引き続き、子供にキリスト教を教えることの悪影響について書いていきます。
前回、私が知るクリスチャンの多くが、
大人になってからキリスト教に出会った人たちだと書きましたが、
その人たちには共通することがありました。
それは、それぞれに何かしら人生に挫折したり疑問を持ったりしたときに、
キリストに出会って心の重荷が下りたということです。
その「挫折」「疑問」の内容は、置かれた境遇の違いや程度の大小の差こそありますが、
ともかく、何らかの救い(一般的な意味での)を求めていた時に、
タイミングよくキリスト教に出会い、自ら洗礼を受けた、
そういうクリスチャンを直接的、間接的にたくさん見て(聞いて)きました。
極端な例では、電車に飛び込み自殺をして手足を失い、
入院中にキリスト教に出会って牧師夫人にまでなった人や、
暴力団員として悪の限りを尽くした人が牧師にまで上り詰めた例があります。

さて、キリスト教の伝道でよく引用されるこんなお決まりの聖句があります。

疲れた者、重荷を背負う者はだれでもわたし(イエス)のもとに来なさい。
休ませてあげよう。(マタイ11章28節)

この言葉が、教会の看板、伝道用の冊子などによく書かれており、
実際、近年私の自宅のポストに入っていたチラシにも、
そのお決まりの言葉が書かれていました。
教会側は、そうやって現代人の疲れた心に呼びかけるように伝道し、
実際、社会生活の中で挫折したのちにキリストに出会い、
心の重荷が下りた人が多いことは先に書いた通りです。