続・レンタルビデオ屋の思い出 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
最初は海賊版だらけで公開前の作品とかも置いてあった また値段も非常にたかくてレンタル一本1200円とかしましたね〜 そして当時だけの作品 今はDVD化されていないものも沢山あります
なお、アダルトビデオの話は禁止
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1479714857/ 閉店前にDVD1枚100円から300円で投げ売りするパターン多いので
潰れそうな店を毎週チェケしる! 他所の店はずっとレンタル中で絶対に借りられない最新ビデオが
儂が行ってた個人経営の店は何時も空いてるんだけど粗悪画質のダビング品だった
マクセルとか普通のテープのまま平気でレンタルしてた
どうも経営者が極道だったみたい カバン屋から買ったダビング品を置いてる店とか合ったね 王子TSUTAYA8/23閉店
ここはもともとはリバティだった。
これで王子からレンタルビデオ店がなくなった。
レンタルしたければ赤羽か板橋のTSUTAYAに行くしかない。
あと板橋本町のゲオとか。 早く見たけれダビングでも借りるわな
何度も店に行くのも面倒だし アマゾンプライムは安いけど、うちのテレビは古いから、テレビでは見れない。
PCでは見たくないんだよなあ。 >>858
PS3か4をテレビに繋いで専用アプリをダウンロードすればよろし。
NetflixやHuleなどのアプリもあるしPSがあれば旧式テレビが即座にスマートテレビになります。 プレーステーション、持っていません。。。
テレビの寿命が来るまで、DVDで頑張ります。。。 今だとFire TV Stickってやつでいけるんじゃないの?
テレビにHDMIさえあれば繋がるみたい
スマホやPCとChromecastの組み合わせでもいけるとか
一番ポピュラーで敷居が低いのはPS4でしょうね
「アマプラ テレビで見る」で検索するといいよ >>853
昭和時代かよと思ったけど旧作1本100円が普通になったのは平成二桁に入ってからなんだよな >>862
ウチの実家の行きつけはボーリング場と併設してて
平成3ー4年には100円(103円)だった
但し、2と7がつく日ね その日にどうしてもロボコップが観たくて1時間以上店内で粘ったなぁw >>864
上(俺)へのレス?
思い出したが日付変更線が夜中4時だとしたら
3時ごろには店内満員なんだよw
品を確保して深夜3時55分にはレジ前に列ができてる
決して会計はしない、4時を待つ列w 本格的にコピーガード入れたのはアンタッチャブルかな 中目黒のツタヤが閉店してしまうそうで、
もうレンタルビデオ屋は、なくなってしまうのか?
渋谷のツタヤも、そのうち閉店かな。
行ったことないけど。
あんな場所でDVD借りる人なんていないよね。 アメリカなんてレンタルビデオ店は一軒を除きとっくの昔に消滅、
ノスタルジーに浸るためその一軒に全米から客が来てビデオを借りていくのだとか。 ツタヤはアニメコーナー削って韓流コーナー増やしたから消えてもいいよ 松任谷ユーミンが90年代にラジオでしてたレンタルビデオ屋の話すごく記憶にある。
店長から「ユーミンさん、載ってましたよ?」と話しかけられたから
「え?!ニューアルバムの事が雑誌に載ってたの読んでくれたのかなぁw」
と思いきや、延滞のブラックリストだったって話。
もうとうの昔になくなった二子の小さなレンタルビデオ屋。。 今から20年以上前、中古ビデオハンターをしていた頃にオリジナルのジャケットケース
欲しさに個人経営のレンタル店でジャケットケースだけを万引きした事がある。
不思議な事にパクった店はその数年後に火事で全焼している為、完全な時効。 >>864
ロボコップに限らず、日本語吹き替えって意外に無いんだよな。CSなら放送してくれるけど現在のDVDレンタルの類には置いてない作品も多い。その点VHSなら置いてたけど、最近は無いからね。
俺は見たい希少な作品があれば5件は回ったこともあるね。もう意地でも見るほうだから。我々は人間だからね。 出来ない鮮やかな心理描写の三点だと思う。 そして彼は映画が好きだ。 好き、というか、小説を
書いていては満たされない視覚性を映画に求めているせいなのだと思うが、[〜]。 また。同じ
つづり替え(アナグラム)の名前のよしみか、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」にもこだわり
を持っていて、[〜]。 なんだかよくわからないけれど、でもワクワクしてしまう……ジャプリゾが
