【小説】スナック眞緒物語【けやき坂応援】
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宮田愛萌さんのブログや「ひらがな推し」やでネタにされている架空空間「スナック眞緒」を舞台とした小説のスレです。
なお、「ひらがな推し」や宮田ブログでの「スナック真緒」での井口真緒さんと宮田愛萌さんはひらがなメンバーとは別人格という設定ですが、
ここではひらがなメンバーであるのかないのかというのは曖昧にします。
タイトルと冒頭と末尾の文は、宮田愛萌さんがブログで書いているのをテンプレとして使いました。
原案や参照にしたものがある場合には、その小説が完了したとき必ず明記します。 スナック眞緒物語♯2(その9)
久美はかぶりを大きく振る。
「いや、そのときだけではなく、他のときでもあるの。
こないだ大学のときの友人と一緒に温泉宿に泊まった。
そこの卓球場に可愛い双子の男の子がいたの」
「ああ、よかった」
「何が?」
「芽実に目覚めさせられてレズビアンになっていると思ったから。まだ男の子が好きなのね」
「しつこいな、怒るよ、本当に。それに男の子といっても、まだ小学校低学年くらいよ!
で、古い温泉宿だったから、管理が杜撰で、ラケットやピンポン玉のがなかったの。
でも、その子たちはエア卓球をやり始めた。
一つひとつの動作が可愛らしくて見惚れていた。
サーブをしたり、スマッシュを決めたりしていた。
ああ、道具がなくても、こんなに楽しめるものだとあたしは感心していた。
そしたら、もう一人同じ顔の子がいることに気づいた。
卓球台のすぐ横に立っていて、首を振り振りして架空のラリーを見ていた」(続く) スナック眞緒物語♯2(その10)
眞緒ママがせせら笑う。
「読めたわ。三つ子だったというオチね。久美、アンタ、つまんないわよ」
馬鹿にされたと思って、むきになって久美は主張する。
「三つ子だったというのはたぶんそうだろうけど、それを言いたいんじゃない!
プレイしている一人が、球が逸れたふりをして後ろを振り返って、その子の視線の先にあたしがいたの。
『投げて』と言ったから、しゃがんで球を取るふりをして投げるふりをした。
あたしもすっかり入り込んで、しばらくエア卓球を観戦していた。
そしたら、ピンポン球が卓球台に当たるカツンカツンという音が聞こえてきた。
この音は現実なのかそれとも妄想なのかと訳が分からなくなった。
また、あのコたちは本当に卓球をしているのかその演技をしているのかもわからなくなった」(続く) スナック眞緒物語♯2(その11)
いつもならあちこちで話していて騒がしいが、客も久美の話に聞き入って、スナック真緒にしばらくの沈黙が訪れる。
愛萌は裏にある自分の鞄を急いで持ってきて、大学で使っているテキストを取り出す。
「愛萌、その本、なに?」と眞緒ママが声をかける。
「柳田国男の『海南小記』です。天女の実在を書いたものです。
『江戸時代中期、宝暦年間、南島は与那原の浜に天女、三人降り来(きた)りて水浴し、村人これを拝(はい)す。
また、天保年間、久高の島に二神顕れ、全村これを拝(はい)せざるなし』
『拝す』というのは『拝む』ということで、『拝せざるなし』というのは『拝まないことはなかった』ということです」
もう一度、その個所を愛萌は繰り返す。
「つまり、天女が現れて村人たちは拝んだということが二度もあったということね」と久美が言う。
「その通りです。
『大島筆記』や『球陽』などの公式文書にも記されていて、個人の幻覚では絶対にないと柳田国男は書いています」(続く) スナック眞緒物語♯2(その12)
眞緒ママは驚く。
「え?なに?天女の実在が公式文書に残されてるってこと?」
「他所からやって来た集団がその手の演劇をして、村人が勘違いしたというだけのことじゃないの?」と久美が言う。
「合理的に考えれば、たぶん、それが実相でしょうね。
でも、本当にそうだったのかという確証はないし、村人はそれを現実だと一生思い込んでいた。
つまり、その状況に深くコミットメントしてそのように感じたのなら、主観的にはそれは真実なのです」
これ以上変な話に付き合いたくないといった様子で眞緒ママが言う。
「何かよくわからないけど、ピンポン球の跳ねる音が聞こえたくらいどうってこともないよ。
私なんて、自分の歌声が正しい音程とリズムであるように聞こえるんだから」
緊張が解け、スナック真緒は笑いに包まれた。
今日もスナック眞緒は大繁盛♪(了) 参照したのは以下の通り。
ベッドの上で久美が柿崎に襲われているというのは、2018年6月26日放送の「KEYABINGO!4」の加藤史帆の証言から。
ひらがな二期生たちのエチュードは、2018年10月8日放送の「ひらがな推し」から。
温羅と吉備彦の善悪が逆かもしれないというのは、NHK「もう一度日本」から。(年月日は覚えていない。)
「スターウォーズ」のダースベイダーとジェダイの騎士の善悪が入れ替わるのは、藤子・F・不二雄のSFショート「裏町裏通り名画館」から。
エア卓球のところは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督による映画「欲望」から。 アントニオーニについて簡単な説明。
世界三大映画祭のグランプリを受賞した数少ないイタリアの映画監督。
(三作品でGPを受賞したのは唯一だったと思う。)
「欲望」はカンヌ映画祭のGP。 リアルタイムではおろか年代順にも観ていないので偉そうなことは言えないが、
「欲望」の後につくられた「砂丘」以後の映画は見るべきものがない。
個人的にお勧めなのが「欲望」と「赤い砂漠」。
でも、ヨーロッパの巨匠による映画にありがちだが、古典的なドラマツルギーによらないつくり方をしているので、
その手の映画に慣れていない人にとっては観づらいと思う。 「ニュー・シネマ・パラダイス」の中に、アントニオーニの映画「さすらい」が出てくる。
恋人の女性と主人公が働く映画館で待ち合わせをするがスレ違いとなる。
後日、その日がいつだったのかを調べるとき、難解すぎて客受けが悪く1日だけしか上映されなかった映画のときだったという思い出が手掛かりとなる。
その映画がアントニオーニの「さすらい」だった。
ちなみに「ニュー・シネマ・パラダイス」は週刊誌の女子アナが好きな映画アンケートでよく1位となる。
たしか10年ほど前に占有率が70%以上という極端なものもあったように記憶している。
個人的には、前半は面白かったが、後半は紋切型すぎる上に、ストーリーが破綻しているように思った。
また、「さすらい」も難解というよりは、ただ退屈な映画であえて観る価値はない。 >>28
すみません。
#2は、この板で庭さんが立ててくれた小説スレに書こうと思っていたのですがが、
IP表示が嫌で別スレを立ち上げることにしました。
立ち上げた以上は当面続けようと思います。
あくまで「スナック真緒」がメインですが、それだけだと書く材料が尽きるので、
適宜、他の題名の小説も織り交ぜていく予定です。 気にしないでください
本当はだから好きスレのフランチャイズにお誘いしようと思ったのですが一足早くこのスレが立っていました
逃した魚はでかかったを実感していますw
ちょくちょく読みに来ます
良かったら小説スレにリンク貼ってください 古いスレのほうでいいのなら、喜んで貼っておきます。 ひらがな小説特にスナックのを待っていたんだよ
期待している >>33
一時期「東京MX」で書いていたほうの東京都のほうです。
>>34
どうもありがとう! 「スナック真緒」は休載して、別のタイトルのものを始めます。
一日に2回程度の投稿で、ゆっくりと進行することになると思います。
「スナック真緒」の第三弾はそれが終わった後で再開します。 エル・エステ(その1)
「女の子だ」と母のお腹をさすりながら父は予言しました。
「芽が出て実が成るという願いを込めて、芽実というのはどうでしょうか?」と母が言うと、
「柿崎芽実か、いい名前だ」と父は仕合せそうに応えました。
それが私の最も古い記憶ですが、母胎の中にいる私がその様子を見られるわけがないので、もちろん刷り込みによるものでしょう。
父はフラワーアーティストでした。
私の生家には屋根裏部屋があり、父は誰も入れず、何か秘密めいたことをしていました。
その疑問を母に尋ねると、誰かを入れると霊力が逃げていき、仕事がはかどらなくなるからだと答えました。
母はいつも一緒に家の中にいて読み書きを教えてくれましたが、不思議と母の記憶はあまりありません。
父の素性は謎のところがあり、過去も知りませんでした。
でも、父がそばにいれば、他の何も気になることはありませんでした。(続く) エル・エステ(その2)
長野県の小さな盆地に私の生家はありました。
四方の山の稜線が世界の限界を知らしめて、小学校の低学年くらいまではその外に世界があることを全く疑わなかったのです。
