日進月歩の科学技術を前に、子供たちの知的興奮を刺激し続けるのは並大抵のことではない。

カリフォルニアのディズニーランドが開業した1955年当時なら、
自動車技術の一端をうかがえるゴーカートは、トゥモローランドのアトラクションとして申し分なかったかもしれない。
しかし、はたして現代の来園客がゴーカートから「未来」を感じるだろうか。

1972年、国際的なシンクタンク、ローマ・クラブは報告書『成長の限界』を発表し、人類文明が遠からず成長の限界に達するだろうと警告した。
この報告書は、はたして科学技術の進歩が明るい未来をもたらすのか、
目指すべき未来は科学技術の進歩とは別のところにあるのではないか、そんな疑念を人々に植え付けた。

映画トゥモローランド(2015)の序盤では、戦乱・騒乱の映像が映し出され、海面の上昇等の地球環境の変化が説明され、
思想や文化の統制を描いた『華氏451度』や監視社会を描いた『1984年』を例にディストピアとなった未来が紹介される。
科学技術の進歩は、これらの災難を抑えるどころか拡大・進行させていることが暗に語られる。

他の多くの映画も科学技術への警鐘を鳴らすものになっている。
『ATOM』や『ウォーリー』はゴミだらけになった地球を描き、「これは人類への警鐘」という惹句で公開された『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』は大ヒットした。

ユートピア主義は今日どこにも見られるものはほとんどない。
スティーブンソンとピーターティールは、サイエンスフィクション(SF作品)が瀕死であることを指摘している。
最近の新しい作品はどれも刺激的なものではなく、ディストピアであるという。