トラウマ告白スレ2
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思いきって自分のトラウマを書き込んでみるスレです。
レスが無くても必ず誰かが見てますから。。
前スレ:トラウマ告白スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/lifesaloon/1170655711/ 511 :本当にあった怖い名無し:2012/01/07(土) 15:47:20.39 ID:Ufh+OISr0
少し重い部分もあるので嫌な方はすいません。
フェイク入れてます。少し長くなりますが復讐できたのでお付き合い下さい。
小学校中学年くらいの頃から暫くの愛だ、10歳離れた従兄弟に性的なイタズラを受けていた。
今思えば、叔母も性格がかなり歪んだ毒親で、離婚して従兄弟を連れて出戻り。祖父母宅に同居。
別居していた私達家族は、ほぼ毎週末
に祖父母宅にご飯を食べに行く事になっていて、従兄弟にイタズラをされていたのはその時。
イタズラの内容は、本当にテンプレートな性的なもので、回を重ねる毎にヒートアップ
怖い嫌だと言う気持ちはあったのが、従兄弟は感情の振れ幅がすごく
急にキレて怒鳴ったりものを壊したり叩いてきたりと、恐ろしくて逆らえずにいた。
しかしある時に、その性的なイタズラに私の兄を巻き込み、兄にもそれをやれと言った。
兄は途中で怖がって逃げ、私も泣き喚き、その後従兄弟と二人きりにならないよう親にべったりくっつくようになり
従兄弟もまずいと思ったのかイタズラはなくなった。
512 :本当にあった怖い名無し:2012/01/07(土) 15:49:23.30 ID:Ufh+OISr0
中学に上がる頃、色々あり従兄弟にイタズラをされていた事を両親に告げた。
両親は、その後従兄弟に確認したが、やってないと言いやがった。
大事にしたくないのかそれ以上何もなく、兄にも確認したら見ていた筈の兄も知らないと言う。
それから何故か私が虚言癖だと言われて、何も信用されず精神も病み、病院にも暫く通わされ、いつか従兄弟と両親と兄に復讐ようと決心。
私は家族関係全てと疎遠になり、月日は経ち、従兄弟が塾講師になったのと、結婚して娘が一人、もうすぐ二人目の娘も生まれるのを知った。
ぶち壊そうと思った。
それから、従兄弟の職場や、住んでいる場所、嫁の実家、子供が通う幼稚園などを調べられる範囲で調べた。
まずは、職場に「◯◯さん(従兄弟)は女性にイタズラするという噂を聞いたんですが、子供達は大丈夫なんですか!?」と保護者のふりして電話。
小学二年から中学卒業まで、上の兄から性的虐待受けてた。上の兄の結婚式の時に、両家の親族、友人達の前で暴露してやり、結婚駄目にしてやったw
虐待を知りながら助けてくれなかった母親の事も暴露し、母親も親戚一同から絶縁宣言されたwww
ざまぁみろwww
>>48
実話だとしたらよかったね。
「いじめられたからこそ本当に優しい人間になれる」みたいな意見があるけど、あれを信用し過ぎちゃいけない。
相手に多少なりとも後悔させなきゃ絶対救われないと俺は思う。 >>42
高校になるとそれなりに大人だからな
中学でやられるとのちの人生に響くことが多い 学生の頃、バスや電車で通うのが夢だった。
実際にその時が来てから〜毎日「じぃ〜」と舐める様に見る気配が・・・。
怖がったりすると余計に近付いて来るので無表情を作りガマン。
怖キモかったけど友達が一緒だったので何とか過ごせた。
女の子らしさを無くし、髪も短くし、スカートは辞め、サバサバしていれば大丈夫と思っていました。
それでも大人になって、後を付けられたり、隠れてジロジロ見られたり・・・。
今の所、害までは無いので『気にしない』と心で唱えている内にポーカーフェイスに↓
自分から好意を抱いた異性しか受け付けないようになってしまいました。
治したいなぁ〜。
学生時代居間でテレビを見てたりすると
兄貴に顔を至近距離でじぃ〜と見られ
反抗すると皮肉られたりするので無表情で我慢していた
あの時期の不快感は今思い出しても無くならない 高2ぐらいから3年程メールと無言電話の嫌がらせが毎日きた。
電話は携帯だけに止まらず家電にまできた。その当初はメールのブロックが出来なかった。
そのお陰で未だに着信音履歴やメールが溜まっていると気分が悪くなる。着信音が嫌いで常にサイレントモード。 >57
そう言ってやるなよ。
トラウマほじくり返してんだ、理路整然と語るってわけにはいかんだろ。 小学生くらいのころ、近所の中古ゲーム屋にゲームソフト買いに行ったら、
汚らしい格好をした50歳くらいの夫婦がドリームキャストとポケットステーションを売ろうとしてた。
ゲーム機自体の状態もかなり悪く見えたし、箱とか取扱説明書は当然ない。
買取金額が満足行かないのか、よくわからない日本語で怒ってたのがなんとなくトラウマ。
どういう経緯で入手して、どういう経緯で手放すことになったんだろうか。 >>30
同じだ・・・。
背後からの痴漢にあってから、後ろに人が立つのがダメ。怖い。
小学校の時に下半身を触られ、逃げても密着したままついて来た(人がたくさんで
うまく走れなかったんだ)
お祭りでの出来事だったけど、私は行きたくないと言ったのに母が無理やり連れて行ったんだ。
おかげで母もお祭りも嫌になった。 子供の頃、シャッターみたいになっている電子オルガンのフタ?をガラガラ開けたら
いきなり轟音が鳴り響いて腰を抜かした
しかも全く同じ事が二回もあったので、電子オルガンを見るのもイヤになった 俺は>>57みたいな、ボソッとしたイヤミに弱い…
母親から、いろんな場面であんな感じの言い回しをされたからかも。
だから、>>58さんみたいな感性で人に接するように心がけてます。
>1 だから学校にいかなかったら?とか、学校がなかったら?とか
あの職場にいってなかったら・・と そ う 単・ 純・ に』
考えれる事ができればいいんじゃないかな? あるSNSである男と知り合った。(露骨な出会い系ではないけど)
二人とも彼氏彼女がいなかったし、意気投合して、メール交換していた。
写メ送って「かわいいね」と言ってくれた。あの時は束の間の幸せだった・・・
当然、「そろそろ会おうか」という流れになって、いざ会うと、彼の様子がなんかおかしい。
サーっと、潮引くように冷めた顔で、頻繁にスマホをいじり、こっちをあまり向いてくれず、まともに会話してくれない。
明らかに私にがっかりしている。
そして別れ際「やっぱ無理、何か違った」と言い放って、行ってしまった・・・
あたし、ふられたんだ・・・ なんでかな・・・そりゃ、初めて会う時には緊張したけど、写真はすでに見せてるので、
そんな展開は「想定外」だった・・・
そんな・・・10年前の写真送ったわけでも、他人の写真送ったわけでもないのに・・・
実物見た途端「やっぱ、無理」って何だよ?