大きなイヌワシになって空を飛ぶという夢をよく見ました。
山の斜面にぶつかって上昇する風を受けて、羽ばたくことなくぐんぐん舞いあがってあっという間に空高くに昇る。
段々畑は柔らかい緑の絨毯を敷いた階段のようでした。
太陽の光を浴びて輝く池はコンパクトの鑑のようでした。
豆粒ほどになった私の家が眼下に見え、ああいつも私はあそこに住んでいるんだなあと思いました。
イヌワシになれるという力を得た私は喜びに溢れ、どこでも行けるし何でも見渡せると思ったのです。
でも、盆地を囲む山の稜線の外には世界はなく、その外に行こうということを考えたことはありませんでした。(続く) エル・エステ(その3)
でも、閉じられた世界に住んでいたことで無意識のうちに学べたこともいろいろあります。
山の地形が目印となって日の入りや日の出の位置をはっきりと頭に刻み込むことができ、その位置が季節で違うのを学習しました。
日の出入りの位置が夏至では北にずれ、春分や秋分では真東や真西となり、冬至では南にずれる。
太陽の一日の軌道は半円のリング状となり、その半円リングは地面と垂直ではなく南側に倒れているというのも自然と覚えました。
だから、日の出入りの位置との関係で夏は日が長く冬は日が短くなるということは理解していました。
私の家の庭には一本だけ大きな木があって、年間を通してその木の影を観察したものです。
影が夏は短く冬は長くなるということから、太陽は夏が高く冬が低くなるというのも無意識に体得していました。
また、その木の樹皮に触れ、その下の脈動を感じることで、季節の移り変わりを予感しました。(続く) >>37
期待していたから残念だけど気長に待ちます
新作期待してます いずれは書くことがなくなって、このスレはフェードアウトするでしょうが。
先細りを避けて、少しでも長く続けようとするために目先を変えるという選択をしました。
それと、あまり期待しないでくださいね、苦し紛れにかなり杜撰なものも書くことになると思うので。 エル・エステ(その4)
小学校に入学してすぐ後のときのことです。
部屋の中で1枚の絵葉書を私は見つけました。
それは新宿駅南側のタイムズスクエアビルの写真でした。
まだ冬が残り、外は少し肌寒く空は澄み渡っていました。
庭で洗濯物を干している母の元に駆け寄り、「ねえ、これってお家なの?」と尋ねました。
「それはビルというのよ」と母は答えました。
「人が住んでるの?」
「住んでいるものもあるし、その中でお仕事をしていることもあるの」
「なんでこんなに高いの?」
「東京にはお山がないので、その代わりかしら」
「東京ってどこにあるの?」
「ほら、あっち」と東にある山のほうを母は指さししました。
「東京ってお山がないんだ、変なところね」
「パパが若い時に住んでいたのよ」(続く) エル・エステ(その5)
それまでは盆地の中が全世界で、それより外に世界は存在していませんでした。
母から教えてもらったときに、初めてその外にも世界が出現したのです。
私は東京への興味がかき立てられ、父の過去のイメージがそこに重なりました。
その夜、若い頃の父の写真の載っているアルバムを寝床に持っていき、飽きるほど見ながら眠りにつきました。
イヌワシになって飛びまわる夢をまた見ました。
イヌワシの私が目をやると、東側の山の外は虚無ではなかったのです。
吸い込まれるように東の山の上を突き抜けました。
実際の距離を無視し、そのすぐ裏側が東京でした。
知らない場所に行くという恐怖は全くなく、未知の世界への好奇心で一杯でした。
山よりも高くそびえ立つタイムズスクエアビルの周りをグルグル飛び回り、窓から室内を眺めました。
若い頃の父がいる姿を私は見つけました。(続く) エル・エステ(その6)
私が小学一年生のときに、東京から二人のお客さんが来ました。
長野ではもう寒い11月のことでした。
母の同級生とその娘だったのです。
中学の途中で母の同級生は家族で転勤して、それ以来ずっと東京に住んでいたそうです。
娘の七五三の帯解きの儀式を自分の生まれ故郷でやりたいとのことでした。
娘の名前は優佳といいまして、同い歳だったのですぐに打ち解けました。
私と優佳は髪を結いあげてもらい、着物と帯を身につけ一人前の大人っぽい格好で神社にお参りに行きました。
着慣れない着物で少し窮屈でしたが、優佳とのおしゃべりは楽しくあっという間に時間は過ぎました。
最後の仕上げに神社の奥まった部屋で私たちは御祈祷をしてもらいました。(続く) エル・エステ(その7)
天井近くにある小さな擦りガラスの窓からわずかな日だけが差し込むだけで、部屋は薄暗く、奥に行くとさらに暗くなっていました。
この頃の私は片時も父のことを考えないということはありませんでしたが、
慣れない着物の違和感と同い歳の優佳が横にいるという嬉しさで父のことは忘れていました。
御祈祷が終わったときにその不在に気づきました。
「あれ?私の大切な日なのになぜパパはいないの?」と傍にいた母に抗議すると、「いるわよ」と母は答えました。
部屋の奥を見ると、暗闇の中に黒い人影が浮かび上がりました。
部屋の奥にまでわずかに届いている淡い光がかろうじて人影の上のほうにだけ当たっていました。
目を凝らすと、それは父でした。(続く) >>46
ひらがなではめみたん好きだから興味持って読んでましたが
気づいたら東京都さんの文体とジワリジワリと進む物語の方に惹き付けられてます 柿崎は可愛いですよね。
量産型の可愛さではなく、特徴的な顔立ちなのにあれだけ可愛いというのがとてもレア。
ただ、最初期のセンターやっている頃は、そのルックスは認めつつも、そんなに惹かれてはいなかったかな。
センターを外され、骨折して、挫折を知った後で、表情に陰影と奥行きが出てきて、
ぐっと女性らしくなったような気がします。 お褒めの言葉、ありがとうございます。
以前は書き込み欄に直接書いていたのですが、
2019年からは書いたものをワードに保存して、最低一度は推敲しています。
その上で書き込み欄にコピペするということをやっています。 エル・エステ(その8)
父が存在することを私が欲したとき、暗闇の中から父が現れたのはただの偶然でしたが、世界の秘密を知ったような気になりました。
あの頃はもちろん今でもうまく言語化できないと思うのですが・・・。
私が意識を向けた人や物で私の世界は構成されています。
でも、それ以外の人や物もとうぜん存在しています。
私の生まれた盆地と同じようなもので、私の世界の果てにも稜線があります。
太陽が山の稜線から出てくるように、私が意識したときにだけ人や物は私の世界の稜線から飛び出してくるかのようです。
逆に言えば、意識しなければ、稜線から飛び出してくることはないということです。
わりと早くから一人部屋で私は寝ていたのですが、寝静まったときには、その部屋は外から隔絶されていて、
夜中に目を覚まし、何かのはずみで意図せずドアを開けたときには、外には何もないのではないかという変な妄想もよくしました。
そういうとき、ペンライトを取って、自分の体や壁に光を当てて気を紛らわせました。(続く) エル・エステ(その9)
他にも変なことをよく考えました。
私の世界に一度も飛び出してこず興味関心も抱かせない人や物は私にとっては何なのか?ということです。
それらは存在していないことと同じです。
だから客観的な存在というものが信じられないのです。
私との関連の下に働きかけてくれる人や物だけが確かな真実だと今でも思っています。
ただし、見えるものだけでなく私の想像によっても私の世界はつくられています。
空を眺めていると、天候や時間だけではなく、目には見えない存在を私は感じ取っていました。
昼に照らしてくれるてくれる太陽や夜に美しく輝く星々の規則正しい動きの現前をもって、
宇宙を計画し創造し秩序づけた神様の存在を想像していたのです。
ただし、私にとっての神様は西洋の神様ではなく、長野に古くから伝わる龍神様でした。
また、あの絵葉書を見て日以来、東側の山の裏側には東京を想像していました。
そういう想像物も私の世界の一部だったのです。(続く) エル・エステ(その10)
さて、お参りが終わった後に、家では親戚や近所の方も集まっていて、信州そばやお焼きが並んだ盛大な食事会が行われました。
「コゴミはないの?優佳に食べさせてあげたい」と私が言うと、「あれは春にしか採れないの」と母は答えました。
食事会が終わった後、私の部屋で優佳と一緒に寝ました。
東京のことを優佳に尋ねました。
優佳はとても頭がよく、何でも知っていて、手際よく教えてくれました。
恵比寿ガーデンプレイスや東京タワーやレインボーブリッジの美しいイルミネーションの話が特に印象的でした。
優佳の話を聞いているうちに私の世界の中の東京がより広がりよりデコレーションされていきました。
昼間の七五三の儀式でとても疲れていたのですが、眠りたくはありませんでした。
