日本に南北朝の二匹の朝鮮天皇がいた
京都の北朝天皇は新羅人
奈良の南朝天皇は百済人

1300年前に天皇が来てから争いの絶えない国になったのは
半島でやってた新羅vs百済の戦いが、日本列島で続行されたもの
それを源氏だ平氏だの言うから分からなくなる

チョンの争いなら別に日本人関係ないじゃんと思うだろうが
武士が戦うときには、農民である日本人に刀を持たせて
まず日本人同志で殺し合いをさせるのだから関係あるのだ

江戸時代は貧乏ながらも北朝天皇が存在していた
そしてそれが殺されて明治から南朝天皇になったはずなんだが
どうやらその時には南朝天皇というのは、すっかり消滅していて
明治・大正天皇というのはアルバイト的な間に合わせだったと思われる

そこで南朝の百済人は、本国から百済のルーツである高句麗系の
李王家を迎えたのだろって話になってくる
それで移行がスムーズに行われた謎が判るってもんだな