かかわった作品には、いつも、そんな楽しさがある。『狼は天使の匂い』にも『雨の訪問者』やジャン・
エルマン監督の『さらば友よ』にもあった“ごっこ遊び”の楽しみ。〜ジャプリゾの小説そのものは、
話が用意周到に組み立てられて冷たく、人をつき放すようなところがあるのだが、映画になると、
冷たさは消えて曖昧な温かみが生まれてくる。 男たちは、女にとっては妬ましいほど仲が良く、
チャーミングなヒロインたちは、心にさまざまな傷を負わされるものの、ゾッとするほどひどい結果が
待っているわけではない。 ジャプリゾが関係したスリラーやサスペンス映画は、いつも、そこにある
甘い雰囲気、ムードで私を楽しませてくれたのだ。 こうなると、やはり、ムード・サスペンス・
スリラーというのは、ジャプリゾ映画に代表される、なんてことはどうでも良く、私はジャプリゾが
好き、ってことが言いたかっただけかな!? 》 ※「Why so serious?」な「雰囲気だけ」のサスペンス?! 読んだだけすごい。
読んでもいない、わけわからん。 >>876-877
コイツ→>>875は映画一般・8mm板のあるスレに粘着している長文マルチコピペ
荒らしじゃん。 ギャヴィン・ミラー(1938−)監督作は3本だけ鑑賞。「テレビ畑」出身の監督。
英国スコットランドの出身。↓私の評価順。独断評価で△=佳作、▼=凡作。
△『ドリームチャイルド』(1985/英) ※[◯=秀作]寄り >>201-202
△『高貴なる殺人』(1991/英/TV映画) ■未DVD化■
▼『サイコ2001』(2000/英) ※嫌いじゃないですが佳作には届かず >>186
※ジョン・ル・カレ原作の殺人ミステリー『高貴なる殺人』には重要な脇役で
10代のクリスチャン・ベール(1974−)が出演。美少年っぷり?を披露しています。 1『十字路の夜』(1932/仏)
2『犯人は21番に住む』(1942/仏)
3『肉体の冠』(1952/仏)
4『エヴァの匂い』(1962/仏+伊)
5『ジュデックス』(1963/仏+伊) ■未DVD化■
6『メイド・イン・USA』(1966/仏)
7『黒衣の花嫁』(1968/仏+伊)
8『オー!』(1968/仏+伊)
9『リスボン特急』(1972/仏+伊)
10『Merry-Go-Round』(1980/仏) [未公開/未ソフト化] ※ジャック・リヴェット監督
次点『バロッコ』(1976/仏)
※3、4、6だけビデオで鑑賞。偉そうですが私の評価は3本とも凡作▼です。 レンタルビデオ屋に行ったらどこの店でもホラーのブースで必ず置いてあったような気がするのだが
・悪魔の改造人間
・ソサエティー
・食人族
・クジョー
殆どどこの店でも絶対置いてた。観たのはソサエティーだけです。これは地上波で放送されてました。まあまあ面白いです。
他は全部見たことないけど、改造人間はロボコップに似た作品のようだが、実はロボコップより先に作られたようだ。(ということだけは知っている・・)
食人族は、まあタイトルで大体想像つきますが、地上波では無理でしょうね。
クジョーってのは狂暴な犬の話で、割と評判が良いらしい。(観てないけど)
しかし、私が不思議なのは、なぜ、どこのレンタルショップでも、これを必ず置いてたのか?よほど名作だったのか? >>881
そのビデオを販売してた会社の売り込みが上手かったから、ビデオを安く買えたから、とかじゃね?
(昔のレンタル店は個人経営が大半、しかも店主が映画好きとは限らずなんかブームだからと手を出す人も多かったそうで
そんな人達はビデオ販売会社の言いなりにビデオを買い込みがちだったそうな) 1本1200円の頃とかは借りた事無いなあ
4本や5本で1000円の頃ぐらいかな借りるようになったのは
テレビでやらないようなVシネマとかよく借りてたわ
哀川翔の鉄砲玉とか
仲村トオルの狙撃とかそういうの
後はスター・ウォーズとかゴッドファーザーみたいに有名どころだけど中々テレビ放送しないやつ 私も1200円で借りたことは無いですね(笑)だから500円、600円で借りれる店が出始めたら、繁盛してたし、利用してました。当時はそれが安い値段だったから。
>>882
コスパが良かった作品が、売り込みに任せて、必然的に置かれていた、ということですかね。希少価値が高い作品は当然仕入れ値も張りますからね。。。
個人経営に手を出す人は当時は多かったでしょうねー
ビデオデッキは普及した。でも他は何も普及していない。(BS、CS、ネットなど)
こういう状況ではレンタルビデオしか無いんだから、商売繁盛してたでしょうね。今は苦しい時代になりました。 >>884