それからすっかり自信喪失し、とりあえず、連休中に行く予定だった同窓会は無断欠席してしまった・・・(幹事、ゴメン)
彼の冷めた顔、スマホばかりいじって私に背を向けっぱなしだった会っていた時間、「やっぱり無理」の捨て台詞・・・
何度も何度も、ナイフのように突き刺さる・・・ >>66
そいつにとっては「無理」だったのかもしれんが、そいつの態度のほうが「無理」だ
そんなやつに好かれなくてよかったと思え
トイレの中でごきぶりがはいずりまわっていたのをみたときは便器の裏側をチェックするほどのトラウマがだな・・・ 深夜に帰宅してドアの鍵をかけた瞬間
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!!!!
引っ越しました(´;ω;`)一体何だったんだろうか… >67 ありがとう、少し元気が出た・・・ ついでにその人には、フェイスブックの友だち登録削除されてました。
(検索すれば出てくるということはブロックではない、これがまだ救い) 小学1年の時休み時間校庭で遊び中前日の雨で遊具が濡れていたので
パンツがビチャビチャに。困って担任に報告したらそういう時用に保健室に
替えのパンツがあるらしく二人で保健室に。担任がカーテンを指さし
この中で着替えなさいと言ったので一人でカーテンにくるまって着替え始めた途中
ふと上を見ると担任が覗いていた。自分は女担任は男だったけど当時も
今も別にショックではない。ちゃんと着替えられてるか確認してくれてたのかな?
ぐらいの気持ちだけど覗いていた顔と出来事が忘れられない なんで話がかみあってないのか、きちんと説明したのに
自分は悪くないといまだに思ってるB型マン。
とりあえず、終始ニヤーっとこっちのほうみてくるのは、直らんでしょうな・・
トホホ。 あなたがトンチンカンなことを言ってる可能性もある。 トラウマがあってここに書き込もうとしたけど、切っ掛けになった出来事を
ここに明確に記そうと書き出したけど、気分が悪くなってきて掛けなかったわ。
あの日の出来事を境に、眠ていても目を覚ますことが度々あるし、何かの物音が
あの時の音と錯覚する・・・
でもトラウマを抱えた俺よりももっと辛いのは、彼女の方だろう。 小五の時に水泳が得意で近県と合同のそこそこ大きい大会の本戦まで出場できた
だが緊張のあまり飛び込みで水飲んで失神、失格
更に間の悪いことに一緒に出場した弟(一つ下、俺より大分遅い)が入賞
以降も弟に負けたことは無かったが、通ってたスイミングスクールのコーチが
「おまえ試合に苦手だからな。無理させてごめんな」
と以降代表選考から俺を外されて二度と声掛からなかった
代わりは大体弟
いや挽回したいんでとか言っても危険だからと競技参加は禁止
そのうち自分でも競技スポーツ参加すると危ないと思うようになってオワタ
今でもスポーツとか限定好きだけど勝敗付く種目には参加できない 妹がスカトロ系のAV見ながらオ○ニーしてたの視てしまったのが
38年生きてきて断トツで一番のトラウマ 中3のとき、塾の先生に呼び出されて何かと思ったら
抱きつかれた。前から好きだったらしいがそんなの知らん。
今も男女関わらず抱きつかれたり触れられたりするのが嫌。
高校受験のとき志望校が自然と女子高になったり、
大学受験のときも女子大選んだりしてしまった。
男ってものが汚らわしく思えてしまって。
でも結婚はした。そのひとも性的なことが嫌い。
プラトニックラブって本当にあるんだとびっくりした。
今は手を握るとかは平気になった。 トラウマとはちょっと違うけど
2年前の冬に母親が死んだ。大好きな母親だったから、正直死にたかった。
それ以来なんていうか人の死っていうものに敏感になってしまった。誰かと一緒にいてもどうしてもそいつが死んでしまったらとか想像してしまう。
そのでいで彼女と別れて以来、友達すらあんまり増やさなくなったな。 最近きついので吐き出させて下さい。長文ですみません。
彼氏から性的いたずらや暴力暴言を受けた時期があった。好きだけど恐怖心があり、されるがまま涙を流すがままに4ヶ月くらい過ごした。
同棲状態なのに彼はほとんど自分のお金を出さなかった。服を脱げって言われて、私が作った食事を私の体にぺたぺた付けて遊ばれたり、裸で縛られて一日放置されたり、携帯電話を壊されたりした。何かと理由を付けて睡眠を削られるのはきつかった。 続きます。
私に二、三十錠の薬を飲ませて以来、彼はそういうことをしなくなったけど、
少しの暴言を聞いたり、少しでも見下したような態度を取られると、今でも一瞬でこの記憶を思い出す。人に見下ろされる構図で、土下座させられたときの屈辱を思い出す。自分の体が汚らわしく価値のないもののような気がする。フェラも屈辱的だからやりたくない。
自分が彼にすることにいちいち対価を約束させるようになってしまった。あと、負の感情が抑えられなくなった。毎回自分の体を抱きしめて涙が止まらなくなる。そしてめんどくさいと言われる(´・_・`)
トラウマにしては軽度な方かもしれませんが、9ヶ月経っても記憶が鮮明なままで、自分にとってはきついです。 >>81さんに比べたら大したことないけど誰にも言えないからここで言わせてください
幼稚園の頃、お昼寝の時間があって下着姿で寝るのが決まりだった
布団を敷こうと押し入れの中に入ったら、押し入れを閉められて男子2人に手足押さえつけられて下着をはぎ取られそうになった
「早くパンツ脱がせろ」って言っててすごく怖くて必死にもがいて押し入れから出た
今思えばそれが男性不信のきっかけだったのかも
あとは母親の不倫相手との最中見ちゃったり、痴漢されたりとかで男って生き物が気持ち悪くてしょうがない
痴漢のせいで鼻息荒い人も怖い
家の中で動物の糞らしきものを発見したので、台所にねずみほいほいを仕掛けておいた。
夜中に台所からガサガサと音が聞こえたのでドアを開けたら、
入り口付近のほいほいにネズミがかかっていた。
ネズミは私の顔を見上げて「ンギャーーーー」と叫んだ。
威嚇というよりも恐怖の目をしていた。怯えていた。
粘着シートにひっかかっていて逃がす事も出来ないので水攻めで頃した。
実はほいほいを仕掛ける前に、
窓を開けたり逃げ道を作ったんだけど逃げなかったので、ほいほいを設置したんだ。
汚部屋ほどではないけど散らかった家にしていたからネズミが来たんだと思う。
激しく後悔した。
未だにあの目、叫び声を思い出す。 小学校5年生の時みんなでクラスの歌を作った。
できあがってじゃあみんなで歌おうってなって、わたしがエレクトーンを習ってたからいきなり前に出てオルガンで弾くことになった。
わたしはめちゃくちゃ気が小さいヤツだったので、緊張のあまり何度も間違えてたら、
クラスの男の子の一人が下手くそー!引っ込め!と鉛筆を投げつけてきた。
そしたら何人かが一斉に罵声を吐きながら鉛筆やら消しゴムやら投げつけてきた。
それ以来人前で楽器を演奏したり歌を歌ったりしようとすると、あの時のみんなの顔が浮かんでガタガタ震えてしまう。
エレクトーンの3級の試験も震えてしまってまともに弾けなくて、3回受けたけど3回とも落ちてやめてしまった。
もう何年も昔のことだし、べつに音楽でいいかっこしようとしなければ日常でそんなに困ることもないけど、やっぱりどうしても音楽が好きで、最近になって縁があってギターを始めた。
根性で練習を重ねたら、トラウマなんてねじ伏せられるかなんて思ってたけど、やっぱりまた負けそうで悔しい。
今度こそ負けたくないんだけど、どうしたらいいのかわからなくて。 >>84
ねずみがほいほいに引っ掛かって
盛大に血下痢を噴射して死んでるのを見たことを思い出した 茶髪ロングの後ろ姿が20代の女に声を掛けたら、30後半のババアだった。
しかも地味ブス。 中学生の頃、行き先が被っただけでストーカーと言われた
自意識過剰にも程があるわ。女が女をストーカーするかっつの 宿題
小1の時に真面目に宿題して担任に提出したが、
その担任がキチだったから殴られて以来宿題をするということが出来ない。(一回ではない)
宿題をしようとすると手が震えて字がちゃんと書けなくなる
誰もわかってくれないからリハビリしようにも出来ない テレビにも出ていて皆が知っているような有名人と
サシで仕事をすることになった。
初めての打ち合わせで店にその人が入ってくるのを見た時
頭が真っ白になり・・・そして・・・(泣)
「何も覚えていない」と言いたい所なのだが 結構覚えているところがまた生殺しだ。
有名人さんは大人の対応で優しくしてくれたが
マネージャー(女)の「心のそこから呆れてます」という顔が忘れられない。
間違いなく一生トラウマとして残る。 こっちの個人情報調べた人に逆にストーカー扱いされた。
どっちがストーカーだ!
