続・レンタルビデオ屋の思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
最初は海賊版だらけで公開前の作品とかも置いてあった また値段も非常にたかくてレンタル一本1200円とかしましたね〜 そして当時だけの作品 今はDVD化されていないものも沢山あります
なお、アダルトビデオの話は禁止
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1479714857/ >>898
芦屋小雁はその手の物のコレクターとして有名だったな >>898
それの無臭エロを
ブルーフィルムと呼ばれたヤツだな >>900
映画監督作や映画関連著作もあるイラストレーターの故和田誠氏もビデオ普及前はフィルムコレクターとして有名だったとか。 >>903
SWSはトータル10本程度は出てた印象。
135にも書かれてるけど、wowowで放送されない大会をビデオ化
してた
ジョージvs佐野(後楽園)は持ってた。
ノー実況だったかな??客の野次がハッキリ入ってたのは
覚えてる
なぜか水道橋チャンピオンには置かれてなかった
ような?? ↑ちなみにその3本は…と思ったら4本あった
@91年2月22日後楽園 ・ジョージvs佐野 ・天龍、石川vs北尾、カブキなど
A91年10月3日後楽園 ・佐野vs北原 ・高野兄弟vsナチュラルパワーズ ・天龍、石川vs原、冬木など
B92年2月12日後楽園 ・天龍vsハーキュリース ・石川、冬木vs仲野、北原 ・高野兄弟vsナチュラルパワーズなど
C92年3月22日後楽園 ・ウルティモvsエルダンディ ・天龍、冬木vs超龍軍 ・アンダーテイカーvsハク ・原vs谷津など >>137
チャンピオンに置いてなかったからそのビデオが存在してたこと知らなかったわ
あったら絶対に借りてたし
SWSがどんなもんか見て見たかったしな 闘魂Vの19巻の武藤vs馳は宮城県スポーツセンターだったせいか
会場の熱狂度が半端なかったな
小橋、菊地がアジアタッグ獲ったときとなんら遜色ないぐらい凄く盛り上がってた 全日が30分枠になり同会場を2週に分けて放送するようになったから
ジャイアントサービスがチャンピオンカーニバルの6大会分ビデオ収録して
販売してくれたのはありがたかった 集まった五十名ほどの小、中学生に質問した。「自分のパパと、星一徹と、どっちがカッコ
イイと思う?」「一徹!」_ほぼ全員が異口同音に呼応した。私は完全に意表をつかれた。
飲んだくれの、唯我独尊の、見果てぬ夢のみ追う偏執狂のスパルタ暴力オヤジを、あのマイ
ホーム・パパたちと暮す現代っ子がカッコイイなる浮薄な評価にせよ、上位にランクする
とは――「ないものねだりですよ、これは」_私は阿部さんに言ったが、ますます一徹人気
は上昇の一途をたどり、私は現代っ子たちの本能的な郷愁を重く受けとめさせられた。
===【スポ根とドン男】=== ※小見出し
「巨人の星」ブームが爆発したのは、高校生になった飛雄馬が甲子園に出場、その決勝戦で
敗退したころだ。連載開始から約一年後である。_主人公が負けたことも新鮮だったらしい。
従来の少年マンガの主人公たちはプロレスの善玉もどき、せいぜいオーバーに苦しんで見せ
こそすれ、とどのつまり逆転勝ちと相場がきまっていた。_親友の伴宙太、宿敵の花形満、
左門豊作などの面々を、たんなる主人公の引立役としてでなく、たまには食ってしまうほど、 キング牧師(1929−1968)の言葉に、『「目には目を」という古い法を守っていたら、世の中の
人々はみんな目が見えなくなってしまう』というのがあるらしい。表現がユニーク。
⇒【The old law of an eye for an eye leaves everyone blind.】 詳しくないジャンルですが、良かった映画を思い出したので一応書き残しておこう。
夢野久作『瓶詰の地獄』じゃないけれど、こんな辺境の地でも、もしかしたら誰かに
届くかもしれない。2本とも「男2・女1」の映画で「ロマコメ」というほどのコメ
ディ要素は無く古い映画ですが、どちらも後味がいいfeel-good movieの[秀作◯]です。 「説教強盗」ならぬ「説教殺し屋」のトム・クルーズは、口を開けば主語のデカい血迷った
「痛いポエム」を吐き散らすし、トムを乗せたタクドラの運ちゃん(ジェイミー・フォックス)は
「明日から本気出す」系の怠惰な中年ドリーマーで、語る夢だけはデカいくせに「乳離れ」すら
ロクにできていない(←入院してるオカンを見舞う場面)。私は序盤の『お前が殺したのかっ?!』
『(平然と)俺は殺していない。銃の引き金を引いただけ。弾丸が殺したんだ』みたいなトムの
アホみたいな「屁理屈(減らず口)」の場面で、この映画に惚れてしまった。本作のトム・クルーズの
白髪交じりの「ふんわり仕上げ」リーゼントは『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985)の主役の
ミッキー・ロークの髪型を意識してるのかな、と妄想がふくらむ。もちろん無関係でしょうが。 マスクド・グラップラー(ボブ・エリス)が来た時、ゴングで「覆面の検闘士」って
紹介されていた。次のゴングを見ると「覆面の格闘士」って修正されていて、子供
ながらに上手いこと修正するなぁって感心した。 アニメ三国志85と三国志II 天翔ける英雄たち
85年に水曜ロードショーで放送されたアニメの三国志だが、これが結構人気あったようでVHSレンタルもやってたんだよね。
内容はかなりカスタマイズされており、劉備の奥さんがハンググライダーで空を飛んだり曹操が金髪だったり于禁が女だったり孔明がアイシャドーしてたり
今では貴重な作品になってしまって、なかなか見ることは叶わない >>17
AWAとの連携は馬場はあまりその気が無かったがガニアと旧知のブレアースPWF会長
から以前から勧められていた。後年にWWF1984に対抗するために「規模の小さなAWA
は飲み込まれる・・・」と危機感を抱きNWAとの提携を繋いだのは馬場だった。
一度はNWA&AWA連合軍でNY近郊に進出する成功せず本丸のMSGはWWFの独占契約
で使用できなかった・・・
>>40
レイスが「単独参戦」の時は全日からのオファーで夫人同伴の時は日本でショッピング
を楽しみたいイボンヌ夫人のレイスへのオファーだったw 馬場にとって個人的には「AWAの世界王者にふさわしい大物」は自分より年長のガニアで
ニックは実年齢ではわずかに年長だけど
レスラーとしてのブレイクは60年代末から70年代に入ったあたりからなんで
どちらかというと同年代からやや下〜ドリーとかブリスコあたりへの感覚に近かったんじゃないかな?