たまたま使ってみたアマゾンプライムビデオがあまりに快適(しかもレンタルビデオよりさらに安価)だったので
ああもうレンタルビデオビジネスは終ったんだとしみじみ思いました… 悲しいけどサブスクリプションの便利さに気が付いたらレンタルビデオ屋に行くことは無くなるね… サブスクには勝てなくなりました・・アマゾンビデオはかなり「強豪」。私はアベマとかよく観てます。
VHSレンタルも一部では復活の兆しがあるようですが。近所の店でもVHS置いてる店が一軒だけあります。 VHSレンタルって。。。
VHSデッキ持ってる人って、今いるの? 再生専用なら持ってますよ。まだ動きます。VHSデッキのレンタルもやってる店もあるようです。中古なら1万円ぐらいで売ってますね 熱誠(ねっせい)earnestness(アーネストネス)を家族全員、心に思いました。 昔はレンタルビデオでジャケット眺めつつ店の人とあれこれ駄弁ったりするのが
面白かったし時には勉強にもなったが、今はそういう楽しみすらなくなったのは
仕方ないとはいえ少し可哀想な気もする。 大晦日の晩に24時間営業のツタヤに集まって初詣に行ったりした 今のブルーレイや4Kブルーレイを見てると、1980年代に市販ビデオソフトで15000円とかしてたのは本当にボッタクリだと思うわ
ゴッドファーザーとかプラトーンとか当時のビデオソフトの映像なんて暗すぎて何をやってるのかよく分からない
元の画質は綺麗なのに、よくあんな糞画像で15000円とかで販売してたと思うわ
まあ家庭用のビデオシステムでは当時性能的な限界があるのは分かってるがボッタクリすぎ
1980年代後半?に廉価版で3000円ぐらいに価格を落として、やっと本当に好きな作品だと買って見ようかなあと思わせたけど
15000円の頃や、得点だの完全版だの、その3000円の廉価版だと字幕だけで日本語吹き替え無いし
後から日本語吹き替え版とか販売するなら
初めからそうやれよ
そういうエゲツない売り方したから、呆れてDVDの途中から今のブルーレイとかも
買わない
消費者を舐めきった販売方法したから二度と買わない DVDやBlu-rayのソフトならプレス機で安価に量産できるがVHSやβは一本一本ダビングして作られてたからなあ。
初期は2時間の映画をダビングするには2時間かかった、デッキを何台も並べても単位時間あたり生産できる数は多くはなかった。
しかもテープの出し入れなどは全て人間の手作業、
ビデオテープのソフトが高かったのは製造するのに時間も人手もかかったから。
元々ホームビデオはテレビ番組を録画再生する目的で作られた家電で映画ソフトを売ろうはビデオデッキが普及してから始まったイレギュラーな使い方。
映画ソフトを売る目的で作られたのはレーザーディスク、DVDからでこれらのソフトはVHS、βと比べかなり安かった。 >>893
まぁその頃はゲームソフトも高かったし時代としか
それに昔は働いた分だけ儲かったし ホームビデオより前となると8mmフィルムで映画のダイジェスト版を売ってる例があったがかなり高価で庶民には無縁な代物だったらしい。
さらに映画好きの金持ちだと16mmフィルムの全長版をコレクションし自宅で上映会をやってたとか。 >>898
芦屋小雁はその手の物のコレクターとして有名だったな >>898
それの無臭エロを
ブルーフィルムと呼ばれたヤツだな >>900
映画監督作や映画関連著作もあるイラストレーターの故和田誠氏もビデオ普及前はフィルムコレクターとして有名だったとか。 >>903
SWSはトータル10本程度は出てた印象。
135にも書かれてるけど、wowowで放送されない大会をビデオ化
してた
ジョージvs佐野(後楽園)は持ってた。
ノー実況だったかな??客の野次がハッキリ入ってたのは
覚えてる
なぜか水道橋チャンピオンには置かれてなかった
ような?? ↑ちなみにその3本は…と思ったら4本あった
@91年2月22日後楽園 ・ジョージvs佐野 ・天龍、石川vs北尾、カブキなど
A91年10月3日後楽園 ・佐野vs北原 ・高野兄弟vsナチュラルパワーズ ・天龍、石川vs原、冬木など
B92年2月12日後楽園 ・天龍vsハーキュリース ・石川、冬木vs仲野、北原 ・高野兄弟vsナチュラルパワーズなど
C92年3月22日後楽園 ・ウルティモvsエルダンディ ・天龍、冬木vs超龍軍 ・アンダーテイカーvsハク ・原vs谷津など >>137
チャンピオンに置いてなかったからそのビデオが存在してたこと知らなかったわ
あったら絶対に借りてたし
SWSがどんなもんか見て見たかったしな 闘魂Vの19巻の武藤vs馳は宮城県スポーツセンターだったせいか
会場の熱狂度が半端なかったな
