青葉真司の父親は既に妻子があったが、同じ職場の女性と不倫し、離婚した。
離婚後、長男として生まれたのが青葉真司、その後、長女が生まれた。
一家は埼玉県に移り住むが、父親は仕事が上手く行かず、1999年、自宅の部屋で血まみれの壮絶自殺。血まみれの自殺現場に幼少の青葉真司は佇んでいたという。
葬儀は、父親と親しかった近所の創価学会員が喪主を務めた。

一家を奈落の底に叩きつける事件が起こったのは、青葉が二十一歳の頃だった。
九九年十二月三十日、新年の幕開けを待たずに父が凄絶な自殺を遂げたのだ。
「一階和室の畳一面が血の海でした。
そして、その血の海の中に子供が呆然と佇んでいたのです。
救急車や警察が駆けつけて騒然となった。
生活苦による自殺だったと知ったのは後のこと。
喪主を務めたのは長男でしたが (葬儀を) 仕切ったのはAさんとお付き合いの深かった、創価学会の世話人でした。