2499.秀吉の紀州根来雑賀攻め
https://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/41844252.html
フロイスの日本史は、当時の膨大な量のイエズス会書簡や報告書のほぼすべてを見得たフロイスが、歴史の流れを意識
しつつ(むしろ神の恩寵を語るべくというべきですが)修正補正も加えつつ少し後になって書き纏めた(といっても数年遅れで
ほぼ同時代資料)ものですので、ある種読みやすさがあります。同書第2部67章より趣旨以下。


堺のある和泉の国の南方には「国を挙げて悪魔(偶像崇拝の仏教のことをフロイスはこう呼ぶ)に対する崇拝と信心に専念する」
紀伊の国がつづく。そこには「宗教団体が4つ5つありその各々が大いなる共和国的存在で、昔から信仰が盛んで、いかなる
戦争でもこの信仰を滅ぼせず大勢の巡礼が絶えずこの地に参詣していた」。

1)高野山:3000〜4000の僧侶。弘法大師の真言宗。高野山の頂上にかなりの平地と憩いの場がある。巡礼者は多いが
女人禁制。「その生活は淫猥を極める」。

2)粉河(こかわ):いわゆる補陀落山寺など。高野山より規模は劣るが500余の堂宇伽藍。

3)根来衆:高野山から分離し独自の宗派。他の日本の宗派と全く異なるのは、本務を普段の軍事訓練とし、毎日一本の矢を
作ることが功徳、絹の着物と2本の刀を身に付け世俗の兵士と同じ姿、僧帽は使わずナザレの人のように頭髪を長く背中の
半ばまで結わえて垂れ下げる。諸侯や武将は金を払って彼らをゲルマン人のように傭兵する。根来衆は裕福で日本寺院の
なかでも清潔で黄金張りで最も絢爛豪華。巡礼者には懇切丁寧で2,3日間は無料で食事も提供した。

家僕を除き、仏僧だけで8000〜1万人。大部分は下賎の出身だが根来衆となると尊敬を受けた。「不遜な面構えと得体の
知れぬ人柄」(から根来衆は一目して分かったものらしい。)