小橋、菊地がアジアタッグ獲ったときとなんら遜色ないぐらい凄く盛り上がってた 全日が30分枠になり同会場を2週に分けて放送するようになったから
ジャイアントサービスがチャンピオンカーニバルの6大会分ビデオ収録して
販売してくれたのはありがたかった 集まった五十名ほどの小、中学生に質問した。「自分のパパと、星一徹と、どっちがカッコ
イイと思う?」「一徹!」_ほぼ全員が異口同音に呼応した。私は完全に意表をつかれた。
飲んだくれの、唯我独尊の、見果てぬ夢のみ追う偏執狂のスパルタ暴力オヤジを、あのマイ
ホーム・パパたちと暮す現代っ子がカッコイイなる浮薄な評価にせよ、上位にランクする
とは――「ないものねだりですよ、これは」_私は阿部さんに言ったが、ますます一徹人気
は上昇の一途をたどり、私は現代っ子たちの本能的な郷愁を重く受けとめさせられた。
===【スポ根とドン男】=== ※小見出し
「巨人の星」ブームが爆発したのは、高校生になった飛雄馬が甲子園に出場、その決勝戦で
敗退したころだ。連載開始から約一年後である。_主人公が負けたことも新鮮だったらしい。
従来の少年マンガの主人公たちはプロレスの善玉もどき、せいぜいオーバーに苦しんで見せ
こそすれ、とどのつまり逆転勝ちと相場がきまっていた。_親友の伴宙太、宿敵の花形満、
左門豊作などの面々を、たんなる主人公の引立役としてでなく、たまには食ってしまうほど、 キング牧師(1929−1968)の言葉に、『「目には目を」という古い法を守っていたら、世の中の
人々はみんな目が見えなくなってしまう』というのがあるらしい。表現がユニーク。
⇒【The old law of an eye for an eye leaves everyone blind.】 詳しくないジャンルですが、良かった映画を思い出したので一応書き残しておこう。
夢野久作『瓶詰の地獄』じゃないけれど、こんな辺境の地でも、もしかしたら誰かに
届くかもしれない。2本とも「男2・女1」の映画で「ロマコメ」というほどのコメ
ディ要素は無く古い映画ですが、どちらも後味がいいfeel-good movieの[秀作◯]です。 「説教強盗」ならぬ「説教殺し屋」のトム・クルーズは、口を開けば主語のデカい血迷った
「痛いポエム」を吐き散らすし、トムを乗せたタクドラの運ちゃん(ジェイミー・フォックス)は
「明日から本気出す」系の怠惰な中年ドリーマーで、語る夢だけはデカいくせに「乳離れ」すら
ロクにできていない(←入院してるオカンを見舞う場面)。私は序盤の『お前が殺したのかっ?!』
『(平然と)俺は殺していない。銃の引き金を引いただけ。弾丸が殺したんだ』みたいなトムの
アホみたいな「屁理屈(減らず口)」の場面で、この映画に惚れてしまった。本作のトム・クルーズの
白髪交じりの「ふんわり仕上げ」リーゼントは『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985)の主役の
ミッキー・ロークの髪型を意識してるのかな、と妄想がふくらむ。もちろん無関係でしょうが。 マスクド・グラップラー(ボブ・エリス)が来た時、ゴングで「覆面の検闘士」って
紹介されていた。次のゴングを見ると「覆面の格闘士」って修正されていて、子供
ながらに上手いこと修正するなぁって感心した。 アニメ三国志85と三国志II 天翔ける英雄たち
85年に水曜ロードショーで放送されたアニメの三国志だが、これが結構人気あったようでVHSレンタルもやってたんだよね。
内容はかなりカスタマイズされており、劉備の奥さんがハンググライダーで空を飛んだり曹操が金髪だったり于禁が女だったり孔明がアイシャドーしてたり
今では貴重な作品になってしまって、なかなか見ることは叶わない >>17
AWAとの連携は馬場はあまりその気が無かったがガニアと旧知のブレアースPWF会長
から以前から勧められていた。後年にWWF1984に対抗するために「規模の小さなAWA
は飲み込まれる・・・」と危機感を抱きNWAとの提携を繋いだのは馬場だった。
一度はNWA&AWA連合軍でNY近郊に進出する成功せず本丸のMSGはWWFの独占契約
で使用できなかった・・・
>>40
レイスが「単独参戦」の時は全日からのオファーで夫人同伴の時は日本でショッピング
を楽しみたいイボンヌ夫人のレイスへのオファーだったw 馬場にとって個人的には「AWAの世界王者にふさわしい大物」は自分より年長のガニアで
ニックは実年齢ではわずかに年長だけど
レスラーとしてのブレイクは60年代末から70年代に入ったあたりからなんで
どちらかというと同年代からやや下〜ドリーとかブリスコあたりへの感覚に近かったんじゃないかな?
