら、
それは侘しいことではないでせうか。とりわけ川のはてに日が沈み、夕映えが水に映つて千々に砕かれた牡丹のやうに
みえるときは。……
かくて僕らは最初の言葉だけが確かであるとの誤謬に陥るのではありますまいか。その後のことばの証しは
軽んぜられて、預言のみが。その後のことばのすべてが再び最初の言葉であれ不当に要求される誤りが。――第二の
言葉であることは第三の言葉であるよりも辛いことであります。花が咲くとはむかし第一の言葉でありました。
今やそれは第二の言葉であります。むしろ第二の言葉であれと花が花自身に教へるのでした。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より 星がまたゝき、葉末に露が結ばれ、萩の下かげに虫がすだくのさへ、なべては第二の言葉にならうとしてかなしんで
ゐる万物のいとなみではないでせうか。僕らにとつて生きてゆくことは宿題でも追憶でもなくなるでせう。
生きてゆくことは僕らにとつて凝視に庶幾(ちか)くなつてゆくでせう。凝視といふのが当らぬなら、凝結といふも
同じことでせう。生成としての凝結でなしに、凝結があらゆる一瞬にまつはつてゐて、間断なくそれに生の意味を
与へること。やがて僕らは斜めにとびゆく星となるために身を削がれるでせう。やがて僕は蠅のやうに物狂ほしく
宇宙の時象めがけて飛ぶでせう。それらの時象の目をさまたげ、あらゆる対象の圧殺者となるでせう。僕らは
このやうな驕慢な倫理を深く愛します。僕らは翼の遍在を信じ、それらの翼の殺戮者を信じます。あまりにも
すみやかな愛を信じ切つて、その愛のなかへ千度の投身を敢てして、なほ且つ僕らはその愛と共にゐることを
忘れるのです。共在を忘れることによつてのみ、僕らの愛は完成するのでした。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
優れた無為、それを僕らは水や風に対して考へました。先づ僕らは風のことを夢想しました。晴天の、凪ぎつくした
海にあつても、ある距離だけ岸から離れると、そこにはいつも帆船の帆を孕ますに足り乗手の髪をなびかすに足りる
ある不朽の迅速な風が吹いてゐるといひます。その風はなまなかの生物とは関はりのない、しかも一種過敏に
失した傷つき易さをもつ非情の風でありました。なぜならその風の所在に触れそれを感じそれを耳に聞き目に見
鼻に嗅ぐ時のみでなく単にそれを知りそれを夢見るにすぎぬ時でも忽ちにしてそれ自身の本質を根底から変へて
しまふやうな存在をもつた風でした。常住である点で頑なであり、傷つき易い点で優柔であるその風は、無関心と
非情の性質に於て、却つて人間の本質と深く相触れてゐるのでした。人間存在の本質を抹殺するその風に、実(げ)に
人間の真の不在が、即ち真の本質が潜在してゐるのではなかつたでせか。そこでは微小なポジティヴに対する
無窮のネガティヴがあり、あの巨大な夜のやうに鏤められた星辰を以て僕らを深く覆うてゐました。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より かやうなものこそ宇宙の啓示といへ神秘なる証しといへます。そこは到達しがたい裏側であるが故に、何事にも
代へ得ざる礎の有処でした。あの烈しい実在の正統な母胎でありました。いかなる壮麗無比の夢がその風のなかで
ゑがかれようと、風は突如としてその夢を奪ひ、奪はれた夢のなかへ急速に陥ちてゆきます。激しく奔騰しながら
風は嘶きました。人間の夢のひとつひとつが風にはあらはな敵意と感じられたのです。
人間はこの風を記述するのに嘗て方法を知りませんでした。陸(をか)に揚げられるや忽ちその光輝は失はれ
華麗極まる彩色の美も死灰の色に移ろふといふあの深海魚をさながらに、人間のもつ作用の最も遥かな作用である
「知ること」に依つてすら、目にもとまらぬ迅さで風は己が様態を変へてしまふのでした。知ることを超えて
いかなる記述があり得ませうか。
深海魚のもつ美しさといへども、海底ふかく潜つてゆけぱ、目のあたり之を見ることができます。が、銀貨の
表をしてその裏を窺はしめることは不可能事でなくて何でありませう。しかもこの裏面は不動の厳めしい裏面では
ありませんでした。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より この風こそは人間の真の不在をひつきりなしに証ししてゐるたをやかな面差の持主でありました。東方の仏陀のやうな
幽婉さを以て、宇宙万象のときめきに美しく慄へつゞけました。おもへば烈しい実在が人間の悲劇となることも、
その実在が彼(か)の風から生れ彼の風の逆説をきらびやかに身に纏つて、扨て人間の陥没をあまりにも荘厳に
アンダラインするからでした。風は逸脱と普遍によつて、摩訶不思議な中間者となりました。媒体ではなく中間者に。
風は超えるといふことを逸脱しつゝ自由でした。超者と被超者との間を自由に往来できるのは風のみでした。
そこに於て風は手を要しませんでした。風は手をもちませんでした。
それだのに、手をもつ人間が、かやうな風の嫡子たる烈しい実在を内在する機会に遭ふとは、いかに高貴な苦悩に
みちた歓びでありませう。清らかな愛の証跡も、運命の苦しい水脈(みを)も、あまねく歌ひつくされて、ふと
物に憑かれたやうに立止るあの真昼の時刻の歓びでありました。それは人間の癒しがたい疫病ではありましたが、
その悲劇の本性に於て、人間の魂の健康に相触れるところが寡くなかつた。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
風について語ることは、恰かも透視者がその霊妙な術を施し終つたあとで感ずるやうな死に庶幾(ちか)い疲労を
呼びさまします。透視者はその果てに死ぬといはれてゐます。しかしこのやうな疲労こそ人間の営為が、ある深く
美しい無為につながつてゐることの一つの証跡であり、人間の営為がかうした美しい無為を橋としてのみ現象と
実相のいづれからも逸脱し得るといふ一つの教へでありました。逸脱と遁走、――疲労はそれへの方法でした。
迅速きはまりない風に対して、彼(か)の美しい無為を持することは、巨きな古代の節制でありましたが、現代は
その代償に、死の惧れさへある疲労を負はせずには措きません。嘗て多くの船舶が憩うてゐる波止場の切岸に
立つた僕は、水面に向ひ沖に向つてこのやうに呼びかけました。水よ! 水は永遠に疲れてゐる。汝の内にいかに
強い意志が籠り、いかに烈しい決心が宿らうとも、汝自身のもつ疲労をあざむくことはできぬ。疲労は汝の属性であり、
汝も亦、疲労の属性であるからだ。永遠に疲れたるものよ。実在をたしかに支へ、支へる力の無為のために、
驕奢を保て。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
――僕は水にむかつこのやうに呼びかけました。水はそれに応へるやうにもみえなかつた。そこで僕は青い山々に
向つて、群れ飛ぶ鶴に向つて、古代の国々に沿うて流れる海峡の潮に向つて、折から数多の松笠が夕映のなかに
耀いてゐる傾ける松の森に向つて、檜の薫高い谿間に向つて同じやうに呼びかけました。万象は応へることを止め、
死にゆく神のやうに凝然とうなだれました。そのとき僕は、今もなほ僕自身が呼ぶものであることを、深く羞ぢました。
自ら宇宙の静謐の一分子であるといふ至上の愉楽は、今在る苦しみに身悶えする人間にとつて、いつかは最高に
享受されるでありませう。それまでいかにしてこの苦しみをつゞけるか。否、持続の意識が、既にその苦しみを
軽減するでせう。かゝる軽減から更に悪しきものは生れ出ても、どうして良きものが生れませう。投身と陥没が、
逸脱と遁走が、小田巻のやうに美しく輪廻せねばなりません。苦しみが将に此処にある日のことを、僕らは
祝日として歌ふべきであります。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
今日、出発の意味を真に知るために、知慧の輝きがいかなる値ひを持つべきか、僕らはくどくは云ひますまい。
出発は輪廻からの解放ではなしに、まことに美しい日のための、輪廻の祝典でありました。そこでは知慧といふ
優雅な衣裳の、繊細な褶(ひだ)のひとつひとつが、たぐひなく華麗なものとみえ、すべては驕奢の、魅はし
ふかい影にあふれてゐました。僕らは斯くして、帆や旗について考へたのです。
帆や旗について、あれらの闊(ひろ)い風について僕らは考へたのです。すべてはためくもの、はためく姿を以て
風に対するもの、さういふ存在の比喩を僕らは熱心に考へたくおもひました。人間があの仏蘭西(フランス)の
哲人の云つたやうに葦であるべきか、また今茲に語るやうに旗であり帆であるべきか、――彼の偉いなる風を
語つたのち、僕らは思惟したく考へました。なべてはためくもの、烈しい実在をば己が裏側から刻明に表現しようと
する努力。僕らはさうして僕らの裏側を、この上なく烈しいものに対する、繊巧無比な楯としました。その楯は
人を覆ひかくす世の常の楯ではありませんでした。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
人間の所謂発見とは? 寓話はいつでも教訓の私生児です。即ち人間が為し得る発見は、あらゆる場合、宇宙の
どこかにすでに完成されてゐるもの――すでに完全な形に用意されてゐるものの模写にすぎないのでした。発見は
完成の端緒であるといふ言葉は、また、完成は発見の端緒であると、神秘な口調で言ひ直すことができる筈でした。
「完全に」――この言ひ方は時空を超えた言ひ方であるのでした。在るとは在つて了つたといふことであり
在るであらうといふことでした。そして同時に、不在の意味が極度に神聖視される筈でした。完全存在が完全不在の
高貴な雛型となる筈でした。その場所では、本物も偽物も模写も同じなのではありませんか? 贋金つくりは
正銘の金貨をいやでも作るのではありませんか。偽物も本物も全く同価値ではないのですか。
では何故いふのです。正真の「永遠の青空」などと。あれは冗談ですか。却々(なかなか)以て、人間はこれ以上
真面目な物言ひはできぬ筈です。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より なぜなら右のやうな完全さが人間界で通用するとは人間の可能性を予め殺すものであり、可能喪失の足場に於てこそ
一番高い建築がなされ得るからです。一番高い建築とは、即ち人間の死でありました。
この得難くまた得易い秀麗な建築。それについて語ることは又更に大いなるものについて語ることでもあります。
そしてその建築の哀切な高さについて。
可能性を放棄するとき人間の身丈は嘗て見ざるほど高くなるであらう。その高さは深部の明澄とすらもはや
無縁なものであるだらう。しかしどこか脆弱な高さである。僕らはそれに気附いて戦慄しました。
死といふものが、あの物質の老朽のやうに、一刻々々が予兆にも触れられざる潔癖な緩さに満ちたものだつたら。