口で確認したわけではなかったのですが、優佳もそう考えているのが伝わりました。
私は優佳の話に耳を傾けていました。(続く) エル・エステ(その11)
「ここはもう冬だね。なんで冬は寒いんだろうね」という優佳の一言で、私は上半身を起こしました。
一つは冬のほうが日照時間は短いということで、もう一つは冬の太陽のほうが高度は低いためだと得意げに話しました。
「でも、お日様が低いとどうして寒くなるの?」と優佳は尋ねました。
勉強机の上にあったペンライトとペンを取り出し、優佳の掌を上にして、直径5ミリくらいの円をペンでそこに描きました。
ペンライトの光を真上から当ててからちょっとだけ傾けました。
「ほらこれが夏のお日様。まだ光は濃ゆいでしょ」
それから大きく傾けました。
「これが冬のお日様。光が薄くなったでしょ。この円がここの盆地。盆地の大きさは変わらないけど当たる光は弱くなった」
「なるほど」と、賢い優佳は一瞬で理解しました。
その後も夜明け近くなっても私たちはおしゃべりしてずっと起きていました。(続く) なんだか不気味な民間伝承をよんでるような独特の感じが癖になりますね 不気味さも民間伝承風も今のところは意図してはいないのですが、
「独特の感じ」とか「癖になる」かと言ってもらえるのは嬉しいですね。 エル・エステ(その12)
「ねえ、優佳、黄道光って見たことある?」
「コードーコー?何それ?」
「今から見に行こう」
パジャマのままで毛布で体を包みながら、家の人に気づかれないように玄関のドアをそっと開けて庭に出ました。
夜明け前の凍てつく寒気にびっくりしながら、優佳は言いました。
「あ、これがさっき言ってた木か。お日様は冬のほうが低いというのを芽実に教えてくれたんだね。じゃあ、そちらが南ね」
「うん、そう。東はあちらで、優佳がいつもいる東京の方向」と指をさし、「あのお山の上のお空が薄く光っているのはわかる?」
「うん、何か不思議な光ね。いつも見えるの?」
「ううん、秋だけ。一か月前ならもっとはっきり見えたんだけど」
「これって東京でも見えるのかな?」
「わかんない。空気が澄んでいて、街明かりが少ないところじゃないと見えないらしいけど」
「残念だけど東京では見えなさそうね」(続く) エル・エステ(その13)
月光によって私たちの長い影がつくられていたことに気づいて、それを言おうとしたら、優佳のほうが先を越されました。
「あれ?私たちの影がある」
二人で同時に後ろを振り返ると、西空に沈もうとしている満月がありました。
「黄道光が東に見えているとき、振り返ったらお月様が見えたという歌を大昔の柿ナントカとかいう人がつくったんだって。
パパが言うには『柿』が名前に入っているから、柿崎家のご先祖様かもしれないんだって」
「へ〜、すごいね」
「ああ、そうだった、黄道光は春にもお日様が沈んだ後に西の方向に見えるんだった。今度は春においでよ」
「うん、また来たい」
「絶対だよ。春にはコゴミも食べることができるし」
「コゴミってどういう食べ物?」
「山菜なの。ゴマ和え、おひたし、サラダ、天ぷらにしてもおいしんだよ。
私はマヨネーズをつけて食べるのが一番好きかな」
足下から冷気が全身に這い上がって、気づいたら私も優佳もブルブル震えていました。
お互いのその姿を見て、同時に笑い出し、部屋に駆け戻りました。(続く) エル・エステ(その14)
予定通りにその日の昼に優佳は帰っていくことになりました。
帰り際に庭の木に優佳は両手で抱き着きました。
「うん、私にもこの木の鼓動が分かる気がする。
冬が深まって厳しくなるから、少し休もうとしているのね」
抱き着かれたのは私のような気持ちとなり、嬉しくも恥ずかくなりました。
私に同調しているというのを態度で意思表示していて、それはあけっぴろげの友情の証に思えたからです。
赤らめたのを隠すため少し俯いていた顔を上げて優佳を見ると、振り返った優佳の視線は上に向けられていました。
「あれは?」と屋根の上を指さして、優佳は言いました。
「あれは風の向きが分かる風見よ。でも壊れていて、いつも東を指しているの」
「鳥の形をしていて茶色だけど、トンビ?」
「ううん、イヌワシ。珍しい鳥らしいけど、ここではちょくちょく見ることができるの」
「あれ?そのイヌワシの下の文字のOのところはWじゃないの?」
「よくわかんない。でもこないだ来てた大人のお客さんも同じこと言ってた。優佳はすごいなあ」
その文字はスペイン語でした。
スペイン語で東、南、北はEste、Sur、Norteで英語の頭文字と一致しますが、
西はOesteで、英語とは一致していないのです。(続く) エル・エステ(その15)
私たちの様子を黙って見守ってくれていた優佳のお母さんがしゃがんで目線の高さを合わせてから優しく言ってくれました。
「芽実ちゃん、今度は芽美ちゃんが東京に遊びにいらっしゃいね」
去って行く二人の姿が見えなくなるまでお見送りしていました。
優佳が教えてくれたことで、私の世界の中の東京は広がりました。
その日からは、東京のことを思うと、決まって優佳のことを思い出すようになりました。(続く) いま眠くて行き詰まっている。
今日は保守だけしておこう。 エル・エステ(その16)
優佳が来た日から2か月ほど経った1月のことです。
屋根裏部屋に初めて私を父は入れてくれて、「芽実、今日は龍を見ることができるよ」と予言しました。
「なんで、そんなことが分かるの?」と問うと、机から何かを取り出しました。
「それ、なあに?」
「これは龍神様の骨だよ」
「それを使えば龍神様が現れることがわかるの?私にもできる?」
「私の娘だからね」と言って、それを手渡しました。
隕石のようにも見える黒っぽい塊で、私の小さな掌と同じくらいの大きさでしたが、見た目よりはずっと重く感じました。
「目をつむって。何も考えないで・・・。何か感じないかな?」
「ダメ、なんにも感じないよ」
「いずれできるようになる。今日はとにかく出かけよう」
父が運転する車で全面結氷した湖に到着しました。
到着するや否や、ゴトゴトと大音響をあげ、氷の一部が山脈のようにせり上がりました。
湖面から1mくらいまで盛り上がり、その幅は数mで、長さは数kmにおよび対岸まで伸びていきました。
氷のせり上がりは氷の下を龍が這いずり回っている痕跡のように見え、はるか対岸で逆光の天空に龍が昇っていくように見えました。(続く) エル・エステ(その17)
「天を駆け昇っていった龍神様はどうなったの?」という質問を何度も父に浴びせました。
三日後の深夜に、盆地の北側の山頂に父は私を連れて行きました。
晴れわたっていて、澄みきった空に星々の光が輝く夜でした。
昼間でもそんな高いところまで登ったことはなかったので、深夜の唐突の登山に戸惑いました。
でも、父が一緒だったので安心しきっていました。
新雪に埋もれた道は真っ暗で、ヘッドランプの光に照らされることで初めて道が出現してくるかのようでした。
登っているときには静かでしたが、山頂に到着すると、突然、ものすごい突風が吹き荒れました。
ヒューヒューという空気を切り裂く鋭い音が耳を襲い、やっとの思いで私は目を開けていました。
私の小さな体が吹き飛ばされないように父は後ろから私を抱きしめました。
突風で舞い上がろうとする度にイヌワシに変身するという幻覚と父が力強く抑えることで引き戻される現実とのせめぎ合いの狭間に私はいました。
風で舞い上がった雪が巨大なうねりとなって、その中から龍の鱗や爪が見えました。
ついに猛り狂った龍がその全貌を現し、「芽実、見えるか!」と父が言うと、龍の顔の中に赤い目が現れました。
その赤い目が私を睨みつけました。
凍り付くような吹雪が激しく体全体に当たっているにもかかわらず、体の芯から熱が沸きだし、私は呆然と見つめていました。(続く) 広げた風呂敷をちゃんと折りたためるかが心配ですw
それにしてもオープンエントリーの小説スレなら、いつ始めていつ止めてもいいので気は楽だったのですが、
一応は専用の個別小説スレなので、基本的には一人で書いていかないといけない。
正直、今かなり苦しんでいますね。
あれだけの文字量で字数制限を受けるまで個別小説スレを埋め尽くして第四弾まで移行している庭さんは超人です。 エル・エステ(その18)
湖面の氷が夜に収縮して亀裂が入り、日中に上昇した気温で氷が膨張してせりあがったというのが、
湖の氷の中を龍が這いずり回ったかのように見えた真相であるということは後で分かりました。
その現象は諏訪湖の御神渡りと呼ばれています。
御神渡りは、上社の男神が下社の女神のもとへ訪れに行った足跡であると一般的には言われています。
でも、諏訪の伝統に博識な人からは諏訪湖は「龍神の郷」と呼ばれていて、その龍神伝説もいくつかあります。
暖冬続きだったので、私が生まれてからは御神渡りが現れたのはあの日が初めてでした。
あの日、先入観なしに目の当たりにした御神渡りの迫力が、逆光の中の龍を私に錯覚させたのでしょうか?