ニックがAWAに定着したのも
馬場が米でブレイクした後に日本に凱旋して押しも押されもせぬエースになったはるか後のこと
ロジャースやテーズはもちろんニックより世代的にはちょっと前になる
スナイダーやエリックやキニスキー、オコーナー、ブルクラ、ブラジル、サンマルチノあたりが
馬場個人にとっての真の意味での「大物」で
ニックやドリー、ブリスコ、レイスあたりの70年代に入ってからトップになったグループとは
同じ大物でも少し温度差がある感覚だったのでは? ドスカラスが初来日した78年サマーアクションシリーズ2の終了が9月14日
翌15日ダイナマイトシリーズ大分大会のポスターにマスカラスが掲載されているんだよね
馬場にすれば集客力のあるマスカラスのレンタルは渋ったが
今までの関係で無下には断れず、マスカラス本人が承諾すればOKという
感じじゃなかったのかな?
想像だけど、マスカラスが無理難題の条件を後から突きつけて
「嫌ならメキシコに帰る」とか、猪木アリ戦のような事を言い出し
馬場が吉原の側ではなくマスカラスの側についたというのが真相じゃないかな?
吉原も決定か仮契約まで済ませてないとポスターの発注までしないと思うんだけど‥ チャーミングなヒロインたちは、心にさまざまな傷を負わされるものの、ゾッとするほどひどい結果が
待っているわけではない。 ジャプリゾが関係したスリラーやサスペンス映画は、いつも、そこにある
甘い雰囲気、ムードで私を楽しませてくれたのだ。 こうなると、やはり、ムード・サスペンス・
スリラーというのは、ジャプリゾ映画に代表される、なんてことはどうでも良く、私はジャプリゾが
好き、ってことが言いたかっただけかな!? 》 ※「Why so serious?」な「雰囲気だけ」のサスペンス?! Noteに【絶版映画本/未DVD化/その他】という名前で
★ドン・シーゲル(1912−1991)「監督」作の私的ランキング(鑑賞済み9本)
★サム・ペキンパー(1925−1984)「監督」作の私的ランキング(鑑賞済み11本)
を投稿済み。ドン・シーゲルはペキンパーの師匠?らしいです。
なぜ映画を見る目も無い?のに、「極私的ランキング」を投稿するかというと、
他人の「作品ランキング」に興味があるから。自分と「近い」部族なら、その人の
薦める映画は参考になる率(=当たりの確率)が上がるだろう、という目論見。
指紋やDNAと同じで完全に一致する他人はいないが、「似た」部族はいるはず。
マイケル・マン監督と黒澤明監督の「私的ランキング」もNoteで公開予定。 ■未DVD化■。「Burden」とは「(精神的な)負荷、重荷」の意味らしい。主演はジョン・
トラボルタ(1954−)で、『パルプ・フィクション』(94)で再ブレイクした後の次の映画。
本篇では一度も説明がありませんが、舞台はアメリカで、白人と黒人の立場が完全に
入れ替わった「IF(もしも)」の世界。企業経営者は黒人のみで、街をたむろするホーム
レスは白人しかいない。黒人社長(演:ハリー・ベラフォンテ)の工場で働くトラボルタ
が社長の自宅(豪邸)に届け物を運んだ時、開け放した窓から社長夫人(黒人)の着替える
姿が「見えて」しまい、これが原因で会社をクビになってしまう。再就職もままならず、
ヤケになった男は、社長を誘拐する……というような話だったと思います。黒人社長が
夕食時に家族でする会話→『あいつら(※白人)は知能の劣った怠け者だ!』。序盤から
中盤ぐらいまでは斬新な設定に魅かれ興味をもって観れましたが、そこからは「斬新さ
の裏返し」で退屈してくる。人種を反転させた「だけ」の展開だったから。オチらしい
オチも無く「深み」に欠けた。監督/脚本に日系アメリカ人のデズモンド・ナカノが選ば
れた?のは、デリケートな問題なので白人でも黒人でもないアジア系だから?と邪推した。 ↑予告。R・ウィドマークの熱演はオーバーアクト気味ですが見事にハマっていた。私は
彼の「主演作」は7本観ていますが、一番よかった。↓J・ダッシン監督作は3本だけ観た。
◎『街の野獣』(1950/英+米/Night and the City) ※白黒。テンポ良し。見事なロケ撮影
◯『裸の町』(1948/米/The Naked City) ※白黒映画 >>192
◯『トプカピ』(1964/米/Topkapi) ※カラー。アホみたいなエピローグの多幸感
※『街の野獣』は、とにかく中盤のプロレスの場面が素晴らしくて、釘付けにさせられる。
私はプロスポーツを実写映画で扱うのが好きではない(TV中継で観た方が面白いから)けれど、
物語的にも重要な「曲がり角」になる本作のプロレス(旧式VS新式?)は異様な迫力でした。
鑑賞直後なので私の評価は最高ですが、何年か経つと秀作◯に変わりそう。いい映画でした。
ロバート・デ・ニーロ主演のリメイク版『ナイト アンド ザ・シティ』(1992/米)は未見。 トワイライトゾーン1983久しぶりに見たけど面白かった 当時名古屋住みだったけど夕方の時間帯でムタvsサムライシローを見た