ニックがAWAに定着したのも
馬場が米でブレイクした後に日本に凱旋して押しも押されもせぬエースになったはるか後のこと
ロジャースやテーズはもちろんニックより世代的にはちょっと前になる
スナイダーやエリックやキニスキー、オコーナー、ブルクラ、ブラジル、サンマルチノあたりが
馬場個人にとっての真の意味での「大物」で
ニックやドリー、ブリスコ、レイスあたりの70年代に入ってからトップになったグループとは
同じ大物でも少し温度差がある感覚だったのでは? ドスカラスが初来日した78年サマーアクションシリーズ2の終了が9月14日
翌15日ダイナマイトシリーズ大分大会のポスターにマスカラスが掲載されているんだよね
馬場にすれば集客力のあるマスカラスのレンタルは渋ったが
今までの関係で無下には断れず、マスカラス本人が承諾すればOKという
感じじゃなかったのかな?
想像だけど、マスカラスが無理難題の条件を後から突きつけて
「嫌ならメキシコに帰る」とか、猪木アリ戦のような事を言い出し
馬場が吉原の側ではなくマスカラスの側についたというのが真相じゃないかな?
吉原も決定か仮契約まで済ませてないとポスターの発注までしないと思うんだけど‥ チャーミングなヒロインたちは、心にさまざまな傷を負わされるものの、ゾッとするほどひどい結果が
待っているわけではない。 ジャプリゾが関係したスリラーやサスペンス映画は、いつも、そこにある
甘い雰囲気、ムードで私を楽しませてくれたのだ。 こうなると、やはり、ムード・サスペンス・
スリラーというのは、ジャプリゾ映画に代表される、なんてことはどうでも良く、私はジャプリゾが
好き、ってことが言いたかっただけかな!? 》 ※「Why so serious?」な「雰囲気だけ」のサスペンス?! Noteに【絶版映画本/未DVD化/その他】という名前で
★ドン・シーゲル(1912−1991)「監督」作の私的ランキング(鑑賞済み9本)
★サム・ペキンパー(1925−1984)「監督」作の私的ランキング(鑑賞済み11本)
を投稿済み。ドン・シーゲルはペキンパーの師匠?らしいです。
なぜ映画を見る目も無い?のに、「極私的ランキング」を投稿するかというと、
他人の「作品ランキング」に興味があるから。自分と「近い」部族なら、その人の
薦める映画は参考になる率(=当たりの確率)が上がるだろう、という目論見。
指紋やDNAと同じで完全に一致する他人はいないが、「似た」部族はいるはず。
マイケル・マン監督と黒澤明監督の「私的ランキング」もNoteで公開予定。 ■未DVD化■。「Burden」とは「(精神的な)負荷、重荷」の意味らしい。主演はジョン・
トラボルタ(1954−)で、『パルプ・フィクション』(94)で再ブレイクした後の次の映画。
本篇では一度も説明がありませんが、舞台はアメリカで、白人と黒人の立場が完全に
入れ替わった「IF(もしも)」の世界。企業経営者は黒人のみで、街をたむろするホーム
レスは白人しかいない。黒人社長(演:ハリー・ベラフォンテ)の工場で働くトラボルタ
が社長の自宅(豪邸)に届け物を運んだ時、開け放した窓から社長夫人(黒人)の着替える
姿が「見えて」しまい、これが原因で会社をクビになってしまう。再就職もままならず、
ヤケになった男は、社長を誘拐する……というような話だったと思います。黒人社長が
夕食時に家族でする会話→『あいつら(※白人)は知能の劣った怠け者だ!』。序盤から
中盤ぐらいまでは斬新な設定に魅かれ興味をもって観れましたが、そこからは「斬新さ
の裏返し」で退屈してくる。人種を反転させた「だけ」の展開だったから。オチらしい
オチも無く「深み」に欠けた。監督/脚本に日系アメリカ人のデズモンド・ナカノが選ば
れた?のは、デリケートな問題なので白人でも黒人でもないアジア系だから?と邪推した。 ↑予告。R・ウィドマークの熱演はオーバーアクト気味ですが見事にハマっていた。私は
彼の「主演作」は7本観ていますが、一番よかった。↓J・ダッシン監督作は3本だけ観た。
◎『街の野獣』(1950/英+米/Night and the City) ※白黒。テンポ良し。見事なロケ撮影
◯『裸の町』(1948/米/The Naked City) ※白黒映画 >>192
◯『トプカピ』(1964/米/Topkapi) ※カラー。アホみたいなエピローグの多幸感
※『街の野獣』は、とにかく中盤のプロレスの場面が素晴らしくて、釘付けにさせられる。
私はプロスポーツを実写映画で扱うのが好きではない(TV中継で観た方が面白いから)けれど、
物語的にも重要な「曲がり角」になる本作のプロレス(旧式VS新式?)は異様な迫力でした。
鑑賞直後なので私の評価は最高ですが、何年か経つと秀作◯に変わりそう。いい映画でした。
ロバート・デ・ニーロ主演のリメイク版『ナイト アンド ザ・シティ』(1992/米)は未見。 トワイライトゾーン1983久しぶりに見たけど面白かった 当時名古屋住みだったけど夕方の時間帯でムタvsサムライシローを見た
大学時代に地元の放送でその対戦を見たと周りに伝えたがあれはノーTVだから馳戦の見間違いだろと信じてくれなかった
のちに中国地方とかでも首都圏未放送のテロップ入りで結構放送していたことが分かった
放送する機会がなかっただけで実はテレビカメラ回していた大会ってかなりあるんじゃないかな ノーTVをビデオ化し販売された興行も貴重だが
8ミリ等でセルフ録りされたのが、動画サイトに結構
のぼってて、それらも(軽い)衝撃だわ
ムタ日本デビュー戦 対越中が、見れる映像(ボワボワじゃなく)として
アップされてたのは お宝。 何回も見た
小林邦vs齋藤彰俊の初戦
大仁田vs青柳
山田vsニールセン
初代タイガーvsBタイガー(田コロ)
最高 なんか荒されてるな
思えばWWFのレッスルマニア初めて見たのもレンタルビデオ屋だった
ホーガンが馬鹿全開パワーでその後ホーガンがフセインっぽい悪役と闘う映画もあったな
ゴールデンボンバーだったか?
