もう少し仏教的な視座から見てはどうでしょうかね?

「心」とは仏教でいうところの八識の第六識「意識」に該当します。
勿論、その構成に変化がない事は言うまでもありません。

そのうえで、「心」というものは刹那に生滅を繰り返すもので、恒常・不変のものではなく、
依他起性のものではないのですか?

天台では、一念三千といい一念にも三千世界(諸法)が具われていると云うじゃないですか?
唯識でも、「種子生現行、現行熏種子、三法展転、因果同時」と云うじゃないですか?
華厳でも、重重無尽縁起と云うじゃないですか?

変化があまり無い、進化している、動物的・・・
「これだ」という捉え方はどうも私には常見的に思えるんですが。

縁起の理の中で「心」を捉えないと…。