大学時代に地元の放送でその対戦を見たと周りに伝えたがあれはノーTVだから馳戦の見間違いだろと信じてくれなかった
のちに中国地方とかでも首都圏未放送のテロップ入りで結構放送していたことが分かった
放送する機会がなかっただけで実はテレビカメラ回していた大会ってかなりあるんじゃないかな ノーTVをビデオ化し販売された興行も貴重だが
8ミリ等でセルフ録りされたのが、動画サイトに結構
のぼってて、それらも(軽い)衝撃だわ
ムタ日本デビュー戦 対越中が、見れる映像(ボワボワじゃなく)として
アップされてたのは お宝。 何回も見た
小林邦vs齋藤彰俊の初戦
大仁田vs青柳
山田vsニールセン
初代タイガーvsBタイガー(田コロ)
最高 なんか荒されてるな
思えばWWFのレッスルマニア初めて見たのもレンタルビデオ屋だった
ホーガンが馬鹿全開パワーでその後ホーガンがフセインっぽい悪役と闘う映画もあったな
ゴールデンボンバーだったか?
昭和末期のレンタルビデオ屋楽しかった このスレ荒らしてる長文コピペ荒らしって映画一般・8mm板のあるスレも
荒らしてるバカだろ。 現在の日本相撲協会が公益法人格取ったうえで
正式な意味で文科省の管理下に入ったのってわりと最近のことなので
それまでは一応文部省管轄ではあったけど一般法人として運営されていた
もちろんその性格上様々なお上からの恩恵はあったろうけどね
更に遡ると現在の協会に繋がる流れ以外にも
大阪相撲とか東京にも別団体(協会)とかあって元々は純然たる興行団体だった
(この辺はそれこそ初期のプロレス興行やその後のハイソ化wの流れは歌舞伎の在り様とかと同じ)
現在でも所謂「相撲は国技」という言い方をした時に一部から
「大相撲と古来より神事としてある相撲は本来全く別物」という批判?が出るのはこのため 感情的になりやすい対戦よりラクだったんじゃないのかな?
新日でタッグを組んだポーゴとナガサキも関係は悪くて試合中にたまに会話する以外は
口も聞かず別行動するほど嫌っていた・・・
逆にコックスはシリーズ中でタッグを組んでいたマードックと最終戦に対戦が組まれて
困惑するもさすが二人はプロ!試合は好試合になり評判を聞いたアメリカのプロモーター
からの二人の対戦オファーが殺到してまんざらでも無かった。 キラーコワルスキーが晩年に応じたインタビューで「日本来て一番良かった事は?」と
言う質問に「豆腐を見つけた事だ!あの低カロリー、高タンパクの塊は素晴らしい!
諸君も長生きしたければ豆腐を喰え!」と力説していた。
ハリウッドスターも撮影前のは契約で体重何キロまでとかの契約があるとツナとビーンズ
のみの食事でダイエットする。またオーガニックの食材を使ったレストランで食事して
車は小型の電気自動車という健康志向と地球環境に易しい姿勢をアピールするのが流行らしい。 >>929
こいつは、この板でも、他のスレッドも荒らしてきたよ。
最初は他のみんなにいちいち喧嘩を売ってたけど、言う事がメチャクチャなんで直ぐに論破され、仕方なくコピペ連投するようになった。 どうなんでしょう?でも広告が懐かしかったです。オールマシン
語がうりのゲーム(カレイジアスペルセウスとか)があったり、
タモリがFMシリーズの広告で出てたりとか。後半ページは全国のゲーセンのハイスコア
を出したスコアラーの名前が載ってたりとか。あったねーそんなの。て感じでした
コモドールとかベーシックマスターとかのプログラムものってたりして
すごく懐かしい時間をすごせました。今はフラッシュのコンテンツを
作っている森巧尚さんが投稿したプログラムがあったりとか・・
落札した人には大切にしてほしいと思ってます たしか82年ぐらいに独立したんだよね。
漏れは創刊2号から89年辺りまで買ってた。
10年ぐらい前に親に全部処分されちゃったけど。
うちにあったマイコンはPASOPIA(T-BASIC)とPC-9801UV11で、
前者は兄の高校の部活の備品になって、今はどうなってることやら。
後者は、まだ実機アリ。ただし10年ぐらい火を入れてない筈。
N88-BASIC(86)のディスクも、今は何処にあるか分からん。
あと探せばFS-A1(MSX2)もある筈だが、何処に行ったものやら。 30周年記念の6人タッグに倉持が「大好きなステーキをやめてしゃぶしゃぶやすき焼きにして健康に気をつけてる」と言った時、一緒に見てた家族が「どこが健康な食生活なんだよ」と突っ込んでたが、それくらい極端な偏食だったってことだな
あれから31年経ってやっと理解出来たw 馬場は野菜や魚をそんなに食べないから、元子があれこれ工夫して食べさせてたと、佐藤昭雄がインタビューで言ってたね。
肉は牛肉ばかりで鶏肉は食べない。豚もあまり食べず宿泊先の旅館で出る生姜焼きくらいしか食べなかったと。
好き嫌い多かったのかもしれないね。 >>933
そうなんだサンクス!全くどうしようもないなコイツは