でも、湖に出現した龍の真相がどのようなものであれ、御神渡りをぴたりと予言できたのは父の不思議な霊力のためだと信じていました。(続く) エル・エステ(その19)
御神渡りの龍神伝説の中で最も私の興味を引いたのは次のような奇譚です。
諏訪の地でひどい干ばつが起こり、ついには諏訪湖までが干上がりました。
その地で一番美しい娘を人柱に捧げることになりました。
初夏の昼頃に、干上がった諏訪湖の湖底に生き埋めにしようとしたとき、突然、雲ひとつなかった空が真っ暗になり、龍が現れました。
でも、すぐに明るくなり、人柱は遂行されました。
人柱のおかげか、その後、十分な雨が降り、諏訪湖は水を満々と蓄えることができました。
そして、同じ年の冬に、巨大な龍が諏訪湖の凍結した氷を割って飛び出し、天空を駆け昇ったそうです。
今の東京都に当たる武蔵の国までたどり着いた龍は、人柱にされた娘の死体も運んでいて、その地で蘇らせました。
命を犠牲にしなければならなかった娘に龍神様が同情し、己の命を授けたというものです。
その子孫はその地で繁栄したと言い伝えられています。(続く) >>64
俺の場合は理佐ちゃんの魅力が凄すぎて勝手に妄想が湧いてくるだけだから自分では書いてる量とかには達成感みたいなのが全然無いんですよね
たぶん俺に妄想を喚起させる理佐ちゃんが凄いんだと思います
実際『ゆいぽんだから好きスレ』と『まほほんだから好きスレ』には興味が無くなってきてますからねw
専用スレだと手応え無いのがつまらなくなる原因だからブログと同時進行はおすすめかもです
保管庫代わりにもなるし、アクセス数の変動やいいねしてもらうのは励みになるかもですよ
俺以外にも楽しみにしてる読者の方は多いでしょうから苦しみを乗り越えて頑張ってください なるほど愛ゆえに書くモチベが沸き起こるというわけですねw
今はブログでも書こうという気は起りませんね。
匿名掲示板といえど、途中で放り出すのはみっともないので、
書き始めたものについては完了するまではやり抜こうという志ではいますが。 エル・エステ(その20)
長野県の木崎湖の上に現れる赤い龍灯は、龍の赤い眼であると昔から言い伝えられてきました。
その正体はカノープスではないのかと最近言われています。
あの日、深夜に北の山頂で見た龍の赤い目の正体もカノープスではないのかいう疑念が生じています。
カノープスというのは南半球ではよく知られている星です。
りゅうこつ座の一等星で全天でシリウスの次に明るい星です。
関東あたりを北限として太平洋岸で水平線ギリギリに見ることができるのですが、
南北に高低差の大きい長野では例外的に内陸部でも見ることができるようです。
あの盆地でも南側の山は北側と比べたずっと低いのです。
でも、条件が整ったときにしか見ることはできないと言います。
空の高い所は晴れていても山の稜線近くは靄がかかっていることもよくあり、見ることのできる確率はかなり低いと言われています。
夕日が赤くなるのと全く同じ原理で、高度が低いため光が通る空気層が長くなり、青い光が散乱され、カノープスは赤く見えます。
龍の赤い目の正体がカノープスであれ、その出現を引き寄せたのも父の不思議な霊力のためだと信じていました。(続く) エル・エステ(その21)
逆光の中にも吹雪の中にも何も潜んでいなかった。
龍が見えたのは幻覚によるものと考えるのが合理的な見方です。
でも、合理性というフィルターをかけて見るということは生(なま)の現実を見ていないということになるのかもしれません。
合理化するということは、その多様性を切り落としているということになり、ありのままの現実を見てはいないということになるからです。
まだ幼かったときの私は本能的な感覚を失っておらず、生き生きとした現実をあるがままに受け入れていたように思います。
合理性だけでは解き明かせない混沌とした神秘的な現実を見ていたとのではないのかと思っています。
幻を見たあのときの生き生きとした私こそが本当のもので、冷静に分析している今の私は活力を失った何者かのような気がしています。
混沌として生命力に溢れたあの龍をもう一度見てみたいと切に願っています。(続く) エル・エステ(その22)
私が小学校二年生に上がったときのことです。
母以外の女性のことを父が思っていたことを知りました。
龍の再臨を望んでいた私はその出現を予感するため、父が留守のときに屋根裏部屋に忍び入り、龍の骨に触れようとしました。
机の一番下の引き出しの奥にそれは入っていました。
龍の骨を取り出そうとしたとき、その下に封書があることに気づきました。
その裏には住所と「入江莉緒」という名前とが書かれてありました。
龍の骨はそっちのけで、私はその名前を凝視しました。
なぜ私はその名前を知らないのか?架空の女性なのか?実在の女性なのか?といろいろと思いが錯綜しました。
封は開いていたのですが、気が咎めて読むことはこのときにはできませんでした。
居間に戻り、母に尋ねました。
「ねえ、ママ、入江莉緒さんって知ってる?」
「いいえ、誰なの?」
「別に・・・、クラスに新しく転校してきた子よ」
このとき、私は初めて嘘をつきました。
母が知らなかったので、そこに父の秘密を嗅ぎ取りました。(続く) エル・エステ(その23)
入江莉緒が実在するのを偶然知ったのは、二か月後の六月のことでした。
娯楽の少ない地元の人のために、3か月に1回くらい公民館では古い映画を上映していました。
その前を通ったとき、父のバイクがあるのに気づきました。
さらに、二人の女性が映っているポスターを見たとき足が止まりました。
そのポスターの背景に映っているフラワーアートは父がデザインしたものだと直観したからです。
それ以上に私が目を奪ったのは、ポスターに「入江莉緒」の名前があったことです。
ポスターを指さしながら、受付の人に尋ねました。
「入江莉緒さんってどちらの人ですか?」
「入江莉緒さん?聞いたこともない名前ね・・・」とポスターを見た後に答えてくれました。
「ああ、出演しているわね。この髪の毛の長い女性が有名な女優さんだから、こちらのショートカットの人が入江莉緒さんね」
その映画を私はまだ見たことはありませんし、公民館で映画を観ている父親の様子も見たわけではありません。
しかし、その父の様子がありありと私の記憶では映りだされています。
スクリーンの中に入江莉緒が登場すると、父は深刻な面持ちになり、涙まで流してしまう。
私の空想したそういう状況が私の記憶には混濁してしまっているのです。(続く) エル・エステ(その24)
結婚前の若い頃に思いを残した母とは別の女性が父にはいる。
そう思うと、その夜、なかなか眠りにつけませんでした。
今の私なら冷静に受け止めることができるのですが、あの頃の私にとっては大きな衝撃だったのです。
就寝前には部屋の南側にある窓のカーテンは必ず閉めていたのですが、その夜は閉め忘れていました。
南中した月の光が差し込んでいました。
寝ている私の隣に誰かがいるような気がして横を見たら、庭の木の青黒い影が部屋の奥まで伸びていました。
あの日、優佳がその木を抱きしめてくれたことを思い出し、その影が愛おしくなり、しばし心は和らぎました。
でも、眠ったのか眠らなかったのかがはっきりしない夜となりました。
