魚住昭 ■ 野中広務 差別と権力
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それにしても、なぜ学会はそれほど野中を恐れたのか。
「まあ、理由はいろいろありますが‥…」
と言いよどんだ後で、岡本が例を挙げたのは学会発行の「聖教グラフ」に関することだった。
聖教グラフには、池田と外国要人などとの会見場面を撮った写真がたびたび掲載された。
「写真のバックには学会施設にあるルノワールとかマチスとかいった有名画家の高価な絵が写っているんですが、
野中さんがそれを創刊号から全部調べ上げて、学会が届け出ている資料リストと突き合わせた。
その結果、届出のない絵がいろいろあることが分かったというのです」〔略〕
後に野中が自公連立政権作りを成し遂げた後、
有力支持者の一人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。
すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」

ただし野中の言うことは信用できない。