社会不適応者でドコ行っても全く使えない奴なんだな。 あのシステムは芸舞妓の尊厳を守る為に良いことだが、レスポンス悪すぎる
SNSも撮影と合わせて楽しむ時代には致命的だろう
しかし、他の撮影会でも同じようなチェックをすればバツは出るだろう
でもバツが出るという事はそこから学ぶことも多いはず
主催者はなぜバツが出るかをフィードバックしなければならないし、カメラマンの撮影意図も芸舞妓に伝える
そうすることによって芸舞妓とカメラマンはより理解を深められるのではないだろうか 89年かぁ、まだ88とかの新機種が出てた頃か。
ヒロセ無線あたりまでは良く行ってたんだけど
気づかなかったな。
ラオックスは地元ではPC強かったけど
秋葉原ではオーディオとかの印象だったか? 小林亜星の作曲したのは個人的に面白いのが多かった
「げ〜んきいっぱいぱ〜いのらお〜っくす」
「行こー行こーラオックスへ〜」
なんてのもあったが、これはいまいち。
ニコニコ動画等で見られたら見てみたい気もする。
CMって放映している当時は鬱陶しいとしか思わんかったけど 《_力石が死んだ。ジョーがそれをきいた。死闘のリングを二人がおりたあとだ。_あの
ときの、あのページを私はおぼえている。ジョーのおびえた獣があげるような叫び声をおぼ
えている。それから、私をとらえた戦慄もおぼえている。あの戦慄はなにであったのだろう
か。_それは、作品のストーリーの意外な展開がもたらしたなどとだけ、いってすませる
ものではない。あの戦慄は、自分の一部が失われる恐ろしさによっていた。力石が死んだとき、
私のなかの力石が死んだのだ。ジョーの悲鳴が、誌面のみではなく、耳のなかに実際にひびく
ように感じられたのは、私の心がおびえ叫んでいたからだ。要するに、私は、力石であり、
ジョーであった。_多くの読者が、力石の死を悼んで、「あしたのジョー」を連載していた
『少年マガジン』編集部に弔電をうってきた。この作品の爆発的ヒットを語るさいにしばしば
引用されるエピソードである。かれらは、ただストーリーが展開して主要なキャラクターの
ひとりが死んだのだと割り切ることができなかったのだ。実在の親しいだれかが死んだと感じ
たのだ。親しくおもえるはずだ。力石はかれらの一部であったのだから。_ひとつの作品が、
時代の社会意識を代表するということは、つまりはそういうことだろう。そのヒーローたちを
読者は自分だとおもう。それは感情移入などと、心理学の用語をつかって説明してみても、どこ
かしら説明しきれぬところが残る現象である。感情移入といえば、ことがらは個人的なものの
ようである。しかし、力石やジョーには、時代の社会意識がそこに結晶しているといった印象
がある。》 人間らしさを示すことになる。_たとえば、力石を死なせたショックから必殺
パンチを打てなくなり、ドサまわりのボクサーに落ちぶれていたジョーが、ふたたび一流ボク
サーとして甦えるさいの、カーロス・リベラとの試合をみてみよう。かれらは、たがいにダウン
をくりかえす死闘を展開する。そのうちに、かれらには、それぞれに日本とベネズエラの貧民街
で腕力沙汰に生きてきたころの血がさわぎだす。肘打ち、足蹴り、ゴングも無視した戦いになる。
_作者たちはそれを肯定的にえがいている。解説者である登場人物にこんな科白(※せりふ)をいわ
せている。「きれいだ。……ルールをまるで無視した、反則だらけの試合なのに、不思議にきた
ない感じをうけない。……それどころか、小気味よい、さわやかな感じさえする」「ワッショイ、
ワッショイ」かけ声をかけつづけながら、二人をあおりつづける観客たち。「数分後、リング上
には血にそまり、汗にまみれたふたつのぬけがらが、音もなくころがっていた。三万七千の大
観衆は、ボクシングというものの原点を見せつけられたような気がして、じつに満足だった」
――この場面をしめくくるナレーションの引用である。_この実力の論理は、一九五五年から
七〇年あたりにかけての高度成長期を、力のかぎり傷ついて支えた人々のイデオロギーであった。
実力こそがすべてだ。競争に勝ち残ることが善だ。かれらの努力は、敗戦のどん底から出発した
祖国を、経済大国におし上げていった。つまり、人々は、ジョーや力石の生き方に、かれら自身
の生き方、かれらの社会の歴史をかさねてみることができた。二人のボクサーが、時代の社会
意識の結晶であるといった意味はあきらかであろう。》 ※3回目(全4回)に続く 小林って趣味でボディビルをやってただけで他には特に秀でたスポーツ歴はないわけだが
ホーガンも同じなんだよな。
ホーガンはAWAで活躍したのちにWWF王者になったわけだが
小林も同じようにAWAで活躍してからIWA王者になった。
小林はタレントに転向してからも映画やドラマ、バラエティとそこそこ売れてたし
売り出し方次第ではもっと人気のあるレスラーになれたのではないかと思う。
TBS時代にそれができていれば国際ももっと持っただろうに。 感情的になりやすい対戦よりラクだったんじゃないのかな?
