>>265
長浜浩明氏の論考はおおむね正しいが、日本書紀をあまり信用するのは禁物。
神武東征に相当する事績はあっただろうが、東遷、つまり前7世紀ないし1世紀の神武の時代に、
奈良に遷都していたかは怪しい。

もしそのころ奈良に遷都していたら、3世紀の邪馬台国(ヤマト国=日本の首都)論争は、
そのまま奈良ってことでとっくに決着がついているはずなので。

実際にヤマト国(日本の中央機能)が奈良に移ったのは5-6世紀あたりだろう。
奈良に日本王を僭称した渡来系豪族が現れて、それを倒してそのまま奈良に朝廷を遷した可能性も高い。