昭和末期のレンタルビデオ屋楽しかった このスレ荒らしてる長文コピペ荒らしって映画一般・8mm板のあるスレも
荒らしてるバカだろ。 現在の日本相撲協会が公益法人格取ったうえで
正式な意味で文科省の管理下に入ったのってわりと最近のことなので
それまでは一応文部省管轄ではあったけど一般法人として運営されていた
もちろんその性格上様々なお上からの恩恵はあったろうけどね
更に遡ると現在の協会に繋がる流れ以外にも
大阪相撲とか東京にも別団体(協会)とかあって元々は純然たる興行団体だった
(この辺はそれこそ初期のプロレス興行やその後のハイソ化wの流れは歌舞伎の在り様とかと同じ)
現在でも所謂「相撲は国技」という言い方をした時に一部から
「大相撲と古来より神事としてある相撲は本来全く別物」という批判?が出るのはこのため 感情的になりやすい対戦よりラクだったんじゃないのかな?
新日でタッグを組んだポーゴとナガサキも関係は悪くて試合中にたまに会話する以外は
口も聞かず別行動するほど嫌っていた・・・
逆にコックスはシリーズ中でタッグを組んでいたマードックと最終戦に対戦が組まれて
困惑するもさすが二人はプロ!試合は好試合になり評判を聞いたアメリカのプロモーター
からの二人の対戦オファーが殺到してまんざらでも無かった。 キラーコワルスキーが晩年に応じたインタビューで「日本来て一番良かった事は?」と
言う質問に「豆腐を見つけた事だ!あの低カロリー、高タンパクの塊は素晴らしい!
諸君も長生きしたければ豆腐を喰え!」と力説していた。
ハリウッドスターも撮影前のは契約で体重何キロまでとかの契約があるとツナとビーンズ
のみの食事でダイエットする。またオーガニックの食材を使ったレストランで食事して
車は小型の電気自動車という健康志向と地球環境に易しい姿勢をアピールするのが流行らしい。 >>929
こいつは、この板でも、他のスレッドも荒らしてきたよ。
最初は他のみんなにいちいち喧嘩を売ってたけど、言う事がメチャクチャなんで直ぐに論破され、仕方なくコピペ連投するようになった。 どうなんでしょう?でも広告が懐かしかったです。オールマシン
語がうりのゲーム(カレイジアスペルセウスとか)があったり、
タモリがFMシリーズの広告で出てたりとか。後半ページは全国のゲーセンのハイスコア
を出したスコアラーの名前が載ってたりとか。あったねーそんなの。て感じでした
コモドールとかベーシックマスターとかのプログラムものってたりして
すごく懐かしい時間をすごせました。今はフラッシュのコンテンツを
作っている森巧尚さんが投稿したプログラムがあったりとか・・
落札した人には大切にしてほしいと思ってます たしか82年ぐらいに独立したんだよね。
漏れは創刊2号から89年辺りまで買ってた。
10年ぐらい前に親に全部処分されちゃったけど。
うちにあったマイコンはPASOPIA(T-BASIC)とPC-9801UV11で、
前者は兄の高校の部活の備品になって、今はどうなってることやら。
後者は、まだ実機アリ。ただし10年ぐらい火を入れてない筈。
N88-BASIC(86)のディスクも、今は何処にあるか分からん。
あと探せばFS-A1(MSX2)もある筈だが、何処に行ったものやら。 30周年記念の6人タッグに倉持が「大好きなステーキをやめてしゃぶしゃぶやすき焼きにして健康に気をつけてる」と言った時、一緒に見てた家族が「どこが健康な食生活なんだよ」と突っ込んでたが、それくらい極端な偏食だったってことだな
あれから31年経ってやっと理解出来たw 馬場は野菜や魚をそんなに食べないから、元子があれこれ工夫して食べさせてたと、佐藤昭雄がインタビューで言ってたね。
肉は牛肉ばかりで鶏肉は食べない。豚もあまり食べず宿泊先の旅館で出る生姜焼きくらいしか食べなかったと。
好き嫌い多かったのかもしれないね。 >>933
そうなんだサンクス!全くどうしようもないなコイツは
社会不適応者でドコ行っても全く使えない奴なんだな。 あのシステムは芸舞妓の尊厳を守る為に良いことだが、レスポンス悪すぎる
SNSも撮影と合わせて楽しむ時代には致命的だろう
しかし、他の撮影会でも同じようなチェックをすればバツは出るだろう
でもバツが出るという事はそこから学ぶことも多いはず
主催者はなぜバツが出るかをフィードバックしなければならないし、カメラマンの撮影意図も芸舞妓に伝える
そうすることによって芸舞妓とカメラマンはより理解を深められるのではないだろうか 89年かぁ、まだ88とかの新機種が出てた頃か。
ヒロセ無線あたりまでは良く行ってたんだけど
気づかなかったな。
ラオックスは地元ではPC強かったけど
秋葉原ではオーディオとかの印象だったか? 小林亜星の作曲したのは個人的に面白いのが多かった
「げ〜んきいっぱいぱ〜いのらお〜っくす」
「行こー行こーラオックスへ〜」
なんてのもあったが、これはいまいち。
ニコニコ動画等で見られたら見てみたい気もする。
CMって放映している当時は鬱陶しいとしか思わんかったけど 《_力石が死んだ。ジョーがそれをきいた。死闘のリングを二人がおりたあとだ。_あの
ときの、あのページを私はおぼえている。ジョーのおびえた獣があげるような叫び声をおぼ
えている。それから、私をとらえた戦慄もおぼえている。あの戦慄はなにであったのだろう
か。_それは、作品のストーリーの意外な展開がもたらしたなどとだけ、いってすませる
ものではない。あの戦慄は、自分の一部が失われる恐ろしさによっていた。力石が死んだとき、
私のなかの力石が死んだのだ。ジョーの悲鳴が、誌面のみではなく、耳のなかに実際にひびく
ように感じられたのは、私の心がおびえ叫んでいたからだ。要するに、私は、力石であり、
ジョーであった。_多くの読者が、力石の死を悼んで、「あしたのジョー」を連載していた