新日でタッグを組んだポーゴとナガサキも関係は悪くて試合中にたまに会話する以外は
口も聞かず別行動するほど嫌っていた・・・
逆にコックスはシリーズ中でタッグを組んでいたマードックと最終戦に対戦が組まれて
困惑するもさすが二人はプロ!試合は好試合になり評判を聞いたアメリカのプロモーター
からの二人の対戦オファーが殺到してまんざらでも無かった。 《追記‐今後の目標》
スレ経由ではなく、GoogleやYahooやMSNなどの検索エンジン経由で流入してくる訪問者の皆さんは、
次の検索ワードなどで、探してみてほしいものだ。
《原作者‐おすすめ検索ワード・リスト》
・3D‐CGコミック
・Poser劇画
・フルデジタル・フルカラー劇画
・フルデジタル制作環境でやってます
・白黒昭和劇画との決別
・金髪グラマー美女ヒロイン 大爆裂 大爆発
・死ぬほどド派手 生きたくなるほど華やか
・熱血王道エンタテイメント路線マンガ
・スーパーヒーロー劇画
・スーパーヒーロー・コミック
・スーパー・ヒロイン大好き
・スーパー・ヒロイン‐キャラ立ち
・剛直無頼・天下無双・華美乱舞のヒーロー・ヒロインたち
特に前半の検索ワードで連続ヒットすると原作者&3D‐CGクリエイターとしては、感動します。。。。。 みんな賛否あるね。2人とも全盛期は移籍前というのは野暮だが
ブッチャーの引き抜きは、新日がより全日を潰す目的しかなかった。
猪木も8.26で手を合わせて「ウチに欲しい!」とは思わんかったと思う。
結果、新日は倍返しくらった….そのまま居ても次世代に抜かれていただろうけど。 大木はテレビで見た(同胞の英雄である)力道山に憧れ密入国し、力道山に直訴し入門が許されたというギミックだった。
初の海外遠征前に力道山に「お前は韓国人なのだから頭突きだ」と言われ下駄で頭を殴られ鍛えた等の逸話や
漫画タイガーマスクでも全アジアプロレス王座選手権に日本代表タイガーマスク韓国代表大木で参加している。
日プロ新日合併案は韓国に「帰っていた」大木の反対で最終的に潰れたと当時からも報道されてた。全日参加即離脱時には「韓国へ戻った」、馬場との日韓師弟対決ではリングネームはキム・イル。
力道山時代は表立っては言わないがファンは周知の事実で、新体制〜BI方砲時代には普通にアナウンス。新日全日時代になってはガウンも民族衣装風の物も使用していた。
韓国籍だと隠されていたプロレスラーは星野や長州こそ代表で大木は明らかに違う。
当時を生きプロレス格闘技界のフィクサー梶原に対して見てもいないし調べもしないハッキリ言えばプロレスには興味がない森を比べるなんておかしすぎるぞ。 msx初代は高性能だけどスクロールないから
ゼビウスとか移植できんかったと
固定画面のドンキーコングみたいのは可能だけどと
>BG(背景)はなく、1画面中に380個(横方向に96個)まで表示できる
>16×512ドットのスプライトのみで表現するというもの
>また、スコア表示などを目的とした、スクロール機能のないFIX画面を
>スプライトの手前に1画面持っている。
これがBGで背景はやっぱ全部スプライトでやってるのか レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。