海に沈む日のやうに、蒼褪めた死神の頬をも染めて止まない赫奕たる幻光を放つものだつたら。頽落する宮殿のやうに、
時間の秩序を徐々に濁らせ、つひには別箇の瑰麗な秩序へと凝結させる性質のものだつたら。又は、地上に落ちる
流星のやうに、ある高貴な衝動が無為にかゞやいた一本の弧にまで浄化されるのであつたら。――それはよいであらう。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より しかし人間の死は、人間の死は何か別のものです。残された意志と云つたやうなもの。地球がもつ頽唐の感情を
奪去つたやうな一つの意志。最後の征服意志。時空の中絶をも奪はうとする一つの意志が、あるひは死への熱情となり、
あるひは不死への願望となるのでした。そして時にはそれが、人間に対して死自身がもつ不変の意志とも、全く
一致することさへあるのでした。そのみかけからの共謀も、戦慄に価する脆さをば、打破るわけにはゆかなかつた。
可能性の放棄といふ気高い英雄的行為。その高さが意志によつて脆くされるのであらうか。意志といふ白蟻が、
塔の高さを毀つのであらうか。否、むしろあの高さは意志様態であつた。意志の暗示のてだてであつた。たゞ
可能性の放棄は意志ではなかつた。可能性は意志の原形であつたから。ではそこにいかなる造形術が企てられたの
でしたか。僕らの原始のいかなるデフォルメーションがなされたのでしたか。それは言ひ難いことの限りでありませう。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より (中略)
「待つ」、それはどんなに贅沢な約束であり悔恨でさへありませう。待つといふ刹那を信ずるために、今までの
人類の歴史はひたすらにめぐりつゞけてきたのではないのか。その美しさは放心と等しく、その謐けさ寧らかさは
不屈な魂の距離であつた。このやうな距離にぬれながら、かつてなきさはやかな背信を不断に投げつゞけて
くれるのは、あなたではなかつたか。――僕らは畢竟かくして二人称へとかへるでありませう。僕らの本然の故郷、
その二人称の場所にこそ、僕らの勇気が、僕らの愚行が、甲斐なきことの純潔さを以て、乾き、また乾かされ、
たんぽゝの綿のやうに飛翔(といふより盈溢)を待つでありませう。その花蔭は、花々の密度にひしめき、海よりも
なほ色濃く、今や可能の微風の内に、最初の戦慄を伝へてくるであらう。場所の不易、場所の不朽が、今こそ僕らを
飛翔させるであらう。百万の王国の名にも値ひせぬ僕らの政治が、昼の間は、貝殻のやうに快晴の希臘を映し、
甘美な埃を夢みず、あらゆる立法の又とない出帆の契りのため、千代かけてサン・サルヴァドルたらんと念ずるで
ありませう。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より 僕らは嘗て在つたもの凡てを肯定する。そこに僕らの革命がはじまるのだ。僕らの肯定は諦観ではない。僕らの
肯定には残酷さがある。――僕らの数へ切れない喪失が正当を主張するなら、嘗ての凡ゆる獲得も亦正当で
ある筈だ。なぜなら歴史に於ける蓋然性の正義の主張は歴史の必然性の範疇をのがれることができないから。
僕らはもう過渡期といふ言葉を信じない。一体その過渡期をよぎつてどこの彼岸へ僕らは達するといふのか。
僕らは止められてゐる。僕らの刻々の態度決定はもはや単なる模索ではない。時空の凡ゆる制約が、僕らの目には
可能性の仮装としかみえない。僕らの形成の全条件、僕らをがんじがらめにしてゐる凡ての歴史的条件、――
そこに僕らはたえず僕らを無窮の星空へ放逐しようとする矛盾せる熱情を読むのである。決定されてゐるが故に
僕らの可能性は無限であり、止められてゐるが故に僕らの飛翔は永遠である。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より (中略)
新らしさが「発見」であるとするならば、発見ほど既存を強く意識させるものはない筈だ。発見は「既存」の
革命であるが、それは既存そのものの本質的な変化ではなく、既存の現象的相対的変化に他ならない。既存の
革命といふよりも、既存の意味の革命といふべきだ。(中略)
読者は僕らがなぜ革命を云はうとするのか訝かるかもしれない。しかし手始めに僕らは、革命といふ概念の古さを
修正しようとかかつてゐるのだ。十八世紀以来使ひ古されたこの陳腐な概念そのものに、革命を与へることから
はじめるのだ。(中略)僕らは永遠への思慕を忘れかねて革命を欲求する。衝動のはげしさは革命の概念によつて
盲目にされはしない。熱情の血との併有。信仰と懐疑との美はしい共在。僕らは革命のスツルム・ウント・
ドランクを通じて、無風帯を留保しておくだらう。(中略)
熱情に対して、より低い次元の侵入を警戒せねばならない。あらゆる批判と警戒の冷水も、真の陶冶されたる熱情を
昂めこそすれ、決してもみ消してしまふものではない。むしろあらゆる冷血にも耐へうる熱情の強さに僕らは
誇りを感じるべきだ。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より (中略)
たえず高きを憧れる存在が同じくその存在にとつて本質的な他のものによつて掣肘される時醸し出される緊張は、
その存在から矛盾と衝突が取除かれ融和と協同のみが得られる所謂「完成」と之を比べる時、何れ劣らぬものを
もつてゐるのではあるまいか。形成とは本質的なるものの分裂とその対立緊張による刻々の決闘である。結果たる
勝敗を本質的なものとして固定的に考へるならそれは変様と過渡とにすぎぬが、併し真の普遍性と永遠性は
後者のなかに見出だされるかもしれないのだ。独創性は真の普遍性の海のなかでしか発見されぬ真珠である。
不変なるものは変様のうちにひそんでゐるかもしれない。僕らの若さはなるほど本質的なるものが分裂し互に
制約する点にもともと悲劇的なものであるといへるし、若さそれ自身が不吉であるとさへ感ぜられる。しかし
傍目には退屈なこの形成の過程は、それから生れ出る結果を俟つまでもなく、それがそのまま抽象されて評価に
耐へうる筈だ。未完的完結の形に於てその刹那刹那に終止する否定しがたい意味が見られる筈だ。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より その外見上の未熟と不完全とにも不拘(かかはらず)、(壮年老年の文学が表現によつて定型化されるなら)、
若年の文学は表現を掣肘せんとする凡ゆる時間的空間的因子によつて定型化されるであらう。いはゞそれは
ネガティヴな、これまた貴重な表現型式であるといはねばならない。若年の文学的作品はその言語的表現以前の
評価の基準となりうべき、或るかけがへのない不吉な「確かさ」に満ちてゐるものだ。
かくて僕らは若年の権利を提言する。「たゞ若年に可能性をのみ発掘しようとする努力に終るな。なぜなら我々の
最も陥りやすい信仰の誤謬は、存在そのものを信仰してゐるつもりでその存在の可能性のみを信仰してゐることに
存するのだから」かくの如く僕らは主張し警告することを憚るまい。そしてこの時代の奔騰の前に、若者が或る
兇悪な意志で見戍られてゐることを知るであらう。新らしい時代を築かうとする若年には夭折の運命がある。
神の国を後にした古事記の王子(みこ)たちは、凡て若くして刃に血ぬられた。彼等と共に矜り高くその道を
歩むことを、恐らく僕らの運命も辞すまい。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より 叙事詩人とは何者でせう。一体そんな人はゐたのでせうか。僕はこの時代にもどこかに生き永らへてゐるやうに
信じられる一人の象徴的な人物のことを考へてゐるのでせう。その人の目にはあらゆる貴顕も英雄も庶民も、
「生存した」といふ旺(さか)んな夢想に於て同一視されます。その人の目には愛情の遠近法が無視される如く
見えながら、実は時代の経過につれてはじめて発見されるやうな霊妙な透視図法を心得てゐます。その人の魂の
深部では、信じ合へずに終つた多くの魂が信じ合ふことを知るやうになります。その人は変様であつて不変であり、
無常であつて常住であります。その人こそは亡ぼさうと意志する「時」の友であり、遺さうと希ふ人類の味方です。
不死なるものと死すべきものとの渚に立ち、片方の耳はあの意慾の嵐の音をきき、片方の耳はあの運命の潮騒に
向つてそばだてられてゐます。その人は言葉の体現者であるとも言へませう。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より 言葉はその人に在つては、附せられた素材性を払ひ落し、事実を補へるのではなしに事実のなかに生き、
言葉そのものがわれわれの秘められた願望とありうべき雑多な反応とを内に含んで生起します。我々が手段として
言葉を使役するのではなく、言葉が我々を手段化するのです。――かくて叙事詩人は非情な目の持主です。
安易な物言ひが恕(ゆる)されるなら、人間への絶望から生れた悲劇的なヒュマニティの持主だと申しませうか。
お嗤ひ下さい。僕の聯想はあちこちと急がしく飛びまはつてさぞ貴下をお困らせするだらうと思ひます。僕は
廿世紀の思潮が原子爆弾によつて決定されたなどと威勢のよいことは申せません。あの耀かしいヒュマニズムを
行動の原理と恃んで出発した十九世紀思潮の、継子として生れたのが廿世紀でした。廿世紀は何を発見したこと
でせう。まだ危険な試みの繰返しにすぎないではありませんか。次々と惨鼻な戦争がおそひかゝり、その間々に
もたらされた平和は、死刑囚が最後の日を待つ安楽な数日にすぎませんでした。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より (中略)
たとへばかういふ比喩が可能ではないでせうか。全世界にうじやうじやと棲息してゐるのは実は人間ではなく、
人間性はプロメテのやうに荒涼たる岩山で鎖につながれてゐる。人間の奇怪なドッペルゲンゲルの生存が企て
られてゐる。さうしていつも「人間らしいもの」は人間性の影に依て脅かされ、人間性は不実在の人間の幻影に
脅えてゐる。カントは現象としての人間と本体としての人間を区別しましたが、彼は概念的分類を超えて人間を
信じた幸福者であつたに相違ありません。僕はカントが想ひもみなかつた右のやうな不幸な比喩を通じて、
ヒュマニズムそのものに対決の瞬間が迫つてゐるやうな予感を覚えるのです。宗教的救済といふおそらく
不朽であらう永続的な理想が、いつかヒュマニズムと袂別せねばならないのではありますまいか。そして
ヒュマニズムにとつて人類はじまつて以来の孤独の苛酷な出帆が促されるのではないでせうか。そこで我々は
東洋といふあの暗い群島に衝き当るのではないでせうか。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より 僕には廿世紀の問題を最も痛切に悩んでくれた人こそ、フリードリヒ・ニイチェだと思はれます。「哀しいことだ!
