執着とは、こだわり

仏教では修業の障害とされる心の働きとして捕らえるなら悪い意味のこだわりを指すだけの事
修業してるわけじゃないならどうでもイイ話
執着を捨てる意識など不要

現実を生きる時には執着すなわちこだわりは、内容によりイイ意味も悪い意味もあるわけで
こだわれば深く知る事もある
長く続ければ継続は力なり
イイ執着はいっぱいある
嫌われてる相手に好きと執拗にアプローチすればストーカー
悪い執着もある

自分の置かれてる状況や意図に対し矛盾した事にこだわった行動をすると苦悩を引き起こすのが問題なわけで

抽象的に執着はいけないと掴みどころのない考え方で全否定するもんじゃないだろ

むしろ現実を直視しないで、自分の心を覗いて路頭に迷ってる時に他人に現実的な内容で指摘されて気付きを得た時に、何感情にこだわってんだ?
心の問題なんて考え方次第でどうにでもなるだろ
今までオレは何考えてたんだよと気付き
現実にきちんと取り組めばイイだけじゃん
やるしかないだろと行動に結びつけば心は楽になる
自分の感情に惑わされず、頑固にならず、柔軟な考え方が必要という事だろ