翌日、起こしに来てくれた母に「朝、食べたくないの。調子がよくないから、学校休んでいい?」と訊くと、あっさりOKしてくれました。
昼には、部屋まで母が持ってきてくれた御粥を食べました。
昨夜の木の影のことを思いました。
晴れてはいたのですが、前日からカーテンを開けっ放しにしていた窓からの太陽の直射光は部屋には差し込んでいませんでした。(続く) エル・エステ(その25)
タイムズスクエアビルの絵葉書を見た後に起こった変化が一度目だったとすれば、私の世界には二度目の変化が起こりました。
私の世界の中に別の「世界」ができたのです。
それは父の内面の世界です。
最初の私の世界には私の内面以外には内面はなかったので、父の内面を垣間見て戸惑いました。
また、父の内面は私のものではないというのは当たり前のことですが、あの頃の私は奇異に感じました。
私の世界は私の自我が中心にあり、人や物の外観もその構成要素となっています。
だから、私の世界は私の自我そのものではありませんが、それは相対的な意味においてにおいてです。
ところが父の自我と私の自我が違っているというのは絶対的な意味を持ちます。
父の世界は私には手の届かない世界なのです。
入江莉緒の出現は、私の世界と父の世界の境界線を思い知らせてくれました。
私の世界とは他者との境界で区切られた相対的な世界であるということに私は気づいたのです。(続く) >>75
何を仰います。
これよりはるかに長いものを書いてらっしゃるのに。 >>76
宮田ブログのことですね。
スレタイの「スナック真緒」が共通しているため、井口個スレからの誤爆でなければ、わざわざこんな場末スレへの報告ありがとう。
>>77
宮田ブログを読んでください。 エル・エステ(その26)
罪の意識からかはっきりした時期はよく覚えていないのですが、
入江莉緒の手紙を読む決意をして、あの後にもう一度私は屋根裏部屋に忍び入りました。
前略
もはや私のことは過去になっていることは承知の上で書かせていただきます。
それが良いことか悪いことかは分からないが、何か驚くべき出来事によってご自分の運命が決定されると貴方は言っていましたね。
そして、私との結婚の決断をするのは、それが起こった後だと。
「その出来事は起こったの?」と何度確かめても、「まだ起こっていないが、いつかきっと起こる」の一点張りでした。
しびれを切らした私が「もう別れましょう」と言うと、「長野に帰省して確かめてくるからそれまで待ってくれ」と答えましたね。
その出来事というのが「龍ともう一度出会う」ということでしたね。
今にして思えば、ちゃんちゃらおかしいです。
私をキープしておきたいが、はっきりした返事もしたくないという貴方は、「龍」という笑止千万な言い訳をしたわけですね。
卑怯です。
でも、あのときには貴方の言うことを真に受けて、その連絡を信じて待っていたんですよ。
一年経っても何の音沙汰もなかったときには、さすがに諦めましたが。
しょせんは口約束ですし、それが今でも有効だとは思ってはいません。
けれど、私よりも大切な人ができたのなら、そのときにそういう連絡をなぜ寄こしてくれなかったのですか?(続く) エル・エステ(その27)
貴方からの連絡を待っていた一年の間に女優としてのステータスを確立できるチャンスはいくつかありました。
でも、私は貴方を信じていた。
なのに、・・・・・
最近、そのことが急に甦って、直接、文句の一つでも言おうと思い立ち、貴方の実家まで行きました。
「イヌワシの家」と呼ばれていると貴方の言葉を思い出し、その家はすぐに見つかりました。
雪の降っている寒い日でしたが、その家の庭では雪の精かと見まごうくらい可愛らしいお嬢さんが楽しそうに雪遊びをしていました。
その様子を見て、訪問せずに、東京に戻りました。
貴方はとても幸福な人生を歩んでいらっしゃるようですから、水をさすようなことはしたくありません。
この手紙へのお返事も結構です。
ただ、最後に、皮肉交じりで訊きますね。
「龍と出会う」などという馬鹿げたことを本気で信じていらっしゃっていたのですか?
もしそうなら、期待と恐怖を延々と持ち続けた貴方の馬鹿げた妄想のせいで、
私の人生を無意味なものにしてしまったことをどうお考えでしょうか?
草々(続く) >>78
僕のは理佐ちゃんとイチャイチャしてたら長くなっちゃっただけですから〜(照)
>>79
ひらがなではまなもちゃん贔屓です なるほど、一人称主語で、一人称視点で、その一人称を自分自身にすれば、イチャイチャできるわけですね。
>ひらがなではまなもちゃん贔屓です
あれ?「ひらがなではめみたん好き」と言っていませんでした?
好きも贔屓も何人いてもいいんですけどね。
まあ、宮田は賢く、特にコミュ力がずば抜けて高いですね。
指原莉乃や菊池亜美から下品さを抜き取って、古典教養を付け加えたという感じかな。 今日は、小説投稿は休みますね。
ひらがなに関して大きな動きが明日のSRで発表されるようなので、代わりにそれを貼っておきます。
欅坂46 @keyakizaka46
明日2月11日(月)14:00〜
SHOWROOMで「ひらがなからのおしらせ」が緊急配信決定
柿崎芽実、加藤史帆、齊藤京子、佐々木久美、佐々木美玲、小坂菜緒がおしらせ致します
お見逃しなく
#けやき坂46
#SHOWROOM
https://www.showroom-live.com/keyakizaka46
2019年2月10日 20:04
https://twitter.com/keyakizaka46/status/1094552763533414400
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>83
そうなんです
俺はただ理佐ちゃんとイチャイチャする妄想してるだけなんです
その際に頭の中だけで妄想しているより浮かんでくる妄想を文字に起こしていくとよりリアルに妄想出来るのを発見しまして
それからは理佐ちゃんの応援スレに長文妄想を投稿するようになったんですね
長く小説スレに居たけど自分では小説書いてる自覚がまったく無いんですよw
漢字は基本理佐ちゃんに操をたててるのですがひらがなには何人か好きなメンがいますw >>84
これめっちゃ気になるんですけどいよいよ独立してデビューですかね >>85
いいですね、羨ましいですよ。
好きな人のことを考えるだけで、自然と発想が湧き出るというのは。
勝手に登場人物が動いて、それを記述するだけだとよくプロの小説家が言うけど、その境地ですね。 >>87
おそらく誰かがどこかのスレで同じようなことを書いているだろうけど、やっぱり書きたい。
渡邊美穂「みなさん、聞いてください、今日はこのグループの独立記念日です。
名称も新たに『日向坂46』となりました」 「エル・エステ」は休んで、日向坂46のシングル・デビュー発表記念として別のものを代わりに投稿します。 スナック眞緒物語♯3(その1)
カランコロン。
「あら、いらっしゃい」
お店のドアのベルが鳴り、スナック眞緒の店内に眞緒ママの甲高い声が鳴り響く。
入って来たのは長濱ねるだ。
「ねるちゃん、お久しぶり。あら、どうしたの?涙ぐんで」
「シングルデビューおめでとう」
「ああ、よかったわ、うれし涙ね。泣いていたので心配しちゃった」