こっちはあんたのこと何も知らないんだよ!
ふざけんな!
これだけ人を心底大嫌いになれたのは久しぶり。 大したことじゃないかもけど、小6のとき下級生の男子に乳鷲掴みにされてそのときの男子のニヤッとした顔が気持ち悪すぎて、性に対して嫌悪感しか湧かなくなった >>95
劇の出番待ちのサポートで薄暗い中その子の隣にいて移動できなかったししゃべっちゃダメだったからその状況もあるのかもしれない
わたし心狭いよな…近所で毎日顔合わせてた子で突然だったんだ 旧エヴァ劇場版で2号機が量産機達に食われるシーン
周りの人達は「うわーきめえw」くらいの感じだったけど、自分は本当きつかった
搭乗者のアスカからすれば、自分と一緒に母親を食われてるわけでしょ
せっかく母親に見てもらえてるって覚醒したのに、その直後にあの仕打ちは辛過ぎる
内臓を食い千切られながら天に手を突き出して串刺しにされまくるシーンも、
その後初号機が出た時に量産機達が目玉の飛び出た2号機の頭とかくわえながら飛んでるシーンも、
全てがきつかった 中学生の時、母を火事で亡くしている
最初は煙が充満する程度で、2階の自分の部屋で通帳と現金を手にし親父と一旦外へ
母を探すと自分の部屋の前に立ち入ろうとしているところだった
1階の居間に火の勢いが見えたので、玄関から階段上に向かって早くうぅー!!と叫んだ
その瞬間に物凄い勢いで炎が回りだした
自分は恐怖から、一人裏の土手を駆け上がり河川敷から燃える家を見下ろしていた
母は逃げている、大丈夫…と思った瞬間、玄関から炎に包まれた黒い影がヨタ、ヨタ…と出てくるのを見た
弾けるように河川敷を駆け出した。後ろから妹の「おかあさんの手を取ってあげてェー」という
絶叫が聞こえた。
夜が明けて隣町を泣きながらうろついていた自分は警備員につかまり、帰ったが
母の遺体も顔も最後まで見ることができなかった。
この時期、日が落ちるとふいに思い出して足が震えてくる
多分、母さん俺の上着を取りに部屋へ向かったんだろうな 他スレのレスコピーして置きます。
俺んちの田舎、在日朝鮮人学校があるんだわ。で、そういうところって必ず朝鮮人部落ってのがあるんだよね。
朝鮮人なんかが犯罪犯してそこに逃げ込まれると、警察も手出しが出来ないくらいの暗黒街なんだわ。
親から『あの近所には絶対近づくな。どうしてもあの近所に用があるときは、包丁でもなんでもいいから、必ず武器を持っていけ』
って言われたくらいだからね。俺が小学校高学年の時かな。
下校途中の中学生の女の子が、在日朝鮮人学校の生徒にレイプされる事件があったんだよ。
たまたま一緒にいたクラスメートの男子が助けに入ったんだけど、彼はバットか何かで頭を殴られてしまったんだ。
女の子の方は、部落に引きずり込まれてさんざん嬲られた挙句、あそこに電球つっこまれて、それが中で割れちゃっててひどい事になっていたらしい。
結局、頭を割られて血まみれになったクラスメートの男子と一緒に、ほとんど全裸で通りに放り出されていたのを通行人に助けられたんだ。
頭を割られた男の子は、頭蓋骨陥没骨折と脳挫傷で3日後に死亡、
女の子もレイプされたショックから立ち直れず、半年くらい後に、『お母さん、ごめんなさい』
って遺書を書いて自殺しちゃったよ。
俺はその時、子供ながら
『何で、あの女の子が“お母さん、ごめんなさい”なんて書いて自殺しなきゃなんないんだ?悪いのはみんな在日朝鮮人だろう!!』
って、物凄い怒りを覚えたよ。
警察も動いたけど、結局、部落には踏み込めなかったよ。
最後に警察が掴んだ情報は、『犯人は総連にその日のうちに保護されたもよう、2〜3日後に総連の保護のもと、北に逃げたと思われる。』
という情報だけだったそうだ。
女の子が自殺して二年くらい経った時かな。
被害者の遺族あてに差出人不明のいやがらせの手紙が届いたんだ。
内容は『お前達の息子を殺し娘を犯した者達はわが祖国で労働英雄となった。いい気味だな日本人』という内容だったそうだ。
結局、被害にあった家族はみんな町を捨ててどこかに引っ越していった。
(例の日本人小学生を斧で殴った朝鮮人も無罪になりました。) 子供の頃からボケッとした子だった。
小学6年の時、家の近くで野良猫と遊んでたら、知らんおっさんから
名刺を見せられ、五千円あげるから写真を撮らせてくれと声をかけられた。
写真位なら別にいっかと思って承諾したら、
人の通らないアパートの階段に連れていかれ、
階段に座って一枚、ズボンとパンツ下ろされ一枚撮られた。
訳がわからなくて、でもこれはおかしいことをされてると思って
抵抗しようとしたけど出来なかった。
報酬は千円だった。暫く混乱して動けなかった。
この間、テレビで子供の性的被害について特集してて、一気に思い出した。
家族にも彼氏にもいってない。
このまま墓まで持っていくつもり。
異性に接触するのに嫌悪感あるけど、
彼氏にだけは不思議とそれがないのが救いだと思ってる。 114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 20:39:53.67
朝鮮学校に通った(※反日ではない)在日の知り合いの話では、こんな感じ。
・朝鮮学校は、生徒を反日思想家として育成する機関
※教師は全員、極度の反日思想家
※神格化された北朝鮮の指導者に、忠誠を誓わされる。
・朝鮮学校に子供を通わせる親も、かなりの反日思想家。
※「反日でない在日の親」「反日でも貧しい在日の親」は、子供を日本の公立学校に通わせる。
※朝鮮学校の生徒は、親がパチ屋や土建屋の経営者など、比較的金持ちが多い。
・祖国がいかに素晴らしく、朝鮮民族がいかに優秀であるか、教師達によって刷り込まれる。
※刷り込みを強化するため、日本人は「害悪」「朝鮮民族に遠く及ばない劣等民族」として教えられる。
・日本のことを少しでも肯定的に言うと、非国民や逆賊として、教師や模範生徒から猛烈に叩かれる。
※日本のアニメは面白い、日本は清潔だ、日本の報道は正しい、など
・情報が豊富な日本で暮らしている在日の子供達は、教師の嘘がなんとなく分かる。
※しかし、教師や親に逆らうことができず、少しずつ反日思想を刷り込まれる。
結局、朝鮮学校生徒の多くは、反日思想家として卒業していくそうだ(^o^)ノ 自分は3歳の時におじさんにいたずらされた記憶がある
女しかいない家族だったし、それ以来おじさんには近づかないことにしていた