『少年マガジン』編集部に弔電をうってきた。この作品の爆発的ヒットを語るさいにしばしば
引用されるエピソードである。かれらは、ただストーリーが展開して主要なキャラクターの
ひとりが死んだのだと割り切ることができなかったのだ。実在の親しいだれかが死んだと感じ
たのだ。親しくおもえるはずだ。力石はかれらの一部であったのだから。_ひとつの作品が、
時代の社会意識を代表するということは、つまりはそういうことだろう。そのヒーローたちを
読者は自分だとおもう。それは感情移入などと、心理学の用語をつかって説明してみても、どこ
かしら説明しきれぬところが残る現象である。感情移入といえば、ことがらは個人的なものの
ようである。しかし、力石やジョーには、時代の社会意識がそこに結晶しているといった印象
がある。》 人間らしさを示すことになる。_たとえば、力石を死なせたショックから必殺
パンチを打てなくなり、ドサまわりのボクサーに落ちぶれていたジョーが、ふたたび一流ボク
サーとして甦えるさいの、カーロス・リベラとの試合をみてみよう。かれらは、たがいにダウン
をくりかえす死闘を展開する。そのうちに、かれらには、それぞれに日本とベネズエラの貧民街
で腕力沙汰に生きてきたころの血がさわぎだす。肘打ち、足蹴り、ゴングも無視した戦いになる。
_作者たちはそれを肯定的にえがいている。解説者である登場人物にこんな科白(※せりふ)をいわ
せている。「きれいだ。……ルールをまるで無視した、反則だらけの試合なのに、不思議にきた
ない感じをうけない。……それどころか、小気味よい、さわやかな感じさえする」「ワッショイ、
ワッショイ」かけ声をかけつづけながら、二人をあおりつづける観客たち。「数分後、リング上
には血にそまり、汗にまみれたふたつのぬけがらが、音もなくころがっていた。三万七千の大
観衆は、ボクシングというものの原点を見せつけられたような気がして、じつに満足だった」
――この場面をしめくくるナレーションの引用である。_この実力の論理は、一九五五年から
七〇年あたりにかけての高度成長期を、力のかぎり傷ついて支えた人々のイデオロギーであった。
実力こそがすべてだ。競争に勝ち残ることが善だ。かれらの努力は、敗戦のどん底から出発した
祖国を、経済大国におし上げていった。つまり、人々は、ジョーや力石の生き方に、かれら自身
の生き方、かれらの社会の歴史をかさねてみることができた。二人のボクサーが、時代の社会
意識の結晶であるといった意味はあきらかであろう。》 ※3回目(全4回)に続く 小林って趣味でボディビルをやってただけで他には特に秀でたスポーツ歴はないわけだが
ホーガンも同じなんだよな。
ホーガンはAWAで活躍したのちにWWF王者になったわけだが
小林も同じようにAWAで活躍してからIWA王者になった。
小林はタレントに転向してからも映画やドラマ、バラエティとそこそこ売れてたし
売り出し方次第ではもっと人気のあるレスラーになれたのではないかと思う。
TBS時代にそれができていれば国際ももっと持っただろうに。 感情的になりやすい対戦よりラクだったんじゃないのかな?
新日でタッグを組んだポーゴとナガサキも関係は悪くて試合中にたまに会話する以外は
口も聞かず別行動するほど嫌っていた・・・
逆にコックスはシリーズ中でタッグを組んでいたマードックと最終戦に対戦が組まれて
困惑するもさすが二人はプロ!試合は好試合になり評判を聞いたアメリカのプロモーター
からの二人の対戦オファーが殺到してまんざらでも無かった。 《追記‐今後の目標》
スレ経由ではなく、GoogleやYahooやMSNなどの検索エンジン経由で流入してくる訪問者の皆さんは、
次の検索ワードなどで、探してみてほしいものだ。
《原作者‐おすすめ検索ワード・リスト》
・3D‐CGコミック
・Poser劇画
・フルデジタル・フルカラー劇画
・フルデジタル制作環境でやってます
・白黒昭和劇画との決別
・金髪グラマー美女ヒロイン 大爆裂 大爆発
・死ぬほどド派手 生きたくなるほど華やか
・熱血王道エンタテイメント路線マンガ
・スーパーヒーロー劇画
・スーパーヒーロー・コミック
・スーパー・ヒロイン大好き
・スーパー・ヒロイン‐キャラ立ち
・剛直無頼・天下無双・華美乱舞のヒーロー・ヒロインたち
特に前半の検索ワードで連続ヒットすると原作者&3D‐CGクリエイターとしては、感動します。。。。。 みんな賛否あるね。2人とも全盛期は移籍前というのは野暮だが
ブッチャーの引き抜きは、新日がより全日を潰す目的しかなかった。
猪木も8.26で手を合わせて「ウチに欲しい!」とは思わんかったと思う。
結果、新日は倍返しくらった….そのまま居ても次世代に抜かれていただろうけど。 大木はテレビで見た(同胞の英雄である)力道山に憧れ密入国し、力道山に直訴し入門が許されたというギミックだった。
初の海外遠征前に力道山に「お前は韓国人なのだから頭突きだ」と言われ下駄で頭を殴られ鍛えた等の逸話や
漫画タイガーマスクでも全アジアプロレス王座選手権に日本代表タイガーマスク韓国代表大木で参加している。
日プロ新日合併案は韓国に「帰っていた」大木の反対で最終的に潰れたと当時からも報道されてた。全日参加即離脱時には「韓国へ戻った」、馬場との日韓師弟対決ではリングネームはキム・イル。
力道山時代は表立っては言わないがファンは周知の事実で、新体制〜BI方砲時代には普通にアナウンス。新日全日時代になってはガウンも民族衣装風の物も使用していた。
韓国籍だと隠されていたプロレスラーは星野や長州こそ代表で大木は明らかに違う。
当時を生きプロレス格闘技界のフィクサー梶原に対して見てもいないし調べもしないハッキリ言えばプロレスには興味がない森を比べるなんておかしすぎるぞ。 msx初代は高性能だけどスクロールないから
