まあ、事の顛末として説明責任と言うのが私にあるのか無いのか?分からないのであるが、ここまで実体験として渦中にいるはずなのだが、全く確証の無い、それを立証するすべも証拠も何も無い者だ。
また、そう言ったどうでも良いことを匿名として、小説感覚で公表出来るのは、ネットの本当に良いところだが、コレは小説などては無く、本当に私が感じた事なのだ。

私は恐らく当事者であるが、はっきりとしたことは何も知らされていないし、何所の政治団体にも属していないから、被害者の認識はあるが、それを立証する事は出来ない立場だ。
本当に恐ろしいが、コレが集団ストーカーと言う事なのだ。

だからコレは本当に、私自身確証を得られない、推論のような物なのだ。

私の身の周りで騒がしかったのは、8月初旬頃か、今にして感じ察する読みは、どうもこの辺から私の選挙協力の様なモノが新潟の補選にさいして計画されていたのではないのかと思っている。

その後、解散になると思うが、まあ、父親は私と2年間ほども口を聞いていない。
私は父との話など、嘘ばかりで用を成さない認識であるし、私に対する虐待は一生無くなる物では無いという認識である。
今日に至るまでまだちゃんと話していないのが実情だ。

そんな父が、何をしたのかは詳しくは分からないが、それが何か上手く行かなかった様な感じがする。
私は何となく周りが、このブログを書いているのは偽者の社員であるという風評を創価学会、ヤクザ等が行っていた事は肌に感じていたから、今もそうだが、その頃からずっと偽者をでっち上げるのは止めろと言う趣旨の発言をしてきたと思う。
そして、それを取り仕切っているのは父と何故か地元にいて、福田康夫、赳夫?氏だったかの写真が飾ってあるこの辺のヤクザのボスの様な方だった記憶があるが、その人の事を何故知っていたのかと言えば、それは仕事中ふいにその家に招き入れられたからだ。6月頃だと思う。