私は子供の頃は可愛かったので、電車に乗ると「おじさんの膝にお座り」
とよく言われて、母は薦めたが私は断固拒否。
3回も5回も薦められては断っていたが、母のしつこい説得に負け座った
ことがあるが、その時内股を触られて、悪意は無かったのかも知れないが
母に報告したらおじさんの方を疑いのまなざしで見たので、
子供心にこれは良いと思って素直に座っては「触られた」と母に報告した
ずいぶんな痴漢テロだが当時はそれしか方法が思いつかなかった
ある日同じようなことをまだ若い男性にしたら「自分は絶対にやってない。
この子は何でそんなことを言うんだ」とトラブルになり
嘘なのは確かだったので「ごめんなさい」と謝った 男の人はかんかんだし、お母さんも「なんでそんなこと言うの!」と
ご立腹だったので、私は分かってもらえないストレスMAXで大泣き。
「だって嫌だったんだもん、嫌だったんだもんー!」
すると60代ぐらいのおじさんが「うるさいクソガキ!黙れ!」と
怒鳴ったのでびっくりして泣きやんだ
「(母に)お前もお前だ!嫌や言うのを無理強いするからこんなことになるんだ!」
(男性の時も1、2回拒否はしている)
おじさんが言いたいことを言ってくれたので「ありがとうございます」と
頭を下げたら思いっきりげんこをくらわされて大泣き。
若い男性が子供に対する暴行だと言い、母とともに駅員さんのところへ
母はぐずぐず泣いて、「大丈夫?」と聞いたら「あんたのせいだろ!」と
また頭どつかれた
家に帰って婆ちゃんは頭のコブを見つけて母を問いつめてた
なんかこういう思い出が妙に頭をぐるぐるして寝付けない日が多い 結婚するときに母親が「本当に必要な物だけ持って行きなさい」というので
着替えや好きな本や思い出の品を少しだけ持って行った
卒論や、祖父母が旦那とセットで買ってくれたファービーや小物を持って行こうとしたら、
それは置いていきなさいというので素直に従った
残された荷物は箱にしまえと言われたのでどうするのかと聞いたら、
レンタルボックスを借りているのでそこにしまうという
母親は厳しく、逆らうと心身共に痛めつけられて来たので逆らうという発想はなかった
なので、母親の言うことを無条件に信じて大切な物を箱にしまって結婚した
帰省した正月にファービーを連れて帰ろうと思ってレンタルボックスの場所を聞いたら
「レンタルボックス?そんなものわざわざ借りるわけないじゃない」
「これでずっと溜め込んでいた要らない物を処分できたでしょ?」
そう母親に笑いながら言われたのが今でもトラウマ
ファービーのコピペを見ると、買ってくれた時の祖父の笑顔や
双子みたいだねと喜んでくれた旦那の笑顔が思い出されて涙が出そうになる よく兄にいたずらされていた。
両親が働き詰めで、晩御飯はいつも二人だった。
中学2年のある日、ご飯の準備中に突然押し倒された。色々されて泣き叫んだ。
兄は、お願いお願い!とずっと言っていたが、あまりに私が抵抗するからか、
諦めたが、夜這いは何度もあった。
怖くて寝たふりをして、挿入までされそうになったが、体制を変えて回避していた。
いずれ兄は進学のため家をはなれたが、あの恐怖は何度もフラッシュバックする。
今は仲がとてもいい兄妹、家族という設定なので、誰にも言えず、性に対する嫌悪感がずっとある。
気持ち悪い。 中学の頃イジメにあって、小学校から仲良くしてたグループからもはぶられた
その時嬉々としていたグループの一人が仮にAとする
仲良くしてたグループ自体は私に同情的だったみたいで
通りすがりに「ごめんね」とか言われてた
その子達(A以外)からは高校時代に謝罪があった
で、高校卒業してみんなすぐ就職したんだけど
就職先でうまくいって無いようすのAからすごく高圧的な、こちらを下に見た
物言いの電話があって、そっけなく返したら
私の悪口を仲間内で触れ回ったらしい
「私を悪く言ったって本当なの」電話が仲間内で2回あった
近所で会ったけどものすごいデブになったAは仲間と一緒でも振り向きもしなかった
その小学校友達の縁は以来切れている
関係ないけど久保真由美さんお元気ですか
あなた本当に性格悪いですね、いや関係ない人だけど 吐き捨てる。
結婚が決まった年のこと。
タイミング悪く、その時両親は喧嘩して冷戦の真っ最中だったのですが
結婚までの一年は自分なりに家族との交流を大切にしてました。
とある日、父親以外の家族で花火大会に行き、帰りに外食。
普通に会話していたはずが、何故か途中から自分の悪口大会に。
思えば母のストレスのはけ口が私だったのでしょう。
あまりのショックに記憶を封印してしまったのか、何を言われたのか記憶があやふやなのですが、
母の「この子はこういう子だからねっ!!」の一言だけは覚えてます。
現旦那の存在がなかったら確実に死んでた。
今は母とも当たりさわりのない関係ですが、あの日の事は一生忘れられない。
将来介護が必要になっても絶対看ない事を心に固く決めている。 母親って、子供に幼い頃すごく必要とされた経験が抜け切らなくて
子供が二十歳過ぎても自分が最重要人物だってうぬぼれるんだよね
でもそうじゃないケースは多くて笑えるんだけど 気の毒にな 思い出したくないことは封印する。
封印しないなら、カウンセリングを受ける
しかしろくなカウンセラーがいない うちの母親は「長生きしなくていい、70くらいで死にたい」と
ちらちらこちらの様子をうかがいながら言うのを何度も繰り返している
図に乗った哀れな女
早く死んでくれ 私が妊娠してた時のクズ旦那の行動全て。
奴隷扱いだけじゃなくSNSで女漁ってましたよ。
色んな人に「二人目マダー?」って聞かれるけど
トラウマすぎてもう妊娠なんて無理。
それ以前に生理的に受け付けなくなった旦那との子作りが無理だけど。 付き合ってから本性出た奴が最悪だった
普段はおとなしく理知的なんだが、自分の気に食わない事があると…
・見事な1ビット脳でTPOや常識に照らし合わせた判断ができず、明らかに自分にも非があっても認めず人格否定に入る
・公共の場で声に出して在日B草加をこき下ろす(電車の中で死ねばいいのに連呼)頭で思うのは自由だが人前で口にするのはどうかと咎めても聞かない
・謝っても許さない、何時間でも夜中でも構わず自分の怒りがおさまるまで怒り続ける
(次の日に仕事があるのに夜中0〜4時まで延々ループ説教)
・出先では常に自分について歩かないと怒り、待ち合わせで待つ事やはぐれて周囲を探すことを極端に面倒臭がる