人間が一つの星も最早産まないであらうやうな時が来るのだ。哀しいことだ! 最早自己自身を軽侮し得ない、
最も軽侮すべき人間の時代が来るのだ」
思ひかへせばかへすほど、愚かな戦争でした。僕には日本人の限界があまりありありとみえて怖ろしかつたのでした。
もうこれ以上見せないでくれ、僕は曲馬団の気弱な見物人のやうに幾度かさう叫ばうとしました。
戦争中には歴史が謳歌されました。しかし彼らはおしまひまで、ニイチェの「歴史の利害について」の歴史観とは
縁なき衆生だつたとしか思へません。
戦争中には伝統が讃美されました。しかしそれは、嘗てロダンが若き芸術家たちに遺した素朴な言葉を理解する
ことができるほど謙虚なものであつたでせうか。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より ロダンは極めてわかりやすく慈父のやうに説いて居ります。
「しかしながら君達の先輩を模倣せぬ様に注意せよ。伝統を尊敬しながら、伝統が永遠に豊かに含むところの
ものを識別する事を知れ。それは『自然』と『誠実』との愛です。此は天才の二つの強い情熱です。皆自然を
崇拝しましたし又決して偽らなかつた。かくして伝統は君達にきまりきつた途から脱け出る力になる鍵を与へる
のです。伝統そのものこそ君達にたえず『現実』を窺ふ事をすすめて或る大家に盲目的に君等が服従する事を
防ぐのです」――この大家といふ言葉は、古典と置きかへてみてもよいかもしれません。
戦争中にはまた、せつかちに神風が冀(ねが)はれました。神を信じてゐた心算だつたが、実は可能性を信じて
ゐたにすぎなかつたわけです。可能性崇拝といふ低次な宗教に溺れてゐたのです。
天使の翼を見るといつも僕は信仰の脆弱点を感じたものでした。ヰリヤム・ブレイクの優れた画面では翼のない
人々が見事に天翔けつてゐます。思ふに天使といふ考へは宗教の中でも伝統的な趣を多く持つたもので、そこに
可能性を期待する余地を与へ、神性の未完成を表象させてゐるのでせうか。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より 「しかしながら君達の先輩を模倣せぬ様に注意せよ。伝統を尊敬しながら、伝統が永遠に豊かに含むところの
ものを識別する事を知れ。それは『自然』と『誠実』との愛です。此は天才の二つの強い情熱です。皆自然を
崇拝しましたし又決して偽らなかつた。かくして伝統は君達にきまりきつた途から脱け出る力になる鍵を与へる
のです。伝統そのものこそ君達にたえず『現実』を窺ふ事をすすめて或る大家に盲目的に君等が服従する事を
防ぐのです」――この大家といふ言葉は、古典と置きかへてみてもよいかもしれません。
戦争中にはまた、せつかちに神風が冀(ねが)はれました。神を信じてゐた心算だつたが、実は可能性を信じて
ゐたにすぎなかつたわけです。可能性崇拝といふ低次な宗教に溺れてゐたのです。
天使の翼を見るといつも僕は信仰の脆弱点を感じたものでした。ヰリヤム・ブレイクの優れた画面では翼のない
人々が見事に天翔けつてゐます。思ふに天使といふ考へは宗教の中でも伝統的な趣を多く持つたもので、そこに
可能性を期待する余地を与へ、神性の未完成を表象させてゐるのでせうか。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より 神のもつ完結性、可能なるものが体現され切つてもはや神の存在以外に歩み出すことができず、アルファであり
オメガであるところの完結性、それを信じようと努める強さがもてなかつたのもあの時代として無理からぬこと
だつたかもしれませぬ。神・即ち存在自体を信ずること、それは信ずることによつて神に一歩近づきうるのでもなく、
信じない人よりも一歩至福へ歩み寄ることでもないでせう。信ずることによつて神に何ものも加へえないが故に、
しかも信ずる行為を自分の上に還してはならないが故に、神との間にたえず不確定なおそろしい係累が結ばれます。
彼は神をもつとも露はな場所で信ずるでありませう。彼は自分の全生命と神の存在の一点との間に平衡関係が
生れる刹那に凡てを賭けます。その時、神は彼自身の「自足」の鏡なのです。彼が自らの行為によつて存在それ
自体を呼ばうとすると、その叫び声が可能性を人身によびよせた至高のものであるために、存在それ自体の
完結性から宿命的な懲罰を受けねばなりません。
三島由紀夫「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より (中略)
僕は近松に近代文学特有の不安と衰弱の心理とは別の、もつと張りのある活々とした心理を見出だして愕きました。
以前読んだ時にはそれほど切実に感じられはしませんでしたのに。――近松の心中物は明らかにデカダンスの
作物ではなく文化の創生期にあらはれる溌溂たる悲劇の精神でした。そこには訝られるほどあらたかな古代が
生きてゐました。生活のなかに悲劇的なものが漲つて、しかも些かの暗さもありませんでした。近松の人物たちは
愛といふ運命の厳しさを耀かすためにさまざまな日常の喜怒哀楽を見事に様式化してしまつてゐるのです。
そこには篩ひつくされた砂金のやうに、心の真実がわるびれず天日の下にかゞやいてゐます。封建的感情と
それを呼び做すのは容易な業ですが、正しい史眼といふものはさうあつてはなりますまい。封建制創生期の人々が、
生活のなかにまだ活々とうごいてゐる道徳規範と対決し、それを悲劇の高まりに漲る清澄な心の真実に還元し、
死を媒介として生の洵(まこと)の意味を知らうと試みる健康なきはめて常識的でさへある生き方をするのを
見る時、現代の貧しさを思はぬ人がありませうか。……
平岡公威(三島由紀夫)22歳「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より (中略)
ここまで書いて来たら、遠方で鶏鳴がきこえてきました。まだ空の色はかはらず、みづみづしい清涼な暗黒です。
もう卅分もすると窓の外の空は夢のやうに美しい紺色になるのです。その一面の潤うた紺青を、僕は一日の中の
どの時刻よりも美しい空の色だと思ひます。
しきりに汽笛がきこえます。あれは渋谷駅を深夜にすぎる無蓋貨車の立てる汽笛でせうか。ですが、汽笛といふと、
昔から僕はすぐ船を聯想してしまふのです。すぐさま僕一人を置きざりにした晴れやかな航海を嫉視してしまひます。
幼時病弱で、よく遠足に、風邪などを引いて出られなかつた記憶がよみがへつてくるのでせうか。深夜に港を
出てゆく黒天鵞絨張りの帆をつらねた大帆船が未知の海に向つて針路を定め、星のかがやく夜空の下を爽やかに
白波を立ててすすむ幻をよく見ました。帆船が汽笛を鳴らすのはをかしなことのやうに思はれます。あるひは
つねに僕らに別離と出発の感情をよびおこし、深夜の時間の深みから鳴りわたり、未知へとつきすすむ喇叭の音の
やうに僕らを力強く誘ひゆくもの、その象徴として汽笛を聞いてゐるのかもしれません。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より ○ 私は悲しみのために色さへ蒼ざめ乍ら、自分の人との間に介在する塀の内側へ来て了ふのだつた。わたしは
その塀をどんなに悲しみ深くながめたらう。
しかしこのやうな、塀への愛情や憤怒や情熱は、君らの言葉では、それに当るものがない。君らはたゞ僕を
情熱なき人間と云つた。僕のマスクは君らの注文に応じてますます硬化した。僕の身悶えするやうな青春の苦悩が
君たちにはコレッポチもわからなかつた。
もし僕に子供が出来て、彼が天才の名にあこがれたら僕はどう云つて叱り、またいさめよう。彼にこんな暗い、
寂寞たる青春は与へたくない。
○ 天才がたゞその作物によつてのみ天才といはれるなら僕は明らかに天才でないだらう。天才がたゞ彼の
夭折によつてのみ天才といはれるなら、僕は尚天才ではないだろう。
しかし天才はたしかにある。それは僕である。それは凡人のあづかりしれぬ苦悩に昼となく夜となく悩みつゞける魂だ。
それは生れ乍ら悲劇の子だ。それは神の私生児だ。
○ 天才とは青春の虐殺者である。
平岡公威(三島由紀夫)推定20〜22歳「わが愛する人々への果し状」より 僕はどこにゐてもその場に相応しくない人間であるやうに思はれる。どこへ出掛けても僕といふ人間が、あるべきで
ない処にゐる存在のやうに思はれる。(中略)これは驕つた嘆きといふものだらうか。かういふ嘆きに低迷して
ゐるのは、僕の心構へが甘いからだらうか。真の芸術家は招かれざる客の嘆きを繰り返すべきではあるまい。
彼はむしろ自ら客を招くべきであらう。自分の立脚点をわきまへ、そこに立つて主人役たるべきであらう。
とはいへ、この居心地のわるさが多くの場合僕の作品の生れる契機となつてゐる。僕は偶々口に入つた異物に
対する不快よりも先に、口に入れられた異物自身の不快を知つてゐる。このことは却つて、ある時代に生きる
人々の不幸を知るより先に、ある時代それ自身の持つ不幸を直感せしめる捷径である。少くとも僕はさう信じたい。
――僕を招かれざる客として遇する時間と場所の更に奥・更に彼方に存するものと僕は不幸を頒ち合ひ、頒ち
合ふことによつて親近感を得ようと欲しもする。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「招かれざる客」より 今我々がそれと対決を迫られてゐる戦後の茫々たる無秩序は、我々の好悪・理論・道徳的信念のよく左右しうる
ところではない。解釈は可能であり、依然として解決は不可能である。たゞ僕は招かれざる客としてかう直感する
自由をもつてゐる。「無秩序自身にとつて無秩序は不幸であるに相違ない」と。僕は時代が自身に不幸を
課したのだと思ふ。
そしてまた人間がこの期に及んでも抱いて離さないナルチスムスの凄惨さを考へる。人間は己が病毒を指摘される
ことによつても容易に己惚れる。この弱味につけこむ者が喝采を博するのは当然なことである。人間を人間から
放逐すること以外に、よき治療法は残されてゐないのではないかとさへ思はれる。それといふのも僕は戦争時代に
人間が人間を見失つたとは考へてゐないからだ。戦争時代には人は今よりももつと切なく、人間といふ最愛の者の
消息にひたすら耳を澄ましてゐたと知つてゐるからだ。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「招かれざる客」より 然しナルチスムスの昂進は、地上に嘗てないほど孤独が繁殖してゆくのと正比例するやうである。ナルチスムスの
考察は孤独の考察に帰着するやうである。そのためにも僕は招かれざる客の冷め果てた目が自分に備はつてくるまで
待ちたいと念(ねが)ふ。その目を養ひ育てることが当為ではなくて義務だと感ずる。僕はその時人間関係を
フラスコの中、真空状態の中にとぢこめてみたい。心理の化学変化をしらべ、元素の周期律表のやうな、心理の
様式化と象徴化を完成したい。人間を一旦孤独といふ元素に還元し、いかに複雑微妙な結合を示す時も、その
元素の姿を見失はぬやうにしたい。かうして抽象化された熱情が、熱情本来の属性を悉く備へながら、たとへば
乾板の上に定着された焔の一瞬の姿のやうな、もはや身動きならぬ形をとるのが見たい。定着は、いひかへれば
表現は、瞬時の出来事であるべきである。何ものもとらへぬ瞬間と凡てをとらへる瞬間とは、同一の瞬間である筈だ。
物そのものでもなく固化した標本でもない生(芸術の対象としての)は、かうしてとらへられる他はない。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「招かれざる客」より (中略)(僕が好んで戯曲を読むのも)人間の孤独と、対話の絶望的な不可能とをあれほど直截に感じさせる型式は
