鎌倉・円覚寺の法話です。

<ありがたいという気持ち> 

「見性悟道(けんしょうごどう)」
と言いますが、いっぺんにがらっといくのではありません。
迷いながら、つまずきながら、求めながら、失いながらであります。

何か得たような気持になったり、また失って失望の底に落ち込んだり、
そういうことを繰り返し繰り返ししていくうちに覚えず知らず、
「ああ!仏心の中にあった!」と気付くのであります。

 僧堂の修行は別段何年入ればいいというものでは決してない。
大事なことは自分の納得いくまでやっていくことであります。
私たちお坊さんの一番の勤めはお経であります。