・うまく聞き取れなかった事を聞き返すと怒り、欠陥扱いする
あまりに罵倒され追い詰められるので、自分が人間として未熟であり悪いのかと混乱さえした
その反面気持ち悪い甘えモードもあり、頭ナデナデして〜、足かゆいの〜お薬塗って〜、床でジタバタなど幼児退行に近い言動が増え(32歳)気持ち悪くなり別れた
あれは悪夢だった
別れた後は本当に清々しく、景色が色づいて見え、食べ物も美味しくなった モラルハラスメントというあまり有名ではないやつが 父がそうで 自分がないというかそんな風に育ってしまった 吐き出したいので長くて申し訳ない。
幼稚園ぐらいの頃。
物心ついた頃から家族から虐待紛いのことをされていた。
その上妹といつも比べられたり、姉だから我慢しろと、欲しいものも買って貰えず、
子供ながら精神的に極限まで追い詰められていた。
そんな時、よく行くスーパーで一口サイズのナタデココゼリーを見つけた。
大抵欲しいと思っておねだりしてみても怒鳴られるだけなのはわかっていたけど
そのゼリーがとても美味しそうに見えてどんなものよりも欲しいと思ってしまった。
案の定買ってとしつこくせがんでみたものの、高いから駄目だと言われた。
何度お願いしても駄目で、
その時、どうしていつも我慢してるのに買ってくれないんだろうとか、私の気持ちを聞いてくれないんだろうとか
自分の中で何かが弾けてしまった。
ふとコーナーの横にゼリーの見本が乗っているのに気付いた。
小さなテーブルに透明なカバーが被せられていて、今でいう試食コーナーみたいな感じだったけど
明らかに見本で、食べてはいけないことは分かっていた。
でももう我慢が出来なくて食べてしまった。
最初は罪悪感でいっぱいだったが、そこのスーパーに行く度に人目を盗んで食べる内にそんな気持ちも薄れていった。
ただ、ずっと不安感はあって、もし見つかったらどうしよう、なんて言えばいいんだろうと精神的にかなり不安定だった。
そして別のスーパーに行った帰りの車の中で、母親から問い詰められた。
あの時の遠回しでねちっこい言い方が、まだはっきりと覚えている。
謝りに行こうと言われて、実際そうしたんだろうが覚えていない。
それから人前で物を欲しがったり、食べたりする行為が極端に嫌になった。
給食でいただきますをしても周りが食べ始めないと食べられない
お菓子を貰っても素直に喜べない(盗ってしまったように感じる)
今も貰ったお菓子は食べずに捨ててしまう
勿体ないっていう罪悪感より、食べてしまう罪悪感のほうが大きい
あれから20年以上経ってる筈なのにいまだにフラッシュバックする。 母親の再婚相手に虐待されてた。頭から袋を被せられて手足縛られて、木刀や鉄板で動けなくなるまで殴られた。
一年続いた。ボコボコにされてチンコ切られて、シーツみたいのにくるまれて、夜中に海岸に捨てられた。
知らないオッサンに助けられて、入院。
入院した病院の看護婦に犯された。 何かよく解んない物もいっぱい飲まされた。
祖母が捜索願出してたらしくて、施設には行かずに済んだ。
小学校通い始めて、友達の家に遊びに行くようになった。
同世代の友達なんて初めてだから、凄く嬉しかった。でも友達じゃなかった。
3年生になった時に、その友達の姉と、恐らく友人らであろう人達に、悪戯された。
犬みたいに順番に舐めさせられて、小便を飲まされた。 犬のマンコも舐めさせられた。
「アンタんちに火を点ける」みたいな事を毎日言われた。怖くて誰にも言えなかった。
10何年と経ってるけど、暗所と束縛が未だに怖い。女と視線を合わせられない。 自分も男の人と付き合っても体求められると駄目で、婚約者にも逃げられた。
友人の薦めでカウンセリングを受けたら、昔の記憶が蘇った。
私が小5の時母が再婚。新しいお父さんはスーツ姿のカッコイイ人だったんだが
何故か執拗に私と風呂に入りたがった。
小5ともなれば流石にそれは嫌だったから、断っていたんだが
母から「仲良くなる為に我慢しろ」と無理矢理入浴させられた。
そこで身体中舐め回され、大事な所に指を突っ込まれ「まだ狭いな。もうちょっとしたらできそうだ」と言われて痛いわ気持ち悪いわで風呂から逃げて母に助けを求めたら
「ちょっとこっちにおいで」と奥の部屋に連れていかれそこでとんでもない事を言われる。
「あんたが我慢すれば、母さん社長夫人でいられるの。お父さんに何をされても耐えなさい」
その後の記憶はないが、中3の時こっそり貯めた小遣いで、私に優しかったおばあちゃんの家に行ったのは思い出したから多分逃げたんだろうな。
これで母が私に異様に冷たい理由も納得が出来た。
まだカウンセリングは続いているが、なんかもう一生独身でいいかと思っている。 いつも他人の凄いことを持ちだして嫉妬させようとしてくる母親
逆に自分が凄いことをすると「この街で○○する人なんかいないよね」とか言って
子供の努力を褒めるのではなく(周囲と比べて)「母が」誇らしげ
自分がどれだけ頑張ったところで
「結局この人の虚栄心の道具にすぎないんだなー」と思うと萎えたし
「○○さんはお金持ちの家に生まれて海外留学してピアノリサイタル開いたんだって」
みたいな恵まれた人の話題を持ちだされて嫌だった
この人は結局自分では何ひとつ勝負せず
子供が優れている時はそれに乗って自分を誇り、他を見下し
他人が優れている時はその勝ち馬に乗って子供を見下し、嘲るのだ
兄も母そっくりのゴミだった 小さい頃学校から家に帰ると家の中が血の海になっていた
タンスも本棚も床も階段も血まみれで生臭い臭いがしていた
恐る恐る家の中に入ると父親と母親が血まみれで倒れていた
足の力が全部抜けてその場に座り込んでしまった
そしたら兄が帰ってきて冷静な兄が警察に通報した
殺人事件と捉えられた。私の父と母を殺した犯人はまだ捕まってない
それから血が見れなくなってしまった
自分の血も人の血も動物の血もかさぶたまでも見るのが怖い 事の発端は俺が5歳の時
夕方くらいにテーブルで向かいあって母親と座ってた時、母親がガラスコップ割って、その破片で手首切った
俺の目の前で…
血まみれの母親
っで記憶無くして
気付いたら 親戚が家に集まってた
自殺未遂で命助かったけど、それから母親は精神病で入退院繰り返した
20年以上経った今でも 精神病院から一時退院して家に戻って来ても