ないからである。言葉による表現といふ行為もかくて一の戯曲的行為に他ならないとすれば文学は戯曲にその
一つの典型を見出すことができる。偉大なる戯曲がさうであるやうに、偉大な文学も亦、独白に他ならぬ。
ゲエテが「諸々の山頂に、安息ぞ在る」といふあの詩句をキッケルハーンの頂に書きしるした時、彼は独白者の
運命を予覚したのであつたらう。
しかしいかに孤独が深くとも、表現の力は自分の作品ひいては自分の存在が何ものかに叶つてゐると信ずることから
生れて来る。自由そのものの使命感である。では僕の使命は何か。僕を強ひて死にまで引摺つてゆくものが
それだとしか僕には言へない。そのものに対して僕がつねに無力でありただそれを待つことが出来るだけだとすれば、
その待つこと、その心設(こころまう)け自体が僕の使命だと言ふ外はあるまい。僕の使命は用意することである。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「招かれざる客」より 伊勢物語のやうな古典をよむと畏ろしくおもはれる。日本人にはたしかにああしたものを書きたい欲求があり、
いはゆる小説家の神経では禁忌のやうになつてゐるだけのつぴきならず怖ろしいのである。日本の古典が伊勢物語
一冊であつたら現代の小説家はみな絞(くび)れ死ぬであらう。雨月物語のやうな物語をかき、もつとあがきの
とれぬ春雨物語といふ悲痛な小説をかいた秋成が、そのあとで癇癖談を書かねばならなかつた気持がわかるのである。
(中略)伊勢物語は突端まで到りついた人間の戯文である。あの物語には人生の危機がどつさりゑがかれてゐる。
それがあれほどさりげなく書かれてゐるのがおそろしい。客観といふのでもなくましてや看過されてゐるのではない。
たゞ日本の詩文とは、句読も漢字もつかはれないべた一面の仮名文字のなかに何ら別して意識することなく
神に近い一行がはさまれてゐること、古典のいのちはかういふところにはげしく煌めいてゐること、さうして
真の詩人だけが秘されたる神の一行を書き得ること、かういふことだけを述べておけばよい。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「伊勢物語のこと」より ○ 廿年十月四日夜放送のニュースによれば
米情報頒布係長、興行協会長を招いて十月興行を批判し、歌舞伎はじめ、封建的色彩強く、或ひは股旅物等
軍国主義的色彩を払拭し切れず、ポツダム宣言の趣旨に沿ふもの頗る貧困也、須(すべか)らく帰郷兵士等が
新建設にいそしむ様等を描ける新作を上演し、或ひは劇作家を動員してかゝる新作を執筆せしむべきなり、と訓示す。
嗚呼、歌舞伎より封建的色彩と軍国主義をマイナスして何が残る。米国的演劇観よりは解しがたき「技術の演劇」
として歌舞伎を見なければ、彼等によつて歌舞伎並びに歌舞伎役者は廃絶の他はなからう。宣伝演劇の悪弊は
米人御自身よく御存知の筈、演劇に対する不当な干渉は、マックス・ラインハルト等有識者の来朝を待つての後に
してほしい。
(中略)
遂に歌舞伎最後の日が来た。時事新報その他の記事に一月廿日この歴史的事実が発表された。菊五郎は云つて居る。
(中略)
菊五郎にして何といふ意気地のない信念のない役者根性、「上司の指示であれば」といふこの言葉と、日頃の
芸術家気どりとの矛盾がわからないのか。
平岡公威(三島由紀夫)20〜21「芝居日記」より 「土耳古(トルコ)人の学校」
私の家の横にある坂を登つて細い道を真直に行くと、剥げた水色の番瀝青(ペンキ)に飾られた貧しい垣と
低い門が有る。其の門柱には墨で描いたのか殆ど見えない様な字がある。上方のは、土耳古回々教学校とどうにか
読めるが、下の方の奇妙な外国語がちよいちよいと顔を出して大抵消えてゐる。木造の洋風家屋は殺風景な庭の
一隅にあつて、二階は寄宿舎で階下は教室らしい。
日曜など、八時頃に起きて散歩に来て見ると、土耳古人の子等がどやどやと入つて行く。日曜だから御説教でも
聞くのであらう。昼過ぎになると出て来る。
寄宿舎に居るものは、かなり小人数らしい。女の児の方が多いが、男の子も少なからず居る。併し、彼等は実に
哀れな身装(みなり)をして居るのである。バンドのない状袋の様な洋服や、男の子達は短い皴くちやなズボンを
はき、見悪(みにく)く汚ない上着を着けて居る。時々彼等の口から本国の民謡風のものが唱はれるが、他は
流暢な日本語である。
平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文 「土耳古(トルコ)人の学校」
或る雨の日、彼等ゴム長靴連の行方を見てゐたら、代々木八幡の方角であつた。何処でどんな暮しを行つて居るのか、
私は彼等の生活の上に好奇心を持つ。又彼等の容貌は云ひ知れぬ愁ひを含んでゐる。其の眼は、五月の空のやうに
蒼く美しいが、眉の奥深く黒い縁にかこまれて冷え切つた荒野の土のやうに沈んでゐる。その頭髪はブロンドも
あれば、稍(やや)鳶色のもあるが、酷く手入を怠つてゐると見え、雀の巣のやうである。疲れ切つてほのかな
紅色を失つた頬。凡て快活な少年少女らしさを失つて居るとはいふものゝ、彼等はよく遊ぶ。
固いボールを以て。
校庭の山羊を相手に。
秋雨の日など、よぼよぼの牝牡の山羊が、ぬれた雑草を食べてゐる。
此の老夫婦の所へ、もう直ぐ小山羊が来るさうである。
山羊は、親しみを湛へた目で私に寄つて来る。
平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文 この本は私が今までそこに住んでゐた死の領域へ遺さうとする遺書だ。この本を書くことは私にとつて裏返しの
自殺だ。飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて
生き返る。この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である。
*
告白とはいひながら、この小説のなかで私は「嘘」を放し飼にした。好きなところで、そいつらに草を喰はせる。
すると嘘たちは満腹し、「真実」の野菜畑を荒さないやうになる。
*
同じ意味で、肉まで喰ひ入つた仮面、肉づきの仮面だけが告白をすることができる。告白の本質は「告白は
不可能だ」といふことだ。
*
私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である。私は詩人だと自分を考へるが、もしかすると
私は詩そのものなのかもしれない。詩そのものは人類の恥部(セックス)に他ならないかもしれないから。
三島由紀夫「『仮面の告白』ノート」より 私は永遠の少年だ。永遠の十六歳だ。どうか私を、私の好きなやうにさせてくれ。その代り私の言ふことを一切
本気にしないでくれ。
*
この醜怪な告白に私は自分の美学を賭けたつもりだ。
*
比喩を用ひる。――私は鏡の中に住んでゐる人種だ。諸君の右は私の左だ。私は無益で精巧な一個の逆説だ。
*
逆手の一つ。――私は自伝の方法として、遠近法の逆を使ふ。諸君はこの絵へ前から入つてゆくことはできない。
奥から出てくることを強ひられる。遠景は無限に精密に、近景は無限に粗雑にゑがかれる。絵の無限の奥から
前方へ向つて歩んで来て下さい。
(中略)
*
私は豹や狼を気取らうといふのではない。私は植物的な人間だ。しかし植物の魂といふものは、ひよつとすると
極めて残忍なものかもしれない。樹木が静かな様子をしてゐるのはそのせゐかもしれない。
*
この本を書かせたのは私の見栄坊な心だ。
三島由紀夫「序文(『仮面の告白』用)」より 中世にパロディー文学=連歌なり謡曲なりあの奇怪な古今伝授(これも私は文芸として考へたい)なりが生れて
きたのは漠然たる憧れの為ではあつたが、文芸の次の時代の生命を奪はれたところに必然に執られねばならなかつた
姿ともいへる。パロディー文芸は学問といふやうな態度を多くとらない。生活を抽象に高めて行つて極美に達して
ゐるのは古典であるが、パロディーはその抽象を生活に還元しようとする働らきだ。日本の詩人たちの隠遁は
かゝる古典の還元の一作用である。その慨きの切なさについては頃日云ふ人も多いので云はない。学といふものは
自らの生活への還元といふよりもつと遠心的なところに立つて身にかへるのを要したのは宣長の古事記伝の態度を
みればわかる。かゝるパロディー文学は大抵の場合パロディーのまゝ伝はるか又は全く別な新文学の内に融合するか
どちらかゞ普通だが、後者は門左衛門(巣林子)に一時成就するかとみえた。蓋し自ら身に行ふ戯曲は、その
本質に於てパロディー性を有するものであつたのか千本桜や嫩軍記に於ては中世の軍記物のもつ雰囲気が切ないほど
身近くゑがかれてゐた。
平岡公威(三島由紀夫)18歳「近松半二」より (中略)
日本の歴史の上の創造即ち「むすび」は段階的なものではなく、デカダンスの次の空間から生れるものではない。
「かへる」のではなく、いはゆる復古でもない。その前によこたはるものゝ「はじめ」が次の「はじめ」を誘致する。
「をはり」は「はじめ」を誘致するのではなく、「はじめ」が常に「はじめ」につらなるのである。これは
日本風な創造であり、仏教風な輪廻思想ではない。「はじめ」の連結により歴史が形づくられるが、「をはり」と
「はじめ」は革命思想でむすびつけられるのではない。「はじめ」が「はじめ」に結びつきうるのは血の
ありがたさで血の連続なきところにはかゝる結合はうまれない。支那では「はじめ」が「はじめ」にむすびつくなど
考へられぬ。日本ではじめて天壌無窮の御神勅ははじめて意義をもつのである。
平岡公威(三島由紀夫)18歳「近松半二」より まことに小鳥の死はその飛翔の永生を妨げることはできない。中絶はたゞ散歩者が何気なく歩みを止めるやうに
意味のない刹那にすぎない。喪失がありありと証ししてみせるのは喪失それ自身ではなくして輝やかしい存在の
意義である。喪失はそれによつて最早単なる喪失ではなく喪失を獲得したものとして二重の喪失者となるのである。
それは再び中絶と死と別離と、すべて流転するものゝ運命をわが身に得て、欣然輪廻の行列に加はるのである。
別離が抑々(そもそも)何であらうか。歴史は別離の夥しい集積であるにも不拘、いつも逢着として、生起として
語られて来たではないか。会者必離とはその裏に更に生々たる喜びを隠した教へであつた。別離はたゞ契機として、
人がなほ深き場所に於て逢ひ、なほ深き地に於て行ずるために、例へていはゞ、池水が前よりも更に深い静穏に
還るやうにと刹那投ぜられた小石にすぎない。それはそれより前にあつたものゝ存在の意義を比喩としつゝ、
それより後に来るものゝ存在を築くのである。即ち別離それ自体が一層深い意味に於ける逢会であつた。
私は不朽を信ずる者である。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「別れ」より 止ることから流れることへの転身は、夢みることにとつて誕生と復活の朝であらう。すべて夢みることに先行して、
礫のやうに人をうつあの幻は、まさに転身の成就に俟つて現はれるであらう。そのとき止る存在は流れる存在と
なりきるゆゑに、止る姿に無限に近づくに従つて即ち無限に遠ざかる流れの天性から、それが、一歩一歩が可能の
おそろしい断崖である「止る」存在とは似て非なる、「永久に止る」ともいふべき存在の型式をとるときこそ、
不朽の語は、はじめて使用に価する。立ちあらはれる幻は、無辺際の可能の海の極まりつくした充実と空虚の末に、
