>>454
「生き方」はある どんな人間も歴史やコミュニティーを俯瞰すると様々なパターンがあるが
どんな大きなところであれ、どんな小さなところであれ、集団が形成されると
結局のところ、その集団における「上級」「下級」「勝ち組」「負け組」といったカーストが存在している
これは先進国からどこぞの部族から学校、家族内、自分の身体ですらある

例を挙げれば、よく先進国の人間が発展途上国に行けば、人生観変わるというが
結局、縛られたカースト(慣習)から自分のこだわってないカースト(慣習)の国に行って驚いたというだけ
よく言う「他のコミュニティーに行って人生観が変わった」といっても
元の国に帰ってまたそのカーストに戻り不満であれば、その経験を道具に不満を叩こうとする
その「他のコミュニティー内」ですら、突き詰めれば集団同士、でカーストがある

「上」の人間が「下」の人間から借りた金を返さなくても、社会を操れるから隠蔽できたり、その社会から責められるということはないが
「下」の人間が「上」の人間から借りた金を返せなければ、たとえそれが「上」の人間がわざと借金をするまで裏で操作し、追い詰めたとしても、
その「下」の人間は万死に値するとされる。

そういった「慣習」は社会を通し、個人の自己の「在り方」にすら影響を与えている
その社会での出来事に、あるときは喜ばされ、あるときは苦しまされ、衝撃を受け、コロコロと考えが変わり
そして死ぬという「生き方」はある
 
社会は「上」の人間が「下」になったり、「上」が「上」、「下」は「下」のままであったり
同じ傾向を持ちながら、みせかけの形だけを変えて続いていく 

人間もコロコロ価値観が変わるが、
その都度、何かに対して怒っていたり、何かを失うことを恐れていたり 何かを欲しがっていたり
その何かが変わっているだけで、結局自分の平安を求める傾向からは変わらない

俺はあの女が憎い