俺のご飯作ってくれなくて朝からビールばかり飲んでいて、意味不明な言葉をぶつぶつ言ってたりして怖くて話かけれなかった。
けどお腹はすくし、冷蔵庫には何もなくて…
泣きながら部屋の隅にうずくまってた ずっと 母親が入院したぐらいから父親が仕事終わっても真っ直ぐ家に帰って来なくなって、飲み屋ばかりいくようになった。
この頃から母親が一時退院して帰って来ても夫婦喧嘩をよくするようになった。
それで母方の祖母に、世話に特に食事の世話になる事がこのころ増えてきた そうこうして、俺が小学校にあがった頃両親が離婚した
父親に引き取られた
小学校上がって俺はイジメられた 何年も何年も クラス中から殴られ無視され 耐えた
家に帰っても誰もいない食べる物もない 遊ぶ物もない 友達もいない
孤独だった 小学校5年生頃スラムダンクて漫画を見るようになりバスケをやるようになった
この頃クラス変えもありイジメは無くなった。
そして中学校にいく時に親父が蒸発した
借金で首が回らなくなったらしい
おれは母方の祖母の家にお世話になる事になった 初めの頃は優しかった祖母も、だんだん俺の事が疎ましくなったんだろう祖母にイジメられだしたこれは本当に辛かった
居場所がなかった
中学卒業する頃親父が戻ってきた
一緒に暮らす事になって一応自分の部屋もあり、やっと自分の居場所ができたと思った それからちょっとして、父親が再婚した。
やっと居場所ができたと思った俺は受け入れられなかった
俺は当然再婚相手の人とは、うまくいかず俺は家から追い出された
書いてるうちに思い出して書く気力なくった
誰も見てなくても
なんかスッキリした気がする ↑↑↑↑↑↑
見てるよ
それでも生きていくんだよ絶対。 シーツ交換、枕カバー交換、看護師、白いもの全般
看護学校で教員に毎日暴言、班の女から笑われ、
結局学校は家が極貧だというのに奨学金数百万を失い退学になった
それから白いものが受け付けない
シーツ交換といった実習をやりまくったせいかシーツを自分で替えるのが、
またうまく出来ない。要領が悪い。自分はクズだ。また怒られる
完璧にしないと。といった恐怖で仕方がない
TVで看護師が映った瞬間チャンネルを変えないと動悸が止まらない。
看護師なんてこの世で最低な人がなる職だと思う。
病気で弱った人を助けるんじゃなくて、弱い人を精神的に追い詰める職だろ? 私の場合
成績が良いのが当然で、あれもこれも求められて
成績が良ければ良いほど母親が期待をしてきた
身体の具合が悪くって学校で何度か貧血を起こしたけど、
それでも母親は授業に遅れたらいけないからと無理矢理学校に
連れて行って、生理の時は痛み止めで乗り切っていた
休みのない生活、ひたすら勉強でおかしくなりそうだった
母親が宗教に入って、もっと強い子になりなさいと宗教へ
友人にも話せず鬱々とした日々
それである日プツンときた。本当に糸が切れたみたいで、
グッタリとなって全く動けなくなった
その前には数年間、何も食べたくない時もあれば、ひたすら食べ続け吐いていた
母親は大泣きをし、情けないと私を責めあげた。他の子はキチンとしているのに、と
もういっその事殺して欲しいと思った。それで自殺未遂をして病院行き
私が周りに嫌われると思って何も言わないでいたら、1人のカウンセラーが
私は生贄になったと言ってくれて、何となく全てのパズルが解けた気がした
今でも努力をあまり信じていない。大事なのはわかるけど、あそこまで
追い詰められるのはイヤだと思って、ひたすら逃げている 言葉には強い魔力を解くような力があると思う
混乱していた頭も色々な人と出会って、色々と知りたくない事も
学んでいくうちに、自分の状況が見えてきた
最初の頃の私には言葉がなかった
自分が全て悪いと思っていたから
だけどたどたどしく話していくうちに涙が溢れ出てきた
泣きたかったんだな、すごく辛かったんだなと思った
どうして誰もこうなるまで受け止めてくれなかったんだろうと恨んだし
すごく悲しかった
あれからもう10年以上経つけど、マシになったところと、
まだまだものすごい恐怖心がある
親は能天気で「昔の事は忘れろ」と言ってくるけれど
自分の体験した事はこれくらいにしか捉えられていないんだなと思う反面、
加害者と被害者のままでは一歩も進歩がないんだなともわかる
だけどどこかで自分がまたものすごい無理をしてしまいそうで怖い
そうなれば今度は無意識に人を傷つけてしまう事もあるだろうと思う
親が私にしたように
私は親よりもずっと強かったのだと思ってる ちょっと先週末見かけた出来事から色々思い出してしまった事を吐き出したい。
長くなるので、まとめてから書き込んでみる。 先週末、家の近くの小さな商店の軒先で子供を見かけた。
それがきっかけで今週はずっと自分のある事を考えてしまった。
それをここに吐き出したい。
あまり後味のいい話では無い。それだけは予め書いておく。
俺が生まれた地域はお世辞にも裕福な家庭が住むところではなく、
職業安定所があり、日雇いのオッチャンがウヨウヨいて、小路には
場末の飲み屋が並ぶ地域だった。
物心ついた時から父親はおらず、母とオジサンと呼んでいた男と
3人で2DKのアパートに住んでいた。
ちょうど幼稚園頃から(確か4-5歳だったと思う)そのオジサンが
いなくなり、そのアパートは俺と母だけとなった。
今思えば、既に生活が苦しかったのだと思う。
母は最後まで夜の仕事に従事していたし、俺という存在がいて、
再婚するにも皆から敬遠されていたのだとも思う。 幼稚園に入りたての頃からよく買い物のお手伝いをした。
母と近所のその頃、出来立ての大きなスーパーに行って、
母の買い物した荷物を持って帰る手伝いをした。
何度か行くうちに母がレジに並ばずに出てきたにも拘らず、
スーパーの外で荷物を渡され持たされる事に気付いた。
初めは、俺はお菓子コーナーとかに夢中だったから気付かなかった
だけだと思ってた。
だけど幼稚園年長に上がり、段々とそれが不思議になってきた。
ある時、「なんでレジに並ばないの?」と聞いたことがあった。
母は満面の笑みで、「お母さんは特別だからいいの!」と両手を
握りながら答えてきた。俺は今でもその時の母親の笑顔を覚えている。
自分が初めてやったのは小学校1-2年生の時だったと思う。
シールつきのお菓子が欲しくて、母に駄々をこねていたところ、
「ならあんたが、お店に行って貰ってきなさいよ」と言われた。