すなはち無への無限の接近の大きな消極の頂点に、すがすがしく、暁天の星をさながらの、最高の有が輝きだす瞬間、
つと人の目や心をよぎる。さうして人は陥ちるのだ。およそ陥没のなかでもつとも聖らかな陥没、上昇のうちで
もつとも美しい陥没を。あの止ることの「可能の海」が、完全の喪失へと身を向けるときに、おそらくそこには
完全さがはじめて存在する。はじめて。しかしなほ明けやらぬ東雲におぼめきわたるであらう。永くこの陥没を、
人々は愛して来たのだ。
平岡公威(三島由紀夫)18歳「夢野乃鹿」より 「学習院の連中が、ジャズにこり、ダンスダンスでうかれてゐる、けしからん」と私が云つたら氏は笑つて、
「全くけしからんですね」と云はれた。それはそんなことをけしからがつてゐるやうぢやだめですよ、と云つて
ゐるやうに思はれる。
川端氏のあのギョッとしたやうな表情は何なのか、殺人犯人の目を氏はもつてゐるのではないか。僕が「羽仁五郎は
雄略帝の残虐を引用して天皇を弾劾してゐるが、暴虐をした君主の後裔でなくて何で喜んで天皇を戴くものか」と
反語的な物言ひをしたらびつくりしたやうな困つたやうな迷惑さうな顔をした。
「近頃百貨店の本屋にもよく学生が来てゐますよ」と云はれるから、
「でも碌(ろく)な本はありますまい」
と云つたら、
「エエッ」とびつくりして顔色を変へられた。そんなに僕の物言ひが怖ろしいのだらうか。
雨のしげき道を鎌倉駅へかへりぬ。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「川端康成印象記」より 古人は国を思ふをものおもひと名付けてよんだ。それは恰かも恋情の呼び名と似てゐた。恋のものおもひは
憑かれつゝおもふことであつた。おもふために神憑りが、すなはち古里がなくてはならなかつた。おもふこそ
憑かれつゝ憧れること、春風を身にうけて、受身の身のよすがにむすぼほれた憧れをさぐることであつた。
いつも受けうる清らかな姿に古人は居た。そこに身を保つてあらたな目をつねに雲居のかなたへ馳せてゐた。
かゝる目こそ大きないのちの中にあつていのちの呼吸その身動きその手振のことごとくを共にし得る目であつた。
憑かれることに対して勇敢な、永劫新らしき目であつた。
詩のあらゆる故里への契りは、蕪村をとほしてむすばれた。私たちはけふの意味をそれのかなたに読むであらう。
私たちの存在から更に生ひ立つ鳥影を信ずるであらう。花時はやがて訪れる。私たちも亦、心もそゞろに
「待つ」人でありたい。重ねていふ、待つとは同時に、詩人の不朽のかなしみである。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「長柄堤の春――春風馬堤曲につきて」より 人々の関心は蝶々にも似てゐる。通ひつめる夥しい蝶に蜜といふ蜜を吸ひつくされる艶やかな大輪の花がある。
プルウストが嘗てさうであつた。――しかしこの熱烈にして気まぐれな恋人たちの訪問が途絶えると、花は一時、
疲れ果て萎え光を失つたやうにみえる。恋人たちはもう見向きもしない。花は色褪せて、花壇の翳の方にうなだれる。
果してその本質が発光作用を失くしたのであらうか? 果して豊かな蜜の井戸は涸れ果てたのか?――熱烈とは
いへないが不断に生命に向つて瞠らかれてゐる隠者の眼はある朝人気のない花壇の隅にふしぎな花の変容を
見出だして驚く。その花が嘗ての数倍も艶やかに蘇つてゐるさまを。数倍も香り高い新たな蜜に溢れてゐるさまを。
人に見られてゐないといふ秘密な喜びで、不用意な美しさを露はにしてゐるさまを。過剰が一種高貴な物憂さを
花弁に与へ、恣な光の遍満は不可思議の音楽を漲らせてゐるさまを。(別箇の生――生よりも活々とした生の
誕生が営まれたかのやうに)
平岡公威(三島由紀夫)21歳「バルダサアルの死」より 時代を考へることを皮相の面でするときそれは便乗に類する。便乗とはむしろ時代を考へない謂である。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「無題(『輔仁会雑誌』編輯後記用)」より
芟夷(さんい)の詩であることは、不朽のますらをぶりとたわやめぶりのその礎を固くすること――太しく
たてる宮柱のみわぎの裔に外ならない。
平岡公威(三島由紀夫)18歳「後記(『赤絵』二号)」より
時世に敏なりといふことが詩人の特性のやうに言はれるのは滑稽で抱腹絶倒なことである。国の最高のなげかひを
共にせぬ詩人が最高の慶びにどうして侍(はべ)ることができよう。直毘をいふのはそこなのだ。だから日本こそは
古典主義即浪漫主義であるところの唯一の国である。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「古座の玉石――伊東静雄覚書」より 時間による超国家性は無窮の国に於ては国家性に外ならない。世界文学が時間で結ばれると真の国粋文学に一致する。
かゝる「時」の上の宣長の思想は本然的に血統となり血脈となり系譜となるものである。弁証法的思想史と全く
異つた思想を日本に於て宣明したところに宣長の世界的偉大がある。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「無題(『作文補遺』)」より
だんだんに私は文学を引き寄せるやうにしてゆきたいと思ふ。己れより乗り憑つて乗り憑りつつ清められると
云つたあり方に心ひかれる。さういふ場合の放胆さについてはもう口でいはぬはうがよいと思ふ。それは一種の
ニイチェ風な陥没であらうもしれぬが私は日本人にふさはしい手振だけをまなんでゆくほかはない。そして、
戦後の世界に於て、世界各国人が詩歌をいふとき、古今和歌集の尺度なしには語りえぬ時代がくること、それらを
私は評論としてでなく文学として物語つてゆきたい。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「跋に代へて(『花ざかりの森』)」より 少年がすることの出来る――そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、おもふに恋愛と不良化の
二つであらう。恋愛のなかへは、祖国への恋愛や、一少女への恋愛や、臈(らふ)たけた有夫の婦人への恋愛などが
はひる。また、不良化とは、稚心を去る暴力手段である。暴力といふこのことだつて既に、生の過食からうまれて
くる一つの美しい憲法に他ならない。稚心を去る少年たちは、まづ可能性の海の瑰麗な潮風になぶられる。
神が人間の悲しみに無縁であると感ずるのは若さのもつ酷薄であらう。しかし神は拒否せぬ存在である。神は
否定せぬ。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「檀一雄『花筐』――覚書」より
童話とは人間の最も純粋な告白に他ならないのである。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「川端氏の『抒情歌』について」より
無秩序が文学に愛されるのは、文学そのものが秩序の化身だからだ。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「恋する男」より わが国中世の隠者文学や、西洋のアベラアルとエロイーズの精神愛などは肉体から精神へのいたましい堕落と
思はれる。精神が肉体の純粋を模倣しようとしてゐる。宗教に於ては「基督のまねび」それは愛においても肉体の
まねびであつた。近代以後さらにその精神の純粋すら失はれて今日見るやうな世界の悲劇のかずかずが眼前にある。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「精神の不純」より
われわれが築くべき次代の駘蕩たる文化も亦、古い時代の駘蕩たる文化の残した生ける証拠を基ゐにして築かれる。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「沢村宗十郎について」より
芸術が純粋であればあるほどその分野をこえて他の分野と交流しお互に高めあふものである。演劇的批判にしか
耐へないものは却つて純粋に演劇的ですらないのである。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「宗十郎覚書」より 小説の世界では、上手であることが第一の正義である。ドストエフスキーもジッドもリラダンも、先づ上手だから
正義なのである。下手なものは、千万言の理論の正不正とは別に、悪である。われわれ若い者は下手なるがゆゑに
悪である。
凡てにわかり合はうといふことがおそろしいほど欠けてゐる時代である。お互がわからないことを誇る悲しい
時代である。なまじつかわかり合はうとすれば自分の体に傷がつくことを知つてゐるからだ。もうすこしバカに
ならうではないか。そしてよいものをよいと言はうではないか
平岡公威(三島由紀夫)22歳「上手と正義(舟橋聖一『鵞毛』評)」より
来年といふ領域は海のやうだ。僕の海への憧れは実はあこがれといふやうなものではない。それは僕の慾情だ。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「一九四八年への慾情」より 「子供らしくない部分」を除いたら「子供らしさ」もまた存在しえないことを、先生方は考へてみたことが
あるのかと思ふ。大人が真似ることのできるのはいはゆる「子供らしさ」だけであり、子供の中の「子供らしくない
部分」は決して大人には真似られない部分であると私には思はれるが、もしそれが事実なら、大人のいふ「童心」は
大人の自己陶酔にすぎないであらう。子供は先生たちとちぐはぐな場所で、小悪魔のやうに跳んだりはねたりして
ゐるだらう。
私は私自身を押し流さうとする少年期の羞恥から身を守るために、共にその羞恥に責め立てられる人を師として
求めた。しかるに学校の先生たちには羞恥なんかなかつた。彼らは少年たちの羞恥に、医師の態度で接しようと
身構へるのだつた。ところが羞恥を治すためにこれほど拙ない方法は考へられない。生理的には羞恥の、心理的には
自己嫌悪の少年期における目ざめは、それ自身病気ではなくて、自己が自己自身の医師であることの自覚に
他ならないからだ。
三島由紀夫「師弟」より 大学新聞にはとにかく野生がほしい。野生なき理想主義は、知性なきニヒリズムより数倍わるくて汚ならしい。
三島由紀夫「野生を持て――新聞に望む」より
「後悔せぬこと」――これはいかなる時代にも「最後の者」たる自覚をもつ人のみが抱きうる決心である。
浅間しい戦後文学の一系列が、ほしいまま跳梁を示してゐるなかに、最後の者、最後の貴族の生みえたまことの
芸術が、失はれた星の壮麗を復活させようとする決心に、後悔はありえない。
三島由紀夫「跋(坊城俊民著「末裔」)」より
理想は狂熱に、合理主義は打算に、食慾はお腹下しに、真面目は頑迷に、遊び好きは自堕落に、意地悪は
ヒステリーに紙一重の美徳でありますから、その紙一重を破らぬためには、やはり清潔な秩序の精神が、
まばゆいほど真白なエプロンが、いつもあなたがたの生活のシンボルであつてほしいと思ひます。
三島由紀夫「女学生よ白いエプロンの如くあれ」より あらゆる芸術作品は完結されない美であるが、もし万一完結されるときそれは犯罪となるのである。
犯罪、殊に殺人のやうな行為には、創造のもつ本質的な超倫理性の醜さが見られ、犯人は人間の登場すべからざる
「事実」の領域へ足を踏み入れたことによつて罰せられるのだ。だからあらゆる犯罪者の信条には、何かきはめて
健康なものがある。