ゼビウスとか移植できんかったと
固定画面のドンキーコングみたいのは可能だけどと
>BG(背景)はなく、1画面中に380個(横方向に96個)まで表示できる
>16×512ドットのスプライトのみで表現するというもの
>また、スコア表示などを目的とした、スクロール機能のないFIX画面を
>スプライトの手前に1画面持っている。
これがBGで背景はやっぱ全部スプライトでやってるのか 《_ぼくたちもグリムやアンデルセン、「アラビアンナイト」や「西遊記」が好きでした。「のら
くろ」や「冒険ダン吉」に夢中になりました。山中峯太郎、南洋一郎、海野十三に熱中し、国民
学校六年生の夏に終戦を迎え、それぞれ中学(旧制)に進学し、そろそろ空想の世界ばかりに浸って
もいられないという時期に、巡り合ったのが「新宝島」(※手塚治虫)なのです。新鮮な衝撃でした。
この衝撃の大きさは、いくら具体的に説明しても経験した人でなければ通じないと思います。今、
復刻版を読んでもダメです。あの時代まで溯(さかのぼ)り、ぼくらと同じ年代になって読んで貰わ
ねば、到底実感できないでしょう。以後、年間八冊ほどのペースで刊行される手塚マンガに、ぼく
らは本当にのめりこんだものです。一冊ごとに、新しい世界がありました。地底に密林に、大宇宙
に未来社会に、繰り広げられる大冒険。人間の空想力に限界はないのだなと、つくづく感じ入った
ようなわけです。こんなマンガをぼくらも書いてみたいと思いました。〜この思いは今も変わりま
せん。だから、ぼくらのマンガには、[〜]ほとんどの作品に空想的な部分が大きな比重を占めてい
ます。「オバQ」も「ドラえもん」も「カンビュセスの籤」も、一言で言えば不思議話です。根は
一つ。表現法が少しばかり違うだけなのです。〜〜》 ※引用終わり。他には、映画を観て自作の
短篇との類似に驚いた、SF映画『ウエストワールド』(1973/米)と『休日のガンマン』(1973年)、
SF映画『ソイレント・グリーン』(1973/米)と『定年退食』(1973年)は、盗作でもマネでもない!
と書かれています。SF作家のウィリアム・ギブスン(1948−)が『ブレードランナー』(1982/米)を
映画館で観て、自作と共通した世界観に驚き、影響を受けたくなくて?途中退出したとか昔に読んだ。 首相動静(12月15日)
2020年12月15日22時46分
午後7時33分、同所発。同43分、東京・赤坂のイタリア料理店「VaccaRossa」着。自民党の秋本真利衆院議員、加藤仁日本風力発電協会代表理事と会食。
午後8時5分、同所発。
午後8時15分、東京・六本木のアークヒルズ仙石山森タワー着。同ビル内の「ステーキそらしお」でフジテレビの宮内正喜会長、遠藤龍之介社長、東京五輪・パラリンピック組織委員会の高橋治之理事と会食。
午後9時21分、同所発。
首相動静(12月16日)
2020年12月16日22時23分
同43分、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急着。同ホテル内の日本料理店「水簾」で横浜銀行の大矢恭好頭取、大久保千行顧問と会食。
午後7時30分、同ホテル発。
午後7時37分、東京・日比谷公園のフランス料理店「日比谷パレス」着。小田尚読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員、粕谷賢之日本テレビ執行役員、政治ジャーナリストの田崎史郎氏と懇談。
午後9時5分、同所発。
午後9時13分、東京・赤坂の衆院議員宿舎着。
午後10時20分現在、同議員宿舎。
首相動静(12月17日)
2020年12月17日22時06分
午前7時24分、官邸発。同26分、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急着。同ホテル内のレストラン「ORIGAMI」でビジネス誌「プレジデント」の小倉健一編集長と朝食。 元々花籠部屋は二所ノ関一門の傍流で
その花籠部屋を大きくしたのが初代若乃花
若乃花は引退後、二子山親方になり
花籠部屋から分家独立してに二子山部屋を構えた
その後、花籠部屋は輪島や魁傑を擁し
一時は角界でも有数の二所ノ関一門でも最有力勢力となった
二子山部屋も貴ノ花や二代目若乃花(若三杉)等を擁し
負けないほどの勢力を誇ったが
そこはあくまで角界のしきたりで花籠から分家した立場だった
二子山からすると自分が大きくした“本家”花籠を
部屋の後輩にあたる輪島が引退後部屋を継いだ形なわけで
(輪島の入門は二子山独立のはるか後なんでタイミング的に仕方ないんだけど)
弟の貴ノ花がライバルと言われながらも横綱に届かなかったのも併せて
輪島と輪島が親方時代の花籠部屋には元々良い印象持ってなかった
そんな二子山にとって自分が相撲協会の理事長時代に
輪島の親方株抵当の借金問題が出たのは
「復讐」のためのまさに千載一遇のチャンスだったんだよ
輪島の理事長就任の目は…
二子山の理事長就任は二横綱二大関を育てた功績によるものが大きく
それまで理事長は名門の出羽の海一門と時津風一門の持ち回り
それだけに二子山在職時の権力政治力は相当に強くて
また二子山の後の理事長は出羽海一門の出羽の海
時津風一門の時津風ときて出羽海一門の一代年寄北の湖だから
輪島(花籠)の理事長の目は二子山がいる限りは恐らく無かったんじゃないかなと思う 《_そして、この実力の論理は、おそらくは劇画というマス・カルチャーの新しいメディア
の発展にみられる論理であり、劇画家たちの生き方の論理でもあったはずだ。_五〇年代の
終わりちかく、のちに劇画というメディアにいたるいくつかの模索の試みがあらわれる。
それらは、手塚治虫が主導してきたストーリー・マンガの物語性をいっそう徹底させようと