「お菓子コーナーに子供がたくさんいたら、そこに紛れて取ってきなさい。」
「絶対に一人の時はやっちゃダメ。」
「あんたと同じぐらいの子供がいた時に、その子たちと一緒に交じって貰ってきなさい。」
確かこんなような事を事細かに言われた記憶がある。 以外に簡単に持って帰れた。少しだけ緊張したことは今でも覚えてる。
スーパーから貰って帰ったその足で、母に「貰ってきたよ」とそのシールのおまけ付の
お菓子を見せた。
母はものすごく喜んだ。「あんたは賢い子だね。よくやった。」
母に褒められるのが凄く嬉しくて、はじめは1か月に1回とかの程度だった事が、
小学校を卒業する前には1週間に2,3度は繰り返していた。
物を盗っては、母に見せた。いろんな物を盗った。見せる度に母は物凄く褒めてくれた。
今思えば母に褒められることが本当に大好きで、物を盗るという行為が悪い事とも
良い事とも分別がつかない頃からやっていたから、何とも思っていなかったのだと思う。
今となれば、それが大人になった今でも自分を苦しめることになるとは夢にも思わなかった。 頻度は上がっても、母からの助言もあってか捕まったことはなかった。
まず、大きなスーパーだったら、母と一緒の時以外は盗らなかった。
文具店や本屋などは、友達を誘って店に入り、自分なりに盗れる店と盗れない店を
事前に調査していた。
小学校の頃は、高価でも本や文具であったが、中学に入った頃から電化製品や
現金なども盗み始めた。
それと同じくして、中学から悪い先輩や友達も増え、カツアゲや、近くの繁華街の
婆さんが一人でやっているような飲み屋やスナックに忍び込み、酒やタバコを盗んたこともあった。 高校にはいかず、中学を卒業してから近くの食品加工会社に勤め始めた。
もう盗むという事に対して何の呵責も無く、歯止めが利いていない状況だった。
会社の中でも同僚の私物を盗んだ。自分も盗まれたふりをして被害者ぶった。
すると、運良く別の同僚が盗みを働いていたことが発覚し、俺の盗みもそいつがやった事になり、
事なきを得た事を思い出す。
そいつは血の気の多い同僚にボコボコにされた。勿論、怪しまれる訳にはいかなかったから、
俺も殴る蹴るに参加した。そいつが「待て、待ってくれっ!ちょっと待って!」とボコられながら
ずっと叫んでいた事が、その当時可笑しくてたまらなかった。
そいつが捕まってから社内で盗むのは得策でないと思い、それ以来盗まなくなった為、
今でもあの当時のあの会社の盗難事件は、そいつの罪となっている。
その同僚はそれからタコ部屋に持ってかれたと聞いた。
その会社は2年で辞めた。俺が若かったせいもあるが、ある同僚との不仲も原因で、
殴り合いの喧嘩になって、社長から同僚共々首を切られた。 その後、母が体を壊し、俺が18の時に死んだ。
母には身内がいなかったので、骨だけ焼いて、小さな骨壺に一部だけ残して遺骨は川に流した。
母の最期の言葉は、「ごめんな、こんな母親で。」だった。
母が死んでから、中学の頃の友人とつるんで、パチンコをやりながらチンピラみたいなことを
やっていた。
チンピラなりに事務所を構えようと、知り合いの潰れた店を借りて、そこを事務所にした。
「俺が備品を揃えてきてやる!」
俺は中学の連れに意気揚々とそう言い放って、その潰れた飲み屋に、事務机から、冷蔵庫まで
全部盗ってきて揃えてやった。
友人たちが感嘆して「お前どうしたんだこれ?スゲーな!」と言って俺を褒め称えてくれたと思った。 その当時の俺は、今後こいつらと事業を起こして、今は拙いチンピラだがいつかのし上がってやる
と思っていた。だから褒め称えてくれたその友達をすっかり信頼して自分がその備品を全て盗んで
来たのものだと話した。
初めは、その友人たちも感心しながら俺の話を聞いていた。そして「スゲーな、お前」と言われ、
俺はすっかり皆が俺を尊敬しているものだと勘違いし始めた。
そして何時だったか、その事務所で皆で酒を飲んでいるときに、良い気分にツラれて、過去の
盗み話を色々とした。
これが後になってとんでもない事となった。 しばらくその事務所で、ノミ行為なんかをしていた。ある日、連れの一人が飲みに行こうと
誘ってくれた。
そいつが俺を誘うなんて珍しかったので、行くことにした。
記憶のあるは、最初に入った1件目のバーだけで、次に気付いた時は事務所だった。
だが俺は椅子に座らせられ、ロープで体を雁字搦めにされていた。
始めは何でこんな事になっているのか、状況が呑み込めなかった。
友人たちに「何の冗談だ?」と聞くと、「話を聞け」と言われた。
連れの一人が話し始めた。そいつの親父は俺たちが15か16の頃、自殺をした。
経営していた店が不渡りを出して、母親は逃げ出し、借金を苦に死んだという。
その店というのが町の本屋で、俺が良く盗みをしていた本屋だった。
その連れが言うには、
「俺の親父は知ってたんだ。お前かは分からないが、どこかの子供が本を盗っているのを。」
「別にお前が盗った本が原因で、俺の親父が店を潰して死んだわけじゃないのはわかってる。」
「ただ、親父は「子供に罪はない、あるのはそれを育てる親だ」と言ってた。」
「俺も今でもそうは思っている。だけどな、お前はそれを嬉しそうに自慢げに話すだろ?」
「俺はそれが許せない。俺の仲間にお前みたいな心底の屑がいると思うと許せない。」
「これから事業でのし上がっていくのに、お前みたいな屑は必要ない。」
そんな内容を滔々と言われた。
そして最後に連れ全員からボコボコにされ、最後に全員から小便をかけられた。
俺はそのおかげで前歯三本が無く、金玉も片方を失い、右手の人差し指と中指が
半分程度しか曲がらない。 それから俺はその生まれ育った町にはいられなくなった。何しろ、その連れたちが
俺が根っからの泥棒だと言いまわった為、とてもじゃないが暮らしていけなかった。
最小限の荷物と母親の骨壺だけ持って、俺は町を出た。
その町からはるか離れた町で、日雇いをしながら生活を続けた。
そんな生活が2年ほど続いたころ、また盗みを始めた。
子供の頃からの癖なのか、それまでも日雇いを続けながらもいろんな店に行き、
盗みができる場所がないか盗む予定も無いのに、頭の中でチェックしていた。
しばらくして、初めて店の人間に捕まった。
大きなスーパーだった。盗んだのは350mlの清涼飲料水。
スーパーの後ろに連れて行かれ、中年のおばさんの取り調べを受けた。