三島由紀夫「画家の犯罪――Pen, Pencil and Poison の再現」より
衒気(げんき)のなかでいちばんいやなものが無智を衒(てら)ふことだ。
三島由紀夫「戦後観客的随想――『ああ荒野』について」より
人間の道徳とは、実に単純な問題、行為の二者択一の問題なのです。善悪や正不正は選択後の問題にすぎません。
道徳とはいつの場合も行為なんです。
自意識が強いから愛せないなんて子供じみた世迷ひ言で、愛さないから自意識がだぶついてくるだけのことです。
三島由紀夫「一青年の道徳的判断」より 真の技術といふものはそれ自身一つの感動なのである。そこではもはや伝達の意識は失はれる。俳優が一個の
機械になる。人形劇や仮面劇との差は、この無限の無内容を内に秘めた人間の肉体の或る実在的な内容に
すぎなくなる。それが顔であり面であり、姿であり、柄であり、景容であるのである。そこではじめて「典型」が
成就される。
歌舞伎とは魑魅魍魎の世界である。その美は「まじもの」の美でなければならず、その醜さには悪魔的な蠱惑が
なければならない。
三島由紀夫「中村芝翫論」より
物語は古典となるにしたがつて、夢みられた人生の原型になり、また、人生よりももつと確実な生の原型に
なるのである。
それはまだ人生の手前にゐる人には、夢の総称になり、いくらかでも人生を生きたといふことのできる人に
とつては、その追憶の確証になつた。
その後現実感の見失はれる不安な時代には、源氏物語は、なほかつ必ずどこかに存在すると信じられてゐる
「現実」の呼名になつた。その「現実」の象徴になつた。そしてそれこそは古典の本来の職分なのである。
三島由紀夫「源氏物語紀行――『舟橋源氏』のことなど」より 創作のよろこびと同様、批評のよろこびも、私にとつては美と真実の発見のおどろきを述べることにすぎない。
私が自分の好きな書物について、何故それが好きかといふことを綿々とのべるのは、私の快楽なのである。
三島由紀夫「戸板康二氏の『歌舞伎の周囲』」より
そもそも作品以外のどこに作者の本音があるだらう。附け加へた言葉は整形手術のやうなものである。鼻のひくい
おかめ面の作品を書いておいて、「作者の言葉」で整形手術的言辞を弄する。神の与へた容貌の一部の変改は、
自然の調和をやぶつて、もつとをかしなものにしてしまふにきまつてゐる。いきほひ舞台を見てゐても、むりに
高くした鼻ばかり目について、顔全体が見えなくなる。せつかく粋な目もとの持主が、不自然に盛り上げた鼻の
おかげで、相殺されてしまふ。かさねがさねも整形手術は施すまじきことである。
三島由紀夫「作者の言葉(『灯台』初演について)」より われわれが住んでゐる時代は政治が歴史を風化してゆくまれな時代である。歴史が政治を風化してゆく時代が
どこかにあつたやうに考へるのは、錯覚であり幻想であるかもしれない。しかし今世紀のそれほど、政治および
政治機構が自然力に近似してゆく姿は、ほかのどの世紀にも見出すことができない。古代には運命が、中世には
信仰が、近代には懐疑が、歴史の創造力として政治以前に存在した。ところが今では、政治以前には何ものも
存在せず、政治は自然力の代弁者であり、したがつて人間は、食あたりで床について下痢ばかりしてゐる無力な
患者のやうに、しばらく(であることを祈るが)彼自身の責任を喪失してゐる。
三島由紀夫「天の接近――八月十五日に寄す」より
これつぽつちの空想も叶へられない日本にゐて、「先生」なんかになりたくなし。
三島由紀夫「作家の日記」より
私の詩に伏字が入る! 何といふ光栄だらう。何といふ素晴らしい幸運だらう。
三島由紀夫「伏字」より 作家はどんな環境とも偶然にぶつかるものではない。
三島由紀夫「面識のない大岡昇平氏」より
理想主義者はきまつてはにかみやだ。
三島由紀夫「武田泰淳の近作」より
簡潔とは十語を削つて五語にすることではない。いざといふ場合の収斂作用をつねに忘れない平静な日常が、
散文の簡潔さであらう。
三島由紀夫「『元帥』について」より
伝説や神話では、説話が個人によつて導かれるよりも、むしろ説話が個人を導くのであつて、もともとその個人は
説話の主題の体現にふさはしい資格において選ばれてゐるのである。
己れを滅ぼすものを信じること、これは宿命に手だすけすることによつて宿命を暗殺する方法である。宿命に
手だすけする代償として、宿命を信じる義務を免かれる行き方である。浪漫主義者の生活の理念は、ともすると
この種の免罪符をもつてゐる。
三島由紀夫「檀一雄の悲哀」より 小説のヒーローまたはヒロインは、必然的に作者自身またはその反映なのである。ボヴァリイ夫人は私だ、と
フロベェルがいつたといふ話は、耳にタコのできるほどくりかへされる噂である。同時に、雪子は私だ、と
潤一郎はいふであらう。雪子は作者の全美学体系の結晶であり、これに捧げられた作者自身の自己放棄の反映である。
三島由紀夫「世界のどこかの隅に――私の描きたい女性」より
主人公や女主人公とウマが合ふか合はないかで、その小説が好きになるかならないかは、半ば決つてしまふ。
三島由紀夫「私の好きな作中人物――希臘から現代までの中に」より
君の考へが僕の考へに似てゐるから握手しようといふほど愚劣なことはない。それは野合といふものである。
われわれの考へは偶発的に、あるひは偶然の合致によつて似、一致するのではなく、また、体系の諸部分の
類似性によつて似るのではない。われわれの考へは似るべくして似る。それは何ら連帯ではなく、共同の主義
及至は理想でもない。
三島由紀夫「新古典派」より 小説家には自分の気のつかない悪癖が一つぐらゐなければならぬ。気がついてゐては、それは悪でも背徳でもなく、
何か八百長の悪業、却つてうすぼんやりした善行に近づいてしまふ。
三島由紀夫「ジイドの『背徳者』」より
われわれが孤独だといふ前提は何の意味もない。生れるときも一人であり、死ぬときも一人だといふ前提は、
宗教が利用するのを常とする原始的な恐怖しか惹き起さない。ところがわれわれの生は本質的に孤独の前提を
もたないのである。誕生と死の間にはさまれる生は、かかる存在論的な孤独とは別箇のものである。
三島由紀夫「『異邦人』――カミュ作」より
愛慾の空しさなどといふものは、人間が演ずると、奇妙な、時には奇怪なものになりがちである。文学としての
「輪舞」は、何の説明がなくても、作者のシニシズムが納得されるが、映画の「輪舞」は、肝腎の役者たちが
生身の愛慾の場面を演じ、その限りで、肉慾そのものの誠実さのはうが、強く前面に押し出されざるをえない。
三島由紀夫「映画『輪舞(ロンド)』のこと」より 「ざつくばらん」といふ奴も、男の世界の虚栄心の一つだ。
人間は自分一人でゐるときでさへ、自分に対して気取りを忘れない。
つとめて虚心坦懐に、呑気に、こだはりなく、誠実に、たのもしく振舞ふこと、ケチだと思はれないこと。
男の虚栄心は、虚栄心がないやうに見せかけることである。なぜなら虚栄心は女性的なもので、男は名誉心や
面子に従つて行動してゐるつもりであるから、「男の一分が立たねえ」などと云ふときには、云つてゐる御当人は
微塵も虚栄から出た啖呵とは思つてゐない。
古い社会では、男の虚栄心が公的に是認され、公的な意味をつけられてゐた。封建時代の武士の体面や名前といふ
ものがそれである。男性の虚栄心に公的な意味をつけておくことは、社会の秩序の維持のために、大へん有利でも
あるし、安全でもある。金縛りよりもずつと上乗な手段である。
三島由紀夫「虚栄について」より 老夫妻の間の友情のやうなものは、友情のもつとも美しい芸術品である。
一面からいへば友情と恋愛を峻別することは愚かな話で、もしかすると友情と恋愛とは同一の生理学的基礎に
立つものかもしれない。
長い間続く親友同志の間には、必ず、外貌あるひは精神の、両性的対象がある。
三島由紀夫「女の友情について」より
大体イヴニングを着てダンサーに見えない女は、日本人では、よほどの気品と育ちのよさの備はつた女か、
それともよほどのおばあさんかどちらかである。
三島由紀夫「高原ホテル」より
私はまだ酒に情熱を抱くにいたらない。時々仕事の疲労から必要に迫られて呑むことがある。趣味はある場合は
必要不可欠のものである。しかし必要と情熱とは同じものではない。私の酒が趣味の域にとどまつてゐる所以であらう。
三島由紀夫「趣味的の酒」より
女の美しさといふものは一国の文化の化身に他ならず、女性は必ずしも文化の創造者ではないが、男性によつて
完成された文化を体現するのに最適の素質を備へてゐる。
三島由紀夫「映画『処女オリヴィア』」より これ(皮肉〈シニスム〉)が大抵のものを凡庸と滑稽に墜してしまふのは、十九世紀の科学的実証主義にもとづく
自然主義以来の習慣である。私は自意識の病ひを自然主義の亡霊だと考へてゐる。すべてを見てしまつたと
思ひ込んだ人間の迷蒙だと考へてゐる。あらゆる悲哀の裏に滑稽の要素を剔出するのはこの迷蒙の作用である。
いきほひ感情は無力なものになり、情熱は衰へ、何かしらあいまいな不透明なものになり終つた。愛さうとして
愛しえぬ苦悩が地獄の定義だとドストエフスキーは長老ゾシマにいはせたが、近代病のもつとも簡明な定義も
またこれである。
(中略)
悲劇は強引な形式への意慾を、悲哀そのものが近代性から継子扱ひをされるにつれてますます強められ、おのづから
近代性への反抗精神を内包するにいたる。それは近代性の奥底から生み出された古典主義である。喜劇は近代を
のりこえる力がない。(中略)偉大な感情を、情熱を、復活せねばならぬ。それなしには諷刺は冷却の作用を
しかもたないだらう。
三島由紀夫「悲劇の在処」より 人の思惑に気をつかふ日本人は、滅多に「私は天才です」などと云へないものだから、天才たちの博引旁捜で
自己陶酔を味はふが、ヨーロッパの芸術家はもつと無邪気に「私は天才です」と吹聴してゐる。自我といふものは
ナイーヴでなければ意味をなさない。
日本の新劇から教壇臭、教訓臭、優等生臭、インテリ的肝つ玉の小ささ、さういふものが完全に払拭されないと
芝居が面白くならない。そのためにはもつと歌舞伎を見習ふがよいのである。演劇とはスキャンダルだ。
後進国の例にもれず、芸術性と啓蒙性がいたるところで混同されてゐる例は、戦時中の御用文学にあらはれ、
今日また平和運動と文学とのあいまいな関聯を皆がつきとめないで甲論乙駁してゐる情景に見られるのである。
フランスの深夜叢書にイデオロギーにとらはれずに多くの文学者が参加したのは、結局その根本的なイデエが、
政治的権力の恣意に対する芸術の純粋性擁護にあつたからだと思はれる。
三島由紀夫「戯曲を書きたがる小説書きのノート」より 芸術はすべて何らかの意味で、その扱つてゐる素材に対する批評である。判断であり、選択である。小説の中に
出てくる人間批評だの文明批評だのといふのは末の問題で、小説も芸術である(といふ前提には異論があらうが)
以上、創作衝動がまづ素材にぶつかつて感じる抵抗がなければならない。
文体をもたない批評は文体を批評する資格がなく、文体をもつた批評は(小林秀雄氏のやうに)芸術作品になつて
しまふ。なぜかといふと文体をもつかぎり、批評は創造に無限に近づくからである。多くの批評家は、言葉の
記録的機能を以て表現的機能を批評するといふ矛盾を平気で犯してゐるのである。
小説を総体として見るときに、批評家は読者の恣意の代表者として、それをどう解釈しようと勝手であるが、
技術を問題にしはじめたら最後、彼ははなはだ倫理的な問題をはなはだ無道徳な立場で扱ふといふ宿命を避けがたい。
理解力は性格を分解させる。理解することは多くの場合不毛な結果をしか生まず、愛は断じて理解ではない。(中略)
芸術家の才能には、理解力を滅殺する或る生理作用がたえず働いてゐる必要があるやうに思はれる。