いう試みであったり、紙芝居の衰退にともなうその作家たちの転身の試みであったりした。
時代はそれにふさわしいエンターテインメントのメディアとして劇画を要求しており、その
メディアへの試みは急速に成功する。_しかし、マス・カルチャーの分野で新しく登場する
メディアは、いつでも、白眼視され誹謗される。古い世代の人々は、単に自分たちがその
メディアに馴染めないという理由だけで、それを低俗なもの、いかがわしいものとみる。とく
に新世代の行動や思想にみられる満足できない部分は、すべてそのメディアのせいにされる。
_かつては、映画やジャズが不良青年、不良少女の娯楽であった。映画館通いは不良化の兆候
とみなされた。歴史はくりかえす。いまは、劇画が若い世代の暴力好みや反知性的傾向の原因
であるとされる。このような状況のもとで、劇画にとって自らを支えるには実力の論理しかなか
った。とやかくいいたい奴にはいわせておけ。とにかく面白い作品をかくこと、それによって
人々の心をとらえることこそが肝要である。新しいメディアは、それが新しいゆえに約束事も
少なく、きわめて大胆なテーマ設定、技法実験が可能であった。結果が成功であれば、すべて
が許される。作家たちは実力次第を信じて野放図に進んでいった。》 《_ボクシングはハングリー・スポーツだという。飢えた若者にふさわしいスポーツなの
だ。かれらは、富、名誉、安楽な生活に恵まれず、それらを手に入れたくて苛だっている。
その飢え、その苛だちが、ボクサーとして大成するための原動力である。かれは、自らの
拳の実力でそれらをつかもうと励み、才能と幸運に恵まれていれば成功する。_それに
ならっていえば、草創期の劇画はハングリー・アートであった。それは飢えた若者にふさ
わしいマス・カルチャーのメディアであった。この場合の飢えは、一方ではボクサーと同じ
ように富や名声にたいするものであろうが、他方では自己表現の機会に対する飢えである。
その飢えを原動力に、かれらは自らのペン=実力で望むものを手に入れようと突き進んだ。
「あしたのジョー」は、ハングリー・アートがハングリー・スポーツを素材にしたもので
ある。それは、本質的に同一のマス・カルチャーの出逢いであり、たがいの魅力が相乗され
ることになった。_高度成長、プロ・ボクシング、劇画。それらに共通するのは、青年的な
なにかである。高度成長は、比喩的にいえば、経済構造の青年期である。プロ・ボクシング
は青年の職業である。劇画はユース・カルチャーの一環である。この作品は、青春の熱っぽさ
をさまざまに感じさせる。_しかし、青年はやがて老いる。力石は死んだ。ジョーは白く燃え
つきた。けれども、われわれは残って生きねばならない。低成長期の暗転期に、中年、初老
の生活者として。そのわれわれにとって、「あしたのジョー」はなにも与えないなどと、もの
ほしげにいうべきではあるまい。いさぎよい別れの言葉を。さようなら、ジョー。さようなら、
充実していた不毛な青春。》 ※終わり(全4回)。率直に、私はこの解説に感動した口です。
ちなみに、解説されている副田義也氏を「マンガ評論」の分野において苛烈に批判している
のが、呉智英(くれ・ともふさ)『現代マンガの全体像』。呉氏の「罵倒芸」?も味わえる名著。 東京都渋谷区道玄坂に本拠を置く飲食店経営の「株式会社RIT」は、4月1日付で東京地方裁判所へ自己破産を申請し倒産したことが明らかになりました。
2003年に設立の同社は、「香港スイーツ・果香」の屋号で東京・自由ヶ丘の複合飲食施設・スイーツフォレストと立川ルミネに2店舗を展開していました。
しかし、消費増税の影響で客足が減少すると、今年に入り新型コロナウイルスの感染拡大による影響でさらなる業績の悪化を招いたため、資金繰りの行き詰まりから事業継続が困難な状況となり今回の措置に至ったようです。
負債総額は約1億1000万円の見通しです。 茨城県潮来市に本拠を置くホテル経営の「株式会社富士屋ホテル」は、3月30日付で水戸地方裁判所麻生支部に自己破産を申請し倒産したことが明らかになりました。
1975年に創業の同社は、1979年に客室数40室のホテル「潮来富士屋ホテル」を開業すると、1989年には常陸利根川を挟んだ対岸に結婚式場の「別館・開花亭」(千葉県香取市)を開業するなど事業を拡大していました。
しかし、レジャーの多様化や高速道路の整備による宿泊需要の減少で業績が悪化すると、設備投資による借入金が資金繰りを逼迫したため、2003年に民事再生法の適用を申請していました。
その後も、景気低迷や東日本大震災による売上減で厳しい環境が続いたほか、新型コロナウイルスの感染拡大による宿泊のキャンセルが相次いだことで、今後の見通しも立たないことから、これ以上の事業継続は困難と判断し今回の措置に至ったようです。
負債総額は約1億5000万円の見通しです。 東京都渋谷区神南に本拠を置く出版社の「株式会社小林出版」は、3月24日付で東京地方裁判所より破産手続の開始決定を受け倒産したことが明らかになりました。
2017年に設立の同社は、大学の福祉関連学部向けに介護・福祉関連の教科書を出版・販売していました。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、取引先の大学が休校を決定した影響で、当初の計画通りに教科書を販売することが困難となったため、資金繰りが行き詰まり事業継続を断念したようです。
負債総額は約1600万円の見通しです。 このスレ荒らしてる長文コピペ荒らしと俺が立てたスレにしつこく駄文糞レスしてくる
キチガイ二匹はとっととコロナに感染して直ぐにでも氏んで欲しいよ! 12月14日から20日までに起こった不景気な出来事を総括する「週刊不景気ニュース」。人員削減の発表が相次いだ1週間となりました。
