日本人医師・中村哲さん銃撃受け集中治療室へ、同僚のアフガン人は複数人死亡
2019/12/04 15:05
アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで4日午前、現地で活動する日本人医師中村哲さん(73)を
乗せた車が何者かに銃撃され、州当局の報道官によると、中村さんはけがをし、同僚の複数のアフガン人が死亡した。
中村さんが代表を務める民間活動団体(NGO)ペシャワール会(事務局・福岡市)によると、中村さんは胸と腹を撃たれ、
現在、病院の集中治療室で手当を受けているが、命に別条はないという。
中村 哲なかむら てつ、1946年9月15日は、日本の医師。 ペシャワール会現地代表、ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS)総院長。
福岡県出身。▼西南学院中学校、福岡県立福岡高等学校、九州大学医学部卒業。国内病院勤務ののち、
1984年、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたって▼ハンセン病を中心とする医療活動に
従事する。登山と昆虫採集が趣味で、1978年には7000m峰ティリチミール登山隊に帯同医師として参加した。
パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動してきたが、パキスタン国内では政府の圧力で活動の継続が困難になったとして、
以後はアフガニスタンに現地拠点を移して活動を続ける意思を示している。
小説家の火野葦平は母方の伯父である(妹が中村の母)。外祖父で若松において港湾荷役業を営んでいた
玉井金五郎が映画/花と竜のモデルとなったことで、周囲から玉井家が暴力団関係者と誤解され、
中村も迷惑を被ったとしている。また、福岡高校の同期に原ォがいる。
自身は▼キリスト教プロテスタント系バプテスト派のクリスチャンであるが、現地の人々の信仰や価値観に
最大限の敬意を表しながら活動を続けている。(アカンやろ)
2003年にマグサイサイ賞を受賞した。2004年には、皇居に招かれ明仁天皇・美智子皇后と紀宮清子内親王
(いずれも当時)へアフガニスタンの現況報告を行った。同年、第14回イーハトーブ賞受賞。
2008年には参議院外交防衛委員会で、参考人としてアフガニスタン情勢を語っている。また、天皇陛下
御在位20年記念式典 にも明仁天皇・美智子皇后が関心を持つ分野に縁のある代表者の一人として紹介され列席している。