三島由紀夫「批評家に小説がわかるか」より パリ人はもともと、外国人をみんな田舎者だと思ふ中華思想をもつてゐる。
パリへのあこがれは、小説家へのあこがれのやうなもので、およそ実物に接してみて興ざめのする人種は、
小説家に及ぶものはないやうに、パリへあこがれて出かけるのは丁度小説を読んでゐるだけで満足せずに、
わざわざ小説家の御面相を拝みにゆく読者同様である。パリはつまり、芸術の台所なのである。おもては観光客
目あてに美々しく装うてゐるが、これほど台所的都会はないことに気づくだらう。パリのみみつちさは崇高な
芸術の生れる温床であり、パリの卑しさは芸術の高貴の実体なのである。私はよい芸術が、パリ市民の俗悪に
反抗して生れるから、パリが逆説的に温床だといつてゐるのではない。トーマス・マンもいふやうに、芸術とは
何かきはめていかがはしいものであり、丁度日本の家のやうに床の間のうしろに便所があるやうな、さういふ構造を
宿命的に持つてゐる。これを如実に体現してみせた都会がパリであるから、その独創性はまことに珍重に値ひする。
三島由紀夫「パリにほれず」より 詩とは何か? それはむつかしい問題ですが、最も純粋であつてもつとも受動的なもの、思考と行為との窮極の堺、
むしろ行為に近いもの、と云つてよい。「受動的な純粋行為」などといふものがありうるか? 言葉といふものは
ふしぎなもので、言葉は能動的であり、濫用されればされるほど、行為から遠ざかる、といふ矛盾した作用を
もつてゐる。近代の小説の宿命は、この矛盾の上に築かれてゐるのですが、詩は言葉をもつとも行為に近づけた
ものである。従つて、言葉の表現機能としては極度に受動的にならざるをえない。かういふ詩の演劇的表出は、
行為を極度に受動的に表現することによつて、逆に言葉による詩の表現に近づけることができる。簡単に言つて
しまへば、詩は対話では表現できぬ。詩は孤独な行為によつてしか表現できぬ。しかも、その行為は、詩における
言葉と同様に、極度に節約されたものでなければならぬ。言葉が純粋行為に近づくに従つていや増す受動性を、
最高度に帯びてゐなければならぬ。お能の動きは、見事にこの要請に叶つてをります。
三島由紀夫「『班女』拝見」より 殿下は、一方日本の風土から生じ、一方敗戦国の国際的地位から生じる幾多の虚偽と必要悪とに目ざめつつ、
それらを併呑して動じない強さを持たれることを、宿命となさつたのである。偽悪者たることは易しく、反抗者たり
否定者たることはむしろたやすいが、あらゆる外面的内面的要求に飜弄されず、自身のもつとも蔑視するものに
万全を尽くすことは、人間として無意味なことではない。「最高の偽善者」とはさういふことであり、物事が
決して簡単につまらなくなつたりしてしまはない人のことである。
殿下の持つてをられる自由は、われわれよりはるかに乏しいが、人間は自由を与へられれば与へられるほど
幸福になるとは限らないことは、終戦後の日本を見て、殿下にもよく御承知であらう。殿下は人間がいつも
夢みてゐる、自由の逆説としての幸福を生きてをられるので、いかに御自身を不幸と思はれるときがあつても、
御自身を多くの人間が考へてゐる幸福といふ逆説だとお考へになつて、いつも晴朗な態度を持しておいでになる
ことが肝要である。
三島由紀夫「最高の偽善者として――皇太子殿下への手紙」より なぜ自分が作家にならざるを得ないかをためしてみる最もよい方法は、作品以外のいろいろの実生活の分野で活動し、
その結果どの活動分野でも自分がそこに合はないといふ事がはつきりしてから作家になつておそくない。
小説家はまづ第一にしつかりした頭をつくる事が第一、みだれない正確な、そしていたづらに抽象的でない、
はつきりした生活のうらづけのある事が必要である。何もかもむやみに悲しくて、センチメンタルにしか物事を
見られないのは小説家としても脆弱である。
バルザックは毎日十八時間小説を書いた。本当は小説といふものはさういふふうにしてかくものである。詩のやうに
ぼんやりインスピレーションのくるのを待つてゐるものではない。このコツコツとたゆみない努力の出来る事が
小説家としての第一条件であり、この努力の必要な事に於ては芸術家も実業家も政治家もかはりないと思ふ。
なまけものはどこに行つても駄目なのである。
三島由紀夫「作家を志す人々の為に」より 空襲のとき、自分の家だけは焼けないと思つてゐた人が沢山をり自分だけは死なないと思つてゐた人がもつと
沢山ゐた。かういふ盲目的な生存本能は、何かの事変や災害の場合、人間の最後の支へになるが、同時に、
事変や災害を防止したり、阻止したりする力としてはマイナスに働く。(中略)
また逆に、自分の家だけが焼け自分だけが死ぬといふ確信があつたとしたら、人は事変や災害を防止しようとせずに、
ますます我家と我身だけを守らうとするだらうし、自分だけは生残ると思つてゐる虫のよい傍観者のはうが、
まだしも使ひ物になることだらう。
本当に生きたいといふ意思は生命の危機に際してしか自覚されないもので、平和を守らうと言つたつて安穏無事な
市民生活を守らうといふ気にはなかなかなれるものではないのである。生命の危機感のない生活に対して人は結局
弁護の理由を失ふのである。貧窮がいつも生活の有力な弁護人として登場する所以である。
三島由紀夫「言ひがかり」より 男にとつて、仕事は宿命です。
純粋な女の恋には、野心がありません。もし野心をもつたら、恋に打算が加はつて醜くなります。
それに、人を愛しながら野心を満足させることは、女の場合できないのです。女性においては、純粋な恋ほど、
野心から遠ざかります。
こゝに男の恋と女の恋の違ひがあるのです。男性の場合は、仕事に対する情熱――野心と、恋愛とが常にぶつかり
合ふのです。
野心をもたないやうな男は、情熱のない男です。(中略)情熱のない男、エネルギーの少い男性には、どんなに
閑があつても、ほんたうの恋愛はできません。
女は、恋のために、男の仕事を邪魔してはなりません。
(中略)一たん男が仕事に情熱を打ち込んだら、女性は放つておくこと。そんなときの男性は、子供が新しい
おもちやに夢中になつてゐるやうに、決して浮気をしません。
男性を仕事に熱中させることです。こんなときに男から仕事をとり上げてしまつたら、男は仕事を邪魔しない女性と
恋愛をするやうになります。
三島由紀夫「男は恋愛だけに熱中できるか?」より 感受性といふものは、知的ではないところの、それ自体の頑固な様式をもつてゐる。
病気といふものは、個々の作家にとつて象徴的な事柄である。(中略)ニイチェの著作がもつとも多く書かれたのは、
彼の梅毒の初期であり、初期症状の幾多の病徴が、当時の作品群を特色づけてゐる由だが、小説家もまた、
好い作品を書くためには、いつも梅毒の初期症状に似たものを、しかもそれ以上亢進もせずよくもならないところの
症状を、自分の体内に、人工培養しておく必要があるのかもしれない。
精神の停滞を阻む不断の緊張のために、病気を利用することから一歩進んで、もし自由に病気の選択ができると
したら、できるだけ、生の躍動を象徴的に、また内在的にとらへうるやうな病気にかかることが望ましい。
ニイチェはそれを、「強さのペシミズム」「生の豊饒から直接生れるところの悲観主義」と呼んでゐる。
三島由紀夫「卑俗な文体について」より 卑俗な文体、「品質のわるい文体」のもつ異様な説得力は、鴎外の高貴な文体、「最高の品質」の文体のもつ
真らしさ、とはまるで正反対のものであるが、真らしさの点については同程度の成果をあげることができる。
卑俗な文体は一般的な先入主に故意によりかかり、事物を生かさずに、事物に対する常識的な判断を適宜に塩梅し、
それの総和に於て、世にも非常識な現実の真らしさを生み出すことができるのであるが、そこでは通常潔癖な
小説家が、故意に避ける偶然の重複などが、あたかも自明の現実のやうに現前してゐる。そして事実人生には、
小説にしたら嘘ッ八としか思へないやうな、奇抜な偶然の出会や因果関係が存在するのである。
(中略)私が小説のアクチュアリティーを保証する一手段として、この卑俗な文体に抱いた関心は、おそらく
戯曲の文体につながる問題だといふことに気がついた。
三島由紀夫「卑俗な文体について」より 青年といふものは、少年よりはるかに素直なものである。
三島由紀夫「死せる若き天才ラディゲの文学と映画『肉体の悪魔』に対する私の観察」より
若い女性の「芸術」かぶれには、いかにもユーモアがなく、何が困るといつて、昔の長唄やお茶の稽古事のやうな
稽古事の謙虚さを失くして、ただむやみに飛んだり跳ねたりすれば、それが芸術だと思ひこんでゐるらしいことである。
芸術とは忍耐の要る退屈な稽古事なのだ。そしてそれ以外に、芸術への道はないのである。
三島由紀夫「芸術ばやり――風俗時評」より
ヨーロッパの人文主義が築いた文化の根本的欠陥が、現代ヨーロッパのいたましい病患をなし「人間的なもの」の
最後の救済のために、人々は政治に狂奔してゐる。殿下が見られるあまりにも政治的なヨーロッパは、デカダンスに
陥つた西欧文化の自己表現なのである。文化といふものの最悪の表現形態が政治なのだ。ギボンのローマ帝国衰亡史を
繙かれれば、殿下は文化的創造力を失つた偉大な民族が、巨大な政治の生産者に堕した様相を読まれるであらう。
三島由紀夫「愉しき御航海を――皇太子殿下へ」より すべての芸術家は、自分の持つて生れた資質を十全に生かすと共にそれを殺すところに発展がある。
三島由紀夫「歌右衛門丈へ」より
文士などといふ人種ほど、我慢ならぬものはない。ああいふ虫ケラどもが、愚にもつかぬヨタ話を書きちらし、
一方では軟派が安逸奢侈の生活を勤め、一方では左翼文士が斜視的社会観を養つて、日本再建をマイナスすること
ばかり狂奔してゐる。
若造の純文学文士がしきりに呼号する「時代の不安」だの、「実存」(こんな日本語があるものか)だの、
「カソリシズムかコミュニズムか」だの、青年を迷はすバカバカしいお題目は、私にいはせれば悉く文士の
不健康な生活の生んだ妄想だと思はれるのである。
三島由紀夫「蔵相就任の思ひ出――ボクは大蔵大臣」より
義理人情に酔ふやくざと等しく、もつとも行為の世界に適した男は、「感性的人間」なのだ。日本的感性に素直に
従ふ男は勇猛果敢になり、素直に従ふ女は貞淑な働き者になる。
三島由紀夫「宮崎清隆『憲兵』『続憲兵』」より この世で最も怖ろしい孤独は、道徳的孤独であるやうに私には思はれる。
良心といふ言葉は、あいまいな用語である。もしくは人為的な用語である。良心以前に、人の心を苛むものが
どこかにあるのだ。
三島由紀夫「道徳と孤独」より
文化の本当の肉体的浸透力とは、表現不可能の領域をしてすら、おのづから表現の形態をとるにいたらしめる、
さういふ力なのだ。世界を裏返しにしてみせ、所与の存在が、ことごとく表現力を以て歩む出すことなのだ。
爛熟した文化は、知性の化物を生むだけではない。それは野獣をも生むのである。
三島由紀夫「ジャン・ジュネ」より
その苦悩によつて惚れられる小説家は数多いが、その青春によつて惚れられる小説家は稀有である。
三島由紀夫「『ラディゲ全集』について」より
愛情の裏附のある鋭い批評ほど、本当の批評はありません。さういふ批評は、そして、すぐれた読者にしか
できないので、はじめから冷たい批評の物差で物を読む人からは生れません。
三島由紀夫「作品を忘れないで……人生の教師ではない私――読者へのてがみ」より 男といふものは、もしかすると通念に反して、弱い、脆い、はかないものかもしれないので、男たちを支へて
鼓舞するために、男性の美徳といふ枷が発明されてゐたのかもしれないのである。さうして正直なところ、女は