嘘をつく事もなかったので、ひたすら謝ったら警察だけは勘弁してもらえた。 しかし、この捕まった件以来、自分の中で何かが変わってしまった。
いつもなら商店街や、スーパーなどで物が盗れそうならすぐに実行していたのだが、
捕まって以来、また捕まりはしないかという緊張のせいか、物を盗ろうなどと思うと
母の笑顔や連れにボコられた恐怖が蘇り、過呼吸になったり、ひどい時はおう吐した。
自分なりに何故なのか考えたが、考えれば考えるほど分からなくなり、
更に言うなれば、自分がなんなのか分からなくなっていた。
その頃までは本当に、盗むことが悪い事なのでは?という考えは一度も起きなかった。
ただ、こんな話を人にして、「盗みは悪い事ですか?」などとは恥ずかしくて
聞けないとも思っていた。
そう思い悩んでいるうちに、やはり盗みは悪い事なのではという思いが膨らみ始め、
次第に今までして来た自分の盗みが取り返しのつかない事なのではと、思い悩み始めた。
その町の捕まったスーパーの前を通るたび、足が震え、今までの事を思い出し耐えられ
なくなっていた。 そして、またその町から逃げ出し、別の町で生活を始めた。
職業安定所で見つけた仕事が、運よくとてもいい会社だった。
家族ぐるみで働いている漁港の加工工場で、独り身の俺を本当に気にかけてくれた。
そこで働いているうちに、社長からお見合いを勧められた。
なんでも、取引先の会社のOLさんで、とても気立てのいい女性だった。
俺も悪い気がしなかったし、向こうもとても俺を気に入ってくれたようだった。
なんだかんだで、交際を始め、なんと5年も付き合った。
周りから「結婚はいつだ?結婚はいつだ?」と囃し立てられるのが恥ずかしいと同時に
とても辛かった。俺は性格的に自意識過剰というか、「結婚」などと考えると
その先の子供の事や生活の事を考えてしまっていた。
だから、自分が結婚したくても、とても言い出せなかった。
なぜなら、自分の母親が俺に教えた事、そしてその「癖」が今でも確実に自分の
心に残っていること、これがその心優しい女性と子供を設けて育ててしまったら、
俺みたいな心底腐ったコソ泥がまた育ててしまうのではなか?そんな風に思っていた。
だからその彼女から愛想を尽かされてフラれるまで、悩んだ。今ではその彼女に
本当に申し訳ない事をしたと思う。思えば、結婚を考えていてくれたはずだし、
それを待っていてくれたのだと思う。だが、その当時の俺はそれだけは怖くて
出来なかった。結婚を考えるたび、なぜだかあの母親の笑顔が浮かんできて、
いてもたってもいられなくなる。 結局、その会社に10年ほど勤め、今住む町に引っ越してきた。
引っ越した理由は、例の大震災で会社が無くなり、同僚も多く失ってしまい、
生き残った社長と家族が紹介してくれた小さな食品会社で営業をしている。
そして先週末、営業先のとあるスーパーで小さな少女が万引きしているのを
見てしまった。色々と自分の事を思い出して多少過呼吸気味になったが、
注意しようと歩み寄ると、少女は俺に気付き逃げてしまった。
そのスーパーで商談を済ませ、裏口から出て会社に電話を掛けながら
最寄りの駅に向かっていると、さっきの少女がいた。
駐車場に設置された飲料の自動販売機の横にちょこんと座っていた。
「おじちゃん、これ!」
その少女が俺に微笑みかけながら手渡そうとしていたのは、スーパーで売っていた
子供向けのお菓子だった。
「おじちゃんも欲しかったんでしょ?1個あげるよ。」
俺は何も言えなかった。正確に言うと吐きそうだったのを必死に抑えて我慢していた。
その女の子が俺が受け取らない事を知ると、怖い顔をして「死ね。」と言って
走って去って行った。 これがここに書きたかった全て。
俺もこういうところを見るから、いろんな家庭があることを理解しているつもりだ。
俺みたいな、今でこそ盗みなどやる事はないと自分に言い聞かせているのに、
心のどこかでいまでも「これ、盗めるか?盗めないか?」を無意識に判断して
しまう人間がいる。
ここを見ている万引き、窃盗、そういった事をしているにも拘らず、子供がいる
人間に伝えたい。
子供は大人の道具ではない。大人と同じではない。俺のような人間が偉そうに
言えることじゃない。だけど、誰かが言わなきゃいけない気がする。
何が正しいのか今でもはっきりと分からない人間が書いても説得力は無いのかもしれないが、
しっかりと正しい躾をして、しっかりと正しい導いて欲しいと心から願う。 前の人にくらべたら軽いもので申し訳ないが私も一つ。
小学生のころスイミングスクールに通っていた。
土曜日にあったのでいきたくない、休みたいと一つ上のコースに進んだ後最初の2週はサボった。
そのせいで知らなかったんだが担当になったコーチがなんか気持ち悪かった。
ニタニタ笑っているし変な気はしたけど教え方も普通だし自分に人見知りの気もあったから考えすぎだと思っていた。
そしてそのまま自由時間へ突入。
いつもは他のコースの友人も含めて一緒のコースの3つ年下の友達と遊ぶんだがその日は自分のコースの子はプールの端にある温泉へ。
その友達に前の2回のことをきいていると何か嫌な予感がしてバッと振り返った。
そこにはにやにや笑ってこっちに近づきかけていたコーチ。
それだけでも軽く嫌な感じがしたのだが彼が言った言葉にさらに戦慄。
「あーあ。気づかれちゃった。いたずらしようとしたのに」
ひゅって喉が鳴ったね。
すごくこわかったのと三つも下の子を2週もこのコーチのところで一人にしてしまったのかと責任を感じた。
(ほかにも習っていた子はいるのでマンツーマンということではない)
その先は守らなくてはいけないと思い次の試験があるまで休まなかった。
幸いなことに試験がはやかったのと自由時間に温泉はその日だけだったので同じようなことはなかった。
あとからほかの友達にきいてみるとその子たちから見てもなにやらキモイし変だと思っていたらしい。
上のコースに上がりそのコーチを視界に入れなくなって数か月、彼はやめたと聞いた。やめさせられたのかもしれないがそこは知らん。
おかげで軽い年上の男性恐怖症になり、今は平気だが大好きな叔母の結婚相手に警戒してしまい、男性店員のお店入ると今でも脈が早くなる。
高校生になった今でもつながってる友人ができたのは喜ばしいがこれ以外にも散々なことにあったスイミングだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています