神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい[1]、しんぷうとくべつこうげきたい[2])は、
第二次大戦で旧日本軍陸海軍が体当たり戦法のため編制した、特別攻撃隊[3]。
略称は「神風」、「神風特攻隊」[4]、「特攻隊」[1]。


「特攻隊」
太平洋戦争の末期に日本軍が編成した生還を期さない体当り攻撃部隊。

[中略]
日本軍航空部隊の主要な戦法となり、沖縄攻防戦では、1945年4月から5月の時期を中心に陸海軍あわせて約2500機もの特攻機が出撃し、
さらに、本土決戦のために多数の特攻機が配備された。
特攻攻撃には、旧型機や水上機、練習機まで含めたあらゆる種類の航空機が投入され、
母機から発進する体当り専用の小型グライダー「桜花」や、
体当り用の大量生産機「剣(つるぎ)」も開発されている。
米軍は、レーダー網の整備や艦載戦闘機・対空火力の増強、特攻機の出撃基地に対する攻撃などによって特攻攻撃に対抗したため、
日本軍搭乗員の練度の低下とも相まって、大多数の特攻機は目標突入以前に撃破され、
戦局に影響を与えるほどの戦果をあげることはできなかった。 [中略]
海上特攻の場合は、潜水艦の甲板上から発進して敵艦に体当りする人間魚雷「回天」(九三式魚雷を改装)が、
1944年11月、ウルシー泊地(カロリン諸島)への攻撃に初めて使用され、以後、出撃を繰り返した。 [中略]
こうした特攻攻撃は、悪化する戦局に対する軍上層部の焦慮感と兵士の人命を軽視する思想が生み出した特異な戦法であり、
特攻攻撃への参加も、基本的には各自の志願によるものとされていたが、
実際には、さまざまな形での強制が働いた場合も少なくなかった。[1]

神風特別攻撃隊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A