破産申請(準備含む)により倒産したのは、沖縄のバス会社「中部観光サービス」、東京の店舗内装工事「エイアンドティー」、秋田の飲食店経営「サン・サービス」となりました。
人員削減では、電源・電装製品製造の「新電元工業」が140名の希望退職者を募集、印刷業の「竹田印刷」が100名の希望退職者を募集、広告・宣伝用プリンタ製造の「ローランド ディー.ジー.」が150名の希望退職者を募集、光学機器メーカーの「オリンパス」が社外転進支援制度により950名を削減するとそれぞれ発表しました。また、挙式サービス大手「ワタベウェディング」の希望退職者募集に126名、カメラレンズメーカー「タムロン」の希望退職者募集に204名がそれぞれ応募しました。
事業撤退などでは、発砲プラスチック大手の「JSP」が北米の電子線架橋発泡ポリエチレンシート事業から撤退し、アパレルメーカーの「アダストリア」が韓国事業から撤退、「JR西日本」がみどりの窓口を半減、ラジコン機器製造の「双葉電子工業」が子会社「フタバ産業」を解散、兵庫の百貨店「三田阪急」が閉店するとそれぞれ発表しました。
そのほか、赤字業績を発表したのは、結婚式場運営の「アイ・ケイ・ケイ」、バイオベンチャーの「モダリス」、駐車場運営の「パーク24」、医薬品ベンチャーの「ソレイジア・ファーマ」、ボトラー大手の「コカ・コーラ ボトラーズジャパンホールディングス」、産業用クラッチ製造の「小倉クラッチ」などとなりました。 東証・名証1部上場の自動車大手「トヨタ自動車」は、2020年12月上旬をもって小型車の「ポルテ」「スペイド」を、2021年3月末をもってワゴン車の「プリウスα」と小型セダンの「プレミオ」「アリオン」を、それぞれ生産終了すると発表しました。
ポルテ・スペイドは安価ながら広い室内空間や使い勝手が人気で、プレミオ・アリオンはセダンを好む中高年向けに、プリウスαはプリウスの派生モデルとして広い荷室が特徴だったものの、近年は販売が低迷していることから今回の決定に至ったようです。
トヨタは、2019年10月をもってミニバンの「エスティマ」を、2019年12月をもって中型セダンの「マークX」を生産終了するなど販売車種の整理を進めています。 2019年11月に突如として閉園したことを既報の保育施設運営「株式会社マム・クラブ」(東京都世田谷区三軒茶屋)は、6月3日付で東京地方裁判所より破産手続の開始決定を受け倒産したことが明らかになりました。
1998年に創業の同社は、東京都世田谷区の三軒茶屋・尾山台・豪徳寺・下北沢や長野県白馬村で保育施設の「プレスクール・マム・クラブ」を運営し、0歳児から預けられる一時保育・プレスクールとして、ゲームや英語レッスンなどの学習を行っていました。
しかし、競争激化により業績が悪化したため、施設を相次ぎ閉園し最終的には三軒茶屋の施設のみを運営していたものの、資金繰りの行き詰まりから事業を停止し、2019年11月29日付で事後処理を弁護士に一任していました。
ところが、その後も従業員により自主運営が続けられたことで、その動向に注目が集まっていたものの、同年12月には自主運営を止め閉園していました。
負債総額は約4000万円の見通しです。 東証1部上場のアパート賃貸大手「レオパレス21」は、希望退職者の募集による1000名の人員削減を明らかにしました。
対象となるのは35歳以上の社員で、退職日は8月31日の予定です。退職者には特別退職金を別途支給するほか、希望者には再就職支援を実施する方針で、この施策に伴う特別退職金などの費用として約30億円の特別損失を見込みます。
界壁の施工不備による一連の問題に対して、抜本的な事業再構築策の一環として実施するもので、ホテル・リゾート事業や国際事業を譲渡・撤退する方針も併せて明らかにしました。
また、代表取締役社長の報酬を90%減額するなど役員報酬の追加減額を実施するほか、顧問・相談役制度を廃止することも明らかにしました。 アメリカ発祥のカジュアルレストラン「HOOTERS」(フーターズ)を国内で運営する「ファン・ダイニング株式会社」(東京都中央区)は、8月21日をもって赤坂店(東京都港区)を閉店すると発表しました。
2010年にオープンした赤坂店は、HOOTERSの日本国内1号店として営業を続け、独特のコスチュームで接客するウエイトレスが話題となり人気を集めていました。しかし、その後は話題の一巡により客数が減少するなか、新型コロナウイルス感染症による飲食業界の環境変化も重なり、10年の歴史に幕を閉じる決定に至ったようです。
HOOTERSを巡っては、最盛期に国内で7店舗を展開していたものの、積極的な事業拡大が裏目となり業績が悪化していました。そのため、2019年3月に当時の運営会社だった「株式会社エッチジェー」(東京都新宿区)が民事再生法の適用を申請し、その後はファン・ダイニングが事業を承継していました。
なお、赤坂店の閉店により、国内に残るのは銀座店(東京都中央区)の1店舗のみとなります。 東証1部・札証上場の飲料大手「サッポロホールディングス」は、2月13日付で公表していた早期退職優遇制度に合計で110名が応募したことを明らかにしました。
対象となったのは子会社「サッポロビール」に在籍する勤続10年以上かつ満45歳以上の社員で、一次申請期間に51名、二次申請期間に59名がそれぞれ応募しました。なお、退職日はそれぞれ11月20日と2021年5月20日です。
バブル期に入社をした社員を中心として世代構成に歪みが生じていることから、その是正を目的として今回の削減となりました。 三重県志摩市に本拠を置く旅館経営の「株式会社星たる観光」は、事業を停止し事後処理を弁護士に一任、自己破産申請の準備に入ったことが明らかになりました。