「漢字欅を専任することになって、ひらがなけやきを私が脱退する経緯については、運営さんに止められているから、口外できないんだけど。
結果的には、ひらがなのみんなを裏切った形になって、いつもうしろめたかった。
漢字のCD売り上げがひらがなを踏み台にしていたのは事実だったわけだし。
でも、今日、そんな思いからようやく解放されて、心の底から安心した」
「何を言ってるの。ねるちゃんがいたからこそひらがなは誕生できたんだし、
ひらがなのみんなは感謝に気持ちしかないわ」(続く) スナック眞緒物語♯3(その2)
店内にいた客の一人が口を開く。
「アインシュタインの最後の宿題と言われた重力波の発見は一昨年かなったけれど、
長濱ねるさんの最後の宿題であったひらがなけやき坂の独立は今日かなったわけですね」
「あら、先生、ひらがなけやき坂ではなく、もう日向坂ですよ。
ねるちゃん、こちらのお客さん、天文学の先生なの。分からないことがあったら、何でも教えてくれるよ」と眞緒ママが言う。
愛萌がそばにやって来る。
「あまりお会いする機会がなかったので、ねるさんを目の当たりにすると不思議な感じがします。
私にとってねるさんは幻のような存在でしたので」
「え〜、そんな大げさなこと言わないで」
「民俗学者の折口信夫による造語で稀人信仰というのがあります。
此界、つまり、この世に異界から訪問する霊的な存在です。
ひらがなけやきを此界、漢字欅を異界と見なせば、ひらがなの創始者であるねるさんは今は異界にいて、
七夕イベントとかでたまに此界にいらっしゃることになるので」
「愛萌ちゃんが大げさなことばっかり言うから、恥ずかしくなって、私、顔、真っ赤。
でも、可笑しくて、楽しい気分にもなった」(続く) スナック眞緒物語♯3(その3)
天文学者が口を開く。
「稀人信仰という考え方は面白いですね。実は私も、ねるさんと同じで島の育ちでした。
小学生の同級生たちはみんな浅黒く、気はいい奴らばかりだったんですが、ちょっと乱暴だった、男も女も。
そういう場所に、NTTとか電力会社とか警察とか教師とかの仕事で転勤してきた人の子女が転校してくるんですよ。
特に女の子だと、色が白くて、言葉使いが丁寧で、それだけで惚れてしましましたね。
ただ、二年くらいの期間しか居住せず、また転校するんですよ。
最後のお見送りで、桟橋にいるクラス全員の七色の紙テープを船上の転校生が一人で持って、
百花繚乱に咲き誇る花のように見える紙テープの中で幻のように去っていきましたね。
現実ではなく、追っても追っても届かない美しい夢のようでした。
今にして思えば、まさに異界からの来訪者のようでしたね」
「私は転校生の見送られる側のほうでしたけど、そういうふうに思ってもらえた人は羨ましいです」(続く) スナック眞緒物語♯3(その4)
ねるは水割りを一気に飲み干す。
「さっき、『心の底から安心した』とは言ったけど、いろいろと紆余曲折があって、
シングルデビューさせるのに遠回りさせて、日向坂のみんなに迷惑かけたのは変わりないのかなあ」
眞緒ママがねるのグラスの水割りをつくる。
「なんで、そんなに自虐的になるの。いろんな紆余曲折はあったかもしれないけど、結果的には最善のルートをたどったと日向坂の皆だってきっと思ってる」
天文学者が口を挟む。
「水と油といったように異なる二つの媒質を光が通過するとき屈折が起こります。
そのとき、光は最短時間となるルートを取ることがフェルマーの原理から証明されます。
屈折しているので光は遠回りしているようですが、実際には最短となっています」
「波の屈折は高校物理で学習しましたが、そういうふうには教わらなかったです」とねるが言う。
「屈折でフェルマーの原理を用いるとき、二変数関数での全微分となるので、高校の範囲を少し超えますね。
だから、高校では素元波を用いた方法でやりますけど、最短時間になるのは確かです。
それと同じように、ねるさんも日向坂のみなさんも最短であり最善でもあるルートを結局はたどっていらっしゃるんですよ」(続く) スナック眞緒物語♯3(その5)
ねるは水割りをまた一気に飲み干す。
「眞緒ママも、先生も、励ましや慰めのお言葉ありがとうございます。
もう一つもやもやしていること吐き出してもいい?」
「いいわよ、この際だから、思ってること全部ぶちまけなさいよ」
「あのとき漢字欅を選択したことは後悔していないし、漢字欅のメンバーと一緒に道を歩んでいるいま現在もとっても楽しいんだけど、
でも、ひらがなけやきを選択していて、今日、日向坂のメンバーとして、あの発表の場にいたかったとも思うのよね。
厚かましいと思われるけど」
「ホント、厚かましすぎるわ。でも、そう思ってくれているのが伝わるなら、日向坂のみんなも喜ぶと思う」
愛萌がねるのグラスの水割りをつくる。
「私も同じようなことはよく思いますね、様々な出来事がほんの少し違ったら人生が変わっていたといったように。
運命の分岐点に立って一方を選んだ後に、もう一つの可能性はどうだったのか?と。
この世界とは違う人生を生きる別バージョンの私がいるかもしれない、と。
先生、科学をやっている人に、パラレルワールドとか言ったら、やっぱり嘲笑されますよね」(続く) スナック眞緒物語♯3(その6)
「いいえ、そんなことはないですよ、量子力学でもパラレルワールドという考えは出てきます。
観察していないときには、電子は、電子波として確率的に存在しています。
ところが、観察する場合には、光を当てなければならなりません。
不確定性原理から、位置と運動量とは相補的なので、光を当てた瞬間に電子は運動量が大きくなり、一点に収束します。
それをコペンハーゲン解釈と言います。
ところが、その確率的に存在するというのを嫌う科学者は多いのです。
因果関係を解き明かせばこの世を制御できると考える科学者なら、確率論だとそれができず、我慢ならないという理由からです。
そこで多世界解釈というのを好む人も多いのです。
コペンハーゲン解釈では、観測することで波の収縮が起こり、AかBかのいずれかの状態となります。
AかBかのいずれか一方の可能性だけが残りもう一方の可能性は消滅するということです。
これに対して多世界解釈では、いずれか一方だけが残りもう一方は消滅するとは考えません。
世界全体がAとBの2つに分岐すると解釈します。
その場合、観測者自身も分岐することとなるのです。
世界Aに分岐した観測者はAとなった結果を確認し、世界Bに分岐した観測者はBとなった結果を確認することになるのです。
まさにパラレルワールドです」(続く) スナック眞緒物語♯3(その7)
「難しいお話ですが、とても興味深いです。でも、パラレルワールドの検証はできるのですか?」と愛萌が尋ねる。
「いいえ、それは不可能ですね。各々の世界がお互いに影響をおよぼすどころか、お互いを認識することさえできません」
「20世紀のヨーロッパを代表する知識人と言われたT.S.エリオットの詩『四つの四重奏曲』の中にこういう一節があります。
『そうなっていたかもしれないこともそうなっていることも所詮は同じことで、いつもそこにある』
また、こういう一節もあります。
『真実も度を超すと人間には耐えられないから』
先生のお話を聞いて、その詩を思い出しました」
