碧巌録(へきがんろく)  第46則  鏡清雨滴声(きょうせい うてきせい)

【本則】鏡清、僧に問う、門外是れ什麼の声ぞ。
僧云く、雨滴声。清云く、衆生?倒して、己れに迷うて物を逐う。
僧云く、和尚作麼生。
清云く、?ど己れに迷わず。
僧云く、?ど己れに迷わずと、意旨如何。
清云く、出身は猶お易かる可し、脱体に道うことは応に難かるべし。

本則
鏡清禅師が僧に聞いた、「門の外で聞こえる音は何かな?」。
僧は言った、「雨滴(あまだれ)の音です」。
鏡清は言った、「お前さん雨だれに捉われたな」。

僧は言った、「和尚さんはあの音が何と聞こえるのですか」。
鏡清は云った、「私もすんでのことで迷うところだった」。

僧は云った、「私もすんでのことで迷うところだったとは、どういう意味ですか?」。
鏡清は云った、「いろいろの束縛を脱して悟るのは易しいが、それをずばりと言うのはなかなか難しいよ」。



鏡清(きょうせい)::鏡清道フ禅師(868〜937)、雪峰義存の法嗣。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ  
雨滴声:雨滴(あまだれ)の音。
衆生顛倒し、己に迷うて物を遂う:衆生は本末を取り違えて、他物を追いまわして自己を見失ってしまう。
カロウじて己を迷(みうしな)わず:私もすんでに自分を見失ってしまうところだった。
「カロウじて己を迷(みうしな)わずと、意旨如何?」:「私もすんでに自分を見失ってしまうところだったとはどういう意味ですか?」出身:いろいろの束縛を脱して自由になること。

→ 禅の公案は決まりきった答えが無い。
  各人がこれまで誰も言った事が無いまっさらの言葉で審理を言うだけである。
  眼には見えない、5感、6感7感の外にある空を言葉に変換するのである。
  殻ろうとすれば、わたしとあなたが存在してしまう。
  禅は無我を言う。
  真理(さとり)を言葉に置き換えることが、既に矛盾である。
  だから、困難を極める。
  不立文字(ふりゅうもんじ)である。
  雨の音と私が無我である、空である。
  色即是空である。
  色即是空は空即是色へと還(かえ)る。に至るには隻手の音声を聞いてから20年が経過した。