2014年に設立の同社は、全室露天風呂付きの宿「星たる」(ほたる)の経営を手掛け、同施設は2016年にリニューアルした離れ7室を含む全9室の小規模宿で、2500坪の広大な敷地に建つ贅沢な空間や露天風呂・英虞湾の眺望が人気を得ていました。
しかし、近年は客足の落ち込みで売上が減少すると、設備投資による多額の借入金が資金繰りを逼迫したほか、直近では新型コロナウイルスの感染拡大によるキャンセルや、大型連休の予約不調などから先行きのめどが立たず、事業継続は困難と判断し今回の措置に至ったようです。
負債総額は約2億円の見通しです 石川県七尾市に本拠を置く管材卸の「株式会社和倉屋金物店」は、3月27日までに事業を停止し事後処理を弁護士に一任、自己破産申請の準備に入ったことが明らかになりました。
同社は、1833年に金物販売を目的として創業すると、その後は管材や住宅設備機器の卸を主力に事業を展開していました。
しかし、バブル崩壊後は売上の減少で業績低迷が続いたことに加え、直近では新型コロナウイルスの感染拡大による中国からの部品供給の遅延で、住宅設備機器の仕入に支障を来したため、事業継続が困難となり今回の措置に至ったようです。
負債総額は約2億円の見通しです。 北海道夕張市に本拠を置くスキー場運営の「夕張リゾート株式会社」は、12月24日付で破産申立てを行うことを決定したと発表しました。
2007年に設立の同社は、夕張市のスキー場「マウントレースイスキー場」の運営を主力に事業を展開するほか、「ホテルマウントレースイ」「ゆうばりホテルシューパロ」「合宿の宿ひまわり」などの宿泊施設を運営していました。
しかし、新型コロナウイルス感染症の影響で運営施設の休業を余儀なくされたほか、感染症の終息が見通せないなか、営業再開が困難なことから事業継続を断念し今回の措置に至ったようです。 官報によると、富山県上市町に本拠を置く創薬ベンチャーの「アスタファーマシューティカルズ株式会社」は、12月10日付で富山地方裁判所より破産手続の開始決定を受け倒産したことが明らかになりました。
2015年に設立の同社は、慢性炎症に対する抗炎症作用が期待されるアスタキサンチン誘導体などの研究・開発を主力に事業を展開していました。
負債総額は約27億円の見込みで、事件番号は令和2年(フ)第185号、破産債権の届出期間は2021年1月20日まで、財産状況報告集会・一般調査・廃止意見聴取・計算報告の期日は2021年2月25日までです。 東証1部上場の化学大手「三菱ケミカルホールディングス」は、連結子会社の「三菱ケミカル」において、キャリアチェンジ・サポート・プログラムによる人員削減の実施を明らかにしました。
対象となるのは満50歳以上かつ勤続10年以上の管理職社員および管理職再雇用社員で、退職日は2021年3月末・4月末・5月末・6月末のいずれかの予定です。退職者には特別加算金および特別賞与を支給するほか、希望者には再就職支援を実施する方針です。
組織および機能の再編の一環として実施するもので、三菱ケミカルの子会社「ルーサイト・インターナショナル」(アメリカ)のボーモント工場を閉鎖することも併せて明らかにしました。 しかし、スマートフォンの販売に必要な技術基準適合証明を取得せずに販売したほか、スマートフォンバッテリーの発火やカタログ誤記の頻発など数々の問題が相次いだことで信頼が失墜するなか、ブランド廃止の決定に至ったようです。
なお、生産管理支援などで協力関係にある家電ベンチャーの「Cerevo」(東京都千代田区)が、2021年1月1日付でUPQを吸収合併し、製品サポートなどを継続することも併せて明らかにしました。 しかし、新興の格安航空会社が台頭するなかで価格競争が激化したほか、燃料費の高騰などのコスト増が重なり資金繰りが悪化したため、これ以上の事業継続が困難となり今回の措置に至ったようです。
なお、同社はすでに営業ライセンスを失っていることに加え、会社管理手続きに入っていることから、代替便への振り替えも不可能な状況のため、モナーク航空を利用した約11万人が海外で足止めを食らっており、イギリスの民間航空局によると、無料での帰国便の手配が済むまで、旅行者は空港へ行かないよう求めています。 東京証券取引所は、ジャスダック上場の貿易商社「太洋物産」を上場廃止に係る猶予期間入り銘柄に指定すると発表しました。
これは、同社が2020年9月期決算において1億5300万円の債務超過に陥ったための措置で、猶予期間となる2022年9月30日までに債務超過を解消できない場合は上場廃止となります。
新型コロナウイルス感染症の影響により、外食産業を主な販売先とする畜産物の需要が急減したことに加え、オリンピックなど来日観光客の増加を見込んだ鶏肉の在庫が過剰となり商品評価損を計上するなど事業環境が悪化していることから、純資産が1億5300万円の債務超過に陥りました。 ここを荒らしてる池沼嵐といい、俺にしつこく粘着して俺がそいつに対してレスしたら
返しがまさに無能のクソ返しで自分では返しの一つも考えられないのか?人が書いた
レスのコピペをただ貼る事ぐらいしか出来ない無能の池沼キチガイは生きてても
世の中の為には全くならないので一刻も早くコロナに感染して史んでくれ。 このスレ荒らしてる池沼と俺が立てたスレをコピペで荒らす真正のキチガイ
二匹は同レベルで虫ケラ以下の池沼キ・チ・ガ・イ(笑) なんか荒されてるな
思えばWWFのレッスルマニア初めて見たのもレンタルビデオ屋だった
ホーガンが馬鹿全開パワーでその後ホーガンがフセインっぽい悪役と闘う映画もあったな
ゴールデンボンバーだったか?
昭和末期のレンタルビデオ屋楽しかった レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。