眠そうな眞緒ママが目をこすりながら話す。
「叶わなかった夢、それを実現した分身がどこかにいるのではないか?とついそう考えたくなるよね。
でも、ここにいるねるちゃんはパラレルワールドのねるちゃんが諦めた夢をかなえているかもしれないよ。
ねえ、ねるちゃん」
ねるの姿はなく、空になったグラスだけが残っている。
「あれ、ねるさん、どこ行っちゃったんですかね?」と愛萌があたりを見渡す。
「きっと、今、消えてしまったねるちゃんは、日向坂のメンバーとなった世界のねるちゃんだったのよ」
「え!?そんなことあるんですか?」
「何でも起こるわよ、ここは『スナック真緒』だもの」
「え!?そうだったとしても、日向坂のメンバーとなった世界のねるさんが、
『日向坂のメンバーとして、あの発表の場にいたかった』なんて、どうして言うんですか?」
「何を言ってもいいのよ、ここは『スナック真緒』だもの」
今日もスナック眞緒は大繁盛♪(了) エル・エステ(その28)
人並みに成長して私も中学生となりました。
その年頃の女の子の大半がそうであるように、父とは距離を置くように私もなりました。
ただ、何を切っ掛けとしてそういう移行が起こるのかは一般的には曖昧なようですが、
入江莉緒の存在を知ったことが原因であるというのが私の場合にははっきりしています。
その入江莉緒ですが、あの日に映画のポスターで見て以来、その名前を目にすることはありませんでした。
中学の入学祝としてパソコンを買ってもらいました。
自然と触れ合うことのほうが好きだったので、パソコンにはあまり興味はなかったのですが、必ず一日に一回は起動させました。
それは「入江莉緒」を検索するためでした。
幼い頃とは違って、父に対しての興味も薄れ、大人の事情も理解できるようになったのに、
なぜ入江莉緒にそこまで執着していたのかは自分でもよくわかりませんでした。
結果はいつも空振りに終わっていたのですが、検索しなければ落ち着かず、就寝前の儀礼に半ばなっていました。(続く) エル・エステ(その29)
入江莉緒の出現によって、絶対的であるということから相対的であるということへ私の世界は変化しました。
それと連動するかのように、太陽や月や星の動きに対する見方も修正されました。
つまり、自分が主役であるということから自分は取るに足らないものかもしれないということへ矯正されるのに伴い、
天動説的な見方から地動説的な見方へと自然と修正されたような気がします。
夏には太陽の高度は高いのに、なぜ月は低くなるのかという理由はそれほど難しくなく、自力で答えを出しました。
左から順に、太陽、地球、月が一直線上に並んでいる状態において、
地軸は夏には太陽側に傾いているため、北半球では太陽高度は高くなります。
で、半回転だけ地球自転させれば、昼だった地点は夜になります。
そのとき、地軸が太陽側に傾いていることは変わらないので、北半球では月の高度は低くなるというわけです。(続く) エル・エステ(その30)(続く)
中二のときに体験した二つの授業は今でも鮮明に覚えています。
一つは春の体験学習です。
机上の知識よりは自分で好奇心をもって見聞を広めるという名目でした。
学校側が指定したいくつかの候補地から生徒のほうが選択をして見学を行うというもので、私は諏訪大社を選びました。
上社本宮に参拝した後に、宝物殿を見学しました。
名刀として名高い梨割の太刀や武田信玄が戦の折りに鳴らしたと言われる宝鈴などが館内にはありました。
どれも見ごたえのあるものばかりでしたが、最も興味深かったのが、つい数日前、本宮から見つかったという古文書でした。
それは、人柱にされた美しい娘を龍が救ったという奇譚の原典というべきものだったのです。
古語の上にくずし字で書かれていたので読めなかったのですが、係の人がその読みと意味を詳しく説明してくれました。
メモを取りましたが、一人で全てを書くのは無理だったので、一緒に来ていたクラスメイトと分担し、私は次の一文を記録しました。
天延三年七月一日辛未、昼頃、干上がりし諏訪湖の湖底に美しき娘を生き埋めにせむとしきとき、
突然、雲ひとつなかりし空が真っ暗となり、鼓星、青星、現(あらわれ)いで、青星の下(しも)に龍の赤き目が打ち出でけり。
鼓星はオリオン座、青星はシリウスのことで、シリウスの下に龍の赤い目が現れたらしいとあります。
オリオン座もシリウスも冬の星ですし、しかも昼間にそんなものが現れるわけがなく、
昔の人の根も葉もない想像であるとこのときには思いました。(続く) エル・エステ(その31)
もう一つは秋に受けたワークショップ形式の総合学習です。
暗記中心や知識偏重ではなく、自ら問題を考え抜くための姿勢を身に付けるために、生徒全員が積極的に参加するというものでありました。
そのときのテーマは「占いは是か非か」というものでした。
中学生くらいの女の子の多くは占いが大好きですが、私は毛嫌いしていました。
自分の運命が他の何かによって決定されるという女の子特有の受け身的な態度が気に入らなかったからです。
入江莉緒が手紙で非難した「何か驚くべき出来事によって自分の運命が決定される」という父の態度に対しても、もし事実であるなら、とても嫌でした。
流されやすそうだと表面的には判断されていたかもしれませんが、
骨折したくらいでは人前ではけっして涙を流さなかったし、内面では人一倍強い意志を持ち得ているという自負はありました。
さて、まず初めの総論のとき、予想通り、女子の大半は「是」で男子の大半は「非」で論争が巻き起こりました。(続く) エル・エステ(その32)
次に、個別の占いについての議論になり、最初に血液型占いが取り上げられました。
私によくちょっかいをかけていたある男子は、ときどき私を横目で見ながら、興奮して喋っていました。
「遅刻するとか、約束を守らないとかの欠陥が多い人間の本当の原因は、甘やかされて育てられたとか他人のことを考えないとかの社会常識が欠落しているためだよ。
でも、それを声に出せば、わだかまりを残すことになる。
そこで、『あいつはB型だから仕方ない』と片付けておけばその場が収まる。
だから血液型占いのせいにする。それは自分で自分の言い訳をするときにも使われている。
だから、占いを信じる奴なんて、甘えているんだよ、甘えだよ」
その男子の言い分に共感するところはあったにせよ、したり顔での攻撃的な物言いはとても幼稚に感じました。
それ以上に、授業そのものにうんざりして、一刻も早く終わってくれないかと願っていました(続く) 「頭脳王」を観て、疲れ果てて何も書く気が起きないので、今日は保守だけ。 >>103
いつも執筆ありがとうございますm(__)m わざわざのコメント、こちらこそありがとうございます。 エル・エステ(その33)
血液型占いの次は占星術が取り上げられました。
これにも興味はなかったのですが、クラスの誰かが言った次の一言にはっとさせられました。
「星座の月日の期間というのは何なのですか?」
たとえば占星術でのいて座の期間は11月23日から12月21日までで、私の誕生日は12月2日なのでそれに当たります。
でも、いて座というのは夏の星座で冬にはほとんど見ることはできません。
その指摘を聞くまで、なぜおかしいことをおかしいと疑問に思わなかったのか?