男よりも少なからずバカであるから、卑劣や嫉妬やウソつきや怯惰などの人間の弱点を、無意識に軽々しく露出し、
しかも「女はかよわいもの」といふ金科玉条を楯にとつて、人間全体の寛恕を要求して来たのかもしれない。
三島由紀夫「男といふものは」より
恥多き思ひ出は、またたのしい思ひ出でもある。
三島由紀夫「『恥』」より
私は自分の顔をさう好きではない。しかし大きらひだと云つては嘘になる。自分の顔を大きらひだといふ奴は、
よほど己惚れのつよい奴だ。自分の顔と折合いをつけながら、だんだんに年をとつてゆくのは賢明な方法である。
六千か七十になれば、いい顔だと云つてくれる人も現はれるだらう。
三島由紀夫「私の顔」より 文学とは、青年らしくない卑怯な仕業だ、といふ意識が、いつも私の心の片隅にあつた。本当の青年だつたら、
矛盾と不正に誠実に激昂して、殺されるか、自殺するか、すべきなのだ。
青年だけがおのれの個性の劇を誠実に演じることができる。
青年期が空白な役割にすぎぬといふ思ひは、私から去らない。芸術家にとつて本当に重要な時期は、少年期、
それよりもさらに、幼年期であらう。
肉体の若さと精神の若さとが、或る種の植物の花と葉のやうに、決して同時にあらはれないものだと考へる私は、
青年における精神を、形成過程に在るものとして以外は、高く評価しないのである。肉体が衰へなくては、
本当の精神は生れて来ないのだ。私はもつぱら「知的青春」なるものにうつつを抜かしてゐる青年に抱く嫌悪は
ここから生じる。
三島由紀夫「空白の役割」より 今日の時代では、青年の役割はすでに死に絶え、青年の世界は廃滅し、しかも古代希臘のやうに、老年の智恵に
青年が静かに耳傾けるやうな時代も、再びやつて来ない。孤独が今日の青年の置かれた状況であつて、青年の役割は
そこにしかない。それに誠実に直面して、そこから何ものかを掘り出して来ること以外にはない。
今日の時代では、自分の青春の特権に酔つてゐるやうな青年は、まるきり空つぽで見どころがなく、青春の特権などを
信じない青年だけが、誠実で見どころがあり、且つ青年の役割に忠実だといへるであらう。
さう思ふ一方、私にはやはり少年期の夢想が残つてゐて、アメリカ留学の一念にかられて、鱶のゐる海をハワイへ
泳ぎついた単純な青年などよりも、アジヤの風雲に乗じて一ト働きをし、時代に一つの青年の役割を確立するやうな、
さういふ豪放な若者の出てくるのを、待望する気持が失せない。
やはり青年のためにだけ在り、青年に本当にふさはしい世界は、行動の世界しかないからである。
三島由紀夫「空白の役割」より 諷刺は人を刺し、おのれを刺す。
精神と精神との共分母にくらべれば、顔と顔との、単に目口鼻などといふ共分母は、それが全く機能的な意味を
しか想起させない、いかに稀薄な、いかに小さなものであらうか。われわれが、お互ひにどんなに共感し
共鳴しようと、相手の顔はわれわれの精神の外側にあり、われわれ自身の顔はといふと、共感した精神のなかに
没してしまつて、あたかも存在しないかのやうであり、そこでこれに反して相手の顔は、いかにも存在を堂々と
主張してゐる不公平なものに思はれる。相手の顔に対する、われわれの要請は果てしれない。
だが、要するに、私は顔といふものを信じる。明晰さを愛する人間は、顔を、肉体を、目に見えるままの素面を
信じることに落ちつくものだ。といふのも、最後の謎、最後の神秘は、そこにしかないからだ。
絶対的な誠実といふものはない。一つの誠実、個別的な誠実があるだけだ。
三島由紀夫「福田恆存氏の顔」より 役者の好き嫌ひは、友達にも肌の合ふ人と合はない人があるやうなものです。
美しい花を咲かせるためには塵芥が要る如く、芸術は多く汚い所から生れるものです。
三島由紀夫「好きな芝居、好きな役者――歌舞伎と私」より
歌舞伎はよく生き永らへてゐる。内容が古びても、文体だけによつて小説が生き永らへるやうに、歌舞伎の
スタイルだけは、おそらく不死であらう。
様式こそ、見かけの内容よりもつと深いものを訴へかけてゐる。
三島由紀夫「芸術時評」より
「潮騒」における思春期の設定は小説の道具にすぎず、私は人間の思春期なんか、別に重大に変へてゐない。
あの小説で私の書きたかつたのは、小説の登場人物から「個性」といふものを全く取去つた架空の人間像であつて、
そのためにわざわざ、遠い小島へ話をもつてゆき、年齢もとりわけ少年期の人物を選んだわけである。それなら
何故子供を書かないか? 冗談ではない。子供は少年よりもずつと個性的な存在なのである。
三島由紀夫「映画の中の思春期」より 中年や老人の奇癖は滑稽で時には風趣もあるが、未熟な青年の奇癖といふものは、醜く、わざとらしくなりがちだ。
三島由紀夫「あとがき(『若人よ蘇れ』)」より
われわれのふだんの会話を注意してきいてゐれば、すこし頭のよい人間は、物事を整理して喋つてゐる。筋道を立て、
簡潔に喋ることが、社会生活の第一条件といふべきである。心理的な会話なんて、さうたんとはない。頭のわるい
女だの、甘い抒情的な男に限つて、廻りくどい会話をするものである。
三島由紀夫「『若人よ蘇れ』について」より
人間のやることは残酷である。鳥羽の真珠島で、真珠の肉を手術して、人工の核を押し込むところを見たが、
玲瓏(れいろう)たる真珠ができるまでの貝の苦痛が、まざまざと想像された。このごろ流行のダムも、この規模を
大きくしたやうなものである。ダム工事の行はれる地点は、大てい純潔な自然で、風光は極めて美しい。その
自然の肉に、コンクリートと鉄の異物が押し込まれ、自然の永い苦痛がはじまる。
三島由紀夫「『沈める滝』について」より 外国の話は、その外国へ行つた人とだけ話題にすべきものだと思ふ。いはば共通の女の思ひ出を語るやうに
語るべきもので、人に吹聴したら早速キザになるのだ。
三島由紀夫「外遊精算書」より
ランボオとは、体験としてしか語られないある存在らしい。
絶対の無垢といふ、わかりやすいものを前にして、これほど仰々しい言葉の行列を並べてみせる、ミラア及び
西洋人といふものを、私はどうも鬱陶しく思ふ。この評論こそは、ランボオの呪つた文明的錯雑そのものではないか?
三島由紀夫「文明的錯雑そのもの――ヘンリ・ミラア作 小西茂也訳『ランボオ論』」より
いくら名だたる野球選手でも、水泳の名手でも、ゲーテの名も知らず、万葉集の何たるかも知らないでは一人前とは
いへますまい。私はそれと正反対の状況にありました。小説こそいくらか書いたが、肉体的には、レベル以下
ほとんどゼロでした。これでは一人前とはいへますまい。
三島由紀夫「信仰に似た運動――告知板」より 作者が自分の目で人生を眺め、人生がどうしてもかういふ風にしか見えないといふ場所に立つて書くのが、
要するに小説のリアリズムと呼ばれるべきである。
三島由紀夫「解説(川端康成『舞姫』)」より
私にとつての一つの宿命は、私が、「正当な論敵」の中にしか、本当の友を見出すことができない、といふ性癖を
もつてゐることである。
三島由紀夫「黛氏のこと」より
あらゆる年齢の、腐りやすい果実のやうな真実は、たとへそのもぎ方が拙劣で、果実をこはすやうな破目になつても、
とにかくもいでみなければわかるものではない。
死に急ぎの見本は特攻隊だが、それと同じ程度に、「生き急ぎ」もパセティックで美しいのだ。
三島由紀夫「はしがき(『十代作家作品集』)」より
芝居はイデェだ。
イデェなくして、何のドラマツルギーぞや。何の舞台技巧ぞや。何の職人的作劇経験ぞや。
人間の現在の行為は、ことごとく無駄ではない。そのうちの、未来に対して有効な行為だけが有効なのではない。
三島由紀夫「ドラマに於ける未来」より 男性が持つてゐる特長で、女性にたえて見られぬものは、ユーモアである。
ユーモアとは、ともすれば男性の気弱な楯、男同士の社会の相互防衛の手段かもしれないのである。
三島由紀夫「長島さんのこと――あるひは現代アマゾン頌」より
芸術家が自分の美徳に殉ずることは、悪徳に殉ずることと同じくらいに、云ひやすくして行ひ難いことだ。
われわれは、恥かしながら、みんな宙ぶらりんのところで生きてゐる。
死の予感の中で、死のむかうの転生の物語を書く。芸術家が真に自由なのはこの瞬間なのである。
三島由紀夫「加藤道夫氏のこと」より
表現の見地から見れば、食欲や飲酒欲は、エロや涙より、はるかに高尚な対象なのである。なぜなら、物を
食ひたかつたり、酒をのみたかつたりすれば、本を読むより実物を得るはうがたやすく、かういふ充たされやすい
欲望を、言葉で表現するといふことは、ティーターン的大業ではないか。
三島由紀夫「誨楽の書――吉田健一氏『酒に呑まれた頭』」より 僕は青春の花のさかりの美しい男女にいつも喝采を送る。ある年齢の堆積から来る美といふものも、わからぬではない。
しかしそれは女に限られてゐる。自分の母の年齢までの女の美しさは、みんなわかるつもりだ。母が七十になれば、
僕には七十の老婆の美もわかるやうになるだらう。ところで、男の年齢の累積は美しくない。それは男が成年期に
達すると、単なる男から、一個の抽象概念としての「人間」に脱皮するからであらう。世間で男ざかりなどと
いふのは、主としてこの後者の意味である。女はこれに反して、いつまでたつても女だ。女は第一お化粧をするから、
いつまでも美しいわけで、生地のままの男のはうが青春のさかりは短いのである。これは世間の定説に反した私の
確信ある学説で、世の女性に捧げる福音である。アレキサンダア大王が、死ぬまで、二十歳そこそこの自分の
肖像しか作らせなかつたといふ伝説は、古代ギリシャの知恵が、このマケドニヤの大帝の中に生きてゐた証拠と思はれる。
三島由紀夫「美しいと思ふ七人の人」より レトリック的にはブローティガンとかあの変のアメリカ勢には劣るね、三島由紀夫 人間は好奇心だけで、人間を見に行くことだつてある。
三島由紀夫「奥野健男著『太宰治論』評」より
小説は芸術のなかでも最もクリチシズムの強いものだ。
三島由紀夫「文芸批評のあり方――志賀直哉氏の一文への反響」より
神を信じる、あるひは信じないことと、神を持たないといふことは、おのおの別の次元、別の範疇に於ける
出来事なのである。従つてそこには同一次元上の対立といふものはありえない。
神を持つ人種と、神を持たぬ人種との間に横たはる深淵は、芸術を以てしては越えられぬ。それを越えうるものは
信仰だけである。(日本古昔の耶蘇教殉教者を見よ)。
信仰にとつては、黄いろい人白い人といふ色彩論が何の値打があるか。神があるだけである。芸術にとつては
黄いろい人白い人といふ色彩論が何の値打があるか。人間があるだけである。アメリカの黒人問題を扱つた小説は、
すべて具象的で、人間的である。
三島由紀夫「小説的色彩論――遠藤周作『白い人・黄色い人』」より 芝居の世界に住む人の、合言葉的生活感情は、あるときは卑屈な役者根性になり、あるときは観客に対する
思ひ上つた指導者意識になる。正反対のやうに見えるこの二つのものは、実は同じ根から生れたものである。
本当の玄人といふものは、世間一般の言葉を使つて、世間の人間と同じ顔をして、それでゐて玄人なのである。
三島由紀夫「無題『新劇』扉のことば」より
大体私はオペラをばからしい芸術だと考へてゐる。オペラの舞台といふものは、外国で見たつて、多少、正気の
沙汰ではない。しかし何んともいへない魅力のあるもので、正宗白鳥氏流にいふと、一種の痴呆芸術の絶大な
魅力を持つてゐる。
三島由紀夫「『卒塔婆小町』について」より
今日、伝統といふ言葉は、ほとんど一種のスキャンダルに化した。
どんな時代が来ようと、己れを高く持するといふことは、気持のよいことである。
三島由紀夫「藤島泰輔『孤独の人』序」より