何も考えずに、疑似的に自分は生きてきただけではないのかと恥ずかしくなって、俯いてしまいました。
クラス担任は若い女性で、教科は理科担当だったので、常日頃から気軽に星のことなどを質問していました。
俯いていた私の様子を見ていたその先生が、「どうしたんですか?柿崎さん」と声をかけてくれました。
「ちょっと考え事をしていまして」
「占星術の星座の月日の期間についてですか?それで、なにかわかりましたか?」
「いえ、ただ、占星術の期間と実際に見ることのできる星座とは季節が逆な気がします」
「それで正解ですよ。実は、占星術の期間というのは、実際に夜に見られる期間を表しているのではなく、
太陽が南中したときにその中にある星座の期間を表しています」
「でも、太陽が出てるなら、その眩しい光で星座は見えないですよね。なんでそんなことがわかるんですか?」と誰かが質問しました。(続く) エル・エステ(その34)
そのとき、なぜか私の頭の中で龍の赤い目が光りました。
それに誘導されるように、全神経を集中させて、地球の公転軌道と星座の配置を脳裏に思い浮かべました。
よっぽど変な形相をしていたのか、「柿崎さん、なにか気づいたようですね。よかったら黒板で説明してください」と先生が促しました。
私は黒板の中央に点を打ち、それを中心とする小さい円と大きい円を描きながら、考えを必死に整理しました。
「この点は太陽を、小さい円は地球の公転軌道を、大きい円は星座が常駐している天球を表しています」
時計の文字盤でいえば12時の位置にあたる大きい円の上端を指さしながら続けました。
「大きな円の上端にいて座があるとします」
同じく、時計の文字盤でいえば12時の位置にあたる小さい円の上端を指さしながらさらに続けました。
「小さな円の上端に地球があるとします。
このとき、地球の上半分は夜で、深夜0時にいて座は南中して、その様子は地球上から見ることができます。
いて座は夏の星座なので、このときの季節は夏ですね」
時計の文字盤でいえば6時の位置にあたる小さい円の下端を指さしながら続けました。
「半年たてば、半回転の公転運動を地球はして、この小さな円の下端に地球はやってきます。
半年たったので、このときは冬ですね。
このとき、地球の上半分は昼で、正午にいて座は南中しています。
太陽の強烈な光のため、その様子は見ることはできませんが、いて座は南中していることに間違いありません。
たとえば6月2日の深夜0時に南中した星座を記録しておけば、それから半年後の12月2日の正午にその星座の中に太陽が入っています。
だから、実際に見えなくても、太陽が南中したときにその中にある星座はわかるというわけです」
「お見事です、柿崎さん」と先生は誉めてくれました。(続く) エル・エステ(その35)
その後、先生は補足をしてくれました。
歳差と呼ばれる現象のため、地球の自転軸の向きはずれることで、太陽が南中するときに入る星座も年ごとに少しずつ前倒れになるそうです。
占星術が成立したのは今よりも2200年ほど前で、その時点での南中星座が今でも使われているため、
占星術で示されている期間と比べ、現在、太陽が南中するときに入る星座はほぼ一か月前にずれているという説明でした。
だから、私の誕生日が入っている11月23日から12月21日までの期間に太陽が南中するときに入る星座はいて座ではなく、
本当はさそり座ということになります。
「占星術における星座の期間の区切りが昔と今ではずれているにもかかわらず、それを今でも適用しているのはうさん臭い」
そういう声が男子たちの間から出ましたが、私はそういうことはどうでもよく、ある考えにとらわれていました。
その後、何が話されて、どういう結論になったのかは覚えていません。(続く) エル・エステ(その36)
授業が終わると、職員室に駆けこみました。
「先生、真冬の深夜に南中するカノープスは、真夏の正午に南中していることになりますよね」
そう質問して、諏訪大社で取った古文書のメモを見せました。
「でも、雲ひとつなかった空が真っ暗になったというのはどういうことなんでしょうか?」
「もしかして・・・」と言いながら、スマホを取り出して、メモに書かれていた「天延三年七月一日辛未」を先生は検索し始めました。
「ああ、やっぱり」と言いながら、検索結果を見せてくれました。
そこには「皆既日蝕」の文字がありました。
「なるほど。皆既日蝕で空が真っ暗になったため、オリオン座もシリウスもそしておそらくカノープスも見えたということですね」
「たぶんね。でも、そのことをはっきりされるためには細かい厳密な計算で検証しなくちゃいけない。
手伝ってあげたいところだけど、私の力じゃ無理ね」
何でも、天体の運動を厳密に調べるためには球面幾何という専門の学問が必要で、
さらに歳差による春分点の移動や、標高の高い長野では高度視差とかいったものまで必要となるそうです。
そして、天文学を本格的に研究しているのは東京大学と京都大学くらいしか日本にはないそうです。
「直接の知り合いという人はいないのよね。でも、伝手をたどって専門の人に辿り着いたら、頼んであげる」
私のために骨を折ってくれるというその言葉はとても嬉しく、先生を信じて気長に待とうと思いました。(続く) もがいて書いているうちに、当初は全く意図しなかった方向に話が進んでしまいましたw エル・エステ(その37)
その日、いつも通りに就寝前に「入江莉緒」を検索しました。
名前を書き込んでENTERキーを押すとき、「皆既日蝕」を即座に表示させた先生のことが思い出され、何か勘のようなものが働きドキドキしました。
その予感は当たり、初めて「入江莉緒」の検索結果を表示させることに成功しました。
天にも昇るような気持ちになり、思わず私はガッツポーズをしてしまいました。
でも、そのすぐ後には、なんでこんなに喜んでいるんだろう?と自分の気持ちを自分で不思議に思いました。
「入江莉緒」の検索をやり続けたことは単なる惰性でしかないと自分でも思っていたからです。
無意味な繰り返しだったとしても、経過したその年月の蓄積というものは実体を身に付けてしまうものなのでしょうか?
さて、客席数が100人にも満たない東京にある小劇場の舞台に脇役として出演することを知りました。
表示されている開演日と卓上のカレンダーとを見比べて、冬休み期間中であることに気づきました。
え?まさか観に行きたいと思っているの?とまたも自分の気持ちを自分で不思議に思いました。(続く) エル・エステ(その38)
時間は前後しますが、中二の夏に優佳は日本に戻ってきました。
長野を訪れたあの後、お父さんの海外勤務で、優佳は日本を離れていたのでした。
帰国したとき、すぐに連絡をくれたのですが、直接会うことはしませんでした。
編入手続きの準備やら久々の日本の生活への順応やらで慌しかった上に、
帰国前に提出した日本哲学グランプリの中学生の部で受賞して、
受賞者にだけに道が開かれる国際哲学オリンピック選考会の課題で優佳は忙殺されていたからです。
定期的に電話連絡しあっていましたが、諏訪神社でメモを取ったときには古文書のことは話しませんでした。
話さなかった理由は特にないのですが、龍などという架空上のものに思い入れしているとは思われたくなかったかもしれません。
でも、科学的な裏付けがありそうだということが見えてきたので、その詳細を話しました。
優佳はとても興味を示してくれました。(続く) 保守
保守ばかりですまないが、このシリーズは明日で終わらせます。 エル・エステ(その39)
その後、12月のはじめに再び優佳から電話連絡がありました。
国際哲学オリンピック選考会でグランプリを獲得して、世界大会の日本代表となったことを教えてくれました。
自分のことのように嬉しくなり、私は何度も祝辞を述べました。
「それでね、さっそく代表者のための研修が始まったの。
そのときに委員会の東大の先生に、芽実が言ってた古文書のことを話したの。
その先生が同僚の天文学の先生に話したら、とても興味を持ってくださったようで、ぜひ見たいと仰ったそうなの」
「うん、わかった、今すぐファックスで送信する」
「急がなくてもいいよ、いまは手が離せなくて、20日過ぎじゃないと余裕はないそうだから」
「じゃあ、そのときあたりに送信する」
「芽実、久々に会いたいから、どうせなら冬休みに東京まで来ない?
そのときに古文書の写しを持ってくればいい。
もちろん泊まるのは私の家ね、歓迎するよ!」
私に異存はありませんでした。
母にお願いすると、「もちろん、いいよ。優佳ちゃんと会えるの楽しみだね」と言ってくれました。(続く) エル・エステ(その40)
東京に行く前日のことでした。
私が世話になるお礼として。優佳の家への進物の配送依頼で母は外出していました。
私がダイニングでブラックコーヒーを飲んでいると、父が屋根裏部屋から降りてきました。
「今日、どうしてお仕事休んでいるの?何か私に言いたいことがあるんじゃないの?」
「いや、特にないよ」
「私のほうは二つほど訊きたいことがあるよ」
「言ってごらん」
「私が小学一年生の冬に北の山に登ったときのこと覚えてる?」
「ずいぶん昔のことだったね。もちろん覚えている。危険な目に遭わせてすまなかったね」
「ううん、あの山に連れて行かれたことは心の底から感謝している。パパが私にくれた最高の贈り物だった」
「そうかい」
「でも、『芽実、見えるか!』とパパは言ったけど、あのときにはパパには龍は見えていなかったんでしょ?」
「・・・・」
「本当は見えていなかったのね。子供のころには見えたの?」
「ああ」
「大人になっても龍を追い求めたけど見えなくなってしまったのね。
幼い私になら見えると思って、代わりに見せたかったの?」
「そうかもしれない」
「私はまだ龍を見れるとパパは思う?」
「芽実はどう思っているのかい?」
「私はまだ見ることができると信じている」
「じゃあ、きっと見ることができるよ」(続く) エル・エステ(その41)
「二つと言ったけど、いくつも訊いちゃったね。本当は一番訊きたかったことがあるんだけど・・・」
「かまわないよ、言ってごらん」
「入江莉緒さんって人、覚えてる?」
父は目を伏せ、少し時間をおいてから答えました。
「さあ?知らない名前だね」
「嘘よ、知っているはずよ。忘れたの?」
「じゃあ、きっと忘れたんだね」
悲しげな顔をした父を見て、尋ねたことを私は後悔しました。
その場の重い空気から逃げるように私は庭に出ました。
慰めを求めて庭の木に抱き着いたら、樹皮の下に脈動を感じました。
まだ感じられることに安堵し、「大丈夫、きっと龍をもう一度見ることはできる」と私は呟きました。
踵を返して、郵便受けから私宛の封筒を取り出し、自室に戻りました。
封筒の中身を取り出し、机の上にあった絵葉書の横に置きました。(続く) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています